2024年6月30日日曜日

6月30日 個別各国産業論と経済理論の差異

 個別各国産業論と経済理論の差異

渡辺幸男

 

1970年代後半から2010年代にかけて行った、日本と中国における中小企業を中心に見た工業発展実態調査研究を通して考えたことと、その意味について、経済理論との関連付けについて改めて考えた。

 

 工業中小企業の存立形態は多様であり、それらの企業が当面する市場も多様である。しかも、それらの市場が置かれた経営環境も多様である。この多様性の中で、それぞれの工業(中小)企業の市場での競争が展開され、競争の成果が生じてくる。環境と主体の多様性は、結果の多様性をもたらす。

 競争的環境が投下労働あたりの生産量の拡大という効率性をもたらす、ということは間違いではないが、競争的環境は多様であり、結果として効率的に達成する成果の方向性も多様である。このことを、日本と中国の中小企業の実態調査を通じて痛感した。

経済学での諸資本の競争と経済の発展の数量的表現は、多様な可能性を付加価値額や利潤あるいはGDP等の一元化した指標で評価、還元した際に抽象的に得られるものである。この点についても実態調査を通して痛感した。結果としての工業生産拡大、経済拡大は、多様な経路と成果内容を通して実現されるのであり、均質な多数の市場を前提に、均質な企業が、同様の競争を行うことで、質的にも同一な量的な拡大を意味するものではない。この点を痛感した次第である。

常に変化の経路の多様性を伴いながら、また発展内容の質的変化を伴いながら、量的な拡大あるいは縮小は生じるのである。結果としての量的評価は、あくまでも抽象的に量に還元した結果として生じるものであり、本格的な工業発展過程では、通常は多様な経路をたどり質的変化を伴いながら、生産力としての量的拡大という変化も生じると理解すべきである。というよりも、多様なルートを経由しさらに質的変化を伴うことにより、本格的な生産力の量的な拡大も可能となると言ったほうが良いかもしれない。確かに、状況によって、多様性の内容と変化の程度は異なるにしても、多様な経路でかつ質的な変化を伴いながら量的な拡大は生じているといえる。

 

 以上の点を痛感したのは、実際に日本と中国で工業の発展を中小企業の視点から見た際である。当然のことであるが、経済学の教科書にある市場と競争の世界は、マルクス経済学のものであれ新古典派経済学のそれであれ、抽象化された市場と競争なのであり、産業発展をもたらす実際の経路、市場と競争のあり方は、多様で極めて変化しやすく、抽象化されたものがほぼそのまま存在するといったことはない。これが調査を通して見えてきた。

 

 その要因として、私が調査を通して最も感じたものとして、それぞれの経済が置かれた大きな意味での市場環境ないしは経済環境が、まずあげられる。

 戦後高度成長を遂げた日本経済、その発展の中核を担った工業部門特に機械工業部門について見れば、その地理的環境や時代環境から、先進工業資本による直接投資、企業進出が限定的であり、ライセンス生産を自国系資本すなわち日系現地工業資本が行う可能性、余地が大きな分野が多かったことである。

 それに対して、計画経済から改革開放経済へと移行した1990年代以降の中国経済について言えば、状況は全く異なり、外資系工業資本の現地直接投資が非常に多く見られたという特徴がある。ただし、この際の直接投資された外資系企業の生産物が向けられた市場は、外資系企業の出自である先進工業国市場すなわち中国にとっての海外市場であった。中国市場は人口が多いが所得水準が低く、当時の先進国からの直接投資企業が生産する製品の市場としては、極めて限定的な大きさの市場であった。

 

 同時に、日本の戦後発展過程での状況と、ある意味同様に、改革開放下の中国の産業インフラ、電力や水道そして港湾・道路・鉄道等についてみれば、近代工業が展開するに必要な最低条件を備えていた。それを実現したのが計画経済下の中国経済と言える。しかも、改革開放下の中国経済は、工業労働に動員可能な初等教育を受けたレベルの労働力が、他の地域に例を見ないほど豊富に動員可能であった。進出先の地域それ自体に存在しなくとも、内陸農村地域からの出稼ぎ労働力として、低賃金のままある意味際限なく採用を量的に拡大できる状況であった。この極めて豊富な低賃金労働力を最終組立等の工程に利用する形で、多くの中国外の先進国資本が中国に直接投資したのである。

 この限りでは、中国系資本そのものによる工業発展は見えてこない。中国の改革開放を契機に、輸送コストの低下等で、広域的企業内地域間分業が可能となった先進工業国資本が、豊富な低賃金労働力そして外注先として中国系企業群を大量に利用し、中国からの輸出向け工業生産を拡大した、という工業発展に過ぎない。

 しかし同時に、このような工業発展は、当時の中国の全体的な労働人口から見れば少数派であっても、都市労働者や出稼ぎ労働者といった賃金労働者を大量に、他の国に比較すれば、巨大な賃金労働者群を作り出した。これらの賃金労働者群を中心とした中国国内での新たな消費者層の形成は、現地に直接投資した中国にとっての外資にとっては、あまりにも所得水準が低く、自らの市場として開拓することが困難な低価格商品への需要のみしか生み出さなかった。しかし、総量としては巨大な超低価格商品市場が、潜在的に形成された。

 これを開拓したのが、中国の新規形成企業群であった。既存の工業技術を蓄積していた計画経済に由来する国有企業は、市場の変化に対応して、それに対応した超大量の超低価格消費財とそのための生産財や資本財を開発し生産する能力、すなわち市場動向を踏まえた製品開発を行い、生産を行う能力に欠けていた。ここまでは、ロシア等の旧ソ連圏の国有企業群と同様であった。

 中国の改革開放下での特徴は、旧国有企業群の外側に、大量の多様な新興企業が形成されたことである。それが新設の地方国有企業であり、郷鎮企業であり、赤い帽子を被った民営企業、さらには純粋な民営企業群である。これらが有象無象と呼べるように、雨後の筍のように、各地で大量に形成された。これらのタイプの企業の分布は、それぞれの地域で大きく異なるが、新しい市場形成を我が物としようと、実に多様な多数の公有や私有の新企業が形成されたのである。

 これらの企業のほとんどは、市場開拓等に失敗し、消滅していていった。しかし、その無数に形成された新企業の中から、市場のニーズを捉え、それに適合した超安価な製品を供給する幾つもの企業や、そのための部品や資本財を開発する多数の企業が形成され、さらにそのいくつかは生き残り、発展した。

 

私が中国調査を始めた時点、2000年代初頭に見たのは、この生き残って元気に国内市場を開拓している企業群が活躍している状況であった。その典型が浙江省温州市の民営企業群であり、中国各地に温州城という商業拠点や浙江村といった生産拠点を作り上げ、温州産の安価な消費財や現地付近で仕上げをした安価な消費財を中心に販売を伸ばし成長していた。

 あるいは、天津市の自転車産業、ここでは、国有企業として計画経済下で中国の主要メーカーとして、生産台数では当時から世界有数の大きさをもつ、一見すると寡占的市場支配企業に見える存在であった飛鴿自行車という巨大垂直統合企業が存在していた。寡占的大企業に見えたにもかかわらず、1990年代後半には新興の私営企業との主役交代が生じ、2000年代初頭に我々が天津に調査に行った時点では、飛鴿自行車はなんとかかつてのブランドを使って生き残っているに過ぎない状況になっていた。元気が良かったのは、天津とその周辺に蓄積された人材や資本財を活かし、新規に開業したいろいろなタイプの私営企業であった。それらの企業が、中国国内市場の自転車需要の変化を把握し、あるいは掘り起こし、既存の巨大国有企業に取って代わって、天津自転車産業の主役となっていた。

 これらの企業は、巨大垂直統合企業であった飛鴿自行車と大きく異なり、完成品組立といった最終的な生産といった生産工程に専門化し、また各完成部品に専門化し、各加工工程に専門化していた。そして、他の企業と個別繋がりを持つこともあれば、各部品市場を通じて必要な部品を調達する等によって、完成車としての自転車生産工場群を構成していた。天津を中心にした社会的分業が形成されていたが、部材の調達はそれに限定されず、中国華南地方の部材生産企業からの調達をも射程に入れたものであった。

 完成車メーカーには、日本等の企業から受託生産をも行うとともに、自社ブランドでの輸出を試みる企業も多く存在した。いずれにしても、米国や欧州を中心としたグローバル市場では、それまでにないほどの低価格な自転車として、その存立基盤、市場を確保し、高度な社会的分業を背景にし、外資系を含めた世界最大の自転車生産国である中国の一方を担っていた。もちろん、中国には、ジャイアントのような台湾系企業やブリヂストンのような日系企業も現地進出し、中国外市場向けに自社工場での生産やOEMによる委託生産をも行い、その生産の多くについて輸出していた。

 それらの中国市場にとっては外資系の企業と、市場を棲み分けながら、中国内の基盤産業については、必要に応じて共有するような形で、棲み分け共存していた。

 

 そこから見えてきたことは、極東の当時は孤立的に存在していた国内市場を前提に、海外技術の導入を軸に、自国内企業同士の激しい競争を前提に急成長した日本の機械工業を中心とした工業発展とは、全く異なった中国地元工業企業の形成発展そして中国産業発展であった。急激な工業発展を実現した東アジアの諸国経済、私がある程度詳しく見ることができたのは、日本の工業と中国の工業だが、そのほかの韓国や台湾の工業も、それぞれ独自な市場のあり方と自国系企業の競争のあり方を前提に、それぞれなりの発展を実現している。

 

独自な市場環境事例 ファーウェイ(華為)にとっての市場環境

 こんなことを考えている中で、興味深い日経の記事に遭遇した。「ファーウェイ0S搭載9億台」(日本経済新聞、2024627日、12版、p.15)という記事である。サブタイトルに「中国シェア、アップル上回る」「米規制下、内需取り込み」とついている。

 米国からの種々の規制を受けたことで、ファーウェイ(華為)は、輸出市場で大きな制約を受け、売上高を大きく減らした。しかし、中国市場を改めて再開拓するために、スマホ用の独自なOS等の開発等を通して、中国市場を開拓し、スマホ等でこれまでの中国市場での首位企業アップル社を上回り、売り上げは十分には回復していないが、利益は規制開始の19年を上回るようになったと紹介している。そのために膨大な研究開発投資をしているが、それを中国市場で活かすことで、大きな利益を実現したのである。

 

 かつて、日米自動車貿易摩擦で、日系乗用車メーカは米国市場へ直接投資をすることで、米国側の規制を回避し、その後のさらなる成長に繋げた。輸出市場としての米国市場へのアクセスを拒否されたことを、直接投資による現地生産化で回避し、市場そのものとしては、輸出で確保していた市場を維持することで、国際的に競争力ある乗用車メーカーとしての地位を持続し得たと言える。それに対して、ファーウェイの場合は、多くの先進国市場から締め出され、自国市場中心の販売を限定されながらも、その市場で既存の外資系首位企業に取って代わることで、業績を利益面で見れば、十分に回復したと言える。

 ここから見えてくるのは、中国市場の巨大さである。かつて中国市場向けに開発された現地民営企業等の安価な自転車が中国市場を席巻し、その結果、中国系自転車メーカーが成長し、世界の中低価格自転車市場の圧倒的部分を占めるようになった。また、中国の潜在的に巨大な携帯電話の需要を、安価で独自な機能を持った山寨手機(正式認可品ではない従来型携帯電話)群が開拓拡大し、輸出品としても一時アジアをも席巻した。そこから見えてくるのは、市場環境としての中国国内市場の持つ(潜在的)巨大さである。

 最先端のスマホ、膨大な研究開発コストがかかるそれを、独自に開発する能力を中国企業が持ち、先端化した事実を、このことは示している。同時に、中国国内市場向けにもっぱら販売するだけで、独自なスマホの研究開発費用を回収し、なおかつ膨大な利益を実現できるという巨大さを、中国市場が先端製品にたいしても持っていることが、この記事では示されている。現在の中国国内市場の持つ豊かさと巨大さが、改めて実感される結果となった。

 

 第2次大戦後の20世紀においては、このような巨大さを備えていた一国市場としては、米国市場のみと言えるであろう。米国市場は、当時の最も規模の経済性を必要とする乗用車産業で、全く独自の大型車群で世界最大の巨大な市場を構築することが可能であった市場である。人口が3億人以上で、所得水準が高い米国市場は、いまだ、独自な巨大先端産業が、米国市場をもっぱら対象として形成されうる市場でもある。かつてはそれにEU市場が肉薄するかのように思われたが、巨大な先端産業企業の形成の場としては、そのEU市場を上回って有効なのが、中国市場と言えそうである。

 その中国市場は、単に巨大なだけではなく、成長している市場で、12億人余の人々が、高所得国の入り口に差し掛かっている段階の市場である。すでに都市に住む約半数の人々は、高所得国並みの所得水準にあり、それだけで他に例を見ない巨大な市場を形成しているが、それに農村市場が成長し、かつて世界に例を見ない巨大な国内市場が形成されようとしている。その市場を活用し米国市場等からの締め出しを耐え忍ぶことに成功したのがファーウェイともいうことができよう。海外市場での成功を元に巨大化したTSMCやサムソン電子等には存在しえない経営戦略上の選択肢といえよう。

 アメリカ政府は、先端産業企業にとっても、このような存立環境の違いが持つ意味を、どこまで理解した上で、華為に制裁を課したのか、あるいは現状でもどこまで理解しているのか、私には疑問に感じるところである。日本市場を基盤としたトヨタ自動車に対して有効であった政策手段が、中国市場を基盤としている華為にも有効であるかは、その企業が置かれた市場環境によって大きく異なるのである。ここも、経済学の教科書での競争一般の議論と大きく異なる多様性の1つである。

 すべての中国企業が、中国市場の巨大さを活かし、海外市場から締め出されても国内市場を中心に再生し、さらなる飛躍を遂げられるわけではない。しかし、同時に、中国企業には、中国市場に戻ることで、新たな先端企業としての可能性を模索し、構築する可能性が与えられている。これは、韓国企業であるサムソン電子が追求可能な場ではないのである。韓国市場に引き篭り、再生することは、巨大化したサムソン電子には不可能である。グローバル市場で先端技術をめぐって競争している巨大企業について、それぞれが基盤としている市場によって、その存立発展のための選択肢は異なってくる。このことを如実に示したのが、この華為の記事である。

 

 経済理論の次元での企業の再生産の可能性と、具体的な市場での存在としての企業の再生産の可能性とその余地は、大きく異なっている。これを日中の中小企業を中心に見た産業発展から痛感した。

2024年5月14日火曜日

5月14日 FT「ロシアの旅客機は、いかにしてまだ飛べているのか?」を読んで

 Cook, C., S. Pfeifer & P. Ivanova, How Russian passenger jets are still flying’ 

FT BIG READ. TRANSPORT, 10 May 2024, p.13) を読んで

渡辺幸男

 

この特集は、「ロシアのジェット旅客機は、いかにして、まだ飛んでいられるのか」というタイトルで書かれ、その見出しによれば、「FTの調査によれば、経済制裁は交換部品の輸入の崩壊を引き起こしている。しかし、航空会社は国際的な密輸ネットワークの手助けを受け、ロシアで部品を手に入れる新しいやり方を見つけ出している」ということである。

 

 この論考の中身は大変興味深い。どのような形で旅客機の交換部品が持ち込まれているかを、事例を示しながら紹介している。もちろん、正規の輸入ルートではなく、闇ルートであり、航空手荷物としても持ち込まれていると述べ、その担い手を具体的に紹介している。さらに、ロシアの民間航空機の圧倒的部分がエアバス製とボーイング製の旅客機であることを統計的に示し、また、ロシアのアエロフロートに次ぐ2番目の航空会社S7の航空機部品輸入がウクライナ侵略に伴う制裁開始以降極端に減少していることを、通関統計を使って示している。

 さらに、非正規ルートを使って部品を手に入れている事例を紹介し、完全に輸入が止まっていないことを示すと同時に、その購入価格が通常の価格の数倍以上であることも示している。その上、2025年には輸入旅客機の全面的なオーバーホールが必要となり、海外製の旅客機を失うことになると指摘している。それを避けるために、アエロフロートは、エアバスA330一機を試験的にイランへと送ったが、そのオーバーホールは十分には満足がいくものではなかった、とのことである。

 そして最後のパラグラフで、元パイロットの発言として、何年も前からロシアは国内生産に取り組むべきだったとし、海外製旅客機を修理することはできないし、それに取って代わる航空機はないとし、「その結果としての問題は、旅客機が毎日墜落することを目撃することになるというどころか、全く飛べなくなるということになりそうだということである」と締めくくっている。

 

 ロシアの産業の現状、これをロシアの航空産業の実態と航空機産業についての米欧への依存の深化の状況を、航空機部品が、5倍以上の高価格でだが、なんとか闇ルートで手に入ることで、民間航空産業が現状では維持されている状況を示している。しかし、なまじっか、交換部品が手に入ることで、それに依存しており、近く、本格的なメンテナンス、全面的なオーバーホールが不可能な状況にあり、それが2025年に差し迫っていることが紹介されている論考と言える。

 また、アエロフロートが自社の使用する米欧製の航空機のオーバーホールのため、イランの企業に依存しようとしたが、満足できなかった、という紹介は、航空機生産国である、あるいはあったロシアとしては、極めて悲惨な状況になっていることを示唆しているといえよう。ロシアは、かつてソ連時代には、ソ連圏内で自給的に当時の先端製品としての工業製品を生産できた経済ということができたが、それは遠い過去のこととなっていることを、この事例は示唆している。

兵器の最終製品については国内生産が可能だが、その他の工業製品については、民需用は航空機も含め、グローバルな経済圏に依存する、軍需製品生産と一次原料の生産に特化した経済に現在のロシア経済がなっていること、旧ソ連圏経済の中の旧ソ連経済とは、全く異なった経済であること、これを如実に示している論考である。これがわかっていないのか、それとも、それが問題になるほど、ウクライナ侵略戦争は長引くことはないと思って始め、引くに引けなくなっているのか、私は後者だと思うが、何れにしてもプーチンは自らの持つ経済力の限界を全く理解していない、あるいは理解しようとしない権力者だといえよう。あるいは理解しているが、なんとかなると勝手に夢想していた権力者なのかもしれない。

 

たとえ、当該工業製品を自国内で生産できなくとも、日常的な生活用品であれば、米欧の製品が輸入できなくとも、中国やトルコの製品の輸入で、機能的に十分代替可能であろう。また、当面の補修用のパーツであれば、自国内で生産できない最新の工業製品についても、イミテーションパーツや闇ルートを使った補修用パーツの輸入で、高価格になるが、ある程度代替可能であろう。この点を民間航空機という、最も高度な工業製品で示したのが、この論考と言える。

しかしながら、本格的な更新は不可能であり、補修を重ねることで製品の機能劣化が生じ、さらには十分なメンテナンスが維持できず、通常の使用が不可能となる時期が、遅かれ早かれやってくる。民間航空機の場合は、それが2025年、ウクライナ侵略開始から3年でやってくるというが、この論考の結論である。

先にこのブログでも紹介したように、大同小異の現象が、先端的工作機械等でも生じており、ロシアの工業生産の展望は、当面表面的な工業生産指数等の動向としては順調に見えても、質的な変化と長期的な継続性の問題があり、近い将来、大きな転機、まともな工業生産の途絶が生じる可能性があるということであろう。

ますます、第2次世界大戦末期の日本工業の状況に近づいているということであろう。アメリカ製の工作機械の輸入が途絶し、その機能の劣化を修復できずに部品の金属加工をせざるを得ず、設計図通りの性能を出せなくなった当時の日本製戦闘機のように。

2024年5月5日日曜日

5月5日 FT Opinion Ribakova氏の議論を読んで

Ribakova, Elina, Russia’s new economy may end up prolonging its war,

FT Opinion(3 May 2024, p.17)から

を読んで考えたこと

 

渡辺幸男

 

ピーターソン国際経済研究所の上級研究員(non-resident senior fellow)等を務めるリバコワ氏の興味深い議論が、FTのオピニオン欄に掲載された。タイトルは、「ロシアの新たな経済は、この戦争を長引かせるかもしれない」というものである。中見出しには、「高まった軍事部門からの需要が、かつてない低い水準に失業率を引き下げている」とある。

 

議論についての私の勝手な要約的紹介:

リバコワ氏の議論は、まずは、ロシア経済について、経済制裁等がその経済を破壊することなく、経済軍事化によりロシア経済は依然成長していることを確認している。そしてこの成長は、専ら産軍複合体の拡大に依存しているとする。経済制裁は、ロシアの軍事生産をより高くつくものとしているが、サプライチェーン破壊等による決定的な制約要因とはなっていない。この戦争関連の生産を財政支出が支えている。直接的な軍事支出だけで本格侵略開始以前の3倍以上となっている、と指摘する。

 また、ロシアの軍事産業企業の数は、この戦争の前の2000弱から6000程へと増加している。これらの企業は、全体で35万人以上を雇用し、被雇用者では3シフト・週6日労働が基本となっている。給与も大幅に増額され、彼らは軍役からは免除されている。その結果、軍役の拡大とともに、これらの雇用が拡大し、失業率を2.8%というかつて無い低水準にしている。また、工業生産も金属製品、機械組立や化学製品分野で増大し、産軍複合体的拡大部分を構成しているとする。

 このような拡大は、地方政府によれば、工業団地の新設を含むような新工場の設立にもよっている。このような戦争努力の結果、雇用が拡大するとともに、ロシアの市民はプロパガンダ等によりこの戦争を支持しているだけでなく、雇用拡大等の実質的な生活水準向上を踏まえ支持を拡大することとなっている、と述べている。

 同時に、戦時関連活動への工業生産のシフトは、もはや循環的あるいは短期的あるいは政策的な結果ではなく、経済にとって構造的なものとなっている。このため、産業の軍事化を停止することは、経済のハードランディングを意味し、すでに権力を維持するために抑圧的になっているロシア政府は、経済軍事化を維持せざるをえないであろう。それゆえ、ロシア経済自体が、対ウクライナ戦争を長引かせる要因となるかもしれないとしている。

 

議論のまとめ:

 すなわち、このFT掲載の議論は、ウクライナへの本格的な侵略戦争を開始・遂行し、一次産品の輸出が維持されているロシア経済では、同時に軍事関連産業の生産そして雇用が拡大し、実質的ないしは本格的な経済拡大を実現し、国民の生活水準向上を実現している、と指摘している。そして、結果として、軍事関連の生産に依存する経済への本格的なシフトが生じており、簡単に平時経済に戻れる状況になく、ウクライナ侵略戦争はその意味でも長引くであろうということを指摘している。

 

私がこの議論から考えたこと:

 この指摘自体とその論理は、非常に納得的であり、私もその通りだと思った。問題はその先にある。私の持論でもあるロシア経済の非工業化論の視点から見ると、問題はそこにとどまらないことになる。旧ソ連経済は、まさに長期の一種の軍事経済であり、国家が主要な需要主体の一つとなり米国と並ぶ軍事大国を実現した。同時に当時の旧ソ連圏は、米欧からの市場経済での競争圧力に、直接にさらされることなく、個別企業として市場競争において生き残る努力をあまりしなくとも、長期的な発展を経済内の各部門の企業群のいずれもが保障されていた。

 しかし、現在のロシア経済は大きく異なる。市場経済ロシアが、ウクライナへの侵略戦争ゆえに、一時的に戦時経済化したに過ぎない。市場経済でありながら、非常時としてのウクライナへの侵略戦争維持のため、戦時経済化し、そのもとでのみ意味のある、国家需要に依存した軍事関連産業中心の工業の復活活性化が生じているのである。

 他方で、1990年代以降の市場経済化のもとで、市場競争の中で生き残ってきた工業企業は、ほとんどが現在の軍事経済化とは無縁の分野の企業であるといえよう。これらの企業では、その存在が経済政策的には無視され、中国やインドそしてトルコといった中進国工業企業との激しい競争に一層さらされることになる。そして、他方で、国家市場への依存の下でしか存立し得ないような軍事関連部門が、国家需要に依存して息を吹き返し生き延びたのみではなく、再生拡大しているということになる。しかも、この議論に書かれていたように、軍事関連製品を輸入依存することができないゆえに、それらの製品群は、より高価格で、優先的に需要されることなる。小ソ連工業の一時的再現である。この旧ソ連時代への逆行は、あくまでも一時的だが、どこまで戦時経済を長引かせられるか、どれだけの数の自国民を殺せることが可能かで、その期間の長さが決定され、政府としては長引かせることに意味を感じるような状況になりつつある、というのがこの議論の結論である。

これらのロシアの機械金属工業企業群は、国家の軍事需要がなければ再生産不可能な、それに順応した企業としての再生発展を、今実現しているのである。ましてや、この小論が主張しているように、数年どころか、それ以上にこの軍事需要依存の戦争需要が長期化することが、プーチン政権にとって、国民経済管理上も望ましいこととなると、見た目の工業生産水準の向上とは裏腹に、ロシア工業の平時の国際競争力は、ますます弱体化するということになる。戦争終了後、一挙にロシア経済の一層の非工業化が進展し、一次産品の輸出依存経済であり、高所得国になれきれないロシア国民経済の長期化という結果になろう。

一次産品依存の経済発展を一定程度実現し、国民生活水準の向上に、ある程度成功した中規模人口国の工業発展の行き詰まり、南米のどこかで見たような戦時工業化の戦後非工業化、その結果経済停滞に陥り、しかも戦時の繁栄を忘れならない相対的にかつての「豊かな」国民生活と経済の再現困難の長期化が生じ始めているのかもしれない、

 

ウクライナへの侵略戦争での軍需依存で旧ソ連時代の夢を「一時的に(でも)」再現したロシア工業、民需工業製品を中国等からの輸入に依存し、国民生活を維持し、工業生産としては軍需依存にますますシフトし、経済成長したロシア工業そしてロシア経済にとって、それゆえにこそ、この工業そして経済が平時経済下での国際競争力を持つ工業・経済へと転身ないしは再生することは、ますます遠い夢物語となろう。非工業化進展の外観上の一休み、そして、ウクライナ侵略戦争の維持次第が一休みの継続を規定し、それがロシア国民にとって受容可能な側面を持つということから、侵略戦争はより長期化しそうだというのが、この議論が描いた姿だといえる。しかも、そこから展望されることは、非工業化の一時休止以外の何者でもなく、その後の非工業化の急激な進展ということになる。

いずれくる戦争終結、勝ち負けを別として、その終結は、軍産複合体一辺倒のロシア工業の市場の一挙縮小、そしてロシア工業の最終的消滅、非工業化の完成、これらの可能性を示唆する議論でもある。

  

2024年4月29日月曜日

4月29日 中露の産業発展を考える

中露の産業発展を考える

   計画経済からの移行後の工業発展を規定するものは何かを模索し−

渡辺幸男

 

 かつて計画経済にあり、計画経済期を通して工業化を推進し、1990年代に市場経済化、資本主義経済化した中国とロシアの経済、それらのその後の工業のダイナミズムをどのように把握するか、両経済を対比しながら、計画経済からの移行の持つ意味の多様性について考え、かつ工業発展を規定するものは何かについて考えたい。

 

 1990年代、ロシアは旧ソ連の解体と市場経済化であり、中国で言えば改革開放経済を迎えた時点である。その状況を、中露についてまずは対比的に見る必要がある。

 旧ソ連、その中の中核部分を占めていた現ロシア経済は、1990年代開始時点で、既に計画経済期が70年以上経過していた。それに対し中国経済のそれは40年弱であった。ロシアの場合は、市場経済状況を知る産業人は皆無、完全な世代交代がなされ、計画経済下で育った産業人だけという状況にあったといえよう。それに対し中国経済の場合は、一世代は優に経過していたが、人材的にはかつての市場経済を知っていた世代も残っていた。

 産業体系としても、旧ソ連では、主要製造業全体において、計画経済が浸透し、市場経済的な裁量余地がある経営主体は、ほぼ皆無であるといえよう。それに対して、中国経済においては、工業全般について技術的な遅れが存在しただけではなく、計画経済がカバーできない産業活動部分が多少なりとも存在し、赤い帽子を被った私営企業等、すなわち実質的な私営企業が、中小企業層を中心に、工業分野にもかなりの数、層として存在していた。

 さらにいえば、工業水準として両国を比較すれば、開発力としてロシアが先行し、多くの工業分野で先進工業国並みの技術水準を実現していた。それに対し、中国の工業自体は、一通りの近代工業分野を国内に保持していたという点で、近代工業国と一応言える水準であったが、その水準はロシアと対比しても、かなり遅れたものであった。

 また、工業生産、特に消費財生産に対応する工業製品需要を見ると、その所得水準からも言えることであるが、ロシアは一応先進国並みの消費財水準にあったと言えるのに対し、中国の工業製品の消費財市場は、先進国経済と比較してかなり遅れた後進国消費水準に近い水準であった。すなわち国内市場の性格が、かなり異なり、ロシアは欧州の先進工業製品である消費財の市場となる可能性が高かったが、中国の消費財市場のうちの大部分は、先進国消費財の市場には、そのままでは転換できないような水準の市場であった。

 他方、ロシアの所得水準は中国に比べかなり高く、ほぼそのままでヨーロッパ製品の市場となりうるものであったが、市場規模で言えば、1990年代初頭のEU市場と対比しても、その数分の1の水準にとどまり、潜在的にも当時のヨーロッパの市場経済の市場規模を凌駕する可能性を持つような市場ではなかった。それに対して、中国経済は、当時の絶対的な市場規模は大変小規模なものであったが、消費人口規模としては当時においては他に類例を見ない規模であり、潜在的な市場拡大の可能性は、極めて大きかった。

 

 以上のような状況を前提に、1990年代以降、中露両国での市場経済化が進展した。

 

 そこで生じたことは、欧州からの輸入による工業製品のロシア産工業製品に対する代替化によるロシア工業の衰退、あるいは欧州系外資系企業のロシア現地投資進出による計画経済下に存在した自生的・自国系(ロシア系)主導の工業から外資系企業主導の工業への代替である(藤原克美(2012年)では、繊維製品工業を中心にした分析であるが、旧ソ連工業がロシア化してから、大きく工業が衰退したロシア工業の実態が、繊維製品を生産する資本財の状況を含め、紹介されている)。何れにしても、ロシアの既存のロシア系工業企業の全面的衰退、私のいうところの非工業化が進展したのである。

 それに対して中国の場合は、1990年代当初は、中国の豊富な低賃金労働力と、港湾、道路、電力等の近代工業に不可欠な産業基盤の一応の存在とがあいまって、多数の外資による中国からの輸出向け工業製品生産のための直接投資が、大量に他に前例がない規模で行われた。産業基盤の存在と豊富な低賃金労働力の利用可能性を前提とした、多様な工業製品の最終組立工程を中心とした、加工貿易型の工業生産の一挙拡大であった。

 ロシアへの外資の進出は、対ロシア工業製品輸出と共に、既存のそれなりに先進的であったロシア工業(市場競争力は皆無といえるが、技術的には欧州諸国と張り合えるような水準の工業)の解体をもたらした。ロシアの市場は1990年代当初より、欧州企業にとっては魅力的な市場であり、市場競争力形成の必要性のない中で先進工業化していた旧ソ連の先進工業企業に取って代わって、工業製品をロシア市場向けに輸出し、ロシア内現地生産化を実現し、欧州系企業を中心に資本主義市場経済の競争の中で育った企業群が、工業生産部門の多くで既存旧ソ連系企業に取って代わった。そして、その代替の多くは、既存のヨーロッパの工場、すなわちロシア外の工場からの供給という形をとった。

 それに対して、潜在的には巨大な消費財市場を保有していたともいえる中国においては、現地市場を対象にする外資系企業の進出は、多少は見られたが、1990年代においては先進工業国製品を受容できる層は極めて限定的であり、そのため、中国市場向けの外資系企業の多くは、中国消費者の大多数を対象とすることはほとんどできなかった。当時の中国消費者の中心的な所得水準の人々にとっては、先進工業国の製品は、たとえ低賃金労働力を活用した中国で生産されたとしても高価すぎる手の出ないものであったといえる。

 この結果、中国国内市場向けには、新たな商機が、中国系企業、と言っても既存の国有企業ではなく、新規創業を中心とした郷鎮企業や民営企業に生じた。機械加工等、一通りの近代工業に必要な工業生産力は、中国に存在していた。しかし、その生産力を保有していたのは国有企業群であり、ここでも旧ソ連同様に中国国有企業は、新たな市場開拓や形成を実行し、あるいは市場動向に応じて柔軟に経営努力を行うような存在ではなかった。1990年代の改革開放の過程で、これらの国有企業の多くは経営的に行き詰まり、そこで働く技術者や技能労働者を解雇せざるを得なかった。

他方、外資系企業は中国市場向けへの生産ための進出は難しかったが、外資系企業に雇われた膨大な雇用労働力を中心に、安価な工業製品への需要そして市場が一挙に形成された。これを充足するためには起業家・企業家層の存在が不可欠である。その必要性を現実化したのが、郷鎮企業であり、赤い帽子を被った民営企業である。私が現地調査をして見てきた温州市に見られたような、計画経済期から私営企業として経済活動を、規制の中で実行していた人々が、本格的に経済活動、企業活動を開始したのである。そのような企業が、地域的な偏りは非常にあるが、中国全体としてみれば、多数形成され、存在し、激しい競争の中で淘汰されることにより、低価格を不可欠とし、先進工業国製品が充足できないような、新たに中国国内に形成されつつあった巨大市場を発見開拓し、充足することになった。

これらの新興の中国民営企業の起業家・企業家は、既存の国有企業内に保有されていた工業技術を、企業縮小・解体の過程で放出された技術者や技能者を通して活用し、また現地で生産されていた諸機械を利用し、低価格品市場として形成された国内新市場、成長市場を目指し、独自な低価格製品を開発し、新規形成市場の開拓に成功した。中国の潜在的に巨大な市場が、超低価格製品市場として開拓され始めたのである。市場形成当初のエビソードではあるが、私が中国での現地調査を開始した2000年前後の時期には、想像を絶するような低価格かつ粗悪な製品の販売の話が、幾つも聞かれた。紙でできており1週間も履けば壊れてしまうような靴が、実際に温州地方で生産され、内陸地方に販売された、と言ったような話も、少し前の話として聞かれた。

当然のことながら、このような極端な粗悪品は、あっという間に市場から追放された。他方で、低価格だが、それなりに使用可能な多様な消費財が、郷鎮企業や民営企業によって開発・販売され、先進国工業製品生産企業が開拓不能な低価格消費財市場を開拓し形成していった。また、このような消費財の生産に適した、先進工業国の機械から見たら顕著に精度を落とした安い加工機械類も開発された。いわゆる、リバース・イノベーションと呼ばれる現象が、多様な市場で多面的に生じたのである。これらの点が、自国系工業の非工業化が進展したロシアと決定的な差異といえる。

 

中国の場合、改革開放当初は、国内市場の低価格だが巨大な潜在的な可能性を持つ市場を対象に、既存の国有企業でない多様な新興企業群を担い手として、既存国有企業が形成し保有していた近代工業技術を利用する形で、独自な低価格品市場を中心とした工業発展を実現した。しかも、巨大な市場が一挙に形成されたこと、既存技術の応用で参入することが可能であり、多様な発展機会が存在していたことと相まって、多数の多様な企業の起業や参入が一挙に実現した。

この環境下でこのような過程で生じたことであり、その後の中国工業にとって重要なその過程で形成された工業上の特徴が、社会的分業のあり方の独自性である。丸川知雄教授が主張されている改革開放後の中国工業の「垂直分裂」丸川知雄、2007傾向である。すなわち、中国企業の存立形態は、かつての計画経済下の国有巨大工業企業や、先進工業国の寡占的大企業の存立形態である「垂直的統合」企業形態ではなく、川上から川下までの諸工程についての高度な社会的分業下で工業製品の生産、各企業がごく狭い範囲に特化して社会的分業の中で完成品を生産する体制が、先進的と見られるような工業製品の生産体制として実現したのである。

この点を考える上で重要なのが、先に指摘した中国の1990年代の改革開放期以来の国内市場形成期の市場の特徴である。既存国有企業は、基本的に市場経済的な意味での企業ではなく、ほぼ単なる生産者にとどまり、その経営者は経営者とは名ばかりで、事実上は工場長であった。それゆえ、競争的な市場で競争するための経営力を持っていなかった。この点では中露で差異はなかった。また、近代工業国としての技術についても、中国はかなり水準が低かったが、存在していたという意味では中露で差がなかった、中露で差異があったのは、国内市場の在り方と(潜在的な意味も含めた)大きさであり、ロシア市場は欧州先進工業製品の直接の市場となるだけの所得水準にあったに対し、中国市場の大部分は、先進工業国製品の市場としては存在できないような低価格品中心の、それも潜在的に存在する低所得者中心の市場、潜在的に巨大な市場に過ぎなかった。これを開発したのが、既存の中国国内工業技術を利用した、新興の中国国内工業企業群であった。

一挙に潜在的に形成され、先進国工業製品が進出不能な、可能性としては巨大な中国国内市場、これを市場として顕在化せしめたのが、中国の多様な非既存(国有)企業であった。一挙の市場形成であり、特定の製品市場について垂直的に統合した形で参入することは、どのようなタイプの新興の非既存国有企業にとっても、市場開拓において、時間がかかり、目の前にあるビジネスチャンスを逃すことになる。そのため、統合的な形態での参入企業は、事業の特定部分のみに参入し、そこでの競争優位を実現しようとするタイプの企業との競争に負けることを意味した。

既存国有企業を中心に国内に蓄積された技術は、既存国有企業の技術者や熟練労働者に体現され存在し、市場は潜在的だが巨大で、かつ多様に存在している。そこで必要なのは、それぞれの市場を、既存の技術を組み合わせ、かつすばやく動員して、いち早く開拓することである。それこそが、1990年代後半以降の中国経済の国内市場の多くを開拓することの際に不可欠なことであった。そこで生じたことは、技術的に最も単純化された部分に専門化し、それに特化し、その技術に関連する市場を、徹底的に開拓することであった。その際、特定の製品に専門化するのであれば、その川上部分の自企業内生産にはこだわらず、既存の供給企業を利用し、その製品市場それ自体にいち早く参入し、自企業の存立基盤を形成することであった。また、特定の完成品ではなく、部品や特定の加工に専門化する企業も、完成品生産企業の多くが垂直的統合を志向していないなか、多様な川下の需要企業を念頭に、特定分野に専門化して参入することが可能であったし、それがいち早くその市場での存在余地を確保するために必要なことであった。

巨大な低価格品市場が一挙に形成されたこと、それを、マトを絞っていち早く自らのものとすることが、企業としての存立発展の第1条件であること、このことから、丸川氏のいうところの「垂直分裂」が広範化した。このような社会的分業の進化した工業体制が形成されたということは、そのこと自体が、特定部分に極度に専門化した企業の参入を容易にするということになる。競争は、完成品市場ごとに垂直的に統合した企業間で行われるのではなく、社会的分業が可能な多様な水準ないしは次元、完成品、完成部品、あるいは特定加工といった形で細分化され、それぞれに存立基盤を持つ企業間で多様に行われることになる。逆に言えば、垂直統合された完成品生産企業の場合であれば、内部部門、内製部門として、直接的には市場競争にさらされないような部品生産や加工までも、激しい市場競争にさらされることになる。これが極端まで進行したのが、中国の改革開放期の工業発展、丸川氏のいう「垂直分裂」ということになる。

ここから中国では、中国系企業が自国市場、特に新規形成市場に、他の専門家企業群を活用しながら当該市場の製品・部品・加工に専門化した形で参入し、新たな市場を開拓していくことが通常化したといえる。既存企業による自社技術を前提とした自社内での多角化に依存した新市場開拓ではなく、多様な新規企業、起業家による新規市場開拓が広範化し、その後の工業発展の担い手が多様に形成されることとなった。

 

ロシア経済の場合は、そこでの産業発展が、経済圏内完結型の自国系企業主導の発展から輸入と欧州系企業主導の発展に転換した。そこに至った論理ないしは理由は、比較的豊かな市場が既に存在し、国内の既存工業企業が解体せず、解体を利用して技術者や技能者を活用する新規創業企業層の大規模形成もなかった。ゆえに、自生的な工業再生は生じず、非工業化が進展した。その根本的な部分には、既存企業が抱える技術を新たに活かす新規創業企業層が形成されるような時間的な余地がなかったこと、その形成のための余地に必要な、先進工業国企業が参入できないような巨大な独自市場が存在しなかったこと、これらが中露の比較から見えてきたことといえる。

(この点は、ウクライナ研究の著作(松里公孝2023年)を紹介した私のブログでも言及した、旧ソ連以来のウクライナの機械工場の例が参考となる。この企業は2010年代にも依然として存在し、かつこの企業が、外資系企業が近隣に設置される設備機械の調達に対し、自社でも生産可能な製品を、ウクライナ外の企業から調達したとして、自ら生産できることを示すために同様の製品を生産し工場内に展示(同書、2829ページ)していた、という、この企業の話からも理解されることである。旧ソ連の重機械生産企業にとって、当該機械を生産できることが第一であり、それをどのようにして他企業の製品と差別化して販売するか、という点は二の次、三の次なのであろう。旧ソ連の企業は先進的な機械をそれなりに生産できた。しかし生産できることは、市場参入の必要条件であっても、市場での販売競争に勝てる条件を意味しない、必要条件であっても、十分条件ではないこと、これが依然として理解されていないようである。

なまじ作れるだけに問題は厄介になる。中国の新興企業のように初めから作れなければ、作れる製品を売るための市場開拓をするであろうが。さらに言えば、このような発想をする企業が、なんとか、今まで残っていられること自体、ウクライナの工業、旧ソ連の工業の持つ問題点が解消されていないことを意味しよう)

 

そして、2020年代、改革開放から30年後以降、原油や天然ガス等の素原料を中心とした輸出で、それなりにさらに豊かになったロシアのウクライナ侵略が開始された。結果、ロシア経済が1990年代以降依存してきた欧州工業からの隔離が生じた。ある意味、既存の蓄積を生かし、欧州企業が占めていた国内市場からの欧州企業の撤退を活用し、ロシア市場を前提に、ロシア国内の技術者や熟練技能者を生かし、ロシア系企業を担い手としたロシア系企業による工業発展の再興の機会が生じたともいえる。

しかし、実際に生じたことは、原油等の輸出先のインドや中国への転換とともに、それらの収入を生かし、中国やトルコ・インドといった諸国から工業製品を輸入すること、欧州に代替する工業製品調達先を転換することであった。ウクライナでの侵略を継続するための兵器生産体制維持ゆえに致し方なかったこととも言えるが。これにより、兵器類の国内生産の水準を維持し、かつ多くの国民を当面満足させるそれなりの消費水準を維持することが可能となった。しかし、これは、非工業化の継続を意味し、低価格工業製品を含めた再工業化の展望を全面的に失うことを意味する。工業製品輸入元が、欧州から中印トルコへと移動しただけで、ロシアの非工業化からの脱却、再工業化の展望は全く開けないことになる。

 

 

 以上の中国とロシアの近年の工業発展の状況の対比から、産業論的な意味で示唆されることは何か。何よりも、経済発展、産業発展における「競争」の持つ意味とその競争の質の差異が持つ意味の産業発展いとっての重要性である。計画経済の何よりの特徴は、一国レベルで、他の先進工業との競争に打ち勝つことという競争が存在するのみであることである。国内企業間の競争が、ほぼ存在しないのが計画経済である。

計画経済のもとで、国家間の競争が強制することは、先行する工業国の工業水準にキャッチアップすること、目標とする先進工業を定め、それに追随し、その工業水準に追いつくことである。ごく比喩的に述べれば、「コンコルドスキー」を生産することであるといえる。欧州で開発された超音速旅客機コンコルドをその目標と定め、それに追いつくために同様なジェット旅客機の生産を目指し、それがそれなりに実現したのが、旧ソ連のツポレフ144(TU-144)超音速旅客機である。形や一定の性能部分でコンコルドに追いついたが、旅客航空機市場では、先行したコンコルド以上に市場競争力がなかった。超音速旅客機ではあったが。

このような比喩で表現されうるように、計画経済下での企業にとって、対抗する市場経済下で開発された工業製品を模倣し、それに近いものを生産することは、そのような指令が与えられれば、ある意味で可能であると言えよう。それを実証したのが、ソ連経済下の工業発展であったと言えよう。しかし、市場ニーズに従い、自ら独自な製品を生み出し、企業間競争に打ち勝つこと、これは極めて困難なことになる。何せ、市場が存在しないゆえに、市場からの圧力も存在しないし、国家の要請は受けても、市場のニーズを知る機会もなく、計画当局から指示された製品を、きちんと生産することのみを求められているのであるから。

 

 他方で市場経済下の企業は、市場からの競争による圧力を受ける。しかし、同時に、それぞれの市場経済の置かれた環境により、その市場圧力の内容ないしは方向性は異なることになる。「競争」が存在する市場ならば、そこに存立する企業にとっての市場からの競争圧力は、質的に同様である、とは言えない。市場の置かれた環境次第で、市場からの競争圧力の質・方向性は異なるのである。

 

以上の中露の計画経済からの移行における差異から見えてきたこと

中露の改革開放時のあり方の最も大きな差異は、絶対的な工業化水準での差異を別とすれば、中露それぞれの市場の置かれた環境と市場からの競争圧力の質と方向性における差異と言えよう。

まずは、中露のそれぞれの市場環境であるが、市場規模から見れば、潜在的な大きさを含めるならば、隣接する先進工業の市場の大きさに比してもロシア市場の相対的な小ささであり、他方での中国市場の潜在的な巨大さであると言えよう。しかし、それ自体は、改革開放時には直接機能せず、市場としてのレベル、国民の消費水準の先進工業国消費水準との近接性の違いが決定的な意味を持ったと言える。ロシアはすでに消費水準としては、中進国レベルに達し、多くの国民が隣接するヨーロッパ諸国の既存の工業製品、たとえそこでの低価格品を中心とするとしても、それらを受け入れうる所得水準に到達していた。

それに対し、中国の改革開放時は、例え、台湾や日本市場での低価格品をもってしても、大多数の消費者にとっては高価すぎるような所得水準の市場であった。あらためて、その低所得水準の消費者向けに、一層低価格な商品を開発することが、中国市場の巨大な部分に参入するためには不可欠のような市場であった。

 

 中露ともに、計画経済下で形成された国有企業群は、計画経済下の「企業」であるがゆえに、市場経済での競争の担い手となることができるような企業ではなかった。市場経済化され、本格的な市場競争に曝されると、その圧倒的大多数は市場から退出せざるを得ないような存在であった。経営をしない、ないしは経営をできない企業には、市場経済競争下での存立余地は存在しないのである。それゆえ、中露ともに、計画経済下で成長し、それなりに当時の中露の工業を担っていた大企業のうち、市場競争にさらされた企業群は、消滅することとなった。このことでは、中露の間で差異はない。

 中露の間での最も大きな差異は、改革開放後の工業発展を規定したという意味でのそれは、周辺の先行している工業国の諸企業の市場になりうる所得水準であるかどうかと、独自市場として発展可能な規模で存在しているか、ということにあるようである。さらに、必要なのは、既存技術を活用し、計画経済下の大企業とは異なり、市場のニーズに敏感に反応しうる企業群、起業家群を大量に生み出せるかどうかとなる。ただし、後者については、ロシアについて言えば、その可能性の検証するに必要な時間が、所得水準の一定程度の高さゆえに、欧州諸国企業に一挙に国内市場を掌握されたことで不足し、起業家群の存在の有無についての歴史的検証は行われないままであったと言える。中国では、そのような起業家群、それも郷鎮企業や地方国有企業の経営者を含めた、多様なそれが存在したことが、その後の歴史的経過を通して確認されているが。

 

 ここまで見てきて、あらためて、私自身の研究の幅の狭さを痛感している。日本の1970年代そして中小企業を中心とした工業発展の実態調査に基づく研究、また2000年代における中国沿岸部の温州市や自転車産業での工業発展についての実態調査研究、これらから、中国の産業発展については、日本の工業発展との対比をも踏まえ、それなりに実態的な裏付けを脳裏に浮かべながら議論を展開してきた。しかし、ロシアの近年の工業発展については、本ブログの論考でも紹介した、いくつかの興味深い研究を通しての間接的な知識しかない。

 たしかに、日本と中国の急激な工業発展の実態を見た上で、それらの発展の論理を考えたことは、ロシア工業の現状を考える上では、大変参考になっている。が、それ以上ではない。かつて、計画経済下での中国の工業化に圧倒的な影響を与えた旧ソ連・ロシア工業、しかし、ウクライナ侵略下でのロシア経済の中国工業への大幅依存、それによって、近代戦の遂行を維持し得ているロシアの現状、このことの中身が見えてこない。勝手な想像に近い形で、間接的な推論に基づき、このメモ書きをしてみた。非工業化しつつあるロシア工業の実態、東部ウクライナの旧ソ連重機械工業の系譜を引く大工場でも良いのだが、その実態を知りたい。なによりも見てみたい。日中の中小企業から見た工業発展を、実態調査研究を通して見てきた身として、今それを痛切に感じている。

 

*本稿で展開したことの中身には、これまで私がこのブログ等で述べてきたことの繰り返しに近い部分が圧倒的に多い。新たな情報を、近年発行された方々の研究成果にのみ依存せざるを得ない現状では、仕方ないことかもしれない。

それにつけても、これだけ注目されているロシア経済の現状について、ロシアの産業それ自体についての実態調査に基づいた現状分析的研究が、少なくとも日本語文献では、ほぼ見ることができない。断片的な新聞報道等を通して、勝手な推察をしているのが、今の私であり、言いたいことはあるのだが、実質的に繰り返しにならざるを得ない。

 

参考文献

藤原克美『移行期ロシアの繊維産業:ソビエト軽工業の崩壊と再編』春風社、2012

松里公孝『ウクライナ動乱 −ソ連解体から露ウ戦争まで』ちくま新書2023

丸川知雄『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』中公新書、2007

2024年4月2日火曜日

4月2日、9日 エントランスの君子蘭

今年も君子蘭が、艶やかに咲き誇っています。
冬越しの廊下から、エントランスに、
賑やかです。


エントランスの一番上が君子蘭、

アプローチにはゼラニウム、

そして、なんとか冬越ししたサルビア


春本番のエントランス、春を謳歌。

9日
雨の早朝、
新聞を取りに出たら、
雨に濡れた君子蘭の艶やかさが一層増し、
もみじの若葉が冴えていました。


 

2024年3月21日木曜日

3月21日 春です。池の鯉と君子蘭

春です。
池の鯉が活発に泳いでいます。 
無事、冬を越え、
春を迎えた池の鯉たち、
春の光に輝いて見え、
餌を求め、泳ぎ回るようになりました。

昨年と比べ、ひと回り、
また大きくなり、
本格的に餌を食べ始めました。

この冬は、暖かかったので、
冬の間も、少しずつですが、餌を与えていました。
ただ、青鷺よけのネットが邪魔。
仕方がないのですが、
青鷺はこの冬も度々やってきて、
2階の屋根にとまって、様子を伺っていましたので。

庭の鯉と共に、春を迎えつつある君子蘭、
廊下に取り込んでいた君子蘭に、
蕾が
20本以上つきました。
もうすぐ、開花、

我が家の本格的な、
春です。





2024年2月14日水曜日

2月14日 今年のエントランスの冬

今年のエントランスの冬、
例年に比べ、
寂しくなりました。
いつものようにクリスマスローズはそれなりに咲きました。


白いクリスマスローズに混じり、
薄紫の花も一株咲きました。
白のクリスマスローズの種から育った中の1つです。


結構賑やかに咲いている株もあり、
今年もそれなりにエントランスの冬を飾っています。

門にもいくつかの鉢を下げてみました。

ただ、残念なことに、
例年なら花がちらほら咲き始めるはずのノースポールは、
下の鉢のように、ようやく双葉から本葉がで始めた状況。

 いつもなら、かなり賑やかに咲いているはずの西洋桜草、
昨年は、
こぼれた苗から芽が出て、花をつけましたが、
今年は、ついに、秋の植木鉢に、
その芽生えを見つけることができませんでした。
猛暑の影響が、
西洋桜草の芽生えをだめにし、
ノースポールの育ちを遅らせてしまいました。
次年度の冬のエントランス、どのようにしたらよいか、悩みどこです。