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2019年9月7日土曜日

9月7日 小論 グローバル・サプライ・システムとFDI

実態調査に基づく研究から空想へ、現在の産業発展への視点
グローバル・サプライ・システムとFDI
現代の社会的・地理的分業論
渡辺幸男
目次
1 2つ目のグローバル・サプライ・システムの形成
2 フラグメンテーション(工程・機能)の深化
3 フラグメンテーション の進行を促進するファブレス化の論理
4 結果としてのグローバルな地理的(企業内・社会的)分業生産体制の深化
5 外資による直接投資、FDI(特に後発工業化国へのFDI)の意味の変化
6 後発工業化国でのFDIの質的純化、単純化
7 貿易統計の意味の変化
8 国家単位の工業発展の可能性の狭隘化
9 FDIを契機に当該地域の工業発展を目指すことの限定性
10  インド、巨大国内市場保有国としての例外性
11  小括
12 例外としての乗用車産業分野
参考文献

 猪俣哲史著の『グローバル・バリューチェーン 新・南北問題へのまなざし』をよんで、改めて、私なりに、現代工業発展、特に後発工業化国のそれを考える際に、新たに考慮に入れる必要のある論点とは何かについての考察を示したくなった。以下は、2011年をもって実態調査を離れた、実態調査を通して主として日本と中国の産業発展を考えてきた、かつてのフィールド・ワーカー研究者の現時点での空想の成果、ないしは現時点の実態を踏まえない観念論ないしは妄想である。
(以下の文章は、猪俣著を読む前から、というよりも4月の入院前からメモリ始め、入院時、多少余裕ができてきた時点から本格的に骨子を検討し始めていたものである。ブログに掲載するか、あるいはどのようにまとめをつけるかについて悩んでいたが、猪俣著を読み、改めて見直し、文章化をし、私なりのまとめをつけ、ブログにアップすることにした)

1 2つ目のグローバル・サプライ・システムの形成
現代の工業を考える上で、グローバルに視野を広げた時、検討すること、無視できないことが、新たに生まれてきている。それは、2つ(め)のグローバル市場の形成である。1つ目は、かつてより存在する、先進工業国向けのグローバル・サプライ・システムである。猪俣(2019年)の言うところのグローバル・バリューチェーンGVCもこれに含まれるであろう。先端工業製品を巡る、グローバルなレベルの工程間や機能間分業が進展し、世界の各地域がそこに組み込まれ、先進工業国を中心とした相対的に高所得な人々からなる市場向けに供給している。
同時に注目すべきは、これまでの先進国市場を前提として展開したグローバル・サプライ・システムとは異なる対象を主たる市場とするグローバル・サプライ・システムが登場してきている、ということである。この2つ目のグローバル市場の形成により、本格的なグローバル市場が完成したと言える。グローバル・サプライも本来的にグローバルな市場の包摂を完了した。この第2のグローバル市場こそ、中国製低価格品を軸にしたグローバル市場である。これまで、グローバル・サプライの際の対象市場とされていなかった、低所得国の国民にとっての市場、古着等が販売されていたような市場が、本格的な低価格品だが新製品の市場として、独自な存在を示し始め、それを対象とする新たなサプライシステムが構築された。それが、中国製低価格品を軸とした市場である。

この市場は、小川さやか『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』で描かれた世界が示唆するものである。タンザニアの民衆用の日用品の調達に、タンザニアの商人が中国の華南の広州や華東の義烏の集散地市場そしてその周辺の産業集積を訪れ、自らの顧客が求めるものを調達、場合によっては注文生産をして調達することが始まっていることが、小川著には描かれている。欧州人の古着市場であったタンザニアの民衆向け市場が、低価格だがニーズに対応した新品の商品の市場へと変身し、中国の華南や華東を核とするサプライ・システムに組み込まれたのである。

また、これまで電気が通じていない等で、家電製品の市場になりようがなかった部分が、ソーラー発電システム等の活用で、新たにスマートフォン等の電機製品市場に組み込まれ始めている。これらも上記の2つ目のグローバル・サプライ・システムの形成の一部とみなされよう。低所得とインフラ未整備ゆえにグローバル市場の外に存在していた人々が、新技術の応用で、安価に工業製品を利用する機会を得ることができるようになった。その需要、市場に対応して、あるいは市場を創造して、新規創業のベンチャー企業を中心に、先進工業国市場中心のサプライ・システムとは別個の体系が構築されつつある。この新旧2つのグローバル・サプライ・システムが重なり合っているのが、現代のグローバル・サプライ・システムである。同時に、この2つのシステムの双方が重なり合う部分に中国内の生産体系が存在している。

2 フラグメンテーション(工程・機能)の深化
インフラが整備され、情報流費が極度に低下し、物流費も安価になったことを背景に、技術的な工程間・機能間の地理的分業の可能性も深化してきている。すなわちフラグメンテーションが深化していると言える。その結果として、地理的なグローバル分業が、細分化された工程や機能にとってのそれぞれの最適地をグローバルに追求することを可能にすることで、より強化されている。従来であれば近接立地が物流費や情報流費の制約から不可欠であった工程間、機能間の関係が、すなわち産業集積内立地、ないしは私の言う広域的工業圏内立地から解き放たれ、これらの費用的制約をあまり考慮することなく、それぞれの工程や機能にとっての最適立地を求めることが可能となっている。
あくまでもインフラの整備が前提であるが、それさえ整えば、不熟練労働力の利用が可能な工程であれば、より安価で豊富な不熟練労働力を動員できる立地を求めて、世界中を探すことになる。私が、かつて京浜地域の産業集積に対し広域関東圏というより広域的な集積、さらには東アジアといった単位では表された地理的広がりを越えて、グローバルな範囲で最適立地を、工程や機能ごとに探すことになる。それぞれの工程や機能を、誰が担うかは別として、地理的には、それぞれ細分化された部分が、それぞれ自立的に最適立地が模索される、ということを意味する。

3 フラグメンテーション の進行を促進するファブレス化の論理
ファブレスメーカーの広範な形成と展開により、製品技術と生産技術の発展が、それぞれの独自の論理で展開することにより、乗用車産業に未だ見られるような両者が一体で発展することが求められる統合型技術発展に比し、より部分的工程と機能を、地理的に分離可能とし、地理的分業を促進することになる。ファブレスメーカーは、企画開発と販売のために最適な立地を選択し、最終製品生産受託企業は、最終製品の製造のために最適立地を、グローバルに探索し選択する。このような動向を先取りした産業がアパレル産業であり、そのメーカーと受託縫製企業との関係である。その技術的最先端がクアルコム等の半導体メーカーとTSMC等のファウンドリの関係といえよう。
製品の企画開発を行い、販売戦略を練る際に必要とされる人材と、最終製品を生産するために必要な人材は、これらの人々の間での情報のやり取りそのものは緊密なものが必要であろうとも、全く異なる人材層であると言える。それぞれの機能が、人材調達に最適な立地地域にそれぞれの機能を担う事業体を設け、地理的かつ社会的分業を形成することになる。また、それぞれの事業体は、担う資本が別なだけではなく、同じ産業に産業分類上は分類されることになるが、それぞれが目指すべき技術開発やイノベーションの方向は、製品技術と生産技術をいう形で、大きく分かれることになる。それゆえ、それぞれの事業体の革新のために必要な人材や関連産業も、大きく異なることになる。その意味でも、最適立地地域は両者で大きく異なることとなる。両者の最適立地が近接していることの方が、偶然の結果であると考えるべきであろう。

4 結果としてのグローバルな地理的(企業内・社会的)分業生産体制の深化
 フラグメンテーション の進展、ファブレスメーカーと受託生産専門企業の簇生等を通して、グローバルな地理的分業が多くの産業で生じ、また同時に地理的分業が社会的分業すなわち企業間分業となる場合も多く生じることになる。従来、産業集積内立地が不可欠されたような特定の産業の各工程や機能が、工程や機能それぞれの立地の論理に従って、グローバルに最適立地を模索し、それに従ってグローバル展開をし、グローバル・サプライ・システムを構築する。
このよう動きを、最も直裁的に示しているのが、iPhoneの開発生産販売における地理的・社会的(企業間)分業であろう。企画開発と最終製品の組立は全く異なる国民経済で異なる企業によって担われ、その生産には世界中から部材や産業機械が調達されている。そして、企画開発した企業によって世界中に販売されている。アップル社はスマートフォンの先端的企業という意味でも技術面では製品開発に特化した企業であり、組立の多くを受託している鴻海精密工業は、EMSの最大手企業であるととも電子製品の量産組立体系の開発を産業機械メーカーとともに担う生産技術の先端企業でもある。さらに、iPhoneの最重要部材であるCPUはファブレスメーカーである米国のクアルコムが企画開発し、台湾のファウンドリであるTSMCが受託生産している。しかもスマートフォン用のCPUではクアルコムは最先端の製品技術開発企業であり、同時にTSMCは韓国サムスンと並ぶ半導体組立生産の最先端技術を半導体製造装置メーカーとともに開発する生産技術開発企業でもある。これらの製品技術・生産技術の開発拠点は、生産拠点とは一致せず、さらなる地理的分業が、この中でも行われている。

5 外資による直接投資、FDI(特に後発工業化国へのFDI)の意味の変化
 かつての外資による直接投資FDIとして、第2次世界大戦前の米国乗用車メーカーの欧州進出の時のFDIが典型だが、その場合の投資内容は、米国で形成した生産体系を、もう1セット、欧州でも形成するという内容のものであった。主要市場ごとに生産体系を1セット構築するというものである。1980年代以降の日系の乗用車メーカーによる米国市場向けのFDIも、同様に、どこまで実現したかは別とすれば、もう1セット、日本国内同様の生産体系を、生産技術の優位形成をもとに、米国内に構築することを目指していた。北米や欧州に進出した日系TVメーカーの場合も、最終組立のみならず、主要コンポネントの組立も進出市場内で行う、TV生産1セット単位でのFDIであった。
 しかしながら、現代のFDI、特に電子機器等の量産機械についてのそれは、機能や工程ごとに見た進出先地域の特定の立地優位性に絞ったFDI展開となっている。すなわち、グローバルなインフラ整備の下、フラグメンテーションが進展し、機能や工程ごとに最適立地を選択することが可能であるし、意味があるという条件下で、生産体系1セットの設備投資が特定国民経済向けにFDIとして実行されることはなくなっている。このことは、後発工業化国にとっての先進工業国系の企業のFDIの内容と持つ意味が大きく変わることを示唆している。
 すなわち、後発工業化国であっても、巨大な独自な市場を構成しつつあるような国へのFDIによる進出では、最終製品の企画開発の少なくとも一部は、当該市場内で行うことが迅速かつ適切なことであり、それを行うだけの規模の経済性も実現できるということで、製品技術開発の一部機能がFDIによって当該国民経済内に立地することが大いに考えられる。これは、FDIを行う最終製品企画開発企業間での市場競争の強制ということでもある。
他方で、後発工業化国の場合、圧倒的部分は、豊富な低賃金労働力の利用可能性があるとしても、独自な巨大な市場を持つ国民経済ではない。インフラが整備され、グローバル・サプライ・システムに組み込まれる可能性が出た場合、そこでのFDIは、豊富な低賃金労働力の活用に絞っての工場投資ということになろう。各工程や機能がグローバルに立地を選択できるということは、立地の優位性ごとに工程や機能が細分化され立地が決まる、ということを意味している。かつてのように、生産体系1セット単位で立地する必要はない。その意味で、インフラが整備された後発工業化国へのFDIによる工場立地の可能性は非常に高まるが、特定の立地優位に基づく工程や機能のみの立地である可能性が高い。立地優位となる1点に絞ってのFDIということになる。

6 後発工業化国でのFDIの質的純化、単純化
その結果、特定の立地優位のみが意味がある特定の機能や工程のみの当該地域へのFDI立地となる。そして、その他の関連工程や機能は、他の国民経済等に幅広く立地し、それとの地理的(・社会的)分業を通して、製品生産を完結させることになる。後発工業化国で当該国の国民経済が巨大な独自市場を持たない限り、製品の企画開発等の機能を含めた幅広い機能が当該国内に立地する可能性は、極めて小さいことになる。
グローバル・サプライ・システムに組み込まれることで、結果として生じることは、当該地域の豊富な低賃金労働量の賦存の優位の活用のみへと純化したFDI投資の集中ということになる。グローバル・サプライ・システムの一環としてのFDI投資であるがゆえに、当該国経済内での関連分野への、FDI投資主体に対する投資誘引は存在しない。その存在限りでの当該国FDIの維持拡大が行われ、それに留まることになる。グローバル・サプライ・システムゆえの当該地域への関連産業立地への波及の希薄化が生じる。また、FDIが立地している国民経済内から部材調達等を行う可能性も、極めて低いということになる。すなわち、FDIによる直接的な雇用と工場建設の際の臨時の雇用労働力の増大以外、関連分野や関連産業への当該国民経済内での波及はほとんど存在しないということになる。
 さらに、FDIを行う主体にとって、この立地の優位性、豊富な低賃金労働量の存在がなくなれば、他の立地要因、かつてのように当初のFDI投資に関連して関連産業が周辺に立地する、といったことはないので、同様の立地優位性を求めて他地域へ転出する以外の選択肢は存在しない。転出後、当該地域に残るものは、多少賃金が上昇した不熟練低賃金労働力以外では、中間管理層人材、メンテナンス従事の技術者等、わずかなタイプの人材のみであろう。ここからは、次の発展を担う可能性のある起業家や企業(家)の層としての形成は見えてこない。
 波及効果のない、当該立地の優位に直接つながるFDIが行われ、その優位性が消滅すれば、投資も引き上げられる以外ないという、極めて単純なFDIということになる。また、かつてFDIが存在したことによる遺産も、新たな起業家を簇生するような形で存在することは、ほとんど不可能といえよう。鉱脈が尽きた鉱山街が、新たな存立展望がないままに衰退し、消え去るような状況に陥る可能性が高いであろう。

7 貿易統計の意味の変化
フラグメンテーションによる機能の一部のみの立地が可能となり、純粋に組立工程のみの立地といったことが、低賃金労働力動員利用のために生じる。他の機能は、当該機能に最適な立地の他地域に立地することになる。低賃金が豊富だから、それを利用する工程が立地するだけではなく、それとの近接を求め、その他の機能、製品開発や生産技術改良といった機能が、当該地域に立地する可能性は極めて低くなる。しかし、そこで最終製品が組み立てられ、海外に輸出されれば、貿易統計上は完成品の輸出に計上されるということになる。部材の大量の輸入と完成品の大量な輸出が、貿易統計的には共存する。
このような貿易統計上の姿は、一見すると、活発な工業製品内での相互貿易が実行されていることを表現している、ということになる。実際に財は国境を越えて部材から完成品へと転換されながら行き来することになる。ただし、付加価値的には、猪俣氏の著作(猪俣哲史、2019)で示されたように、組立だけのFDI工場が立地する国民経済へは、スマイルカーブの底辺部分、すなわち付加価値生産性という視点から見れば最小の付加価値が落ちるのみであり、完成品の主要な付加価値部分は当該国民経済とは無縁な存在となる。
しかも、時系列的に見ても、当該完成品をめぐり、当該国民経済が得る付加価値部分が拡大する展望は、猪俣哲史(2019年)の考えるところと異なり、増えていく方向では見通されない。それどころか、低賃金労働力の枯渇と共に、わずかに当該国民経済に落ちていた付加価値さえ消滅する可能性が高い、というのが、ここでの私の理解である。

8 国家単位の工業発展の可能性の狭隘化
以上の検討から見えてくることは、後発工業化国へのFDIを直接的な契機とした工業発展が、当該国民経済全体に波及する論理は、かつて雁行形態論が想定したような当該国の当該産業の関連産業への波及を含めた深化という形では、現代のFDIにおいてはほぼ存在しないということである。特定の優位のみに従って、特定の工程や機能のみが当該国民経済内に立地すること、このことの意味、結果は、論理的に言えば、その立地優位の要因が消滅すれば、工程や機能は当該経済内に立地する理由が全くなくなるということである。しかも、現代においては、他の優位な立地への移動は、多国籍企業にとっては、極めて容易なことであるし、グローバルな競争が行われている中では、他のより立地優位な国民経済内に立地している企業工場に競争で負け、移転しないとしても何れにしても消滅するということを意味する。
猪俣(2019年)とは全く正反対の結論ということが言えよう。猪俣(2019年)では、先端製品の生産をめぐるスマイルカーブのどこかに食い込めば、それを足がかりに学習効果を生かして、GVCが構築された現代でも、当該国民経済内で、当該先端製品のより付加価値の高い他の機能や工程へと展開することが可能だとしている。しかし、低賃金労働力ゆえにFDIが行われた国民経済で、低賃金労働力が枯渇した時、何が残っているのであろうか。かつてであれば、関連産業が近接立地することが、何らかの立地優位をもつ地点では生じ、特定工程や機能のみに限定されない産業集積が形成される可能性が高かった。これは物流費や情報流費が高くついたからに他ならない。これらの費用が安くなれば、関連機能や工程が近接立地する必要性がなくなり、一定以上の幅を持った産業集積を形成する必要がない。あるいはそれよりグローバルに調達した方が、当該機能や工程にとって有利になる。競争上の集積形成へのインセンティブは消滅する。
そもそも、グローバルを範囲に自由に豊富な低賃金労働力を利用できる地点として選択され、他の機能や工程が隣接していなくとも十分にその立地優位を活かせるからこそ、当該国民経済に低賃金労働力を求めたFDIが実現したのである。それゆえ、そこからより幅広い集積へと広がる論理は内在的には存在しない。

9 FDIを契機に当該地域の工業発展を目指すことの限定性
FDIを契機に当該地域の工業発展を目指すのであれば、インドのバンガロールのような人材等、単なる豊富な低賃金労働力の存在以外の立地優位要因を構築することが不可欠であろう。ただし、ここでも確定的に言い得ることは、このような集積では、賃金上昇が本格的に生じても、当該機能や工程についての立地優位は消滅しにくい、ということだけである。他の関連機能や工程が近接立地するかどうかは、当該地域に一定の機能や工程が立地した理由から判断することはできない。
ブラジルでは、エンブラエル社がリージョナルジェットの開発に成功し、カナダのボンバルディアとともに世界市場を2分する存在となった。この元にあるのが、第2次世界大戦後の特異な状況下での、ドイツ系を中心とする航空機開発に長けた人材の集積にあるとのことである。ロシアのスホーイがこのリージョナルジェット市場で大苦戦し、日本の三菱は未だ開発途上にあるのに対し、国際競争力のあるリージョナルジェットの開発に成功したのがエンブラエルである。しかし、同時に、エンブラエルはブラジルを越えた大量の国際的な生産委託を行なっており、日本の川崎重工等もその一部を担っている。エンブラエルのブラジルにおける主力工場周辺に航空機産業の一大産業集積が形成されているのではなさそうである(1)。機体開発能力の蓄積を核に、グローバルなネットワークを生かし、リージョナルジェットのチャンピオンとなったと言えそうである。今後、ブラジルに関連企業が近接立地を進める可能性は存在する。日本の川崎重工にもそのような話が存在しているようである。そのことを通して、ブラジルに航空機産業を核とする機械工業集積が本格的に形成され、それがブラジル工業化の核になる可能性は存在するのであろうか。現在の私は、この可能性に懐疑的であるが、それを確認する手段を残念ながら持ち得ていない。

10インド、巨大国内市場保有国としての例外性
 こうした中で、進出先の市場を目的としたワンセット型のFDIの可能性の存在するのが、インド市場ということができよう。実際に、小米等のスマートフォンのファブレスメーカーである中国企業や鴻海精密工業といったEMSも、インド市場向けを念頭に、インドへFDIを行なっている。小米にとっては、EMSの同時進出は不可欠であり、現地ニーズに対応した現地仕様のスマートフォンを開発し、EMSを通して現地生産を行い、市場への迅速対応を実現している。また、その結果とも言えるが、インドでサムスンを超え首位のシェアを確保したと、日経電子版で報じられている(ローズマリー、2018年)。これにより、中国から部品を調達し、そのまま組立て供給していた低価格品中心の現地メーカーとのインド市場での競争で、圧倒的な優位に立ち、一挙にインドでの市場シェアを拡大したと言えそうである。

11  小括
純化したFDI中心であれば、その地域が特化した資源、多くは低賃金の豊富な労働力の活用のみに重点を置いたFDIが、グローバル・サプライ・システムを前提に、グローバル市場を対象に実行されることとなる。そこに、深圳等で見られるようなベンチャー簇生を基にしたイノベーションの振興を政策的に実現可能であるというのは、全くの幻想であろう。FDIを通して生まれる産業活動の中に、新たな集積を生み出す担い手は誰かいるのか、対象とする市場はどこかにあるのか、そこで誰と競争しようとしているのか。いずれについても、全く見えてこない。これらがどこかに存在する、あるいは政策的に創造できると考えるのが、ベストプラクティスに学ぶ大野健一氏の政策的議論(大野健一、2013)なのであろうか。イノベーション簇生の根本は、政策の問題ではないと私は考える。

12 例外としての乗用車産業分野
FDIが広範化し、単一製品にも関わらず巨大な市場がある分野でありながら、現代でも量産型機械工業の中で乗用車だけは生産体系として本来的な意味でのグローバル化を充分は成し遂げていない。もちろん、国際化の進展は顕著であり、多国籍企業が多数存在している。しかし、その存立形態は、第2次世界大戦前の米国企業の欧州進出の延長線上とも言える存在であり、グローバル・サプライ・システムを構築しているとは、言い切れない。それゆえ別途検討することが必要であろう。
 結果、乗用車産業でのFDIは、基本的に規模の経済性が十分発揮できる需要すなわち大規模市場近接ということで展開される。それゆえ、後発工業化国で国内市場が十分な大きさのない国民経済は、立地の対象外となる。また、たとえ豊かな国民経済でも、オーストラリアのような絶対的人口規模が相対的に小さな国民経済への乗用車工場のように、FDI立地はかつてはかなり存在した(2)が、現在は顕著に減少している。乗用車産業は単品をめぐる産業集積が依然として生きている例外的巨大分野と言える。
 乗用車産業は、製品技術と生産技術とが、擦り合わせ技術等の必要性から、依然として一体的に開発する必要があるとされている産業分野であり、財の容積や重量の割には、容積あたり、重量あたり単価の低い主要部品が多数存在している分野でもある。それゆえに、他の量産機械産業とは異なり、主要部材の生産と最終的組立工程とが近接立地することが、依然として有効な分野となっている。
 佐伯靖雄編著『中国地方の自動車産業』の議論のように、日本国内産業集積の将来的可能性を議論する余地が存在する。またそこで描かれた鳥取の国内電機関連サプライヤの国内乗用車関連産業へのシフトの実態的な基盤でもある。
 ただ、EV化によるその多くの部分の喪失される可能性が存在する。佐伯編著に描かれたタイヤ生産と同様な、各部材生産の自立的な立地可能性が、EV化により、乗用車産業の各部分に広がることが予測される。

1)エンブラエル社について、私の理解に関しては、ブログ「[覚書]グローバル市場・調達時代における後発工業化国製造業・企業の発展をどう見るべきか —ブラジルのエンブラエルの発展に至る産業発展の新たな可能性と限定性—」を参照。

2)豊かな1次産品輸出国であるが、人口2500万人程度と乗用車市場としての可能性は小さいオーストラリアの自動車需要は年間100万台余である。かつては複数以上存在していた完成車組立工場は、2017年のトヨタとGMの現地子会社工場の閉鎖(「オーストラリアの車生産、90年で幕」日本経済新聞、2017107日朝刊)により、皆無となっており、100万台余の需要は全て完成車輸入でまかなわれるようになったようである。なお、「豪昨年の新車販売3%減、4年ぶり前年割れ」( 日本経済新聞電子版、201919日)によれば、2018年の販売台数は前年比3%減の1153111台とのことである。

 

参考文献
猪俣哲史、2019年『グローバル・バリューチェーン
 新・南北問題へのまなざし』日本経済新聞社
エンブラエル、www.embraer.com/en-us 2016527日閲覧
大野健一、2013『産業政策のつくり方 
– アジアのベストプラクティスに学ぶ』有斐閣
小川さやか、2016年『「その日暮らし」の人類学
 もう一つの資本主義経済』 光文社新書
佐伯靖雄編著、2019年『中国地方の自動車産業 
−人口減少社会におけるグローバル企業と地域経済の共生を図る』晃洋書房
田中祐二、2007「ブラジルにおける新しい企業像の追求  —航空機製造企業
EMBRAER社のクラスター形成とCSR—」『立命館経済学』5556
中山智夫、2010「エンブラエル社の世界戦略と航空機投資の魅力」
    http:// www.itca.co.jp2016524日閲覧
マランディ、ローズマリー2018「中国・小米、インドで攻勢
 韓国サムスンから首位を奪う」日本経済新聞電子版、2018513


2019年9月6日金曜日

9月6日 小論 猪俣著『グローバル・バリューチェーン』を読んで

猪俣哲史『グローバル・バリューチェーン 新・南北問題へのまなざし』
日本経済新聞社、2019年 を読んで
渡辺幸男
本書の目次
はじめに
第1章     GVCとは何か
第2章     GVC誕生秘話 東アジアの統合された多様性
第3章     怒れる米国、かわす中国 GVCをめぐる超大国のロジック・ゲーム
第4章     付加価値から見た世界経済
第5章     価値は世界をどうめぐっているか 付加価値貿易の計測方法
第6章     技術革新と経済発展
第7章     GVCパラダイム 新・新・新貿易論?
第8章     新・南北問題の解決へ向けて 政策への含意
終章  第4次産業革命におけるGVC

 日経82425ページの「この一冊」で取り上げられていた著作である。私が、本書の中で興味深く感じた議論は、グローバルな取引関係を、財・サービスそのものについての輸出入額で把握するのではなく、それらを付加価値ベースで分析していることであった。近年、フラグメンテーションが進展し、完成品を生産し輸出する国民経済が、その製品に関する企画設計開発から生産販売に至る主要な業務内容を国内で行うとは限らない状況が生まれている。財によっては、スマートフォンのように企画設計し販売している企業の存立する国民経済とは全く異なる国民経済で、当該国にとっての外資系受託企業である多国籍企業的EMSにより、グローバルに部品が集められ、グローバルに産業機械が調達され、組立てられ、企画開発した企業によって、最終製品として世界中に販売されている。このような状況を把握するためには、財とサービスの輸出入を業種や製品ごとに見ただけでは、十分ではない。グローバルな分業状況、特に当該製品を巡って、どの国民経済が最も受益者として多くを得るのかは掴めない。その意味でも、付加価値ベースでの輸出入把握をすることは、グローバルな取引関係を把握するために不可欠かつ重要な手続き1つであるといえよう。
 この点で、本書の著者が目指すものは、製品の輸出入額だけで国際分業関係を把握し、貿易の高度化が進展しているとするような研究者が存在する中で、重要な意味を持つものといえる。
 ただ、本書に注目し購入した私の理由は、グローバル・バリュー・チェーン(以下、GVCと略す)の現状を付加価値ベースで把握すること自体ではなかった。GVCが展開する中で、GVCのそれぞれの機能の一端を担う国民経済が、特に本書でも言われているスマイルカーブの底辺を機能的に担う国民経済が、GVCを通して産業発展を果たすことができるのかどうか、あるいはどのような産業発展を、その他の条件がどのようであったら果たすのかを、知りたいためであった。
 本書でも語られているように、かつての国際分業は、最終製品をめぐっての分業であった。しかし、現代のインフラ整備のもとでの国際分業は、特に量産型の耐久消費財的な機械類については、バリューチェーンの特定部分を、ある国民経済がその独自の立地条件により担う、ということが一般的となっている。そのことが当該国民経済、特に発展途上国での産業発展にとって持つ意味についての議論を知りたかったのである。本書の副題は「新・南北問題へのまなざし」となっており、まさに、それに注目する著作と理解したがゆえの購入であった。
 しかし、一通り目を通して感じた印象は、私が求めていたことに正面から答える著作というより、GVCの進展のもとで、付加価値ベースの取引で国際取引を捉え直したら、どうなるか、それをめぐる議論が中心であった。また、GVCの展開が本書のいう「開発途上国」にとって持つ意味は、インフラ整備のもとで、先端的産業の一部の機能を担うだけで、その一翼を担うことになり、当該産業の他の部分へと接近しやすい環境が形成されるというものであった。開発途上国は、先端産業を含むGVCの最も低賃金労働集約的な部分にまずは参入し、そこからより高度な部分へと展開していくことで、より高度な産業部分を自らのものとすることができる、という発想の著作であった。それを、中国での先行事例を通して確認できる、という考えの著作でもあった。
ただ、最後の章では、近年の技術革新を通して、デジタル・ディバイドにより、「低開発国へと逆戻り」(本書、250ページ)する開発途上国も生まれることもありうるとしている。

 本書で述べられる、GVC環境のもとでの開発途上国への産業発展政策への含意は、以下のようになる。かつては「開発途上国」にとって「「工業化」といえば、地場産業を生産工程の上流から下流までくまなく取りそろえることで」(本書、206ページ)あった。今日では「開発途上国でもGVCに参加すれば、自国の技術レベルや要素賦存状況に見合った「特別な場所」をサプライチェーンの中に見出し、そこに注力することで、スマートフォンや液晶テレビのような高付加価値製品を世界標準で作ることができる」(本書、207ページ)としている。「開発途上国にとって、もはや日本や韓国のようなフルセット型の産業振興は必要なく、むしろ、GVCに参画するための国内条件をどれだけ整えることができるかが経済発展へのカギとなる」(本書、207ページ)と述べている。ここから法制度を含めたようなインフラの重要性が指摘される。(なお、上記の文章で、日本と対比した時、韓国の産業発展が当初の政策意図はともかく、結果的に先端産業化した部分が日本とともに括れるようなフルセット型であったかどうか、この点については、私はかなり疑問に感じるのであるが、今、ここでの主たる問題ではないので、疑問点であるとだけ指摘しておく(1)
 ここで本書の著者が強調していることは、GVCの形成により、インフラ整備ができた開発途上国は、GVCの一部に参画することで、高付加価値工業製品の生産をトータルに実現することなく、その一端を担うことができる、ということである。ここまでは私にも理解可能かつ納得的なことである。しかし、本書にとって、さらに重要なのは、「開発途上国にとって、技術集約的な生産ネットワークに参加することが学習効果を通じてサプライチェーン高度化へのカギとなる」(本書、210ページ)とされていることである。GVCとサプライチェーンを同義語とすれば、高付加価値工業製品の生産のどこか一翼を担うこと自体で、そこから自国内で一部のみを担当している高付加価値製品生産の中の、その時点では自国には立地していない、より高度な生産工程ないしは機能部分へとシフトすることが可能になる、ということを主張していることになる。この点については、私には理解不可能あるいは非納得的である。
 インフラ整備がなされた開発途上国が、低賃金労働力が豊富だという特徴を持てば、確かにGVCの一部に組み入れられる可能性は高まるであろう。しかし、私が理解できないのは、そのことが、即、より高度な工程等への進出を当該国の生産単位にとって可能にするにつながるという理解である。「学習効果を通じて」そうなるという認識のようだが、例えば、外資系EMSが進出して作られたスマートフォンの組立工場の現地労働者が、現地中間管理者層を含め、スマートフォンの部材の生産に乗り出すことが学習効果として存在しうるのか、ましてやスマートフォンの企画開発を学習できるのか、そのようなことが、組立工場の進出から直接的に生じるとは私には思えない。現地資本系のEMS企業の形成が可能かどうかも、私には疑問と思われる。ましてや、それまで自国内に存在しなかった他の工程や機能等に現地労働者が進出できる根拠は、一部工程の現地生産化によってのみでは生まれようがない、というのが私の理解である。
 本書の著者は、中国でのメディアテックやその後のクアルコムの半導体をプラットフォームにした携帯電話やスマートフォンの現地企業による生産進出を、このような学習効果の結果としてみているようである(例えば、第6章でのメディアテックへの言及「プラットフォーム・リーダーという突然変異体」)。これ自体は、深圳での電子製品の生産をめぐる地元民営企業群からなる産業集積の形成と中国国内市場の低価格部分の開発余地の存在、これらにより生じえた現象である。例えば、携帯電話の外資系EMSが深圳に進出し、そこから現地労働者にとっての企画開発についての学習効果が生まれ、携帯電話の開発企業群が形成された、というような話ではない。少なくとも私の理解している限りでは。外資系EMSによる組立工場進出は、あくまでも組立工程のみである。しかも、外資系の鴻海精密工業のような企業の中国進出のような場合であれば、EMSの業務自体に関しても、あくまでも組立現場作業に限定されるような分工場形態での進出ということになり、工場立地の現地では経営戦略を含めたような企業経営は存在しようがない。
このような部分的な生産単位の進出が、「学習効果を通じて」、他のより高度な工程や機能等への現地での進出へとつながる、ということのためには、単に当該国にGVCの一部が進出した、という以上の内容の確認が必要不可欠である。分工場の進出は、あくまでも分工場の進出であり、当該立地の優位性が失われれば、より優位な立地を求めて、他の地域や国へと分工場の立地は移動し、現地には現場作業員とよくて中間管理職だけが残されることになる。このことは、日本国内での京浜地域の機械工業企業の東北地方への分工場進出と、その後の海外生産化の過程で明らかになった点でもある。
もちろん、現地企業が下請企業としてGVCの一端を担うのであれば、それはそれで多少意味が異なることになる。しかし、GVC一般を議論する場合に、そこからの学習効果で、より高度な工程等に進出可能というのは、完全に論理が飛躍している。特に、高度化を担うはずの担い手の現地の企業と企業経営者の存在についての議論と、それらがどのような状況で新たな分野、工程等に進出しようとするのか、またそれらが実現可能な条件は何かという点の検討が欠落している。
また、たとえ、企業経営者が潜在的に存在しても、それらの経営者がいかにして新たな工程についての知識とそれを持った技能者・技術者を確保することができるのか等、そこから先の話は、幾つもの関門を乗り越えて、初めて可能となることと言える。なぜ、簡単に「学習効果を通じて」より高度な工程や機能へと進出できると言えるのであろうか。誰がどこから学習するのかを示さなければ、GVCの当該現場で学習されるのは、当該製品の例えば組立工程での作業とその管理だけであり、より高度な工程や機能をも学習できるという主張については、全く理解できない。

私が中国で行った自転車産業調査をもとに、中国での独自産業発展の論理を簡単にまとめれば、以下のようになる。中国での自転車産業でも日系や台湾系の完成車メーカーが低賃金労働力の活用を求め、華東や華南地域に合弁ないしは子会社の形で工場進出している。さらに主要な自転車部品に関しても、同様に中国進出を多数している。しかし、世界最大の自転車生産を2000年代に担った企業群は、これらの外資系企業やその直接的な影響で生まれたサプライヤー企業ではなかった。市場の変化に対応できなかった国有巨大企業(規模では1990年代世界最大の生産台数を誇っていたのは中国国有の3大自転車メーカーであった)でもなく、巨大国有企業が蓄積した自転車生産技術と技術者・技能者を活用した新興の中国系民営企業群であった。それらの企業が、中国国内で安価だが既存巨大国有企業によって充足されない内容の大規模需要が生じた際に、そのニーズにあった自転車を開発し供給したことで、世界最大の自転車市場である中国市場を席巻し、それをもとに、海外からの受託生産にも乗り出し、輸出企業としても、層として世界の低価格自転車需要の大部分を獲得するに至る大成功を実現した。
もちろん、この過程で、中国系新興企業は、計画経済期からの国有大企業の遺産を使うだけではなく、進出外資系自転車関連企業がもたらした多様なノウハウ等も吸収している。そのことを踏まえることで、海外市場での成功も実現している。しかし、ここで強調したいことは、中国での中国系新興企業自転車メーカーの世界的な成功は、先進工業国の自転車メーカー、例えば日系、台湾系あるいは米国系の完成車メーカーのGVCの中のスマイルカーブに中国で組立が組み込まれ、そこで学習したことによって、あるいは学習した人々を中心にして生み出されたのではないということである。新たに中国国内に形成された需要を開拓した新規創業起業家に経営される新興企業群が、計画経済期以来中国内に蓄積されてきた経営資源を活用し、中国市場で低価格品生産企業群として市場を開拓形成したことが出発点なのである。
この中国自転車産業の事例でも示唆されるように、中国での産業発展を、中国がGVCの中のスマイルカーブで言えば底辺部分を構成する部分に組み込まれたことを契機に生じた、と見る本書の考えに大いなる疑問を感じざるを得ない。中国には数多くの来料加工工場が形成されたこと、この来料加工工場群は、外資主導の組立工場であり、実質的に外資企業の分工場であるといえ、GVCに組み込まれることで形成された外資に管理された工場群である。しかし、同時に、自転車産業で指摘したように、中国の改革開放後の産業発展は、このGVCの一翼を担うことから始まったのではない。GVCの外側に形成された、中国国内市場の新たな動きを開拓する新興企業、それを担う起業家、そしてそれらが活用できた安価な技術者や技能者層の存在こそが、中国の産業発展にとっては重要であった。
もちろん、中国経済が拡大再生産を遂げるためには、来料加工等を通しての外貨獲得も非常に重要な意味を持っている。また、来料加工を通して先端的産業製品を確認できたこと、その部材や生産技術を知ったことは、極めて大きな影響を与えている。しかし、そのことと、産業発展の担い手の形成とは別の話である。このような考えると、本書のように、中国の例を持って、先端工業製品についてのGVCの一翼を、たとえスマイルカーブの底辺部分であっても、担うことで、そこから先端工業製品の本格的生産に、学習効果を通じて到達可能である、ということを言うことはできないのである。
以上から、本書の著者が、中国がGVCの中のスマイルカーブの底辺に位置付けられる機能を大きく担う存在であったことと、中国が本格的に産業発展を実現しつつあり、先端工業分野でも中国系企業の存在が大きくなってきていることとを結びつけ、GVCの一端を担うことが、当該国民経済の本格的産業化への道を切り開くと考えていることに、疑問を呈さざるを得ない。このようなことを主張するためには、具体的にGVCの一翼を担うことから当該産業全体を担う主体を自国内に形成した事例を、開発途上国についてに紹介する必要があろう。その上で、その事例が何故、産業発展へとつながり得たのか、分析して示すことが不可欠であろう。スマートフォンの事例は、私にはそのような事例とは思われない。

 本書の著者の発想は、そもそも、GVCの中の先端製品分野で見た時、1990年代以降、スマイルカーブの底辺部分をもっぱら担っていたと見られる中国経済そして中国立地企業・工場群が、スマートフォンに見られるように、先端工業製品で先進工業国企業に対し対等に競争可能な中国系有力企業を生み出した、という事実から始まっているのではないか。そのように見ることで、GVCの底辺であっても、その一端に参入すれば、そこから広げて先端製品の担い手になれるという理解をし、それが現在の米中対立の出発点であると見たことに始まるのではないか。中国経済それ自体の状況、先端工業製品での中国系企業の形成発展の論理、特にその発展にとっての中国市場の意味を十分検討することなく、単線的に上記の事実を結びつけた結果として、先端工業製品のGVCへの一部参入イコール先端工業製品本格的生産メーカーへの道、と理解したのではないか。本書は、私には、このようにも理解された。

(1)一言付言すれば、現下の日本政府による韓国のホワイト国からの除外が、韓国で大騒ぎをされている所以は、韓国の先端的な産業の主要輸出産業(企業)がもっぱら日系企業の日本工場での素材生産にも大きく依存している事実を示している。このこと1つで韓国がフルセット型の産業振興を本格的に実行した、あるいは、日本のように実現できたわけではないことが明白になる。この点、2019829日付の日経での深川由紀子氏の「冷え込む日韓関係(中) 成長戦略に双方位置付けを」(28ページ)と題した記事が参考になる。そこでは「日本に追いつく目標として手っ取り早く構造転換を進めようとするほど、技術の内在する資本財や部品・素材などの中間財を(日本の企業に−引用者)依存することになった」と指摘している。政策意図としては「フルセット型」を念頭に置いていたとしても、急速なキャッチアップのためには日系企業への部材等についての依存は不可欠であり、かつ、それによってこそ、サムスンの半導体のように急速なキャッチアップが可能となった。そして、今もその結果が効いている、ということを示唆している。

 さらに、日本の戦後高度成長期に目指された生産体制は、「フルセット型」であっただけではなく「国内完結型」でもあったと言える。すなわち、すべての工業製品を部材から完成品まで国内で生産可能という「フルセット型」であることを目指した、あるいは目指さざるを得なかっただけではない。それ以上に、すべての工業製品の部材も海外からの輸入に依存しない、という意味での「国内完結型生産体制」を目指していて、一定程度実現したと言える。それが、現在量産型の機械工業製品の多くの生産が海外展開しても、部材や産業機械の主要部分は日本国内に立地した工場で生産され、国内外に販売されていることに反映している。これが、、量産完成品の輸出がかつてより極めて限定的になった現在でも、貿易黒字がほぼ維持できている理由とも言える。(渡辺幸男『日本機械工業の社会的分業構造』有斐閣、1997年を参照)