2019年2月2日土曜日

2月2日 渡辺幸男の中小企業研究50年史 その7 付録

渡辺幸男の研究50年史
付録
 執筆著作・論文リスト
1 著作 ・単著 
1,『日本機械工業の社会的分業構造 階層構造・産業集積からの下請制把握』有斐閣 1997
 博士学位論文
   中小企業研究奨励賞 特賞受賞、 義塾賞 受賞
2,『大都市圏工業集積の実態 日本機械工業の社会的分業構造 実態分析編1』
慶應義塾大学出版会 1998年 博士学位副論文
3,現代日本の産業集積研究 ―実態調査研究と論理的含意―
  慶應義塾大学出版会 2011
4,『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』
  慶應義塾大学出版会、2016

2 著作 ・共()
1,21世紀中小企業論 多様性と可能性を探る』
渡辺幸男・小川正博・黒瀬直宏・向山雅夫共著 有斐閣 2001
2,『新産業時代における集積の本質とその将来展望』序,第4章誘致工場と産業集積の形成
 その可能性と限定性,第5  誘致工場と機械金属産業集積の新たな形成]
   日本学術振興会科学研究費補助金研究成果報告書 編著 20063
3,『中小企業の現状と中小企業金融』(信金中央金庫寄付講座 中小企業金融論 第2巻)
   (第1章「何故、今「中小」企業なのか」執筆)
吉野直行・渡辺幸男編 慶應義塾大学出版会 2006
4,21世紀中小企業論 新版 多様性と可能性を探る』
   渡辺幸男・小川正博・黒瀬直宏・向山雅夫共著 有斐閣 2006
5,『日本と東アジアの産業集積研究』渡辺幸男編著 同友館 2007
6,『東アジア自転車産業論 日中台の産業発展と分業の再編』
   渡辺幸男、駒形哲哉、周立群共編著 慶應義塾大学出版会 2009
7,21世紀中小企業論 第3版 多様性と可能性を探る』
   渡辺幸男・小川正博・黒瀬直宏・向山雅夫共著 有斐閣 2013
8,『中国産業研究の帰納法的展開』渡辺幸男・植田浩史・駒形哲哉共編著 同友館 2014

3 論説
 1,中小資本部門の競争について修士論文,1972年.
 2, 零細規模経営増加についての分析『三田学会雑誌』6710, 197410
 3, 高成長と機械工業中小企業の問題性『三田経済学研究』12/13 , 1975年度
 4, 大都市における機械工業零細経営の機能と存立基盤『三田学会雑誌』722, 19794
 5, 城東・城南の機械金属加工業      佐藤芳雄編著『巨大都市の零細工業-都市型末端産業の構造変化』
日本経済評論社, 19811月所収中小企業研究奨励賞本賞受賞
 6, 大都市における零細工業の役割,           渡辺睦編『80年代の中小企業問題』新評論, 19824月所収
 7, 中小工業の存立実態と問題性
    中小企業事業団・中小企業大学校中小企業研究所『アメリカの中小企業に関する研究』 19833月所収
 8,イギリスの工業と新規中小企業形成    中小企業事業団・中小企業大学校中小企業研究所
『欧米諸国の中小企業に関する研究(イギリス編19843月所収
 9, 下請・系列中小企業 中小企業事業団・中小企業研究所『日本の中小企業研究  第1巻<成果と課題>』
有斐閣,19856月所収
10,アメリカの寡占体制とスモール・ビジネス(佐藤芳雄氏との共同論文
    前川恭一・渡辺睦共編『現代中小企業研究(下)』大月書店, 19845月所収
11, 下請企業の競争と存立形態    「自立」的下請関係の形成をめぐって
    (『三田学会雑誌』762, 19836, (『同』765, 198312,
   (『同』773, 19848
12, 日本機械工業の下請生産システム    効率性論の意味するもの   『商工金融』352, 19852
13, 貿易摩擦の部品産業への影響    カラーテレビと関連部品産業の事例研究
    日本労働協会編『貿易摩擦と雇用・労使関係』日本労働協会,19863月所収.
14, 英国工業中小企業の動向    中小企業政策の意味するもの   『三田学会雑誌』803, 19878
15, 英国中小企業政策の最近の動向とその特徴『商工金融』198711
16, 英国の機械工業中小企業    自動車工業の外注構造を中心に      『中小企業季報』19874
17, 機械工業中小企業の多様な生き残り戦略    −東京城南地域企業の事例を中心に  
『日本労働協会雑誌』19887
18, 日本機械工業の社会的分業構造    −下請制研究の新たな視座をもとめて  
(上)『三田学会雑誌』823, 198910月,(下)『三田学会雑誌』824, 19901
19, 激減している東京の町工場    −機械金属工業の地域間分業構造からみた工場立地動向分析  
『(国民金融公庫)調査月報』No.360,19914
20, 下請・系列中小企業
   中小企業事業団・中小企業研究所編 『日本の中小企業研究  1980-1989 第1巻<成果と課題>』
同友館1992 年所収
21, 機械工業の地域間分業構造
日本立地センター『中小・中堅企業の海外展開と地域間分業に関する研究』1993 3
22, 製造業の構造的特徴  
 吉川弘之[監修]JCIP[編]『メイド・イン・ジャパン  日本製造業変革への指針』ダイヤモンド社  1994
23, 機械工業の海外展開と国内地域分業構造の再編                 『産業立地』Vol.33 No.5, 1994 5
24, 機械工業の海外生産化と国内工業集積の再編成               『商工金融』Vol.44 No.7, 1994 7月号
25, 日本とアジア    −製造業企業の東アジア展開と国内工業基盤の変化    
『三田学会雑誌』872, 19947月,
26, 下請中小企業と系列  −受注生産型中小企業の従属的成長から自立的成長への道  
                    『ビジネス  レビュー』Vo.43 No.2  1995  10
27.中小製造業のパラダイム転換『三田商学研究』386号 19962
     佐藤芳雄編『21世紀、中小企業はどうなるか』慶應義塾大学出版会 1996
28,産業構造急変に対応する中小企業  巽信晴・佐藤芳雄編『新中小企業論を学ぶ 新版』有斐閣 1996
29,産業空洞化と中小企業「事例を中心に見た機械工業における構造変化の内容」
 『商工金融』468号 19968
30,中小企業政策とは何か―いわゆるリストラ支援法による中小企業海外進出支援をめぐって
   小林靖雄、瀧澤菊太郎編『中小企業研究五十五年 中小企業とは何か』有斐閣 1996
31,日本機械工業の範囲と統計的推移の分析 ―社会的分業構造把握のために―
『三田学会雑誌』901号 19974
32, Structural Distinctions within Japanese Manufacturing, 
   Japan Commission on Industrial Performance, 
      Made in Japan   - Revitalizing Japanese Manufacturing for Economic Growth,   MIT Press, 1997
33,日本機械工業の地域集積と地域分業構造の再編成   日本的生産システムの未来への展望(共著)
 三井逸友編著『日本的生産システムの評価と展望 ―国際化と技術・労働・分業構造―』
ミネルヴァ書房 1999
34, 金融ビッグバンと成長中小企業
 「日本学術振興会委託調査 金融ビッグバンと中小企業経営(その3)」  『商工金融』19998月号
35,日本中小製造業の21世紀 機械工業下請関係の変化を中心に 
前田重朗、石崎忠嗣編著『中小企業の現状とこれからの経営 21世紀の中小企業経営』中央大学出版部1999
36,日本経済の構造変化 飯田裕康編『現代金融危機の構造』    慶應義塾大学出版会 2000
37,事例に見る中小企業のファブレス化論理とその意義      『経済学論纂』41520013
38,日系中小企業の簇生と中小企業政策  慶應義塾大学経済学部現代経済学研究会編
     『経済学による政府の役割分析』慶應義塾大学出版会2001
39,国内産業集積の展望 ―燕の産業集積の発展可能性を例に    『商工金融』521号 20021
40,中国浙江省温州市産業発展試論
  ―温州市工業・企業発展把握の仮説的フレームワークの提示とその若干の検討― 
『三田学会雑誌』943号 200110
41,日本中小製造業のパラダイム転換 日本の機械工業における効率的な独自な下請関係の解体
           『国民金融公庫調査月報』492号 20024月 3439ページ
42,中小製造業の現状と将来展望 アパレルの国内生産展望を通し『信用保険月報』20027月号 27ページ
43,中国浙江省温州市産業発展試論 その2 ―温州市産業機械メーカーの形成と意味― 
   『三田学会雑誌』953号 200210月 133~152ページ
44,国内産業集積の発展と地域産業振興政策 太田進一編『企業と政策
     理論と実践のパラダイム転換 』ミネルヴァ書房 20031103~117ページ
45,下請・系列中小企業
    中小企業事業団・中小企業研究所編『日本の中小企業研究  1990-1999 第1巻<成果と課題>』
同友館2003 年所収
46,産地型産業集積の有効性とその意義の変化 ―アパレル製品産地企業事例を通して―
  『商工金融』536号 20036月 5~26ページ
47,「グローバル経済」下での国内製造業中小企業の存立展望と中小企業政策への含意
  『大原社会問題研究所雑誌』540号 200311月 1~13ページ
48,岩手県機械・金属産業集積の変貌と中小企業の存立展望 
  『企業環境研究年報』8号 200312月 1~15ページ
49,  温州産業発展試論 自立・国内完結型・国内市場向け産業発展、その意味と展望
  『三田学会雑誌』96巻4号2004年1月 4158ページ
50,  大都市印刷業の構造変化 ―デジタル化技術と社会的分業構造の変化―
  『中小企業季報』20042号 20047月 18ページ
51,  誘致工場と産業集積の形成 ―その可能性と限定性―『三田学会雑誌』991200642956ページ
52,  地域経済の自立に果たす中小企業の役割 ― (地域の)経済的自立にとっての中小企業の
    必要性と重要性、  『商工金融』567号 20067月 530ページ
53,  国内産地型産業集積の解体と産地企業の展望 ―堺の自転車部品産業集積を例に―
  『信用保険月報』494号 20069月 27ページ
54, もの作りの中小企業の可能性 ―東アジア化の下での国内立地製造業中小企業の存立展望  
『商工金融』5612号 200612月 1034ページ
55,  日本の産業発展の中国産業発展への示唆 ―機械工業の発展を中心に―
  『三田学会雑誌』1002号 20077月 7~33ページ
56,  日系企業にとっての東アジア化の意味 ―自転車産業を例に―
  『三田学会雑誌』1012号 20087月 1~31ページ
57,「日本機械工業の社会的分業構造」再論―慶応義塾経済学会コンファレンスでの課題提起に応えて―    
『三田学会雑誌』1014号 20091月 233262 ページ
58,  日本の温州産業集積研究の研究視角 ―日本での温州産業研究レビュー―、
    丸川知雄編『中国の産業集積の探求』(現代中国研究拠点 研究シリーズ4号、
              東京大学社会科学研究所 20093月)第3章 5164ページ
59, 「日本機械工業の社会的分業構造」再論
    ―『中小企業白書』での「メッシュ化」論と山脈構造型社会的分業構造把握―
 植田浩史・粂野博行・駒形哲哉共編著『日本中小企業研究の到達点
   下請制、社会的分業構造、産業集積、東アジア化』(同友館、2010)12
60,  産業集積調査からの産業集積論への理論的示唆 ―日本の機械金属工業調査を踏まえて―
  『社団法人中小企業研究センター年報 2010』同所 201010月 318ページ
61,  日本製造業の東アジア化とその意味―“ガラパゴス大島”と日本自転車産業―
  『信用金庫』651号 20111月 5257ページ
62,  自動車のEV化と中小企業、『商工金融』617号 20117月 530ページ
63,  産業論の論理的枠組みと中国産業発展・発展研究 産業論研究の方法に関する覚書、
           『三田学会雑誌』1053号 201210月 534ページ
64,  下請・系列中小企業, 
中小企業事業団・中小企業研究所編『日本の中小企業研究  2000-2009 第1巻<成果と課題>
同友館2013 年所収,
23,下請・系列中小企業,477500ページ
65,  中国産業・経済発展研究の方法 加藤弘之著『中国経済学入門』を巡って−、
              『三田学会雑誌』10934号 20171月 149168ページ

 4 学会報告 
 1,大都市金属加工零細経営の存立基盤  −東京の城東・城南地域の場合 −,
 日本経済政策学会第37回大会, 19805
       (要旨日本経済政策学会年報XXIX 『経済政策の国際協調と日本経済』勁草書房, 19815月所収
 2,下請機械工業の最近の動向  −現状とその理論的含意,日本中小企業学会第1回東部地区部会, 19815
 3, 英国中小企業政策と工業中小企業,日本中小企業学会  第7回全国大会,198710
(要旨)日本中小企業学会編『産業構造調整と中小企業』同友館,19884月所収.
 4,機械工業の分業構造  −山脈構造と地域視点,        日本中小企業学会  東部地区部会, 1990121
 5, 下請関係と社会的分業構造 −下請制論の理論的枠組み,統一論題『中小企業理論の再検討
 −企業間関係の分析を中心に』日本中小企業学会第11回全国大会,19911012,13
         (要旨日本中小企業学会編『企業間関係と中小企業』同友館,1992 月所収
 6, 日本機械工業地域間分業構造の再編成 −空洞化  or  オータナイゼション −
             日本中小企業学会  東部地区部会, 1993124
7, 日本機械工業の重層的地域間分業構造の形成とアジア化、   
日本中小企業学会  東部地区部会, 1997712
8,  中国浙江省温州市産業発展試論 ―温州市工業・企業発展把握のフレームワークの提示とその若干の検討
     日本中小企業学会  東部地区部会,20011222
9,  中国温州市産業発展での機械メーカーの形成とその意義,日本中小企業学会 東部地区部会,2003517
10,  中国民営企業主導の産業発展の実態と日本中小企業にとっての意味
   統一論題『アジア新時代の中小企業』第1報告  日本中小企業学会  23回全国大会,2003105
 (要旨日本中小企業学会編『アジア新時代の中小企業』同友館,2004 6月所収 316ページ
11,  戦後日本の産業発展から見た中国産業発展の方向性
中国経営管理学会秋季研究集会,20091024日、慶應義塾大学
12, 日本製造業の東アジア化とその意味 ―自転車産業を例に―
        国際アジア共同体学会第3回国内大会、20101121日、嘉悦大学
13, 中国での簡易(低速)電動四輪車(LEV)産業の現状、発展可能性とその意味
  ―山東省・天津市調査からの示唆―
     中国経営管理学会第12会研究大会, 201164日、日本大学商学部
  
5 実態分析調査報告
 1,神奈川県中小企業の動向(製造業編)   −神奈川県製造業の構造の特質と問題点 −
    [II,産業小分類別動態分析,III, 機械工業の動向,IV,軽工業の動向]     ( 神奈川県商工指導センター, 19763
 2,家内労働の実情  −東京都家内工業業種別実態調査結果報告書
    [VII, 金属加工業 −城南地区 −,VIII,金属製品(ネジ挽物製造業  −城東地区 −] ( 東京都労働局19773
 3,  最近の中小企業の設備投資動向  −機械工業を中心に – 
中小企業研究センター『調査研究報告No.2019783
 4,  港区における中小企業の実態と問題点
[I, 港区における中小企業の生成と特色,III-3, 機械金属工業の構造変化,IV-4,建設業の動向
          港区役所『港区中小企業実態調査報告書』19783月所収
 5,  鉄鋼業における雇用調整の実態
 ( 神代和欣編『単調労働産業における労働時間を規定する要因に関する研究』19793月所収
 6,  墨田区金属プレス加工零細経営の分析()  −統計分析 −, ( 『三田学会雑誌』726, 197912
 7,  墨田区金属プレス加工零細経営の分析()  −事例分析 −, ( 『三田学会雑誌』734, 19808
 8, 下請企業の経営戦略, [ 1下請企業の地位]   ( 中小企業事業団中小企業大学校, 1980年度
 9,機械および繊維産業における技術革新と下請生産構造の変化
    [ 2  2電気機械産業(民生用機器・同部品) B,下請企業]     ( 機械振興協会経済研究所, 19823
10,組合による異業種連携の効果的進め方に関する調査研究報告書
    [ 1  2異業種連携組合における業種構成と事業のあり方]     ( 全国中小企業団体中央会, 19833
11, 下請組合の実態及びその課題と方向
    [ 2I, 下請企業を取り巻く近年の環境変化と対応の方向]   ( 全国中小企業団体中央会, 19833
12,  都市における工業集積と域内再配置の研究
 [ 本編2(2)東京の機械金属型工業の実態, (3)東京の印刷型工業の実態
                                         (中小企業事業団・中小企業大学校中小企業研究所, 19833
13,  京浜工業地帯 −その生成と発展−
         [ 第3編,1 (2) 神奈川県の工業と下請中小企業(神奈川県自治総合研究センター, 19833月)
14,  技術革新下における下請中小企業の対応に関する調査研究
                   [ 2., 5大都市機械工業小零細下請企業] ( 機械振興協会経済研究所, 19835
15,  日本の機械産業の構造変化と下請分業構造
                  [ 下請取引関係をめぐる競争と下請政策]       ( 機械振興協会経済研究所, 19845
16,  わが国の機械産業における下請分業構造についての調査研究
                [ 3.  下請比率別と第1位納入先依存度別の分析](機械振興協会経済研究所, 19855
17,  産業調整問題と中小企業    −日本学術振興会調査報告  
      [ 3.  東京城南地域機械工業集積の動向    −地域中堅・中企業の企業戦略を中心に 
(『商工金融』63年度第3号,19886月)
18,  中小企業の国際比較研究    −イギリス編  
    [ 第1章,英国経済における中小企業の地位,第3章  4,地域振興施策,7,産業別振興施策]
                                         (中小企業事業団・中小企業大学校中小企業研究所, 19893
19,  構造変換と中小企業    −日本学術振興会調査報告  
    [ 3.,3,自社製品製造中堅・中小企業と首都圏の工業集積  ー外注利用関係を中心にー
                                                 (『商工金融』19898月号)
20,  経営変革の終わりなし    −中小製造業が魅力ある変容を遂げるために  
    [ 3.−2,さまざまな特性をもつ中小製造業,3.−3,都内立地は、どこまで必要か
(東京商工会議所, 19913
21, 下請企業の振興のための調査研究
    [ 1. 中小企業、下請企業構造の国際比較]       (財団法人  全国下請企業振興協会  19914月)
22,  京浜の機械金属工業集積の実態    −川崎機械金属工業実態調査報告 
–    (『三田学会雑誌』842, 19917
23,  ’91中小製造業の発展動向(92年発行版)
    [第2部2章1地域別に見た中小製造業の変化,第3部3章中小製造業の地域的特徴1分析の要約,
     2機械・金属製造業 ](中小企業事業団中小企業研究所編,同友館  19923
24,  国際化の進展と下請分業構造   [2.  国際化の進展と国内地域間分業の新展開]
 (『商工金融』19928月号)
25,  北区中小工業振興施策検討調査報告書[北区工業の地域連関 
   −国際化と都市立地工業の再編成](北区  1992年)
26,  中小・中堅企業の海外展開下での地方分散等に関する研究
  [第2章 工業集積地下における地域間分業と機械工業中小企業
   −京浜地域と岡谷・諏訪地域の両工業集積地の機能分化を軸とした東アジア地域の地域間分業構造の究明] 
(日本立地センター  1992年)
27,  我が国下請分業構造における産業技術に関する調査研究
       [2.  機械工業関連中小企業の集積と地域間分業]  (財団法人  全国下請企業振興協会  19933月)
28,  新たな企業間ネットワークの構築にむけて  −企業系列に関する研究報告  
   [第2章 系列の現状と今後の動向 1.日本の製造業の分業構造の現状と系列] 
(東京商工会議所  19934月)
29,  中小・中堅企業の海外展開と地域間分業に関する研究
       [第5章  国内工業集積地域間分業の実態    ー京浜地域と岡谷・諏訪地域] 
 (日本立地センター   1993 年)
30, 21世紀にむけての中小製造業の発展戦略  [第2章−5  長野・諏訪地域の中小製造業の発展戦略]
     ((財)機械振興協会経済研究所  1994年)
31,   機械工業集積の生成・発展要因と必要な支援策に関する調査研究  
        [新たな機械工業の動向と工業集積地域の可能性  −日立地域と諏訪地域の対比を通して  −]
(財団法人  全国下請企業振興協会  19943月)
32, リストラが下請分業構造に与える影響に関する調査研究
[リストラクチャリングが下請分業構造に与える影響  −大阪  −]
(財団法人  全国下請企業振興協会  19953月)
33,  平成6年度 素形材産業需要予測調査報告書   2000年の国内外素形材需要見通し  
(財団法人  素形材センタ−  19953月[国内素形材セクタ−の可能性]
34.   産業空洞化?日本の機械工業に何が生じているか−大阪の場合−     『中小企業季報』19952
35.  製造業のアジア進出と産業空洞化 −生産シフトの実態と産業共生への課題−
  [第7章 座談会「東アジアとの産業共生を求めて」]   (日経産業消費研究所 19956月)
36,   95 中小製造業発展動向(96年発行版)  
  [第II章 工業統計表に見る中小製造業の構造変化 第1節 産業全体の変化
    第III章 機械・金属製造業の発展動向 第4節 中小企業の地域的動向]  (同友館 19964)
37,  空洞化が下請分業構造に与える影響に関する調査研究 
         [I 1 産業空洞化と下請分業構造]    (全国下請企業振興協会 19963)
38,   脱下請型企業への経営戦略―事例分析と数量分析による提言― 
     [第3章 提言1脱下請型企業を実現するための条件]    (機械振興協会経済研究所 19963)
39,  中小企業の創業支援とベンチャー企業経営の総合的研究 [企業城下町型工業集積での「創業支援」]
(科学研究費補助金研究成果報告書(基盤研究(B)(1))課題番号09430022 19993)  
40,   急成長する中小企業(RGSME)の成長要因と市場行動  [序章中小企業を対象に急成長を論議する意味
 第章 急成長する中小企業の存立する市場と差別化要因] ((社)中小企業研究センター 19993)
41,  協同組合ウイングバレイ経営診断報告書 
[序文 補論2 ウイングバレイ新展開の可能性、岡山県地域の産業集積
   補論3 構造不況とは何か/多様な自立的企業への道]      (協同組合ウイングバレイ 19994)
42,  日本木工機械工業21世紀ビジョン 
  [I章 わが国の産業と木工機械工業の展望、IV23 個別企業の対応] 
   (日本木工機械協同組合 19993)
43,  中小製造業の構造に関する実態調査研究 
     [第1部、5 加工組立型企業の4地域比較]    (中小企業総合研究機構 19993)
44,  岡山県内の機械工業工場群の分析 1―概括的分析編―    『三田学会雑誌』923号 199910
45,  岡山県内の機械工業工場群の分析 2―事例による存立状況と発展展望の分析― 
『三田学会雑誌』  924号 20001
46,  中小企業の機能専門化と外部経営資源利用の課題               
 [序、序章 2000年代の国内製造業中小企業と外部経営資源、
  第2章3 ファブレス企業の実態とファブレス化の意味] (社団法人中小企業研究センター 20003)
47,  平成12年度アジア経済構造改革等支援(3E研究院)事業専門家派遣実施報告書
「中国中小企業発展政策研究」
(中国)II 活動記録並びに訪問先機関・企業リストIII 訪問後の注目点・所感・コメント
 V インタビューノート の中の    浙江瑞立集団公司、浙江・新潮実業、中外合資瑞安光裕針織有限公司
(日本貿易振興会海外調査部 200012)
48,   産地解体からの再生 ―地域産業集積「燕」の新たなる道―
[序章、第1章、第4章25、第5章2、終章] 社団法人中小企業研究センター編 同友館 20013)
49,  技術開発効果分析成果普及に関する技術協力 
III 課題研究成果 1 中国中小企業発展政策研究、IVセミナー記録 1 中国中小企業発展政策研究
 のそれぞれ一部を執筆]         (財団法人日中経済協会 20013)
50,  平成12年度アジア経済構造改革等支援―3E研究院事業―総合セミナー報告書(中国) 
[5(4) 中小企業発展政策研究 の一部を執筆]               (日本貿易振興会海外調査部 20013)
51,  アジア経済構造改革等支援(3E研究院)事業専門家派遣実施報告書
 「中国中小企業発展政策研究・浙江省温州調査」(中国) 
   [第1(3)「総合所感」の一部、(4)8中国・奥康集団] 
    (日本貿易振興会海外調査部 20023)
52,  アジア経済構造改革等支援(3E研究院)事業専門家派遣実施報告書
 「中国中小企業発展政策研究・山東省し博市調査」(中国)
(3)9山東博 科技  有限公司、(4)「総合所感」の4、]     (日本貿易振興会海外調査部 20023)
53,中国民営中小企業の自立的発展が意味するもの ―浙江省温州市機械金属関連企業を例に―
『素形材』437号 20027月 pp.2832
54,  平成14年度アジア経済構造改革等支援(3E研究院)事業専門家派遣実施報告書
「中国中小企業発展政策研究」(中国)   
 III(3)温州 中徳集団瑞安市華岳包装機械有限公司、瑞安市機械ニ廠、
  瑞安市亜崎機械製造有限公司
 IV今回の総合所感 所感4調査7事例から見た温州市産業機械メーカーの特徴と意味]
(日本貿易振興会海外調査部 200212)
55,  産業集積における戦略策定及び実施支援に関する調査研究<ケーススタディ編> 
  [I .岐阜、倉敷(児島)~アパレル産業の産業集積~のうちの、「アパレル産業の産業集積」「岐阜と倉敷の産業集積を通じてみた、国内アパレル産業集積と集積企業の展望」] 
 ( 中小企業総合研究機構 2001年度(20033月発行))
56,  中国・東南アジアの台頭と日本の地域産業 ―日本とアジアの製造現場から
3部第12章国内製造業の構造変化と岐阜県中小企業の展望 
   ―中国との棲み分けと中国進出の方法]127~136ページ
(日本貿易振興会アジア経済研究所・東京都・千葉県・財団法人岐阜県産業経済振興センター, 20033)
57,  産地縮小からの反攻 ―新潟県ニットメーカーの多元・多様な挑戦
  [序章、第23456、第313]  (()中小企業研究センター編 20033)
58,  日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業総括報告書「中国中小企業発展政策研究」』
  III-3 中国中小企業の発展と課題 温州市企業を例、その発展形態と日本企業への含意
 VI 中国中小企業発展政策への提言~現地調査をふまえて~]69~78ページ、117~122ページ 
 (同所 20042)
59, 日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業総括報告書「中国中小企業発展政策研究」別冊
  ー企業訪問インタビューノートー』  (旧来のノートからの再録)(同所 20042
60,(社)日本中小企業センター編『巨大都市印刷業の新展開 デジタル化の衝撃』
  [序章、第3章2・4、4章]  (同友館 2004年3月)
61,  素形材センター編『平成15年度 国内外の環境変化に伴う我が国機械部品産業の対応方策に関する
調査研究報告書』[第11.1、第77.1] (同所 20043)
62,  誘致工場と機械金属産業集積の新たな形成 ―熊本県の事例を中心に― 
   『三田学会雑誌』972号 20047月 85107ページ
63,  編著『新産業時代における集積の本質とその将来展望』
   日本学術振興会科学研究費補助金 聴取りノート国内編  20063
64,  編著『新産業時代における集積の本質とその将来展望』
   日本学術振興会科学研究費補助金 聴取りノート海外編  20063
65,  華南のステンレス製食器産地からの示唆 ―華南調査ノート―、
             丸川知雄編『中国の産業集積の探求』 (現代中国研究拠点 研究シリーズ4号、
               東京大学社会科学研究所 20093月)第5章 8397ページ 
66,  自転車産業・電気自転車産業の発展・新生から見た中国産業発展の可能性(1) ―完成車メーカーの
     存立状況が示唆するもの― 『三田学会雑誌』1031号 20104  145170ページ
67,自転車産業・電気自転車産業の発展・新生から見た中国産業発展の可能性(2) 
―自転車部品産業での高度な社会的分業  『三田学会雑誌』1032号 20107  123146ページ

6 書評
 1,  A.L.フリードマン「産業と労働  −生産点における階級闘争と独占資本主義」
『三田学会雑誌』723, 19796
 2,  17, 中小製造業建設業,  20,下請・系列中小企業
中小企業事業団・中小企業研究所編『日本の中小企業研究  第2巻<文献書評集>』  (有斐閣,19856月所収. )
 3,  稲上毅「転換期の労働世界」『日本労働協会雑誌』No.361, 198910
 4,   関満博,加藤秀雄「現代日本の中小機械工業  −ナショナル・テクノポリスの形成」  
  『三田学会雑誌』833, 199010
 5,   中央大学経済研究所「自動車産業の国際化と生産システム」『中央評論』42 4, 199012
 6,  下請・系列中小企業
  中小企業事業団・中小企業研究所編『日本の中小企業研究  1980-1989 第2巻  主要文献解題』
(同友館  1992  3 )
7,  地域集積 「中小企業白書特集」の3 『商工金融』479号 19979
8,  植田浩史編「産業集積と中小企業 ―東大阪地域の構造と課題」『土地制度史学』173200110
9,  下請・系列中小企業(港徹雄氏と共著)
           中小企業総合研究機構編『日本の中小企業研究  1990-1999 第2巻  主要文献解題』
  (同友館  2003  3 )
10,  大学生協共済連編「2012・協同組合~国際共同組合年によせて~」  
  『しんくみ』、20125月、50ページ
11,  下請・系列中小企業(三井逸友氏と共著), 
 中小企業総合研究機構編『日本の中小企業研究  2000-2009 
第2巻 主要文献解題』(同友館  2013  3 )    485504ページ


7 翻訳,その他(中小企業研究関連)
 1,クライド ボスマー「中小企業庁政府調達計画」
 (ディーン カーソン編『ザ・バイタル・マジョリティ①米国の中小企業』
商工組合中央金庫調査部, 19783月所収
 2,                 『大田区工業だより』
 3,  下請問題・流通系列化と中小企業
 4,   国際化・産業構造転換と中小企業
           (3,4 は佐藤芳雄編『ワークブック中小企業論』有斐閣  19817月所収
 5,これからの下請企業の経営戦略     (『あどばんす(神奈川県中小企業団体中央会』第5, 19843
 6,   The Role of Very Small Engineering Firms in Tokyo, KEDP No.12, March 1985.
 7,   統計による中小企業の現状    (巽信晴・佐藤芳雄編『新中小企業論を学ぶ』有斐閣1988 補論)
 8,   港区における工業振興策のあり方について  答申
   2.,港区はつねに日本の工業化の中心であった,3.,「都心型」工業とはなにか]
                                                        (東京都港区中小企業振興審議会, 19889
 9,   高度情報社会における行政の取り組み    −北区区政問題懇話会報告書  
    4. 3. 情報化社会と産業:活力ある都市工業と情報  発題]  (東京都北区,19899月)
10,   大田区の工場群は、いま    (『生活情報』大田区立生活センター,19902月号)
11,巨大都市の工業      (『三色旗』19904月号)
12,   機械工業受注型加工中小企業にとっての生き残りの道  (『中小企業と組合』19906月号)
13,   製造業・建設業の人手不足と中小企業の対応
((財)商工総合研究所編『中小企業の人手不足対策』中央経済社1991年)
14,   第1回立地総合研究所セミナー(199261日)
   [中小・中堅企業の海外展開と地域間分業に関する研究](要旨と討論は『産業立地』19928月号掲載)
15,   討論・日本の中小企業研究  −90年代の方向と課題
      [問題提起・討論参加](『企業診断』19934Vol.40 No.4
16,   産業空洞化(『三田評論』960  19947月)
17,   ナショナルテクノポリスの再生策を探る(東京商工会議所大田支部工業分科会主催  シンポジウム)
      [問題提起・討論参加](『日刊工業新聞』199425日)
18,  日本機械工業の構造変化と地域的明暗  『中小公庫月報』19966
19,  広域機械工業圏を背景に自社製品開発型中小企業が主役へ  『中小公庫月報』199710
20,    産業構造の変化と東京の中小製造業に必要な技術・技能のあり方  『経済と労働』1998I
21,  下請系列解体下での企業城下町型工業集積の再興の道は?  『商工金融』4810号 199810
22,  地域活性化のかなめは成長展望ある中小企業 『中小公庫マンスリー』199989月号
23,  今、東京のもの作りは  『能力開発 とうきょう』No.58 199910
24,  21世紀、どのような産業集積が国内製造業に有効か  『商工金融』502号 20002
24,  産地解体と、地域産業集積の再生可能性  『商工金融』518号 20018
25,  あと10年? 中国浙江省私営企業調査で感じたこと  『中小公庫マンスリー』200110月号
26,  産業集積と地域政策 第1部 産業集積の地域的特徴[シンポジウム パネリストとして参加]
 『名城論叢』31号 20026
27,  日本木工機械工業・企業の存立展望  『木工機械』195号 200210
28,  国内物作り基盤の崩壊ではなく、可能性への注視と地域産業振興  『中小商工業研究』7620037
29,  発刊によせて、  ()中小企業総合研究機構『中総研叢書3産業集積の新たな胎動』同友館 2003
30,  デジタル化の荒波を超えて  『中小公庫マンスリー』20043月号
31,  特集 中国の移行と産業発展の諸側面  『三色旗』674号 20045
 [序 2ページ、中国産業発展の一側面 温州に見る産業発展の担い手としての民営企業 1419ページ]
32,  デフレ経済下の中小企業 学振118委員会集中討議メモ『商工金融』547号 20047月 3739ページ
33,  中国の産業発展と日本経済 ―日中共生の方向性と国内産業にとっての課題―
『東亜』446号 20048月 1021ページ
34,  自転車市場と産業 中国天津と日本 謝思全論文解題 
『商工金融』5412号 200412月 4251ページ
35,  選択肢としての中小企業 『中小商工業研究』8320054月 411ページ
36,  地域経済活性化と中小企業の多様な可能性   『中小企業金融公庫総合研究所 シンポジウム報告書
 地域社会の活性化に果たす中小企業の役割と課題』同所 20073月 1126ページ
37,  東アジア大社会的分業と国内製造業中小企業の発展展望 
『商工ジャーナル』347号 20087月 2628ページ
38,「激しい競争にいかに対応するか」―分析と評論― 
『中国経営管理研究』10/11号 2015年3月 177~181ページ

8 その他(エッセー)
 1,   当たり前の先進工業国・日本  『慶応義塾大学報』157,1984121
 2,   下請研究二〇年目の「幸運」  『塾』19894, 19898
 3,   下請制論の百花斉放    −何が欠けているか    『商工金融』19915月号
 4,   土着学問  日本中小企業研究の国際化  『三田評論』1991 
 5,  「欧米では・・・・・」『慶應通信』525 1991121
 6,   21世紀に向けて挑戦する中小企業    −インフラストラクチャー の整備が意味するもの  
『商工金融』41巻特別号1991 12
 7,   日本の企業は「特殊」か  『三色旗』529  19924
 8,   機械工業中小企業と立地  『産業立地』314  19924
 9,   見えなくなった下請中小企業『中小企業金融公庫月報』39101992 10
10,   産業は空洞化するのか  −機械工業の海外生産化と国内工業集積  −『商工金融』43101993 10
11,  「リストラの課題と処方せん」探る  平成6年新春座談会  『中小企業振興』第631, 199411日号
12,   日本の機械工業に、いま、何が生じているのか    −産業空洞化or東アジア分業構造形成  
                                                         『通産ジャーナル』272  19942
13,   メディア ボックス  通信衛星が可能にしたこと  『慶應通信』5571994 81
14,   オータナイゼーションが産業空洞化を救う『ダイワアーク』199411月号
15,   ヒヤリング ナウ    海外生産の進展は何をもたらすか  『労働経済局月報』199411
16,   海外生産化と国内分業構造の再編成  『人と国土』第204 199411
17,   景気スコープ/海外展開で変わる日本の工業  『東洋経済統計月報』第552 19952
18,   ボーダレス化がわが国製造業に及ぼす影響  『季報  ほくとう』vol.34 1995 新春号
19,   産業の空洞化をめぐる最近の情勢について  『産業立地』vol.34no.3 19953
20,   産業構造(岡田・野澤・村田共編『はじめての経済学』慶應通信  1995年)
21,   産業空洞化 or  オータナイゼーション  −今、日本の機械工業に何が生じているのか  
                                            『ベンチャーフォーラム』No.143  199545月号
22,中小企業の支援の理念は  −1995年中小企業白書を読んで 『通産ジャーナル』  287  19957
23,   空洞化の懸念と経済  『ESP』  No.281 1995 9
24,   多様な仕事 −連携    情報交換のネットワークを
『信濃毎日新聞』1995105日「特集  諏訪の心意気  新時代へ」
25,   基調報告 『岐阜新聞』1996222日 県産業の未来像 提言と基調報告 
26,  戦後五十年、激変の中小企業観をどう把握すべきか 『三色旗』19964月号
27,  伊東岱吉先生追想 『三田評論』19965月号
28, 企業城下町の再生?  構造変化の意味すること 『商工金融』466号 19966
29,  新著紹介『21世紀、中小企業はどうなるか』 『三色旗』199610月号 
30,  基調講演 地域おこしを考える 佐呂間町商工会『でっかい北海道・でっかいサロマ湖で地方と
都市のふれあいを 平成8年度地方・都市交流推進事業報告書』19973
31,  第2部 閉会の挨拶 伊東岱吉先生を偲ぶ会編『伊東岱吉先生を偲ぶ』
32,  変貌する製造業の分業構造 『Best  Partner1998年2月号 
33,   教員紹介「渡辺幸男」『三色旗』19998月号 
34,  『日本木工機械工業21世紀ビジョン』の第章執筆から2年余を経て
   日本木工機械協同組合編『日本木工機械協同組合50年史』同所 2001
35,  理事退任にあたって『せいきょう』101号 2002715
36,   もう一つの「世界の工場」への道『三田評論』1052号 200212
37,   序 「小特集:移行期・中国における市場形成・制度改革・産業発展 温州モデルを中心に」
   『三田学会雑誌』94巻4号20041月 1~4ページ
38,  中小企業発展政策研究分野(日本貿易振興機構編『平成15年度アジア経済構造改革等支援事業
(経済構造改革支援)報告書』20043444ページ)のなかの討論者として参加
39,   1990年代は「失われた10年」ではなく「模索と発見・開拓の10年」
『商工金融』5411号 200411  12ページ
40,  中小企業如何参与競争―訪日本中小企業研究会会長渡辺幸男 
『鞍山日報』2005年3月21日 インタビュー記事
41,   中小企業とは何か(時代の変化に対応し発展しつづける可能性)
    慶應義塾大学入学センター編『bridge20054月 14ページ
42,   地域産業振興と誘致工場の可能性『中小公庫マンスリー』200511月 45ページ
43,   工業経済論、 慶應義塾経済学会編『スタディガイド2006 
別冊三田学会雑誌』Chapter10-5 141145ページ
44,   低賃金だけではない、本当の中国製造業の姿に迫る
 【識者に聞く】北京五輪前に占う 今までの中国とこれからの中国
 第5回、中国情報局(http://sri.searchina.ne.jp/cw/)、200673日掲載、インタビュー記事
45,   中小企業は、何故、中小の「企業」ではなく「中小企業」なのか
『国民生活金融公庫 調査月報』No.558,20071023ページ
46,  日本の大企業と中小企業にとっての日本という市場  『商工金融』581020081012ページ
47,  特別な春 特別研究期間あけと通信の卒論   『三色旗』757201141ページ
48,   日本中小企業学会の30年と(私の)中小企業研究 ― 実態から実態へ ―
    日本中小企業学会30周年記念講演、2010925日、東洋大学
上記講演の内容を拡充し、日本中小企業学会編『日本中小企業学会論集30』同友館、20117月に掲載
49,   中小企業研究での帰納的研究の可能性の帰納的確認、慶應義塾経済学会会長講演
慶應義塾大学研究室A会議室、20101216
  本講演の内容を拡充し、『三田学会雑誌』1041号、20114126ページ、に掲載
50,   巻頭言、『中国研究論叢』15号、201510月3~4ページに掲載
51,   中国の産業発展の担い手は誰か―日本の中小企業研究者から見た中国産業発展試論
『中小企業支援研究』3号、2016年、2~7ページ
52,   日中の産業発展を通して考えたこと、『商工金融』20175月号、12ページ、巻頭言


9 ブログ公表論考 
1, 資料 渡辺幸男の実態調査研究の方法 事例紹介 2015610
2, 研究ノート(演習報告)
 産業研究に必要なのは、地域研究、地域視点、あるいは地理的視点?
  川上桃子・塩谷昌史・柳澤雅之編 『JCAS公開シンポジウム報告書 
         地域からの研究 産業・企業 フィールドワークとディシプリン』
      (JCAS Collaboration Series 1120153月)を読んで 2015519
3, 産業論演習報告レジュメ 工業国ロシアの非工業化をどう見るべきなのか
  藤原克美『移行期ロシアの繊維産業 ソビエト工業の崩壊と再編』(春風社,2012)
(吉井昌彦・溝端佐登史編著『現代ロシア経済論』(ミネルヴァ書房,2011)) を読んで考えたこと 
                                        2015517
4, 研究ノート 中国産業発展研究試論1
 加藤弘之「曖昧な制度」を巡る加藤弘之・中兼和津次論争をどう見るべきか、2015627
5, ビジャイ・ゴビンダラジャン+クリス・トリンプル著、渡部典子訳
  『リバース・イノベーション −新興国の名もない企業が世界市場を支配するとき』
                    ダイヤモンド社、2012年を読んで考えたこと
    ― 産業の多元的発展可能性と大規模新興国での独自な産業発展 ― 2016225
6, 安達祐子『現代ロシア経済 資源・国家・企業統治』(名古屋大学出版会、2016)    
                      を読んで、考えたこと、2016325
7, 中国での垂直的社会的分業[vertical social division of labour ] 広範化をどう見るべきか 
        201646
8, 加藤弘之、2016『中国経済学入門 「曖昧な制度」はいかに機能しているか』
                 名古屋大学出版会 を読んで考えたこと、201649
9, (後発工業化国の)地域産業発展にとって、何が必要か 誘致工場の地域産業発展にとっての意味 再考 
         2000年代前半の東北地域機械工業調査の含意  2016617
10, 末廣昭『新興アジア経済論 キャッチアップを超えて』  シリーズ現代経済の展望 (岩波書店2014)
               を読んで 2014817の補筆修正版 2016630
11, 中国の民営企業の発展がもたらしたもの(1)
      グローバル市場の付加的創造ないしは巨大な外延的拡大 201677
12,後発工業化国の工業企業のフロントランナー化と「中所得国の罠」
  産業発展研究から見た時、「中所得国の罠」の議論を、どう考えるべきか —    2016812
13, 後発工業化国の工業のフロントランナー化事例とルイスの転換点
産業発展研究から見た時、「中所得国の罠」の議論を、どう考えるべきか2—2016822
14, 小川さやか『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』
(光文社新書、2016年) を読んで 2016916
15, Mathews,  Gordon(香港中文大学人類学教授) and Yang, Yang(香港中文大学人類学修士) (2012), 
‘How Africans Pursue Low-End Globalization in Hong Kong and Mainland China’
Journal of Current Chinese Affairs, 41,2, 95-120.  を読んで 2016924
16,  中国経済経営学会・アジア政経学会・日本現代中国学会合同企画
 「加藤弘之『中国経済学入門』との対話」での4人の討論者の見解を、どうみるべきか   20161119
17, 坂田正三著を読んで、2017612
18, FT記事からEMSの意味を考える、2017711
19, アパレル産業から見たファブレスメーカー形成の論理、201781
20, 鴻海についての日経記事を読んで、201784
21, 資本主義下での技術発展把握、2017830
22, 橋本著で米国の互換性部品量産機械産業発展を考える、201797
23, 現代のグローバル化と工業発展、2017924
24, FT記事「インドの(中)小企業にシャッターが降りる」を読んで、2017101
25, 日本中小企業学会全国大会の報告を聞いて、20171011
26,田中幹大「中小機械金属工業と機械工業の「シフト」−195060年代大阪のミシン、
繊維機械、自転車(1)(2)(立命館経営学562号、3号、20177月、9月) を読んで 20171112
27, 1222日付日本経済新聞の2つの記事を読んで考えたこと「ニッポンの革新力 世界から考える 4」
20171222p.1)「半導体生産で岩手に子会社 東芝」(同、p.15)  20171225
28,岸本千佳司『台湾半導体企業の競争戦略 戦略の進化と能力構築』日本評論社、2017年 を読んで
                                                 20171227
29,日経記事「台湾半導体大手、アリババと提携 メディアテック AIで反転攻勢 スマホ苦境、IOT手応え」
(日本経済新聞、2018116p.11)を読んで  2018119
30, 中西豊紀「ケイレツ解体AIが招く 日本流 車ピラミッドの限界」
(日本経済新聞、2018122日朝刊、p.5「経営の視点」欄)を読んで 2018123
31, 中国の巨大市場が意味するもの 日経記事とFT記事を読んで考えたこと2018129
32, 日本の機械金属工業中小企業の存立展望を考える  日本公庫総研レポート2017-4に触発されて
               2018216日 
33, 中国「異形」のイノベーションの可能性                                2018221日 
34, 中山淳史「デジタル・カンブリア紀」を読んで                         201834
35, 日経記事、中村裕「中国CATL首位疾走」を読んで          2018524
36, 乗用車のAI化・EV化と乗用車産業変化の方向性            2018618
37, 中国市場の意味、朝日新聞「波聞風問」を読んで          2018626
38, 経済のダイナミズムと競争、有機EL記事を読んで          2018630
39, 東部部会に出席して感じたこと 事例調査研究の方法について     2018年7月8日
40. 覚書集 現代資本主義における産業発展研究の諸論点        2018729
41, FTのモバイクについての記事でシェア経済を考える         2018914
42, 中小企業学会第38回全国大会参加日誌その1                          2018914
43, 中小企業学会第38回全国大会参加日誌その2            2018915
44, 私の中小企業研究のあり方 平野哲也論文に触発されて                2018924
45, 産業関連の統計と私の経験  統計のイロハを大事にしたい      20181012

 [   ] 内は、共同研究中の執筆担当部分


2月2日 渡辺幸男の中小企業研究50年史 その6 第5期

渡辺幸男の中小企業研究50年史
1968年〜2018
第5期
渡辺幸男
第5期 調査からの引退、定年退職 2012年〜2018
    2011年、中国での調査を最後に、(知的)体力の限界を感じ、
実態調査に参加することをやめた
    2011年までの中国調査をもとに単著出版、あとはブログに雑文をup
20133月 慶應義塾大学を定年退職し、慶應義塾大学名誉教授になる
20163月 4冊目の単著出版
『現代中国産業発展の研究』慶應義塾大学出版会

2010年代 現地調査をやめ、そして定年退職
 2011年の中国での現地調査以降、私は聞き取り調査をやめた。そして2013年に定年退職を迎え、名誉教授となった。聞き取り調査を2011年を最後にやめた直接的な原因は、中国での現地調査が困難になったことが大きかったが、その後も調査を再開しなかったのは、調査に対する体力、特に知的体力の衰えを感じたからである。私にとって、現地での企業からの聞き取り調査は、興味深く、多くの収穫を生んできた。私が自らの研究成果として、これまで触れてきたことは、聞き取り調査を通して得られた情報をもとに、自らその論理的説明を考えた成果だと思っている。
 同時にその聞き取り調査は、あるいはそれゆえに、大変な緊張を伴うものであった。聞き取りに集中し、対話の中で、次に聞きたいこと、聞けることを考え、最大限、聞き取りの機会を活用する。そのためには、私自身がメインインタビュアーとして参加する。このような姿勢を30年余の間貫いてきた。体力的に、これをやめて聞き取りを継続するか、聞き取りを諦めるかの選択を、自ら迫られたと言える。結果、聞き取りを諦めた。中途半端な形で参加することは、自ら納得がいかないし、同行の方々にも迷惑をかけることになる。
 2013年の退職後は、まずは、これまで行ってきたことを踏まえ、聞き取り調査をせずにやれること、やり残したことを模索した。結果、中国産業発展の研究について、その私なりのまとめが不十分であることに気がついた。特に神戸大学の加藤弘之教授(当時、故人)の中国の独自な産業発展を「曖昧な制度」という伝統的な中国の制度的あり方から説明して行く考え方に、極めて強く反発を感じた。下請系列取引関係での南山大学の中村精教授(当時、故人)による日本的縦社会からの説明を思い出し、中国経済発展の独自性を強調することには賛意を表するが、それを中国の伝統的な制度のあり方から説明する発想には、強く反発を感じた。実際に、自らの調査結果を踏まえて、伝統的制度に戻ることなく、加藤弘之教授が「曖昧な制度」で説明している事象の1つを、自ら説明したくなった。その結果が、拙著『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』(慶應義塾大学出版会、2016年)である。
 中国の産業についてのこれまでの研究蓄積をきちんとレビューしてきたこともなく、「中国産業発展の研究」というタイトルをつけることは、極めておこがましいことであるが、加藤教授の議論について検討したく、このような本を書きたくなった。自らの聞き取り調査の結果のまとめと、そこから学んだものを整理し、その限りで言えることを、加藤教授の言うところの曖昧な制度の1つである「垂直分裂」すなわち「垂直的社会的分業の広範化」を中心に議論した。日本の産業発展を見てきたものとして、中国の工業発展をどう見るかについての見解を、私なりに述べたものと言える。

中国で垂直的社会的分業(垂直分裂システム)が広範化した背景
   ―市場環境(量的・質的・制度的・政策的)と主体の状況―
(1) 改革開放後の中国が置かれた市場環境(量的・質的・制度的・政策的)
a) 財・サービスの移動の低コスト化と移動容易な制度的環境の構築
 中国経済では、フラグメンテーション論に表現されるような、1980年代以降のグローバル化が進展した経済環境のもとで、市場経済化が一挙に進行した。この点では、同様に計画経済から市場経済へと移行したロシア・東欧と同様の条件のもとにある。中国もロシア・東欧も、いずれも企業が国境を越え、自らの拠点(生産拠点・販売拠点)を自在に最適立地できる状況下で市場経済化した。今一つ、近年のグローバル化が進展したもとでの経済的環境として重要なのは、国境を越えた、さらには大陸間での財の移動とサービスの一部の移動が極めて容易になったことである。インフラの整備と高度化による移動コストの顕著な低下のみならず、制度的にも国境を越えた財・サービスの移動が容易なものとなったことである。
 すなわち、現代のグローバル化は、たんに経済的に世界経済が一体化してきたというだけに留まらず、財やサービスの生産の生産拠点が、部分的な財やサービスの生産について、それぞれの立地の最適化ができ、それの統合体として、世界経済での財やサービスの生産が成立ちうるようになってきていることを意味している。極端にいえば、財やサービスの生産の個別工程が、その自体の立地の最適化の論理で立地可能となったのである。例えば、最終需要者との緊密な情報のやり取り、フェイスツーフェイスの対応が必要であることにより、最終製品についてその消費地での近接生産が不可欠であったとしても、その川上の工程については、それぞれの立地論理で、多様な経営資源の賦存をもとに世界中に最適立地を求めることができるような状況が生じてきている。地域間(企業内分業でも社会的分業としてでも)分業を極限まで追求できる条件が整った。
 日系の機械製造企業の多くが中国に生産拠点を移し、中国が販売市場の主要な部分になった現在でも、開発機能や試作機能、量産立ち上げ機能等は、日本国内に残しているのも、このような最適立地の選択を工程・機能ごとに行いうることによる。これは企業内地域間垂直的分業の深化といえる。それにたいして、アップル社の製品についていえば、企画開発機能と販売の中核機能は、アップル社社内にあり、部材の生産から組立個別販売拠点への配送等については、全て多数の多様な企業を利用し、日韓台を中心とした東アジア各地で企画開発され生産された部材が、鴻海等のEMSによって調達され、アップル社の製品としてアップル社からの生産委託(外注)のもとで、台湾等においてつくられた生産設計をもとに、内陸中国を含む中国各地で組み立てられ、世界中にアップル社によって販売されている。これはグローバルな地域間垂直的社会的分業である。
 このように、現代の技術のもとでは、生産工程や生産拠点について、最終製品の消費地やあるいは最終製品の生産地への近接を必要としないことを意味している。同時にそのことは、1企業内で垂直的に統合した生産を、技術的な意味では、必ずしも必要としないことも意味している。技術的には広範な地域間分業と細分化された企業間分業すなわち社会的分業が可能である。
 すなわち、現在の機械工業等で、垂直的統合化を実現した巨大企業が多数存在し、垂直的統合企業によって構成されている産業も多数存在するが、先に見た事実は、技術的な意味では、垂直的統合化が有利であり必要であるとは必ずしもいえないことを意味している。垂直的統合が一般化している産業の多くは、他の理由、例えば寡占的市場支配を強化するため等の理由で、そのような状況が生じている可能性が高い。
 このような地域間・社会的分業に関する技術的条件下で、中国やロシア・東欧の市場経済化は進展した。それを前提に、その後の各国の市場経済下の進展の状況を見ていく必要がある。すなわち、既存の工業基盤があろうとも、巨大な市場があろうとも、財・サービスを供給する側の企業にとって、生産拠点として意味をなす工程や機能といった部分だけを、当該地域に残し、あるいは新規立地し、他の工程は世界中に最適立地を求め、自由に展開していくということになる。
b) 巨大な国内市場の存在とその存在状況
 中国の人口は13億人以上であり、一人当り平均所得水準は極端に低いが、巨大な市場を形成する可能性が存在する。巨大な人口を持つ国民経済における市場経済化ゆえに、最終商品としての需要を開拓できれば、一挙に巨大な市場を構築する可能性が存在している。同時に、計画経済下での内生的な工業化を実現した上での市場経済化ゆえに、国際競争力は無いとしても、産業機械を含め一通りの近代工業製品を、国内で生産可能であった。
 人口の多さや一人当りの所得水準の低さは、インドと同様であり、また、内生的な工業化をそれなりにも実現していたことでも、インドと同様である。ロシア・東欧は、一人当りの所得水準の低さは中国・インドほどでは無いが、国内市場の大きさでは大きな差がある。ただ、内生的な工業化をそれなりにも実現していたことでは、中国・インドと同様であり、この点で、これらの国は、タイ等のアセアン諸国を含め、多くの途上国とは大きく異なっている。
 中国の産業発展のあり方を考えるうえでは、独自かつ大規模な国内市場を実現する可能性を与える(潜在的)国内市場の大きさと、計画経済下で一定程度実現していた近代工業の形成とが、重要な意味を持っている。このことが、大規模な国内市場向けに、外資等の影響を避けながら産業発展を実現する可能性を与えている。
c) 販売市場の状況
 中国が(潜在的に)巨大な国内市場を持っていることは、インド等と同様である。しかし、その市場の置かれた状況が大きく異なることで、産業の構造が大きく異なっている。通常、発展途上国や新興工業国の市場では、供給側の主体である企業には、大きくわけて3種類が存在する。一つは先進工業国から進出した外資系大企業、2つ目は国内の工業化の成果として形成された国有大企業を含めた国内大企業、それに自生的に形成された中小企業群の3種類である。
 中国の国内市場の特徴として強調すべきことは、形成された国内巨大市場は所得水準が低く、低価格志向が極めて強い市場であり、その部分が一挙に巨大に形成されたことである。先進工業国の外資系大企業にとっては、供給対象とするには低価格、多くの場合低品質すぎ、自らの市場とはなり難い市場である。通常、これらの低価格市場が大規模に形成されていれば、現地の大企業がその市場の主要な供給企業となり、残された細分化された市場を、現地の中小企業が担うことになる。巨大な国内市場を持つ新興工業国であり、低価格品の巨大市場も存在するインドの場合、外資の進出は制約を受けているが、低価格市場への現地の大企業の進出は大規模に行われている。その結果、本格的工業化以前に、寡占的支配構造が、多くの大規模な市場で形成されている。その場合、寡占的大企業は、必ずしも製造業企業に限られるものでは無く、流通大企業が問屋制下請のような形で流通側から製造業中小企業を支配し、市場全体をコントロールするような場合も含まれる(柳澤遥『現代インド経済−発展の淵源・軌跡・展望−』名古屋大学出版会、2014)
 中国の場合も、改革開放後の初期においては、計画経済下に形成された垂直的統合型の巨大企業が、多くの市場を、外資とともに寡占的に支配していた。しかし、インド等と中国が大きく異なるのは、まずは、流通大資本による問屋制等の製造業中小企業に対する支配が、全く存在せず、流通システムは資本制企業によって担われているのでは無く、全くの物流に過ぎなかったことである。しかも、垂直的統合生産体制にあった寡占的大企業も、基本的には市場経済における経営能力、市場の動向に迅速に対応する能力に欠ける、生産工場群とその管理者の集合体ともいうべき存在であった。結果として、中国の場合、1990年代に入り市場経済が本格化し、単純な不足経済から、市場の動向に合わせて経営を必要とする状況になると、既存の()国有大企業は、市場動向に対応できず、多くの産業分野で新規に形成された中小企業群との競争に敗れた。
 改革開放以後の中国の市場の特徴としては、以上のように、外資系の進出困難な巨大な国内市場が存在し、そこには市場経済への対応能力に欠ける国有大企業が中心的に存在している状況から始まっていることが第一にいえる。そのことは、市場が変化すれば、巨大な充足されない市場が形成される可能性が高く、他方で、その市場に供給するために必要な、経営資源、技術、人材、部材等の供給については、国有大企業内に存在しているが、国有大企業にはそれらを市場の変化に応じて活用できないことを意味している。
d) 起業家・企業家の簇生と大量の参入
 以上のことは、後は市場の変化に対応できる起業家・企業家群の簇生が重要であり、これが生じれば、既存の経営資源を活用し、国有大企業に代わって巨大な市場をいっそう開拓し、それへの供給を実現することになる。この起業家・企業家群となったのが、中国の場合は、郷鎮企業群であり、温州等では(紅い帽子をかぶった事実上の)民営企業群ということになる。起業の基盤となる郷鎮や民営企業家は極めて多数存在した。同時に、それらの多くは競争に敗れ、早々と市場から姿を消すことになるが、無数ともいって良い多数の起業家の中からは、経営的能力を獲得した企業家も絶対数としては多数生き残り、成長することになった。これらの生き残った郷鎮企業や民営企業が、国有大企業が敗退し、競争的となった巨大市場で、拡大する市場を巡って激しく競争することになる。これらの新規創業企業群は、経営資源を、すなわち国有企業から放出された技術者や技能者といった人材、必要な部材や産業機械を、相対的に安価に容易に確保することができた。
 これらの新規創業企業では、資金が限定的であり、まずは自らが最も見込みがあると考える部分に参入し、企業としての生存をかけることになる。先にみたように技術的には垂直的社会的分業が可能な状況が生まれており、それを前提に、それぞれの企業が川上から川下までの部分的工程やサービスに、そして最終製品の生産のみに特化して参入した。中国では、市場が巨大で、品質より価格勝負の市場であり、その生産のために必要な部材や機械、また技術者や技能者といった経営資源は、計画経済下の国有大企業内に蓄積されていた。しかもそれらの国有大企業は、市場経済化の進展の中で敗退し、大量のそれらの人材や部材・機械を放出することとなった。それゆえ、起業家は必要な経営資源を、安価に容易に調達することができ、必要なのは経営者として、中間財の市場も含め、自らが目指す市場を確定し、それに応じた経営資源の調達を行うことであった。起業家たちにとって、とりあえずの市場への供給には、既存の経営資源で充分であり、流通経路も含め、市場を開拓することこそが最重要な課題となった。しかも、拡大する市場は、既存技術で充分対応可能な市場がほとんどであった。それゆえ、低価格で市場動向にあった製品・部品・サービスを提供できれば、販売可能となり企業成長が可能となる。起業家・企業家にとって重要なのは、市場の動向を把握し、あるいは追随し、動向に適合する体制を構築することであった。
(2) 独自な市場環境がもたらしたもの
 その結果、外資の進出できない巨大な市場での競争相手は、層としてみれば、市場対応能力に欠落した国有大企業であり、新興の郷鎮企業や民営企業は、これらの市場で国有大企業が形成してきた経営資源を、安価に必要に応じて利用可能なことを活かし、巨大な国内市場の供給主体となった。しかも、そこでの参入は、資金的に限られているうえに、差別化能力が欠落ししているゆえに、垂直的統合により市場を囲込むことに意味がなく、特定の部分に専門化して参入することになる。
 新規創業企業の多くが、技術的には垂直的社会的分業が可能なことを前提とし、かつ差別化能力がない中で、市場の発見開拓こそ、激しい競争の中で生き残る道であることにより、特定部分に専門化し、他の財やサービスについては、市場で通常のものをできるだけ迅速に安く調達することを目指すことになった。そこから、技術的な垂直的社会的分業の可能性の存在が、全面的に開花し、丸川知雄氏がいうところの「垂直分裂システム」が中国の諸産業で、他の先進工業国とは比較にならない規模で広範化した。
 技術的に多くの分野でより細かく可能となった垂直的社会的分業の可能性が、中国の市場の条件と経営資源の賦存条件とにより、一挙に現実化したのが、中国の垂直分裂システムの広範化なのである。
 ここから見えてくる中国の資本主義発展の論理についての含意は、加藤弘之氏が主張されるような「曖昧な制度」という独自な伝統的な制度に由来する制度、ないしは制度群が「中国型資本主義」(加藤弘之、2016)の独自な発展をもたらしたのでは無いということである。すなわち、改革開放後の中国の資本主義の置かれた独自な経済的な内外環境が、独自な発展をもたらしたとみることができる。当然のことながら、発展開始前の経済環境ゆえに独自な発展をしたということは、その環境に大きな変化が生じれば、発展のあり方は大きく変わるということを含意している。それに対して加藤氏のように伝統に基づく独自な中国型資本主義の発展の特徴だとすれば、多少の環境変化が生じたとしても、その特徴、垂直分裂システムの広範化は、大きく変化することは無いということになる。
 私は、当然のことながら、前者の理解に立っており、私の見解が妥当かどうかは、中国の近未来の展開が証明することになろう。

) 垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の機能
           ―その広範化の意味するもの―
 国民経済において垂直的社会的分業(垂直分裂)が広範化することは、どのようなことを意味するのかを、以下で検討する。
a) 各環節での一層の参入促進、競争激化
 何よりも強調すべきことは、垂直的社会的分業が広範化するということは、それぞれの製品の生産工程が、企業間取引関係として細分化されることを意味し、そうでない場合に比べ、圧倒的に参入に必要な資本が小規模になることを意味する。さらに少額の資本で参入できるだけでは無い。垂直的統合企業が支配的な市場では、既存企業はいずれも企業内の分業に依存し、市場から調達する必要性が無いので、新規参入企業が部材の調達や部材の販売先を開拓することは極めて困難である。他方、垂直的社会的分業のもとでは、このような意味での部材調達や販売市場開拓の困難は無く、既に中間財の市場は存在しており、それを前提に特定の部品・工程・機能等に専門化した競争相手との競争を考えれば良いことになる。
 結果として、単に小規模資本で参入できるという意味だけでは無く、市場開拓がより容易になる。それだけ、参入企業がそれぞれの部分で多くなり、一層競争が活発化し、促進される。
b) 各環節での多様なつながりの模索とイノベーションの進展
 最終製品の生産を巡り、その企画から始まり、部材の生産、組立、販売と各環節が個別企業によって担われるのが、垂直的社会的分業である。しかも、各環節への参入は、垂直的統合が進んでいる状況とは異なり、活発に行われ、より競争が激しくなる。それゆえ、各環節に専門化した企業にとって、激しい競争の中で、自らどのように企業として再生産していくかが課題として突きつけられる。垂直的統合企業であれば、統合企業全体としての再生産が問題となるが、垂直的社会的分業の下では各環節の企業にとっての再生産が、それぞれ問題となる。
 そこから生じることは、各環節の担い手企業がそれぞれ、自らの市場の開拓の一環として、既存のつながりを超えた多様なつながりを模索することである。垂直的統合企業の中間段階の生産部門にとって、供給先は自社内の川下部門であることは自明であるし、そこへの供給は、よほど他企業の同様部門に比して後れを取ることがなければ、保証されている。しかし、自立した特定環節の企業にとって、販売市場は保証されたものではないと同時に、特定の製品に向けての連関だけにこだわる理由も存在しない。既存供給分野について多数の川下企業が存在しているだけではなく、可能性として、多様な川下部門が存在し、それらを開拓することで自らの拡大再生産を可能とする余地が、極めて大きい。それゆえ、市場開拓の模索の結果として、新たな川下分野とのつながりが形成される可能性が、より高くなる。
 同時に、それぞれの環節での専門化した企業間の競争の存在、多くは激しい競争の存在は、それぞれの環節でのイノベーションの模索を激しいものとする。垂直的統合企業では、川下や川上の部門と有機的関係が形成され、特定環節部門だけが、独自にイノベーションを行うことは難しく、統合された分野を前提としてのイノベーションが模索されがちである。しかし、特定環節に専門化した企業にとっては、その環節を軸にしたイノベーションこそ全てであり、それぞれの環節ごとにイノベーションが追求されることになる。
 このように垂直的社会的分業の進展、深化は、各環節での競争を激しくするだけではなく、社会的分業のあり方、各環節の川上部門や川下部門とのつながりの一層の錯綜化を進行させ、各環節でのイノベーションを活発化させるといえる。
 また、多様な各環節に専門化した企業の存在と、その川下部門とのつながりの模索は、最終製品の企画開発を行う企業、ファブレスメーカー、その代表的な存在はアップル社であり、中国でいえば小米のような企業であろうが、そのような企業に、必要な部材の調達を、多様な供給源から調達可能にするだけではなく、必要な部材の開発を川上の企業群に競わせることで、新たな水準の部材の調達も容易とさせる。結果として、最終製品部分でも、内部の部材供給部門に制約されない、より自由な製品開発が進展することになる。
 さらに、これらの動きは、垂直的統合の寡占大企業が市場化に向け内部で取捨選択を繰返した結果として少数の製品が市場に登場するような場合と異なり、いずれも大小様々な多数の企業が、多様な模索を行うという形で、市場化に向けた努力が行われる。企業内で一定規模の市場が見込めないから製品化を見送るといった、大企業内部での選択による排除はうけにくい。

) 中国での垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の展望
 以上のように、垂直的社会的分業(垂直分裂システム)100年以上の伝統ゆえの存在ではなく、計画経済から市場経済化した際の状況ゆえに生まれた特徴であるから、環境が変われば、100年を経ずに大きく代わる可能性が大である。当然のことながら、中国経済でも市場経済化初期の環境は急速に変化している。市場の急拡大が一段落し、その結果として既存市場での資本集中が進行し、寡占間競争となり、技術的差別化等の差別化の必要性が競争上大きくなれば、関係特殊資産が増え、垂直的統合(場合によっては日本的な準垂直的統合(渡辺幸男、1997))が進行する可能性が、それが寡占企業間の競争上で意味のある産業分野では高くなることも、大いに考えられる。
 もちろん、一度広範に形成された垂直分裂システムの存在を前提し、それの再編過程として生じるのであり、インド等のように本格的工業化以前に寡占的支配が、製造業そして流通で生じている国での、本格工業化過程での垂直的統合の維持あるいは進行とは、異なる程度と過程を経て進行するであろう。

この項の参考文献
絵所秀紀、2018「国際価値連鎖とインドの自転車産業」『経済志林』86巻2号
加藤弘之、2016『中国経済学入門 「曖昧な制度」はいかに機能しているか』
名古屋大学出版会
丸川知雄、2007『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』中公新書
柳澤遥、2014『現代インド経済 発展の淵源・軌跡・展望』名古屋大学出版会
渡辺幸男、1997年『日本機械工業の社会的分業構造
 階層構造・産業集積からの下請制把握』有斐閣
渡辺幸男、2016年『現代中国産業発展の研究
 製造業実態調査から得た発展論理』慶應義塾大学出版会

定年退職後の主要な「研究」活動
 研究活動と言えるかどうかは別として、私自身は、研究論文として発表するものではないが、自分なりの見解を文章化することが、大変好きであることを、退職後発見した。教員時代も、いろいろな機会に雑文も数多く書き、雑誌等に載せていたが、これは、あくまでも商工総研に頼まれ、『商工金融』の巻頭言を書くといったものであった。しかし、退職後は、調査をすることもなくなり、これまでの調査の成果等を活用にしながら、学会報告にコメントをしたり、著作についての感想文を書いたり、新聞記事にかこつけて、自分の見解を述べたりしたくなった。それをブログに掲載することが、主要な執筆活動となった。
 教員として行なっていた講義を再びしたくなる、といったことは全くなかった。講義をすること自体は、負担にはなっても、積極的に取り組むものではなかったと自覚した次第である。それに対して、何かの文章を書くということは、積極的にやりたいことの第一であった。これが明確に自覚されたのである。
 2015610日ブログ掲載の資料 渡辺幸男の実態調査研究の方法 事例紹介」から始まり、ほぼ3年後の2018729までの「覚書集 現代資本主義における産業発展研究の諸論点」までで、40本をブログに掲載した。中身は様々で、内容的には繰り返しも多いのであるが、それぞれ、対象を設定し、対象を紹介しながらも、それにかこつけて自分の見解を述べるという内容のものである。なお、40本目の「覚書集 現代資本主義における産業発展研究の諸論点」は、このタイトルに該当すると私が感じたブログ掲載の論考を集め、希望する方にはダウンロードができるようにしたものである。
 さらに、その後も小論を書いている。特に20189月の日本中小企業学会全国大会の際の報告に対し、コメントしたくなり、ブログには3名の方の報告を中心に、かなりの量のコメントを書いた。また、個人的に抜き刷り等をいただいた方に対しても、勝手なコメントを書き、送付した。また、その一部をブログにアップした。

中小企業研究奨励賞と中小企業懸賞論文の審査委員の継続
 ブログ向けの執筆とともに、現在中小企業研究関連の活動と言えるものがある。季節労働ではあるが、毎年、中小企業研究奨励賞と中小企業懸賞論文の審査委員を、一般財団法人商工総合研究所からの依頼され、退職後も継続して担当してきているのが、それである。自らが奨励賞の特賞を受賞した後、審査委員であった佐藤芳雄教授が逝去され、そのこともあって、同世代の中では、かなり早くから奨励賞の審査委員を務めることとなったと、記憶している。
 近年は、中小企業研究奨励賞の経済部門の主査、中小企業懸賞論文の産業部門の主査を引き受けている。9月に奨励賞の応募が締め切られ、10月のはじめに中小企業研究奨励賞審査のための専門委員会が開催されるところから始まり、『商工金融』3月号に向けての担当部門の総評執筆、そして2月下旬に開催される2つの賞の合同表彰式での総評までの、5ヶ月近くの季節労働である。
中小企業研究奨励賞の主査を引き受ける前は、審査委員として専門委員会が選んだ著作のうち、多くて3・4冊の著作を読めばよかったし、主査の方々に対し、私の前任者は村上敦神戸大学名誉教授(当時、故人)であるが、自分の感じ判断したまま、好きな意見を言えた。しかし、主査となると、他の審査委員の方の見解も踏まえ、経済部門としての見解をまとめる必要がある。
これが結構大変であることを、主査になって痛感した。何しろ、現在、私が主査を務めている経済部門の審査委員は、港徹雄青山学院大学名誉教授、三井逸友嘉悦大学大学院教授、清水啓典一橋大学名誉教授、松永宣明神戸大学大学院教授、関根正裕商工組合中央金庫代表取締役社長である。喧々諤々の議論が展開することは必定、それをどうまとめるかが問題であり、私はどう考えるか素直に意見を吐露し、言いっ放しとすることができる余地は、極めて小さいのである。
また、主査は、専門委員会にも出席し、第1次、第2次選考も行うので、最終選考のみの一般の審査委員より、数多くの著作を読み、評価しなければならない。これが10月初めから始まる。これも極めてきつい。安定的に数多くの著作を読み、評価し、私より若い専門委員3名、しかし、それぞれ一家言ある専門委員の議論を踏まえ、審査委員会に推薦する著作を選考する。ここで、まずは、主査としてのまとめる能力を試され、私なりに苦闘する。すなわち、私のことであるから、当然のことながら、自己の見解をも踏まえたいのであるが、それを相対化し、委員会4名の総意を主査として探らなければならない。きつさは、読むこと自体だけではなく、専門委員会としての結論を出すことにもある。なお、現在の経済部門の専門委員は、安田武彦東洋大学教授、岡室博之一橋大学大学院教授、駒形哲哉慶應義塾大学教授である。それぞれなりの主張を持っている方々であることは、一目瞭然である。
ただし、今の私にとって、中小企業研究者として言えるとしたら、この季節労働こそが、その根拠と言えるかもしれない。ここで、数多くの優れた中小企業研究書を、自分の好みで選り好みしないで、幅広くかつ丁寧に読むことになる。これにより、「中小企業研究者」と自称することを許される蓄積がなされるとも言える。
普段、ブログで取り上げている著作や記事は、今、特に読みたい著作や記事に限られ、タイトルを見て本を買っても、あるいは研究者の方々から著作を送っていただいても、目を通すかどうかは、自分で好きにしている。興味が感じられなければ、関心を持たない分野であれば、目を通すことはない。気ままな好事家の読書をしている。これでは、研究者として中小企業研究をフォローしていることには全くならない。しかし、奨励賞がらみでは、そうはいかない。まさに、今の中小企業研究の成果を追いかけることになる。
それゆえこれらの審査委員については、あと数年は、当然のことながら商工総合研究所から断られなければあるが、続けたいとは思っている。ただ、主査の立場については、できたら他の審査委員に代わってもらいたいのだが。

2018年度の商工総研から委託された審査も、ほぼ終了し、あとは総評を書くだけになっている。1968年に慶應義塾大学経済学部伊東岱吉研究会に入会して51年近く立つことになる。これを自身の中小企業研究50年史として辿ってきた。そのため、いくつか研究者の道を歩んでいく上での重要な事項を、中小企業研究そのものではないため抜かしてきた。これをこの研究史の最後に触れておきたい。
1つは、大学院時代の研究仲間のことであり、いまひとつは家族、特に40年余のパートーナーである妻のことである。
大学院時代、先が見えない中で自分なりに模索していた時期、ともに議論した仲間は、中小企業研究がらみの仲間以外にも存在した。あるいは、修士課程や博士課程の前半では、中小企業研究がらみの仲間以上に議論してきた仲間がいた。それが清水正昭千葉商科大学名誉教授、田中秀親淑徳大学教授、中宮光隆熊本県立大学名誉教授といった専門は異なるが、院生仲間として同じ講義や演習で学び、近くの飲み屋、つるの屋で飲みながら議論した仲間である。皆ほぼ同年齢ながら、田中君だけは、なぜか現時点でも現役教授である。
井村喜代子教授(当時、現名誉教授)の輪読中心の院での授業で、途中で井村教授のダメ出しが入り、自らの報告を最後までさせてもらえず、いかに自分の認識が甘いかを思い知らされる。そのあと、上記の院生仲間で、つるの屋に場所を移し、報告者を囲んで、当日の井村教授のコメントをどう捉え、それに対してどう考えるべきか、またいかに井村教授に反論すべきか、共に、熱く議論したことを思い出す。研究者として、徹底的に論理的に思考し、発言することを訓練された場が、これらの院での授業と「つるの屋」だったと思い出される。
また、妻とは、助手に採用された年の秋に結婚した。それから40年余、5人の子供の子育てでは、私はジュニア・パートナーにとどまっていたと自覚している。が、私の研究においては、妻は重要なアドバイザーであった。私が研究の方向性等で悩む時、私は妻に勝手に話をする。妻はそれを聞き、研究の中身そのものではないが、私の思考と志向とを念頭に、大きな方向性についてのアドバイスをしてくれる。あるいは、トントンと軽い形で方向のずれを修正してくれる。そのような存在である。
研究者としての私は、学生時代に父から突きつけられた課題、「世の中、理屈通りにはいかない」に対する自分なりの答え、「だが、世の中の現実を、論理的に理解することは可能である」を、実態調査を通して中小(工業)企業の存在と発展論理を追究することで、求めてきた。それを50年余にわたり継続できたのは、妻の存在が極めて大きかったと、今、改めて感じている。


2019年2月1日金曜日

2月1日 今季初の本格的冠雪、丹沢と箱根

今季初の本格的冠雪の丹沢を眺めながら
散歩をしてきました。

蒼空のもと、
雪山が輝いていました。
麓近くまでの冠雪。

近くを流れる葛川にも
雪山が映っていました。

箱根山も冠雪し、
小田厚の向こうに輝いています。

2019年1月30日水曜日

1月30日 渡辺幸男の中小企業研究50年史 その5 第4期

渡辺幸男の中小企業研究50年史
1968年〜2018
4
渡辺幸男

第4期 主査としての調査、教科書の出版、中国実態調査本格化
 1998年〜2011
    ウィングバレー協同組合調査、
E中国中小企業発展政策研究、中小企業研究センター、
118委員会中心の科学研究費補助金調査、
東アジア研究所中国自転車産業調査等で、調査の主査を務め、
いくつかの共編著を出版
2001年 小川正博、黒瀬直宏、向山雅夫 3氏との共著で
中小企業論の教科書 『21世紀中小企業論』有斐閣、第1版の出版
2011年 3冊目の単著出版『日本の産業集積研究』慶應義塾大学出版会

博士学位論文提出後
 1998年の博士学位論文提出後、依然として聞き取り調査を中心とした実態調査研究に従事した。ただし、この頃から調査での私の立場が大きく変化し始めた。すなわち、調査チームの一員として参加する状況から、調査チームの主査として参加することが多くなったのである。執筆した論文は、2冊の単著にまとめたことを敷衍したような論文が多く、20世紀中には4本ほど書いた。特に新しい視点のものはなかったと言える。
 他方で、実態調査では、主査としての調査の依頼が、いくつか舞い込んだ。1つは、社団法人中小企業研究センターからの実態調査チームの主査の依頼であった。1998年度の成長中小企業の聞き取り調査を皮切りに、2003年度の東京の印刷業中小企業のデジタル化に関わる実態調査報告書の作成まで、そのうちの5年間について、主査として年ごとのテーマを提案し、メンバーをセンターの担当者とともに決め、1年間で準備の研究会から始まり現地調査を行い、報告書をまとめるという作業を繰り返した。多くの調査は産地型産業集積の研究であり、私にとっては機械工業以外の産地産業をも幅広く学習する機会となった。また、その成果は、当初は中小企業センター内の報告書として刊行されたが、後半の3年間については、同友館から中小企業センター編の著作として公刊された。
 さらに、瀧澤菊太郎名古屋大学名誉教授(当時)から私に対し、岡山県水島の三菱自動車の協力工場の協同組合、ウイングバレー協同組合の今後に向けての実態調査をやってみないかとのお誘いがあり、数年のプロジェクトとして主査を務めることになった。これまで調査を共にした経験を持つ同世代の清晌一郎関東学院大学教授(当時)をはじめとし、多くの調査仲間を誘い、本格的な乗用車向け協力工場企業の現状分析のためと今後についての調査を行なった。
報告書自体は、『協同組合ウイングバレイ経営診断報告書』として1999年にウイングバレイ協同組合から刊行されている。この調査を通して、乗用車産業の巨大さ、日本の乗用車メーカーの中では相対的に小さなメーカーである三菱自動車でさえ、他の機械工業分野の完成品メーカーと比較すれば、極めて巨大なことを痛感し、その地域社会に持つ極めて大きな影響力をまずは実感した。この調査では、協同組合のメンバー企業のみならず、2次サプライヤや地元の他の機械工業関連中小企業、そしてタイの三菱自動車関連で進出した関連工場といったものも含め、地域産業集積と海外化の2つの視点で、より幅広く調査し、協同組合とそのメンバー企業群の存立発展可能性を、より広い視野から検討した。協同組合にとって、我々がおこなった調査がどれほど有効な示唆をもたらしたか、その点はわからないが、我々研究者にとっては、大変多くのことを教えてくれた調査であった。
例えば、協力企業の中の多くが、三菱自動車のみに依存することの危うさに気がつき、関連するが異なる分野の事業へ乗り出す努力をしていた。しかし、それらの中には、経営()の素人の私から見ても、成功しつつあるものと、挫折しているように思えるものが見受けられた。しかも、その差異は、小さくても自立した事業として扱い、本業の状況に左右されずに事業を運営させるか、それとも、本業の状況に応じて新事業への注力を変えるか、この点が極めて大きな影響を与える、といったことが認識された。その他、幾つもの発見があった調査であった。
また、個人としては、このウイングバレイ調査をもとに、岡山県の産業集積について検討する機会を持った。そこから見えてきたことは、岡山県には、三菱自動車に代表される乗用車関連の産業集積や、それと裾野を共有する地元の機械製品生産企業を核とする機械工業関連産業集積が存在するとともに、それとは異質な、産業連関のほとんどない、電気製品の組立等の機械工業関連企業工場が存在し、それらは数としては多く存在するが、地元の機械完成品企業との関連がないだけではなく、それらの企業相互においてもほとんど関連性を持たず、農山村部の豊富な労働力の活用のみを目的に立地していることも確認した。同種の産業企業が同一地域内に多く立地しても、集積の外部経済性が形成されるとは限らないことを実感した調査であった。

中国産業発展研究への研究領域拡大
 2000年代に入って、私の実態調査研究領域の拡大につながる変化が、1999年に生じた。3E研究院プロジェクトへの参加である。当時の中国の朱鎔基首相と日本の橋本龍太郎首相が会い、エネルギー、環境、そして経済の3分野で日中共同の研究プロジェクト、3E研究院を立ち上げることになった。その際、3E研究院のプラットフォームを、それぞれの首相の母校である中国の清華大学と日本の慶應義塾大学におくことになった。その経済分野のテーマの1つが中国中小企業発展政策研究であった。当初、慶應義塾大学商学部の十川廣國教授(当時)が、その研究チームの日本側主査に着任する予定であった。しかし、十川教授が商学部長に就任されたことで、私に日本側主査のお鉢が回ってきた。これが、私のその後の研究生活を大きく変える偶然であった。
 それまで、全く中国に行ったこともない私が、日本の中小企業研究者であるということで、日本側の主査となり、中国の中小企業発展政策研究を、清華大学の教員を中心とした中国側チームとともに、中国中小企業の実態把握から始めることとなった。その際、日本側の委員として丸川知雄アジア経済研究所研究員(当時、現、東京大学教授)や黒瀬直宏専修大学教授(当時、現、嘉悦大学教授)が入っており、また、翌年には駒形哲哉慶應義塾大学経済学部専任講師(当時、現、同教授)も参加し、中国での現地聞き取り調査のベテランも加わった強力チームが形成された。
 この中国中小企業発展政策研究チームは、日中合同で2000年から2003年までの間に、年数回、長い時は2週間、短い時で1週間単位で、中国沿岸部で聞き取り調査を行なった。中心は浙江省温州市で、ここではほぼ毎年、聞き取り調査を実行し、郷鎮企業発展の温州モデルと言われるものが、どのようなものであるか、日本の中小企業研究者の視点から確認した。なお、この聞き取り調査のヒヤリングノートとチームの毎年の報告書は、ジェトロのホームページからダウンロードできるようになっていた。また、最終報告書は、2004年に刊行されている。日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業総括報告書「中国中小企業発展政策研究」』(同所、20042)がそれである。またインタビューノートをまとめたものとして、日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業総括報告書「中国中小企業発展政策研究」別冊 −企業訪問インタビューノート−』(同所、20042が刊行された。

中小企業についての再認識と
中小企業論の教科書 共著『21世紀中小企業論』(有斐閣、2001年)の執筆
大企業と中小企業との序列的優劣認識の否定
 旧来の認識:大企業と中小企業の相違を競争上、優位と劣位の企業として、その働く場としての特徴を恵まれた職場と恵まれない職場として、序列的に把握する。
 私の実態認識:大企業と中小企業の相違は、多次元的に評価されるものであり、一方が優位で他方が劣位ということはできない。
 論理的帰結:序列的認識ではなく、独自な企業群としての中小企業、独自な大企業のそれとは異なる働く場としての中小企業、という認識に至る。

 私は、1976年から、毎年、事例調査研究のために、大小様々な企業を訪れ、経営者を中心に話を聞く機会を多数持った。現在までに日本国内だけで、機械工業中小企業を中心に千社以上の企業の聴取りを行った。その過程で、中小企業観、中小企業労働観について、当時の中小企業諸研究における認識に対して疑問を感じた。特に私自身がよって立つマルクス経済学での一般的な議論である中小企業弱者論に疑問を感じた。マルクス経済学の当時の議論では、中小企業は弱者であり、救済の対象であると、一方的にされていた。また、働く場としての中小企業も、専ら賃金格差の大きさや長時間労働等の労働条件のみが注目されていた。すなわち、実際に存立する中小企業の積極的意味や、働く場としての内容についての検討、また、そこで働く人々の実態と実感が無視されていた。
 他方で、中小企業のおかれた厳しい現実を無視し、中小企業を賛美する議論についても、素直に受入れられなかった。中小企業とは何か、中小企業で働くこととは何か、大企業に比べて規模が小さいゆえに、不利である。あるいは規模が小さいゆえに大企業ではない良さをもつ。これらの議論に一面で共感を感じながら、同時に、大企業と序列的に比較して、小さいから、どうだという考え方に疑問を感じた。
 実際に中小企業を回って感じ取ったことは、大企業と規模の大小という形で、序列的に評価できないもの、大企業と異質な企業群、大企業と働くことの内容が異なる異質性を感じた。大小の差異を1つの軸だけで意味付け、評価するのではなく、多元的に評価することの必要性、その集合体として、大企業と中小企業の異質性を見る。このような理解に至った。
 企業として大企業と異質な存在としての中小企業群、働く場として大企業と比して独自性をもつ存在としての中小企業群、という理解である。金融面ではどうしようもない不利性を蒙る企業群だが、同時に小回りが利くことでは環境変化に迅速に対応できることである意味での優位性を発揮できる、大企業と決定的に異なる企業群としての中小企業という認識である。ただし、経営者次第で、小回り性が、迅速な環境変化対応成功にも、迅速な対応失敗にも帰結する。また、働く場としての企業の全体像が見え、そこでの自分の位置が見えるのが中小企業であり、自分の位置を見極めにくい大企業とは決定的に異なる働く場である。賃金は少なく長時間労働だが、企業での自分の意味を見出しやすい場である。
 さらに、経済環境により、中小企業群がもつ独自性の意味が異なってくること、これらが認識された。
 このような認識から書いた中小企業論の教科書が、中小企業政策を中心とした黒瀬直宏、中小企業経営の小川正博、中小商業の向山雅夫の3氏と書いた『21世紀中小企業論』(有斐閣、2001年)と、その改訂版である『21世紀中小企業論(新版)』(有斐閣、2006年)と『21世紀中小企業論(3)』(有斐閣、2013年)である。

 その1 独自な企業群としての中小企業
 以下では、私の実態調査から把握された中小企業の独自性を、より具体的に見ていく。大企業と共存する現代の事実上の個人企業である中小企業が持つ独自性は、経済学的側面と、経営学的側面の2つの面から把握することが可能である。
 経済学的側面としての独自性は、中小企業のもつ競争上の独自性である。すなわち、現代の大企業は、株式市場等に上場することを通して、不特定多数の人々から幅広く出資を募り、自社の株式資本としてとり込み、自社の競争に自己資本として利用することが可能である。しかし、中小企業にとっては、このような他人資本の自己資本化という形態での資金調達は、中小規模性ゆえに、一般的には不可能である。ここに大企業に対しての競争上の不利性につながる中小企業の独自性が存在する。同時に、このような独自性は、同時に中小企業経営者が、外部の出資者から一定の制約を受けながら経営せざるを得ない多くの上場している大企業と異なり、自らの会社の資産を経営者として外部から制約を受けずに、自由に利用できるという個人企業としての独自性を、実質的に保有できるということも意味する。
 経営学的側面の独自性とは、中小企業が相対的に小規模な組織であることからもたらされる独自性である。大企業は大規模であるがゆえに、組織運営のために階統的な組織を構築せざるを得ない。トップ経営者が末端の現場の被雇用者の状況まで把握することは考えられない。しかしながら、中小企業は中小規模の企業であるがゆえに、階統的な組織に依存することなく経営することが可能である。このような意味で、経営組織上の独自性をもつのが中小企業である。組織がおかれた状況についての迅速な把握を経営者に可能にさせ、経営者の判断の末端までの迅速な浸透を可能にする。
 以上の2点が、中小企業が異質な企業である根本である。さらに、具体的に独自性を見ていくならば、以下のようになる。
 まずは、中小企業の存立する分野の限定性である。中小規模の企業である中小企業は、その中小規模性ゆえに参入し存立できる分野を限定される。中小企業は中小規模であるがゆえに、最低必要資本量が少額ですむ分野にのみ参入可能であり、存立可能なのである。このことは、中小企業が存立できる分野は、特定企業のみが参入可能な大企業分野と異なり、無数といってよい多くの他の中小企業も参入可能な分野であるということになる。
 それゆえ中小企業の中小規模性それ自体が意味することは、中小企業は数多くの参入可能企業との競争に常にさらされることである。製造業を例にとれば、生産技術や製品技術といった面で強力な差別化といった競争を緩和するための何らかの他の手段を講じえないかぎり、特定の少数企業(分野内の既存の競争相手と潜在的参入可能企業双方を合わせた)の動向のみを念頭において行動することは不可能であることを意味する。無数といっていい数で存在する中小企業間の激しい競争に常にさらされる可能性のもとにあるのが、中小企業である。
 中小企業が中小規模であるがゆえの第2の点は、企業経営として特定分野へ専門化する必要性が高い点である。中小規模の企業として、多様な分野に進出するよりも、限定された企業内経営資源を特定分野に集中することが、存立する分野での競争力を維持するために求められる可能性が強い。
 規模の経済性や範囲の経済性が働く製品分野で、大企業と同様な多角化を行えば、たとえ参入可能な分野であっても競争上不利になり、長期存立は困難となる。しかし、個々の製品市場や生産機能に専門化すれば、その部分については最低限必要な規模の経済性を、中小規模の企業でも実現できる可能性が高い。このような専門化は、中小企業がおかれた環境により、その可能性と有効性を大きく変える。例えば、当該企業から見た補完的業務に専門化した(中小)企業が多く存在する環境下では、中小企業が専門化により規模の経済性を実現し、なおかつ補完的業務の企業を利用することにより、範囲の経済性の実現を放棄したことの不利性を多少なりとも回復することが可能となる。補完的業務については、必要なときに必要なだけ外部に求めることで、経営が成り立つことになり、専門化した業務について企業規模に応じた需要量を確保すれば経営として成り立つ。
 このような専門化による補完的業務の外部依存の必要性の高さは、当該企業が関わる分野が大きな変化もなく全体として順調に拡大しているときには、競争上大きな意味を持たない。常に特定の補完的業務が必要とされ、それを内部化しうる大企業の方がより中心的業務に適合的な形で専用化して利用が可能であり、それだけ有利となる。しかしながら、専門化した企業が直面する市場の変化が、頻度や変化の幅で大きければ大きいほど、専門化業務に対して必要とされる補完的業務の内容は大きく変化する。特定の補完的業務を企業内部化することは、必要な補完的業務を必要なときにだけ調達することを困難とする。それゆえ、補完的業務の企業内部化は、変化が激しくなればなるほど、特定分野へ専門化した企業との競争で不利性に変わる可能性が高い。逆に、特定分野に専門化せざるを得ない中小企業にとって、変化の激しい環境のもとでは、専門化せざるをえなかったことが、補完的業務を外部依存しているがゆえに、専門化した分野を軸に環境変化に柔軟に変化に対応する可能性をより与えることになる。中小企業固有の独自性は、存立環境によって、競争上の意味が変化する。
 さらに、中小規模ということは、基本的に使用資本量が少ないことを意味する。このことは同時に、企業内部に雇用できる被雇用者の数が少なくならざるを得ないことを意味する。中小企業とは、使用資本規模が小規模なだけでなく、雇用する労働者の数も量的に限定されている企業である。このことは、中小企業が企業内部に雇用できる人材の多様性が相対的に限定されたものにならざるを得ないことを意味する。その結果、中小企業は企業レベルでは専門化せざるを得ないが、企業内の被雇用者レベルでは、逆に大企業のように専門化することが不可能であり、多くの人材が諸局面で多能化することが不可避となる。それゆえ、環境変化が速くかつ激しく、専門化した人材の組み合わせの変更で対応できないような状況下では、中小企業の人材の量的制約性が、逆に変化への対応力をもたらす可能性が強いことになる。
 中小企業が中小企業としてもつ特性として注目する必要があるもう1つの点は、中小規模であることが経営組織のあり方に決定的な影響を与える点である。
 中小企業にとって、組織的な階統的な管理組織を作る必要性は極めて小さい。中小企業は、企業の協業を形成する各個人が、各個人として相互に認識しあえる組織である。その結果、中小企業では、組織として決定し、組織として行動する必要性が小さくなる。特定の事項を決定するまでに必要な手続きを最小限化し、決定に必要な時間が少なくできる。決定の迅速性である。また、企業として決定したことを迅速に企業内の各個人に浸透させることが、極めて容易である。
 同時に、階統的な組織ではないがゆえに、経営戦略の内容についての多段階的な、多面的なチェックは極めて希薄となる可能性が高い。さらに、決定された事項が迅速に浸透するということは、実施の段階でその妥当性について再検討する余地が極めて小さいことを意味する。中小企業では経営者の裁量の余地が大きく、かつその裁量が急速に浸透するが、その中間段階でのチェックは弱いことになる。
 このような大企業と中小企業の組織形態の違いは、発展の方向が見えているような相対的に安定的拡大過程では、決定とその浸透の迅速性の必要性も余り重要ではなく、またチェック機能の有無も大きな違いを生まないことから、大きな問題点となることはない。しかし、企業の外的環境が激しく急速に変化する状況下では、事態は大きく異る。そこでは企業組織全体としての環境変化への対応のあり方が問題となる。組織全体の方針転換は大企業組織としての階統的管理の枠組みの中で行われざるを得ない。他方で、中小企業の経営組織の持つ特徴、非階統性が、経営者の迅速な決定を可能にし、その決定の組織内への急速な浸透を可能にし、生きてくる。中小企業は大きな環境変化に対して大企業よりより迅速に対応する可能性が、中小企業であるがゆえに高い。中小企業は小回りがきく。
 同時に、この中小企業の決定や対応の迅速性、小回り性は、多段階的なチェック機構の欠如と一体となっている。経営者の裁量の余地が大きく、それが迅速に浸透し、企業がその方向に急速に転身できるということは、経営者のその時々の判断によって中小企業の運命が大きく左右される事を意味する。すなわち、迅速な決定を行う可能性は高いが、その判断の的確さは経営者次第というのが、中小企業の大きな特徴なのである。この点は、中小企業の層としての変化の激しい環境への高い対応能力の存在と、個別中小企業の存立の危うさの共存として把握される。
 中小企業にとって、外部資金調達面での制約は大きく、大企業に対する競争上の不利となる。直接金融は、中小企業にとって依然として極めて利用困難である。中小企業でも利用可能な外部資金調達である銀行借入れ等の間接金融についても、金利等の借り入れ条件で、中小企業が中小企業であるが故に大企業に比して不利な条件を甘受せざるをえないことが多い。
 中小企業はその中小規模性により、一般的には、大企業よりより競争の激しい分野で存立せざるをなく、大企業との取引で不利な関係に立たざるをえない。また、特定機能に専門化し、企業内人材が量的にかつ多様性においても限定される中小企業は、補完的業務機能の専用的利用や専門家の専用的利用の可能性の少なさ、さらには資金調達上の不利性から、大企業に対してより不利な状況の下で競争せざるを得ない。このような中小企業の不利な状況は、経済環境が安定的拡大であればあるほど明確になる。
 それに対して、経済環境が変動の幅の大きさや変動の頻度から変動の激しいものになればなるほど、大企業のもつ規模の経済性の面での中小企業に対する有利性は減じる。それに対して、中小企業の経営組織の非階統性が中小企業に変化に対する迅速対応を可能とし、そのかぎりで変化に対する対応の迅速性で劣る大企業に対して一定の有利性を中小企業に与える。
 このように、中小企業は単に相対的に規模の小さな企業というだけではなく、大企業と異なる企業、「中小企業」なのである。それゆえ、競争上の有利・不利や、環境の変化への対応力で、大企業と単純な序列的関係にある企業なのではなく、異質な企業群として、独自な内容を持つものである。

その2 働く場としての中小企業の独自性
 中小企業の独自性を見る際には、働く場としての独自性も極めて重要である。特に、近年、大卒就職希望者が、大企業に就職できないがゆえに、中小企業を就職の場として考える、という発想で中小企業への就職を選択するのを見るにつけ、働く場としての中小企業のもつ独自性を踏まえ、積極的な意味で、中小企業への就職を考えるべきであること明言すべきであると、私は実態調査を通して認識している。その根拠を以下で示す。
 働く場としての中小企業の特徴の第1は、見える世界ということである。何が見えるのかといえば、それは働いている人が働いている企業における自分の位置や役割が見えるということであり、同時にそれだけではなく自分がかかわっている企業全体が見えるということでもある。大企業のように、組織の中の一員として各自が存在し、組織構成員として全体が見えないまま指示された役割をこなしていくことが、中小企業では可能ではないし、許されない。
 また、そこで働くものにとって、中小企業では、自分や他の人の企業内での役割が見えるだけではなく、その企業の産業内での状況が見えてくる。日常性を通して、その企業が他の企業との競争でどのような状況にあるのかが見える。企業の一員としてその企業の存立に、自分がどのようにかかわっているのかが見えるのが中小企業である。
2の特徴は、何でもやる世界だということである。大企業と異なり、中小企業で働く者は、高度な専門化を追求し、その専門機能を果たす形で働くだけで生きていくことは難しい。規模の小さな企業では、主として行う機能は特定され、その意味では専門化することが求められるが、その機能だけを行えばよいことにはならない。否が応でも、いろいろな形で多様な仕事をこなすことを求められるのが、中小企業で働くということである。
 中小企業で働くということは、多様な仕事を同時に担うことを強制される。便利屋の側面を持たざるを得ない。しかし同時にそのようなことを要求されるがゆえに、高度に専門化した人々の集まりからは生まれないものを作り出すことができる。
 特徴の第3は、やりがいがあるが厳しい世界ということである。大企業が組織として動き、組織として成果をもたらすのに対して、中小企業では企業を構成する個々人の行動が、企業の成果に直接反映する傾向が強い。中小企業では、大企業と異なり、そこで働く個々の人々の日常的成果が、直接企業の成果とどのようにかかわっているかが見えやすい。経営者の判断や個々の従業員のあり方1つで、企業の展望が大きく左右されるのも中小企業である。
 さらに、中小企業では各自の成果が直接経営トップによって評価されるだけではなく、従業員相互に評価することが容易である。自らの成果が企業全体の業績に直結し、しかもその行動が経営トップや同僚に直接評価されるということは、一面で極めてやりがいのある職場であるといえる。同時に、マイナスの評価も個人として受ける可能性が常に高いという意味では、厳しい職場でもある。
 第4の特徴は、地域性が強い世界ということである。大企業は、戦略的にグローバルに展開している。それに対して、中小企業の場合、多くの場合、特定の1地域のみを拠点に活動を行う。たとえ、多地域展開している中小企業の場合でも、一定の経営戦略に基づき、いくつかの地域に限定して多地域展開している。
 それゆえ、中小企業で働くということは、その企業が存立しているいくつかの拠点の地域で働くことを意味する。さらに単一事業所の中小企業の場合には、特定1地域での事業展開が当面不可避であり、その地域の中でどのように事業展開するかが、最大の課題となる。特定地域の中でしか働く場を見いだせないと同時に、当該地域との結びつきを前提に働くことができるのが中小企業である。中小企業で働くことは、多くの場合、その地域の盛衰と一体の形で働くことを意味する。
 5番目の特徴は、相対的に低い賃金水準・平均的にみて悪い労働条件という点である。賃金水準や労働条件については、中小企業の間でのばらつきも大きく、大企業と遜色のない賃金水準や労働条件を実現している中小企業も、絶対数としては数多い。しかし、平均的に見れば、大企業と中小企業の間には明白な格差が存在する。 
 第6の特徴は、創業への近道という点である。中小企業で働くことは、人のキャリア形成に独自な影響を与える。中小企業の従業員や家族従業者は、特定の機能に専門化することが許されず、また身近に経営者を見、経営を知る機会に恵まれている。それゆえ、自ら創業することを、キャリア形成の選択肢として考える可能性が高い。同時に、規模別賃金格差は、中高年になるほど拡大する傾向にある。賃金格差を甘受せず、大企業従業員に負けない収入を得る道の1つが、経営者となり、家族従業者も含めた家族の総所得を増大していくことである。被雇用者としての先行きの収入ののびなやみが見えるとき、積極的に起業を考えることとなる。中小企業の従業員は、大企業の従業員より、起業者になる可能性が高い。
 以上の6つの特徴を働く場としての中小企業はもっている。中小企業は働く場として、一面では賃金や労働条件において大企業に比べ平均的に見て劣悪である。同時に中小企業ならではの働く場としての独自性があり、働く場としての豊かさを、より大きく持ちうる。働く場として相対的に不安定だが、独立創業を考えるものにとっては、創業のために多くの経験を積める場でもある。それゆえ、中小企業で働くことは、積極的な選択肢の1つである。働くことを通して、どのように自己を実現するか考える際、大企業と異なる意味を持つ働く場として、「中小」の企業ではなく、「中小企業」がある。

21世紀中小企業論』の再版
 上記のような発想で中小企業について考え、中小企業論の教科書を、黒瀬直宏、小川正博、向山雅夫の3氏とともに書き、有斐閣から出版した。それから17年、ほぼ毎年のように増刷をし、すでに版も3版となった。執筆者4名が教科書として使用しているとしても、受講者の数は数百名に達するかどうかであるが、毎年千部前後の増刷ということは、我々以外にも、この教科書を使用している大学教員が多くいるということになる。これらの方々は、我々の独自の中小企業観に賛同している方々とも言える。

科研費による国内産業集積研究
2000年代に入って、さらにもう一本の本格的調査を並行して開始した。これが、私が代表となって、日本学術振興会産業構造中小企業第118委員会が中心となり、多くの若手研究者にも参加してもらって行った科学研究費補助金研究である。『新産業時代における集積の本質とその将来展望』というテーマで2003年度から2005年度までの3年間、産業集積について、日本国内と中国やタイといった新興工業国について、幅広く現地聞き取り調査を行った。
国内については、岩手県や山形県、そして熊本県といった1980年代における日本国内での機械工業の周辺地域への拡大の受け入れ地域であった地域が、90年代以降の海外生産化の展開の中で、どのように変容したか、それを確認するための調査を中心に聞き取りを行った。

2000年代前半、多数プロジェクトの同時並行的推進
中小企業研究センターでの毎年テーマを決めての実態調査とその結果の報告書作成さらには出版が、1998年度から2003年度にかけて計5回、1999年度から2003年度にかけて5年間の3E研究院での中国中小企業発展政策研究チームの中国現地調査とその毎年の報告書作成、そしてそのまとめとしての、日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業総括報告書「中国中小企業発展政策研究」』(同所 20042)と、日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業総括報告書「中国中小企業発展政策研究」別冊』(同所 20042)という報告書の作成、科研費を利用しての2003年度からの3年間の国内産業集積調査とその報告書作成そして渡辺幸男編著『日本と東アジアの産業集積研究』(同友館、2007年)として報告書の公刊と重なり合いながら、大規模プロジェクトでの共同実態調査研究が続いた。
このように、2000年代前半は、夏休みや春休みは日本と中国そしてタイといった形で、現地での聞き取り調査に飛び回っていた。いずれも私が主査を務める調査であり、私の性格から、聞き取り調査の時には、メインインタビュアーを務めなければ気が済まないし、主査として周りからそれを期待されていると、私自身が勝手に思い込んだ状況での調査であった。
 大学の春休みと夏休み、春は入学試験が終わって学内業務が一段落したあととなるが、国内にいても週末以外は、調査で飛び回るような状況であった。そして年度末には、調査報告書の作成を、主査として調査仲間と打ち合わせしながら、自らも自身が興味あるところを中心に量的にかなりの量を執筆していた。
 調査報告書を別として、この時期に論文としてまとめたものだけで、13本の多くを数え、そのうち、中国の産業集積である温州市の産業に関するものが3本であり、後は日本国内の産業集積がらみの論文と下請系列研究のレビュー論文からなっている。また、調査報告書として一部の執筆担当をしたものが、14本となっている。今から見ると、私にとっては、この時期が、研究者として一番激しく調査に飛び回り、そして調査報告書そして論文を多く書き続けた時期であったと言えそうである。
しかも、50の手習いで、慶應義塾外国語学校で中国語の授業を受講し、中国語の勉強を始めたのもこの時期であった。中国で調査をするにあたり、現地の文献や雑誌論文を、現地語である中国語で読みたい、という願望があった。そのための手習いであるが、中国語については、全くこれまで学んでこなかった中で始めた。1年半かけて中国語中級まで進み、一応辞書を引いて専門書であれば読める状態までいった。ただし、私は音痴であることもあり、中国語のイントネーション等を聞き取ることが苦手で、会話は買い物を多少できる程度までで終わってしまった。中国での聞き取りも2011年まで行ったが、断片的な形で、いくつか専門用語を確認することはできるようになったが、通訳なしでは、聞き取りは全くできないままに終わった。ついでに言えば、この時期中国での聞き取りに、多くの場合に通訳としてついてくださった蔡院森氏は大変素晴らしい通訳であり、我々の中国現地での聞き取りの成果の何割かは、氏の通訳のおかげであると言える。

中国自転車産業調査の本格化
 科研費調査の一環として2003年秋に中国天津の機械工業関連企業を、天津市の南開大学に留学経験のある駒形哲哉慶應義塾大学専任講師(当時、現教授)の紹介で調査をしていた際、南開大学の謝思全教授(当時)にお会いし、天津の自転車産業の大きな変化そして急激な発展を紹介された。
 ここから、2004年に中国側が南開大学の謝思全教授と谷雲副教授(当時)と、日本側が駒形哲哉氏と私が中心となった日本と中国の自転車産業研究が始まった。天津での調査を皮切りに、中国華東や華南、日本堺や関東で聞き取り調査を行い、2009年に、渡辺幸男、駒形哲哉、周立群共編著『東アジア自転車産業論 日中台の産業発展と分業の再編』慶應義塾大学出版会、2009年)としてまとめられた。
 以上の過程を通して、実態調査からの新たな、私なりの発見がいくつかあった。その主要なもの3つを取り上げ、少しまとめて紹介する。

産業集積絶対視論批判
日本の産業集積論での集積の経済性に関する絶対視論が存在している。産業集積について相対視することが必要性である。私が理解する旧来の認識では、産業集積は、集積それ自体として、集積であるがゆえに内在的に発展展開可能である、という集積絶対視が一般的である。私の実態調査を通しての認識では、産業集積は、それぞれの市場環境のもとで、それに適合した集積形態をとり、結果として集積の経済性も享受している。それゆえ、集積の経済性を相対視し、集積しているがゆえに、集積として再生産可能であるという集積絶対視を否定すべきである、ということになる。
 機械工業の中小企業を下請取引関係の視点から調査研究していた過程で、気にかかった論点が、産業集積に立地する機械工業中小企業という中小企業把握にかかわる点である。私が調査研究を本格的に開始した1970年代半ばの下請制研究では、発注側大企業、いわゆる親企業と、下請中小企業との取引関係についての議論は豊富に存在したが、受注する側の下請中小企業の立地状況、すなわち京浜地域等の工業地帯に集積して立地していることの意味については、ほとんど議論されていなかった。
 他方で、経済地理の研究者は、地理学でのA.ウェーバー等の影響もあり、近接性の利益の視点から産業集積に注目し、私の当初の研究対象地域であった京浜地域の町工場にとっての集積の利益に言及し、集積している中小零細企業群の存在の重要性を指摘していた。しかし、集積地域に立地する小零細企業にとっての集積の経済性の内容を、具体的に解明する努力はほとんどなかった。
 私は町工場と呼ばれる機械金属工業関連の特定加工に専門化した小零細企業の話を聞く中で、これらの企業は、孤立した存在として発注側企業との取引を行っているのではないことを理解した。それらの特定加工に専門化した小零細企業間でも、「仲間取引」に代表されるような、多様な取引関係を形成し、情報交換を行っており、小零細企業群として存立し、それゆえに独自の機能を発揮していることを確認した。
 産業集積の概念を、日本の機械工業の社会的分業構造把握の中に位置づける必要性を認識した。このような認識から、私の実態調査研究は、取引関係についてとともに、地域的な産業の集積についての視点を持つものとなった。
 他方で、1990年代に入り、日本国内の製造業が、いわゆる「産業空洞化」と呼ばれるような、激しい構造変化を蒙る中で、製造業の国内立地の維持と国内での発展の場として、産業集積が、産業政策や中小企業政策の視点から注目されるようになった。中小企業白書でも、ここ20年間ほど、大きなトピックスの1つとして、産業集積が取上げられ、検討が加えられてきた。私が実態調査を通して実感していた中小企業にとっての産業集積の重要性が、政策的にも重要な意味を持つものとして取上げられ始めた。
 ただし、産業集積に注目した政策担当者、及びその政策担当者に対して理論的裏付けを提供する産業集積研究者の産業集積理解は、私の実態調査を通して把握してきた産業集積理解とは、大きくズレていた。すなわち、中小企業白書等では、日本国内に製造業中小企業が立地し続けることを可能とする、絶対的に有効な集積の経済性をもつ産業集積(形態)探しが、開始されたのである。私の理解では、少なくとも日本の製造業の産業集積に関する実態調査研究を踏まえる限り、それぞれの産業集積は、それぞれの産業集積が形成された広い意味での市場環境、すなわち歴史的、制度的環境を含めた市場環境に対応して形成された、それぞれなりの産業集積形態を持っている。その集積形態を前提として、集積の経済性を享受していると見るべきである。それゆえ、市場環境の大きな変化の下では、それぞれの産業集積それ自体が激しい構造変化を蒙らざるを得ない。このことは、どのような産業集積であろうと妥当である、というのが、私の産業集積認識である。
 しかしながら、中小企業白書や、白書の議論を支える産業集積論研究者は、このような相対化された産業集積の有効性と、集積の経済性についての認識に基づこうとしていない。いわゆる「産業空洞化」と呼ばれるような激しい外的市場環境の変化のなかでも、集積の内的論理、当該集積のもつ集積の経済性ゆえに、集積の再生産が保証されるような、絶対的な産業集積の形態が存在することを前提とし、究極の産業集積探しが行われている。
 私は、日本の製造業の産業集積に関する実態調査研究を踏まえ、少なくとも日本の既存の産業集積を前提とする限り、中小企業白書や多くの産業集積論者の集積論が追究する産業集積絶対視の論理的枠組みは無効であると考え、このような産業集積論を産業集積絶対視論と命名し、それが不可能な根拠を、実態調査研究から提示しはじめた。
 実態調査研究から、集積の経済性を考えるならば、その存在は、多様な市場環境に対応した多様な集積形態として存在し、それぞれの集積形態が、集積しているがゆえに、それぞれなりに集積の経済性を実現している。同時に、まずは、市場環境が大きく変化しない限り、内的には集積としての再生産が困難になることはないが、特定の集積形態ゆえに、市場環境が大きく変化する中では、集積としての再生産が困難になるのが一般的である。
 さらに、集積というのは、あくまでも地理的広がりを持った概念であり、多様な集積の経済性が存在し、それぞれ産業インフラ等の水準により、それぞれの集積の経済性が実現できる広がりは変化するし、多様な広がりを持ちうる。集積の経済性が実現できるとしても、集積が存在する地域の一般的立地条件も、また立地要因として重要な意味を持ち、集積外立地企業との競争を考えるうえでは、集積の経済性と一般的立地条件の差異とを秤量して考える必要がある。さらに、産業集積は、同一産業内に複数存在するのが通常であり、集積間競合が存在する可能性は高い、それゆえ、集積としての経済性が実現できても、他の集積との競合で劣位となれば、集積としての再生産も困難となる。
 以上のような意味において、集積の経済性を実現していることがもつ集積の優位性は、相対化される必要がある。私は、先の集積の絶対視論に対し、私のこの理解を集積の相対視論と命名した。集積していることにより、集積の経済性は存在するが、それはあくまでも他の経営資源等と組み合わさって機能する経済性であり、相対的な存在なのである。多くの企業が集積しているが故に集積の経済性が発揮され、優位に存立し、集積は内在的論理に従い、自生的に転態するとするような、集積の絶対視論は誤っている。
 以上の産業集積に関する実態研究からの帰納的論理が、『21世紀中小企業論』から10年近くの年月をかけ、実態調査研究を付け加えてまとめた、私の3冊目の単著『現代日本の産業集積研究 ―実態調査研究と理論的含意―』(慶應義塾大学出版会、2011年)として結実した。
 そこでの、実態調査からの帰納的帰結を、より具体的に示せば、以下のようになる。
 私の実態調査から示唆される、日本国内の産業集積についての研究のための論理的枠組みについては、少なくとも8つの要素で考えることができる。このことを前提に、国内産業の振興、それを通した国内の地域経済振興という政策的課題を、産業集積を核に考える時に留意すべきことは何か、これらを、以下で示す。
 まず第1には、日本の産業集積の存立を考える際に、日本国内市場向けの産業集積についても、東アジア大での競合を考慮に入れる必要だということである。かつて日本の製造業が国内完結型の下にあった状況で考えられた形で、産業集積の展望や市場環境変化を考えることは、全く不可能である。国内市場向けの生産であっても、常に東アジアを範囲とした集積間競合や企業間競争を考える必要がある。この下で政策立案することが不可欠である。国内の範囲内で他産業集積・他地域に対し優位に立つことだけでは、国内市場を確保することはできない。
 競争相手がより広域化している下で、集積間競合や企業間競争を考える方向で、政策的発想の転換を行うことが不可欠である。その上で、東アジア大の地域分業生産体制の下で、国内産業集積として、どのような優位を発揮できるかを考えることが、国内産業振興政策の一環として、地域振興政策の一環として産業集積支援政策を実施する際には、不可欠である。
 第2の指摘は、産業集積が関わる主要な市場・需要と当該産業集積の集積形態との関係をまずは考えるべきだということである。このことからは、政策立案の際の基本的現状認識のための重点がどこにあるかが示唆される。すなわち、集積に内在し、その集積としての存立状況を、集積内社会的分業構造として把握するだけではなく、その集積が存立している市場環境と、その変化の方向の確認が極めて重要だということである。特定の市場環境に適合した産業集積として、それぞれの産業集積は存立している。適合した市場環境とその動向を抜きにして、個々の集積の存立・発展展望を考えることはできない。
 個々の産業集積が、そもそもどのような市場環境に適合したものとして形成され、その市場がどのような方向へと変化しているのかを認識し、その方向と現状の集積形態のズレの内容を確認することが、個々の産業集積を前提とした産業振興策や地域振興策の政策的前提となる。当該集積が適合している、あるいは適合していた市場環境の分析を抜きに、抽象的なあるべき産業集積形態を探し出し、それと当該産業集積の存立形態とを比較し、今後の当該産業集積の発展方向をみいだそうという政策的思考そして志向は、百害あって一利無しである。
 第3の点は、各企業が立地する集積間競合と、集積内に立地する企業と域内に立地しない企業との競争とを、集積の経済性が存在することと、どのように関係づけるかということからの示唆である。ここで何よりも重要なのは、競合する集積を東アジア大に確認し、また東アジア大で集積外立地する企業の存在をも確認し、集積内立地企業との競争可能企業群を明確に把握することである。この点の把握を前提に、はじめて、競合する集積や競争する企業との集積の経済性での差異や競争上の優劣を多元的に確認することが可能となる。このことを通して、当該集積内立地の企業の特定市場での存立展望や、必要な政策的課題がみえてくる。
 第4の指摘は、集積の経済性の多様性と地理的多層性という点である。このことが示唆することは、産業集積の経済性は、多層化しながら、広域化している。集積の経済性を考える際の地理的広がりは、行政単位とは関係ないし、多くの場合行政単位を超えた存在である。このことを前提に、個別地方自治体は産業集積を通しての産業振興策、地域振興策を考える必要がある。地域の産業集積の振興、活性化には、関連する地方自治体の連携が必要である。また、国内産業の振興策として、産業集積対策・政策を考える際には、日本国内の産業インフラの一層の高度化を、まずは政策的課題とすべきということも意味する。
 5つ目は、市場環境を中心とした特定の経済環境の変化と集積形態の転換の困難性が意味することである。産業集積の転換を可能とする産業集積内の特定要素や特定集積形態を専ら探すことで、集積の転換可能性や、変化の中での発展を考えるべきでない。必要なことは、そうではなく、市場環境を中心とした経済環境の変化と、その下での既存集積形態の必要な変化の内容を解明することである。そして、そのために必要な要素を集積内に導入する方法を模索することが有効である。集積のおかれた環境の変化に対しての対応策としては、外的にその方向性を模索するよりも、内部の諸企業による多様な模索を促進し、そのなかから新たな地域の産業の発展する方向性をみいだすことが最も有効な場合も、多く存在する。
 いずれにしても、どのような形態の産業集積であろうと、大きな市場環境変化の下では、産業集積として新たな発展展望をもつためには、大きな困難を伴うことを前提とすべきである。また、産業集積としての転換が不可能であり、集積内の個別企業次元での対応のみ可能な状況もあることを、認識すべきである。結果的には、地域の産業集積を保持していた雇用規模等については、大きく減少することも生じる可能性も大きい。しかし個別企業の多様な模索の結果として、個別企業の中に新たな展望をみいだす企業が形成されることは、地域経済として、新たな発展の芽を作り出すことを意味する。それゆえ、既存の産業集積の転換・再生にあくまでもこだわることが、最良の政策の方向性であるかどうかについても、再検討を加えながら、市場環境変化に対峙していくことが必要である。
 6つ目は、同種企業の多数近接立地が必ず集積の経済性の存在をもたらすものではないことの意味である。集積の経済性を議論する際に、特定地域内の同業企業の数をもって集積の存在とし、その存在の経済的効果を測定すること等が行われることも多い。しかし、単純に事業所の数の多さを、集積の存在、そして集積の経済性の存在の証しとして議論することには、政策的に意味が無い。産業振興政策や地域振興政策を産業集積の持つ経済性を活かす形で考える際には、単に存在する事業所の数ではなく、それらの事業所の質的関連を確認し、そのことのもつ集積の経済性を把握することが不可欠である。
 7番目の点は、市場環境条件の変化の方向性は、より狭域的な集積の再構築をもたらす可能性も存在するということの意味である。市場環境の変化の方向をきちんと見極め、国内産業集積の再生・再発展の可能性を、改めて検討することが常に必要であるということを示唆していよう。
 8番目は、デジタル化は集積形態に大きな影響を与える要素であるということの含意である。市場環境と技術的高度化の双方が、既存の産業集積での社会的分業のあり方を、大きく変える要因であることを認識する必要性を示すものといえよう。
 以上をも踏まえ、私の議論の政策的含意を、全体として示せば、下記のようになろう。国内の産業振興政策を、東アジア大の地域分業生産体制を前提に考える時、この地域分業の中で、製造業事業所が日本国内に立地することに、どのような意義をみいだすのか、これを見極めることが極めて重要である。この国内立地の優位性を与える可能性をもつ要素のうち、極めて重要な要素の1つが産業集積内立地により集積の経済性を確保することである。この集積の経済性を確保し、それと個別企業の独自性とを組合せることで、東アジア大の地域分業生産体制の中で、日本国外への立地では実現することのできない優位性を実現する。このことが可能となれば、国内産業集積を核にした国内産業振興政策が有効に機能することになる。
 同時に、産業集積していること自体を絶対視し、理念的な意味で最適な産業集積を形成さえすれば、それ自体で、市場環境等の変化の中でも、国内産業の発展が保証されるという認識にたち、政策的展開を行うことは誤りである。そうではなく、それぞれの産業集積としての存立可能性、あるいは転換の必要性とそのための必要な要素等を確認し、集積の経済性をも活かす形での国内産業振興政策を行ってこそ、国内産業集積を活かした形で、国内産業の振興、その結果としての産業の構造転換のなかでの国内産業の産業集積を通しての発展が可能となる。
 以上が、日本の産業集積の実態研究を通して把握した、産業集積把握の理論的枠組みと、その政策的含意である。

産業空洞化論批判、日本製造業の東アジア化
 旧来の認識は、主力産業企業の工場群の海外移転により、日本国内の物づくり機能が空洞化しつつあるというものである。私の実態認識は、日本国内の物づくり機能が、全面的に海外移転しているのではなく、かつて日本国内を範囲に進行した物づくりの広域化が、より広域的に東アジアを範囲に展開していると考える。その論理的帰結は、生じていることは産業空洞化ではなく、日本国内を含めた広域的な地域分業体制の構築が、東アジアを範囲とするものとなったという意味での東アジア化が進展し、結果として、国内中小企業にとっては「大田区化=オータナイゼーション」が生じている、ということである。
 1970年代半ばから、1980年代、1990年代と、日本の機械工業を中心とした中小企業の存立実態の変化を追いかけてきた中で、日本の中小企業の中間財を中心とした取引の広がり、存立空間の広がりが大きく変わってきたことを確信した。これをどのように把握するか、この点については論理的にきちんと整理されていなかった。単純に「広域化」として把握されるだけであった。しかし、1990年代、電気機械製造業や精密機械製造業で、突然「産業空洞化」が叫ばれ始めた。
 私は、取引関係の広域化は、一般的立地条件の旧来の産業集積地域での悪化の下で、産業インフラの高度化が進展すれば、ある意味で必然であると理解していたのであるが、それが、何か突然生じた現象のごとく、しかも、特定の政策的含意をもつ形で「産業空洞化」と呼ばれ始めたのである。実態としての取引関係の広域化と、それが国境を越えたものとなった途端に、「空洞化」と認識される。それまでの広域化の過程で、既存産業地域での空洞化は生じなかったのかといった反省もないまま、国境を越えることで構造変化についての認識が大きく変化した。
 そこで、私にとって、改めて、1990年代以降、日本の製造業で生じている激しい構造変化を、実態を通してみた時に、どのように把握すればよいのかを示すことが課題となった。私の視点は、あくまでも日本の製造業の1960年代からの長期的な構造変化の一環として、近年のいわゆる「産業空洞化」も位置づけ、このような長期的な変化を把握する論理的枠組みのなかで、90年代以降の構造変化も把握するものである。この視点からすれば、既存産業地域での製造業の生産活動をも含めた形で、中間財取引の範囲が広域化したこと、それがついに国境を越え、東アジアを範囲としたものとなりつつあること、ということになる。すなわち、日本の製造業の国内広域化、そして東アジア化ということになる。
 このような視点と、中国での内生的産業発展の視点との接点、両者の混合の中で東アジアでの産業発展を議論することが可能であったのが、自転車産業である。中国産業発展を研究対象とする研究者と、日本の製造業の発展研究を課題とする研究者による共同研究が、自転車産業を対象に行われ、その成果が、渡辺幸男・周立群・駒形哲哉共編著『東アジア自転車産業論 日中台における産業発展と分業の再編』(慶應義塾大学出版会、2009年)となった。この分析の際の日本側の産業展開把握の論理的枠組みとして、東アジア化と、その結果としての東アジア大の地域分業構造生産体制を使用した。
 このような日本の製造業の「東アジア化」の論理的枠組みをより具体的に示せば、以下のようになる。
 日本製造業の戦後の生産体制の特徴の重要な1つは、日本国内完結型の生産体制であった。より厳密にいえば、国内完結型化が戦後に本格化し、1970年代から1980年代まで進展し、ほぼ国内完結型の生産体制を構築したといえる。すなわち、日本の製造業は、戦前来、後進工業として欧米の先進工業に追いつくことを目指した。そして、漸く、戦後の復興から高度成長の時期にかけて、米欧から先進的技術を導入することを通して、工作機械等を含め、ほぼすべての工業製品で、先進的な製品を国内で生産できる体制を構築することに成功した。
 戦後の日本の製造業の特徴は、単にすべての先進的な工業製品を国内で生産できるようになっただけではない。それに加え、大きな特徴は、欧州諸国と大きく異なり、素原料のほとんどを海外に依存しているが、その1次加工から最終製品までのほぼすべてを、国内で加工した部材を使用して生産する体制を構築したことである。1次加工品、各種の中間材料・部品等の中間製品、そしてほぼすべての最終完成品を、資本財・消費財について、自国内だけで生産する体制が、1970年代にほぼでき上がった。すなわち、工業において日本国内完結型の生産体制がほぼできあがった。この国内完結型が進展する間に、日本国内の生産体制は、旧来の産業集積地域内での拡大から、より広域的な地域分業構造を、日本国内で構築した。
 国内完結型の日本の製造業の生産体制は、1980年代に本格化した機械関連産業の大企業を中心とした米欧への直接海外投資の進展により、最初の大きな変化を被った。しかし、この過程での海外進出は、主要輸出先の米欧に、もう1セットの生産体系を構築することを中心としており、国内完結型という国内での生産体制に関しては、大きな変化を生まなかった。日・米・欧の三極生産体制を生み出したにとどまる。
 しかし、プラザ合意後の1980年代後半には、日本以外の東アジア地域の政治的安定と産業インフラの整備が進むとともに、日本以外の東アジア諸地域に比較して日本国内の一般的立地条件が、円高もあり、極度に悪化した。賃金水準、必要な労働者数の確保、地価水準、必要な工業用地の確保といった点で、日本国内諸地域は、他の東アジア諸地域に比較して、極端に工業立地条件が悪化した。そのため、日系企業は、これまで日本国内で最適立地を求めていた工場立地について、東アジアを範囲として検討するようになった。その結果が1990年代のいわゆる「産業空洞化」といわれた激しい構造変化である。
 その構造変化の実際の内容は、日系企業にとっては、日本国内を範囲とした地域分業の広域化から、東アジアを範囲とする広域的地域分業生産体制の構築へと移行することを意味した。すなわち、日系企業の工場立地が、日本を含めた東アジアを範囲とした地域内で最適立地を求めるという意味で、広域化した。この構造変化が東アジア化である。
 ここで重要なのは、日本国内にはこれまでの先進工業化する過程で蓄積された多様な高度な人材が存在し、企業が立地していることである。それゆえ、日系企業にとって、特定の製品の生産においては、一般的立地条件が最悪な日本国内立地を捨てることはできないし、また、広域的展開可能な製品の生産においても、特定の機能は日本国内立地を必要とすることになる。1990年代に顕著に進展した、日本の製造業の立地地城の構造変化は、日本からの製造機能の喪失ではなく、日本国内立地を核とした広域化なのである。これは、1960年代に、日本国内の旧工業集積地域から、大都市とその周辺地域の一般的立地条件の悪化に伴って、より周辺的な地域に特定の製品の生産や生産機能が転出した日本国内での広域化の延長線上のものである。
 このような東アジア化の下で、日系の製造業企業にとって、日本国内完結型の地域分業構造が崩れ、東アジア全域との地域分業構造を形成する過程で、日本国内に生産立地する必要がある生産機能は以下のようにまとめられる。
 産業インフラが整備されていることが前提であるが、一般的立地条件だけが立地条件となるような製品の生産や生産機能については、日本国内に新規立地する可能性はほぼ存在しない。すなわち、日本国内に新規立地する、あるいは日本国内立地を維持する製品の生産や生産機能は、このような日本以外の東アジアの産業インフラの整った地域に対し、極端な一般的立地条件の悪さを超える立地上の優位が見込まれる製品の生産であり、生産にかかわる諸機能である。
 このような立地上の優位が見込まれる製品の生産や生産にかかわる諸機能には、まずは、日本という1億人余の豊かな市場への近接を必要とする製品の生産や生産関連機能があげられる。日本国内市場への即時供給のための生産機能であり、日本市場の動向と生に接することが必要な開発絡みの機能、すなわち企画・開発・試作等にかかわる機能、さらにはそれらに関連する生産機能である。
 今1つは、広義の高度産業集積の存在を不可欠とする製品の生産や生産にかかわる諸機能である。今後とも拡大可能な生産にかかわる機能といえる。変化の頻度と変化の幅の双方からみて需要の変化が激しい製品の生産がその1つである。もう1つは、本来的に、需要の変化が激しい開発絡みの生産にかかわる諸機能である。すなわち、企画・開発・試作・量産立ち上げ等の機能である。これらは、高度な生産機能を必要とし、かつ変化の激しい需要は、高度な産業集積を利用することで、より柔軟に、より迅速に、相対的に安価に供給対応可能となる。
 このような国内の産業集積を活かして初めて対応可能となるような変化や変動の激しい需要に国内需要が限定されること、そのもとで多様な形で多様な需要に対応して存立していた機械工業関連中小企業の存立基盤が、このような需要への対応に限定されることを、私は「大田区化=オータナイゼーション」と呼んだ。すなわち、1960年代後半以降、大田区を中心とした東京城南の機械工業集積に立地する中小企業の存立基盤の変化が、東アジア化の中での日本国内機械工業中小企業全般に生じているという認識である。ただし、産業集積としてみると、それ自体も産業インフラの高度化により、1960年代とは大きく異なり、広域化している。このことを前提とした「大田区化=オータナイゼーション」といえる。そこでは、変化や変動の激しい需要への対応を、広義の産業集積を利用しながら実現していくしか、国内機械工業中小企業には、存立基盤がないことを示した概念でもある。このような認識は、機械工業中小企業に限定されず、変化や変動の激しい需要がかなりの規模存在する分野の場合には、同様に当嵌ると考えている。
 これらの日本国内に生産立地する理由のうち、市場への迅速供給の必要性故に、日本国内生産立地する生産にかかわる機能については、それらの市場は当然のことながら日本国内に限定され、日本国内市場でこれらの需要が拡大するかどうかで、その生産にかかわる機能が日本国内に立地する程度、拡大展望が限定される。
 それに対して、生産基盤の独自性、高度な産業集積の存在故に可能となる、変化と変動が激しく高度な生産能力を必要とする需要への対応能力については、その生産能力が対応する需要は、日本国内に限定されるものではない。安定的な量産的需要に対応する生産能力を保有していても、このような需要に対応する生産能力を保有していないような地域から、幅広く、日本国内に存在する高度な産業集積に需要が集まってくることになる。
 特に急激に製造業生産が拡大している東アジアには、変化や変動の激しい需要に対応する生産能力をもつ、このような高度な産業集積がいまだ存在しない。すなわち、かつて国内完結型の社会的分業構造であった時代に、国内地域間で棲み分けしていた生産機能が、2000年代には、東アジア大での地域分業構造生産体制となり、その中で、国内製造業そして国内製造業中小企業が棲み分けることになる。そして国内に立地する生産にかかわる諸機能は、かつては旧来の工業地帯を中心として対応していた、東京城南地域に典型的に見られた、変化や変動の激しい高度な生産能力を必要とするような需要に対応する生産にかかわる諸機能ということになる。同時に、国内において、かつては旧来の工業地帯を中心とせざるを得なかったこのような生産にかかわる諸機能も、国内産業インフラの更なる高度化により、より広域的なものとなり、国内のかなりの地域で立地対応可能となっている。このような状況が、日本から見た1990年代の激しい構造変化の結果として生じた2000年代そして2010年代の製造業の地域分業構造なのである。