2026年6月30日火曜日

6月30日(7月1日改訂) 服部倫卓著 「ウクライナのドローン大攻勢を支える「遺産」と「革新」」を読んで

 服部倫卓著

 「ウクライナのドローン大攻勢を支える

「遺産」と「革新」」

Yahoo!ニュース、2026629日) を読んで

 

渡辺幸男

 

 この服部氏の書いた記事の興味深い点は、旧ソ連時代の技術的遺産が、現代のウクライナの革新的ドローン生産に活かされていることとともに、その担い手企業は、旧ソ連時代の国有大企業ではなく、ロシアによる侵略戦争の戦時下で新たに生まれたベンチャー企業群であるという指摘である。

 技術的には、旧ソ連のアントノフと言った巨大国有企業の持っていた技術、そこでの技術者が活かされているが、それらの技術者が活躍し技術革新を行っている場は、旧国有巨大企業ではない。そうではなく、新たに生まれた多様な多数のベンチャー企業である。これらのベンチャーが多様に生まれ、かつての巨大国有企業のような垂直統合型巨大企業ではなく、各企業が専門化し、企業群として多様な水平・垂直型の社会的分業関係を形成しながら、革新的なドローンを多様に生み出しているのが、今のウクライナのドローン産業である、と服部氏は指摘している。旧ソ連の工業生産体制からの様変わりである。

 旧ソ連時代の技術的蓄積の存在は重要であるが、それらは必要条件に過ぎず、それをイノベーションに結びつけているのは、それらを保有していた旧ソ連の巨大国有企業ではない、この指摘がまず重要である。独創的な技術革新を担う可能性を持つ、革新的なあるいは競争的な経営(陣)を保有していないのが、旧ソ連の巨大国有企業である。その点が、ここでも明確に指摘されているといえる。そして、それらの企業が保有していた技術を、そこにいた技術者群を採用すること等で、新たな分野に活かし、自らの独自な製品開発に繋げたのが、新生企業群、ベンチャーそしてその新興企業群の経営者達なのである。多様かつ多層的な多数のベンチャーの存在の重要性である。

 この点を改めてウクライナのドローン産業を通して指摘したのが、この服部氏によるこの記事と言える。

 

 まさにロシアによる侵略に対する、それへの反撃の必要性、その中でドローンの有効性が、一定程度実証されてきた中、改めて、旧ソ連時代に蓄積され国有企業内に眠っていた技術蓄積を活かす、すなわち技術者を活かす主体、ベンチャーがウクライナ国内で多様に多数形成され、それらが、ロシア侵略長期化の下で、本格的に芽吹いてきたのが、今のウクライナでのドローン生産の活況と、対ロシア戦線での多様なドローンの有効活用の背景にあるということになる。旧ソ連時代の技術蓄積を利活用している、戦時下ウクライナの新興ドローン産業企業群の形成といえよう。

 このウクライナのドローン産業での種々の技術革新は、対ロシア戦争ですぐにその有効性が試され、取捨選択され、多様な形で常に発展している。結果、対ロシア戦争での有効な武器として活かされ始めたのが、今のウクライナの対ロシア戦線での反撃の1つの要因といえよう。

 この状況を端的に報告されたのが、この服部氏によるこの記事であるともいえる。

 

 技術そのものの存在と保有自体は、イノベーションの必要条件であるが、十分条件ではない、ということである。十分条件として、多様な試行錯誤を試みる競争的主体群の形成と、それらの主体の多様な市場の中での模索による(この場合は対ロシア戦の戦場の中での)有効技術の取捨選択、これがあってイノベーションの必要十分条件が揃うということであろう。ウクライナのドローン技術の発展、そして、対ロシア戦での多面的な戦果が、まさにこのことを示していると言える。

 

 ウクライナは、対ロシア戦終了後、この新たな伝統を活かせるのであろうか。それともロシアによる侵略以前の旧ソ連時代以来の巨大国有企業支配の世界に戻るのであろうか。多分、この経験は、技術者、新興企業の経営者、そして旧国有企業を引き継いだ人々にも、浸透し、新たな伝統として、ロシアによる侵略戦争終了後のウクライナ再生の際に、改めて活用されていくものとなるのではないか。特にEU市場と緊密な関係をもつようになれば、この方向での技術の展開が主力になる。そんなふうに思える。

 ロシアによる侵略による多様な多数の悲惨な状況の現出の中での、数少ないウクライナ国の将来展望を明るくする要素が、ここには含まれている、と言えそうである。対露戦を生き延びたウクライナ国が、EUの中での活力ある国民経済の中核要素として、このドローン産業での技術革新の簇生の経験は活かされていくように思えてならない。

 旧ソ連国家、その巨大国有企業のもっていた先進的技術が、市場経済での国民経済としての競争力の形成に大きく寄与する可能性を、ロシアからの侵略に苦しんだがゆえに、ウクライナはようやく現実化できるようになったのではないか。

 

 前に、このブログで、ウクライナに進出した外資系企業がウクライナ外の企業に発注した風力発電機について、ウクライナの旧国有企業が自分でも「できる」と、自社で同様な製品を製作し、自社の前にわざわざ展示した話を、松里公孝著『ウクライナ動乱 −ソ連解体から露ウ戦争まで』(ちくま新書、2023年)を引用して紹介したが、そのような企業姿勢が大きく変わる可能性を秘めた、ウクライナのドローン産業の新興企業群を主体とする発展ともいえよう。

 

 こうなると気になるのが、ロシアの方での軍事用ドローンを含めた軍需品の調達のあり方である。どこまで自国で軍事用ドローン等の軍需品を開発しているのか、部品等の調達はどのようになっているのか、これが気になってきた。特に、戦闘状況に応じた、戦場でのロシア軍の需要に応じた開発を、柔軟に行っているのか、これが気になる。

 すなわち、ロシアの調達している戦闘用ドローン等の軍需品は、完成品の輸入か、それともロシア製か、ということから始まり、さらに、ロシア製だとしても、どこまでロシアで戦場のニーズに迅速対応して開発し、ロシア製の部品を作っているのか、である。その上で、ロシア製だとして、それを担っているのは、旧来の軍需製品生産の国有巨大企業か、それとも、ウクライナのように新興ベンチャー企業群かである。

これらの在り方で、ロシア軍にとって、今必要なドローン等の新規開発が、どれほど迅速に、かつ、戦地の需要に応じて展開されているかが決まってくるであろう。

ただ、このような点についての直接的な情報は、ほとんど入ってきていない。ロシア軍もドローンを多用していることは伝わってくるが、そのドローンの内容や多様性、新たな開発状況等については、残念ながら、全く聞こえてこない。ロシアは、中国やイラン等からそれぞれの国の最新の軍事用ドローンを大量に相対的に安価に調達できるだけに、ロシア内での新開発や独自ドローンの生産はあまり行われていないのではないかと、想像するだけである。

 

ウクライナ侵略によって生じた巨大な軍需、その生産拡大を担っているのは、誰か、これが問われることになる。旧態依然とした国有大企業出自の旧ソ連以来の大企業であれば、ウクライナの国有企業出自の企業と同じ発想、他国の先進技術製品を取り込んで、それなりの先端兵器を作れるが、対ウクライナ戦向けに求められる独自技術、イノベーションを生み出すことがなく、旧ソ連からの兵器の多少のグレードアップに終始している可能性が大である。

イノベーションを起こすような企業間競争に巻き込まれ、揉まれたことない、旧ソ連由来の(旧)国有大企業とその経営陣ということになろう。ある意味、先端的な兵器であるが、「コンコルドスキー」的なものの開発に終始しているのではないだろうか。

そこから示唆されることは、ウクライナでの旧ソ連型計画経済下の国有大企業経営が、戦時下、窮地に陥ったゆえに変革され、ニーズに対応した革新的かつ競争的企業群とその経営者群の形成、それに対応できないロシアの旧国有大企業出自の企業群とその経営陣との、ロシアとウクライナとでの共存、そしてウクライナ工業企業群の脱計画経済の本格化すなわち市場経済の本格化そして工業活性化・先端化の進展、他方でのロシア工業の依然とした非工業化の進展となろう。

 

これが、ロシアのウクライナ侵略とその長期化と、その中でのウクライナの反撃により生じた新たな旧ソ連工業での動きと言えそうである。中国経済での先進工業化進展、そしてそれに次いで生じたのが旧ソ連の中でのウクライナの先進工業化進展で、それがロシアによるウクライナ侵略戦争の長期化の結果として、見込まれるのではないだろうか。こんなことが、日本そして中国の中小企業中心に見た工業経済研究者であった私が、今思っていることである。

できれば、あと数年、元気に生き、ウクライナとロシアの工業の行く末を、この目で見てみたいものである。

 

 

2026年6月25日木曜日

6月25日  武内進一編著『アフリカの国家建設  自分たちの国をつくる』を読んで

 武内進一編著『アフリカの国家建設

 自分たちの国をつくる』

白水社、2026年 を読んで

 渡辺幸男


 本著は、私にとり、西欧諸国による植民地とは何か、特にサハラ以南のアフリカ地域にとって、何を意味したのかを、改めて考えること、考え直すことを突きつけられた著作であった。

 

 カリブ海の島々や北米植民地と、そこでの先住民族との関係を通してみた「植民地」形成、先住民族の生活基盤を一方的に破壊し、さらには先住民の生物としての存在を否定し、島々や大陸の主要部分から排除し、島々や大陸空間を、植民する西欧諸国出身の人々の専有物にしてしまう「植民地」、これが一方の極にある「植民地」のあり方といえよう。

それに対して、南アジアや東アジアにみられたような、先住民の社会を再編し、そこから西欧諸国が搾取をする「植民地」、インド亜大陸に典型的に見られたような先住民社会を残し、それを搾取対象として再編成する「植民地」、西欧諸国民が支配者として移民し、現地社会を徹底的に搾取するタイプの「植民地」が他方で考えられる。

私は、今まで西欧諸国による植民地のあり方として、この2つのタイプの存在で理解していた。メキシコや南米のアンデス山脈の太平洋側の諸国は、後者の植民地と質的には同様な関係と理解していた。また、アンデス山脈の大西洋側の地域については、北米のような先住民排除型の植民地と理解していた。

 

そのため、私の頭の中には、本書で取り上げられている、西欧人によるアフリカでの植民地経営と、その後の現地人による独立という植民地関係の独自のあり方についての理解は、極めて希薄だった。

 

本書で描かれているアフリカの植民地は、先住民の一方的排除や皆殺しではない。また既存の先住民の社会そして民族あるいは既存の「前近代国家」を前提にし、それの占領そして支配による先住民搾取型の植民地の形成でもなく、それらのいずれでもない。それらとは異なる形といえる、既存先住民の在り方と無関係で、かつ先住民支配活用を行う植民地形成が生じた。そして、その後、先住民社会のあり方と無関係な恣意的な植民地の境界を前提とした国家が形成された。そのような諸国の現代までの話である。

植民地としてアフリカでそれぞれ一定の領域を支配する西欧諸国、その領域はそこに住む人々とは無関係に占領され分割され、特定の西欧の国の植民地として宣言され、支配される。各植民地ごとに、そこに住む先住民の文化的な一体性や、植民地以前の支配関係とは全く関係なく、各西欧諸国による支配地域の領域が確定され、それを前提に、その領域に住む人々が独立を求める、これがアフリカの植民地の独立、極端に言えば、こういうことになる。西欧各国の植民地形成のための恣意的な支配領域の線引きが、アフリカ大陸については、近々の19世紀に行われ、その結果を前提に先住民による20世紀後半での独立国家の形成が生じ、そして国家建設が行われた。これが本書で記述されている、サハラ以南のアフリカ諸国の成り立ちの大勢ということになる。

 

そんな状況のアフリカで、特に私の無知を大いに自覚させられたのが、ケニアの独立と、その看板、独立の英雄とも言えるケニヤッタ氏の存在についての不十分な認識であった。楠和樹氏による本書の第4章「牧畜民からみた国家建設 ケニアにおけるマサイの領域統治と土地喪失」がそれを明確にしている。ケニヤッタ氏は農耕民のキクユの出身であり、牧畜民であるマサイの人々と、大きくその地域とのつながりや利害が異なっていたとのことである。独立の時期にケニアを含めた広域地域で牧畜業を営んでいたマサイの人々とは、ある面で対立した人である。英雄としてのケニヤッタ氏は、あくまでも農耕民としてのキクユの人々にとってのそれであり、牧畜民としてのマサイの利害とは大きくずれていたとのことである。1960年代、ケニアの独立の報道に接し、私はこのような状況を全く理解していなかった。

しかも、このようなマサイの人々が暮らす地域の分断と縮小は、アフリカの年と呼ばれた20世紀後半の時期に生じている。第一次大戦以降の多くの植民地を含んだ「民族国家」の成立とはあまりにもかけ離れた形で、アフリカでのアフリカの年における独立そして国家形成は生じていた、とも言えそうである。多数派民族の支配する国家の中の少数派民族の問題でもない。民族的な存在と無関係な国家の形成である。

サハラ以南のアフリカ諸国が、1960年代に数多く独立したが、それは植民した西欧出自の人々の独立国家の形成を目指した南アフリカの例はあるが、多くは、そこで元々生活していた人々による、それらの人々の文化や言語に関係なく西欧諸国の占領時における都合で国境を引かれた植民地の、その国境を前提とした独立であったことを、私自身としては、初めて具体的な形で認識させられたのが、本書であった。

先住民の人々による国づくりが始まったわけだが、それは、民族単位の国家とは程遠い以上に、無関係な存在としての国家の出発であった。複数が1つの国になるというだけではなく、民族的存在の恣意的な分断を含むものであった。それも結果的に。

 

このようなそこに住んでいる先住民の在り方とは関係なく、占領していた西欧諸国が勝手に引いた国境、これを大前提に、先住民主体の国家を形成する。これがサハラ以南のアフリカの新興独立国の国家形成の特徴だということである。それから数十年後、南アフリカでの西欧植民者の一方的支配としてのアパルトヘイトが終わり、一層、このような国家形成が一般化したと言える。なお、南アフリカについては、現在多数派として支配政党を担っている先住民系の人々、黒人の方々も、多くは南アフリカ植民地形成後に移住してきた近隣の先住民系の方々とその子孫が多いということが言及されている。植民地形成時の当該地域の先住民そのものやその子孫中心ではないようである。

 

植民地化以前の「民族」を単位としての民族国家の形成、それとは最も遠いのが、サハラ以南のアフリカ諸国なのだということである。国境が先住民の社会と関係なく引かれ、かつアフリカ内でも大規模な移動が生じた、あるいは生じさせられたこと、これらがこのような状況を生み出しているとのことである。

 

ここから生じることは、なんであろうか。

 

まずは、国民国家としての「国民」ないし「民族」の改めての形成の必要、ということになろうか。どの系統の人々が主導権を握るか、それにより、その国の主導者の系統、あるいは言語が決まるということであろう。あるいは、このような状況ゆえに、旧宗主国の言語や文化が、幅を利かせてしまうのであろうか。

 

中小企業研究者になる前の1960年代まで、現代社会の出来事に幅広く関心を持ち、新書等を広く渉猟したつもりだった私、植民地独立闘争等にも関心を持って見てきた筈の私であるが、その知識は1960年代の常識的な、否、浅薄な理解にとどまっていること、これを改めて痛感させられたのが、本書である。