我が家の庭の鯉の池の池仕舞い
渡辺幸男
今朝、庭の池、二宮に引っ越してきた時に作り、50年余を経過した庭の鯉の池の池仕舞いを決意しました。
今、私は78歳、中学生の時、川崎に住んでいた頃から、庭で鯉と金魚を飼い始めました。1954年に亡くなった祖父、幸次郎が、生前、金魚を飼い、その産卵、孵化、そして稚魚からの飼育を楽しんでいたのをみて、私も、やってみたくなり、その希望を中学生の時にかなえ始め、当時住んでいた川崎の家の庭に小さな池を自分で作ったのが、始まりです。今から65年ぐらい前のことです。川崎の家の庭を大きく作り変えた時に、本格的な池を、父に願って、作ってもらいました。
その後、母の希望もあり、今住んでいる二宮の家を、1975年に建てました。その時に同時に庭も作りました。その際、父に頼み、本格的な池を作ってもらいました。その後、何回か水の浄化循環装置等を入れ替え、池自体の改修もしてきましたが、基本的に、今までの51年間、今も住んでいる家の庭の池として維持してきました。
私は、引っ越した翌年、慶應義塾大学に就職し、結婚をし、二宮に住んで51年間、この家に住み続け、五人の子供を育て、子供たちは皆独立し、それぞれ世帯を持ちました。
その間の私の趣味の1つは、池での金魚や鯉の育成(と繁殖)であり、これをずっと続けてきました。途中からは、金魚はやめ、緋鯉のみの池にしましたが。そして、今、池を泳いでいる鯉は20匹ほどですが、かなり巨大化し、60〜70センチぐらいのものも数匹おります。そして、池を泳いでいる緋鯉は、全て、私が孵化させた鯉の生き残りです。孵化の最後は2010年代半ばなので、すでに一番若い鯉で10歳ぐらいになっています。この鯉の姿は、このブログでも時々紹介しています。先月にもその姿の一端を紹介しました。
池を作って50年余、何回か、修繕を重ね、水の浄化循環装置の仕組みを変える等で、大きな修繕もしてきました。ただ、基本的な池の形態を変えることなく、多少の水漏れがする程度で、これまでの50年間、鯉を多数育て、また、残念ながら、何匹も殺してきました。多い時は、もっと小さめの鯉が70
匹ぐらい、泳いでいたこともあります。ただ、途絶えることなく、鯉を飼ってきました。1980年代半ばに、私が2年間イギリスに家族で留学した時には、いまはなき父が面倒を見てくれ、また私が71歳の時に4か月間入院した時には、妻が面倒を見てくれ、無事、鯉達は泳いでいました。
そして、いま、私はもうすぐ、80歳、かなり、池の鯉の世話がしんどくなってきていました。しかし、好きな鯉の世話なので、それなりに面倒を見、鯉達、20匹余、巨大化したのも含め、生き残っています。ただ、池も老朽化し、池の石組みとコンクリートの隙間が、諸所でできてきているようで、水漏れがかなりひどくなり、毎日、朝数十分、水道の水を全開にして足し水する必要が出てきていました。
そこに、先日の私の住む神奈川県西部でも震度4であった地震の発生です。これで、池の水漏れがかなりひどくなりました。今朝、いつも以上に水が漏れ、池の水位が下がってしまったため、池に設置してあるポンプ2台のうちの1つ、循環用のポンプが空回りし、焼き切れ、止まってしまいました。当面は、もう1つのポンプ、滝に水を循環し、水質浄化に使っているポンプは健在なので、鯉達は多分大丈夫だと思うのですが・・・。
さて、どうしたものか。池のひどくなった水漏れを防ぐためには、本格的な改修工事が必要です。本格的な改修工事を行っても、私自身が鯉の面倒をいつまで見ることができるのか、改めて考えてしまいました。
実は、今回のポンプの故障が起きる、かなり前から、池仕舞いをいつしたら良いかも、かなり抽象的にですが、考え始めていました。そして、今朝のポンプの故障です。そして、ついに、池仕舞いを決意した次第です。
この池仕舞いについて、早速、妻に話し、子供達には、ラインで伝え、決意を固めることにしました。このブログでの池仕舞いに取り掛かることの報告も、決意を固めるための一環とも言えます。
池仕舞いをするはするで、池の鯉の行き先、池の解体、そして池のない庭の庭づくり、やるべきことは多々あります。ただ、それが完了すれば、私自身による鯉の世話、私ができなくなったのちの鯉の世話の心配をする必要がなくなることになるだけは、確かです。自身の人生に後腐れをなくするための1つだと思って、思い切って(多分)、決意しました。
これを書いて、決意宣言を表明し、後戻りできなくしました。