2019年1月1日火曜日

己亥元旦 新年のご挨拶

謹 賀 新 年
己亥 元旦
 昨年3月で満70歳になりました。70歳を迎えるにあたり、昨年の年賀葉書にも書きましたが、ハガキによる新年の皆様へのご挨拶はやめることにし、ブログに、新年の挨拶をアップすることにしました。これがその第1回のものとなります。還暦をとっくに過ぎたということは、2回目の「己亥」、前回の記憶がある2回目を迎えていることになります。
 1回目の「己亥」の正月は、小学5年生、翌年の中学受験を控え、かなりピリピリしていた頃であったとの記憶があります。それから60年、その後、慶應義塾普通部入学、そして経済学部の伊東岱吉研究会入会、大学院進学、そして中小企業研究者の道に、いずれの時も緊張していたのですが、小学生時の訳のわからないピリピリとは違って、自分なりに選択をし、それなりに前を向いて今日まで過ごしてきたとも感じています。
 2013年に慶應義塾を定年退職し、2016年3月をもって非常勤講師の職も終えました。それから3年近く、多摩川を越えて三田など東京に出かけることも、月に複数回あれば多い方になりました。このブログにもアップしてきたように、池の鯉の世話、水槽を使ってのメダカの養殖、庭いじりでの花、それも毎年同じ花を咲かせ、できれば増やし、それを玄関先に飾るといったことを繰り返しています。私と相性がいい花々は、ますます数が増え、冬を越させる場所を確保するのが大変な状況となっています。
 また、魚の方は、メダカを増やすだけではなく、緋鯉も増やし始めてしまいました。産卵があると、採卵したくなってしまうのです。要は、暇があり、魚を育て、増やすのが好きなせいだと自覚しています。メダカの寿命は4年程度、しかも、妻の関係の教会のバザーで皆さんに10100円でお分けし、売り上げを教会の土曜学校に寄付をする形で、毎年300匹以上を、他の方にお譲りしているので、あまり自宅の水槽の中は増えないです。が、緋鯉は、数十匹程度ですが、数十年と長生きしますし、増えたものをどうするか、悩みながら新年を迎えました。外来魚である緋鯉、近所の川に放すわけにもいきません。神社の池等でもらってくださると助かるのですが。なお、孵化した緋鯉には、錦鯉と言える鯉はほとんど育っておらず、緋鯉そのものなので、観賞用として、お分けすることができる代物ではありません。
 何れにしても、中小企業研究奨励賞の審査委員といった季節労働以外は、勝手なことをブログに書くことと、花と魚の維持管理と増殖、これで昨年も1年をほぼ過ごしました。今年も元気であれば、時々、日本中小企業学会、中国経済経営学会、そして学術振興会産業構造・中小企業第118委員会等にも出席するつもりですが、このような日常を過ごし、折々ブログに、四季の花々や魚の様子、そして学会報告への勝手なコメント等をアップするつもりです。
 なお、今は、ようやく西洋サクラソウの花がエントランスで咲き始めたところです。我が家で増えているノースポールとビオラは、まだほとんどが花の咲く大きさに育っていません。そしてクリスマスローズには蕾はつきましたが、開花には、今しばらく時間がかかりそうです。早く、春がきて、これらが咲き誇り、また、ビニールカーテンの内側で冬を越しているゼラニウムやサルビアを、表に出す。そんな時を待ち焦がれ、うずうずしています。が、あと2ヶ月半。霜の降りない季節は、二宮でもまだまだ先です。
 この間、是非読みたい著作や書きたいテーマがあるので、勝手なコメント等を、ブログにアップできたらと思っています。
 本年もよろしくお願いします。
渡辺幸男

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