2022年5月22日日曜日

5月22日 ロシア工業の「非工業化」論の補論

 ロシア工業の「非工業化」とロシアのウクライナ侵略、それらが意味すること 補論

渡辺幸男

私が使用する概念の意味

1 国内ないしは勢力圏内完結型工業生産体制

 国民経済あるいは特定の国の勢力圏の工業生産体制が、その国民経済内ないしは勢力圏内で、全ての工業生産機能が完結し、工業製品完成品を含め、他の国民経済や勢力圏から工業製品とその工業製品の生産のために必要な加工した部材を輸入しない状態をさす。すなわち、素原料については輸入することもあるが、国内製工業製品に使用する加工部材である素原料の一次加工品から完成品の生産までを全て国内で行い、国内の工業製品需要を満足する生産体制である。

 このような完結型工業生産体制は、理念的には想定可能だが、実際には、それに近い状況はあっても、完全な形では存在しないといえよう。ただし、歴史的には、大陸国家で欧州と離れていた米国の生産体制にはこれに近い時代が存在したと言えるし、旧ソ連圏の経済もこれに近いものがあったといえよう。

私がこのような発想を得たのは、井村喜代子慶應義塾大学名誉教授の指導をうけ、井村教授の著作(井村喜代子『現代日本経済論–敗戦から「経済大国」を経て』(有斐閣、1993年)等)に描かれた日本経済の戦後高度成長過程での国内完結型工業生産体制化の進展、という理解をもとにしている。日本経済も、戦後の高度成長過程で、工業製品や加工部材の輸入は非常に限定的となり、工作機械等、戦前から高級なものほど輸入依存であったような財も、高度成長過程で加工部材から国内生産化し、しかも輸入への依存が極めて低い状況へと展開した。少なくとも高度成長過程について、国内完結型化が進展したと言える。

 しかしながら、生産体制としての国内完結型工業生産体制が構築されていることと、それらの経済生み出される工業製品が国際競争力を持っているかどうかは、全く別のことである。ある時代の日本の乗用車生産が典型であるとも言えるが、国内生産部品を使い完成車の国内生産という形で、国内完結型の生産体制を戦後の段階で早々と実現していたが、第一次高度成長期に日本で生産された国産乗用車は、当時、海外の乗用車市場で競争力を持つものではなかった。同じことは、旧ソ連圏内で生産されていたラーダ等の乗用車にも言えることである。

 

2 国内ないしは勢力圏内フルセット型生産体制

 それに対して国内ないしは勢力圏内フルセット型の工業生産体制とは、工業製品の部材や完成品について、輸入依存もあるが、他方で、一通りの加工部材や工業製品の完成品について、国内あるいは勢力圏内でまともに生産できる状況でもある、ということを表している。乗用車で言えば、国内ないしは勢力圏内の部材を使って国内で完成車も生産され、少なくとも国内市場では競争力を持っているが、同時に海外産の乗用車も輸入されているような状況といえる。これが完成品だけではなく、加工部材等でもいずれの部分も国内でも生産しているという状況である。

 ブログに掲載した議論との関わりで言えば、このような状況であれば、必要に応じて、必要とされる工業製品あるいは部材について、国内ないしは勢力圏内の生産を短期により一層拡大することが、設備機械や技術者・技能者の国内蓄積から可能であることを意味する。国内ないしは勢力圏内完結型生産体制は国内ないしは勢力圏内フルセット生産体制でもあるといえるが、国内フルセットであることは必ずしも国内ないしは勢力圏内完結とは限らない、ということとなる。

 このフルセットという発想は、関満博氏の議論(関満博『フルセット型産業構造を超えて–東アジア新時代の中の日本産業』(中公新書、1993年)等)からヒントを得ている。日本の戦後高度成長期の工業生産体制は、フルセット化に向かっていたことも確かだが、工業製品の対外依存が中間財も含め顕著に縮小しつつあったことから、国内完結型化に向かっていたとみなした方が、より適切である、というのが、私の関氏への議論への疑問であった。もちろん、旧ソ連圏経済も経済圏内完結型の生産体制であり、フルセット型の生産体制でもあると言える。

 

3 「非工業化」とは

 一時期、フルセット型の工業生産体制を構築していたり、あるいは国際市場で競争力のある工業製品や工業生産機能を保有していた国民経済、あるいは勢力圏が、フルセット型の工業生産体制を維持できなくなり、多くの欠落部分を生じることが「非工業化」の一方の形態である。あるいは、台湾のファンドリのように国際市場で競争優位の工業製品や工業がらみの先端的な開発機能等を持っていた国民経済や勢力圏が、その優位を再生産できず、核となる工業生産機能を失い工業部面での優位性を保持できなくなり、多くの関連工業生産活動が失われることも「非工業化」といえる。これらの2つの「非工業化」が考えられる。

より具体的に言えば、フルセット型の国民経済や勢力圏の場合には、先端製品生産が企画開発から製造まで不可能になるというだけではなく、資本財一般の生産が企画開発から製造まで不可能となり、先端製品の製造だけではなく、多くの工業製品についての企画開発も不可能となるような状況への変化と言える。工業生産の諸分野について、国内経済内や勢力圏内で多くの部分が欠落し、市場近接が必要とされる工業活動以外は、当該国民経済や経済圏内での工業生産の諸機能の立地が喪失されてしまうような状況へと、多様な工業生産関連能力をかつては保有していた国民経済や勢力圏が移行する変化をさす。

「非工業化」は、「・・・化」ということで、工業活動消滅状況それ自体ではなく、その方向への変化を表現している。1990年代以降に日本で言われた「産業空洞化」とある意味で似たような概念ともいえるが、私のいうところの「非工業化」状況と当時言われた「産業空有同化」状況との大きな違いは、産業空洞化の多くの場合は、工業生産活動の特定の機能(量産工業製品の量産機能それ自体)が海外生産化するが、開発機能等、当該製品分野の企業活動に含まれる主要機能の多くは、当該国民経済や勢力圏内に保持されている。それに対して「非工業化」という場合は、文字通り、当該工業製品に関わる主要諸機能のほぼすべてが、当該国民経済や勢力圏内から失われるということを意味する。

残っているとしたら、当該工業製品をそれなりの大きさを持つ市場で販売するために必要とされる市場近接機能、例えば、当該市場向けに量産製品の設計を多少変更するような現地化設計機能といったものがある。あるいは変化の激しい現地ニーズに対応した現地仕様にするための最終仕上げ部分の工程の維持といったものである。

基本的には、以上のような市場近接性がどうしても必要とされる生産がらみの機能以外は、当該国民経済内や勢力圏内から全て消失し、工業製品を輸入によって調達する以外、入手する方法がなくなる状況が、「非工業化」の極限の状況といえよう。

ロシア経済とその工業の現状から言えば、本論で見たように、アパレルのような消費財の多くの生産とその部材の生産、あるいは工作機械や紡織機械に代表されるような資本財、これらの多くでは、企画開発生産等全ての機能について、かつては旧ソ連圏内で完結していたものが、全ての機能がロシア勢力圏内からほぼ消失し、ロシア勢力圏外からの輸入が必要な、全面的に海外経済圏依存の財となっている。

ただ、兵器の生産については、企画開発から部材の生産まで、多くは依然としてロシア国内あるいはその勢力圏内に保持されているようである。しかし、漏れ伝わるところによれば、誘導ミサイル等に用いられる半導体については、全面的に輸入状況にあるので、米欧日等の制裁の波及により、本来の半導体部品が使えず、家電用の半導体を転用しているとの噂もあるとのことである。

どの程度このようなことが可能か、あるいは実際にそうなのかわからないが、まさに兵器の性能を規定する半導体についての輸入依存であり、兵器産業に関しても「非工業化」の影響は出てきていると見ることができよう。また、当然のことながら、兵器の金属部分の加工は工作機械が必要であり、そのほとんどを海外からの輸入に依存するに至っているロシア経済は、海外からの工作機械の輸入が、かつての大日本帝国の対米開戦後と同様に止まってしまえば、戦争が長引けば長引くほど工作機械の劣化が進行し、今後生産される多様な兵器について、ますます設計上の精度を実現することも困難になってくるであろう。これも「非工業化」の影響といえるであろう。ただし、工作機械については、中国製でかなりの程度充足可能であろうから、どこまで影響が出るのか、どこまで中国製以外のより高度な工作機械を必要としているのかを見極め、その影響を評価する必要がある。

 何れにしても、ロシアのように、数十年の歳月を通し、非工業化が本格的に進行したということは、為替レートの多少の変動を通して、喪失した工業生産活動が短中期的に復活する、といった可能性はほぼ皆無ということを意味する。たとえば、本論で紹介した繊維機械や工作機械がほぼ輸入品となり何年も経過しているということは、機械製品の部材生産に必要な基盤産業も消滅しているということを意味し、また企画開発能力のある技術者や精度を実現する熟練技能者も、当該国民経済内や勢力圏内にはほぼ存在しないであろうことを意味する。

 なお、ロシア経済の場合は、「非工業化」が進行しても、豊富な天然資源の輸出を通して、これまでは欧州や中国から多様な工業製品を自由に購買輸入でき、旧ソ連勢力圏内で生産していたよりも、より性能の良い、より安価な工業製品を購買輸入できたのである。国内であえて多大な努力をしてまでも育成することの必要性を感じなかったといえる。あるいは、一部危機感を持ち、国内生産の必要性を感じた政策担当者も存在したみたいだが、短期的な観点からみれば、輸入がより安価により優れた工業製品の入手を可能とするのであり、政策的課題として一応目指されても、ほぼ実現は不可能なのが「非工業化」の反転、「再工業化」と言えるであろう。よほどの危機的状況に陥り、輸入が不可能となる以外は、政策的課題となりようがない。また本格的な政策的課題となっても、一旦失われた多様な工業生産関連の人材や企業は、短中期的な時間の広がりの中では復活不可能といえよう。世界大戦時のブラジルでは、戦中の工業製品輸入途絶の際に、一時的な工業生産活動のある程度の活発化が生じたが、終戦と共に輸入が可能となるとともに、それらの工業生産活動はほとんど消滅してしまった、という過去の経験も示唆的であろう。

 

参考文献

井村喜代子『現代日本経済論–敗戦から「経済大国」を経て』有斐閣、1993

関満博『フルセット型産業構造を超えて–東アジア新時代の中の日本産業』

中公新書、1993

渡辺幸男『日本機械工業の社会的分業構造階層構造・産業集積からの下請制把握

有斐閣、1997

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