2024年2月14日水曜日
2月14日 今年のエントランスの冬
2024年1月8日月曜日
1月8日 FT, ‘Chinese exports of machine tools to Russia surge’ を読んで
Leahy, Joe, Chris Cook, Max Seddon & Max Harlow,
‘Ukraine conflict. Military components’
‘Chinese exports of machine tools to Russia surge’
FT, 3 Jan. 2024, p.2
を読んで 渡辺幸男
ウクライナ侵略によるロシア経済の非工業化の一層の進展についての
再確認
2024年1月3日付のFTの2面に、ロシアの工業の非工業化に関心がある私にとって、大変興味深い記事が掲載された。この記事のメインタイトルは上にあるように「中国の工作機械のロシア向け輸出が急増」というもので、その上に「ウクライナ紛争、軍事用部品」とあり、記事の要約では「キーウの同盟国は、モスクワの防衛産業にとって重要な先進的な部材の供給増により警告される」とある。また、中見出しには「事実は、ロシアがヨーロッパからの機械輸入を遮断され、中国に依存するしかない、ということである」という発言が紹介されている。
記事の内容について、私の関心に基づいて要約するならば、以下のようになる。
ロシアの税関統計を利用し、ロシアへの中国製の重要な先進的工作機械の輸出が、ウクライナへの本格的侵略以来10倍に増えたことを指摘している。いまや、モスクワの兵器生産にとって決定的に重要な高精度のCNC装置の取引では、中国製の輸入が支配的な存在である。2022年2月には650万ドルであったCNC工作機械の中国製のロシア向け輸出が、税関の記録では、2023年7月には68百万ドルとなっている、とまずは紹介している。
その上で、これは、ヨーロッパからの輸入が厳しく制限されたことで、ロシアは中国製のCNC輸入を選択せざるを得なかったことによる、とも指摘されているとしている。結果、中国製のCNC工作機械が、絶対額として増加しただけではなく、ロシアが輸入するCNC工作機械の輸入全体が急増する中で、中国製が12%から57%へと割合を急増している。また、絶対的には台湾製や韓国製の輸入も増えている。一方、侵略開始前に主要輸入元であったヨーロッパ製の輸入が占める比率が低下しただけではなく、絶対額でも顕著に低下している。
他方で、ロシアの軍需工場での中国製CNC工作機械の使用は、まだ顕著に少ない様である、とも述べている。例えば、宣伝用の動画で撮られているロシアの軍需工場で使用されているCNC工作機械は、ほとんどが欧州製か台湾・韓国そして日本製である。これらの事実は、ロシアの軍需工場では、中国製のCNC工作機械が、精度や耐久性の面で日本製やドイツ製より劣るということで、信用されておらず、使用されていないことを示唆するとのロシア外のアナリストの見解が紹介されている。
中国から輸入された中国製のCNC工作機械、それ自体は軍需工場で精密金属加工のために使われるために大量に輸入されたのではないようである。そうではなく、これまで輸入された欧州製等のCNC工作機械が軍需生産に集中され、それ以外の分野での金属加工の工作機械が不足しために、その穴埋めとして中国製が大量に輸入され、軍需生産以外の分野で使われている、ということを示唆する結論となっている。
さらに本文には紹介がないが、掲載されたグラフをみれば、CNC工作機械についてのロシアの輸入金額の総額が、ウクライナ本格侵略前と比べ、月額4千万ドル強の水準から22年前半の月には月額2千万ドル台に減少したが、23年7月には月額1億2千万ドル前後へと侵略前の2〜3倍に増大していることがわかる。全体として、輸入金額が急増し、その中で、欧州からの輸入は絶対的に激減し、中国を中心とした台湾や韓国からの輸入が激増したということになる。
以上、勝手に私が要約した記事内容である。記事そのものは新聞半ページ近くの大きさがあり、内容的に多くの論点に触れているが、私の関心に従えば、このようになると言える。
ここから見えてくることは何か、次にこの点について考えてみたい。
何よりも、ここで注目したいことは、ロシア国内では、高精度のCNC工作機械を生産することが出来ないだけではなく、精度が落ち、民需用の生産向けのCNC工作機械も、生産能力がほぼない、あるいは少なくとも、需要に応じて生産量を拡大することが出来ない、ということであろう。軍需用の高精度の精密金属製機器の生産用機械について、ロシア国内で生産することが出来ず、欧州製等の高精度の機械を輸入せざるを得ないのみならず、非軍需向けの精度の劣る工作機械を含めたCNC工作機械一般を増産できない、あるいは生産できない状況になっている、といえる。
旧ソ連は、国際競争力は別として、当時の先端的な工作機械を自国内で生産し、旧ソ連圏内に供給していた。自給的生産体制をソ連圏として維持していたのである。だからこそ、米ソ対立の中で、自立的工業先進国として、高度な軍需製品を生産し、米国側に対抗していた。そのソ連が崩壊して30年余が経過した。その過程で、ロシアを中心とした旧ソ連の非工業化が進行した。ロシアは、原油やガスの輸出国への特化が進行し、先端的工業製品のみならず繊維製品等を含め工業製品を幅広くかつ数多く輸入するようになり、特に欧州から輸入するようになった。その欧州製の高精度の金属加工機械を使用して、ロシア製の先端的な武器の金属部分の加工・生産を行っている。このことが、ロシアの軍需産業の宣伝用の動画を通してみて取れるのである。
宣伝用動画ということであれば、通常、自国産の先端機械を使用した工場を登場させるものであろうが、そのような状況には全くないことから、欧州製そして日本や台湾製の先端工作機械を多用する兵器工場を紹介したのであろう。しかも、欧州からの工作機械の輸入が止まった中でも、依然として欧州製の機械を中心に兵器を製造している動画をアップしている。これは、自らの生産能力が、欧州からの直輸入が困難になっても、従来の水準を維持していることを強調したいがゆえであろうか。中国経由の欧州製工作機械の輸入も中国からの輸入に計上されている可能性もある税関統計であるが、この記事の図の注記によれば、利用している統計は税関統計だが、登録された原産国別に計上されているとしている。それゆえ、税関統計を利用しているが、この場合は生産国別の統計と言えそうである。
同時に注目すべきことは、金属部品加工の中核部分である工作機械に関して、従来の主要輸入元からの輸入が止まっても、自国製の工作機械生産へと最大努力を投入するという方向ではなく、他の多少精度等が劣る機械が輸入可能であれば、それの輸入に頼らざるを得ない先進兵器生産国が、現在のロシアということである。自立、ないしは自給可能な工業生産国から程遠い状況にあることを、この記事は示唆している。言い換えれば、従来の輸入元からの輸入が途絶しても、それを国内生産での代替とする方向での経済的、政治的力が十分には働かない、あるいは働かせられない、かつての先進工業国ということになる。他方で、中国製の「先進的」工作機械を豊富に輸入することは、今のロシアにとって可能だということになる。急ぎの増産のためには、自国内での基盤産業の再生を待っていられないし、待っていなくとも他の供給源が存在する、ということになる。
今回のウクライナ侵略による米欧等からの経済制裁により、先進工業製品の直接的な輸入が困難化したことが、ロシアに非工業からの脱出を可能とさせ、再先進工業化へと転進させる契機になる可能性の存在を考えていた私にとって、今回の記事は、その道への転進がほとんど進展していないこと、あるいは進展しそうにもないことを示唆する貴重なロシア工業状況の紹介となったと言える。旧ソ連時代から生産する能力がなかった先進半導体を依然として生産できないだけではなく、ロシア工業は、かつては生産していた(その当時の)先進的工作機械の国内生産も困難な「非工業国」となった、ということなのであろう。ロシアの再工業化の核となる先端半導体や先端工作機械を開発生産する能力を確保し、ロシア経済が再先進工業化を目指すような可能性が、全く示唆されないどころか、ほぼ否定されているようなFTの記事であった。
「先端的」中国工業製品の輸入が可能であり、欧州からの輸入が経済制裁で制約されても、それをすり抜けることが非工業化したロシア経済にとって可能である。そして、それがウクライナ侵略戦争の継続を可能とするロシアの自国での兵器生産を実現させている。同時に、長期的にはロシア経済の非工業化の徹底化、中国の先進工業化の進展という結果をもたらしている。このように見ることも可能なようである。
さらには、このような状況は、近い将来、ロシアは、先進工業化し巨大国内市場をもつ中国経済に対して、原油等の一次原料を豊富に供給することで経済成長を維持する、中国経済依存の周辺国になる可能性も示唆していると言えよう。中国経済にとってみれば、ロシアは国境を接した諸国の1つとして、他の旧ソ連構成の中央アジア諸国、カザフスタンのような国と同様に、世界最大の中国経済の工業生産を軸とした発展のための、有力な素原料供給国となる、というのがロシア経済の今後の展望であることを示唆するような記事とも言える。プーチン大統領の素原料輸出依存の経済成長政策、それによる国民経済の当面の発展確保は、ロシア経済にとって、長期的にはより一層の非工業化という、大きな代償を将来支払うことになると言えそうである。
プーチン政権下で、欧州への素原料供給・工業製品輸入国としての豊かさ追求の一定の実現が、ウクライナ侵略の開始とその長期化により、自立的工業国へと再転換するのではなく、素原料供給・工業製品輸入国としてはそのままで中国へのそれに転換し、中国の周辺国として新たな発展展望を模索せざるを得ないことになる。これが、ウクライナ侵略が長期的にはロシア工業にとって意味することのようであり、その可能性を示唆する記事といえよう。
ロシアは、国民生活水準の向上を、この転換を通して維持していけるのであろうか。あるいは、ロシア国民は、ヨーロッパ製ではなく、中国製、そしてインド製やトルコ製の消費財の輸入で満足するのであろうか。
ウクライナ侵略が長期化し、長引けば長引くほど、これらの点についての懸念は強まることになる。モスクワでスターバックスが撤退し、もじりのスターズ・コーヒーが生まれた話どころの問題ではない。
やはり、プーチン大統領にとって、キーウ進軍の形でのウクライナ侵略開始は、短期で傀儡政権樹立のための侵略であり、ハンガリー動乱やプラハの春の旧ソ連軍侵攻による鎮圧の再現を夢想していた、ということであろう。旧ソ連の中のウクライナなのだから、ロシア人の多いウクライナなのだから、と、ロシア軍の侵攻で一挙に傀儡政権の樹立が可能だと、夢見ていたのであろう。その代償は、極めてロシア経済にとっても大きなものとなる。
2024年1月2日火曜日
1月2日 新年のご挨拶
甲辰1月2日
新年のご挨拶 謹賀新年
渡辺幸男
毎年、元旦に新年のご挨拶をアップしていたのですが、今年は、書き忘れ、2日を迎えてしまいました。遅ればせながら、新年のご挨拶をしたいと思います。
昨年は、私にとっては75歳となり、後期高齢者となった節目の年でした。体力的な問題もあり、長年、多分20年余だと思いますが、携わってきた季節労働、中小企業研究奨励賞の審査委員を、2023年3月をもって退任しました。1998年に中小企業研究奨励賞特賞を受賞し、その頃に審査委員を務められていた故佐藤芳雄教授が亡くなられ、佐藤教授の弟弟子ということもあったのではないかと思いますが、同世代の中でも早くに中小企業研究奨励賞の審査委員を拝任することとなりました。
それから20年余、年末は、いつも中小企業研究書を何冊も読むというのが務めとなり、特に経済部門の主査をおおせつかってからは、専門委員の方々とともに10冊ほどの専門書を1ヶ月の期間で読み、その評価を自分なりに行うことになりました。当初は、中小企業懸賞論文の審査委員も行っていたこともあり、懸賞論文への応募作品で1次審査を通った企業部門の論文も読む作業も行い、大学教員としての年末の業務遂行と並行に作業を行うことになりました。
まだ、五十代で今から比べれば若く体力と気力もあったのですが、両方の審査を同時に行うこと、それも責任者として行うことは大変きつく、懸賞論文の審査員については辞退し、奨励賞の経済部門主査のみということにしてもらうという、勝手な希望を両賞の主催者である商工総合研究所にお願いし、通してもらいました。その研究奨励賞の審査だけでも大変きつくなり、遂に、昨年3月、2022年度の審査と授賞式の終了をもって退任させていただきました。
研究奨励賞の審査委員であることで、毎年の主要な中小企業関係の著作、かなり中小企業研究としては周辺的分野を含めた多様な研究成果について、本格的な研究と言える著作の主なものを、毎年10冊読むということは、自分の研究に幅を持たせる意味でも、大変意味のあるものでした。中小企業研究の中でも、自分が得意の研究分野に閉じこもることが多くなりがちになっていたのですが、この経済部門の主査を続けることで、強制的に研究書を読まされることになり、結果的に狭い殻に閉じ困らずに済んだかと思います。
そして、昨年の暮れ、研究奨励賞の10冊を読む義務が無い年末、全く新しい暮れでした。本来なら、季節労働がなくなったのであるから、新年の挨拶、このブログでの挨拶はとっくにかけているはずなのですが、どういうわけか、元旦までに用意することができませんでした。
体力的に落ちてきていることは確かなのですが、パソコンに向かい文書を書くことができないほどではありません。が、気が抜けていたのか、気がついたら1月2日になっていました。
今の日常は、大学教員である間は、私なりに中小企業研究者として、中小企業研究関連の著作を中心に読書すること、本を読むのは大好きなのですが、他の分野の本については禁欲すること、面白くなってしまうと、その関連の本にのめり込んでしまうので、他分野の面白い本を読み漁ることは禁欲、ということにしてきました。
その禁欲から解き放されました。結果、色々な分野の研究に関わる著作を読むこと、私の場合は、近世のアジア経済史から始め、中南米のスペイン征服以前の歴史、人類の生成をめぐる歴史、地球生物の創生史といった分野の本を読むこととなりました。これらの分野での研究は、今世紀に転換する前後から、新たな展開を遂げ、日本の研究者もその一翼を担い、その成果が、今、数多く、数多くの分野で出てきています。1960年代までのこれらの分野についての読書による常識に縛られていた私にとっては、大変新鮮な分野です。
本格的な研究につなげるのではなく、入門書とその元となった研究書を、好きな形で読み漁る、これが楽しくてしょうがないのです。これを行うことで、この1年、特に年末については、昨年までと大きく異なる形で過ごしてきました。その中で、新年の挨拶を元旦までの準備することを、つい忘れてしまったのです。
今年も、昨年同様に、好きな本を乱読し、庭いじりをし、それなりに元気に過ごしたいと思っています。相変わらずの出不精で、なかなか多摩川を渡ることない1年に、またなることと思いますが。ただ、メール等でのやり取りは、積極的に行いたいと思っています。完全な引きこもりではなく、窓口をそれなりにあけ、交流をしながら、好きな本を読み、花々をいじり、出不精を貫徹するのではないかと思っています。
本年もよろしくお願いします。
2023年12月28日木曜日
12月28日 冬至を過ぎ健在、露地のサルビア
2023年11月24日金曜日
11月24日 松里公孝著『ウクライナ動乱』を読んで
松里公孝著『ウクライナ動乱 −ソ連解体から露ウ戦争まで』
(ちくま新書、2023年)を読んで、感じたこと、
旧ソ連の「非工業化」への示唆
渡辺幸男
目次
はじめに
第1章 ソ連末期から継続する社会変動
1 非工業化
2 分離紛争
3 安全保障
第2章 ユーロマイダン革命とその後
1 ユーロマイダン革命の見方
2 ウクライナ内政の地政学化
3 ユーマイダン革命
4 失敗した沈静化の試み
5 ユーロマイダン後のウクライナ政治
第3章 「クリミアの春」とその後
1 2009年以前のクリミア
2 マケドニア人支配下のクリミア(2009―2014年)
3 ユーロマイダン革命とクリミア
4 ロシア支配下のクリミア(2014―2022年)
第4章 ドンバス戦争
1 ドネツク州の起源
2 ソ連解体後のドネツク・エリートの苦闘
3 オレンジ革命と地域党恩顧体制の完成
4 ユーロマイダン革命とドンバス革命
5 平和でも戦争でもなく
第5章 ドネツク人民共和国
1 先行する分離運動
2 建国期の試練
3 2014年8月のドネツク(リアルタイム)
4 小康期の人民共和国(2015―2017年)
5 活動家群像
6 経済封鎖以後(2018―2022年)
第6章 ミンスク合意から露ウ戦争へ
1 分離紛争解決の五つの処方箋
2 ゼレンスキー政権の再征服政策
3 奇妙な宣戦布告
4 体制変更戦争
5 領土獲得戦争へ
終章 ウクライナ国家の統一と分裂
あとがき
ドンバス地方、ウクライナ東部地方の工業地帯、旧ソ連時代に炭鉱を軸に鉄鋼業等が栄えた工業地帯であり、ソ連解体後、旧ソ連時代の経済水準まで回復することができずにいるウクライナの中でも、特にその点が顕著な地域だそうである。このドンバスとクリミアとを中心に、ソ連解体以後の状況を著者自ら現地取材を行い、丁寧に追いかけている。そのことを踏まえ、クリミアとドンバスとが、キエフ中央政府の政変に従わず、独自の地域自立化への道を歩もうとし、それが中央政府との武力衝突となったと理解している。この問題はミンスク合意で一旦ある意味で沈静化したが、その合意は本来的な意味での解決ではなく、ウクライナ中央政府の側からの攻撃で、再度本格的な内乱となったと述べられている。
これまであまり我々に知られてこなかった、ウクライナのドンバスやクリミアの反乱側の人々の状況と動きを丁寧に追いかけ、それがロシア政府の働きかけによるというよりも、自立的な反中央政府の連邦化を目指した動きであることを明らかにしている著作である。この点については、当初、多少の違和感を覚えながら読み始めたが、読み進むうちに、一定の説得性を感じ始め、その論理の妥当性を理解し、興味深い著作と感じた。
しかし、同時に、そのような自生的、自立的な連邦化への動きを破壊したのが、ウクライナ中央政府であるとともに、何よりも、ロシアのプーチン大統領であることも、この著作の展開を通して強く感じた。クリミア併合を実現し、ドンバスの反中央政府勢力を支援したプーチン大統領は、2022年に一挙にウクライナ中央政府そのものの転覆、傀儡政権化を狙い、侵略を開始した。しかも、中央政府転覆が失敗したことで、ドンバスの反乱の位置付けが大きく変わった。このことで、ドンバスでの反乱が、ドンバス等のウクライナ東部と南部諸州を占領し、ウクライナ領土の多くを、クリミアに続くロシアによる占領と自己支配下への一方的編入のための戦争となった。
このような経過そのものは、本書を通して再確認できた。しかし、違和感を覚えたのは、プーチンの介入侵略が、他の旧ソ連諸国でのように非承認国の分離・樹立ではなく、ウクライナ政府の転覆、そしてその後のロシア併合となったこと、この事象の位置付けである。ドンバスの連邦化での自立化の動きは、その歴史的位置からの説明で、理解可能であるが、それをロシアが併合すること、これをどう位置付けるか、その点で本書の流れに違和感を感じた。
同時に、本書もそうであるのだが、旧ソ連時代に相対的に豊かな生活を実現した旧ソ連の工業地帯としてのドンバスであるが、それがソ連解体後に、どのような国際競争下での位置にあり、それがその地域の経済停滞にどうつながったのか、その分析はほとんど存在しない。この点について特に不満に感じられた。
炭坑から始まる垂直統合型の鉄鋼業が中心の産業地帯と述べられ、そこでの投資がソ連解体後十分でないことで、国際競争力で遅れをとったとの指摘はあるが、本当に投資量だけの問題なのであろうか。そうではなく、産業組織の在り方と国際競争との関係の問題ではないのか、このような疑問が生じるが、この点は全く議論されていない。旧ソ連のロシア内の工業地帯を見れば、当然、このような疑問が生じると思われるのであるが。
すなわち、ロシア全体での旧ソ連以来の工業の解体、私流に言えば「非工業化」と同様な経緯で、ドンバスの工業も衰退の道を歩んでいたのではないかと、私は思わずにはいられない。そのことをドンバスの住民は理解できず、ウクライナ政府の政策の結果の問題であり、ロシアと接近できれば、旧ソ連時代の相対的な繁栄を再現できると誤解しているのではないかと、感じられてならない。いずれにしても、この点に関連して不可欠な論点といえる工業地帯としてのドンバスの可能性と問題点についての分析は、本書には全く見られない。近年見る旧ソ連とロシア研究での物足りない第一の点が、ここにも存在している。旧ソ連工業の解体との関連で、旧工業地帯ドンバスの経済停滞を分析しないことにより、客観的な状況の把握に問題が生じていると言えよう。
旧ソ連の工業は、旧ソ連勢力圏内のみでのみ、その範囲内では(国際)競争力は存在していたのであるが、西側の諸資本等との競争に耐えうる競争力(工業生産性?)を保持していなかった、グローバルに見れば、非競争的先進工業であった。このような旧ソ連の工業企業が、中国のように独自の海外からの競争にさらされない巨大な低価格工業製品市場の形成を市場経済化の過程で実現できず、正面から西側工業と自国市場を巡り市場競争を行うこととなった。国際的な競争的環境の中で育ち生き残ってきた西側工業企業との競争は、旧ソ連工業企業にとって敗退以外の選択肢がないことになる。一部の軍事生産のようにロシア政府等の保護下で生き残ったり、天然資源の賦存状況に恵まれて生き残ったものもあるが、正面から国際市場での競争にさらされた工業分野は、ほぼ壊滅、というのが旧ソ連そしてロシアの「非工業化」である。ドンバス工業も例外ではないと思われる。
しかも、ロシアもそうだが、ウクライナも工業以外の分野に巨大な輸出産業を保持している。今回のロシア侵略下で問題になっている小麦等の穀物輸出の停滞とその国際市場への影響は、まさにこのウクライナの一次産品での強大な供給能力と国際競争力状況を反映していると言えよう。そのため、旧ソ連下に形成された工業地帯の本格的な国際競争力達成、それによる対外バランスの再構築を目指さなくとも、あるいは目指せなくとも、とりあえず、国民経済としての最低限のバランスは確保可能となると思われる。結果、旧ソ連下の工業地帯は、一層ソ連解体による市場喪失という被害を被り、工業生産活動そして経済活動が停滞縮小した地域となる。
旧ソ連経済下では旧ソ連経済圏内での有数の工業生産地域であったドンバス、それだからこそ、ソ連解体下における西側の工業資本との競争激化と競争での敗退の影響は、一層甚大なものとなる。しかも、このような状況についての情報が不足している地元の人々、旧ソ連経済下でウクライナ内での相対的な繁栄地域としての生活を享受した工業地帯の人々にとっては、自らの地域の経済的停滞についての状況認識、自覚が困難となり、さらには停滞の意味についての理解は一層困難になる。その結果、ロシアの工業地帯との連携が、旧ソ連経済下のように再現すれば、繁栄が蘇るかの如く誤解することになる。旧ソ連の工業活動状況を見れば、これが幻想であることは一目瞭然だが、希望的観測のもとでは、誤解の解消は困難といえよう。ウクライナの旧工業地帯ドンバス地方の人々の状況を、このように理解することは可能であろう。
それゆえにこその地域としての自立化志向とロシア工業地帯との再結合への期待ということとなろう。そこにプーチンの付け入る隙が生じたのであろう。プーチンのロシアの経済的成功、国民生活水準の回復上昇と見えるものの元は、ロシア内工業の壊滅状況を自国産の原油や天然ガスの開発採掘輸出によりカバーし、西側諸国からの工業製品輸入に依存する、一次産品輸出国としての成功を基にした、一定の国民生活水準の上昇に過ぎないのだが。
このように考えてくると、ウクライナ問題をドンバス地方の置かれた状況から考えるためには、旧ソ連圏内工業に共通するソ連解体が、経済活動、この場合は工業生産活動にあたえた経済的影響についての分析が不可欠となろう。しかし、残念ながら、この研究でも、その点の分析は皆無といえる。ソ連解体後の旧ソ連の工業の置かれた状況、国際競争状況とその結果の内容・意味の解明・確認こそが、今のウクライナそしてドンバス地方の可能性を考える意味でも、不可欠な研究課題だと思えるのだが。単なる統計的状況についての報告ではなく、工業を中心とした実態研究を踏まえたような実証的な産業分析は、今の旧ソ連経済圏については、少なくとも日本語文献では、ほぼ伝えられていない。断片的な研究成果を見る限り、このブログに掲載したいくつかの論考で再三言及してきたように、旧ソ連の流れを引く工業は、壊滅状況にあるようだが。
ダイナミックに発展する工業活動について、その発展の内容についての実態調査的研究は、それなりに取りつきやすいし、その状況を生で見ることも研究者に許されることが多い。しかし、解体し衰退しつつある経済活動を、現場にまで行って調査研究することは、多くの場合、当事者と政策担当者の拒絶反応にあい、大変難しいことは理解している。しかし、今のウクライナやロシアの経済を考え、今後の経済状況を展望する上には、一次産品を中心とした経済活動のみではなく、工業生産活動の実態、その問題点を解明することが不可欠と思われるのだが。
ここまで書いてから、この文章をブログにアップすることを考え始め、ブログの最初に、松里氏の著作の目次を書き始めた。そこで改めて、本書の第1章の1が、「非工業化」というタイトルであることを見出し、何故、上述のような理解に至ったのか、自らの思考への疑問を感じた。そのため、改めて当該部分を読み直すことにした。自らが「非工業化」という言葉を使って批判しながら、それに応える可能性のあるタイトルの節が、第1章の出だしに存在していることに、改めて気がついたのである。
松里氏によれば、1990年代初めのソ連解体により、旧ソ連国、特にロシアやウクライナの旧ソ連時代の工業地帯の「非工業化」が進展した、ということである。しかし、その理由は具体的に触れられず、たとえば、2017年のウクライナのクラマトルスク重機械工場での見学時の話として、アゾフ海での風力発電にドイツ系の企業が投資しているが、ポーランドに風力発電機を作らせ、アゾフ海に近接するウクライナのクラマトルスク重機械工場には、「技術を要さず付加価値の低いものを作らせ」ている、とし、当該工場の「技術者にとっては屈辱的な分業」と述べ、工場の敷地の中央に、風力発電機がどんと置いてあるが、それは技術者たちが「「私たちは簡単に作れる」ということをドイツ人に示威」(p.29・30)するためのものだと紹介している。
しかし、議論はそこで終わり、何故、設置場所近くで「作れる」工場があるのに、ドイツの投資家が、わざわざポーランドで作らせているのかの理由の分析どころか指摘さえ全くない。松里氏には当然なことなのかもしれないが。
旧ソ連の重工業企業の後身工場にとってものを作れることと、その工場が国際市場向けに経済的に競争力ある水準で作れることとは、全く別のことであるはずだが、両者が依然としてウクライナの国有企業の流れを汲む企業の工場担当者に混同されていることを、この紹介は如実に示している。このような意識こそ、その工場の国際競争力に関する大きな問題につながるはずなのだが、そのような指摘は全くないまま、話はそこで終わっている。それゆえ、なぜ、このような市場競争についての観念のないであろうこの企業が、2017年まで生き残れているのか、この点についての議論どころか指摘ももちろん全くない。
旧ソ連の重化学工業、いや製造業全体は、閉ざされた市場条件、旧ソ連経済圏内だけで通用する経済的競争力、生産できれば需要はついてくる状況での競争力しか持っていなかった。本格的な国際競争力とは無関係に、物的な生産能力それ自体だけで、製造業企業が再生産可能であり、仕事は回ってくる、といった発想である。その端的な表現として、2017年段階でも、ウクライナのクラマトルスク重機械工場の技術者の上記の発言を見ることができよう。このような企業が依然として存立していることこそ、市場経済化したウクライナ重工業の最大の問題性であり、中国の市場経済化のもとで簇生した民間工業企業と大きく異なる点である。
私が見てきた、中国計画経済下で自転車市場を寡占的に支配していた国有企業の1つである天津の飛鴿自行車の2000年代における姿を、まさに思いだすものである。ただし、中国自転車産業では、天津の国有企業である飛鴿は1990年代半ばに急激に衰退したが、そこからの技術者等を利用した新興私営企業が簇生、発展し、世界市場を寡占支配する中国自転車産業企業を生み出してはいるのであるが。
旧ソ連工業の「非工業化」という認識は、松里氏と私の間に共有されているが、その寄ってきたる所以の理解については、かなり異なっているのではないかとも想像される。しかし、残念ながら、松里氏のこの文献には、ロシアやウクライナの旧ソ連圏で「非工業化」をもたらしている理由、そして同じ計画経済下にあったにもかかわらず、中国については改革開放後「非工業化」せず、中国が西側諸国による経済制裁下でのロシアへの工業製品の重要な供給源となっていること、これを理解するための手がかりとしての指摘さえ一つとしてないと言える。
物を作れるということと、市場経済下で売れる物を作れるということは、根本的に異なることなのである。本書で紹介されている風力発電機だけではなく。ここにこそ、旧ソ連特にロシアやウクライナでの「非工業化」の根源があると、私は考える。もし、この点を象徴的に表現するために、クラマトルスク重機械工場が作った風力発電機に言及したのであれば、松里氏への私の誤解であると言えるが。いずれにしても、何故売れないのか、についての指摘がないので、このようなことをしつこく述べた次第である。
松里氏が繰り返しウクライナに実際に入り、聞き取り調査を行い、それを紹介してくださっていることは、大変貴重なことと言える。それだからこそ、そこから、旧ソ連のウクライナ国有大企業のスタッフの意識が具体的に見え、国際競争力を意識しないかのような姿も見えてきた。また、彼らのものづくりに対する認識、これを感じることができたのであるから、貴重な報告だと言える。同時に、これらの紹介は、私の旧ソ連工業の「非工業化」議論について、改めて裏付けを行ったとも言える。ソ連解体が生じ、西側の市場と一体化してから30年近くが経過した2017年でも、国有企業の技術者の感覚は、大きく変化しておらず、「作れる」ことと「売れる物を作れる」こととの混同が依然として存在しているようである。同時に、中国の飛鴿のような国有企業と異なり、ウクライナの国有企業は巨大企業として存立維持することが依然として可能であった、という事実も確認された。これらのことの持つ旧ソ連工業の問題性は大きなものであるといえる。
中国の国有企業のうち、国家によって市場独占を保証されず市場経済にさらされている部分は、大きく国有企業自体が換骨奪胎し本格的な営利企業へと転換するか、企業自体は崩壊し民営企業への人材移転が生じ、産業分野としては競争的な企業分野へと大きく転換した。しかし、旧ソ連では、それが生じずに消滅した部分と、転換しないにもかかわらず何らかの理由で生かされてきたクラマトルスク重機械工場のような企業とに分かれ、自国系企業による工業部門の国際競争力形成は、生じにくかった、ということを示唆していると言えよう。これこそ「非工業化」である。それでは、なぜ、そのような状況は生じたのであろうか。多くが撤退し、生き残っている企業も工業企業としての国際競争力を入手することなく、生き残れている、という状況は。これについての示唆は、本書には全くない。
第1章の1での「非工業化」とは、状況について事例を通しての紹介であり、その事例そのものは大変示唆的だが、それ以上の議論はない。残念である。
それゆえ、目次をこのブログに書く前に述べてきた議論について、改めて第1章の1「非工業」の節を読み直しても、読み直す以前に書いた文章を変更する必要性を感じなかった。
2023年11月4日土曜日
11月4日 元中小企業研究者の世迷言 後輩の産業集積実態調査研究を読んで
元中小企業研究者として改めて考えたこと(あるいは世迷言?)
後輩の産業集積実態調査研究を読んで
渡辺幸男
目次
はじめに
1、隔靴掻痒の想いの時代
2、実態調査への挑戦1 − 仲間取引の発見 −
3、実態調査への挑戦2
何故中小企業を語れるのか? −
4、まとめ −2つの「実態調査研究」からの発見とその実証的研究としての意味 –
あとがき
はじめに
私は、中小企業の実態調査研究を、研究者としての人生の大部分でおこなってきた。私の単著4冊は、いずれも実態調査研究と、それらを踏まえ論理的に昇華させた論考であると自負している。こんな私が、元研究者となり後輩の研究者の実態調査研究の成果を読んだ。その結果、かつての私の実態調査の方法について、今の時点からみたものを、具体的に、改めて述べたくなった。
1、隔靴掻痒の想いの時代
私の方法は、まずは現場に行き、各中小企業の経営的な行動を把握し、その行動のあり方を経済論理的に整合的な形で整理把握する。最も端的には、このように表現できる。
ただし、これを聴いても、聴いた方には、私が何を言いたいのか、わからないであろう。経済現象として中小企業の存立、その取引や企業内の経営のあり方を理解するということでは、一般的な実態調査研究ということができる。しかし、具体的な実態調査の多くが、少なくとも私が研究者になろうとした1970年代においては、経済学的にこれまで正しい理解とされていたことの裏付けを探し、その主張を実証するという形でなされていた。
たとえば、私が多くを学び、その大枠としての理論的立場や経済学的理解をその後活用した方法、マルクス経済学からの中小企業論の立場にたつ多くの中小企業研究は、被収奪者としての中小企業ということが大前提であり、収奪されていることによる問題性を担う存在としての中小企業に対し、どのように政策的に対応したら良いのか、という視点での実態調査が主流であった。それに対して1960年代後半以降、中村秀一郎氏や清成忠男氏がそのアンチテーゼを掲げ、前提として、中小企業も企業である限り企業一般としての存在であるとし、しかも小回りの効く等の独自な優位性をもつ企業という特徴のある企業として中小企業を位置付け直し、その視点からそのための裏付けとしての実態調査を行なっていた。
前提としての被収奪企業、あるいは自立的企業一般として小回りの効く等、独自な存在としての「中小」企業として、その存在を確認し、その問題性や小回り性等の優位性の具体的な表現を把握するためのものとして、中小企業の実態調査研究が展開されていた。
このような我が国中小企業に関する状況下で、私が最初に実証的研究として行なったのは、工業零細企業増加とその理由を工業統計等の既存統計から確認するということであった。この零細企業の増加という統計的現象(正確には零細事業所の増加)は、1960年代極めて顕著であり、その増加の理由の説明として問題性把握の視点から故瀧澤菊太郎氏が議論を行い、他方でそのアンチテーゼとして清成忠男氏が零細企業の独自性という視点から議論を展開していた。いずれも一般的な経済学的なものとして研究者本人が理解していた既存の理論ないしは議論を適用して、新たな現象を理解しようというものであった。
詳しくは、当時私が書いた論考(1)を参照してもらいたいが、この統計的現象を他の方の行った実態調査から示唆される事実等もふまえて解釈すると、両氏の議論とも、実態を踏まえない、ある意味抽象的な経済学的理解からの統計的現象の、ある意味一方的な解釈ではないか、という疑念が生じた。しかし、実際の零細企業の状況について、統計的事実しか知らなかった私にとって、両者の議論に疑問を感じるだけで、積極的な現象理解の論理を持つことはできなかった。ただ、既存の議論の当てはめによって経済現象を理解することの持つ危うさを感じるに終わったと言える。
2、実態調査への挑戦1 − 仲間取引の発見 −
この零細企業の増加の現象を、実態調査を踏まえて理解するための調査研究の機会は、調査当時慶應義塾大学商学部教授であった故佐藤芳雄氏が受託した東京都労働局の都内の「家内労働調査」プロジェクトに、院生の調査員として参加したことから得られた。私がその中で選択した調査対象(当時は、大学院生が先輩教授の受託した調査の中で自らの希望で調査対象を決めることが可能であった。少なくとも我々が「佐藤マフィア」と呼んでいた故佐藤芳雄教授の下では)は、統計調査で顕著に零細企業が増加していたことが確認されていた東京城南地域と城東地域の機械金属関連零細企業(夫婦2名からなる一種の家内労働とも言える存在)群と、それらの企業への発注中小企業であった。一夏の聞き取り調査で、城東・城南地域において、これらの企業、50企業前後について訪問調査した。
研究者(の卵)としての最初の本格的な訪問聴き取り調査であり、それまでの経験としては学生時代のゼミとしての共同研究での企業訪問調査の経験しかなかった私は、基本的な質問項目の調査票を作成し、それをもとに各企業で1〜2時間程度の半構造的聴き取り調査を行った。ただ、当時から、質問事項にイエス・ノーや数字のみで答えていただくのではなく、被調査者の意見や感想を含め、質問事項に対する具体的な状況の紹介や特定の行動をおこなった理由の説明を行っていただくように積極的に努め、それをノートした。
この実態調査から見えてきたことは、ごく単純化して言えば、2つの点であった。1つは、故瀧澤菊太郎氏が零細企業増加の論理として主張した自営業者としての零細企業主が長時間可能であるが故の増加と単純に言えないことであった。そして、何よりも重要なのは、京浜地域の特定加工に専門化した機械金属零細企業の受注工賃が、我々の調査の少し前に故池田正孝氏たちの中央大学の研究グループによって調査された日立地域の中小企業で同じような加工を日立製作所関連から受注している中小企業より、5割くらい高かった事実である。日立の郊外地域で外注すれば極めて安く外注可能であるのに、わざわざ5割も高い工賃で京浜地域の零細企業は受注可能であった。何故であろうか。
少なくとも故瀧澤氏が主張したような長時間労働ゆえに大都市の加工下請零細企業が増加したとは言えないことは明らかになった。清成氏の主張のようにこれらの零細企業が日立の同じ加工をする中小企業より物的生産性が高いゆえなのであろうか。この点は池田氏等の調査報告を読み、池田氏ご本人等から話を伺って、両者を比較した限り、京浜地域の加工零細企業が特別な生産性の高い加工技術を保有しているのではなく、技術的には基本的に同じであり、使用している機械については日立地域の中小企業の方が新しい機械である可能性が高いという結果となった。清成氏が当時主張されていた「生産性が高い」から零細企業が増加している、ということは、少なくとも京浜地域の機械金属零細企業については当てはまらないということになる。
同時に、聴き取り対象となった零細企業経営者のうち、城南地域で当時創業して間もなかった若い方に聴き取りを行った時に、その方が地元生まれで京浜の代表的巨大企業の常勤の工員として勤務していたが、自営での経営がしたいが故に機械加工零細企業を開業した、という事例に遭遇した。その方の話を聞く限り、零細企業経営は経営として、また働く場として魅力があり、その方にとっては、巨大企業常勤工員の地位を捨てるだけの価値があるものだということであった。
このような事例から示唆されるのは、今から見れば当然のことであるが、それまでの我々の立場の研究者の多くに支持されていた零細企業を自営業として開業するのは、他に、特に大企業に常勤の就業の場を得られないから、すなわち「窮迫的自立」だということではないということである。失業するよりマシだから半失業的な存在として開業する、といった認識(これが相対的過剰人口としての自営業主と言う認識である)が、当時の京浜地域の機械加工零細企業には当てはまらないことも明白であった。
となると次の疑問は、なぜ、もっと安い工賃で受注し機械としてはより新しい機械を使っている日立地域の企業に代表されるように、京浜地域の大企業や中小企業が外注先として、当時の状況から見れば、相対的に顕著に低賃金な北関東や南東北の加工中小企業を外注利用しないのかが、問題となる。工賃が5割ほど高い京浜地域の加工零細企業への発注が、何故存在するのか、という疑問である。技術的な加工工程そのものの内容水準等の比較を通しては、工賃の差の存在理由を理解することは全く不可能であった。
故瀧澤氏がいうように小企業並みの安い工賃でかつ残業等の長時間労働が可能だからではなく、清成氏が言うように技術的に生産性が高いからでもない。長時間労働が可能な零細企業を利用すると言うならば、より工賃が安い大都市以外の零細企業に外注すれば良いことになる。それゆえ、それらと異なる理由で京浜地域の零細企業は相対的高工賃で受注可能であることを説明する必要が生まれた。これまでの学術的常識からの推論と言える、単純な長時間労働や技術的な水準の高さではない理由の存在の模索が必要となる。
それまでの議論では全く言及されてこなかった理由で、京浜地域の機械加工零細企業は相対的に高い受注工賃を実現し、その数を増やしていたと言うことになる。この理由こそ、京浜地域の機械金属工業のあり方との関連で、増加する京浜地域の機械加工零細企業の存立基盤として、改めて解明され論理的に説明される必要がある点である。しかし、この点については、1970年代半ばの、私が調査を開始した時点では、誰も問題とせず、解明する課題とさえなっていなかった。
それゆえ、当時の私に必要であったことは、東京の城南・城東地域の機械金属工業零細企業の仕事内容の独自性を改めて検討することであった。すなわち単なる技術的な先進性ではなく、京浜地域の機械加工零細企業にとって、より高い工賃での受注を可能とする独自性を、実態調査から新たに明らかにする必要があった。
この点を考えていく過程で、更なる京浜地域の機械金属加工零細企業の聴き取り調査を通して浮かんできたのは、これらの零細企業の受発注関係の独自性であった。生産技術それ自体の独自性というより、受注内容の独自性があり、それが受発注関係の独自性と重なり、京浜地域の機械金属加工業零細企業の生産体制の独自のあり方が形成された。その結果が、相対的に高い受注工賃の実現へとつながったことが見えてきたのである。
すなわち、当時の京浜地域の機械金属加工業零細企業の受注先として、高度成長期のように京浜地域の量産型機械金属製品生産企業の末端の下請企業として、量産製品の生産の一部を担うということは不可能となっていた。これらの量産型機械金属製品生産工場の多くは京浜地域外へと移転し、その外注需要、少なくとも量産機械の部品等の量産的加工、量が多いだけではなく安定的な発注量が、個別企業として失敗しなければ保証されるような部分、その圧倒的部分が、京浜地域外の企業に発注されることとなっていた。
他方で、京浜地域では、量産型の機械金属製品の生産工場は激減していたが、産業用機械等に多く見られるような多品種少量生産製品の工場や、量産機械関連でもその試作のための開発拠点といった事業所が、多数派を占め存在するようになっていた。そのような発注は、個々の発注で見た場合、量が少ないだけでなく、発注量や発注時期も安定しない。そのような不安定な小ロットサイズの機械金属製品の部品や部分加工についての外注需要は、全体としては、依然として多く存在していた。しかも、産業機械の生産や試作開発の一層の活発化により、その種の需要も拡大していた。それゆえ、そのような需要に対応する小零細企業の存立基盤も全体としては拡大していた。
このような需要に対応する際に重要なのは、小ロットサイズの注文をあえて積極的に受注することとともに、発注量の不安定性や発注内容の変動に対応できる生産体制を構築することであった。しかし、単独の小零細企業が企業内で加工可能なのは、小ロットサイズの狭い幅の当該企業が専門化した特定加工だけである。しかし、試作や少量生産の産業機械の部品加工は、その発注が不安定なだけではなく、その発注のたびに必要とされる加工内容が変化するような需要である。
それに対して個別の零細企業は狭い範囲の少量の加工しかできないが、京浜地域には極めて多くかつ多様な加工分野の零細企業が、歴史的経過により密集して存立していた。それらがかつてはその受注の中心をより大きな中小企業からの量産機械等を含めた多様なロットサイズで受発注の安定性もさまざまな加工発注の半端な部分を、産業機械や試作の部品加工とともに受注していた。その限りで特定の中小企業群に依存し、その末端の加工専門零細企業として存立可能であった。
しかし、その発注者としての量産型の機械部品の加工を行う中小企業が域内に存在しなくなり、多様な多数の加工に専門化した零細企業そして小企業が、層として残された。他方で不安定な小ロットサイズの変化変動の激しい需要は、小ロット生産の産業機械の生産や多様な機械の試作等の拡大で全体としては絶対的にも拡大していた。その過程で、結果的に形成されたのが、零細企業群と小規模企業群の多数の多様な加工専門化企業の仲間取引を通しての横のつながりにより、層として変化変動の激しい需要に対応するという仕組みである。
その内容は、多様な加工に専門化した小零細企業が、それぞれの専門化分野、得意とする分野を認識し、多様な加工内容を含む小ロットサイズの部品の加工を、ある企業が窓口となり受注し、必要に応じて「仲間」と彼らが呼んでいる同規模の小零細企業に双方向で受発注関係を作り、迅速に、かつ発注側が要求するレベルで納期がない変化や変動の激しい小ロットサイズの加工需要に対応するというものである。
ここで重要な点となるのが、「仲間」の意味である。同業加工の企業の場合も、異種加工の企業の場合もあるが、何れにしても「仲間」について、その「仲間」を持っている企業は、業種の性格や技能水準等を熟知しており、受注した加工で、他企業に任せる場合に、どの程度信頼に足るか、十分の判断ができるような状況になっていたということである。また、既存の「仲間」の範囲で必要な信頼できる加工企業が見つからない場合は、「仲間」の伝手を頼って、「仲間」の「仲間」という形で、信頼できる当該加工に適合した企業に発注することができるのである。
この「仲間」は、経営者がかつて勤めていた当時に同じ中小企業に勤め、そこから独立した企業同士の場合もあれば、近所の飲み屋での飲み仲間で互いの仕事内容を知り、信頼関係を築いたような人々同士を含むものであった。しかも、多くの場合、「仲間」同士はすでに双方向で仕事のやりとりを何回も行っており、十分信頼できる取引関係を形成しているものであった。また「仲間」の紹介であれば、信頼できる「仲間」の紹介ということで、新たな信頼関係を築く可能性が高いことになる。このようにして取引の必要に応じて「仲間」が増えたり、その範囲が変化したりしながら、各自が「仲間」を持ち、そのつながりを通して、迅速に必要な加工を実現し、発注側の要望に応える、ということになる。
それゆえ、試作や小ロットの産業機械の部品加工を発注するメーカーや部品企業の側からすれば、信頼できる小零細企業を窓口として見つければ、あとはその企業に任せれば、必要な小ロットサイズの不安定な部品の加工が完成することになる。すなわち、小ロットサイズで繰り返し性がなく多様な加工を含む加工、その意味で一回ごとに段取りを考える必要があるような極めて面倒な発注でも、受注窓口となる企業が関連加工の専門家たる小零細企業を手配することで、発注側企業が個別の加工ごとについて必要な発注先企業を探す必要がないことになる。しかも重要なのは、小零細企業に2次的な発注を任せても、それでも、必要とする加工内容と水準の部品加工を求める期日までに実現できる、というきわめて発注側企業にとって都合のよい使い勝手の良い生産システムが構築されたことである。
「仲間取引」による変動の激しい小ロットの部品加工について、加工水準が高いことを保証された生産体制の形成である。これが、層としての京浜地域の特定加工に専門化した企業層、数千の事業所の存在によって、可能となったのである。
受注する側の小零細企業層にとっても、全体として大量の発注量が存在すること、それを「仲間取引」を媒介として、結果的に事実上層として受注することにより、安定的かつ拡大する受注の場として、層として対応することが可能となったのである。小零細企業の層としての存立が、個別にみれば変化や変動の激しい部品の面倒な手間暇のかかる加工仕事の受注に依存しても、十分可能となったのである。
しかも、1970年代から1980年代にかけては、このような需要に層として量的に対応可能な産業集積は、海外生産化が進行していなかったこともあり、東大阪等にもなく、京浜地域にしか存在していなかった。そのため、京浜地域に形成された上記のような不安定な需要のみでなく、関東を中心とした周辺地域に存立する機械メーカー等からも、変動の激しい小ロット加工で迅速な柔軟な対応を求められるような需要が、京浜地域に集まってくることとなった。層としての受注範囲が、一層広域化し、相対的に高い受注工賃も実現できたといえる。
このような結論に至ったであるが、これはあくまでも実態を見ての論理化であるといえる。同じような機械を使っていて特別な加工を担うわけでもない京浜地域の小零細企業が、かつての発注側企業の多くが域外に転出したにもかかわらず、それらの企業が転出した先と思われる地域での発注工賃よりもかなり高い受注工賃で受注できているのはなぜか、という疑問がまず生じた。その事態を加工技術それ自体の差異からは考えられない中、受発注関係の特異性に注目した。その受発注関係は、小ロットと言うばかりではなく、極めて不安定な受発注であるという特徴があった。また、その発注元の多くは、かつて主流をなしていたような量産型機械完成メーカーからのものではなく、小ロット生産の産業機械メーカーや試作工場であった。
さらに小零細企業の取引関係が、受注者として加工を行うのみならず、同じ規模の加工業者、同じ加工の業者と異なる加工に専門化した業者の双方に外注し、同時にそれらの外注先からも受注しているという、これまでの下請取引関係では想定されておらず理解できないような現象にぶつかった。双方向の取引関係が日常的に行われるのはなぜか。その答えは、それぞれの小零細企業者が、多様な加工を含めた仕事の受注窓口になりうるという状況の存在が確認されたことで見えてきた。双方向での受発注のネットワークの存在である。
これらの状況が整合的に成り立つために必要な状況とは、どのような状況であろうか。それを追求していく中で、「仲間取引」という発想が生まれた。もちろん、小零細企業経営者から聞き取りする際に、頻繁に「仲間」という言葉出てきたし、その「仲間」は、一方的な受発注関係にある下請企業ではなく、発注することも受注することもある双方向での取引関係を持ちうる信頼できる同業者すなわち「仲間」であった。そのような状況が何を意味しているのか、そこから考えた答えが、上記なような取引関係の解釈であった。
京浜地域の中での取引のみを見ていると、このような取引関係のもつ独自性が、よく見えてこないのであるが、私にとっては、この取引関係の存在についての理解の妥当性を裏付ける、地域外の企業の情報をのちに得て、この理解、解釈の妥当性を一層強く感じた次第である。すなわち、電気機械製品や部品の組み立てラインを受注生産する長野県諏訪地域の中堅企業が、地元で多数の下請中小企業を利用しラインの開発生産をしているにもかかわらず、納期のない生産については東京城東地域の零細企業群に、より高い発注工賃にもかかわらず発注しているという聴き取り結果を得た。
この企業によれば、諏訪の外注先業は、安定的な発注については確実に、相対的に安価な発注工賃で受注し生産できるが、変化の激しい発注には柔軟に対応できない。また、自ら発注者ともなり、自社できない加工を含めた多様な加工を含む生産のまとめ役にもなれないし、なろうとしない。そのような面倒なことをしなくとも、十分仕事があるゆえに。
それに対して東京の城東地域の加工企業は、受注企業は小零細企業であるが、一社に急ぎの複雑な発注内容の部品の生産を発注しても、再外注をうまく使うことで、急な仕事に柔軟に対応し、納期までに必要な部品を生産し納品することができると述べていた。そのため、その企業は、地元で同様な加工を発注する場合と比べて、3割ほど高い発注工賃で城東地域の小零細企業に必要に応じて発注していた。さらには、そのために川口に拠点工場を置くほどであった。
この事例は、私の解釈が間違っていなかったことを、改めて地域外の企業の京浜地域の利用のあり方の例を通して、裏付けていると言えよう。
私が観察した事態、「仲間取引」を活用した双方向の受発注による、不安定な不規則な受注内容への対応を、迅速に行う小零細企業層の形成といった状況の持つ合理性、ないしは京浜地域機械金属加工小零細企業の当時の独自の存立形態に注目した。その結果、相対的に高い受注工賃を、他地域の企業と同じような加工技術を使用しながら実現し、同時に層として大量な受注を実現することで、個別に不安定な受注を層全体としてみれば、相対的に安定した受注へと転換することに成功した。結果的にではあるが。このように理解されたのである。
層全体としてみれば、個別の技術として独自な加工技術を持たない、相互に取引関係を実現した小零細企業集団が、他の地域に存在しない柔軟な受注対応能力を持ち、他の地域の下請加工企業が面倒であるがゆえに手を出したがらないような需要を、広域的に集め、層としての再生産し、相対的に高い受注工賃を実現したといえる。その結果、大企業工員の独立による自営業開業のような形態を含め開業が増加し、小零細機械金属加工業が層として拡大した。そのことも、60年代後半以降の日本全体の機械金属工業零細企業として見た時の工場数の増大の一面を説明すると言えよう。
実際に増加した零細企業の存立実態を見たことで、零細企業層の増大の一面を解明することができた。それは故瀧澤氏が主張された理由や清成氏が主張された理由とは大きく異なるものである。もちろん、この京浜地域に機械金属加工業での零細企業の増加が、全国統計に現れた零細事業所数の拡大の多くの部分を説明するものではない。増大の一部を説明するにすぎない。
言いたいことは、実態を踏まえ、その論理を追求することで、抽象的な既存理論の当てはめによる説明ではなく、実態の動きを説明することの重要性である。面倒で、手間暇のかかる方法ともいえるが、このような実態理解によってこそ、その存在の存立根拠(群)が明らかになり、変化のもつ経済的な意味や政策的含意も明白になるといえる。この場合は、地域や産業により異なる多様な要因が存在し、それが結果的に零細企業層全体の製造業での増加となった、ということであるが。
実態調査を踏まえず、さらには実態調査から帰納的な経済論理的含意の抽出することなく、既存の経済理論の当てはめで経済的な新しい現象を解釈する、「実証的研究」の危うさを示すものともいえる。
3、実態調査への挑戦2
− 完成品大手企業から社会的分業構造としての生産構造を見て、
何故中小企業を語れるのか? −
乗用車がどのように生産されるか、社会的分業構造からこれを端的に表現するのが、いわゆる「ピラミッド型の生産構造」である。
完成車メーカーとしての巨大企業がピラミッドの頂点に存在し、その一次下請としての大手完成部品メーカーが存在し、完成車メーカーに部品を供給している。その完成部品メーカーへのサプライヤとして中堅企業や中小企業が存在し、さらに3次や4次の下請企業層までが、完成車の生産に関わっていることを表現するのが、いわゆる「ピラミッド型の生産構造」であろう。社会的分業について完成車を生産する大手企業の側から見たものといえる。底辺を構成する3次・4次の下請中小企業は、あくまでも完成車を生産するための末端下請企業と位置付けられる。
3次・4次の下請中小企業が、どのように再生産しているのか、その点についての把握は、このピラミッド型の社会的分業構造表現からは読み取れない。そもそも、このピラミッド型の社会的分業構造が乗用車生産の生産体系を示すとされているが、特定の企業の生産体系を示すものか、それとも業種としての完成車生産企業群の分業体制を示すものなのか、この点も曖昧である。しかし、トヨタ自動車ならトヨタ自動車を通して、社会的分業をとしての生産体系を端的に表現するとしたら、このようなピラミッド型の生産体制となろう。
ある時代の中小企業白書は、中小企業を位置付けるために、明白にこのピラミッド型の生産構造を特定企業の生産体系として使用していた。これで表現されているのは、特定の企業の乗用車の生産が多層的な社会的分業構造で成り立っているということである。それぞれの層を形成する企業群が、どのような形で再生産しているかは、全くそこからは見えてこない。その意味でこの図は中小企業研究のための中小企業の存立を表現する図としては、非常に限定的なことしか表現できていない。中小企業が完成車の生産の一部の部品の生産に間接的な形だが関わっている、ということだけが表現されている。その関わっている中小企業は、どのように再生産し、存立しているかは全く見えない。それにもかかわらず、これが乗用車生産に関わっている中小企業の存立形態だと流布されていた。
「上から目線」の調査とでもいうべきであろうか。中小企業目線、中小企業の存立実態を踏まえた実態調査の結果でないことだけは、確かなことであろう。
乗用車生産に係る下請中小企業を含め、機械金属工業関連の中小企業の存立について、この完成品生産大手企業の視点からの社会的分業図が横行していた。中小企業の存立再生産を踏まえて政策的議論を展開するはずの「中小企業白書」でさえ、このような視点からの研究がもっぱら行われていた。しかし、私自身は完成品生産大企業の視点から下請中小企業を見ることから始めたのではない。すなわち、完成品大手企業の下請関係を辿って下請中小企業に辿り着いたのではなく、京浜地域に存立する中小零細企業それ自体にアプローチし、そこから下請中小企業も含めた、その存立と再生産の論理を追究する形で研究を始めた。
先達たちの下請中小企業研究は、下請をおこなっている中小企業それ自体の存立と再生産を見るというより、その問題意識から、完成品大企業によって収奪されている中小企業、という視点からの観察が第一にきている場合が多かった。もちろんそれと異なる視点からの実態調査研究も多く存在し、その研究成果で私自身も大いに学ばせてもらったのであるが。企業城下町として見る見方や、下請協力会のあり方を見ていくなど、これらの見方の多くは、中核的存在として、特定の大企業完成品メーカーの存在を想定し、それをめぐる下請関係の中に中小企業を位置づけ、その存立論理を考えるというものであった。
私の場合は、それらの見方と異なり、先にも指摘したように、本格的実態調査を、東京の京浜地域の機械金属小零細企業の存立実態それ自体を、「家内労働」調査の一環として行うことから始めた。そのため、基本的に、特定の完成品大企業をめぐる下請分業構造の検討という視点での実態調査は、私にとっては機械金属中小零細企業の実態調査の中で中核的存在とはならなかった。まずは、そこに存立する受注型生産を行う機械金属関連の中小零細企業そしてその層が、どのような仕事を受注し、自らを再生産し、拡大しているのかが、関心事となった。そこから見えてきたのは、企業城下町等での下請分業構造の研究では見逃されてきた、中小零細企業の存立の形態ないし再生産の多様なあり方であった。
元々、統計的調査によっても、専属的下請中小企業は、製造業中小企業の3分の1にとどまり、残りの半分は特定企業に依存しない下請中小企業であり、残りは下請的生産に依存しない中小企業である。もちろん機械金属中小企業では、相対的に専属的下請企業の比率が高いが、マジョリティではないと言えそうである。
機械金属中小零細企業の存立・再生産から見たとき、特に大都市東京の1970年代後半以降の、私が実態調査を行い始めた時期以降のそれを見たとき、特定企業に専属的な下請企業は中小零細企業の少数派であると感じた。特にそれが明白に言えたのは、零細企業であった。零細企業は規模が小さいだけに特定企業に依存しがちかのように思えるが、実態としては、その多くが特定企業からの需要に依存するというより、京浜地域の半端な変化の激しい受注仕事に依存し、統計的に見るならば、受注先を多様化している企業と見ることができる存在であった。
このような現状を踏まえたとき、機械金属関連中小企業の存立形態を、特定大企業に依存する下請中小企業という形態に代表させて理解することが妥当か、という点が問われることになる。これまでの機械金属関連中小零細企業についての議論は、往往にして特定大企業に依存する下請中小零細企業をもって、その代表的存立形態とされがちであった。巨大完成機械メーカーから見れば、多くの中小零細企業は、その企業にとっての2次・3次あるいは4次の下請企業であり、その大企業の存立そして再生産とともに存立が可能となっていると理解されがちであった。親企業と呼ばれた特定大企業の成長とともに、下請中小企業も順調にいけば拡大する。こんな姿である。
しかし、京浜地域の1970年代後半以降の機械金属関連中小零細企業を見ていくと、その存立形態は極めて多様であり、自立的な下請企業、独自生産技術保有下請企業、そして自社製品企業も多く見られた。同時に特定大企業の下請として安定的に受注を確保できないような下請中小企業、私はこれを浮動的下請中小企業と呼んだのであるが、それらも存在し、機械金属中小零細企業の存立形態は、極めて多様であった。従来の議論は、その多様性を否定し、機械金属中小零細企業の存立形態の一部のみをもって、その存立の形態を代表させていると理解された。
このような理解に至る理由は、ある意味簡単である。中小企業をピラミッド構造の下部を形成する企業群であるともっぱら見るならば、このような理解に至ってしまう。「上から目線」による一面的理解の典型といえる。当然のことであるが、機械金属中小零細企業の存立を「ピラミッド型」の社会的分業構造を通してこれを見るならば、そのようにしか見えてこない。が、産業集積としての機械金属産業を見るならば、全く見え方が異なるのである。ここにも、ピラミッド型の下請分業構造を通して、機械金属中小零細企業の存立を見る見方の問題性が出ている。
一度「ピラミッド型社会的分業構造」の上から目線を離れ、機械金属中小零細企業層の存立そのものの実態研究から、機械金属中小零細企業の存立形態等を見直すことが、決定的に重要になると言える。
中小企業の側から下請分業構造を見ることだけでも、いくつか新たな関係把握が可能となった。同じように大企業から部品や部分工程を下請受注している中小企業であっても、中小企業側から見ると、大企業との受発注をめぐる関係は多様であった。例外的な存在であるが、中には、受注する中小企業の側が独自な生産技術を持ち、すでに下請協力会が形成されているような大企業の完成部品メーカーに、その生産技術を高く評価され、新たなサプライヤーとして採用された事例も存在する。当然であるが、より優れた生産技術、部品生産大企業が社内でできない生産技術を外注利用できれば、それを利用した方が部品メーカー相互の競争上、有利になることは当然であり、そのような下請企業を積極的に取り込もうとすることになる。
このような企業は少数派だが、私自身も実際にそのような事例について乗用車生産をめぐる受発注取引でも幾つか目にしている。もちろん、この場合、受注側中小企業は、特定企業に本来的な意味で専属的になることはないし、従属的関係、すなわち資本所有無しでの発注元企業からの自社経営への介入を甘受することの必要性もない。しかし、有力な発注元大企業に対しては、優先的な扱いをする、というようなことは存在した。主体的に、有力企業を受注開拓できるということである。
また下請中小企業であり、特定発注側大企業からの場合については経営内への介入も甘受する従属的取引関係を形成しながら、そこで得た生産技術水準の高さを活かし、それ以外の大企業を含めた取引先に対しては、従属することなく、自立的な取引関係を形成している企業も多く存在している。これらは系列下請企業と呼ばれている中小企業でもあるが、このような関係については、発注側企業からだけ見るピラミッド的な見方では、把握できないことであると言える。
ピラミッド型の下請分業構造ではなく、それを概念図としてどのように描くかが、この際の、私自身にとっての課題となった。上記したような機械金属関連中小企業の存立形態を踏まえ、それを概念図的に「ピラミッド型分業構造」に対するアンチテーゼとして提示する図の必要性である。中小零細企業の側からの社会的分業の姿も把握できるような概念図が必要となった。
その概念図で必ず表現されなければならいことは、まずは機械金属関連中小零細企業については、その多くが特定の完成品のみに関わることに限定されているのではなく、あるいは大きく業務内容を変更せずに、多様な機器金属の完成品に繋がる完成品や完成部品メーカーと取引可能な存在だということである。すなわち、機械金属関連中小零細企業の多くが、特定製品の完成部品を生産するというより、特定の加工に専門化し、その加工が使用される完成部品の部品を受注しているという専門化の方向性を、分業構造図に盛り込むことである。機械金属関連中小零細企業の多くは、幅広い機械金属製品製造業の、いわば基盤産業あるいは底辺産業として、機械金属産業全体にとって、まずは存在し、個別企業は、それぞれその状況に応じて、それぞれの時点では、結果的に特定の完成品関連や複数の完成品関連の生産に関わっているに過ぎないのである。
また、この完成品の中には、当然のことながら機械金属関連の完成品中小企業も含まれている。また、東京の城東地域の機械金属関連小零細企業に見られるように、金属関連であれば、機械の部品の加工も、金属製玩具の部品の加工も行うような企業も存在している。それぞれの精度水準等の加工上の対応可能性の問題はあるとしても、加工内容としては、同様な技術内容のものであり、近年の玩具の精度の向上等から、機械と玩具の部品の加工水準の差異も小さいものとなり、これまで主要にどちらの完成部品の加工を行っていたかに変わりなく、いずれの加工専門化企業が相互に乗り入れ可能となっている。このような状況を概念図上に明示する必要も存在する。
何れにしても、中小零細企業、特に機械金属の特定の加工に専門化している企業からみれば、完成品がどのような機能を持つ製品、乗用車か、工作機械の旋盤か、船か、あるいはガンダムのような玩具か、そのような差異よりも、どのような加工をどのようなレベルでどれだけのロットサイズで必要されるか、そして受注工賃の水準がいくらで発注されるか、そしてその注文の繰り返し性の状況はどのようなものか、これらのことこそ重要なのである。これらの点で当該企業にとって競争優位を実現でき、より経営上の高い成果を期待できる分野の製品の加工受注を目指すことになる。
その結果年絵生まれた機械(金属)工業の社会的分業の概念図が、私の言う所の「機械工業の山脈構造型社会的分業構造概念図」である。上に言及した全てをうまく入れ込めなかったが、特に完成品機械中小零細企業の存在を明示できなかったが、かなりの程度で、上から目線の分業構造図を訂正できたのではないかと依然として自負している。
4、まとめ
− 2つの「実態調査研究」からの発見とその実証的研究としての意味 −
以上のように、私の実態調査研究は、調査対象に直接接することで、その存在、経済的存在意味をその存在に則して発見し、その存在の再生産の論理を発見し、経済学的意味を解明することにあった。
実証研究の多くは、統計的事実や事例的事実を確認することで、既存の経済的論理、既存の再生産の経済的論理を事実で裏づけ、証明することを目指すものといえる。それに対して、私が目指した実態調査研究は、結果的にみればではあるが、このような意味での実証研究ではなく、経済的存在論理の発見、経済的存在についての経済的再生産の論理の発見であったといえる。それまで、経済的な意味で、その存在論理が解明されていなかった経済的存在、その存在の存在論理を解明することを結果的に目指したといえる。
既存の経済理論で解釈することが可能なことを調査で裏付けるのではなく、まだ明らかでないその経済的存在の経済的再生産の論理を発見するための実態調査研究なのである。
このような方法からみると、中小企業の存在について、興味深い事実を確認する、あるいはできたということは、それをどのような経済的論理として説明するか、という次の課題を設定することになる。経済学的な研究としては。もちろん経営学的にも、そのような存在を論理的に説明することが必要となろうが、その場合は、その土俵が経済学的なものとは異なることになる。
繰り返しになるが、言いたいことは、興味深い事実を、既存の理論や論理のどれかに当てはめて解釈し理解するかではない、あるいはするべきではない、ということである。興味深い事実が、興味深いのは、新たな経済学的(あるいは経営学的)論理が含意されている可能性が存在するからだと、いうのが私の理解であり、そのゆえに興味深いのである。それゆえ、その興味深い事実をもとに、それを説明する論理自体を経済学的(あるいは経営学的)に探究する、これが実態調査研究の醍醐味である。そこでの発見は、少なくとも、私にとっては、論理の発見から40年以上経っても、色褪せない存在である。
あとがき
私よりもかなり若い、共に調査をしたことのある研究者の方の最近の興味深い実態調査結果を拝見し、その実態調査結果をぜひ活かしてもらいたいと考え、こんな年寄りの世迷言を書いた。以前にこのブログに書いたことと、かなり重なる内容となっているということも自覚している。でも書きたくなった。
しつこいのであるが、実態調査研究は、既存の経済学的(あるいは経営学的)論理の裏づけのためだけに存在しているのではない。そこから新たな経済学的(経営学的)論理の、それなりのレヴェルでの構築のために行われうるのであり、是非、そのような調査研究の発展を実現して欲しいのである。興味深い事実の発見は、そのような作業の第一歩である。自身による独自な経済学的論理発見の入り口に立ったのである。それを是非無駄にせず、活かして欲しい。
年寄りの世迷言と自覚はしているが、何かの参考にしていただければ、これに越したことはないといえる。
注
(1) 渡辺幸男、1974年、「零細規模経営増加についての分析」
『三田学会雑誌』67巻10号
補足:なお、私が書いた論考について多少なりとも関心のある方がおられたなら、私の書いたものの一覧は、このブログの中で、2019年にアップしてある。その稿を参考にしていただければと思う。
2023年10月22日日曜日
10月22日 秋深まる我が家のエントランス
猛暑に耐え、深まる秋を迎えた我が家のサルビア、
改めて、サルビアの朱色が艶やかに。
10月も下旬となり、秋らしい気温となりました。
今日の二宮の我が家は朝10度以下になり、
まさに秋です。
これから霜が降りる12月末まで、秋の花々を大いに楽しみます。










