2022年1月24日月曜日

1月24日 FT記事、‘Russia Builds ‘fortress’ against western threats‘ を読んで

 FT記事を読んで

Seddon, M & P. Ivanova Russia Builds fortress against western threats’

FT, 19 Jan. 2022, p.2

渡辺幸男

 この記事は、基本的に今のロシアの対外スタンスを端的に表現しているものであった。対ウクライナについてのロシアの強行姿勢の背景について議論していて、その中心は、米欧諸国からのウクライナ政策についての金融制裁に備えているし、その水準は十分なものだ、という内容である。

 備えの第一は対欧州へのガス供給である。ロシアのガスへの欧州諸国の依存はあまり減っておらず、ガス供給制限を行うという脅しは十分意味がある、というのが、この記事の第一の論点である。第二は、米国の金融制裁に備え、外貨を積み増し、しかも外貨の構成でドル依存を減らし、金や人民元を増やしているという点である。この原資となっているのが、一方での石油価格高騰であり、他方での、成長率を抑え、国内インフラ投資の抑制していることであると指摘している。

 資源大国ロシアの面目躍如、これが原資となりプーチン大統領の対外政策での強気、侵略的姿勢、勢力圏の設定努力を支えていると言える。このような内容の記事である。

 この記事を読んで、プーチン大統領の強気の対外政策の、よって来たる所以を私なりにより強く理解できた。今のロシアにとって、資源価格の高騰は、強気の対外政策を実行する好機である、ということができよう。このような状況は、ごく短期なものではなく、それなりに継続する短中期なものといえよう。

 大きく状況を変えるとしたら、欧州のエネルギー依存の状況が、ロシアのガスを1つの中心とするものから、自然エネルギー中心、そして原子力発電の復活拡大による変化が本格化し、大きく変化する長期的な動向である、といえよう。それゆえ、資源大国ロシアとその強気は、当面、短中期では、維持されるということになろう。

 ただ、この記事の最後の方での指摘が、私には大変気になった。ドル依存を減らすために、ロシアが外貨の保有構成内容を変えるのみではなく、外貨の積み上げ努力をしており、そのために、国内景気への刺激を抑え、低成長率に甘んじ、またその流れとも言えるが、インフラ投資も抑えているということである。このことは、長期的な意味、特にロシア経済の現在の弱点を修正とするというより、悪化させる長期的な含意が大きいと、私には思える。

 ロシア経済は、旧ソ連解体後、一層、資源輸出国としての性格を強めている。その一方、軍事産業、すなわち政府需要依存を中核とした産業部門を除く、工業部門の国際競争力、もともと旧ソ連時代にもなかったが、旧ソ連圏内の囲い込んだ市場の需要を確保でき、それに依存して多様な工業部門がロシア国内に存在しえていた。そこから、旧ソ連解体後の国内市場での米欧企業、そして中国やトルコといった後進工業化国の企業との競争が生じ始めるという状況下で、資本財から工業原料そして安価な量産消費材まで、対外依存が高まっている。戦後高度成長期後半の日本と同様に、一通りの工業生産を国内生産できた旧ソ連時代と異なり、今や、工業面で内需対応能力のある国内生産のロシア系企業が激減しているだけではなく、外資系の企業のロシアへの直接投資も限定的であり、国内で内需向けの工業製品を生産することは、量産的な消費財から設備投資用の資本財に至るまで、基本的に困難になり、多くを輸入に依存せざるをえないようになっている。(藤原克美『移行期ロシアの繊維産業 ソビエト工業の崩壊と再編』(春風社,2012)は、本ブログでもかつて紹介したが、旧ソ連では繊維製品を繊維機械から始め紡績から衣服製造まで国内向けにソ連の国内企業が生産し、国内市場に供給していた。が、ソ連崩壊後は、衣服用の布帛は輸入品に変わり、繊維機械生産は壊滅的状況にある。国内完結型の繊維産体系が崩壊したことを示している。)

すなわち、工業製品については、相対的に優良あるいは安価な海外生産製品に大きく依存していることになる。多様な工業製品について海外生産品に依存していることでは、ある意味で現在の米国と共通しているのであるが、決定的な違いは、米国には企画開発し販売を行うファブレス的な先進工業製品生産企業が、多数立地しているのに対し、ロシアの場合、生産基盤が国内に存在しないだけではなく、国際競争力のある企画開発するファブレス企業も、ほとんどその存在は、我々には伝わってこない、という状況なのである。

 すなわち、国内市場向けの外資による乗用車生産工場も国内に存立しなくなった豊かな国オーストラリアと同様な状況、より人口が多く、一人当たりの豊かさでは、オーストラリアと比較すれば、まだまだな水準の国でありながら、その世界経済での位置づけでは同様になっていると言える。ただ、人口は、オーストラリアが25百万人余であるのに対し、ロシアは144百万人余である。六倍近くである。資源大国であったとしても、これだけの数の国民を、その生活水準面で米国並みに近づけるためには、資源大国である一方、他方での工業先進国であること、工業製品分野での、何らかの意味での先進化が必要であろう。この点では、全くもって未だの感があるのが、ロシアという資源大国である。

 このような状況での、インフラ投資抑制、成長率抑制が意味するものは何か。これが、このメモで考えたいことである。もちろん短中期ではなく、長期的なロシア産業そして経済展望ということになる。米欧からの経済制裁、ここからは、高級消費財や資本財等の先端工業製品の輸入が多少困難になる可能性が存在する。しかし他方で、中国やトルコとは友好関係を構築しており、それゆえ、安価な消費財や部材とそして量産的な電子製品等についての貿易関係も順調であろう。ロシア国内企業の工業生産が、米欧による経済制裁の過程で、国内市場向けにでも多くの分野で復活し、ロシア国内での市場競争力を構築することができる展望を見出すことができるかどうか、これがロシア経済の長期的な課題であろう。

 しかし、今のインフラ投資を抑制し低成長を受け入れても、米欧諸国と対立しながら、旧ソ連圏諸国への対外強行政策を維持する、というプーチン政権の姿勢から、このような展望は、全く見出せない。プーチン大統領が君臨していると考えられる短中期的な期間では有効な対外政策だが、プーチン後のロシア経済の展望としては、全く逆行的な政策であると思える。この政策は、トルコや中国経済の発展にとってはロシア市場を今以上に確保できるという意味で大きな意味がある。がしかし、ロシア工業にとっては、経済としての長期的発展には逆行する政策といえよう。私にはプーチン大統領の当面の君臨維持のためだけの政策にみえる。ロシア経済の先進工業化のためには、全く逆行的と思えるのである。軍需産業以外についての国際競争力のある工業分野企業のロシア国内形成が、海外企業のロシアへの直接投資を含め、天然資源輸出優先と国内インフラ低投資からは、全く見えてこない。

 資源立国ロシアの資源を利用した国際的に優位な強い立場、そして当面のその維持は可能でも、それ以後の発展展望が見えない。プーチン大統領の野望、威信維持のために、偉大なロシア(帝国)再建のために、長期的発展、豊かな天然資源を活用した豊かなロシア経済とそして豊かなロシア国民生活への道の模索が停止されているのではないか。そのように感じられてしょうがない。

 余計なお世話、資源輸入国日本の老人が危惧する必要が全くない話であるかもしれない。しかし、豊かな安定した隣国の誕生は、隣国日本や中国、そして欧州諸国にとっても大変大きな意味のあることであろう。それに対して、軍需用の一部分野を除いた一般的な工業製品については、ほぼ全面的に外資そして輸入に依存する資源大国、国民的な豊かさを実現し難いが故に、国際的な威信の回復を領土的な覇権によって自国民にみせざるを得ない政府、これは隣国にとっては、大変厄介な話である。

北方領土問題も、この脈絡からは、絶対何らの進展も見せないであろう。弱い工業生産力にもかかわらず、強力な覇権国家であることを常に国民に示すことが存立継続の第一条件となっているプーチン政権にとって、領土を拡大することを志向したとしても、第二次世界大戦で事実上獲得した領土を一寸たりとも隣国に戻すといったことは、政権としての自滅以外の何者でもなく、絶対的に避けるべき事態であろう。

2022年1月1日土曜日

1月1日  壬寅元旦

 壬寅元旦

謹 賀 新 年

渡辺幸男

 

今年も、元気に新年を迎えることができました。本年もよろしくお願いします。

昨年1年間、ほぼ、住まいがある中郡二宮町から出ない生活。出ても中郡大磯町の東海大大磯病院に、ほぼ定期的に三月に一回ほど通院する、あるいは、買い物に近所の市や町のDIYに出掛ける程度でした。会議や学会の多くも、リモートで開催されたので、自宅から出ることなく、多くの方と議論をし、打ち合わせをしました。

昨年は、正月の一族の集まりも中止し、静かな正月、といっても娘家族6名は来ていたので、それなりに賑やかでしたが、いつもよりはですが。また、昨年、多摩川を越えたのは数回、最後は10月に中小企業研究奨励賞審査の際、現物の応募作品を一覧する必要から、第1回専門委員会に出席するため、茅場町まで出かけました。新型コロナのため、ということができますが、元来の出不精であり、自宅での庭いじりと周辺の散歩で毎日を過ごし満足する私にとっては、それほど普段と変わらない日常で、楽しく過ごしたと言えます。

20194月に受けた腰椎あたりの骨髄炎の手術、骨髄炎そのものの再発もなく、痛みは全くないのですが、骨髄炎の炎症で圧迫されて神経の一部が傷み、右足に痺れが残っています。平らなところならば、杖を使わず、歩き続けることができるのですが、坂道をそれなりのスピードで歩くためには、杖が不可欠なような状況のまま、この2年半を過ごしています。私の住む二宮町百合が丘は、名前の通り丘にできた住宅地なので、家から出れば、登るか降るかしかなく、坂道を散歩で歩き回るには杖が必携となっています。

手術後、右足の痺れが残ったこともあり、運転中に血圧が上がり、問題が生じる可能性を感じたので、昨年の春、免許の更新を諦めました。そのため、坂の上のほうに住みながら、運転ができず、近所での買い物も、車を使うことはできなくなり、散歩のついでにスーパー、コンビニやドラッグストアに立ち寄る時に行うような状況です。杖をついての移動や買い物、そして妻の運転での買い物、これが日常になりました。

また、中小企業の研究者としての名残りは、中小企業研究奨励賞の審査委員、今年度からは審査委員長ということになりましたが、これが唯一の定期的な研究面の季節労働となっています。10月から翌年3月まで、中小企業研究書を読み、評価をし、選評を書くといった作業を毎年行っています。昨年の10月から、興味深い本も、私にとっては評価できない本も、幾つも読み、私なりの評価原稿を書いてきました。審査委員間の評価が割れる著作も多く、経済部門の主査として、委員会の見解まとめる苦労を、ここ数年繰り返しています。一般の審査委員であったときは、自分の見解をもっぱら主張し、後の始末、まとめは主査にお任せだったのですが、自分が主査となると、そうはいかず、ヒラの審査委員の立場での参加が懐かしく感じられるこの頃です。

 また、昨年は、黒瀬直宏、小川正博、向山雅夫の3氏と共著で出した『21世紀中小企業論』の改訂が進行しました。すでに第3版を2013年に出し、定年退職し、講義を持たなくなった私としては、今更中小企業論の教科書を改訂し

ても・・・、と思っていたのですが。まだ現役の仲間から、統計等が古くなっているから教科書として使いにくいので、改訂しようという話が出て、また、毎年のように増刷がなされていることもあり、有斐閣の編集者の賛同も得られ、改訂版を出すことになりました。その作業として、原稿修正、初校校正、第4版用序文執筆といったことを行いました。今年中に、再校の校正を経て、出版される予定です。私の単著は2016年出版の『現代中国産業発展の研究』という慶應義塾大学出版会から出た本で最後ですが、研究者の名残りで教科書の改訂版を出すことになったと言えます。

 このような研究者の名残りの仕事、そして庭仕事以外、現在の私の日常の大きな部分を占めるのが、好きな本、好みの分野の本を濫読するということです。大きく2つないし3つの分野の本が気になっています。1つは、近世・近代の東アジア経済史です。これはまだかつての研究者としてテーマに近いのですが、後2つは、大きく離れています。

1つは中国と中央アジアを中心とした古代史と中世史、近年多くの遺跡が新たに発掘され、新たな史料が数多く発見解読されています。これまでになく、その時代の経済的政治的実態が明らかになってきています。素人として、文庫本レベルから科研費による研究の成果物としての著作まで、楽しく濫読しています。学生時代にスウェン・ヘディンの全集を読んで以来気になっていたテーマで、その蒸し返しとも言えます。

今一つは、インカ帝国に代表されるような中南米のスペインによる征服以前の歴史です。これも、近年多くの成果物が出版され、素人にも理解できるような形で成果が示されています。改めて、濫読の楽しさを味わっています。

 濫読の対象については、中小企業研究奨励賞の審査のように、文献についての評価を自分なりに行うこと、これは全く必要ありません。当たり前ですが。でも、このような読書を自由にでき、かつ、それを読書の中心としてできるのは、ゼミに入る前の20歳までの時代以来と言えます。本を読むのが好き、しかも理屈っぽいのが大好き、ということを再認識しています。

また、3つのテーマ間のつながりは、私の頭の中にも全くありませんが、好きということは、このようなことだと考えています。

2021年12月20日月曜日

12月20日 本格的冬到来、我家のエントランス

 我が家のエントランス、
完全に冬が到来しました。
昨日、今日、本格的な朝の冷え込みとなり、
最後まで門の前に飾っていた
サルビアの鉢が茶ガレしました。
お隣との境にはクリスマスローズと西洋桜草
まだ、緑だけですが、元気に育ち、蕾も少し見えてみました。

春から秋まで、
エントランスを賑やかにしていたゼラニウム、
軒下に目一杯、詰め込みました。
多分、春にまた元気に多くの花をつけてくれると思います。


門の前のサルビアを撤去したので、
門のところは寂しい状況です。
早く西洋桜草とクリスマスローズの花が咲いてくれること
期待しています。

例年、かなり大きくなっているノースポールの苗ですが、
今年は苗の植え替えをしなかったせいか、
まだ、花芽をつける大きさになっていません。
春先の楽しみとなりそうです。
私が、我が家で苗から育てた草花
だんだん種類が少なくなってきています。
が、とりあえず、今年の冬も花を楽しむことはできるようです。



2021年11月28日日曜日

11月28日 初冬の我が家の庭とエントランス

 今朝、窓を開けたら、
お向かいの家の屋根がうっすら白くなっていました。
初霜です。
家の車の屋根はまだ白くなっていませんでしたが、
2階家の屋根には霜が降りたようです。
昨日の我が家のハゼ、
だいぶ葉は落ちましたが、全部、紅くなりました。

昨日の夕方、我が家の2階から見たハゼ、
神秘的な紅色に染まっていました。
ハゼの紅葉の楽しみ、もう直ぐおしまいです。


日曜日の朝は冷えるとの予報なので、
エントランスの花々も冬の花に入れ替えました。
まずは、秋から芽生を植え付けていた西洋サクラソウ
まだ花芽は見えませんが、葉が元気に茂ってきたのを並べてみました。
真冬に、今年も楽しめそうです。


下の写真は、クリスマスローズ、
まだ蕾はついていませんが、元気に何鉢も育ったので、
玄関の手前に並べました。
これも、真冬の楽しみな花。


ゼラニウム、
春から秋まで咲き通してくれたゼラニウム、
多くを軒下に移動しました。
なんとか、冬を乗り越えてくれることを期待しています。
マーガレットもいくつか元気なので、
これも冬に期待の花です。

サルビアは、この夏に勝手に庭のそこかしこで生えたので、
霜が降りる前と、先週、鉢に植え替えました。
それらを、テラスの中に入れました。
冬の間テラスで咲き続け、
春になったら路地植え等で、賑やかに咲き続けてくれるでしょう。
真ん中の大きなサルビアは、
今年の春に教会の花壇に植えた3本のうちの1本、
夏をこし、大きくなって賑やかに花をつけていますが、
霜に当たると枯れてしまうので、
花壇から掘り起こし、鉢に植え直し、
我が家に戻しました。
この冬は大いに楽しませてもらえそうです。


苗のサルビアも10本以上、取り込んだので、
来春も、新しいサルビアを楽しむことができそうです。
なお、今年は、冬の定番、ノースポールの苗が、
育ちが今ひとつなので、
どの程度楽しめるか・・・


2021年11月18日木曜日

11月18日 晩秋の我が家の庭 ハゼの紅葉とクリスマスカクタスの開花

 我が家の庭の晩秋の主役、ハゼの紅葉が本格化しました。
下の写真は今日18日の紅葉です。
木の先端の部分まで紅葉が始まっています。



こちらは15日の写真、
同じような蒼空ですが
紅葉の紅さが今ひとつです。
3日間、このところの朝の冷え込みが、
紅葉を進めたようです。

風が吹くと、紅葉した葉が一気に落ち、寂しい姿になりますが、
しばらくは楽しめそうです。

下の写真は、クリスマスカクタス、
いつもよりも多少遅めに咲き始めました。
まずはシャコバサボテンが楽しめます。
下に見えるのはカニバ、
蕾がつき始めた鉢がいくつかあるといったところです。
これから冬にかけ、我が家のテラスの中で、
賑やかさを醸し出してくれます。

今年も、西洋サクラソウや、クリスマスローズ、
そしてノースポールといった、
真冬に咲く花々の準備を始めました。
まだ、青々とした葉を茂らせているだけですが、
いずれ花をたくさん
路地でつけてくれるでしょう。
楽しみです。


2021年10月7日木曜日

10月7日 Martin Wolf ‘Threats from China’s real estate bubble’ を読んで

Martin Wolf Threats from China’s real estate bubble

 (「中国の不動産バブルのもたらす脅威」)FT, 6 Oct. 2021, p.17 を読んで

 

*この論説記事の私なりの要約

上記のWolf氏の論説記事の小見出しは、小見出し1が、 ‘Property’s great boom has reached its limit the economy now needs new drivers of demand’ であり、小見出し2が、 ‘Policy should shift spending towards consumption, and away from wasteful investment’ である。住宅建設資産形成によるブームが限界にきており、新たな需要創出が今や必要であると言うのが、第1の小見出しである。投資効率が下がっており、政策は、消費支出増大に向け舵を切るべきである、と言うのが第2の小見出しである。

 つまり、Wolf氏は、中国でGDPに占める貯蓄の比率が高く、同時に固定資本形成の比率が極めて高く、しかも近年それが高まっていること、しかし、それにもかかわらず成長率は低下し、投資の効率が顕著に低下していることをまずは指摘している。同時に、家計や非金融企業の負債が高まっていることも指摘している。すなわち、借金の増大で固定資本形成比率が高まっているが、それが成長率の上昇に結びつかず、逆に成長率低下となっていることを指摘している。非効率な投資が増加していることを意味するとしている。

 また、住宅については超過供給能力となっており、かつ住宅保有比率も極めて高くなり、不動産ブームの終焉のシグナルが示されている、とも述べている。

 それ故、住宅投資を一方の中心とした投資重視の方向から転換し、消費支出拡大、家計と公的の双方の消費支出の構造的改革に基づく拡大こそ、今の中国経済にとって必要なことであると指摘する。固定資本形成、特に住宅投資依存での成長維持の行き詰まりを、恒大集団の不良債権問題の顕在化に見ている論説記事と言える。

 

*このWolf氏の論説記事を通して考えたこと

住宅としての不動産の建設供給は、近年の効率が低下しているとしても、中国経済成長の1つの核であったが、それも、もう無理であると言うのが、Wolf氏の見立てであろう。GDP成長の中心を、住宅投資を中心とした国内固定資本形成から、公私双方の消費支出の増大へと、大きく構造改革することの必要を述べている。

 住宅を中心とした不動産投資は、価格高騰ゆえに販売が困難になり、収益性が低下しているだけではなく、実需自体が価格水準如何を問わず縮小している、と言う見立てをしているのが、Wolf氏である。これは、107日付の朝日新聞朝刊6面の中国対外経済貿易大学教授の西村友作氏へのインタビュー記事(西山明宏「中国恒大危機 リーマンとは違う、経済の危機や崩壊 つながらない」同紙13版)とは大きく異なる内容となっている。そこでは、住宅需要に関して、「いまだに実需が強い」とし、「仮に価格が下がっても、・・買いたい人はすぐ出てくるので、下支えされる」としている。

 この点で興味深いのは、Wolf氏の記事に掲載されている「住宅はますます投機的資産(increasingly speculative asset)になっている」と題されたグラフである。そこでは、住宅の購入者を、最初の住宅購入か、それとも既に1つの住宅保有、さらにはそれ以上の住宅を保有している人の購入かで分け、それぞれの比率を出している。それを見ると、2015年までは60%前後の事例が最初の住宅の購入者であったのに対し、その後急速にその比率は低下し、2018年には最初の住宅購入者の比率は20%以下を占めるに過ぎないものとなり、2戸以上の住宅をすでに持っている購買者が20%を上回り、両者が逆転している。また、過半を占めているのは、すでに住宅を1戸保有している購入者層である。住宅価格高騰下での住宅購入者層の劇的な変化が示されている。すでに住宅を持っている人々が、運用資産として住宅を購入していることが圧倒的に多いことを思わせる統計である。

 問題は、この統計をどう読むかである。Wolf氏は、価格高騰等の要素を考慮しても、これこそ住宅購入者層の本来的な大きな変化を示していると読んでいる。それに対し西村氏の見解は、このグラフはあくまでも価格高騰ゆえに、通常の住宅購入希望者層の手に届かなくなったことの結果(私が勝手に推論して、あえて言うならば)のグラフと、見ていることになろう。どちらが正しいのであろうか。

Wolf氏の主張が妥当であれば、GDPレベルでの何らかの大きな転換を達成できなければ、住宅バブルの崩壊は、中国経済にとっては、生産性は低下しつつあるとしても、経済成長の大きな動力であった住宅投資を一挙に縮小させることになる。結果として、巨大な貯蓄の使い道が失われ、より一層の低成長ないしは停滞に陥ることになろう。恒大集団の不良債権問題は、不良債権として巨大で、それゆえに金融市場への波及を免れないだけではなく、中国経済の成長構造を本格的に変えることができなければ、中国的な経済停滞に陥る可能性を示唆するものとなっている。

 低成長化した中国経済にとっての住宅投資のもつ意味の評価そして国民経済上の位置づけが、Wolf氏の議論は先にブログに掲載した私の見解とは異なっている。このような私との差異から、Wolf氏の議論は、中国経済の大きな転換、消費支出主導への転換の必要性を強調する議論となったといえる。

Wolf氏の議論を妥当なものとすれば、その上で、考えるべきは、消費支出増大主導の経済成長への転換は、現在の中国経済にとって可能なのであろうか、ということになる。可能であるとすれば、どのような政策とプロセスで可能となるのであろうか。残念ながら、転換の必要性だけに触れ、これらの点についてWolf氏の記事は触れていない。それしか道はないというWolf氏の主張の反映と言えるかもしれない。

他方、西村氏の理解が妥当ならば、住宅ブームは住宅価格のバブル崩壊し価格がある程度下落し、多くの中国人にとって手の届く価格まで低下すれば、再度、住宅需要が本格的に膨らみ、住宅投資を経済発展の1つの軸とした経済発展の再来が、中国経済にとって見込めるということになろう。が、どうであろうか。

私の前回のブログも、ある意味で西村氏の理解に近いものであった。住宅バブルの崩壊自体は、これまでの中国の経済発展のあり方に大きな変更をもたらさず、金融的にバブル崩壊の余波が解決すれば、一時的な経済縮小要因にとどまり、高度成長が再現することはないとしても、2010年代並みの成長が中国経済で回復する、と言うのが私の理解であった。そこに、1990年代の日本経済のバブル崩壊と金融危機の後の、国内製造業生産構造の大変化を伴った故の長期停滞化との、中国経済の現状との差異を見出した。

このようなことから言えることは、中国経済の今後を占うには、1つは、2010年代の経済成長の一方の担い手であった住宅投資の実需がバブル崩壊後に回復可能かどうかが重要である、と言うことであり、また、住宅投資の回復がなくとも、これまでの中国経済の成長を支えてきた住宅投資以外の需要、世界の工業製品の製造拠点としての成長と、消費財のみならず資本財についても巨大化した国内市場の一層の拡大を国内生産が担うことでの成長、これらにより、住宅投資の停滞ないしは縮小をカバーして、それなりの成長を維持できるかどうか、いずれかが可能か、と言うことになる。さらに言えば、Wolf氏流に、消費支出の大幅な増大を何らかの方法で実現するということでも、成長率の回復は見込めるであろう。

ただ、Wolf氏は一方的に消費支出の増大が必要というだけで、その可能性に関わる検討はない。西村氏によれば、住宅投資についても、バブルがはじけ住宅価格がある程度低下すれば、住宅需要は本格的に回復するということになる。そうであれば、従来の成長軌道より多少成長率は下がるとしても、従来の形態で、中国経済の成長が回復し維持されるであろう。私から見れば、西村氏の見解は、住宅需要の回復について極めて楽観的であり、また、Wolf氏の消費支出の増大への期待は、政策的にどのような筋道で可能かが見えてこない。

その上で、従来の構造を前提にしても、住宅投資以外の中国経済の現在持つ可能性が発揮され、ある程度の成長が維持される可能性が高い、というのが、私の考えである。全く裏付けを示さない議論ということでは、Wolf氏の消費支出の増大の必要性の主張の実現可能性と、私の議論は同様であるが、このような可能性が高いと、今のところ考えている。住宅投資バブルの崩壊後、金融的混乱はあるとしても、その後、中国経済の成長は、従来構造を前提に、住宅投資の急回復がなくとも、それなりに回復するのではないか、というのが、私の見立てである。

ある意味、これは「八卦」であるが、「八卦」なりの根拠は、私が2000年から2011年にかけて実際に見てきた中国経済の巨大さ、そこでの民営企業の模索の極めて多数で多様であること、それらを地方政府が支援し、大中小様々な企業が多様な可能性を現実化させていた事実である。このような環境が、習政権の下で大きく損なわれているようなことが生じていないならば、私の「八卦」は当たるのではないかと思っている。

 

参考記事

Martin Wolf Threats from China’s real estate bubble

        Financial Times, 6 Oct. 2021, p.17

西山明宏「中国恒大危機 リーマンとは違う、経済の危機や崩壊

 つながらない」朝日新聞、107日朝刊、13版、6面

(対外経済貿易大学教授の西村友作氏へのインタビュー記事) 

2021年9月30日木曜日

9月30日 小論 恒大集団の‘取り付け騒ぎ’ を聞いて

          恒大集団の‘取り付け騒ぎ’ を聞いて    

渡辺幸男   

 

 中国での不動産開発を中心とした急成長巨大企業である恒大集団の債務不履行の可能性と‘取り付け騒ぎ’を聞いて、1990年代初頭のバブル崩壊、そして半ばの住専破綻を契機とした日本の戦後成長の行き詰まりそして金融破綻、いわゆるバブル崩壊とその後の現在に続く日本経済の停滞の継続を思い出した。1991年のバブル崩壊・土地価格暴落の結果として生じた1990年代半ばの金融危機の発生は、住宅金融をめぐる住宅専門金融機関、住専の破綻を契機としていた。

 不動産価格の下落、不動産投資が主力の金融機関である住宅金融機関の破綻、それらが、そこに融資をしていた都銀等へと波及し、多くの銀行が経営困難に陥り、倒産が生じた。金融が一気に縮小し、経済全体の縮小へと波及した。これが、90年代後半まで続き、金融状況はその後落ち着きを取り戻した。しかし、日本経済の成長は低成長というかほぼ停滞のまま、90年代初頭から見れば、現状まで、30年間継続していることになる。

 

中国恒大集団の債務不履行騒ぎに、中国経済の高度成長の終わりの始まりを見るべきか。すなわち、2020年代中国経済に、1990年代半ばの日本の住専破綻に端を発した、北海道拓殖銀行の倒産をはじめとする金融破綻への道、そして経済成長の停滞の四半世紀へと日本経済が辿った道の可能性を見るべきか。これを見ているのが924日付のFTでのJ. Tett氏の議論と言えよう。私にとって、興味深いFTの論説員の議論である。

 

金融破綻の可能性、それが持つ、その後の重苦しい経済停滞長期化の可能性、それを考えるのには、金融破綻だけが日本経済の90年代以降の停滞を規定していたのか、この点を考える必要がある。中国の恒大集団の債務不履行騒ぎは、まさに不動産投資の過熱がはじけたバブル崩壊の本格的開始を合図するものであろう。日本の住専の破綻が示したように。この点は、私にも確かなように見える。

ただし、日本経済の場合の90年代は、バブル崩壊と共に大きな経済構造変化が生じていた。日本経済の成長、高度成長から安定成長へと続いた成長を主導してきた主要製造業のうち、量産型の耐久消費財を中心にした機械類の生産が、まずは日欧米の三極生産体制にシフトし、そのうちの日本の生産体系が基本的に国内完結型の生産体制から東アジア大の生産体制へと本格的に移行する過程であった。同時に、その過程は、韓国・台湾企業の追い上げにより、量産機械の生産での日系企業の全般的な優位性の喪失過程でもあった。

日本国内で設計開発のみならず部材の加工から完成品の生産まですべて行う生産体制が、戦後高度成長過程を主導した日本の製造業の特徴であった。国内生産の日系企業が量産耐久消費財としての機械で国際競争力を獲得し、かつ、国内完結型生産体制化がかつてない水準で実現したのが、1980年代初頭までの日本経済であった。他方で1980年代には、日本、欧州、北米の3大消費地にその生産拠点を展開する生産体系に移行した。そのうちの日本国内の生産体系を構成していた部分から、繊維製品の生産工程、そして量産型機械の完成品組立と部品組立の工程が、日本国内の生産拠点から韓国台湾そして中国へと展開し、国内工場はそれらの母工場化した一部の工場を残し、乗用車産業以外はほぼ量産工場を東アジアのうちの国外に持つという、東アジアを範囲とした生産体系からなるという意味で海外生産化した。これにより3極生産体制化のもとでもかなり維持されていた国内完結型体制の終焉が生じた。これが90年代に生じた日本経済の大きな構造変化であった。

乗用車は例外的に完成車と主要部品の国内生産を維持していたが、その乗用車生産も1990年前後の一千万台規模の国内生産をピークに、波打ちながらも漸減している。国内市場向け国内生産をほぼ維持し、一定部分の輸出向け生産をも維持しているが、90年代以降、生産拡大への展望は消えている。ちなみに日本自動車工業会の資料によれば、2019年の乗用車の国内生産台数は軽自動車を含め830万台余(自動車工業会「表1 四輪車生産台数」より、同所URL,2021928日閲覧)である。

もちろん、他方で、乗用車生産が国内生産水準をある程度維持していること、量産機械の企画開発が国内に残り、量産工場もいくつかは日本国内に残っており、耐久消費財としての電子・電気製品の日系企業の国際競争力は、大きく減退しているが、産業機械等の資本財生産は多くの分野で優位性を維持し、グローバルな需要に依然として国内生産で応えている。これらの部門では内部には栄枯盛衰があるが、全体としてはかなり拡大していること等で、対外貿易収支の赤字化は回避され、かつ海外進出企業の収益増から等で、国際収支バランスは依然として黒字基調であり続けた。その限りで、日系企業のグローバル市場での相対的後退にもかかわらず、日本製造業の東アジア化は、日系企業群に発展可能性を与えたが、同時に、日本経済の低成長化さらには停滞化をもたらした。その下での国民経済単位での、ある意味での安定をもたらした。国内経済としての成長率でみると、量的には明らかに停滞基調であったが、製造業を中心とした国内経済活動の内容は大きく変化し、ICT化等の高度化が進展し、インターネットや携帯電話そしてスマートフォンの普及に見られるように、国内の消費者の生活も大きく変化した。日本の国内経済のこの30年間は、すなわち量的に停滞したが、激しい構造変化を被りながらも縮小することなく、質的に高度化が進展したと言える。少なくとも経済の縮小・衰退の30年間ではなかった。

それゆえ、日本経済の30年間にわたる停滞が生じた点の中核は、金融機関の機能不全ではなく、国内完結型の産業構造が東アジア大の地域間分業へとシフトし、日系企業の得意分野で日系企業以外の東アジア系企業の台頭が見られたことにある。金融機関の機能不全は短期的には大きな影響を与えたが、30年間にわたる日本国内経済の量的停滞要因ではない。

この30年間で、我々日本国内の消費者が主として使用する家電製品の圧倒的部分が、部品から完成品までの国内生産の製品から、完成品組立だけではなく、量産部品も含めた、海外、主として東アジア生産体制へと移行し、さらには生産者が日系企業かどうかに関わりない形態へと、移行したのである。大量生産の衣料品は、ほぼすべて海外生産製品であるし、テレビ、テレビの液晶表示装置、スマートフォン、エアコン、そして最先端の半導体等々、多くの量産耐久消費財とその主要部品も海外生産化している。この変化が、この30年間に生じた。また、海外生産化した量産機械等に変わる、国内経済の順調な拡大を可能とする担い手、巨大な拡大を持続する国内立地の新産業部門あるいは新産業部門群等は形成されなかった。結果、経済の質的高度化は進展したが、経済規模の拡大は鈍く、ほぼ停滞を続けた。

 

 このように見てくるならば、今の中国の中長期的展望を考える際に重要なのは、今から生じてくるであろう不動産バブルの大崩壊、その不動産バブルの大きさは80年代末に日本どころではないことが、具体的な数字で、927日付の日経の1面の記事、「中国、不動産バブル懸念、かつての日本超す」(日本経済新聞、927日、第12版)に示されているが、その大きさ自体ではないと言えそうである。なお、現状では、中国政府は、不動産価格高騰に関しての政府批判拡大を踏まえ、価格のこれ以上の高騰を抑制しつつ、他方で、国有の金融機関、中央政府と地方政府の国有銀行や国有投資会社を動員して、不動産バブル崩壊の全面化に対する抑制努力を展開している。まさにその象徴が、日経の記事 (1) で報じられた、地方政府所有国有企業による恒大集団が保有する地方銀行の株式の買収であろう。まずは、本格的なバブル崩壊とならないよう、国有企業を動員しての政策的対応が全面化し始めている、と言える。

今の中国経済は、そして中国政府は、政策的に、一方で住宅を中心とした不動産価格の高騰を抑制する一方で、その影響として不動産バブルの崩壊を防ぐ、その正念場に至っていると見ることができる。これらの政策が有効に機能して、不動産相場が安定化するとともに、不動産バブルを崩壊させることなく萎ませることが、中国政府の狙いであろう。しかし、バブルはバブルである。多様な、かつ多数の国有企業という他の資本主義諸国の多くが手にしていない巨大な介入手段があるとしても、市場経済、資本主義経済でのバブルの本格化を、軟着陸させることは容易なことではない。まずは無理であろう。不動産価格の今後の急騰を期待できないことは、政策的に中央政府から示されている。急騰を前提に投資を行ってきた不動産民間企業の資金繰りを、たとえ国有企業を総動員したとしても、不動産価格の急落につながらないように、そして金融不安を生じさせないように救済することは、可能だとは、私には思えない。

日本株式会社と呼ばれ経済介入が大好きな日本政府でも、90年代の日本経済の不動産価格の急落に端を発した金融危機の本格化を阻止できなかったことが、今回の中国政府の介入の有効性の限界を示唆するものと言えよう。中央政府は、不動産価格のこれ以上の高騰を避けることを、主要な政策的目標としているのであるから、不動産価格の再高騰はあり得ず、それがなければ、不動産価格高騰を前提として投資行動をしていた不動産関連企業の資金繰りの行き詰まりは、恒大集団に限られたものではない。これからも次から次へと現れる可能性が大であることが、既に示唆されている。その結果は、バブル崩壊が不可避ということである。これが最も可能性の高いシナリオであろう。

このバブル崩壊を転機に、中国経済の成長を主導した諸産業、これらに、どのような変化が生じるか、あるいは変化が生じないで、再度従来通りの成長過程を辿れるか、あるいは、新たに巨大な成長部門が、内外の需要に対応して中国国内に形成されるかどうか、ということになろう。

 2010年代の中国経済の発展は、世界の量産機械、特に耐久消費財としての諸機械の最終生産の拠点としての発展と、10数億人の急成長する巨大国内市場、典型的には世界最大の乗用車生産と市場すなわち国内消費水準、それに巨大な住宅建設投資に表現されているが、今回は、このうちの住宅建設投資の担い手である恒大集団の破綻(いまのところ多分と言うべきだが)となった。その中身は日本の場合と異なり土地売買すなわち土地の投機的売買ではなく、住宅建設としての資本財の投資である。その意味で、不動産投資のバブル崩壊は、単純な住宅価格の下落による金融機関への大打撃だけではなく、住宅建設投資用の巨大な鉄鋼やセメントといった資材需要への波及も存在している。それらの建設資材の生産への影響も巨大であると考えられる。

中国国内経済の発展持続可能性は、それらの住宅関連部門を含めた中国国内産業諸部門の国内での発展が維持されるかどうかに関わるといえよう。日本の国内市場も、欧州各国や東アジアの新興工業国に比べれば、市場として十分大きく、乗用車等の生産での規模の経済性実現について、当時としては十分な大きさを持ち、国内需要依存でまずは高度成長を維持したが、80年代には海外市場の開拓が、その主要な経済成長の要因となっていた。

 それに対し、中国経済は、現時点でも国内市場の開拓余地が巨大に存在し、国内市場の拡大が成長の一方の柱であることを失っていない。さらに、国際的な生産体系の中での中国の生産拠点としての存在意義も大きく失われてはいない。例えば、鴻海精密工業のようなEMSの主力工場の急激な中国外への転出は見られていない。90年代の日本では、国内の東北地方等の周辺地域へと進出していた日系企業の量産分工場群が、一斉に海外特に東アジア地域へと転出したのである。主力量産基地としての日本国内地方工場の存在意義は、衣服等の軽工業製品のみだけではなく量産機械製品でも、日系企業にとってもほぼ完全に失われた。ほぼ全ての量産製品の生産が90年代を通して海外化し、乗用車以外は東アジア化したと言える。

 以上のように日本のバブル崩壊後の停滞を理解すれば、1990年代の日本国内で生じたような、経済発展のあり方を大きく変え、設備投資を海外化させ、国内設備投資の大幅減退をもたらすような、大きな構造変化が中国経済に生じるとは考えにくい。もしこのような大きな変化が生じなければ、中国経済は、今回の不動産バブルの後の不動産不況を核とした一時的不況は、不況としては極めて深刻なものだとしても、その後に長期にわたる経済停滞に陥ることはないであろう。

 

 日本の1990年代以降の経験から言えることは、不動産バブルの崩壊といった景気循環的な事象と、中長期にわたる経済動向、経済停滞の長期化といった事象とは、その要因が異なることを認識し、分けて考える必要があると言うことである。そこからの結論は、中国の中長期の経済展望は、90年代に日本経済が陥った停滞状況とは、大きく異なる、ということであろう。

 

ただ、近年の中国経済の発展論理とそれをもたらしている経済構造の分析を追究していない身としては、推論の積み重ねに過ぎない議論だとしても、これ以上の議論は不可能である。現状分析に従事している中国経済研究者の分析の成果を待つだけである。ただ、この後何が生じるか、中国経済の再度の発展がどのような形で生じるのかを見ていくことは、日本のバブル崩壊後の30年にわたる停滞を、研究者として経験してきた身としては、大変興味深いところである。

 

参考記事

Gillian Tett, Look to Japan for lessons on Evergrande

Financial Times, 24 September 2021, Asia, p.17

川手伊織「中国、不動産バブル懸念 かつての日本超す」

日本経済新聞、2021927日、12版、1面

(1)  土井倫之・木原雄士「中国恒大、地銀株を売却 1700億円、資金繰り確保急務」日本経済新聞、2001930日、12版、17