猛暑に耐え、深まる秋を迎えた我が家のサルビア、
改めて、サルビアの朱色が艶やかに。
10月も下旬となり、秋らしい気温となりました。
今日の二宮の我が家は朝10度以下になり、
まさに秋です。
これから霜が降りる12月末まで、秋の花々を大いに楽しみます。
猛暑に耐え、深まる秋を迎えた我が家のサルビア、
改めて、サルビアの朱色が艶やかに。
10月も下旬となり、秋らしい気温となりました。
今日の二宮の我が家は朝10度以下になり、
まさに秋です。
これから霜が降りる12月末まで、秋の花々を大いに楽しみます。
私の読書世界と勝手な読書(内藤著『トルコ』)感想文
渡辺幸男
最近読んだ本10冊
新聞の新刊紹介や広告で知り、読んだ新刊書
尾上哲治著『大量絶滅はなぜ起こるのか 生命を脅かす地球の異変』
講談社ブルーバックス、2023年9月
山田康弘著『足利将軍たちの戦国乱世 応仁の乱後、七代の奮闘』
中公新書、2023年8月
浜忠雄著『ハイチ革命の世界史 – 奴隷たちがきりひらいた近代
岩波新書、2023年8月
丸山浩明著『アマゾン五〇〇年 – 植民と開発をめぐる相剋』
岩波新書、2023年8月
内藤正典著『トルコ – 建国一〇〇年の自画像』 岩波新書、2023年8月
シリーズで読んでいる本
『生態人類学は挑む』(京都大学学術出版会)シリーズ、
全16冊刊行予定(15冊刊行済み、かつ入手済み、うち14冊読了)
現在、Sessionシリーズ(編著)予定6冊中、全冊刊行済み
Monographシリーズ(単著)予定10冊中、9冊刊行済み
同シリーズ
Session 4、伊谷樹一編『つくる・つかう』
京都大学学術出版会、2023年4月
Session 6、伊藤詩子編『たえる・きざす』
京都大学学術出版会、2022年12月
読んだ本から知り、関心を持って読んだ近年刊行の著作
布留川正博著『奴隷船の世界史』 岩波新書、2019年8月
伊谷樹一・荒木美奈子・黒崎龍悟編『地域水力を考える
– 日本とアフリカの農村から』昭和堂、2021年3月
柳澤雅之・阿部健一編著『No Life, No Forest
– 熱帯林「価値問題」を暮らしから問う』京都大学学術出版会、2021年3月
読んだ本から知り、今読んでいる興味深い著作
風間計博著『強制移住と怒りの民族誌
– バナバ人の歴史記憶・政治闘争・エスニシティ』明石書店、2022年1月
面白そうな本を新刊案内等で見つけ、また面白かった本の参考文献で最近刊行の興味深い本を見つけ、ネットで注文し、乱読する。すなわち、研究のためではなく、テーマを決めず「読み漁る」、これが今の私の「雨読部分」の日常である。
現役の研究者をやっていた時には、このように著作を好き勝手に選び、自由に読むことは、研究者として自粛せざるを得なかった。自分が興味深いと思った著作には、のめり込むのが、私の読書であり、思考の中心が自ら選んだ研究テーマと大きく離れてしまうことが怖かった。それゆえの禁欲である。1970年代から2013年の定年退職まで、そして最後の単著を刊行した2016年まで、ほぼこの禁欲を「守った」と思う。
しかし、2016年に自身のこれまでの研究者としての研究課題について、まとめが残されていた中国産業について、私なりの研究成果をまとめ、4冊目の単著を出版できた。それから、研究者としての呪縛が解け、自身が関心を持ついくつかの研究分野の最近の成果の解説書、さらにはかなりの専門書、私の読めるタイプのものであるが、それを最も得意な言語である日本語で自由に読みたくなった。特に、日本人による諸分野の研究も、20世紀末から21世紀にかけ、多くの分野で新たな展開を遂げている。
私の専門分野(中小企業、産業論研究あるいは近代産業経済史研究)以外について、ほぼ1960年代で読書が止まっていた私にとっては、21世紀になって発表された研究成果は、新たな認識を可能とする、興味深い研究成果に満ち溢れた世界であった。その結果が、上記のような乱読となった。毎年、新書を始め、専門書も含め数十冊を乱読する。そんな生活を始めた。
そして、感想文を書きたくなった本(書けると思った本でもある)について、勝手な感想を書く。これが私の「晴耕雨読」の日常の一面である。一番最近の読書感想文を以下に掲載する。
最新の感想文
内藤正典『トルコ 建国100年の自画像』(岩波新書、2023年8月)
を読んで 渡辺幸男
目次
はじめに
第1章 トルコの地域的多様性 – 沿岸と内陸
第2章 1990年代 – 不安の時代
第3章 エルドアン政権への道 – 障壁と功績
第4章 EU加盟交渉の困難な道のり
第5章 世俗主義をめぐる闘い – 軍部と司法の最後の抵抗
第6章 エルドアン政権、権力機構の確立
– 権力の集中はなぜ起きたか
第7章 揺らぎなき「不可分の一体性」と民族問題
– クルド問題の原点と和解プロセスの破綻
第8章 直面する課題 – いかにして難題を乗り切るか
終章 建国100年の大統領
あとがき
関連年表
本書は、エルドアン大統領が率いるトルコ共和国の今を念頭に、オスマントルコ帝国の崩壊そしてアタチュルクによるトルコ建設以来のトルコの政治的な歴史的経過を、改めて議論したものである。ここでの視座は、アタチュルク革命その後の支配的政治勢力がトルコにもたらした枠組みを前提に、その視点から議論するのではなく、その枠組みを前提にしながらも、エルドアン大統領が新たに何をもたらしたか、政治的、社会的な内容を確認し、それを積極的に肯定する姿勢で議論することにある。
エルドアン以前の世俗主義の政権、それを支えた軍等の勢力の姿勢、そして「西欧世界のフィルター」を通してではなく、エルドアン治下のトルコそれ自体の内的展開を見るものと強調している。そして、その歴史的展開を見る場は、基本的に政治的あるいは社会的トルコである。それ自体としては、大変興味深い観察と分析が行われている。私にとっても、学ぶところが多くあった。
しかし、私がそれと同時に期待していた、それらと組み合わせた経済的なトルコの位置や展開の分析や紹介は、ほぼ完全に無視されている。トルコ経済が、現在の世界経済の中で、どのように機能し、再生産し、発展しているか、その展望は、どのようなものとして見ることができるか、といった側面の議論は全9章中の第7章までほぼゼロである。エルドアン治下で経済の充実、開発が進んだという指摘だけはあるが。その内実の紹介、経済論理的解明、ないしは分析は、さらに、それに基づく産業発展、対外経済関係の展開内容、経済発展でのエルドアン政権の政策の妥当性ないしは問題性といった点についての紹介も、それまでの章には全くない。
それゆえ、本書を読み始め、大変興味深く思って読み進んだのであるが、途中から、エルドアン大統領が、何故多くの人々の支持を取り付け続けられるのか、経済的裏付けがないことで、隔靴掻痒の思いに囚われ始めた。そのこともあり、本書の参考文献を通して、その点の補足をと思い、参考文献欄を探したが、目次にも示したように、残念ながら本書にはそのような欄はなかった。また、まだ目を通していないが、経済と関連する部分としては、終章の前の第8章「直面する課題」の②に「激しいインフレと市民の防衛策」というのがある。14ページほどの節である。ここを読めば、今のトルコが抱える経済的課題が見え、経済の状況が見通せるのであろうか。(以上、第7章まで読んでの感想である)
第8章の「課題②」で、「激しいインフレと市民の防衛策」という形で、経済問題の象徴ともいうべき、トルコの激しいインフレ状況と、それに対するエルドアン政権のあり方を紹介している。ヨーロッパの諸政権やトルコ中央銀行総裁の見解に反対し、激しいインフレ状況に対し、エルドアン政権は利上げでの対応をせず、かえって利下げした理由を述べ、トルコ庶民の状況を踏まえたエルドアン政権の姿勢を肯定的に紹介している。ここでは、インフレそのものが何故生じ、インフレがトルコ経済の状況にどのような影響を与えているのかの分析どころか、紹介もない。ただ、エルドアン政権の対応の内容とその理由が紹介されているのみである。
通貨の価値が下がること、それにより輸入品価格が高騰することが悪循環であることは、認めているが、トルコ政府は、それをもっぱら利上げで対応するのではなく、「外国からの不動産投資やインバウンドの観光のような直接的な外貨収入で補おうとする」(p.223)と締めくくっている。それでトルコ経済のバランスが取れ、成長路線を維持しているかどうかのまともな紹介や分析はない。あるのは「外貨が不足すると、国民の保有する金や外国からの旅行者による現金収入をあてにしている」(p.225)とも述べている。「近場のリゾートとしてトルコの地位は高まった」とのことである。
この本では、トルコの激しいインフレについて、政府がその抑制に対しては無策であるが、それをある意味前提として、多様なその場しのぎ的な対応策を経済的弱者に対し数多く行い、積極的な経済拡大を維持し、社会不安の表面化を抑えている、ということであろう。対外バランスを外国人観光客の拡大等でそれなりに維持し、為替レートの低下とインフレそれ自体への積極的な抑制は行わない、という理解であるらしい。外国人の観光の拡大、特にロシアや中東の人々の観光地としての意味の欧州諸国に対する増大、これらが、当面対外バランスを維持することを可能としている、と著者は述べているようである。
なりよりも、インフレが少々進行しても、貧民が飢えず、経済基盤がより強固になれば、いずれ落ち着くところに落ち着くという理解のようである。エルドアン政権も著者も。
今ひとつ、著者の本来の記述で、私が理解できないのは、トルコの大多数の人々はイスラム教徒であるということであるが、軍人や既存政党の多くが、世俗主義であり、イスラム法に従うことなく、アタチュルクが進めたトルコの世俗主義に従って行動してきている。これをどう見るのか、エルドアンの支持層は、同じイスラム教徒でも、相対的に中下層の人々であり、素直にイスラム政党を支持するということであろうか。それに対して、エリートはイスラム教徒であると言っても、行動のあり方が大きく異なるということなのであろうか。それが、そのような関係が、安定的に再生産され維持されてきたのはなぜであろうか。階級的格差が大きく、それがある意味安定的に再生産されている、ということなのであろうか。この点も今ひとつわからない。
そうであれば、トルコにおけるイスラム教徒内の階層性と、その階層性ゆえに、世俗主義賛成派とそうでない層とが形成再生産されていた、その再生産の論理を提示する必要があろう。しかし、それについての示唆も、本書から私は読み取れなかった。
いずれにしたも、通常のトルコ経済論を中心とした、私がこれまで眼にしてきた議論とは、かなり異なる議論であり、その視座は興味深いものであり、学ぶところも多かった。それゆえにこそ、その視座に基づき、トルコ経済の再生産分析と、それとそこでの中下層トルコ人の状況との存在状況との関連について、是非、著者の見解とその根拠を聞きたい所である。
「プリゴジンの叛乱」とは何だったのか
渡辺幸男
1、2023年7月8日付のFTの記事(Ivanova, P. & M. Seddon
‘Prigozhin ties to Putin expose weakness in the Kremlin’)を読んで
と
2、2023年7月23日付のFTの記事(Seddon, M. & A. Schipani,
‘Wagner chief in surprise appearance at Russia‘s Africa summit’)を読んで
*1の記事を読んで、当初感じたこと
今度のプリゴジンの叛乱とその収束に関して私の最初の基本的了解が、どうも間違っていたようであると感じた。
この記事で書かれている、当面の叛乱収束と思われ得る状況、プリゴジンの所有するオリガルヒとしての民間軍事会社を含めた産業複合体が、ほぼそのまま存続している、しかもプリゴジンの所有の下でということについて考えると、当初私がかんがえたように、プリゴジンは、プーチンに叛乱したことの罪を許された、ということではなく、また、ワグネルは解体され、ロシア国軍に吸収されるということではなかったようである。ベラルーシのルカシェンコの仲介で、とりあえず、両者の間での妥協が成立した、ということのようだ。
プリゴジンはモスクワ侵攻を放棄することで、自らの事業体を、民間軍事組織を含め維持でき、拘束されず、経営者として行動することをルカシェンコの仲介でプーチンに保証されたが故に、モスクワ侵攻を主体的にやめた。プリゴジンとプーチンとのルカシェンコが仲介した妥協は、プリゴジンは当面モスクワへ侵攻しない、プーチンはプリゴジンの行動の自由を保証する、というものであったのではないか。一応プーチンの面子を立てた上で、だが。プーチンは、プリゴジンのモスクワ侵攻の軍事的な阻止を不可能と判断した上で、このような妥協したのではないか。
このままプリゴジンのモスクワ進攻を許せば、プーチンは自らの政権は崩壊し、もたないと理解し、それを回避する最後の手段として、ルカシェンコの仲介ということで、あたかもプリゴジンが、プーチンに説得され、「撤退」したという形を取ることに成功した。プリゴジンもプーチン政権の崩壊、そしてその後の大混乱を避ける必要があったのであろう。このように見えてきている。実際に、公開で逮捕され、見せしめが行われていないのだから。
このような理解を、皆さんもしていていたのであろうか。このように理解できず、無知であったのは私だけなのであろうか。どうも、そうでは無いようである。
2023年7月9日付「朝日新聞」5ページの記事「ワグネル、アフリカ撤収か プーチン政権、プリコジン氏と切り離し」、この記事は無署名だが、「中央アフリカに駐留していたロシアの民間軍事会社ワグネルの戦闘員が撤収」という内容の記事の中で、「ロシア国営テレビは5日、プリゴジン氏の特集を放映し」、自宅の捜索の結果やプリゴジン氏がワグネルなどのグループの掌握を続けるのはむずかしいとしている。しかし、同時に、押収されたはずの現金や武器が、プリゴジンに返還されたとの報道があると伝えている。
報道されている事実を、冷静に外から眺めれば、叛乱を起こした人物が叛乱を諦め、降伏したようにいわれ、家宅捜索されながら、戦闘行為もしておらず、逮捕されず、行方不明になり、オリガルヒとしての資産のロシア政府による全面没収は語られていない。大変奇妙な事象である。ちらほら、聞こえ、見えてくるのは、表面的には降伏したことにしたが、事実上、ルカシェンコの仲介で、何らかのオリガルヒとしての生き残りを前提に、プリゴジンが妥協した、といったような姿である。朝日の記事も接収した現金をプリゴジン本人に返還という話があるという、叛乱に失敗したということを前提とすれば、とても奇妙なことにも言及している。
ロシア国民の前には、家宅捜索を含め、犯罪者であり敗者であるプリゴジンに対し、プーチンがその後始末をしているように見せても、その実、その姿はロシア国民向けのポーズに過ぎず、プリゴジンそのものはオリガルヒとして無傷であるように見えてくる。プーチンの面子を立て、当面、叛乱を「鎮圧」したプーチン政権は維持されるとしても。
プリゴジンそのものについては、事件収集後、ルカシェンコ情報で多少消息が漏れる程度であり、その姿については誰にも目撃されず、逮捕されたり、拘束されているという情報さえない。報道的には、プリゴジンの豪華邸宅の捜索だけが具体的な報道として示され、関連会社の接収という報道もない。少なくとも、専制的大統領プーチンに対する叛乱を主導し、それに失敗した首謀者の姿ではない。プーチンが、国民の前で、反乱を解決し、依然として
さらにプリゴジンのロシア国軍に対する影響力、そしてその大きさを、ロシア南部ロストフ州の州都のロストフ・ド・ヌフ市のロシア軍基地をほぼ無血で占領したこと、また高速道をモスクワに向かって、何らのロシア軍による抵抗もなく進軍できた事実との関連で、どう見たら良いのか。ロシア軍の中級以下の将官の多くにとって、プリゴジンとその行動は断固阻止され排除されるべき事項ではなかったことは事実であろう。国軍の南部司令部を戦わず明け渡しているのであり、モスクワへの進軍を阻止する動きが、衛星写真を含め、外から全く見えなかったのであるから。初期には、戦闘機によるロシア空軍のプリゴジンへの攻撃があったようだが、戦闘機は撃墜されたとのことであり、その火力は依然維持されているのであろう。同時に、それ以外の阻止行動は、全く伝えられていない。
どうも、ルカシェンコの仲介は、プーチンにとって、ぎりぎりのタイミングでのものであり、表面ヅラだけ、プーチンの権力保持を示すに過ぎないものといえよう。日本国内の報道では、ルカシェンコがプリゴジンに対して、プーチンに降伏するように説き、それに成功したかのように報道されている専制的な大統領として君臨している、という形を示しているだけである。実質的には、プリゴジン自体は叛乱に失敗しておらず、ルカシェンコの仲介で表面ヅラだけを当面丸く収めただけに見えてくる。と、私には見え、奇妙に感じていたが、単なる戦闘行為に至ることを停止するという仲介に成功したということであろう。
その上で、露呈したロシア国軍のプーチンへの忠誠の弱さが、今後、どのように影響してくるのであろうか。戦場に向かう将校や兵士の間に、ウクライナ侵略の不当性への嫌悪や、何のために戦場で死をかけたかのかわからない状況が、浸透しているからこそ、プリゴジンに対して本格的な対立、戦闘を行わなかったのではないか。そんなことを感じる。
その後の報道で、ロシアのベスコフ大統領府報道官が、叛乱収拾の数日後にプーチン大統領とプリゴジンおよびワグネルの中心的幹部数十名とがあっていた、ということを述べたことを知った。そこで、プーチンによるワグネルに高い評価が伝えられたとのことである。初めの報道とは、全く違う方向に向かっている。このベスコフの発言をどうみたら良いのであろうか。当初のプーチンの発言としてプリゴジンの叛乱を断固許さないと伝えていたのは、何だったのであろうか。
ベスコフ報道官の発言により、叛乱とその叛乱分子に対する制裁、という内容が全く消えたことになる。
また、7月9日付の朝日新聞の報道によれば、ワグネルは中央アフリカ共和国での介入行為を放棄したようである。このことでアフリカ大陸の状況は、さらに混沌としてくるであろう。他方で、ワグネル自体がそのままベラルーシで活動していることが、ルカシェンコより報道されている。ワグネルの解体そのものは、少なくとも全面的には行われず、ロシアの意図に素直に従うことをやめたということであろう。シリアとアフリカ諸国がどうなっていくか、ワグネルの「大きさ」を推し量る上にも、これからの動きが見ものということになる。
*2の記事を読んで
プリゴジンのその後(FT, Seddon, M. & A. Schipani, Wagner chief in surprise appearance at Russia’s Africa summit, FT, 28 July 2023, p.2 を読んで)
プリゴジンのその後について、私にとっても、驚きのニュースが飛び込んできた。日本の新聞にも報道されていたが、FTで事実であるとより積極的に報道されている「事実」に関する記事で、今、ロシアのセントペテルスブルグで開催されている、ロシア政府によるアフリカサミットで、プリゴジンが現れ、中央アフリカ共和国の要人と会談しているという写真を、ワグネルの幹部が写したものが、プリゴジンのロシアでの活動を表すものとして、紹介されているとのことである。このことは、プリゴジンが、依然としてロシアの現体制にとってのアフリカ政策の重要な一翼を担っており、プーチンが彼を排除することを躊躇しているか、できないでいることを示すとの解説が、FTのこの記事にはついている。
どうも、私が7月8日付のFTを読んで書いた論考の結論部分が、全くの見当違いであったことを確認できる内容である。ワグネルのアフリカの活動は、そのまま継続されており、プリゴジンがひきいるワグネルは、民間軍事組織として健在であり、事実上、あるいはかつてのように影の存在ではなく、ロシア政府の公認の下に堂々と、ロシアのアフリカ介入の主要な担い手として生きており、そのことを自らロシア国内で示せるようになっているということであろう。
すなわち、昨年のウクライナ侵略開始以前は、建前としてロシアの中では法的には存在を認められていなかった民間軍事組織が、ウクライナ侵略の中で、事実上、その存在がロシア政府のお墨付きを得たことにより、アフリカでの軍事行動をロシアで堂々と示せる存在となった、ということであろう。だからこそ、プリゴジンが、セントペテルスブルグで、中央アフリカの要人と会い、それを広く広報できるようになったと言える。
叛乱収集後のプリゴジンの自宅の家宅捜索と称するものは、何であったのか。やはり、プーチンが自らの力で事態をおさめたという形を、ロシア国民に示すための単なるポーズであったのであろう。実態は全く逆で、プリゴジンがプーチンに恭順の意を示し、ワグネルの事実上の解体のもと、本人のベラルーシへの亡命を許されたということではなく、プリゴジンがプーチンに恭順のポーズをとることと引き換えに、これまでのプリゴジンの民間軍事会社を含めた資産と存在を、プーチンが保証し、プーチンが事態を収集したという形を、ようやく実現できた、ということであろう。
この叛乱のプリゴジンにとっての成果は何であろうか。それは何よりも、その民間軍事会社としての存在のロシア政府による最終的な公認であろう。が、それだけではなく、それと並んでの大きな成果は、ロシア正規軍の前衛として、ウクライナ戦線で、自らの基本的な方針とは関係なく、消耗戦の最先端を担わされること、末端の使い捨てに兵士ばかりではなく、その中堅的な幹部を失っているであろうことからの離脱であろう。戦果が上がらず、何らの利権も手に入れられないウクライナ消耗戦、プリゴジンからみて無能なロシア国軍の指揮下でのそれを避けるためにも、そこからの離脱をプーチンに認めさせること、これこそがその主要な目的の一方であったのであろう。
ウクライナの消耗線、見通しがない戦いでロシア正規軍により使い捨てされること、特に、ウクライナの反攻が予想される時期の前に、ウクライナ前線からの離脱を実現するために、叛乱を起こしたのであろう。それゆえ、プリゴジンにとっては、アフリカ諸国での権益がらみの軍事行動をやめるつもりは全くなく、ウクライナ戦線からのワグネルの撤退をプーチンにのませるための叛乱であった、と言えそうである。
それをプーチンが全て飲んだから、モスクワへの進軍をやめ、叛乱をやめ、ベラルーシにワグネルごと「亡命」した形で、事態を収集するというプーチンの案を飲んだのだろう。プリゴジンの叛乱は、プリゴジンの思惑通りに大成功を収めた。同時に、プーチンも一応ロシア大統領、独裁的なそれとしての面子を保つことができた、ということであろう。アフリカでは利権を含めワグネルは健在である上に、ウクライナで強いられていた消耗戦を、ベラルーシで民間軍事会社としての存在を公認された上で、離脱し、ワグネルとしての存在の安全を確保し、再建が可能となった。アフリカでの権益も健在、プリゴジンとワグネルにとって、これ以上の良い結果はないと言えよう。叛乱はプリゴジンの当初からの意図を実現したという意味で、大成功であった。表面的には、プーチンに恭順の意をプリゴジンが示した形を取りながら、実質は「全て」プリゴジンの思惑通りになった、ということであろう。プリゴジンにとって「大成功」の叛乱であるといえよう。
ワグネルという前線での消耗を厭わない軍事組織が撤退した今、ロシア国軍はウクライナ軍の反攻の前にどうなるのであろうか。少なくとも東部ドネツク州バフムウトの争奪戦までは、ロシア軍はワグネルの消耗的な戦いを元に、「攻め」の姿勢を保てたようだが、ワグネル撤退後は、全くの受身に近い状況が報告されている。ウクライナ軍の反攻が遅々として進まないとも言われているが、ロシア軍の進軍そのものの報道は、ほぼ皆無である。守り一辺倒、自国領土にしたはずの4つの州全域を軍事的に支配することに成功するどころか、東部、南部、いずれでも、じわじわと後退していると伝えられている。
ワグネルのウクライナ戦線での存在の大きさと、戦線離脱のワグネルにとっての意味の大きさの双方を、改めて感じざるを得ない。
また、ワグネルにとっては、今や政府公認の民間軍事会社となれたし、ウクライナでの新たな利権の獲得が全く見通せない中、プーチンに忠誠を尽くし、ロシア軍が後退するウクライナ戦線で、消耗線の前線を担う理由は、全くない。また、美味しいアフリカでの利権を放棄する気もない。受け身にまわり多大な消耗線になっているウクライナの前線から、いかにうまく反攻にさらされる前にワグネルを引き上げ、ウクライナに展開していたワグネルを再建し温存するか、これが課題であったのを、すべて無事達成できるようにした。これが今回のプリゴジンの叛乱の一方の意味であり、叛乱の最大の成果であろう。
ここに至り、プリゴジンがモスクワまでロシア国軍の阻止行動にあいそうもなく、モスクワ包囲をできるようにも見えたにも関わらず、プーチンの顔を立てて叛乱を撤収した行動の意味を、私なりに納得することができた。ルカシェンコにより、ベラルーシでプリゴジンがワグネルを再構築する場を与えられた理由も含めて。
それゆえ、私の今の理解が正しければ、ワグネルがベラルーシからキーウに向けてロシア軍の尖兵として侵略を再開するといったことは、全くないということになる。利権を全く得られそうもないどころか、泥沼以外の何者でもないウクライナ戦線に戻る理由は、プリゴジンのオリガルヒを構成する民間軍事会社としてのワグネルには、もう全く存在しない。利権が豊富なシリアや中央アフリカに注力する、これこそが、軍事組織を核とした利益集団であるオリガルヒのトップとしてのプリゴジンにとって、極めて正当な行動であろう。
追記(9月10日)
そして、8月23日、プリゴジンが搭乗していたエンブラエル社製のプライベートジェットが、モスクワからサンクトペテルブルグに向かう途中で墜落した。公開された映像では、真っ逆さまに墜落する当該ジェット機が映っている。そして、すぐさま、ロシア当局によりプリゴジンの死亡が確認されたとの調査結果が報道された。そして、当該ジェット機については、ロシア当局は墜落機の製作会社であるエンブラエル社にその墜落原因の究明調査を依頼しない、という報道が続いた。しかも、迅速に。
自身が保有するジェット機で、ロシア国内をワグネルの幹部たちと共に自由に移動するプリゴジン、その彼が突然の死を迎えたとの報道である。それも事故死とは言えない墜落の仕方で、自身が保有するジェット機で、幹部と共に。見えてくるのは、プーチンによる、他のオリガルヒの対する見せしめを兼ねた暗殺以外の何者でもない、といえよう。報道された中では、プーチンが見せた最初の怒りが、本音であったということになる。
とりあえず、反乱を収束し、プリゴジンを泳がせておき、安心させ、プリゴジンの周辺を再確認し、後始末の見通しが立ったところで始末をした。独裁者として、暗殺者として、ロシア外での評判も無視し、その本質を露骨に出した結末である。それだけ、プーチンにとって危機感は大きく、ロシア国内の潜在的対抗可能勢力に対し明確なメッセージを送る必要性を感じだのであろう。
ウクライナへの侵略下におけるロシアの工業再考
渡辺幸男
はじめに
まず現在のロシアの工業を考える際に必要なことは、現在のロシアの産業の母体となったのは旧ソ連からの産業であり製造業であるということと同時に、旧ソ連圏内完結型という独自な構造を持った、ロシアを中心とした独自に形成された工業生産の構造自体は、1990年代に完全に解体したということである。
ロシアがその中核を成していた旧ソ連圏内の工業は、それぞれの産業部門の製品が国際競争力を持っていたかを別として、旧ソ連圏内で農業製品や鉱業製品の一次素原料はもちろんのこと、工業製品のほぼ全てを、非耐久消費財のみならず、耐久消費財や資本財、そして軍需製品等、ほぼ全てを部材の一次加工から、そして完成部品・完成品に至るまで圏内で、しかもほぼ完結する形で生産するという特徴を持っていた。生産が可能なだけではなく、圏内の需要をほぼ充足、輸入に依存できないし、しないということから需要が抑制されていたにしても、生産能力に規定されていながらも、圏内の需要を圏内生産で充足していたといえる。
この意味での旧ソ連圏内需要の充足は、人工衛星やジェット旅客機あるいは量産乗用車、金属・機械生産のための工作機械、そしてアパレル製品やその生産のために繊維機械といった、実に幅広い工業製品についてもの充足であった。このような状況を「旧ソ連圏内完結型の生産構造」と、私は呼んでいる。この完結型の生産構造で生産される製品の特徴の一つは、工業製品の多くについては、米欧の市場で競争力の持つ製品の生産ではなかったことである。量産乗用車ラーダが代表していたように米欧製品との競争のない旧ソ連圏内でのみ存立し販売できる商品群がほとんどであった。
国際分業型の構造へと変化
この旧ソ連圏内完結型の工業生産が、旧ソ連圏の解体、ソ連邦の崩壊解体により、ロシア連邦が生まれ、そのロシアが旧ソ連圏内の主要産業について、一次製品生産とともに工業製品生産についても受け継いだが、米欧、特に欧州との競争、自国内市場についても、欧州製品との競争にさらされ、大きな構造変化を被った。1億4千万人規模の市場となったロシア連邦市場は、西欧諸国に比べ所得水準はかなり低かったが、以下で述べるような一次産品とその一次加工品については、高い国際競争力を持っていたこともあり、低所得国化することなく、中所得国としてそれなりの大きさの市場を提供し、かつ一次産品輸出を通しての海外製品の購入能力を持つ、市場として一定以上の大きさを持つ、かつ一定程度の経済成長を実現していたこともあり、西欧諸国企業にとって販売市場として魅力的な経済となった。
しかも、一方的な市場開放と一部オリガルヒによる経済支配により、市場開放の成果が、多くのロシア国民に行き渡らず、富の顕著な偏在が生じた。そのような旧ソ連解体直後のロシア経済に対し、エリツィン大統領を引き継いだプーチン大統領は、資源企業の国有化や課税強化を通して、天然資源輸出とその一次加工品輸出での国際競争力を利用し、財政収入を豊かにし、年金改革等を通して一般国民の消費水準の底上げを実現した。そのために、ロシアルーブルの為替レートを高く維持し、国際競争力のある天然資源輸出そして農産物輸出で稼ぎ、国民の生活水準の向上を、一定程度、持続的に実現することに成功した。
すなわち、旧ソ連時代に保有していた工業製品の生産能力の改善による工業製品の国際競争力強化による輸出拡大ではなく、国内工業生産能力の減退を放置しながらも、豊富な天然資源の輸出を通しての工業製品の輸入能力の増強を実現し、高為替水準を通して、国民生活水準の上昇を実現したのである。
国内(旧ソ連の場合は圏内)完結型の生産構造の放棄、ある意味での国際分業関係強化、自国の得意分野へのシフト、これらを通して、これまでよりは豊かな国民生活を、早期に大々的に実現した。これが2000年代のロシアということができよう。そこで生じたことは、旧ソ連圏内として保有していた工業製品についての圏内完結型の工業の多くを、欧州や中国の工業製品に、部材を含め依存する構造へとシフトさせる、ということであった。自立経済圏志向の旧ソ連圏的なあり方から、豊かな天然資源と農産物輸出国へのシフト、1億4千万人の国民経済を、オーストラリア型の豊かな天然資源と農産物輸出に依存し成長する一次産品輸出依存国へとシフトさせたのである。
これは、巨大な社会実験である。オーストラリアの人口は2500万人強であり、ロシアの人口の5分の1以下にすぎない。原油輸出で成長したサウジアラビアの人口は3600万人弱であり、ロシアの4分の1程度である。1億4千万人の国民を天然資源と農産物の輸出で豊かにし続けることは可能なのであろうか。この発展方向を追求することで、先進工業国並みの一人当たり所得の水準を実現することは可能なのであろうか。
この点で参考になるのが、南米の姿であろう。豊かな農産物と工業用原材料資源に恵まれながら、南米のブラジルやアルゼンチンといった諸国は、中所得国から高所得国へと発展することができず、かつてはそれらの国よりかなり国民所得水準が低かった日本経済に対し、大きく遅れを取るといった状況となっている。それに対して、米国(USA)は、19世紀においてその南部は欧州向け農産物輸出により経済成長を実現していたが、南北戦争を契機としているのかどうかは別として、北部の工業化が優位となり、先進工業国としての国際競争力を19世紀から20世紀にかけ実現し、高所得国であり、大量の移民も受け入れ、人口的にも3億人を超える覇権国家となった。幅広い工業生産での優位を維持することなく、1億人を超える規模の国民経済で、高所得化を実現した国家はいまだ存在していない。
このロシアの工業製品の国内生産、特に基幹的な工作機械や産業機械等の資本財、また半導体等の先端部品の国内生産の「放棄」を、ロシア経済の「非工業化」と、私は呼んでいる。私が目を通すことができたロシアの工業の2000年代の動向を示した統計的実態を含めた実態調査を踏まえた日本語で書かれた実証研究、藤原克美氏のロシアの繊維産業と繊維生産のための繊維機械産業についての著作(藤原克美、2012年)、丸川知雄氏と服部倫卓氏のロシアの鉄鋼製品輸出についての共著論文(丸川知雄・服部倫卓、2019年)、ジェトロのロシア工作機械についての報告書(日本貿易振興機構、2021年)、いずれも、工業生産、特に資本財や自国天然資源の加工製品でもその2次加工品についての国際競争力の喪失ないしは無さ(元々持っていなかったが、経済体制ゆえに維持できていたというべきだが)と、輸入への代替を明らかにしている。藤原氏の著作は、資本財のみではなく、主要アパレル製品といった非耐久消費財でも国内生産はほぼ消滅したという、衝撃的な事実を紹介している。
ただし、ロシア経済は、国による調達と輸出を軸とする軍需製品生産だけは、旧ソ連圏内完結型の生産体制並みの水準を保持し、その限りでは軍事産業それ自体として健在といえよう。ただし、20世紀末から21世紀にかけて、一挙に進展した、軍需製品のIT化にかんしていえば、ロシア軍需工業は旧ソ連経済産業の解体後の時期に於ける軍需関連IT部材や製品の国際的な技術進歩にまったくついていけず、国内企業の生産基盤を形成できず、輸入部材依存になっていた。その意味では、非軍需工業生産部品や製品とほぼ同様な状況に陥っている。
このように先進工業国生産体制に組み込まれた一次産品輸出国である経済そして「工業国」であるロシアが、ウクライナ侵略を開始し、その結果として、欧米日の先進工業国からの厳しい経済制裁を被ったのである。欧米日からの経済制裁により、国内に存在する既存完成工業製品の補修用部品に関する部品調達についても、元来の生産販売メーカーから調達できなくなった。そのため、ダミー企業や迂回輸入を利用し、あるいは中国製への代替を図り、部品等の調達を図った。その結果として、当面、ロシアは工業生産水準を、縮小一辺倒にすることなく、一定程度の水準に維持することには成功したようである。
また、米欧から輸入規制を受け、船荷保険の適用が制限され、輸出が抑制された原油等についても、中印等の非西欧国との取引を拡大し、一般的な相場よりかなり低い水準ではあるが、原油輸出について量的水準を維持しているようである。そのために、ロシアの原油生産国有会社ロスネフトが、インド国籍の石油タンカー保有会社の設立に関わった模様であり、その企業は世界中からタンカーを買い集め、世界有数、世界第11位のタンカー保有企業として突如出現し、ロシアからインドへの原油輸出を実現していると報じられている(Wilson, 他、2023年)。米欧企業が支配している輸出の際の保険の利用も制約されているが、この企業は特定国との取引に専業化することで、この問題を回避し、一挙にインドへの輸出を拡大したというのである。
このような対応は、輸出それ自体は、米欧以外の諸国からの需要を利用し、自ら輸送手段を調達することで実現している。が、しかし、低価格販売と、コスト増加の双方で、大きな負担を強いられるとともに、平時に戻った際の輸送船団維持ないしは処分等についての負担が巨大となる可能性を同時にもたらすものであるといえる。非常時ゆえに、数量の充足を第一に短期でかき集めたタンカー、これをきちんとメンテナンスを行い、維持し、平時において国際競争力のあるタンカー群にしていくことが可能であろうか。造船能力のないロシアが、必要に迫られかき集めたタンカー群、量的にはそれなりに集まったようだが、平時における競争力維持は、大いに疑問とされよう。
長期的展望を持つのであれば、遠回りでも、自国内での造船業の強化を実現し、生産とメンテナンスの双方の能力を充実しながら、自国製造の船での運輸能力を確保するのが、王道であろう。しかし、その時間はなく、結果的には、弥縫策に終わり、戦争が終われば、無に帰す原油タンカー群であると思われる。
いずれにしても、軍需品の生産維持を優先しながら、工業生産水準の維持に努めた結果、軍需品ではない乗用車の生産は3分の1以下に低下している。もちろん、ロシアでの乗用車生産は、輸出競争力のない乗用車生産であり、特にロシア系メーカーはそうである。最近の乗用車には必須となっているようなABSのような機構さえも組み込むことができない、ただ走るだけの旧ソ連時代レベルの乗用車の生産でも、その生産量が3分の1以下に落ち込んだのである。日本製の中古車の輸入は活発化していることから見て、この乗用車の国内生産の縮小は、需要の縮小以上に、生産能力の問題の結果としての縮小であると言えそうである。
さらに、資本財(工作機械等の産業機械、あるいは航空機等の産業用輸送機械)の輸入は正規ルートでは不可能となり、それらの補修用部品も正規ルートを通しては入手困難となっている。
その結果、旧ソ連圏時代は、ソ連圏内で完結型生産体制を構築したことで、資本財から耐久消費財そして消費財を、先にも指摘したように原材料から一次加工そして部品さらには完成品と全てソ連圏内で生産可能であり、ほぼ自給していた。しかし、現在は藤原克美氏が示すように、繊維製品用資本財は輸入、民需用の中高級繊維製品も輸入依存となり、カーテン生地等を国内生産するのみということである。
また、ジェトロの報告書によれば、国内利用の工作機械のほとんどを輸入しているとされている。さらにいえば、半導体の本格的な生産能力はなく、一部半導体の企画開発はできるが、先端半導体については、全面的に企画開発そして生産とも、海外そして海外企業に依存している状況にあるとのことである。
丸川・服部両氏によれば、国際競争力のある鉄鉱石資源がある等から、鉄鉱石の一次加工品には国際競争力があるが、2次加工鉄鋼製品の国際競争力はなく、鉄鋼の国際販売はできるが、鉄鋼完成品の国際競争力はないと指摘されている。原油と天然ガスの鉱物燃料の輸出能力と輸出競争力を保有し、農産物とその一次加工品等の輸出能力と競争力も保有している。これらと鉄鋼等の鉱物資源の一次加工品の輸出競争力で、1億4千万人のロシア国民の生活水準向上を実現し、それを維持している状況である。それにもかかわらず、主要資本財や消費財の工業製品についての輸入元の欧州を敵に回す可能性が大なウクライナ侵略を敢行した。
以上が、2022年のプーチン政権下のロシア工業を中心としたロシア経済の状況と言える。それにもかかわらず、なぜ、ウクライナ侵略が可能と考えたのであろうか。2014年のクリミア半島強奪の「成功」の体験こそ、このようなロシアのプーチン政権の判断の誤りを導いたのであろう。クリミア半島強奪をほとんどロシア軍が無傷のまま実現し、その際の米欧のロシア経済に対する制裁もロシア経済にとって決定的なダメージを与えるものとはならなかった。
まずはゼレンスキー政権の短期間での崩壊を前提に、その後に傀儡政権を樹立すれば、米欧の経済制裁も、多大な影響を与えるものとならず、形だけのもので終わる、という読みがプーチン政権にはあった。このように考えることによってのみ、ロシア政府のウクライナ侵略実行について理解することが可能となる。ロシア経済、特にその工業は脆弱であり、長期の本格的な戦争、他国侵略とその維持については、主要先進工業国からの本格的経済制裁の下で耐えられる水準にはない。先進工業国からの部材や完成品の供給に大きく依存する工業製品をもとに軍需品生産を行っている国が、何故、主要先進工業国の経済制裁下で、必要な軍需生産を維持できるのであろうか。たとえ、原材料等の輸出により、外貨を稼ぐことが維持されたとしても。
ボタンの掛け違い、ウクライナ侵略が短期収束し、ロシアにとって友好的な傀儡政権樹立につながる、という読み、このもとに侵略を開始した。しかし、読みは全く外れ、戦闘は長期化し、自らの軍需生産のための工業基盤の脆弱さを痛感せざるをない状況に陥ったが、他方で政権維持を可能とするような妥協の余地がロシア現行政権にとってはなくなった。このように見ることができよう。
核保有国ロシアを核戦争に突入させることなく、経済制裁を通してロシア経済をじわじわと締め付ける、このような状況は、ロシアの資源輸出に依存することが少なく、ロシアを主要仮想敵国としてきた米国にとって、最適な姿ということであろう。また、欧州各国政府にとっては、資源依存の関係が強くあるロシアに対し、経済制裁を課し資源輸入を縮小することは、かなりの痛みを伴うものであるが、隣接するロシアの好戦的な姿勢に対しては、その痛みを背負うことも仕方がないことと国民に受容され、本格的な経済制裁、ロシア資源依存からの解放の追求となろう。特にバルト3国といった旧ソ連構成国やポーランド等の旧ソ連経済圏構成国を受け入れたEUにとって、旧ソ連からの独立国ウクライナへの一方的なロシアの侵略は、到底受け入れることができるものではないであろう。
このような2022年の2月24日に開始されたロシアのウクライナ侵略は、今や、2回目の夏を迎えようとしている。ロシアによるウクライナ侵略の戦線は膠着状態に陥っている。ロシアそしてウクライナ双方にとっての人的損失は、膨大な数字となっているようである。ロシアは、プーチン大統領の命運をかけた侵略を続行しているが、自国領土化を2022年の侵略後に宣言したウクライナの4州については、2014年に自国領土化を宣言したクリミア半島のようには、その諸州を全面的に占領することさえできていない。いわば、自国領土化したはずの東部と南部の4州内で、依然としてウクライナ軍との戦闘に従事し、対峙している状況である。全面的に占領をしてもいない州を、一方的に自国領土と宣言し、侵略を維持している。このような状況をロシア国民は、どのように認識しているのであろうか。
その結果は、長引く戦争状態、経済的、特に民需向け工業生産の縮小となる。乗用車需要を充足するためには、乗用車、生産台数が3分の1となった状況下では、正規販売ルートから新車を輸入できないゆえ、中古車しか輸入できない。工業生産は、発展途上国並みの生産へと縮小しつつある。同時に、旧ソ連型の完結型の工業生産の再建も不可能であり、工業生産能力のジリ貧状況の継続しかない状況へと向かっている。プーチン大統領にとっては、自らの地位を当面維持することができれば、後は野となれ山となれ、ということなのであろうか。
以上、ウクライナ侵略下でのロシア経済について、その工業生産の側面を中心に、今の時点で、手に入れた日本語資料をもとに、改めて、私なりに書いてみた。内容的には、ほとんどこれまで書いてきたものの焼き直しであるが、戦争開始後1年と2ヶ月を過ぎ、ロシア工業の限界がますます見えてきた今、当初の理解が大きく間違っていなかったことの確認も兼ね、あえて、繰り返し的内容をまとめてみた次第である。
それにしても、本稿は、私が手に入れることができたロシア経済、特にロシア工業の現況についての日本語文献が、いかに貧弱か、この点を露呈している論考とも言える。これは、私の努力の足りなさだけによるのではなさそうである。ロシアの工業実態について、日本の研究者にとって現場を見る機会がごく限られ、さらには統計自体の発表もさらに限定的になってきていることが影響しているようである。2000年前後から10年ほど中国工業の現場を歩き回って、実態を私自身の目で見ながら日本の戦後の工業発展の実態と比較でき、また多くの日本の研究者の目で見た実態調査報告や実態研究を読みながら、考えることができた、私の中国工業発展の研究、これができたことが、いかに幸運であったか、改めて感じている次第である。
参考文献
日本貿易振興機構海外調査部サンクトペテロブルグ事務所編、2021年
『ロシア工作機械市場概況』JETRO、2021年
藤原克美、2012年『移行期ロシアの繊維産業 ソビエト工業の崩壊と再編』
春風社
丸川知雄・服部倫卓、2019年
「中国・ロシアの鉄鋼業–競争力の源泉は何か?」
『比較経済研究』56巻1号、2019年1月
Wilson, T., C. Cook, C. Cornish & A. Stognei, 2023年
‘Mystery Mumbai company emerges as big transporter of oil
from sanctions-hit Russia’ Financial Times, 5月5日, 3ページ