2022年12月13日火曜日
12月13日 我が家の晩秋
2022年11月20日日曜日
11月20日 秋深まる中、我が家の元気な鯉たち
2022年10月24日月曜日
10月24日 冬を前に食欲旺盛、我が家の鯉
一斉に餌に向かって集まってきます。
大中小、大きさに関係なく、早い者勝ちでの争奪戦、
ポンプ二台での循環と、滝を利用した浄化装置、
そして、水道水の追加、毎日のポンプの掃除、
これらで水は澄んで、賑やかな鯉たちを、餌やりの際に楽しめます。
ただ、憎き青鷺の襲撃を避けるため、
ネットを張らざるをえず、鑑賞の際は邪魔そのものです。
下のが、我が家に来る、にっくき青鷺です。
2022年10月20日木曜日
10月20日 サルビアの秋
朝8時、サルビア全体を照らし、全体が輝き始めました。
秋です。本格的な陽を浴び、花盛りとなって来ました。
2022年9月30日金曜日
9月30日 吉見俊哉著『空爆論』を読んで、考えたこと
吉見俊哉著『空爆論 メディアと戦争』(岩波書店、2022年8月4日)
を読んで、考えたこと
渡辺幸男
吉見俊哉氏の『空爆論』を、新聞の書評で知り、関心を持ち、早速手に入れ、目を通し始めた。以下は、『空爆論』を読みながら、勝手に考えたこと、そして読み終わってから考えたことである。
*吉見俊哉氏の著作で描かれていること、
主として米国の最新の空爆のあり方とその歴史
米軍そして米国の太平洋戦争での日本空爆、朝鮮戦争での朝鮮空爆、ベトナム戦争でのベトナム空爆、そして戦争行為としての不十分さについての反省、そこからの空爆による戦争支配の方式の開発を心掛けた。その結果が、イラク戦争であり、コソボ紛争である。米国軍人の損失を最小限に、敵対軍隊を崩壊させる。ここまでをほぼ完璧に実現した方式、それがドローンによる空爆、アメリカに操縦者はいて、情報技術を駆使して、現地のドローンを操縦し、米国人負傷のリスクを限りなくゼロに近づけた空爆を実行し、目標を破壊し殺害する。それが東京大空襲等で実行してきた米軍の空爆の進化の究極の姿であること、これを解明した研究がこの著作である。
*吉見氏の空爆論から見た、今回のロシアのウクライナ侵略
この吉見氏の議論から今回のロシアのウクライナ侵略を見ると、あまりにも古典的な、アフガン等から学ばず、旧ソ連時代そのままの、ロシアの軍隊の姿が見えてくる。吉見氏が描く「現代」のアメリカの空爆とはあまりにも異なるように見える。
そこに見えるのは、「プラハの春」の再現可能性を夢見ていた旧ソ連たるロシアの軍事組織とロシア・プーチン政権とも言えるのではないか。
「プラハの春」の再現可能性の夢とは、旧ソ連タイプのロシア軍が圧倒的な「規模」の軍隊で侵略すれば、チェコのような周辺「衛星国」では反ロシア的政権が崩壊し、親ロシア的政権が擁立される、という幻想の世界、残影の世界である。そして、その夢が完全に崩壊したのがキーウ攻略失敗であったといえよう。
ウクライナが、イラクではなかったからなのか。それとも、現在のロシアそしてロシア軍が、ベトナム以後の米国そして米軍ではなかったからなのか。吉見氏の議論を踏まえれば、その双方であったようだ。
ウクライナはコソボ紛争の際のセルビアでもなく、米国を中心としたNATO諸国を含めた多くの国々から多大な支援を得ている。また、ロシアもNATO軍ではなかった。少なくとも戦争開始期の戦闘では圧倒的勝利したNATOの戦闘力そして空軍を中心とした先進的な攻撃力(最新鋭の武器と情報システム、それらを総合的に使用する軍事戦略力)をロシア軍は持っていなかった。単なる量的な優越だけの軍隊での侵略であった(と私の得た情報では見えた)。あまりにも、古典的な帝国軍隊、植民地支配権力軍であった。しかも、帝国の俊英ではなく、貧しい人を、そしてそこから明晰な人を選抜することもなく、兵卒として集め、数だけ揃えた、「質の悪い」軍隊であった。ウクライナ現地からの報道を聞く限り、このように見えてくる。
吉見氏の著作を読んで感じ、理解したことは、まずは、米国の軍隊とロシアの軍隊では、基本的発想が異なるということである。米国の軍隊は、米国人、とりあえずどんな人種であろうとも、米国人の犠牲を最小限にして、帝国的侵略先諸国の屈服へと導く戦略的体系の構築をめざし、それにある程度は軍事的な意味においては成功している。それに対し、ロシアは、帝国内人種差別をも活用しながら、人海戦術で帝国的侵略先諸国を屈服させること、これを厭わない、ということであろう。自国民の人的犠牲に対する、この鈍感さ、これはロシア政府のみならず、スラブ民族と称する人たちのロシア内少数民族出身者に対する鈍感さでもあるようだ。この鈍感さ、第2次世界大戦に勝つために、スラブ民族を中心に膨大な人的犠牲を強いられたことの裏返しなのであろうか。ここに、大きな違いがある。
その上で、それを実現する近代兵器の開発にそれなりに成功したのが米国である。それに対して、ロシアは、米国と同様な方向での開発をしていない、どころか、それをなすだけの先端的工業基盤の構築に失敗している。あるいは、そのような方向での努力をせずに、一次産品や農産物の生産輸出での豊かさ追求に「逃げた」。安易な道、正統派経済学的発想では比較優位な道を、プーチンは選択し、それに、国民の豊かさの実現という意味では、ある程度の成功を納めた。そして、その延長線上で、ウクライナに「プラハの春」の夢の再現を夢想した。
しかしながら、現代のロシアは、かつての旧ソ連のような当時の先端的工業生産力に裏付けられた兵器産業を保持していない。しかし、プーチンはそれを知らないのか、あるいはそれを知っているが、それがウクライナ侵略の際に問題になることはないと踏んでいたのか、多分後者であろう。それこそ「プラハの春」の夢再現を夢見ていた、のであろう。短期的な決着を夢想していたが故に。
*なぜこのような違いが生じたのであろうか
ベトナム戦争を経験した米軍と、アフガン戦争とシリア内戦に留まる旧ソ連軍・ロシア軍の経験の差であろうか。米国は、ベトナムで、最後まで傀儡政権を北ベトナムに擁立することができないまま、南ベトナム政府を見放し、ベトナムから撤退せざるを得なかった。常に勝者の側にいた米国が経験した敗退であり、国内的混乱をもたらした敗退であった。それに対し、ロシアはシリアのアサド政権を維持し、アフガンでは、一応社会主義政権をある程度維持し得た。旧ソ連型の軍隊でも、機能していた、と言えるのかもしれない。
また、なぜ、ロシア空軍は、開戦初期に、ウクライナ空軍を徹底的に叩き、機能不全にしなかったのか。あるいは叩けなかったのか。この点についての疑問の提示は、開戦当初より、日本のジャーナリズムでも存在していた。ロシア政府には、旧ソ連時代の「プラハの春」の夢幻想、「大規模な」軍隊で(規模の大きさだけが取り柄の軍隊でも)軍事侵攻さえすれば、現政権の一挙解体は可能という幻想があったからなのか。それとも、組織として、十分な敵対者把握ができておらず、徹底的に叩きたくとも、できなかったのであろうか。さらには、圧倒的な空軍力の量的差異はあったと言われているが。質的に問題があり、ウクライナ空軍の具体的な展開を把握し、それを徹底的に潰す行動が取れる、情報把握のための最新の仕組みがなかったのであろうか。いずれも該当するように、今の時点、2022年9月の時点では見えてくる。
他方で、ウクライナ軍では2014年のクリミア半島と東部2州へのロシア侵攻でのウクライナ政府と軍の対応能力の欠如への反省があり、当時と根本的に在り方が変わっていたと言われている。
確かに、ロシア軍全体の動きを見ていると、高度に情報化した最新鋭軍事組織とは、全く見えない。第2次大戦中の旧ソ連軍と同様に、量的には凄いが、それだけの軍隊なのであろうか。ここ30年の軍事力の情報化に大きく遅れているのが、旧ソ連軍を引き継いだロシア軍、衛星を飛ばし、ロケットを打ち上げることはできるが、自国で生産した半導体を大量に使用し最新情報技術で武装し、それを駆使するための軍事システムとは程遠いような軍隊なのであろうか。
吉見氏が描く、現代的空軍主導の帝国側の侵略戦争、米国の湾岸戦争以後に見られる戦争とは、大きく異なる帝国の侵略戦争、旧型のそれがロシアのウクライナ侵略なのであろうか。
ここまでが、『空爆論』の終章、「プーチンの戦争」を読む前の感想である。
*『空爆論』を読み終わって
「終章 プーチンの戦争」で、吉見氏は「ロシア軍の空爆は」「アメリカの空爆がベトナム戦争を経て1990年代以降に推し進めていったパラダイム転換を全面的には受け入れていない」(同書、201ページ)と指摘している。
基本的に、この終章を読む前までの、私のロシア空軍理解を裏付ける議論であった。旧ソ連の持っていた軍事技術での進展の方向性が、空軍のあり方として、米国等と比較し、無人化、ドローン化の方向ではなく、旧ソ連時代からの地上部隊を支援する部隊としての位置付けにあるとされている。
また、2017年に鹵獲されたロシア製のはずの軍事用ドローンを解体すると、そこから見えてきたことは、航続時間が30分と短い低性能のドローンであるにもかかわらず、その主要部品は全て輸入部品であるということであったと指摘されている。そして、「ロシアはもはや、自国の軍事用ドローンの部品すら、自国の技術では製造できなくなってしまったのだ」(同書、202ページ)と、私にとっては大変興味深い指摘を、ワシントンポストの記事を参照しながら、吉見氏は述べている。現代ロシアは、完成品としては自国製(すなわち組立てたのはロシア国内のロシア系企業の工場)であろうとも、軍事製品生産のためでも、主としてロシア製の部品を使って、本格的な軍事ドローンを量産できる状況ではないようである。ベトナム戦争時の米軍と異なり、2022年2月からのウクライナ侵略におけるロシア軍は、空軍力でウクライナを圧倒し、制空権を完全掌握した上で、侵略を進める状況にはない、と指摘されている。
大規模部隊を動員し、消耗戦で相手を圧倒し、戦闘での主導権を握る、旧ソ連の戦略の延長線上にあるようである。逆に侵略されたウクライナは、コソボ紛争のセルビアやシリアの反政府軍と異なり、ましてやベトナムでの反政府勢力と大きく異なり、NATOからの武器面での支援を受け、それを使いこなすための訓練が可能な軍隊であることもあり、衛星からの情報を利用するなど、現代のIT活用の情報戦で優位に立っていると指摘されている。無差別に侵略するロシアに対し、的確な情報に基づき反撃を行うことで、戦局を変えつつある、というところまでで、今年の8月初旬に発行された本書での吉見氏の指摘は終わっている。
*その後の展開
そして2022年9月にウクライナの本格的な反攻が始まった。一般的な動員をかけない特別軍事作戦で、結果を出そうとしていたプーチン政権は、完全にその戦略に失敗し、ロシアの若者(若者以外も動員されているとの情報もあるが)を「戦争」に幅広く動員するということになった。全面戦争への道を歩むことで、不利な状況を転換しようとするロシアであるが、動員で状況が変わるとは、とても思われない。そもそも、動員する人的な量の不足で、反撃され、後退したのではないのであるから。ただ、人的増員をしないと、後退した戦線自体でさえ持たないのであろう。
*ロシア経済と旧ソ連経済
ロシアは、天然資源と農産物が豊かで、大規模輸出が可能な、1次産品、天然資源が豊富な貿易黒字国である。人口約1億4千万人の1次産品依存の上位中所得国と言えるであろう。ただし、ロシアは「豊かな」「先進工業」国ではないのである。ただし、旧ソ連時代までは、先端的な兵器生産能力を持つ、先端的近代工業保有国であった。競争優位の近代工業を保有する国ではなかったが。兵器生産を市場経済とは全く別なものとして、市場経済から切り離し、保護育成し、それに成功したからである。兵器生産のための基盤産業として不可欠な他の近代工業諸部門、特に機械工業関連の財の生産も、先進工業国と市場競争を行うことのない国際的な市場原理が作用する市場圏の外に存在させていたことで、旧ソ連経済圏内で十分自給可能であった。ただし、当時の国民生活も、先進工業国のそれではなく、豊かな消費生活からは程遠かったようである。
しかし、約30年前、旧ソ連の計画経済は解体し、ロシアは西側諸国に市場を開放し、近代工業部門の自国系企業による生産を事実上、あるいは結果的に放棄した。その代わりプーチンは、豊富な天然資源と比較優位にあった農産物を活用し、資源と農業の大国として国民経済のバランスを回復し、それなりの成長を実現した。あくまでも、先端的工業製品や設備機械あるいは中高級日用消費財については、西側諸国そして中国に依存し、その他の工業製品についてもトルコやインドに依存し、それらを獲得するために、その対価として一次産品を輸出するという、工業製品についての海外依存国としての国民経済の豊かさの追求であった。それが、それなりにうまくいき、一人当たりGDPで、日本の7割程度の水準まで到達した。
ドイツは、ロシアの豊かさ追求が、このような達成の経過により生じたがゆえ、ロシアの石油やガスに大きく依存しても、その対価としてロシア経済に不可欠なドイツ製の先端工業製品が存在する以上、ロシア政府はドイツ等からの最新工業製品の輸入展望をなくす可能性が生じるような、無謀な行動は取らず、NATO諸国とも協調的行動をとるであろうと、勝手に想像していたようである。
しかし、プーチンが、どのような長期的展望を持っていたかは分からないが、資源供給の圧倒的部分を対欧州で握ったプーチンは、そのことを切り札に、強引な対外政策を行っても、NATO諸国は、ドイツを先頭に、本格的な先端的工業製品の禁輸を行わないだろうと、全く異なることを考えていたようである。というより、「プラハの春」の夢から覚めていなかった、のかもしれないが。夢が実現したら、西側諸国が今回行った、本格的な禁輸等の制裁処置が実行される以前に、表面的には問題が片付いていたかもしれない。2月末にでも、ウクライナに親ロシア政権が誕生したならば。
いずれにしても、今のロシアは、西側諸国からの工業製品の輸入を止められると、まともにドローン1つ量産し飛ばすことができない工業水準ということになる。
*ウクライナ侵略の今後とロシア工業の展望
ここから見えてくるのは、今のロシアは、旧ソ連と異なり、西側諸国に対抗し、自前の工業製品で先端的な兵器を使った戦争を、長期に渡りあうことができるような近代工業を国内に保有していない、ということである。あるいは、主要部品や、独自製品の企画開発能力で、特定の工業製品では先端化している、ということでもない。あくまでも、1次産品生産国としてのそれなりの豊かさ、それもオーストラリアには遠く及ばない一人当たりの豊かさであるが、それを実現しているに過ぎない。いつまで持つのであろうか。戦が始まり、ロシアがウクライナに侵略開始をし、まだ7か月である。兵隊の頭数を維持することは、動員で、反発を受けながらも、当面可能であろう。
しかし、誘導兵器の量産を、どう維持するのであろうか。ウクライナには米国をはじめとする西側諸国の近代工業がついている。しかし、ロシアに多少なりとも協力する可能性のある中国やトルコにしても、個別先端的企業は、自国市場が最優先であるとしても、海外市場での競争力があるのであれば、ロシア市場に西側市場以上の魅力は全く感じておらず、西側諸国にロシアと西側との市場選択を迫られれば、大きさから言っても西側市場を選ぶことは、技術の問題を抜きにしても、企業として当然のことといえよう。
ここから見えてくることは、プーチンの核使用についての脅しの真実味の昂まりである。他に手がなくなり、追い詰められたプーチンが、権力を握り続けていれば、最後には戦術的に侵略を維持するには核使用しかない。
が、核を使用して何を得ようとしているのか。どこの誰に対して戦術核を使用するというのであろうか。建前としては、「ネオナチ」を駆逐することであったはずである。しかし、核が実現することは、当該地域の「ネオナチ」を「退治する」ことや「追い出す」ことではなく、当該地域の住民すべてを抹殺することであり、周辺地域の住民、ロシア領、あるいはロシア領に編入した地域の住民の多くをも、長期的な病に陥らしめることなのである。
また、核戦争が生じないとしても、西側諸国の経済制裁は、解除されるどころか、一層強化されるであろう。数年単位で今以上の経済制裁が実行され、ロシア経済は、先進工業製品や国内生産のために不可欠な部品類について、正規ルートでの調達はますます困難となる。ロシアの航空会社各社は、今やその運航機体は、ボーイングやエアバスに依存しているようである。どうやってメンテナンスをするのであろうか。老朽化した機体から部品を集め、まだ新しい機体の交換パーツとして利用する。あるいは、海外のグレイ市場から中古を含めた部品調達を進める。後者については、現在もかなりやっているようであるが、どこまで調達が可能か、まともなそれが可能か、疑問である。
乗用車については、旧ソ連時代のラーダ(シートベルトやABSがついていない車)に戻って量産を再開するといったことが、6月初めに報じられていたが、どこまで実現したのであろうか。ラーダ関連工場で、旧ソ連時代のようなラーダのためでも部品が足りないとの報道もなされている。旧ソ連にはできた量産、これは部品を含め国際競争力があるかどうかは別に、旧ソ連経済圏内で量産できる生産設備と熟練労働力、すなわち生産力基盤が全般的に存在していたから可能となっていた。全般的な生産力基盤を維持することをやめてから、既に30年経っている。生産基盤が全般的な形で残っているわけがない。
ウクライナ侵略直前で、国産ラーダは年産30万台規模で存在していたようだが、当たり前のことだが、市場原理に従って、必要な部品でより安く手に入るものは輸入に依存していたであろう。旧ソ連で全く作っていなかったABSやナビなどでは当然だが、旧ソ連時代には旧ソ連圏内で量産していた部品の全てが、依然としてロシア国内で量産されていたとは、全く考えられない。輸入への代替は、全てではないが、多くの部品で進んでいたであろう。外資系に買収され、市場原理に従う存在として、ラーダさえも生産されていたのだから。
一体どこで、どのようにして、これらの部品を年産10万台といった規模でロシア国内において改めて量産するのであろうか。試作的に何百か作るのであれば、可能でも、これでは、価格的にべらぼうな車になり、ラーダの価格がベンツの価格になってしまう。量産するとなれば、専用工場への設備投資、そのための熟練労働力の確保、といった多くの設備と人材への長期を睨んだ投資が必要となる。誰が、旧ソ連レベルのラーダのために、長期を睨んで設備投資を行うのであろうか。
*ロシアからのノルドストリームのガスパイプラインの爆破
ロシアからの天然ガスの主要供給源であるノルドストリームの天然ガスパイプラインが、デンマーク近くの海中で爆破され、ガスが噴き出している。ロシア系のテロによる爆破とも報じられているが、欧州へのロシアからのガスパイプラインが爆破されたことで、大量のガスが漏れていることが、2022年9月28日の新聞で報じられた。このことは、何を意味しているのであろうか。ロシアからの欧州へのガス供給を実際に止めるために、ロシアが意図的に爆破したというのであろうか。しかし、これにより、ドイツをはじめヨーロッパ諸国は、この冬、ロシアからのノルドストリームの天然ガス供給に依存するな、ということを強制的に指示されることとなるであろう。
この冬、無事越えることができるかどうか、ここでロシアからの天然ガスを別ルートで求め、制裁を解除するか、制裁を維持し、ロシアからのガスがないなかで、EUの人々はロシアへの妥協を求めず、制裁を支持するのであろうか。まさにドイツの人々をはじめとして、EUの人々に最後通牒が、ロシアから突きつけられたということかもしれない。ロシアからのEUへの豊富なガス供給とロシアに対する制裁維持とは両立不可能である。わかっていたことだが、実際に物理的困難により、ロシアからの天然ガスに依存する選択肢がなくなるということが生じたのである。どうなるのであろうか。
ロシアの予備役動員による混乱と、冬が近づくEUの天然ガス不足、どちらが先に決定的な方針転換をもたらすのか。まさに正念場である。
いずれにしても、先進的な工業基盤を、市場経済化で喪失し、国際市場からの輸入に依存するようになったロシア経済は、今回のような本格的な西側諸国による経済制裁に対し、中長期的に耐えることができる経済ではない。これだけは確かである。旧ソ連の持っていたソ連経済圏内で完結した近代工業生産体制は、今や存在しないのである。しかも、先進的な工業部門ほど、西側諸国や中国に依存しているのが、今のロシアである。旧ソ連並みのラーダの生産を本格化すると言って、3ヶ月余が経過している。旧型のラーダが出回りはじめたという話は聞かない。近代工業の基盤産業を、大きく国際市場に依存するようになったロシアは、旧ソ連で可能であった工業製品の工業生産でさえ、経済制裁下ではほぼ不可能なのであろう。
*冬来たる
厳しいウクライナの冬がやってくる。この冬を、ロシアそしてEU諸国は、どう越すのであろうか。民主主義国の強さと弱さが露呈するかもしれない。独裁国家のロシア、独裁ゆえに政治的に強固なのであろうか。
我慢くらべの一冬、インフレによる生活水準低下に直面する我々にとっても無関係ではない。が、ウクライナの人々の冬越しが、最も厳しいことも当然だ。この冬、それぞれがどう対応し、方向を維持するのか、それとも大転換するのか。その覚悟が問われることになる。
*補足
なお、現在のロシアの工業の状況については、本ブログで、これまで何回かロシア工業について、藤原克美氏のロシア繊維工業を中心としてロシアの工業の現状を解明した著作をはじめとした諸著作、ジェトロのロシア工作機械工業の現状についての調査報告等の調査報告、さらには新聞記事等を紹介し、コメントする形で、私なりの見解を示してきた。2月24日のロシアのウクライナ侵攻の後に書いたロシアに関する本ブログでの私のノートには、その際に利用した参考文献や記事の出所も掲載した。それらも踏まえて、本ノートは書かれている。もし、典拠等について関心がおありならば、ここ半年余りの私の本ブログでのロシア関連のノートをご覧いただきたい。
なお、これまでのノートを踏まえたということで、本ブログでは、間接的に参照した著作や記事についての一覧を示していない。ご了承いただきたい。
2022年9月21日水曜日
9月21日 我が家の庭のサルビアと芙蓉
2022年8月14日日曜日
8月14日 日経記事「ロシアGDP 5期ぶり減」を読んで
日経記事、署名無し「ロシアGDP 5期ぶり減 4〜6月、制裁で企業に打撃 事業停止2割増 11万社 消費低迷 資源高でも補えず」
(日本経済新聞、2022年8月14日、12版、5ページ)を読んで
渡辺幸男
この日経記事は、ロシア経済の近況を伝える記事であり、内容は盛りだくさんで、見出しにあるようにいくつものことが言及されている。その中で、ロシアの産業に現況について、より突っ込んで知りたい私にとって、大変興味深い内容があった。
ロシア自動車の販売市場と生産についての現況紹介が記事の2段目からあり、そこには、まずは「特に輸入依存度が高い自動車業界は制裁で苦境に陥った。欧州ビジネス協議会(AEB)によると、6月のロシアの新車販売は前年同月比で82%減と大幅に落ち込んだ。7月も75%減だった。」と述べた上で、「ロシア最大手自動車メーカー、アフトワズの一部工場の従業員は7月下旬、プーチン大統領に「部品が不足しているため、工場の生産を再開できない」と窮状を訴える書簡を送り、SNS(交流サイト)で公表した。書簡によると、部品に占めるロシア製の比率は40%にとどまる。(引用中の太字は引用者による – 渡辺)」と書かれていた。
もともと、近年のロシア経済は、年180万台前後のロシア国内販売台数であり、人口は1億4千万人以上で、天然資源豊富でその輸出大国であり、日本の一人当たりGDPと比して、その3分の2強の所得水準の新興経済としては、近年の自動車の国内販売台数は少なめと言える。その上で、月15万台前後の販売水準であったものが、4分の3ないしはそれ以上の市場縮小、月3万台水準に下落したと言うのである。極めて顕著な市場縮小である。
その上で、注目すべきことは、この販売の顕著な縮小が、この記事の見出しにあるように「消費低迷」と言うことに起因するといえるかどうか、と言う点である。景気が低迷していると言っても、本文記事の出だしにも書いてあるが、「4〜6月期のGDPは前年同期比4.0%減」と言うことである。一桁の減少であり、4分の3以上減少した自動車販売とは桁の違う減少である。
この点との関連で注目すべきは、引用の後半部分の記事である。年35万台ほど生産していたラーダを生産している一時ルノーに買収されたが、ロシアのウクライナ侵略を機に、ルノーの傘下から離れたソ連時代の国内最大規模の乗用車メーカーの後身、現在もロシア国内で最大規模の生産を維持していたアフトワズの工場の従業員がらみの話である。そこでは、アフトワズのその従業員が勤務している工場の生産を、部品不足のため再開できない、というのである。また、その工場では部品に占めるロシア製の部品は40%に過ぎないとのことである。
すなわち、ロシアの自動車販売が落ち込んでいる原因については、「消費低迷」による販売不振のみではなく、あるいはそれよりも、輸入部品の途絶のため国内生産で部品生産を補おうとしても補い得ない結果として、ロシア国内で自動車を生産できないことによる部分と、完成車を輸入できないことによる部分との双方が、供給側の要因として影響していると思われる、国内市場への供給不足の問題こそが重要であると言えそうなことである。
6月にアフトワズの生産再開、エアバックやABS等の近年の乗用車には当然積載されているはずの装備のない、今日ソ連時代のレベルのラーダの生産が再開されると言う話が、日経等で報じられた。(この記事についての勝手なコメントを、「日経記事「ロシア車最大手、生産再開」(2022年6月9日、夕刊、3版、3ページ)を読んで」と言うタイトルで、私のブログに掲載した)また、付論として示しておいたように、朝日新聞にもそのことと似たような記事*が7月3日付けでていたので、その際に自らへの覚書として、後述のようなノートを書いた。そして、今、この日経の記事に引用されている、アフトワズの1工場の従業員のプーチン大統領への書簡である。
そこで言われているのは、ロシア製の部品の比率は40%にすぎず、部品不足で工場再開が無理、という話である。6月や7月の日経や朝日の記事を前提にアフトワズの生産再開を考えれば、そこでの再開は旧ソ連レベルのラーダ等を生産することを目指していたはずであり、ABSやエアバッグの装備は、再開に向けて想定されていたラーダの生産のための採用部品に、初めから入っていなかったはずである。もしこの従業員の工場が完成車生産工場であるならば、旧ソ連時代のラーダを作るのであっても、それでも完成車の部品のうちロシア製は40%と言うことになる。付論として掲載した朝日新聞の記事が予想している「ロシア経済の「ソ連化」の道」、これさえも、もう歩めない、と言うことになる。「「簡素なモデル」(他国には売れないモデル?)を「生産量と雇用を維持するために」生産するというロシア副首相の発言での主張も、実現不可能ということといえる。この従業員に従えば、旧ソ連レベルの製品も、今や国産部品だけでは作れない、ということであろう。
付論
*朝日新聞「ロシア車 エアバッグ・ABSなし」「欧米の制裁影響 経済
「ソ連化」か」(13版、2022年7月3日、7ページ)を読んで
– 年何台作れるのか? 量産できるのか? –
本記事は、執筆者名のない記事である。欧米の経済制裁で「ロシアの自動車産業ではハイテク機器などに深刻な影響が出ている」とし、「ロシア経済も「ソ連化」の道を歩む可能性がある」と述べている。すでに、日本でもいくつもの記事が報道しているように、制裁がらみでルノーの子会社から独立したロシアの「アフトバズ」(アフトワズ)の旧ソ連以来の乗用車ラーダの最新モデルが、米欧日からの輸入に依存するABSやエアバッグが無く、現行排ガス規制不適合車であると紹介し、「簡素なモデル」(他国には売れないモデル?)を「生産量と雇用を維持するために」生産するとロシア副首相が主張していることを紹介している。
その上で、このような新車を生産することになったのは、「いきなり独自に高性能な部品を作ることは至難の業」だと記事は指摘している。他方で、プーチン大統領の「ソ連は実質的に常に制裁の条件の中で生きてきたが、発展し、大成功を収めた」という主張も紹介している。その上で、記事は、「欧米の制裁は、(ロシアの)ハイテク産業などに確実に打撃を与えて」いるとしている。
つまり、本記事は、ラーダがロシア国内の生産基盤を基に生産できるのか、どのくらいの台数生産できるのかについては、全く触れていない。これまでの他の新聞が掲載した記事と、その点では同様である。
まず、確認すべきことは、旧ソ連は、最後まで、欧米でまともに販売可能であった競争力のある(低価格)乗用車を生産したことはないという点である。乗用車を開発し、量産することには成功したが、国際競争力のあるものとは最後までならなかった。ソ連時代に旧ソ連経済圏内でラーダが売れたのは、旧ソ連経済圏では日米欧の車が競争相手として圏内に存在しなかったからである。
旧ソ連は、乗用車を開発し量産できたが、国際競争力のあるそれではなかった。これが、「ソ連は・・・発展し、大成功を収めた」の実質的な中身であろう。
ただ、私が気になるのは、旧ソ連並みのラーダを量産することさえ、今のロシアに可能なのであろうか、という点である。これが私の最大の疑問である。旧ソ連に立地していた企業にはソ連経済圏という日米欧の企業との競争から隔絶された市場の利用が、長期に渡り可能であった。そのため、数億人規模のソ連経済圏市場を前提に素材の生産から一次加工、そして部材の生産、最終製品の組立と、全ての生産機能について投資が行われ、それらがソ連経済圏内に構築されていた。その上で、ラーダ等の乗用車生産もソ連内に経済圏内完結型の生産体制でもって量産可能であった。
この生産体系が解体し始めてから、すでに30年がたっている。一般市場向けに乗用車を生産するということは、何十台かの車を手作りすることではない。多くの部品を量産し、それをラインで組立てる。このような生産体系の構築が前提となる。今のロシア国内に、旧来型の乗用車用の部品であっても、旧ソ連並みの多様な部品についての部品の量産基盤が存在するのであろうか。ラーダの組立ラインは存在可能であるとしても、である。これが大きな疑問であり、これまでの記事も含め、この記事でもどこにもこの点が言及されていない。
旧ソ連時代のラーダ並みの乗用車用の部材の生産それ自体であれば、ハイテクではないので、今のロシアに存在する企業の中にも、何社かそれぞれの部門で生き残っているであろう。ラーダの最近のバージョンの部品生産者として、あるいは補修用乗用車部品の生産者や、他の一品生産的機械製品の部品の生産者や、それらの補修用部品の生産者として。しかし、乗用車の場合、必要な部品の生産の量的規模は少なくとも10万台単位での生産である。それだけの量を、1年あるいは2年のうちに安定的に生産できるような企業が、国内にほぼ全ての分野に存在して、国内で初めて安価な乗用車が量産可能となる。1980年代の東ドイツのように、256kのDRAMを作ることはできるが、手作りであり、日米で生産されていた当時の先端的な量産半導体とは、コスト的に全く次元が異なるもの、民生用電子機器の部品としては使用不可能なもの、そんなことが、ラーダについても生じる可能性がある。
それとも、そもそも旧式のラーダをあらためて生産するだけであるから、新車の開発の際に必要な多大な開発費用がかからないので、年産10万台レベルでの量産をしなくとも、一台あたりで、かなり安くなるというのであろうか。しかし、この30年間にWTO加盟、そしてルノーの子会社化といった外資系企業へのシフトもあり、すでに輸入部品に代替されているものも多いのではないか。そのような、かつては国内で生産され、今は輸入に依存していた部品を、改めて量産するためには、それぞれの部品について新たな設備投資が必要であろう。中期的に見れば技術的には可能だとしても、誰がその投資リスクを引き受けるのであろうか。部材の輸入が再開された時、ほぼ無意味になる可能性の高い生産単位に、本格的な投資を行い、そのリスクを担う企業家は、今のロシアにいるのであろうか。それとも、国営企業として、旧ソ連時代のように全てを国営企業として運営する方向で、関連の民間企業を買収し、生産体制を構築するのであろうか。
エレクトロニクス機能を含む高性能の完成部品については、輸入完成部品を使用せざるを得ないので、ついていないというだけではなく、乗用車のレベルとしては旧ソ連並みのラーダだが、けば高い車になる可能性がある。このようなロシア内産業基盤の存在についての議論は、これまでも、ラーダの生産再開の紹介の際に、私が目にした限り、日本語で書かれた記事のどれにも言及されていない。しかし、これこそ、旧ソ連解体によるロシア経済そして工業の変質の中核的部分ではないのではないか。私は、このように感じている。
旧ソ連では、当時でも技術的にかなり遅れていたとしても、乗用車を量産するのに必要な一通りの部材を、一からソ連経済圏内で量産することができたし、そのための生産主体が存在していたのである。このことが再び可能とならない限り、ラーダをロシア国内で「新規」に開発生産することはできないであろう。
中古部品を集め、それでそれなりの規模での量産をすれば、当面は、このような状況にならないかもしれないが、このような状況は中長期的に継続可能なことではない。
ある機械を作れることと、その機械を安く安定的に市場での値段に見合う品質の機械として一定量以上の規模で継続生産できることとは、生産体系としては全く異なるものである。実験室での生産と、市場向け量産との差異とも言えよう。
これからのロシアでのラーダ生産の行く末を見ることで、私の理解の妥当性が確認できよう。ロシアの工業生産の「非工業化」と私が呼んでいることが、実際に生じているかどうかについても、ラーダの生産再開をめぐる今後の報道を通して確認できそうである。
ただ、ロシアの近年の在り方を見れば、半導体でそうであるように、正規ルートを通さず輸入すること、直接的に生産メーカーからあるいは正規ルートから輸入することが困難な部品については、いわゆるグレイマーケットを利用して海外から輸入調達することは、日常的に行われているらしい。だとすれば、新ラーダの部品のうちロシア内生産が困難な部品を、グレイマーケットを通して調達することを前提に開発・設計を行うことも考えられる。こうなると、比較的安価な新ラーダを生産することはそれなりに可能となり、新ラーダを解体してみないと、ロシア工業基盤の実態についての真実はわからないことになる。
なお、ウィディペキアによれば、ラーダはいまでも旧ソ連経済圏では一定の人気があるということである。その理由は、作りが簡素で、故障しても修理しやすい、という点にあるとのことである。かつての中国国営企業が製造した自転車と共通する理由とも言える。ただ、旧ソ連崩壊後、一応モデルチェンジをしていることも記され、その最新モデルは親会社になったルノーの影響を受けていることも記されている。部材がどうなっているのであろうか。基本的に旧来からの部品については部品生産からロシア内で行われていたのであろうか。
また、故障しても修理しやすいということは、旧ソ連系内には、修理用部品の供給網と、そのための生産基盤が存在するということになるのであろうか。
2022年8月7日日曜日
8月7日 日経記事、鄭婷方・黎子荷「半導体供給網 無数のネック」を読んで
鄭婷方・黎子荷「「国内化」による安全保障に不都合な真実
半導体供給網 無数のネック」(NIKKEI Asia, Global Eye)
(日本経済新聞、2022年8月7日、12版、8ページ)を読んで 渡辺幸男
久しぶりに、私のかつての専門に近い分野での興味深い記事に出会った。米欧日の各国の政府が、台湾のTSMCを中心に、最新の半導体メーカーの自地域内誘致を進めているが、それがたとえ成功したとしても「「国内化」による安全保障」としては「それはおとぎ話にすぎない」と切り捨てている。実に明快な結論である。
その根拠は、半導体生産におけるサプライチェーンについての理解にある。すなわち、今、半導体不足の中で供給力強化に乗り出している半導体最大手で最先端技術の担い手であるTSMCそのものが「サプライチェーン(供給網)のボトルネックに直面している」というのである。そこからの含意は、「半導体製造の「国内化」を」実現したとしても、その「製造プロセスに必要不可欠な数百の原材料、化学薬品、消耗部品、工業用ガス、さらに機器や原材料を供給するネットワーク」が存在し、それらは「数十カ国をまたいで機能し」ているのであり、「これを1つの国や地域で行うのは困難である」ということである。
さらに、それぞれの「専門企業」のうちで、半導体製造の基準を満たすのは、「それぞれ世界に数社しかない」とのことである。すなわち、数十カ国に広がる専門企業、しかしそれぞれの分野については数社しか存在しない部品、部材、製造装置を集めること、それによって最先端の半導体生産がはじめて可能となっている、ということである。具体的にどのような部材や製造装置がそうなのか、簡単な指摘も行われている。部材についても、その分野の製品が作れれば、どの企業の製品でも使用可能というのではなく、ごく限定された最先端の部材のみ使用可能ということも指摘されている。
結果、「供給網のどの部分も二重化ですら簡単ではない」と締めくくっている。ここでの議論は、半導体製造、それも先端的なそれについては、単に半導体製造について最終組立企業としてのTSMCをはじめとした数社のみが、先端的な半導体を製造できるというだけではなく、幅広い高度な専門企業群の社会的分業が、グローバルな形で、素原料を含め、部材、製造装置、製造装置用の部材といった多様な分野との社会的分業から成り立っており、かつ、先端的な半導体につながる製品を生産できる企業は、世界でも、それぞれの分野で少数企業である、ということが指摘されている。それゆえ、最終製造工程の最先端工場を誘致するという形で、今、米欧日で進められている「半導体製造の「国内化」」は、半導体の自国・自地域への安定的供給を実現するという意味では、それ自体だけでは「おとぎ話にすぎない」ということになる。
この限りでは、まさにその通りだというしかない。それぞれ最先端の少数企業に担われている社会的分業に基づくサプライチェーンの各環節は、それぞれについて少数の生産拠点がグローバルな広がりの中で、各地に、それぞれなりに展開する形で存在している。それぞれ他の企業がすぐには追随できないような少数専門化企業によって担われている。そのどの環節が損なわれても、先端的半導体は製造困難となり、近年生じたような半導体不足が少なくとも短中期的には継続することになる。このことの一面については、韓国と日本との半導体生産用のフッ化水素ガス(エッチングガス)の規制をめぐる争いを通して、すでに明らかになっている点ともいえよう。
ここまでは、極めて納得的な記事である。しかし、その上で、かつて社会的分業論を専門研究分野としてきた私にとっては、気になる点がいくつか抜け落ちているような気がした。1つは、社会的分業の担い手である半導体生産の川上部門や製造設備製造部門、そしてその生産のための川上部門の企業の、個別企業としての再生産をめぐる存立形態についての議論が、それである。今ひとつは、「供給網の強靭化」を実現するための有効な方法模索の方向性についてである。
前者の各関節を担う、専門企業の存立形態について、少数寡占が多いということは指摘されているが、その専門企業の存立形態、再生産形態についての言及はない。ごく一般的な議論としていうならば、それらの少数寡占状況を生み出している専門企業の多くは、半導体部材、また半導体製造装置向けだけに専業化している企業は少ないとみられるということである。それぞれの専門企業が、特定の部材生産分野、製造装置分野で、半導体に専門化しない形で存立している場合が圧倒的である。この記事でも、「バルブやパイプ」といった半導体製造に使用する部材や製造装置の部材について言及しているが、その専門メーカーは、特殊パイプやバルブを少なくとも専門の1つにしている企業であるが、半導体関連のためだけにパイプやバルブを生産している企業は、ほぼ皆無であろう。どんな製品であっても、半導体の部材の一部や製造装置の部材の一部を構成するにすぎず、先進的な開発能力のある企業が、それだけで自らの持つ開発力や資本力等を使い切り、諸費用を回収するには、特殊すぎる部材と言える。
それぞれパイプやバルブを含めた専門メーカーとして多様な特注や特別企画の製品の生産を含め、高度な製品を幅広く受注し、それらを通して開発から生産を行う企業、さらにはその一部を担う企業であろう。重要な供給先として半導体関連が存在するとしても、あくまでも自社の受注の一部を構成する一分野というのが、その存立、再生産の多くの企業の場合の在り方である場合が多いと、私は考える。それらの企業の多くは、私のいう機械工業の基盤産業の先端的な、相対的に大企業的な部分とも言える。多様な機械分野で使用される部材を幅広く開発生産している中で、半導体向けや半導体製造装置向けの受注も行い、それらの分野でも先端化した企業の可能性が高い。
これらの企業は、経路依存的であると同時に、その専門化した分野にとって都合の良い立地、すなわち人材確保や関連企業の利用状況、そして原材料調達等の面で、立地上優位な地点に、その開発と生産の拠点を展開している。結果として、グローバルに生産立地を展開している企業もあれば、特定地点に集中生産立地している企業もあろう。それぞれの企業の歴史的経緯と立地論理に従い、特定地域に単数ないしは複数立地をし、グローバルに高度専門化部材を供給しているといえよう。
繰り返すが、多くのこれらの企業は、半導体製造のためだけに存立しているのではなく、多様な製品分野からのニーズに応える専門化企業として存在しているのである。この点を忘れると、大きな間違いを犯すことになる。世界最大規模の単一製品生産産業である乗用車産業では、多くの場合これと異なり、大手完成車メーカーを頂点に、ほぼ乗用車専用部材に専門化した形で多くの部材メーカーとその2次サプライヤが、乗用車生産にほぼ専門化する形で存在し、多くの場合、大規模市場の近くに乗用車産業集積、いわゆる企業城下町を形成し、多くの部材部分をも含め、集積内完結の形で生産している。しかし、機械工業の社会的分業のあり方としては、あるいはサプライチェーンのあり方としては、乗用車産業はそれ自体では巨大だが存立形態としては例外的産業分野と言える。トラック等の自動車を含め多くの機械や機械部品の生産分野の部材は、多様な製品や部材に供給している専門部材メーカーによって担われている。それゆえ、その部材メーカーにとっての川上のサプライヤから見ても、川下の完成品ないしは完成部品は極めて多様な分野となり、それらの立地は分散的である。
すなわち、半導体関連のサプライヤにとって、半導体生産メーカーは、重要な顧客分野であるとしても、多くある分野の1つにすぎない場合が多いのである。半導体生産向けだけをもっぱら念頭において、その生産体制や立地を選択することは、これらの部材生産企業にとっては、その企業としての再生産を阻害することになりかねないのである。この点の確認をした上で、サプライチェーンの問題を議論することが必要であるが、この点についての議論はもちろんのこと、この点について言及も、残念ながら、この記事にはなかった。
いま1つは、「各国の半導体製造の「国内化」」は「供給網を強靭化」するとの話は「おとぎ話にすぎない」として、それではどうしたら良いのか、何か対応策はあるのか、この点である。素原料まで遡るサプライチェーンを含めて、どうすれば、多少なりともリスクを軽減できるのであろうか。この点についての言及も、この記事には存在しない。
私なりの考え、その実現可能性自体についても、かなり怪しいのではあるが、この点についての私なりの考えを示したい。なお、本記事で主張されている、サプライチェーンの重要性を考慮すれば、半導体生産について最先端の最終組立工場を自国内に立地させれば、安全保障上の問題をかなり解消できると見るのは浅はかである、という考えそのものについては、私も肯定的に評価する。その上で、ではどうしたら良いのか、と言うのが、この論点である。
半導体の最先端の最終組立工場が、台湾そして韓国に多く立地するという、中国近接地域、「隣国」と係争を抱えている地域にもっぱら立地していることのリスクは、何れにしても、先端半導体を安定的に確保するためには、地政学的リスクが極めて大きいとは言える。また、サプライチェーンの中のそれぞれの部分が、特定少数企業への依存や特定地域への立地企業への依存という形で、偏って存在しており、この点のリスクも大きいことは事実である。これをいくらかでも緩和するために可能なことは何か。これが考えたいことである。
まず、この点を考える前提として、当然のことながら、サプライチェーンを構成する企業に代替する企業を、新たにゼロから作ることは、極めて困難である、ということがある。既存の企業や多くの場合はその既存の工場群を前提に、あらためて、安定的な先端半導体の入手の方法を考える必要があろう。少なくとも短中期的には。
そうであれば、必要なことは、サプライチェーンのそれぞれの部分について、「分散の必要性」ということになる。分散には大きく分けて2つの意味での分散があり、それを考慮すべきである。第一は、TSMCの米日への誘致に代表されるように、地理的分散である。半導体の主要消費地を前提に、その開発と生産の拠点をできる限り地理的に分散する。それも当然のことながら、最終組立に関して分散するだけではなく、サプライチェーンの最上流である素原料部分から、完成部品生産までも、また、製造設備の生産についても、特定地域にそれぞれについて集中させることなく、地理的に分散させること、これがまずは必要なことであろう。
今ひとつは、担い手としての企業の分散、すなわち特定1企業によるサプライチェーンのいずれかの部分の独占を、できる限り回避するということである。半導体製造装置のASMLが典型的であると言えると思われるが、技術開発競争の結果として、特定1企業が先端的部分、部材でも製造装置でも、完成品生産でも、いずれかどこかを占めてしまうことが生じがちである。これを、できる限り避ける努力をするということでもある。
このような2つの側面での集中を回避し、分散を実現すること、このことこそが、半導体のようなグローバルに生産される先端的に製品を安定的に確保するために最も必要とされることであろう。しかし、「言うは易く、行うは難し」の典型例であろう。特に、技術的競争の結果としての事実上の独占形成、TSMCやASMLのような例の発生を、どのようにしたら避けることができるのか、諸企業間の競争を通しての技術的発展、健全な資本主義的経済発展の根幹であると思うが、これを肯定した上で、どのようにして結果的に生じる独占を防ぐか。その手立てについて、私にはわからない。しかし、少なくとも、できるだけ、特定1企業によって支配的な技術状況を作り出しやすいような環境を避けることは必要であり、多少なりとも効果があろう。
以上、今日の日経の記事を読んで、勝手なことを考え、それを一気に書き綴った。資本主義の持つ、競争を通して技術進歩を実現する、と言うことが如実に、かつ具体的に現れているのが、半導体生産産業である。また、そのような技術開発競争が、独占的停滞へと転化せず、次々と新たな段階に突入し、多様な側面から新たなチャンピオンが登場しているのも半導体生産産業である。しかも、半導体生産そのものは、グローバルな形での多様な機械工業の基盤産業の存在の上に、再生産可能となり、発展可能となっている。これをかなり上手く表現しているのが、本記事であろう。
より一層の半導体生産産業の健全な発展が、どのような形で実現するのか、しないのか、私なりに、今後もその展開を追いかけていきたい。2次情報に依存するしかないが。
2022年7月28日木曜日
7月28日 百日紅、白い花のサルスベリ
我が家の庭の百日紅 、白い花の方が
盛りを迎えつつあります。
10年以上前に苗木で購入し、鉢に入れたまま、家の前に置いておいたら、
鉢から根が出て、そのまま、巨大化しました。
2022年7月19日火曜日
7月19日 我が家のサンパラソル
2022年6月14日火曜日
6月14日 大葉擬宝珠とクジャクサボテン
下の写真は、本日の孔雀サボテン、
奥に見えるのは、紅色のゼラニウム。
籠に入れ、軒先に吊るして楽しんでいます。
これは次から次へと花穂がつき、
長く楽しめます。
2022年6月10日金曜日
6月10日 日経記事「ロシア車最大手、生産再開」を読んで
日経記事「ロシア車最大手、生産再開」
(2022年6月9日、夕刊、3版、3ページ)を読んで
渡辺幸男
日経の6月9日付の夕刊に掲載された、執筆記者の名前が入っていない「タス通信が伝えた」という記事に目が止まった。それによると、ロシアの自動車最大手アフトワズが乗用車「ラーダ」について、4月下旬から生産が止まっていたものを、ここへきて生産を再開するということである。「今回の生産再開は、輸入部品の不足を回避するため、可能な限り現地化を進め実現したという」(アンダーラインやゴチ化は渡辺による、以下同様)ことである。また、アフトワズの株式の68%を、仏ルノーが、今後6年間の買い戻しの権利を持つ形で、ロシアの政府系科学機関に売却するとのことも紹介されている。
まずは、この記事からロシアブランドである「ラーダ」は、フランスのルノーの現地子会社となった企業が生産していたこと、輸入部品に依存して生産されていたこと、これらのことが示唆される。同時に、この記事によれば、「可能な限り」であるが、「現地化」を進めることで、生産再開に漕ぎ着けた、ということになる。なお「ウィキペディア」によれば、2017年にアフトワズはロシア国内で約31万台を生産したとのことである。
生産再開でどのくらいの生産規模を実現する見込みなのか、全く書かれていないが、10万台オーダーくらいなのであろうか。ルノー日産系の子会社化していた企業の生産車で、部品の多くを輸入に依存していた乗用車の生産を、それなりの規模でもって、かつ国内で生産される部品を利用することで、生産の再開が可能だということなのであろうか。そうであれば、私がこれまでロシア工業について推測していたこと、「非工業化」の進展という認識は、ほぼ間違っていたことになろう。その意味でも大変興味深い記事である。
私自身は、ロシアの工業状況を、いくつかの資料や著作を通して観察し、「非工業化」が進展し、工業、特に広義の機械工業について、その基盤産業を喪失しているのではないか、という推測を行ってきた。旧ソ連時代にはそれなりに存在していた基盤産業が、ここ30年で消滅し、ほぼ輸入代替となった、というのが、私が「非工業化」という時の含意の1つである。上記の記事の意味するところが、必要に応じ、輸入部品を国内生産の部品に切り替え、例えば10万台規模で乗用車を生産可能であるということであれば、未だ機械工業の基盤産業が、それなりに層として存在している、ということになる。本当にそうなのであろうか。まずは、ラーダそのものは旧ソ連時代から続くブランドで、ネットで検索する限り、見た目での大きなモデルチェンジは行われていないようである。しかし、一方で、ウクライナ侵略に伴う経済制裁で部品不足が生じた、ということは、見た目は別として、ルノー傘下の企業になったこととどのように関連するか分からないが、車のコンセプトには大きな変化がないが、中身は輸入部品中心になっていたということであろう。それを「可能な限り(調達を)現地化」、すなわち、素直に読めば部材生産をロシア国内生産品に切り替えると読める。何年も前に輸入部品に切り替わったものを、数ヶ月で国内生産部品に切り替えることができる、ということであれば、これはこれでロシアの機械工業の基盤産業は健在ということを意味しよう。本当なことなのであろうか。
私の理解する「非工業化」状況が、現在のロシア工業の状況なのであれば、ここでの再開は、国内の補修用等でストックされていた既成の部品を掻き集め、あるいは解体された中古の車の部品の良いところだけ取り出し、それらを集めて補修再生し、「新車」を組み立てる、ということではないのか。ラーダの中古車はそれなりの数で存在するはずであるから、このような補修用部品と中古車からの回収再生部品を、一定量集めることは、短(中)期的には可能であろう。あるいは、ラーダと共通部品が存在すると考えられるルノー等の部品等については、本来の組み付け用部品として生産している部品メーカー等から直接調達するのではなく、半導体のようにアジア等のグレイマーケットから、イミテーションパーツも含め、調達し輸入するといったことも考えられる。これならば、かなりの期間にわたって調達可能であろう。「可能な限り現地化を進め実現した」としているが、どの程度まで現地生産化を実現でき、足りない部分をどう補ったのか、全く不明である。
また、上記の前者か後者かで、私の理解するロシア工業の「非工業化」が妥当な理解なのかどうかが決まるといえよう。
あるいは、ある意味、その中間で、一応国内生産の部材を中心にラーダが組み立てられるが、その製品の良品率は、顕著に低下する、ということであれば、多少なりとも基盤産業は残っているが、量産機械の生産を安定的に行うだけの精度を実現できる水準ではないということになる。
ウクライナ侵略の際に数多く飛ばしているロシア製のミサイルについて、全てが額面通りまともに飛行するのではなく、3個に1個はそれなりに飛行することもなく、さらに、まともに目標に到達するのは、残りの2個のうちの1つに過ぎない、といった話が伝わってきている。ロシアの中では最も工業生産能力が残っているはずの兵器で、この水準である。乗用車を純国産部品に戻した場合、ないしはグレイマーケットからの調達部品をそれに組み込んだ場合、いわば旧ソ連時代の「ラーダ」に近いものに戻すということになるが、その良品率はどのような水準になるのであろうか。部材のかなりの部分を国内で新規生産できるとしたら、その結果として、ロシア国内で生産された部材の品質水準を知ることができるので、生産された「ラーダ」のある意味での「出来」が大変興味深いことになる。
もし、そうであれば、かつての旧ソ連時並みの基盤産業は、規模はかなり縮小しているとしても、まだそれなりに存在しているということになろう。「ラーダ」の生産再開の際の部材の調達状況と、そこから作られる乗用車の水準が、実際のところどうなのか、実態をこの目で見てみたいものである。元産業論研究者としての血が騒ぐ。
2000年代初頭に、偶然なのであるが、中国産業の実態調査に参加でき、中国語文献も読めるようにと慶應外語の生徒となり、ダイナミックに発展する中国産業の実態を、自分の目で確かめ、自分なりの中国産業発展についての考えを、調査を共にした中国産業研究の先達の方々に学びながら、展開できた。
同じようなことをロシアについてできないものか・・・。年齢、環境、共に無理と言っているのは承知だが。
工業発展で交錯する旧ソ連(ロシア)と中国、そして日本と韓国・台湾、既存の理論の当て嵌めで評価するのではなく、実態を見て、その論理化を通して対比する。このような実態調査研究が欲しい。
付論 ネットで漫然とアフトワズの車の生産再開についての記事を眺めていたら、生産が再開される車の装備は、完全に電子化以前の状態に戻り、近年、通常の乗用車に装備された電子機器類は、ロシアにとって輸入困難のため、それらの装備がない、旧ソ連時代の乗用車装備のものが生産再開されるとされるとあった。電子機器関連の装備が、ロシア国内で調達困難なことは、よく理解できる。が、このことの含意は、旧ソ連時代の乗用車部品については、それなりの精度と量でもって、ロシア国内で生産できる、ということになる。本当だろうか。
旧ソ連が解体し、ロシア国内で生産される乗用車も、ルノーに買収されたアフトワズを含め、外資系が生産主体となり、しかもWTO加盟で部品の現地調達率の規制も顕著に低下した状況下で、どれほど、ロシア国内にまとまった量の部品を生産できる企業が立地しているのであろうか。私には大変疑問に思える点である。さらに言えば、部品の金属加工を行う工作機械は、ほとんど輸入品となっていることはジェトロの調査報告書が示しているところである。一時は、輸入済みの工作機械を使用し、それなりの機械加工中心の部品の生産は可能であったとしても、制裁が長引けば、工作機械の劣化が生じ、乗用車部品としての精度を保てなくなる可能性が大である。生産を担う企業、熟練労働者、工作機械、いずれも、使用されなくとも時間が経てば、陳腐化し、腐ってしまう。長期にわたって冷凍保存できるような代物ではなく、生きている、使っていて、さらには必要に応じて新人が入り、更新してこそ維持できるものである。これが30年間、どこに存在していたのであろうか。補修用?
2022年6月7日火曜日
6月7日 FT ロシアの半導体調達関連の記事を読んで
Gross, Anna & Max Seddon,
‘Sanctions trigger Russian technological crisis’ ( FT, 3 June 2022, p.3)を読んで
渡辺幸男
この記事の副題は「ウクライナ侵略ゆえにかされた半導体チップやハードウェアに対する輸出規制は、経済的な圧力を強めている」である。
この記事で興味深いことの1つは、データセンターサービスの拡張を求めているSberbankといったロシアの大銀行が、ロシアの地場の半導体メーカーの能力について評価を下している内容である。いくつか半導体の開発を行うロシアの地場の企業は存在しており、名前が上がっているが、それらはこれまで、製造そのものは台湾やヨーロッパのファウンドリに依存していた、ということである。ここへきて、ロシアの地場の企業が所有する工場に切り替え、「ロシア固有の技術でworthy processors」を作り出したとしているが、Sberbankは、これらのロシアの半導体開発企業の開発したチップは「catastrophically」にテストに失敗し、インテルのチップに遠く及ばないとしている。
またこの点との関連で、本記事に掲載された図が大変興味深い。それは「ロシアのチップの輸入のほとんどはアジアから」という図である。2020年のロシアの輸入金額で中国が5億ドル近くと、他を圧しているのはまだチップの大量消費地であり、そこを経由地として使っていることは理解可能である。が、2位がマレーシアで2億5千万ドル強、半導体生産国である韓国や日本が数千万ドルから8千万ドルくらい、また、フィリピン、タイ、シンガポールも数千万ドルから6千万ドルくらいであるが、「それ以外のアジア」がグラフの中で3番目の多さで2億ドル余となっている。また、ベラルーシが米国と並び6千万ドルぐらいである。いずれにしても、ロシアがこれまでも、主要な半導体生産企業が立地する国から直接輸入しているというよりも、多様な流通ルートを通し、グレイマーケットから調達していることを、この図は反映しているのであろう。
少なくとも、チップを開発設計し、販売している国の企業から直接購入しているのではないことは、確かなようである。
以上のように図でも示されているように、ロシアの当局等は、アジアやアフリカのブローカー経由でグレイマーケットからの調達をおこなってきている、とされているが、それもここへきて枯渇してきているとのことである。そこで、ロシア当局は、中国のファウンドリでの生産へと移行することを模索しているが、北京当局が救済の手を差し伸べていると思われるような証拠はほとんどない、としている。
また、ロシア国内企業がサーバーをロシア国内企業のものへ切り替えているが、国内企業のクラウドサーバーそのものに必要な先進的なチップが手に入らないと、クラウド運営企業がロシア当局に訴えているとのことである。
このような記事内容から見えてくることは、半導体製造について、開発を行なっている企業は何社かあるが、中国系のファウンドリのレベルでみても最新の半導体をまともに生産可能なロシア系企業は存在せず、ましてや、当然のことだがTSMCやインテルに対抗できるような生産技術水準の企業は存在しない、ということである。さらに、これまでロシア系企業が半導体を調達していたグレイマーケットも枯渇し始めており、ますます調達困難となっている、ということでもある。
こうして見てくると、この点からも、ロシアはかつて旧ソ連時代に作り上げていた勢力圏内完結型の工業生産体制を完全に失ったといえる。しかも単に勢力圏内完結型や勢力圏内フルセット型では無くなっただけではなく、先進的技術の担い手も失い、中国を含めた国外企業への依存抜きにはクラウドも維持できなくなってきている、ということが言えそうである。さらに単にいくつかロシア内で調達できないものがあるという意味で海外依存になっている、ということではなく、先進技術総体を海外企業群に依存せざるを得ない状況、よくて工業中進国だといえる水準へと移行していると思わざるを得ない状況となっている。
旧ソ連時代は、国際競争力はないが、ソ連圏内完結型の工業生産体制を構築し、圏内生産体制を前提に先進的兵器・航空宇宙産業を構築していた。それが、ロシア化した30年間の中で、大きく後退したといえる。少なくとも、この記事を通して見えるのは、現代の産業の米と言われる半導体等について、先進的な開発・生産能力に大きく欠ける水準にある、ということである。それゆえ、クラウドコンピューティング等についても、ほぼ全面的に海外企業による部材供給に依存しなければならないということになる。すなわち、クラウドコンピューティング自体を行うことができる国内企業は存在しているが、自国内で部材調達を行うことでは、それらのシステムを構築できなくなっている、ということである。
ここでも、ロシアというそれなりに巨大な国民経済内に立地することが必要な機能、この場合は、多分にロシア政府の意向ゆえにということであるが、これは国内立地し得たとしても、それらの企業が機能を発揮するために必要な部材のうち、先進的な工業製品については、国内生産による国内調達をすることはできない、ということになる。近代工業の水準を規定してきた工作機械について、ほぼ全面的に海外依存という状況になったということを、このブログでも先に紹介した。ロシアの場合、それだけではなく、半導体といった新たな先端部品、兵器を含めた多くの工業製品の機能を根本的に規定するような部材についても、国内生産ができない状況にあること、しかも、ロシア国内企業群が、直接的に開発生産するメーカーから調達することが困難であること、これらが、この記事により、かなり明確に示されたことになる。
先端工業製品に対する市場はそれなりにありそうだが、ただ、その大きさは本記事によれば、「ロシアの半導体消費量は、世界の半導体の1%以下」ということであり、この市場が失われることは、中国立地の企業を含め、世界の半導体メーカーにとっては大きな損失とはならないといえる。他方で、ロシアにとっては、先端半導体が自由に手に入らないことは、兵器を含めた先端的工業製品やそれを生産する資本財の生産にとって、大きな痛手となることを意味する。
天然資源が豊富ゆえに進行しているロシアの「非工業化」、その1側面が、ここでも出現している。天然資源輸出で、手っ取り早く国民生活水準を回復させたプーチン政権の、それなりの成功の成果の1つが、最重要先端工業部門の開拓実現の欠落として結実した、といえそうである。
2022年5月22日日曜日
5月22日 エントランスの初夏 ゼラニウムの花盛り
5月22日 ロシア工業の「非工業化」論の補論
ロシア工業の「非工業化」とロシアのウクライナ侵略、それらが意味すること 補論
渡辺幸男
私が使用する概念の意味
1 国内ないしは勢力圏内完結型工業生産体制
国民経済あるいは特定の国の勢力圏の工業生産体制が、その国民経済内ないしは勢力圏内で、全ての工業生産機能が完結し、工業製品完成品を含め、他の国民経済や勢力圏から工業製品とその工業製品の生産のために必要な加工した部材を輸入しない状態をさす。すなわち、素原料については輸入することもあるが、国内製工業製品に使用する加工部材である素原料の一次加工品から完成品の生産までを全て国内で行い、国内の工業製品需要を満足する生産体制である。
このような完結型工業生産体制は、理念的には想定可能だが、実際には、それに近い状況はあっても、完全な形では存在しないといえよう。ただし、歴史的には、大陸国家で欧州と離れていた米国の生産体制にはこれに近い時代が存在したと言えるし、旧ソ連圏の経済もこれに近いものがあったといえよう。
私がこのような発想を得たのは、井村喜代子慶應義塾大学名誉教授の指導をうけ、井村教授の著作(井村喜代子『現代日本経済論–敗戦から「経済大国」を経て』(有斐閣、1993年)等)に描かれた日本経済の戦後高度成長過程での国内完結型工業生産体制化の進展、という理解をもとにしている。日本経済も、戦後の高度成長過程で、工業製品や加工部材の輸入は非常に限定的となり、工作機械等、戦前から高級なものほど輸入依存であったような財も、高度成長過程で加工部材から国内生産化し、しかも輸入への依存が極めて低い状況へと展開した。少なくとも高度成長過程について、国内完結型化が進展したと言える。
しかしながら、生産体制としての国内完結型工業生産体制が構築されていることと、それらの経済生み出される工業製品が国際競争力を持っているかどうかは、全く別のことである。ある時代の日本の乗用車生産が典型であるとも言えるが、国内生産部品を使い完成車の国内生産という形で、国内完結型の生産体制を戦後の段階で早々と実現していたが、第一次高度成長期に日本で生産された国産乗用車は、当時、海外の乗用車市場で競争力を持つものではなかった。同じことは、旧ソ連圏内で生産されていたラーダ等の乗用車にも言えることである。
2 国内ないしは勢力圏内フルセット型生産体制
それに対して国内ないしは勢力圏内フルセット型の工業生産体制とは、工業製品の部材や完成品について、輸入依存もあるが、他方で、一通りの加工部材や工業製品の完成品について、国内あるいは勢力圏内でまともに生産できる状況でもある、ということを表している。乗用車で言えば、国内ないしは勢力圏内の部材を使って国内で完成車も生産され、少なくとも国内市場では競争力を持っているが、同時に海外産の乗用車も輸入されているような状況といえる。これが完成品だけではなく、加工部材等でもいずれの部分も国内でも生産しているという状況である。
ブログに掲載した議論との関わりで言えば、このような状況であれば、必要に応じて、必要とされる工業製品あるいは部材について、国内ないしは勢力圏内の生産を短期により一層拡大することが、設備機械や技術者・技能者の国内蓄積から可能であることを意味する。国内ないしは勢力圏内完結型生産体制は国内ないしは勢力圏内フルセット生産体制でもあるといえるが、国内フルセットであることは必ずしも国内ないしは勢力圏内完結とは限らない、ということとなる。
このフルセットという発想は、関満博氏の議論(関満博『フルセット型産業構造を超えて–東アジア新時代の中の日本産業』(中公新書、1993年)等)からヒントを得ている。日本の戦後高度成長期の工業生産体制は、フルセット化に向かっていたことも確かだが、工業製品の対外依存が中間財も含め顕著に縮小しつつあったことから、国内完結型化に向かっていたとみなした方が、より適切である、というのが、私の関氏への議論への疑問であった。もちろん、旧ソ連圏経済も経済圏内完結型の生産体制であり、フルセット型の生産体制でもあると言える。
3 「非工業化」とは
一時期、フルセット型の工業生産体制を構築していたり、あるいは国際市場で競争力のある工業製品や工業生産機能を保有していた国民経済、あるいは勢力圏が、フルセット型の工業生産体制を維持できなくなり、多くの欠落部分を生じることが「非工業化」の一方の形態である。あるいは、台湾のファンドリのように国際市場で競争優位の工業製品や工業がらみの先端的な開発機能等を持っていた国民経済や勢力圏が、その優位を再生産できず、核となる工業生産機能を失い工業部面での優位性を保持できなくなり、多くの関連工業生産活動が失われることも「非工業化」といえる。これらの2つの「非工業化」が考えられる。
より具体的に言えば、フルセット型の国民経済や勢力圏の場合には、先端製品生産が企画開発から製造まで不可能になるというだけではなく、資本財一般の生産が企画開発から製造まで不可能となり、先端製品の製造だけではなく、多くの工業製品についての企画開発も不可能となるような状況への変化と言える。工業生産の諸分野について、国内経済内や勢力圏内で多くの部分が欠落し、市場近接が必要とされる工業活動以外は、当該国民経済や経済圏内での工業生産の諸機能の立地が喪失されてしまうような状況へと、多様な工業生産関連能力をかつては保有していた国民経済や勢力圏が移行する変化をさす。
「非工業化」は、「・・・化」ということで、工業活動消滅状況それ自体ではなく、その方向への変化を表現している。1990年代以降に日本で言われた「産業空洞化」とある意味で似たような概念ともいえるが、私のいうところの「非工業化」状況と当時言われた「産業空有同化」状況との大きな違いは、産業空洞化の多くの場合は、工業生産活動の特定の機能(量産工業製品の量産機能それ自体)が海外生産化するが、開発機能等、当該製品分野の企業活動に含まれる主要機能の多くは、当該国民経済や勢力圏内に保持されている。それに対して「非工業化」という場合は、文字通り、当該工業製品に関わる主要諸機能のほぼすべてが、当該国民経済や勢力圏内から失われるということを意味する。
残っているとしたら、当該工業製品をそれなりの大きさを持つ市場で販売するために必要とされる市場近接機能、例えば、当該市場向けに量産製品の設計を多少変更するような現地化設計機能といったものがある。あるいは変化の激しい現地ニーズに対応した現地仕様にするための最終仕上げ部分の工程の維持といったものである。
基本的には、以上のような市場近接性がどうしても必要とされる生産がらみの機能以外は、当該国民経済内や勢力圏内から全て消失し、工業製品を輸入によって調達する以外、入手する方法がなくなる状況が、「非工業化」の極限の状況といえよう。
ロシア経済とその工業の現状から言えば、本論で見たように、アパレルのような消費財の多くの生産とその部材の生産、あるいは工作機械や紡織機械に代表されるような資本財、これらの多くでは、企画開発生産等全ての機能について、かつては旧ソ連圏内で完結していたものが、全ての機能がロシア勢力圏内からほぼ消失し、ロシア勢力圏外からの輸入が必要な、全面的に海外経済圏依存の財となっている。
ただ、兵器の生産については、企画開発から部材の生産まで、多くは依然としてロシア国内あるいはその勢力圏内に保持されているようである。しかし、漏れ伝わるところによれば、誘導ミサイル等に用いられる半導体については、全面的に輸入状況にあるので、米欧日等の制裁の波及により、本来の半導体部品が使えず、家電用の半導体を転用しているとの噂もあるとのことである。
どの程度このようなことが可能か、あるいは実際にそうなのかわからないが、まさに兵器の性能を規定する半導体についての輸入依存であり、兵器産業に関しても「非工業化」の影響は出てきていると見ることができよう。また、当然のことながら、兵器の金属部分の加工は工作機械が必要であり、そのほとんどを海外からの輸入に依存するに至っているロシア経済は、海外からの工作機械の輸入が、かつての大日本帝国の対米開戦後と同様に止まってしまえば、戦争が長引けば長引くほど工作機械の劣化が進行し、今後生産される多様な兵器について、ますます設計上の精度を実現することも困難になってくるであろう。これも「非工業化」の影響といえるであろう。ただし、工作機械については、中国製でかなりの程度充足可能であろうから、どこまで影響が出るのか、どこまで中国製以外のより高度な工作機械を必要としているのかを見極め、その影響を評価する必要がある。
何れにしても、ロシアのように、数十年の歳月を通し、非工業化が本格的に進行したということは、為替レートの多少の変動を通して、喪失した工業生産活動が短中期的に復活する、といった可能性はほぼ皆無ということを意味する。たとえば、本論で紹介した繊維機械や工作機械がほぼ輸入品となり何年も経過しているということは、機械製品の部材生産に必要な基盤産業も消滅しているということを意味し、また企画開発能力のある技術者や精度を実現する熟練技能者も、当該国民経済内や勢力圏内にはほぼ存在しないであろうことを意味する。
なお、ロシア経済の場合は、「非工業化」が進行しても、豊富な天然資源の輸出を通して、これまでは欧州や中国から多様な工業製品を自由に購買輸入でき、旧ソ連勢力圏内で生産していたよりも、より性能の良い、より安価な工業製品を購買輸入できたのである。国内であえて多大な努力をしてまでも育成することの必要性を感じなかったといえる。あるいは、一部危機感を持ち、国内生産の必要性を感じた政策担当者も存在したみたいだが、短期的な観点からみれば、輸入がより安価により優れた工業製品の入手を可能とするのであり、政策的課題として一応目指されても、ほぼ実現は不可能なのが「非工業化」の反転、「再工業化」と言えるであろう。よほどの危機的状況に陥り、輸入が不可能となる以外は、政策的課題となりようがない。また本格的な政策的課題となっても、一旦失われた多様な工業生産関連の人材や企業は、短中期的な時間の広がりの中では復活不可能といえよう。世界大戦時のブラジルでは、戦中の工業製品輸入途絶の際に、一時的な工業生産活動のある程度の活発化が生じたが、終戦と共に輸入が可能となるとともに、それらの工業生産活動はほとんど消滅してしまった、という過去の経験も示唆的であろう。
参考文献
井村喜代子『現代日本経済論–敗戦から「経済大国」を経て』有斐閣、1993年
関満博『フルセット型産業構造を超えて–東アジア新時代の中の日本産業』
中公新書、1993年
渡辺幸男『日本機械工業の社会的分業構造–階層構造・産業集積からの下請制把握』
有斐閣、1997年