私の中小企業研究のあり方 平野哲也論文に触発されて
平野哲也「中小企業研究の方法的立場
−中小企業概念の系譜とデザインの方法−」
日本中小企業学会論集37、同友館、2018年
を読んで 渡辺幸男
はじめに
久しぶりに、中小企業研究のあり方が、各国でどのように異なるか、正面から議論した論文に接し、触発され、自分ならどうなのか、考えてみたくなった。ただし、私自身は、近年特に自覚してきているのだが、ますます中小企業から見た産業発展研究という視座に立つようになっており、中小企業研究そのものというより経済学的な産業発展研究に主眼を置いている研究者となっている。そのような研究者から見た中小企業研究のあり方として、平野論文を見、そして自分の見解を述べていきたい。
なお本稿で取り上げる平野哲也氏の論文は、日本中小企業学会第37回全国大会の報告をベースに執筆され、日本中小企業学会の査読を受け『日本中小企業学会論集37号』に収録されたものである。さらに、その後、日本中小企業学会第38回全国大会において若手奨励賞を授与された論文でもある。
平野論文の結論
平野論文においては、「日本の研究史」では「中小企業の「問題性」「積極性」といった価値論に基づく規範科学的な視点から中小企業群・層に関する「構造的」な把握による中小企業の概念規定が主流」であるとする。そして、「海外の研究史」では「実証科学をベースとし、中小企業の普遍性あるいは条件適合性を巡って中小企業の概念規定が行われてきた」、そして「中心は現在主流となる量的研究を方法とする実証研究の潮流」であるとしている。結果として、「日本の中小企業概念の規定方法には「規範科学バイアス」」があり、「海外の中小企業概念の規定方法には「実証科学バイアス」」(論集37、p.213)があるとしている。
平野論文で気になった点
平野論文では、「日本と海外の中小企業概念の研究史をレビュー」(論集37、p.208)と述べられている。しかし、「日本と海外」という比較は、私の理解からいえば、奇妙に思える。
まずは各国国民経済間での比較、中小企業という存在は各国国民経済を背景として把握される中小企業なはず(ここが決定的に認識が(平野氏や)「海外」の研究と異なる点かもしれない)であり、中小企業研究で、日本だけが特異なのであろうか、という疑問が生じる。私は、そうではなく、それぞれの国民経済の歴史的背景と現状により、各国の中小企業がそれぞれ独自な存在形態を持っていると理解している。また、それゆえに、それぞれの国民経済ごとに中小企業研究の歴史があり、それは英国と米国とで異なるということは、私なりの両国の中小企業研究のあり方をかつて1980年代に見てきたことから感じている。ただ、ここ何十年間かの間に米国と西欧で、「海外」とくくれるような研究の収斂が生じたのかもしれない(中小企業の「普遍性」を言えるということは、まさにそのような現象が生じているのかもしれない)が、それについては、全く不勉強である。
さらに、平野氏の場合は、米国と西欧の中小企業研究が、「海外」を代表しているように見える。韓国・台湾・中国といった工業化国が眼中にないのではないかと思える。しかし、ここ数十年間の東アジア諸国の工業化の進展を前提とするとき、すなわち現代の中小企業の研究を産業発展論的視点から考えるとき、日本以外の東アジアの工業化国での中小企業研究史を考察対象にすることは、不可欠であろう。少なくとも日本の研究者にとっては。
論点 私にとっての「中小企業」研究、そのための「中小企業」とは
私が中小企業を中小企業として取り上げる視点は、まずは日本の産業発展研究における中小企業であるその一環としての日本の機械工業での下請系列的取引関係の形成であり、日本各地の製造業産業集積の形成・再生産ということになる。
産業発展は、国民経済ごとに大きくその論理が異なり、また、そこでの中小企業の意味や機能も大きく異なる。日本の下請系列取引関係を通しての機械工業発展を見てきた者として、さらに最近は中国の近年の垂直分裂下での新企業主導の産業発展として、これまでは少なくとも中小企業としての新企業主導の産業発展を見を見てきた者として、この点については明確に言えることである。競合しつつある日中の機械工業で、その急速な発展過程での中小企業の意味は大きく異なる。しかも、その差異は、各国民経済の市場環境の差異を反映している。この点を産業発展研究から確認した。同時に、このようの国民経済単位で把握可能なのは中小企業であって、大企業ではないことも明確である。
その際の中小企業とは、企業一般(一般性:Generality, Universality)の中の、大企業(独自性:Identity)ではない存在としての中小企業(独自性:Identity)である。大企業一般(一般性:Generality, Universality)という把握は間違いであり、もちろん、それに対する特殊な中小企業(特殊性:Specificity)ではない。中小企業として括られる存在が、一定の意味を持つ国民経済的状況だから、企業一般で議論できない。当然のことながら、企業一般で議論可能な場合は、中小企業概念を使用する必要はない。
中小企業とは何かを問う必要は、それぞれの課題との関連で、それとの脈絡で出てくるのであり、中小企業一般を抽象的に規定する必要性はない。中小企業「理論」を必要としないゆえに、「中小企業研究」はあっても、「中小企業学」は存在しない。
そもそも日本での中小企業研究は、後発工業化国日本の産業発展の遅れの1つの重要な要因としての中小企業の技術的遅れ、小宮山琢二のいう「二重の隔絶性」(小宮山琢二、1941年)から出発している。すなわち、日本の先進工業化への課題としての政策的概念としての「中小企業」が浮かび上がり、経済理論的な位置付けや経営学的な位置付けは、後追いで確認された。各国経済で、中小企業に注目する理由は多様であり、課題によって中小企業の具体的政策対象範囲が規定されると言える。
経済理論的な意味では、「企業一般」があり、そこから広く外部資金を導入可能な「大企業」が生まれ、「中小企業」が、「企業一般」− 「大企業」=「中小企業」、すなわち、残余として概念構成された。
それゆえに、私自身の中小企業の概念規定は、大企業ではない企業ということで、寡占的市場構造下での競争的な資本・企業であり、経済学的には、大企業とは異なり社会的資本を広く集めることが困難な資本・企業である。また、同時に、そのような企業は、経営学的には、階統的な経営構造を持つ大企業と異なり、相対的に単層的な経営構造の企業となる。しかし、このような規定では、各国民経済での中小企業の存在意味と意義は見えてこない。それゆえ、中小企業を中小企業として括る意味や意義も見えてこない。
中小企業は、各国民経済の中での寡占的市場支配と大企業のあり方により規定され、各国民経済ごとに、その存立の形態は異なり、国民経済にとっての意味・意義も異なることになる。各国民経済の経済段階的状況の変化により、存立の意味・意義もまた異なることになる。
中小企業は、あくまでも寡占的市場構造が支配的な経済下の大企業ではない企業群・層である。それゆえ、それぞれの国民経済で、環境が異なり、それにより規定される存在となる。だからこそ、事例研究により、当該経済での中小企業の存在形態・理由を具体的に見ていく必要がある。
国民経済という枠組みを外して、中小企業を中小企業として取り出し、それを量的にどのような存在か見ていくこと、これが可能なためには、各国民経済間での差異が、ほぼ存在せず、中小企業の意味や意義も各国民経済間で異ならないような状況が前提になろう。そうであれば、平野氏のいう「海外」での研究がそうであるように量的に把握する実証科学として、国民経済を超えて中小企業層を取り出し、分析することが、大きな意味を持とう。現代経済における一般的な中小企業像を描くために。
しかし、私の理解では、現代でも、グローバル化が進展した現代経済においても、国民経済ごとの再生産の独自性は存在し、各国民経済での再生産における中小企業の位置や意味は異なる可能性が高い。だからこそ、米国にはシリコンバレーが存在し、日本では同様な集積を人為的に作ろうとしたが、未だ存在していない。しかし、中国深圳地区では、シリコンバレーと似たような新規創業企業中心の産業集積、日本の各自治体が夢見た産業集積が形成されつつある。これは国民経済としての日中の差異を前提しなくては、理解できない現象であろう。新規創業企業それ自体の問題ではなく、それが形成される国民経済的環境の差異こそ重要であることを示している現象と、私は考える。
終わりに
平野論文を批判的に検討することで、改めて中小企業は国民経済単位で考えられるべきものであり、平野氏のいう「海外」での研究のように国民経済横断的に中小企業の「普遍性」を前提に量的に把握することは、実証的であることは事実だが、中小企業の存在のあり方ゆえに、あまり意味のないだと再確認した。また、特定の問題にこだわった形で、中小企業論を諸国民経済横断的に展開する必要もないとも言える。
中小企業は、各国民経済に存在し、それぞれの国民経済の環境の独自性ゆえに、独自な存在と機能を国民経済に対して発揮している。この中小企業が発揮している内容の論理を、各国民経済に沿って把握することが、私自身が考える産業発展研究に必要な中小企業研究である。このようなものとして、自身の中小企業研究を改めて確認できた。
参考文献
小宮山琢二、1941年『日本中小工業研究』中央公論社
日本中小企業学会編、2018年『新時代の中小企業経営 −Globalizationと
Localizationのもとで− 日本中小企業学会論集37』同友館
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