2023年11月4日土曜日

11月4日 元中小企業研究者の世迷言 後輩の産業集積実態調査研究を読んで

 元中小企業研究者として改めて考えたこと(あるいは世迷言?)

後輩の産業集積実態調査研究を読んで

渡辺幸男

目次

はじめに

1、隔靴掻痒の想いの時代

2、実態調査への挑戦1 − 仲間取引の発見 −

3、実態調査への挑戦2  完成品大手企業から社会的分業構造としての生産構造を見て、 

何故中小企業を語れるのか? −

4、まとめ 2つの「実態調査研究」からの発見とその実証的研究としての意味 

あとがき

 

はじめに

 私は、中小企業の実態調査研究を、研究者としての人生の大部分でおこなってきた。私の単著4冊は、いずれも実態調査研究と、それらを踏まえ論理的に昇華させた論考であると自負している。こんな私が、元研究者となり後輩の研究者の実態調査研究の成果を読んだ。その結果、かつての私の実態調査の方法について、今の時点からみたものを、具体的に、改めて述べたくなった。

 

1、隔靴掻痒の想いの時代

 私の方法は、まずは現場に行き、各中小企業の経営的な行動を把握し、その行動のあり方を経済論理的に整合的な形で整理把握する。最も端的には、このように表現できる。

 ただし、これを聴いても、聴いた方には、私が何を言いたいのか、わからないであろう。経済現象として中小企業の存立、その取引や企業内の経営のあり方を理解するということでは、一般的な実態調査研究ということができる。しかし、具体的な実態調査の多くが、少なくとも私が研究者になろうとした1970年代においては、経済学的にこれまで正しい理解とされていたことの裏付けを探し、その主張を実証するという形でなされていた。

たとえば、私が多くを学び、その大枠としての理論的立場や経済学的理解をその後活用した方法、マルクス経済学からの中小企業論の立場にたつ多くの中小企業研究は、被収奪者としての中小企業ということが大前提であり、収奪されていることによる問題性を担う存在としての中小企業に対し、どのように政策的に対応したら良いのか、という視点での実態調査が主流であった。それに対して1960年代後半以降、中村秀一郎氏や清成忠男氏がそのアンチテーゼを掲げ、前提として、中小企業も企業である限り企業一般としての存在であるとし、しかも小回りの効く等の独自な優位性をもつ企業という特徴のある企業として中小企業を位置付け直し、その視点からそのための裏付けとしての実態調査を行なっていた。

前提としての被収奪企業、あるいは自立的企業一般として小回りの効く等、独自な存在としての「中小」企業として、その存在を確認し、その問題性や小回り性等の優位性の具体的な表現を把握するためのものとして、中小企業の実態調査研究が展開されていた。

このような我が国中小企業に関する状況下で、私が最初に実証的研究として行なったのは、工業零細企業増加とその理由を工業統計等の既存統計から確認するということであった。この零細企業の増加という統計的現象(正確には零細事業所の増加)は、1960年代極めて顕著であり、その増加の理由の説明として問題性把握の視点から故瀧澤菊太郎氏が議論を行い、他方でそのアンチテーゼとして清成忠男氏が零細企業の独自性という視点から議論を展開していた。いずれも一般的な経済学的なものとして研究者本人が理解していた既存の理論ないしは議論を適用して、新たな現象を理解しようというものであった。

詳しくは、当時私が書いた論考(1)を参照してもらいたいが、この統計的現象を他の方の行った実態調査から示唆される事実等もふまえて解釈すると、両氏の議論とも、実態を踏まえない、ある意味抽象的な経済学的理解からの統計的現象の、ある意味一方的な解釈ではないか、という疑念が生じた。しかし、実際の零細企業の状況について、統計的事実しか知らなかった私にとって、両者の議論に疑問を感じるだけで、積極的な現象理解の論理を持つことはできなかった。ただ、既存の議論の当てはめによって経済現象を理解することの持つ危うさを感じるに終わったと言える。

 

2、実態調査への挑戦1 − 仲間取引の発見 −

この零細企業の増加の現象を、実態調査を踏まえて理解するための調査研究の機会は、調査当時慶應義塾大学商学部教授であった故佐藤芳雄氏が受託した東京都労働局の都内の「家内労働調査」プロジェクトに、院生の調査員として参加したことから得られた。私がその中で選択した調査対象(当時は、大学院生が先輩教授の受託した調査の中で自らの希望で調査対象を決めることが可能であった。少なくとも我々が「佐藤マフィア」と呼んでいた故佐藤芳雄教授の下では)は、統計調査で顕著に零細企業が増加していたことが確認されていた東京城南地域と城東地域の機械金属関連零細企業(夫婦2名からなる一種の家内労働とも言える存在)群と、それらの企業への発注中小企業であった。一夏の聞き取り調査で、城東・城南地域において、これらの企業、50企業前後について訪問調査した。

研究者(の卵)としての最初の本格的な訪問聴き取り調査であり、それまでの経験としては学生時代のゼミとしての共同研究での企業訪問調査の経験しかなかった私は、基本的な質問項目の調査票を作成し、それをもとに各企業で1〜2時間程度の半構造的聴き取り調査を行った。ただ、当時から、質問事項にイエス・ノーや数字のみで答えていただくのではなく、被調査者の意見や感想を含め、質問事項に対する具体的な状況の紹介や特定の行動をおこなった理由の説明を行っていただくように積極的に努め、それをノートした。

この実態調査から見えてきたことは、ごく単純化して言えば、2つの点であった。1つは、故瀧澤菊太郎氏が零細企業増加の論理として主張した自営業者としての零細企業主が長時間可能であるが故の増加と単純に言えないことであった。そして、何よりも重要なのは、京浜地域の特定加工に専門化した機械金属零細企業の受注工賃が、我々の調査の少し前に故池田正孝氏たちの中央大学の研究グループによって調査された日立地域の中小企業で同じような加工を日立製作所関連から受注している中小企業より、5割くらい高かった事実である。日立の郊外地域で外注すれば極めて安く外注可能であるのに、わざわざ5割も高い工賃で京浜地域の零細企業は受注可能であった。何故であろうか。

少なくとも故瀧澤氏が主張したような長時間労働ゆえに大都市の加工下請零細企業が増加したとは言えないことは明らかになった。清成氏の主張のようにこれらの零細企業が日立の同じ加工をする中小企業より物的生産性が高いゆえなのであろうか。この点は池田氏等の調査報告を読み、池田氏ご本人等から話を伺って、両者を比較した限り、京浜地域の加工零細企業が特別な生産性の高い加工技術を保有しているのではなく、技術的には基本的に同じであり、使用している機械については日立地域の中小企業の方が新しい機械である可能性が高いという結果となった。清成氏が当時主張されていた「生産性が高い」から零細企業が増加している、ということは、少なくとも京浜地域の機械金属零細企業については当てはまらないということになる。

同時に、聴き取り対象となった零細企業経営者のうち、城南地域で当時創業して間もなかった若い方に聴き取りを行った時に、その方が地元生まれで京浜の代表的巨大企業の常勤の工員として勤務していたが、自営での経営がしたいが故に機械加工零細企業を開業した、という事例に遭遇した。その方の話を聞く限り、零細企業経営は経営として、また働く場として魅力があり、その方にとっては、巨大企業常勤工員の地位を捨てるだけの価値があるものだということであった。

このような事例から示唆されるのは、今から見れば当然のことであるが、それまでの我々の立場の研究者の多くに支持されていた零細企業を自営業として開業するのは、他に、特に大企業に常勤の就業の場を得られないから、すなわち「窮迫的自立」だということではないということである。失業するよりマシだから半失業的な存在として開業する、といった認識(これが相対的過剰人口としての自営業主と言う認識である)が、当時の京浜地域の機械加工零細企業には当てはまらないことも明白であった。

となると次の疑問は、なぜ、もっと安い工賃で受注し機械としてはより新しい機械を使っている日立地域の企業に代表されるように、京浜地域の大企業や中小企業が外注先として、当時の状況から見れば、相対的に顕著に低賃金な北関東や南東北の加工中小企業を外注利用しないのかが、問題となる。工賃が5割ほど高い京浜地域の加工零細企業への発注が、何故存在するのか、という疑問である。技術的な加工工程そのものの内容水準等の比較を通しては、工賃の差の存在理由を理解することは全く不可能であった。

故瀧澤氏がいうように小企業並みの安い工賃でかつ残業等の長時間労働が可能だからではなく、清成氏が言うように技術的に生産性が高いからでもない。長時間労働が可能な零細企業を利用すると言うならば、より工賃が安い大都市以外の零細企業に外注すれば良いことになる。それゆえ、それらと異なる理由で京浜地域の零細企業は相対的高工賃で受注可能であることを説明する必要が生まれた。これまでの学術的常識からの推論と言える、単純な長時間労働や技術的な水準の高さではない理由の存在の模索が必要となる。

それまでの議論では全く言及されてこなかった理由で、京浜地域の機械加工零細企業は相対的に高い受注工賃を実現し、その数を増やしていたと言うことになる。この理由こそ、京浜地域の機械金属工業のあり方との関連で、増加する京浜地域の機械加工零細企業の存立基盤として、改めて解明され論理的に説明される必要がある点である。しかし、この点については、1970年代半ばの、私が調査を開始した時点では、誰も問題とせず、解明する課題とさえなっていなかった。

それゆえ、当時の私に必要であったことは、東京の城南・城東地域の機械金属工業零細企業の仕事内容の独自性を改めて検討することであった。すなわち単なる技術的な先進性ではなく、京浜地域の機械加工零細企業にとって、より高い工賃での受注を可能とする独自性を、実態調査から新たに明らかにする必要があった。

この点を考えていく過程で、更なる京浜地域の機械金属加工零細企業の聴き取り調査を通して浮かんできたのは、これらの零細企業の受発注関係の独自性であった。生産技術それ自体の独自性というより、受注内容の独自性があり、それが受発注関係の独自性と重なり、京浜地域の機械金属加工業零細企業の生産体制の独自のあり方が形成された。その結果が、相対的に高い受注工賃の実現へとつながったことが見えてきたのである。

すなわち、当時の京浜地域の機械金属加工業零細企業の受注先として、高度成長期のように京浜地域の量産型機械金属製品生産企業の末端の下請企業として、量産製品の生産の一部を担うということは不可能となっていた。これらの量産型機械金属製品生産工場の多くは京浜地域外へと移転し、その外注需要、少なくとも量産機械の部品等の量産的加工、量が多いだけではなく安定的な発注量が、個別企業として失敗しなければ保証されるような部分、その圧倒的部分が、京浜地域外の企業に発注されることとなっていた。

他方で、京浜地域では、量産型の機械金属製品の生産工場は激減していたが、産業用機械等に多く見られるような多品種少量生産製品の工場や、量産機械関連でもその試作のための開発拠点といった事業所が、多数派を占め存在するようになっていた。そのような発注は、個々の発注で見た場合、量が少ないだけでなく、発注量や発注時期も安定しない。そのような不安定な小ロットサイズの機械金属製品の部品や部分加工についての外注需要は、全体としては、依然として多く存在していた。しかも、産業機械の生産や試作開発の一層の活発化により、その種の需要も拡大していた。それゆえ、そのような需要に対応する小零細企業の存立基盤も全体としては拡大していた。

 このような需要に対応する際に重要なのは、小ロットサイズの注文をあえて積極的に受注することとともに、発注量の不安定性や発注内容の変動に対応できる生産体制を構築することであった。しかし、単独の小零細企業が企業内で加工可能なのは、小ロットサイズの狭い幅の当該企業が専門化した特定加工だけである。しかし、試作や少量生産の産業機械の部品加工は、その発注が不安定なだけではなく、その発注のたびに必要とされる加工内容が変化するような需要である。

それに対して個別の零細企業は狭い範囲の少量の加工しかできないが、京浜地域には極めて多くかつ多様な加工分野の零細企業が、歴史的経過により密集して存立していた。それらがかつてはその受注の中心をより大きな中小企業からの量産機械等を含めた多様なロットサイズで受発注の安定性もさまざまな加工発注の半端な部分を、産業機械や試作の部品加工とともに受注していた。その限りで特定の中小企業群に依存し、その末端の加工専門零細企業として存立可能であった。

しかし、その発注者としての量産型の機械部品の加工を行う中小企業が域内に存在しなくなり、多様な多数の加工に専門化した零細企業そして小企業が、層として残された。他方で不安定な小ロットサイズの変化変動の激しい需要は、小ロット生産の産業機械の生産や多様な機械の試作等の拡大で全体としては絶対的にも拡大していた。その過程で、結果的に形成されたのが、零細企業群と小規模企業群の多数の多様な加工専門化企業の仲間取引を通しての横のつながりにより、層として変化変動の激しい需要に対応するという仕組みである。

その内容は、多様な加工に専門化した小零細企業が、それぞれの専門化分野、得意とする分野を認識し、多様な加工内容を含む小ロットサイズの部品の加工を、ある企業が窓口となり受注し、必要に応じて「仲間」と彼らが呼んでいる同規模の小零細企業に双方向で受発注関係を作り、迅速に、かつ発注側が要求するレベルで納期がない変化や変動の激しい小ロットサイズの加工需要に対応するというものである。

ここで重要な点となるのが、「仲間」の意味である。同業加工の企業の場合も、異種加工の企業の場合もあるが、何れにしても「仲間」について、その「仲間」を持っている企業は、業種の性格や技能水準等を熟知しており、受注した加工で、他企業に任せる場合に、どの程度信頼に足るか、十分の判断ができるような状況になっていたということである。また、既存の「仲間」の範囲で必要な信頼できる加工企業が見つからない場合は、「仲間」の伝手を頼って、「仲間」の「仲間」という形で、信頼できる当該加工に適合した企業に発注することができるのである。

この「仲間」は、経営者がかつて勤めていた当時に同じ中小企業に勤め、そこから独立した企業同士の場合もあれば、近所の飲み屋での飲み仲間で互いの仕事内容を知り、信頼関係を築いたような人々同士を含むものであった。しかも、多くの場合、「仲間」同士はすでに双方向で仕事のやりとりを何回も行っており、十分信頼できる取引関係を形成しているものであった。また「仲間」の紹介であれば、信頼できる「仲間」の紹介ということで、新たな信頼関係を築く可能性が高いことになる。このようにして取引の必要に応じて「仲間」が増えたり、その範囲が変化したりしながら、各自が「仲間」を持ち、そのつながりを通して、迅速に必要な加工を実現し、発注側の要望に応える、ということになる。

それゆえ、試作や小ロットの産業機械の部品加工を発注するメーカーや部品企業の側からすれば、信頼できる小零細企業を窓口として見つければ、あとはその企業に任せれば、必要な小ロットサイズの不安定な部品の加工が完成することになる。すなわち、小ロットサイズで繰り返し性がなく多様な加工を含む加工、その意味で一回ごとに段取りを考える必要があるような極めて面倒な発注でも、受注窓口となる企業が関連加工の専門家たる小零細企業を手配することで、発注側企業が個別の加工ごとについて必要な発注先企業を探す必要がないことになる。しかも重要なのは、小零細企業に2次的な発注を任せても、それでも、必要とする加工内容と水準の部品加工を求める期日までに実現できる、というきわめて発注側企業にとって都合のよい使い勝手の良い生産システムが構築されたことである。

 「仲間取引」による変動の激しい小ロットの部品加工について、加工水準が高いことを保証された生産体制の形成である。これが、層としての京浜地域の特定加工に専門化した企業層、数千の事業所の存在によって、可能となったのである。

 受注する側の小零細企業層にとっても、全体として大量の発注量が存在すること、それを「仲間取引」を媒介として、結果的に事実上層として受注することにより、安定的かつ拡大する受注の場として、層として対応することが可能となったのである。小零細企業の層としての存立が、個別にみれば変化や変動の激しい部品の面倒な手間暇のかかる加工仕事の受注に依存しても、十分可能となったのである。

 しかも、1970年代から1980年代にかけては、このような需要に層として量的に対応可能な産業集積は、海外生産化が進行していなかったこともあり、東大阪等にもなく、京浜地域にしか存在していなかった。そのため、京浜地域に形成された上記のような不安定な需要のみでなく、関東を中心とした周辺地域に存立する機械メーカー等からも、変動の激しい小ロット加工で迅速な柔軟な対応を求められるような需要が、京浜地域に集まってくることとなった。層としての受注範囲が、一層広域化し、相対的に高い受注工賃も実現できたといえる。

 このような結論に至ったであるが、これはあくまでも実態を見ての論理化であるといえる。同じような機械を使っていて特別な加工を担うわけでもない京浜地域の小零細企業が、かつての発注側企業の多くが域外に転出したにもかかわらず、それらの企業が転出した先と思われる地域での発注工賃よりもかなり高い受注工賃で受注できているのはなぜか、という疑問がまず生じた。その事態を加工技術それ自体の差異からは考えられない中、受発注関係の特異性に注目した。その受発注関係は、小ロットと言うばかりではなく、極めて不安定な受発注であるという特徴があった。また、その発注元の多くは、かつて主流をなしていたような量産型機械完成メーカーからのものではなく、小ロット生産の産業機械メーカーや試作工場であった。

 さらに小零細企業の取引関係が、受注者として加工を行うのみならず、同じ規模の加工業者、同じ加工の業者と異なる加工に専門化した業者の双方に外注し、同時にそれらの外注先からも受注しているという、これまでの下請取引関係では想定されておらず理解できないような現象にぶつかった。双方向の取引関係が日常的に行われるのはなぜか。その答えは、それぞれの小零細企業者が、多様な加工を含めた仕事の受注窓口になりうるという状況の存在が確認されたことで見えてきた。双方向での受発注のネットワークの存在である。

 これらの状況が整合的に成り立つために必要な状況とは、どのような状況であろうか。それを追求していく中で、「仲間取引」という発想が生まれた。もちろん、小零細企業経営者から聞き取りする際に、頻繁に「仲間」という言葉出てきたし、その「仲間」は、一方的な受発注関係にある下請企業ではなく、発注することも受注することもある双方向での取引関係を持ちうる信頼できる同業者すなわち「仲間」であった。そのような状況が何を意味しているのか、そこから考えた答えが、上記なような取引関係の解釈であった。

 京浜地域の中での取引のみを見ていると、このような取引関係のもつ独自性が、よく見えてこないのであるが、私にとっては、この取引関係の存在についての理解の妥当性を裏付ける、地域外の企業の情報をのちに得て、この理解、解釈の妥当性を一層強く感じた次第である。すなわち、電気機械製品や部品の組み立てラインを受注生産する長野県諏訪地域の中堅企業が、地元で多数の下請中小企業を利用しラインの開発生産をしているにもかかわらず、納期のない生産については東京城東地域の零細企業群に、より高い発注工賃にもかかわらず発注しているという聴き取り結果を得た。

この企業によれば、諏訪の外注先業は、安定的な発注については確実に、相対的に安価な発注工賃で受注し生産できるが、変化の激しい発注には柔軟に対応できない。また、自ら発注者ともなり、自社できない加工を含めた多様な加工を含む生産のまとめ役にもなれないし、なろうとしない。そのような面倒なことをしなくとも、十分仕事があるゆえに。

それに対して東京の城東地域の加工企業は、受注企業は小零細企業であるが、一社に急ぎの複雑な発注内容の部品の生産を発注しても、再外注をうまく使うことで、急な仕事に柔軟に対応し、納期までに必要な部品を生産し納品することができると述べていた。そのため、その企業は、地元で同様な加工を発注する場合と比べて、3割ほど高い発注工賃で城東地域の小零細企業に必要に応じて発注していた。さらには、そのために川口に拠点工場を置くほどであった。

 この事例は、私の解釈が間違っていなかったことを、改めて地域外の企業の京浜地域の利用のあり方の例を通して、裏付けていると言えよう。

私が観察した事態、「仲間取引」を活用した双方向の受発注による、不安定な不規則な受注内容への対応を、迅速に行う小零細企業層の形成といった状況の持つ合理性、ないしは京浜地域機械金属加工小零細企業の当時の独自の存立形態に注目した。その結果、相対的に高い受注工賃を、他地域の企業と同じような加工技術を使用しながら実現し、同時に層として大量な受注を実現することで、個別に不安定な受注を層全体としてみれば、相対的に安定した受注へと転換することに成功した。結果的にではあるが。このように理解されたのである。

層全体としてみれば、個別の技術として独自な加工技術を持たない、相互に取引関係を実現した小零細企業集団が、他の地域に存在しない柔軟な受注対応能力を持ち、他の地域の下請加工企業が面倒であるがゆえに手を出したがらないような需要を、広域的に集め、層としての再生産し、相対的に高い受注工賃を実現したといえる。その結果、大企業工員の独立による自営業開業のような形態を含め開業が増加し、小零細機械金属加工業が層として拡大した。そのことも、60年代後半以降の日本全体の機械金属工業零細企業として見た時の工場数の増大の一面を説明すると言えよう。

実際に増加した零細企業の存立実態を見たことで、零細企業層の増大の一面を解明することができた。それは故瀧澤氏が主張された理由や清成氏が主張された理由とは大きく異なるものである。もちろん、この京浜地域に機械金属加工業での零細企業の増加が、全国統計に現れた零細事業所数の拡大の多くの部分を説明するものではない。増大の一部を説明するにすぎない。

言いたいことは、実態を踏まえ、その論理を追求することで、抽象的な既存理論の当てはめによる説明ではなく、実態の動きを説明することの重要性である。面倒で、手間暇のかかる方法ともいえるが、このような実態理解によってこそ、その存在の存立根拠(群)が明らかになり、変化のもつ経済的な意味や政策的含意も明白になるといえる。この場合は、地域や産業により異なる多様な要因が存在し、それが結果的に零細企業層全体の製造業での増加となった、ということであるが。

実態調査を踏まえず、さらには実態調査から帰納的な経済論理的含意の抽出することなく、既存の経済理論の当てはめで経済的な新しい現象を解釈する、「実証的研究」の危うさを示すものともいえる。

 

3、実態調査への挑戦2 

 完成品大手企業から社会的分業構造としての生産構造を見て、 

何故中小企業を語れるのか? − 

 乗用車がどのように生産されるか、社会的分業構造からこれを端的に表現するのが、いわゆる「ピラミッド型の生産構造」である。

 完成車メーカーとしての巨大企業がピラミッドの頂点に存在し、その一次下請としての大手完成部品メーカーが存在し、完成車メーカーに部品を供給している。その完成部品メーカーへのサプライヤとして中堅企業や中小企業が存在し、さらに3次や4次の下請企業層までが、完成車の生産に関わっていることを表現するのが、いわゆる「ピラミッド型の生産構造」であろう。社会的分業について完成車を生産する大手企業の側から見たものといえる。底辺を構成する3次・4次の下請中小企業は、あくまでも完成車を生産するための末端下請企業と位置付けられる。

3次・4次の下請中小企業が、どのように再生産しているのか、その点についての把握は、このピラミッド型の社会的分業構造表現からは読み取れない。そもそも、このピラミッド型の社会的分業構造が乗用車生産の生産体系を示すとされているが、特定の企業の生産体系を示すものか、それとも業種としての完成車生産企業群の分業体制を示すものなのか、この点も曖昧である。しかし、トヨタ自動車ならトヨタ自動車を通して、社会的分業をとしての生産体系を端的に表現するとしたら、このようなピラミッド型の生産体制となろう。

ある時代の中小企業白書は、中小企業を位置付けるために、明白にこのピラミッド型の生産構造を特定企業の生産体系として使用していた。これで表現されているのは、特定の企業の乗用車の生産が多層的な社会的分業構造で成り立っているということである。それぞれの層を形成する企業群が、どのような形で再生産しているかは、全くそこからは見えてこない。その意味でこの図は中小企業研究のための中小企業の存立を表現する図としては、非常に限定的なことしか表現できていない。中小企業が完成車の生産の一部の部品の生産に間接的な形だが関わっている、ということだけが表現されている。その関わっている中小企業は、どのように再生産し、存立しているかは全く見えない。それにもかかわらず、これが乗用車生産に関わっている中小企業の存立形態だと流布されていた。

「上から目線」の調査とでもいうべきであろうか。中小企業目線、中小企業の存立実態を踏まえた実態調査の結果でないことだけは、確かなことであろう。

乗用車生産に係る下請中小企業を含め、機械金属工業関連の中小企業の存立について、この完成品生産大手企業の視点からの社会的分業図が横行していた。中小企業の存立再生産を踏まえて政策的議論を展開するはずの「中小企業白書」でさえ、このような視点からの研究がもっぱら行われていた。しかし、私自身は完成品生産大企業の視点から下請中小企業を見ることから始めたのではない。すなわち、完成品大手企業の下請関係を辿って下請中小企業に辿り着いたのではなく、京浜地域に存立する中小零細企業それ自体にアプローチし、そこから下請中小企業も含めた、その存立と再生産の論理を追究する形で研究を始めた。

先達たちの下請中小企業研究は、下請をおこなっている中小企業それ自体の存立と再生産を見るというより、その問題意識から、完成品大企業によって収奪されている中小企業、という視点からの観察が第一にきている場合が多かった。もちろんそれと異なる視点からの実態調査研究も多く存在し、その研究成果で私自身も大いに学ばせてもらったのであるが。企業城下町として見る見方や、下請協力会のあり方を見ていくなど、これらの見方の多くは、中核的存在として、特定の大企業完成品メーカーの存在を想定し、それをめぐる下請関係の中に中小企業を位置づけ、その存立論理を考えるというものであった。

私の場合は、それらの見方と異なり、先にも指摘したように、本格的実態調査を、東京の京浜地域の機械金属小零細企業の存立実態それ自体を、「家内労働」調査の一環として行うことから始めた。そのため、基本的に、特定の完成品大企業をめぐる下請分業構造の検討という視点での実態調査は、私にとっては機械金属中小零細企業の実態調査の中で中核的存在とはならなかった。まずは、そこに存立する受注型生産を行う機械金属関連の中小零細企業そしてその層が、どのような仕事を受注し、自らを再生産し、拡大しているのかが、関心事となった。そこから見えてきたのは、企業城下町等での下請分業構造の研究では見逃されてきた、中小零細企業の存立の形態ないし再生産の多様なあり方であった。

元々、統計的調査によっても、専属的下請中小企業は、製造業中小企業の3分の1にとどまり、残りの半分は特定企業に依存しない下請中小企業であり、残りは下請的生産に依存しない中小企業である。もちろん機械金属中小企業では、相対的に専属的下請企業の比率が高いが、マジョリティではないと言えそうである。

機械金属中小零細企業の存立・再生産から見たとき、特に大都市東京の1970年代後半以降の、私が実態調査を行い始めた時期以降のそれを見たとき、特定企業に専属的な下請企業は中小零細企業の少数派であると感じた。特にそれが明白に言えたのは、零細企業であった。零細企業は規模が小さいだけに特定企業に依存しがちかのように思えるが、実態としては、その多くが特定企業からの需要に依存するというより、京浜地域の半端な変化の激しい受注仕事に依存し、統計的に見るならば、受注先を多様化している企業と見ることができる存在であった。

このような現状を踏まえたとき、機械金属関連中小企業の存立形態を、特定大企業に依存する下請中小企業という形態に代表させて理解することが妥当か、という点が問われることになる。これまでの機械金属関連中小零細企業についての議論は、往往にして特定大企業に依存する下請中小零細企業をもって、その代表的存立形態とされがちであった。巨大完成機械メーカーから見れば、多くの中小零細企業は、その企業にとっての2次・3次あるいは4次の下請企業であり、その大企業の存立そして再生産とともに存立が可能となっていると理解されがちであった。親企業と呼ばれた特定大企業の成長とともに、下請中小企業も順調にいけば拡大する。こんな姿である。

しかし、京浜地域の1970年代後半以降の機械金属関連中小零細企業を見ていくと、その存立形態は極めて多様であり、自立的な下請企業、独自生産技術保有下請企業、そして自社製品企業も多く見られた。同時に特定大企業の下請として安定的に受注を確保できないような下請中小企業、私はこれを浮動的下請中小企業と呼んだのであるが、それらも存在し、機械金属中小零細企業の存立形態は、極めて多様であった。従来の議論は、その多様性を否定し、機械金属中小零細企業の存立形態の一部のみをもって、その存立の形態を代表させていると理解された。

このような理解に至る理由は、ある意味簡単である。中小企業をピラミッド構造の下部を形成する企業群であるともっぱら見るならば、このような理解に至ってしまう。「上から目線」による一面的理解の典型といえる。当然のことであるが、機械金属中小零細企業の存立を「ピラミッド型」の社会的分業構造を通してこれを見るならば、そのようにしか見えてこない。が、産業集積としての機械金属産業を見るならば、全く見え方が異なるのである。ここにも、ピラミッド型の下請分業構造を通して、機械金属中小零細企業の存立を見る見方の問題性が出ている。

一度「ピラミッド型社会的分業構造」の上から目線を離れ、機械金属中小零細企業層の存立そのものの実態研究から、機械金属中小零細企業の存立形態等を見直すことが、決定的に重要になると言える。

中小企業の側から下請分業構造を見ることだけでも、いくつか新たな関係把握が可能となった。同じように大企業から部品や部分工程を下請受注している中小企業であっても、中小企業側から見ると、大企業との受発注をめぐる関係は多様であった。例外的な存在であるが、中には、受注する中小企業の側が独自な生産技術を持ち、すでに下請協力会が形成されているような大企業の完成部品メーカーに、その生産技術を高く評価され、新たなサプライヤーとして採用された事例も存在する。当然であるが、より優れた生産技術、部品生産大企業が社内でできない生産技術を外注利用できれば、それを利用した方が部品メーカー相互の競争上、有利になることは当然であり、そのような下請企業を積極的に取り込もうとすることになる。

このような企業は少数派だが、私自身も実際にそのような事例について乗用車生産をめぐる受発注取引でも幾つか目にしている。もちろん、この場合、受注側中小企業は、特定企業に本来的な意味で専属的になることはないし、従属的関係、すなわち資本所有無しでの発注元企業からの自社経営への介入を甘受することの必要性もない。しかし、有力な発注元大企業に対しては、優先的な扱いをする、というようなことは存在した。主体的に、有力企業を受注開拓できるということである。

また下請中小企業であり、特定発注側大企業からの場合については経営内への介入も甘受する従属的取引関係を形成しながら、そこで得た生産技術水準の高さを活かし、それ以外の大企業を含めた取引先に対しては、従属することなく、自立的な取引関係を形成している企業も多く存在している。これらは系列下請企業と呼ばれている中小企業でもあるが、このような関係については、発注側企業からだけ見るピラミッド的な見方では、把握できないことであると言える。

ピラミッド型の下請分業構造ではなく、それを概念図としてどのように描くかが、この際の、私自身にとっての課題となった。上記したような機械金属関連中小企業の存立形態を踏まえ、それを概念図的に「ピラミッド型分業構造」に対するアンチテーゼとして提示する図の必要性である。中小零細企業の側からの社会的分業の姿も把握できるような概念図が必要となった。

その概念図で必ず表現されなければならいことは、まずは機械金属関連中小零細企業については、その多くが特定の完成品のみに関わることに限定されているのではなく、あるいは大きく業務内容を変更せずに、多様な機器金属の完成品に繋がる完成品や完成部品メーカーと取引可能な存在だということである。すなわち、機械金属関連中小零細企業の多くが、特定製品の完成部品を生産するというより、特定の加工に専門化し、その加工が使用される完成部品の部品を受注しているという専門化の方向性を、分業構造図に盛り込むことである。機械金属関連中小零細企業の多くは、幅広い機械金属製品製造業の、いわば基盤産業あるいは底辺産業として、機械金属産業全体にとって、まずは存在し、個別企業は、それぞれその状況に応じて、それぞれの時点では、結果的に特定の完成品関連や複数の完成品関連の生産に関わっているに過ぎないのである。

また、この完成品の中には、当然のことながら機械金属関連の完成品中小企業も含まれている。また、東京の城東地域の機械金属関連小零細企業に見られるように、金属関連であれば、機械の部品の加工も、金属製玩具の部品の加工も行うような企業も存在している。それぞれの精度水準等の加工上の対応可能性の問題はあるとしても、加工内容としては、同様な技術内容のものであり、近年の玩具の精度の向上等から、機械と玩具の部品の加工水準の差異も小さいものとなり、これまで主要にどちらの完成部品の加工を行っていたかに変わりなく、いずれの加工専門化企業が相互に乗り入れ可能となっている。このような状況を概念図上に明示する必要も存在する。

何れにしても、中小零細企業、特に機械金属の特定の加工に専門化している企業からみれば、完成品がどのような機能を持つ製品、乗用車か、工作機械の旋盤か、船か、あるいはガンダムのような玩具か、そのような差異よりも、どのような加工をどのようなレベルでどれだけのロットサイズで必要されるか、そして受注工賃の水準がいくらで発注されるか、そしてその注文の繰り返し性の状況はどのようなものか、これらのことこそ重要なのである。これらの点で当該企業にとって競争優位を実現でき、より経営上の高い成果を期待できる分野の製品の加工受注を目指すことになる。

その結果年絵生まれた機械(金属)工業の社会的分業の概念図が、私の言う所の「機械工業の山脈構造型社会的分業構造概念図」である。上に言及した全てをうまく入れ込めなかったが、特に完成品機械中小零細企業の存在を明示できなかったが、かなりの程度で、上から目線の分業構造図を訂正できたのではないかと依然として自負している。

 

4、まとめ

− 2つの「実態調査研究」からの発見とその実証的研究としての意味 − 

以上のように、私の実態調査研究は、調査対象に直接接することで、その存在、経済的存在意味をその存在に則して発見し、その存在の再生産の論理を発見し、経済学的意味を解明することにあった。

実証研究の多くは、統計的事実や事例的事実を確認することで、既存の経済的論理、既存の再生産の経済的論理を事実で裏づけ、証明することを目指すものといえる。それに対して、私が目指した実態調査研究は、結果的にみればではあるが、このような意味での実証研究ではなく、経済的存在論理の発見、経済的存在についての経済的再生産の論理の発見であったといえる。それまで、経済的な意味で、その存在論理が解明されていなかった経済的存在、その存在の存在論理を解明することを結果的に目指したといえる。

既存の経済理論で解釈することが可能なことを調査で裏付けるのではなく、まだ明らかでないその経済的存在の経済的再生産の論理を発見するための実態調査研究なのである。

 このような方法からみると、中小企業の存在について、興味深い事実を確認する、あるいはできたということは、それをどのような経済的論理として説明するか、という次の課題を設定することになる。経済学的な研究としては。もちろん経営学的にも、そのような存在を論理的に説明することが必要となろうが、その場合は、その土俵が経済学的なものとは異なることになる。

 繰り返しになるが、言いたいことは、興味深い事実を、既存の理論や論理のどれかに当てはめて解釈し理解するかではない、あるいはするべきではない、ということである。興味深い事実が、興味深いのは、新たな経済学的(あるいは経営学的)論理が含意されている可能性が存在するからだと、いうのが私の理解であり、そのゆえに興味深いのである。それゆえ、その興味深い事実をもとに、それを説明する論理自体を経済学的(あるいは経営学的)に探究する、これが実態調査研究の醍醐味である。そこでの発見は、少なくとも、私にとっては、論理の発見から40年以上経っても、色褪せない存在である。

 

あとがき

 私よりもかなり若い、共に調査をしたことのある研究者の方の最近の興味深い実態調査結果を拝見し、その実態調査結果をぜひ活かしてもらいたいと考え、こんな年寄りの世迷言を書いた。以前にこのブログに書いたことと、かなり重なる内容となっているということも自覚している。でも書きたくなった。

しつこいのであるが、実態調査研究は、既存の経済学的(あるいは経営学的)論理の裏づけのためだけに存在しているのではない。そこから新たな経済学的(経営学的)論理の、それなりのレヴェルでの構築のために行われうるのであり、是非、そのような調査研究の発展を実現して欲しいのである。興味深い事実の発見は、そのような作業の第一歩である。自身による独自な経済学的論理発見の入り口に立ったのである。それを是非無駄にせず、活かして欲しい。

年寄りの世迷言と自覚はしているが、何かの参考にしていただければ、これに越したことはないといえる。

 

(1)   渡辺幸男、1974年、「零細規模経営増加についての分析」

『三田学会雑誌』6710

 

補足:なお、私が書いた論考について多少なりとも関心のある方がおられたなら、私の書いたものの一覧は、このブログの中で、2019年にアップしてある。その稿を参考にしていただければと思う。

2023年10月22日日曜日

10月22日 秋深まる我が家のエントランス

猛暑に耐え、深まる秋を迎えた我が家のサルビア、

改めて、サルビアの朱色が艶やかに。


門の外側のサルビアも、艶やかになってきました。



お隣との境に置いたインパチェンスの鉢、
こちらも全部の鉢とはいきませんでしたが、
いくつか猛暑を乗り越え、華やかな秋を迎えています。


門の内側の植え込みに植えてあるホトトギス、
今年もようやく咲き始めました。
プランターのサルビアにかぶさるように咲いています。

10月も下旬となり、秋らしい気温となりました。

今日の二宮の我が家は朝10度以下になり、

まさに秋です。

これから霜が降りる12月末まで、秋の花々を大いに楽しみます。

2023年9月26日火曜日

9月26日 私の読書世界と勝手な読書感想文

私の読書世界と勝手な読書(内藤著『トルコ』)感想文

渡辺幸男

最近読んだ本10

新聞の新刊紹介や広告で知り、読んだ新刊書

尾上哲治著『大量絶滅はなぜ起こるのか 生命を脅かす地球の異変

講談社ブルーバックス、20239

山田康弘著『足利将軍たちの戦国乱世 応仁の乱後、七代の奮闘

中公新書、20238

浜忠雄著『ハイチ革命の世界史  奴隷たちがきりひらいた近代

岩波新書、20238

丸山浩明著『アマゾン五〇〇年  植民と開発をめぐる相剋

岩波新書、20238

内藤正典著『トルコ  建国一〇〇年の自画像』   岩波新書、20238

 

シリーズで読んでいる本

『生態人類学は挑む』(京都大学学術出版会)シリーズ、

全16冊刊行予定(15冊刊行済み、かつ入手済み、うち14冊読了)

現在、Sessionシリーズ(編著)予定6冊中、全冊刊行済み

   Monographシリーズ(単著)予定10冊中、9冊刊行済み

同シリーズ

Session 4、伊谷樹一編『つくる・つかう』

京都大学学術出版会、2023年4月

Session 6、伊藤詩子編『たえる・きざす』

京都大学学術出版会、202212

 

読んだ本から知り、関心を持って読んだ近年刊行の著作

布留川正博著『奴隷船の世界史』         岩波新書、20198

 

伊谷樹一・荒木美奈子・黒崎龍悟編『地域水力を考える

  日本とアフリカの農村から』昭和堂、20213

柳澤雅之・阿部健一編著『No Life, No Forest

  熱帯林「価値問題」を暮らしから問う』京都大学学術出版会、20213

 

読んだ本から知り、今読んでいる興味深い著作

風間計博著『強制移住と怒りの民族誌

  バナバ人の歴史記憶・政治闘争・エスニシティ』明石書店、20221

 

面白そうな本を新刊案内等で見つけ、また面白かった本の参考文献で最近刊行の興味深い本を見つけ、ネットで注文し、乱読する。すなわち、研究のためではなく、テーマを決めず「読み漁る」、これが今の私の「雨読部分」の日常である。

現役の研究者をやっていた時には、このように著作を好き勝手に選び、自由に読むことは、研究者として自粛せざるを得なかった。自分が興味深いと思った著作には、のめり込むのが、私の読書であり、思考の中心が自ら選んだ研究テーマと大きく離れてしまうことが怖かった。それゆえの禁欲である。1970年代から2013年の定年退職まで、そして最後の単著を刊行した2016年まで、ほぼこの禁欲を「守った」と思う。

しかし、2016年に自身のこれまでの研究者としての研究課題について、まとめが残されていた中国産業について、私なりの研究成果をまとめ、4冊目の単著を出版できた。それから、研究者としての呪縛が解け、自身が関心を持ついくつかの研究分野の最近の成果の解説書、さらにはかなりの専門書、私の読めるタイプのものであるが、それを最も得意な言語である日本語で自由に読みたくなった。特に、日本人による諸分野の研究も、20世紀末から21世紀にかけ、多くの分野で新たな展開を遂げている。

私の専門分野(中小企業、産業論研究あるいは近代産業経済史研究)以外について、ほぼ1960年代で読書が止まっていた私にとっては、21世紀になって発表された研究成果は、新たな認識を可能とする、興味深い研究成果に満ち溢れた世界であった。その結果が、上記のような乱読となった。毎年、新書を始め、専門書も含め数十冊を乱読する。そんな生活を始めた。

そして、感想文を書きたくなった本(書けると思った本でもある)について、勝手な感想を書く。これが私の「晴耕雨読」の日常の一面である。一番最近の読書感想文を以下に掲載する。

 

 

最新の感想文

内藤正典『トルコ 建国100年の自画像』(岩波新書、20238月)

を読んで 渡辺幸男

 

目次

はじめに

第1章      トルコの地域的多様性  沿岸と内陸

第2章      1990年代  不安の時代

第3章      エルドアン政権への道  障壁と功績

第4章      EU加盟交渉の困難な道のり

第5章      世俗主義をめぐる闘い  軍部と司法の最後の抵抗

第6章      エルドアン政権、権力機構の確立

      権力の集中はなぜ起きたか

第7章      揺らぎなき「不可分の一体性」と民族問題

            クルド問題の原点と和解プロセスの破綻

第8章      直面する課題  いかにして難題を乗り切るか

終章  建国100年の大統領

あとがき

関連年表

 

 本書は、エルドアン大統領が率いるトルコ共和国の今を念頭に、オスマントルコ帝国の崩壊そしてアタチュルクによるトルコ建設以来のトルコの政治的な歴史的経過を、改めて議論したものである。ここでの視座は、アタチュルク革命その後の支配的政治勢力がトルコにもたらした枠組みを前提に、その視点から議論するのではなく、その枠組みを前提にしながらも、エルドアン大統領が新たに何をもたらしたか、政治的、社会的な内容を確認し、それを積極的に肯定する姿勢で議論することにある。

 エルドアン以前の世俗主義の政権、それを支えた軍等の勢力の姿勢、そして「西欧世界のフィルター」を通してではなく、エルドアン治下のトルコそれ自体の内的展開を見るものと強調している。そして、その歴史的展開を見る場は、基本的に政治的あるいは社会的トルコである。それ自体としては、大変興味深い観察と分析が行われている。私にとっても、学ぶところが多くあった。

しかし、私がそれと同時に期待していた、それらと組み合わせた経済的なトルコの位置や展開の分析や紹介は、ほぼ完全に無視されている。トルコ経済が、現在の世界経済の中で、どのように機能し、再生産し、発展しているか、その展望は、どのようなものとして見ることができるか、といった側面の議論は全9章中の第7章までほぼゼロである。エルドアン治下で経済の充実、開発が進んだという指摘だけはあるが。その内実の紹介、経済論理的解明、ないしは分析は、さらに、それに基づく産業発展、対外経済関係の展開内容、経済発展でのエルドアン政権の政策の妥当性ないしは問題性といった点についての紹介も、それまでの章には全くない。

それゆえ、本書を読み始め、大変興味深く思って読み進んだのであるが、途中から、エルドアン大統領が、何故多くの人々の支持を取り付け続けられるのか、経済的裏付けがないことで、隔靴掻痒の思いに囚われ始めた。そのこともあり、本書の参考文献を通して、その点の補足をと思い、参考文献欄を探したが、目次にも示したように、残念ながら本書にはそのような欄はなかった。また、まだ目を通していないが、経済と関連する部分としては、終章の前の第8章「直面する課題」の②に「激しいインフレと市民の防衛策」というのがある。14ページほどの節である。ここを読めば、今のトルコが抱える経済的課題が見え、経済の状況が見通せるのであろうか。(以上、第7章まで読んでの感想である)

 

第8章の「課題②」で、「激しいインフレと市民の防衛策」という形で、経済問題の象徴ともいうべき、トルコの激しいインフレ状況と、それに対するエルドアン政権のあり方を紹介している。ヨーロッパの諸政権やトルコ中央銀行総裁の見解に反対し、激しいインフレ状況に対し、エルドアン政権は利上げでの対応をせず、かえって利下げした理由を述べ、トルコ庶民の状況を踏まえたエルドアン政権の姿勢を肯定的に紹介している。ここでは、インフレそのものが何故生じ、インフレがトルコ経済の状況にどのような影響を与えているのかの分析どころか、紹介もない。ただ、エルドアン政権の対応の内容とその理由が紹介されているのみである。

通貨の価値が下がること、それにより輸入品価格が高騰することが悪循環であることは、認めているが、トルコ政府は、それをもっぱら利上げで対応するのではなく、「外国からの不動産投資やインバウンドの観光のような直接的な外貨収入で補おうとする」(p.223)と締めくくっている。それでトルコ経済のバランスが取れ、成長路線を維持しているかどうかのまともな紹介や分析はない。あるのは「外貨が不足すると、国民の保有する金や外国からの旅行者による現金収入をあてにしている」(p.225)とも述べている。「近場のリゾートとしてトルコの地位は高まった」とのことである。

この本では、トルコの激しいインフレについて、政府がその抑制に対しては無策であるが、それをある意味前提として、多様なその場しのぎ的な対応策を経済的弱者に対し数多く行い、積極的な経済拡大を維持し、社会不安の表面化を抑えている、ということであろう。対外バランスを外国人観光客の拡大等でそれなりに維持し、為替レートの低下とインフレそれ自体への積極的な抑制は行わない、という理解であるらしい。外国人の観光の拡大、特にロシアや中東の人々の観光地としての意味の欧州諸国に対する増大、これらが、当面対外バランスを維持することを可能としている、と著者は述べているようである。

なりよりも、インフレが少々進行しても、貧民が飢えず、経済基盤がより強固になれば、いずれ落ち着くところに落ち着くという理解のようである。エルドアン政権も著者も。

 

今ひとつ、著者の本来の記述で、私が理解できないのは、トルコの大多数の人々はイスラム教徒であるということであるが、軍人や既存政党の多くが、世俗主義であり、イスラム法に従うことなく、アタチュルクが進めたトルコの世俗主義に従って行動してきている。これをどう見るのか、エルドアンの支持層は、同じイスラム教徒でも、相対的に中下層の人々であり、素直にイスラム政党を支持するということであろうか。それに対して、エリートはイスラム教徒であると言っても、行動のあり方が大きく異なるということなのであろうか。それが、そのような関係が、安定的に再生産され維持されてきたのはなぜであろうか。階級的格差が大きく、それがある意味安定的に再生産されている、ということなのであろうか。この点も今ひとつわからない。

そうであれば、トルコにおけるイスラム教徒内の階層性と、その階層性ゆえに、世俗主義賛成派とそうでない層とが形成再生産されていた、その再生産の論理を提示する必要があろう。しかし、それについての示唆も、本書から私は読み取れなかった。

 

いずれにしたも、通常のトルコ経済論を中心とした、私がこれまで眼にしてきた議論とは、かなり異なる議論であり、その視座は興味深いものであり、学ぶところも多かった。それゆえにこそ、その視座に基づき、トルコ経済の再生産分析と、それとそこでの中下層トルコ人の状況との存在状況との関連について、是非、著者の見解とその根拠を聞きたい所である。

 

2023年8月31日木曜日

8月31日 暑い8月を乗り越えつつあるエントランスの花々

我が家のエントランスの花々、
この暑い夏をなんとか乗り越えそうです。
塀の上に並べたインパチェンスのプランター
昼間は暑さでかなり萎れるのですが、
水をたっぷりあげ
朝になると、このように元気になります。
今朝7時のインパチェンスです。

サルビアのプランターも、なんとかもちました。
こちらも暑さと水の不足が生じると、
見事にシナっとなっていたのですが、夏を越え、
花をつけ、元気に秋のサルビアのシーズンを迎えそうです。

門の郵便受けの下のサルビアの鉢、
暑さにかなりやられ、花の色は褪せていますが、
なんとかもちました。
これからの花が楽しみです。
秋のサルビアの花の朱
鮮やかな朱を期待しています。

暑さはまだ続くとのことですが、
陽射しは秋、
朝夕は涼しくなりそうです。
それだけでも、我が家の花は生き返りそうです。

 

2023年7月29日土曜日

7月29日 「プリゴジンの叛乱」とは何だったのか

「プリゴジンの叛乱」とは何だったのか

渡辺幸男

1、202378日付のFTの記事(Ivanova, P. & M. Seddon

 Prigozhin ties to Putin expose weakness in the Kremlin’)を読んで

2、2023723日付のFTの記事(Seddon, M. & A. Schipani,

 Wagner chief in surprise appearance at Russias Africa summit’)を読んで

 

*1の記事を読んで、当初感じたこと

今度のプリゴジンの叛乱とその収束に関して私の最初の基本的了解が、どうも間違っていたようであると感じた。

 この記事で書かれている、当面の叛乱収束と思われ得る状況、プリゴジンの所有するオリガルヒとしての民間軍事会社を含めた産業複合体が、ほぼそのまま存続している、しかもプリゴジンの所有の下でということについて考えると、当初私がかんがえたように、プリゴジンは、プーチンに叛乱したことの罪を許された、ということではなく、また、ワグネルは解体され、ロシア国軍に吸収されるということではなかったようである。ベラルーシのルカシェンコの仲介で、とりあえず、両者の間での妥協が成立した、ということのようだ。

 プリゴジンはモスクワ侵攻を放棄することで、自らの事業体を、民間軍事組織を含め維持でき、拘束されず、経営者として行動することをルカシェンコの仲介でプーチンに保証されたが故に、モスクワ侵攻を主体的にやめた。プリゴジンとプーチンとのルカシェンコが仲介した妥協は、プリゴジンは当面モスクワへ侵攻しない、プーチンはプリゴジンの行動の自由を保証する、というものであったのではないか。一応プーチンの面子を立てた上で、だが。プーチンは、プリゴジンのモスクワ侵攻の軍事的な阻止を不可能と判断した上で、このような妥協したのではないか。

 このままプリゴジンのモスクワ進攻を許せば、プーチンは自らの政権は崩壊し、もたないと理解し、それを回避する最後の手段として、ルカシェンコの仲介ということで、あたかもプリゴジンが、プーチンに説得され、「撤退」したという形を取ることに成功した。プリゴジンもプーチン政権の崩壊、そしてその後の大混乱を避ける必要があったのであろう。このように見えてきている。実際に、公開で逮捕され、見せしめが行われていないのだから。

 

 このような理解を、皆さんもしていていたのであろうか。このように理解できず、無知であったのは私だけなのであろうか。どうも、そうでは無いようである。

 

 202379日付「朝日新聞」5ページの記事「ワグネル、アフリカ撤収か プーチン政権、プリコジン氏と切り離し」、この記事は無署名だが、「中央アフリカに駐留していたロシアの民間軍事会社ワグネルの戦闘員が撤収」という内容の記事の中で、「ロシア国営テレビは5日、プリゴジン氏の特集を放映し」、自宅の捜索の結果やプリゴジン氏がワグネルなどのグループの掌握を続けるのはむずかしいとしている。しかし、同時に、押収されたはずの現金や武器が、プリゴジンに返還されたとの報道があると伝えている。

 報道されている事実を、冷静に外から眺めれば、叛乱を起こした人物が叛乱を諦め、降伏したようにいわれ、家宅捜索されながら、戦闘行為もしておらず、逮捕されず、行方不明になり、オリガルヒとしての資産のロシア政府による全面没収は語られていない。大変奇妙な事象である。ちらほら、聞こえ、見えてくるのは、表面的には降伏したことにしたが、事実上、ルカシェンコの仲介で、何らかのオリガルヒとしての生き残りを前提に、プリゴジンが妥協した、といったような姿である。朝日の記事も接収した現金をプリゴジン本人に返還という話があるという、叛乱に失敗したということを前提とすれば、とても奇妙なことにも言及している。

 ロシア国民の前には、家宅捜索を含め、犯罪者であり敗者であるプリゴジンに対し、プーチンがその後始末をしているように見せても、その実、その姿はロシア国民向けのポーズに過ぎず、プリゴジンそのものはオリガルヒとして無傷であるように見えてくる。プーチンの面子を立て、当面、叛乱を「鎮圧」したプーチン政権は維持されるとしても。

 

 プリゴジンそのものについては、事件収集後、ルカシェンコ情報で多少消息が漏れる程度であり、その姿については誰にも目撃されず、逮捕されたり、拘束されているという情報さえない。報道的には、プリゴジンの豪華邸宅の捜索だけが具体的な報道として示され、関連会社の接収という報道もない。少なくとも、専制的大統領プーチンに対する叛乱を主導し、それに失敗した首謀者の姿ではない。プーチンが、国民の前で、反乱を解決し、依然として

 

 さらにプリゴジンのロシア国軍に対する影響力、そしてその大きさを、ロシア南部ロストフ州の州都のロストフ・ド・ヌフ市のロシア軍基地をほぼ無血で占領したこと、また高速道をモスクワに向かって、何らのロシア軍による抵抗もなく進軍できた事実との関連で、どう見たら良いのか。ロシア軍の中級以下の将官の多くにとって、プリゴジンとその行動は断固阻止され排除されるべき事項ではなかったことは事実であろう。国軍の南部司令部を戦わず明け渡しているのであり、モスクワへの進軍を阻止する動きが、衛星写真を含め、外から全く見えなかったのであるから。初期には、戦闘機によるロシア空軍のプリゴジンへの攻撃があったようだが、戦闘機は撃墜されたとのことであり、その火力は依然維持されているのであろう。同時に、それ以外の阻止行動は、全く伝えられていない。

 どうも、ルカシェンコの仲介は、プーチンにとって、ぎりぎりのタイミングでのものであり、表面ヅラだけ、プーチンの権力保持を示すに過ぎないものといえよう。日本国内の報道では、ルカシェンコがプリゴジンに対して、プーチンに降伏するように説き、それに成功したかのように報道されている専制的な大統領として君臨している、という形を示しているだけである。実質的には、プリゴジン自体は叛乱に失敗しておらず、ルカシェンコの仲介で表面ヅラだけを当面丸く収めただけに見えてくる。と、私には見え、奇妙に感じていたが、単なる戦闘行為に至ることを停止するという仲介に成功したということであろう。

 その上で、露呈したロシア国軍のプーチンへの忠誠の弱さが、今後、どのように影響してくるのであろうか。戦場に向かう将校や兵士の間に、ウクライナ侵略の不当性への嫌悪や、何のために戦場で死をかけたかのかわからない状況が、浸透しているからこそ、プリゴジンに対して本格的な対立、戦闘を行わなかったのではないか。そんなことを感じる。

 

 その後の報道で、ロシアのベスコフ大統領府報道官が、叛乱収拾の数日後にプーチン大統領とプリゴジンおよびワグネルの中心的幹部数十名とがあっていた、ということを述べたことを知った。そこで、プーチンによるワグネルに高い評価が伝えられたとのことである。初めの報道とは、全く違う方向に向かっている。このベスコフの発言をどうみたら良いのであろうか。当初のプーチンの発言としてプリゴジンの叛乱を断固許さないと伝えていたのは、何だったのであろうか。

 ベスコフ報道官の発言により、叛乱とその叛乱分子に対する制裁、という内容が全く消えたことになる。

 

  また、79日付の朝日新聞の報道によれば、ワグネルは中央アフリカ共和国での介入行為を放棄したようである。このことでアフリカ大陸の状況は、さらに混沌としてくるであろう。他方で、ワグネル自体がそのままベラルーシで活動していることが、ルカシェンコより報道されている。ワグネルの解体そのものは、少なくとも全面的には行われず、ロシアの意図に素直に従うことをやめたということであろう。シリアとアフリカ諸国がどうなっていくか、ワグネルの「大きさ」を推し量る上にも、これからの動きが見ものということになる。

 

*2の記事を読んで

プリゴジンのその後(FT, Seddon, M. & A. Schipani, Wagner chief in surprise appearance at Russia’s Africa summit, FT, 28 July 2023, p.2 を読んで)

 プリゴジンのその後について、私にとっても、驚きのニュースが飛び込んできた。日本の新聞にも報道されていたが、FTで事実であるとより積極的に報道されている「事実」に関する記事で、今、ロシアのセントペテルスブルグで開催されている、ロシア政府によるアフリカサミットで、プリゴジンが現れ、中央アフリカ共和国の要人と会談しているという写真を、ワグネルの幹部が写したものが、プリゴジンのロシアでの活動を表すものとして、紹介されているとのことである。このことは、プリゴジンが、依然としてロシアの現体制にとってのアフリカ政策の重要な一翼を担っており、プーチンが彼を排除することを躊躇しているか、できないでいることを示すとの解説が、FTのこの記事にはついている。

 

 どうも、私が78日付のFTを読んで書いた論考の結論部分が、全くの見当違いであったことを確認できる内容である。ワグネルのアフリカの活動は、そのまま継続されており、プリゴジンがひきいるワグネルは、民間軍事組織として健在であり、事実上、あるいはかつてのように影の存在ではなく、ロシア政府の公認の下に堂々と、ロシアのアフリカ介入の主要な担い手として生きており、そのことを自らロシア国内で示せるようになっているということであろう。

すなわち、昨年のウクライナ侵略開始以前は、建前としてロシアの中では法的には存在を認められていなかった民間軍事組織が、ウクライナ侵略の中で、事実上、その存在がロシア政府のお墨付きを得たことにより、アフリカでの軍事行動をロシアで堂々と示せる存在となった、ということであろう。だからこそ、プリゴジンが、セントペテルスブルグで、中央アフリカの要人と会い、それを広く広報できるようになったと言える。

叛乱収集後のプリゴジンの自宅の家宅捜索と称するものは、何であったのか。やはり、プーチンが自らの力で事態をおさめたという形を、ロシア国民に示すための単なるポーズであったのであろう。実態は全く逆で、プリゴジンがプーチンに恭順の意を示し、ワグネルの事実上の解体のもと、本人のベラルーシへの亡命を許されたということではなく、プリゴジンがプーチンに恭順のポーズをとることと引き換えに、これまでのプリゴジンの民間軍事会社を含めた資産と存在を、プーチンが保証し、プーチンが事態を収集したという形を、ようやく実現できた、ということであろう。

 

この叛乱のプリゴジンにとっての成果は何であろうか。それは何よりも、その民間軍事会社としての存在のロシア政府による最終的な公認であろう。が、それだけではなく、それと並んでの大きな成果は、ロシア正規軍の前衛として、ウクライナ戦線で、自らの基本的な方針とは関係なく、消耗戦の最先端を担わされること、末端の使い捨てに兵士ばかりではなく、その中堅的な幹部を失っているであろうことからの離脱であろう。戦果が上がらず、何らの利権も手に入れられないウクライナ消耗戦、プリゴジンからみて無能なロシア国軍の指揮下でのそれを避けるためにも、そこからの離脱をプーチンに認めさせること、これこそがその主要な目的の一方であったのであろう。

ウクライナの消耗線、見通しがない戦いでロシア正規軍により使い捨てされること、特に、ウクライナの反攻が予想される時期の前に、ウクライナ前線からの離脱を実現するために、叛乱を起こしたのであろう。それゆえ、プリゴジンにとっては、アフリカ諸国での権益がらみの軍事行動をやめるつもりは全くなく、ウクライナ戦線からのワグネルの撤退をプーチンにのませるための叛乱であった、と言えそうである。

それをプーチンが全て飲んだから、モスクワへの進軍をやめ、叛乱をやめ、ベラルーシにワグネルごと「亡命」した形で、事態を収集するというプーチンの案を飲んだのだろう。プリゴジンの叛乱は、プリゴジンの思惑通りに大成功を収めた。同時に、プーチンも一応ロシア大統領、独裁的なそれとしての面子を保つことができた、ということであろう。アフリカでは利権を含めワグネルは健在である上に、ウクライナで強いられていた消耗戦を、ベラルーシで民間軍事会社としての存在を公認された上で、離脱し、ワグネルとしての存在の安全を確保し、再建が可能となった。アフリカでの権益も健在、プリゴジンとワグネルにとって、これ以上の良い結果はないと言えよう。叛乱はプリゴジンの当初からの意図を実現したという意味で、大成功であった。表面的には、プーチンに恭順の意をプリゴジンが示した形を取りながら、実質は「全て」プリゴジンの思惑通りになった、ということであろう。プリゴジンにとって「大成功」の叛乱であるといえよう。

 

ワグネルという前線での消耗を厭わない軍事組織が撤退した今、ロシア国軍はウクライナ軍の反攻の前にどうなるのであろうか。少なくとも東部ドネツク州バフムウトの争奪戦までは、ロシア軍はワグネルの消耗的な戦いを元に、「攻め」の姿勢を保てたようだが、ワグネル撤退後は、全くの受身に近い状況が報告されている。ウクライナ軍の反攻が遅々として進まないとも言われているが、ロシア軍の進軍そのものの報道は、ほぼ皆無である。守り一辺倒、自国領土にしたはずの4つの州全域を軍事的に支配することに成功するどころか、東部、南部、いずれでも、じわじわと後退していると伝えられている。

ワグネルのウクライナ戦線での存在の大きさと、戦線離脱のワグネルにとっての意味の大きさの双方を、改めて感じざるを得ない。

また、ワグネルにとっては、今や政府公認の民間軍事会社となれたし、ウクライナでの新たな利権の獲得が全く見通せない中、プーチンに忠誠を尽くし、ロシア軍が後退するウクライナ戦線で、消耗線の前線を担う理由は、全くない。また、美味しいアフリカでの利権を放棄する気もない。受け身にまわり多大な消耗線になっているウクライナの前線から、いかにうまく反攻にさらされる前にワグネルを引き上げ、ウクライナに展開していたワグネルを再建し温存するか、これが課題であったのを、すべて無事達成できるようにした。これが今回のプリゴジンの叛乱の一方の意味であり、叛乱の最大の成果であろう。

 

ここに至り、プリゴジンがモスクワまでロシア国軍の阻止行動にあいそうもなく、モスクワ包囲をできるようにも見えたにも関わらず、プーチンの顔を立てて叛乱を撤収した行動の意味を、私なりに納得することができた。ルカシェンコにより、ベラルーシでプリゴジンがワグネルを再構築する場を与えられた理由も含めて。

それゆえ、私の今の理解が正しければ、ワグネルがベラルーシからキーウに向けてロシア軍の尖兵として侵略を再開するといったことは、全くないということになる。利権を全く得られそうもないどころか、泥沼以外の何者でもないウクライナ戦線に戻る理由は、プリゴジンのオリガルヒを構成する民間軍事会社としてのワグネルには、もう全く存在しない。利権が豊富なシリアや中央アフリカに注力する、これこそが、軍事組織を核とした利益集団であるオリガルヒのトップとしてのプリゴジンにとって、極めて正当な行動であろう。 

 追記(9月10日)

  そして、8月23日、プリゴジンが搭乗していたエンブラエル社製のプライベートジェットが、モスクワからサンクトペテルブルグに向かう途中で墜落した。公開された映像では、真っ逆さまに墜落する当該ジェット機が映っている。そして、すぐさま、ロシア当局によりプリゴジンの死亡が確認されたとの調査結果が報道された。そして、当該ジェット機については、ロシア当局は墜落機の製作会社であるエンブラエル社にその墜落原因の究明調査を依頼しない、という報道が続いた。しかも、迅速に。

 自身が保有するジェット機で、ロシア国内をワグネルの幹部たちと共に自由に移動するプリゴジン、その彼が突然の死を迎えたとの報道である。それも事故死とは言えない墜落の仕方で、自身が保有するジェット機で、幹部と共に。見えてくるのは、プーチンによる、他のオリガルヒの対する見せしめを兼ねた暗殺以外の何者でもない、といえよう。報道された中では、プーチンが見せた最初の怒りが、本音であったということになる。

 とりあえず、反乱を収束し、プリゴジンを泳がせておき、安心させ、プリゴジンの周辺を再確認し、後始末の見通しが立ったところで始末をした。独裁者として、暗殺者として、ロシア外での評判も無視し、その本質を露骨に出した結末である。それだけ、プーチンにとって危機感は大きく、ロシア国内の潜在的対抗可能勢力に対し明確なメッセージを送る必要性を感じだのであろう。

2023年7月26日水曜日

7月26日 真夏の我が家の花々

 真夏になっても、我が家のサルビアは元気です。
花の咲いているのもあり、
花が日焼けして、花の数が減っているのもありますが、
葉は元気!

門の内側に置いた大きな鉢に植えたサルビア
こちらは、花がかなり減っているのもあります。

インパチェンスも、多くの花をつけ、朝夕は元気です。

長年冬を越したサンパラソルも、
結構、真紅の花をつけ、元気に咲いています。

ただ、陽がまともに当たり始めると、
真っ昼間、見事なほど葉がシナっとしてしまいます。真っ昼間は。



サルビアもインパチェンスも、すこし陽が翳ってきたら、
たっぷり水をやる、
これで、上のように生き返ります。
朝夕のたっぷりの水やり、これが不可欠、
それでも、真昼間は・・・。

庭の百日紅も、白とピンク、いずれも、花をつけ始めました。
白は下の方はかなり咲き切りましたが、
上の方の蕾はこれからです。


これからは、庭の芙蓉が楽しみです。
木槿と共に。