2025年7月6日日曜日

7月6日 中国のロシア向け輸出の10%水準の縮小は、何を意味するのか?

 中国のロシア向け輸出の10%水準の縮小は、

何を意味するのか?

Foster, P., Gill Plimmer, A. Bounds and A. Williams, 

How trade tensions are hurting business

FT, FT BIG READ. GLOBAL ECONOMY,5 July 2025,p.8

を読んで

 渡辺幸男

 

 この記事は、米国トランプ政権の政策が、中国からの米国向け輸出を急激に減らしている事実を確認した上で、生産拠点の移動は簡単にできず、まずは米中の輸出入に大きな影響を与えるというということから議論を始めている。その際に示された、中国海関総署(GACC)の中国の20245月から2025年5月にかけての輸出の変化率の図が大変興味深い。図のタイトルは、「中国の輸出は米国向けの急激な縮小にもかかわらず、昨年は4.8%の拡大」(「20245月から20255月にかけての中国輸出の変化」)と言うものである。

中国からの米国向けの輸出が、図によれば、35%ぐらい減少している(本文では米国の中国からの輸入は同期間に43%減少と書かれている)。しかし、平均すると、この間の中国からの輸出全体では、4.8%も増えている。図の中での最大の増加率を示すのはアフリカで、30%以上増えているようである。中国からの最大の輸出先であろう米国市場への輸出が30%以上減少しても、中国全体としては、輸出が5%近く増加している。これ自体、大変興味深い、注目すべきことであろう。ある時期の日本のように最終的には専ら米国市場に依存して輸出を拡大しているのではなく、多様な市場の需要向けに輸出を拡大できているのが、今の中国であると言えそうである。

 

これは、まさにそうなのであろうと思ったが、同時に、私が注目し、大変驚いたのは、図でアメリカの次に掲げられているロシア向けの輸出であり、それが10%くらい減少していることである。中国全体では、同期間の輸出は、4.8%の増加なのである。また、この図には中国の主要な貿易相手の諸地域は、ほぼ全て掲げられているようにみえるが、減少しているのは米国以外ではロシアのみである。他方、平均4.8%の輸出の伸びを下回っているのはラテンアメリカのみとなっており、EU10%以上、カナダはほぼ20%、アフリカは30%以上と大幅に伸びている。それにもかかわらず(と言うべきかどうかわからないが)ロシア向けが、かなりの率で減少しているのである。

ロシアはウクライナへの侵略開始以来、電子製品等の輸入を中国に大きく依存するようになり、中国からの輸出が大きく増加しているはずだし、今も増加傾向が続いている、少なくとも、減少はしていないだろうと私は勝手に想像していた。だが、この統計では、顕著な減少を示している。これは何を意味しているのであろうか。この統計の図に驚きを隠せなかった。

 

この記事そのものは、生産拠点の移動は8~10年間単位の視野で生じるのであり、当面は関税引き上げのマイナス面だけが浮き上がってくるとし、企業家は投資をどうするか決められずにいるといったことを結論的に述べている。

 

しかし、私にとって、米国への投資回帰が長期的にどうなるかより、当面、気になるのは、ロシアへの中国からの輸出が急減していることである。これは何を意味しているのであろうか。ロシア側の変化故なのか、それとも中国側の変化の結果なのであろうか。

今のロシアの工業について、軍需生産へのシフトは一層進んでいることがあろうとも、民需へ多少なりとも回帰しているというようなことは、私には全く考えられない。軍需用製品の部品を含め多くの電子機器や電子部品を、今ロシアが依存できるのは中国生産品、あるいは中国経由の輸入品しかないであろう。ロシアの工業生産自体は拡大しているようであるが、そのために部材の輸入増大も不可欠なのが、現在のロシアだと、私は思っている。また、大量の消費財についても、インドやトルコ等とともに、中国が主要な調達元の1つであろう。それなのに、10%レベルでの減少、これは何なのであろうか。

1つ考えられるのは、米欧の一層の締め付け強化で中国のロシア向け輸出も縮小せざるを得なくなっている、ということであろう。あるいは、ロシアが輸入対価として使っている原油や天然ガスの輸出を拡大できなくなり、輸入のための資金が枯渇しつつあるということであろうか。事実、鉱業生産は縮小しているとも報告されている。

旧ソ連時代から蓄積してきた兵器を消耗しながら、軍需生産を拡大し、対ウクライナ侵略戦争を勝ち抜いていく。しかも、ロシア国民一般の生活水準をできれば高めながら、最低限でもウクライナ本格侵略以前の水準を維持しながら、それを実現する。これがプーチン政権にとっては、ウクライナ侵略戦争を継続していく為の必須条件であろう。そのためには中国からの軍需関連部品や民需品の順調な輸入拡大、少なくとも輸入維持が不可欠だと、私は考えていた。そして、それがロシアの豊富な一次産品、特に原油と天然ガスゆえに可能となっているとも、考えていた。

それが中国からのロシア向け輸出の年約10%の減少である。中国に代わる輸入元が見つかったのであろうか。低価格での巨大な供給力と柔軟な拡大余力を持つ経済は中国以外存在しないであろう。実際、この間、中国からの輸出はEU向けを含め、多くの地域に対し年10%以上で伸びているのである。それなのに、対米を除けば、対ロシア向けだけが10%水準で減少している。中国側からの供給制限があるのだろうか。米欧による対ロシア制裁がいよいよ中国の対ロシア向け輸出にも効いてきたのであろうか。はたまた、ロシアの工業生産力が、電子部品等を含め回復し、中国からの部材等での輸入にあまり依存しないで済むようになってきたとでも言えるのであろうか。中国に代わる供給源がみつかり、それに代替できたのであろうか。そうであれば、どこ?まさかトランプのアメリカではないであろう。いくらなんでも。

どう判断したら良いのであろうか。

 

   なお、ジェトロによれば、以下のような、ロシアにおける鉱工業生産についての数字が報告されている。「ロシア連邦国家統計局は131日、2023年の鉱工業生産は前年比3.5%増と発表した。製造業が同7.5%増と牽引した。その一方で、鉱業は同1.3%減だった。」(ジェトロ、ビジネス短信、調査部欧州課、2024213日)

2025年6月6日金曜日

6月6日 鳥飼将雅著『ロシア政治』を読んで

 鳥飼将雅著

『ロシア政治 プーチン権威主義体制の抑圧と懐柔』

(中公新書、2025) を読んで 渡辺幸男

 

目次

はじめに

第1章      混乱から強権的統治へ —ペレストロイカ以降の歴史—

第2章      大統領・連邦議会・首相 —準大統領制の制度的基盤—

第3章      政党と選挙 —政党制の支配と選挙操作—

第4章      中央地方関係 —広大な多民族国家—

第5章      法執行機関 —独裁を可能にする力の源泉—

第6章      政治と経済 —資源依存の経済と国家—

第7章      市民社会とメディア —市民を体制に取り込む技術—

終章  プーチン権威主義体制を内側から見る

あとがき

 

 本書の著者は、1990年生まれとのこと、私からみたら若い研究者と言える存在である。ロシアの現場を歩き、ロシア政治の現状について、多面的に自分の目で見、そして考えたことが伝わってくる著作と感じられた。さらに、「あとがき」を眺めていたら、著者の大学院の時の指導教授は、1960年生まれの松里公孝東京大学教授で、『ウクライナ動乱 —ソ連解体から露ウ戦争まで』(ちくま新書)を書いた方であった。松里教授のこの本を読み、教えられることが多かったこと、しかしウクライナを含めた旧ソ連の工業についての記述についての不満を、ブログにその感想文として書いたことを思い出した。

 

(以下、本書の全7章のうちの1つの章、第6章の1つの節のみに注目した、我田引水の勝手な感想文であること、このことを、ご承知の上でお読みくだされば幸いです。)

 本書の中でも、ロシアの産業ないし工業について、第6章の「政治と経済」で議論されていた。その章の最後の節で「モノゴロドの延命と政治の論理」ということが議論され、大変興味深かった。本書によれば、モノゴロドというのは旧ソ連時代からの日本風に言えば企業城下町のことであるとのことである。現代のロシアにも多く残っており、日本の企業城下町以上に特定の1つの大企業に依存している町が、ロシアには多いそうである。本書によれば、モノゴロドに分類されるのは、「都市形成企業」が「市内労働人口の25パーセント以上を雇用している、あるいは市の工業生産の50パーセント以上を占めている」(本書、233ページ)都市のことである。また、このモノゴロド全体で2008年にロシアの「40パーセントのGDPを生産している」(本書、233ページ)としている。

 もし、本書での言及の通りであれば、すなわち、2008年時点でも、ロシアでは、旧ソ連時代の工業大企業の企業城下町がそのまま残り、依然としてGDP40%を占めている、ということなる。旧ソ連の崩壊から20年近くがたった時点で、計画経済期に市場競争原理への対応とは無関係に構築された特定大企業に依存した工業都市が、2000年代末においても、依然としてロシアの経済の4割を占めている、ということになる。

 

 私が2000年頃から見てきた中国の工業は、ロシア同様、計画経済時の工業を引き継いでいながら、このような旧ソ連由来のロシアの状況とは、全く異なっていた。計画経済期の工業建設の影響が一番多く残っていると見られる中国東北部の遼寧省瀋陽市でさえ、2000年代半ばに調査で訪問した時、国有の工作機械製造企業も残っていたが、他方で、浙江省の温州人が多数進出し温州協会を設立し、温州人による新規工場立地建設も生じていた。

また、中国の自動車産業について言えば、計画経済期以来の国有大企業群は、外資進出の合弁受け皿としては残存しているが、今の中国で元気に活動している自動車メーカーのうち、中国系企業は、いずれも改革開放後に設立された、民営ないしは地方国有企業である。計画経済期に形成された工業系の国有大企業群は、改革開放以後に設立された新興企業に圧倒され、生き残っていても、かつての寡占的市場占有力を持たない。

また、私が実際に現地調査等を通して見てきた自転車産業では、改革開放期初期には国有の巨大な寡占的大企業が存在し積極的に生産拡大を実現していたのだが、その後それらの企業は新興企業との競争に敗れ、寡占的市場支配力を全く喪失し、計画経済時からのブランドの利用料に依存することによってしか生き残ることができない、劣後した大企業といった存在となっていた。中国の自転車産業の調査を通して、計画経済時の技術力、技術者・熟練技能者等については、その後の工業発展に大きな意味を持っていたことが見てとれたが、計画経済時の国有大企業自体は、その後の市場競争に敗れ、その多くが新興企業に取って代わられていたことがわかった。

 

ロシアの現状、本書で紹介されているモノゴロドに代表されるそれ、それを見る限り、ロシアの場合は、90年代以降の市場経済化の中で、既存工業大企業、特にモノゴロドを形成していた大企業は、国内の新興企業勢力によって解体されることがなかったことになる。その意味するところは、1つは、国内工業の新たな発展を担う新たな新興企業群の地元での形成が弱く、海外からの輸入や海外からの直接投資等による競争にさらされるだけであったこと、これが1つであろう。今一つは、海外企業との競争にさらされる中で、中核企業の消滅や顕著な縮小は、地域社会にとって決定的なダメージとなるがゆえに、大企業のまま温存する努力が維持されてきた、ということになろう。温存するだけの豊かさが、中国とは異なりロシアの場合は豊富な天然資源等から得られたがゆえに、一定程度維持に成功し得たと言えるのではないだろうか。

市場競争による淘汰は、多くの場合、旧来の大企業が新興企業に取って代わられることにより実現する、ということからして、ロシアの状況は、市場競争を通しての自国系国内工業の再生とはほど遠い、多数のモノゴロドの残存という結果となったのであろう。つまり、市場経済化のもとでの工業発展の可能性の実現、先進工業へのキャッチアップ、国際競争力の形成という点で、ロシアは完全に失敗していることを、このモノゴロドの状況は示唆していると言えそうである。

天然資源に恵まれ、計画経済下で国際競争力を持たないがそれなりの「先進工業化」を実現していた旧ソ連そしてロシア、それが市場経済化後、恵まれている天然資源に頼ることができるがゆえに、モノゴロドを維持しながらも国民の生活水準の一定の向上を実現できた。このようにいうこともできよう。しかし、その代償は、長期的にロシア経済を展望する時、極めて大きなものとなろう。

モノゴロドの存在を前提に市場経済の下での本来的な先進工業化を実現できるのであろうか。市場経済的な論理を優先せずに形成された企業城下町群、これが現代の市場経済化したロシア経済の中で発展展望を持ちうるのか、発展展望を持つことは、創造的破壊が実行されない限り、ほぼ不可能であろう。市場経済下での企業活動でも有効な部分を残し、地理的立地の大幅変更を含め、完全な企業そのもの再編成あるいは新規企業への交代を通して、市場経済での競争に対応可能な地域にそれらの企業群を構築することが、何よりも必要である。が、しかし、ジェトロの報告 (1)等からも示唆されるように、モノゴロドの企業あるいはその存立地域を前提に工業活性化を実現しようとする姿勢が、その後も依然として存在するようであり、大幅な地理的工業分布変動を伴った、既存工業人材等を活かした工業活性化は、ほぼ不可能のように思える。

 

ロシアの「非工業化」の進展、これがさらに進行していることが、モノゴロドについての本書での紹介からも、またもや見えてきた、というのが、私の本書を読んでの感想である。豊かな一次資源、国民生活の一定程度の向上を実現できるほどの一次資源の豊富な存在、これは、現プーチン政権のウクライナ侵略のためには欠かせない前提であろう。しかし、それは急速な市場経済化と一体化された時、旧ソ連時代に築いた「先進工業」基盤の解体そのもの、ないしは、その市場経済下での先進化の機会の喪失を意味することになる。

1億4千万人余のロシアの人々が、5分の1以下の人口のオーストラリアの人々のように、豊かな一次産業資源の活用で、安定的な豊かな国民生活を実現できるのであろうか。たとえプーチンが始めたウクライナ侵略戦争で勝利し、クリミア半島やウクライナ東部諸州をロシア領としたとしても、旧ソ連の「先進工業」の市場経済下での先進工業化、それに基づくロシア経済の先進工業に依存する先進経済化への展望は、私には、全く見えてこない。

戦後不況に喘ぐ、先進的工業製品についてはほぼ全面的に中国経済に依存する中国やインドの市場のみを主として対象とする一次産品輸出国、そんなロシアの姿が、ウクライナ侵略戦争の結果如何に関わらず、見えてくる。豊かな一次産品国としての発展機会の喪失の可能性も含め、欧州という豊かな一次産品輸出市場を失うことの代償は極めて大きい。欧州諸国政府の誰が、ロシアの天然資源に依存する経済を再度構築しようと考えるであろうか。少なくとも主要な欧州諸国政府は、ウクライナ侵略の際のロシアの行動を念頭に、一次産品についてのロシア依存を今後は徹底的に避けるであろう。

 

(1) 一瀬友太「「企業城下町」モノゴロドで中小企業ビジネスの起業を支援」(ジェトロhttps://www.jetro.go.jp、地域・分析レポート、201896日、202565日閲覧)

2025年5月29日木曜日

5月28日 初夏、エントランスの花々

 エントランスの花々、
ゼラニウムが賑やかに咲いています。
勝手に生えてきたベコニアにも花がつき始めました。


金魚草も賑やかです。


新緑とゼラニウム、
5月、初夏の賑やかさ。

入り口も賑やか、
ゼラニウム、ベコニア、インパチェンス、サルビア、
冬を無事越した花々が咲き誇っています。

かつてのエントランスと比べ、鉢の数はだいぶ減りました。
花々に、
冬を越させるための私の体力が落ちたことによります。
これからも、できる範囲で花を育て、
それなりに賑やかなエントランスを維持していきたいと
思います。
それなりに賑やかなエントランスを。


2025年5月18日日曜日

5月18日 丸川知雄著『中国の産業政策』を読んで

 丸川知雄著『中国の産業政策 主導権獲得への模索』

(名古屋大学出版会、2025) を読んで考えたこと 渡辺幸男

 

本書の目次

序章  産業政策の定義と類型 

第1章 産業政策の展開

2章 地方政府の産業政策 —5カ年計画のテキスト分析

第3章 移動通信産業 —技術の主導権の獲得

第4章 半導体産業 —企業家国家から投資家国家へ

第5章 自動車産業 —幼稚産業育成の失敗から比較優位の獲得へ

第6章 鉄鋼業 —産業政策によって鉄鋼超大国になったのか

第7章 再生可能エネルギー —製造大国から利用大国へ

第8章 液晶パネル産業 —企業家としての地方政府

第9章 未来産業に産業政策は必要か

 

 この本で議論されていることの中心は、タイトルにあるように「中国の産業政策」である。中国の産業政策について、中国での産業政策それ自体の有効性を議論するとともに、近年中国の産業発展の中で注目されている目次にあるような工業部門のいくつかの産業について、そこでの中央政府の産業政策とその成果、同時に地方政府の政策とその持つ意味が検討されている。

 そして、そこでの議論の何よりの特徴は、中国での近年の工業諸部門の急激な発展が、中央政府の産業政策の成果そのものであるとは言えない、ということであろう。成果と言えないどころか、中央政府の産業政策の意図が全く実現されずに、それにもかかわらず、中央政府が意図した産業発展の担い手ではない担い手により急激な産業発展が実現し、意図された形とは大きく異なる形で、産業それ自体は大いに発展した業種がいくつも存在するという事実の確認にあるともいえよう。

 例えば、鉄鋼業では、計画経済以来の中央政府国有大企業としての鉄鋼諸企業を中心として産業発展が、中央政府による政策では企図されていた。が、しかし、実際にはより専門化した相対的に規模の小さなそれ以外の新興鉄鋼企業がより一層発展し、それらの企業が鉄鋼業に占める比率が、極めて高くなった事実を示している。産業政策の意図とは異なる形での発展が実現し、結果として国際的な貿易摩擦をも生み出していることを確認している。

 その中でも最たるものは、自動車産業であろう。先進工業国の外資と既存国有大企業との合弁を、先進工業国の自動車メーカーに中国市場進出の条件とすることで、政策的に中央政府国有大企業主導の産業発展を期したのが中央政府であった。が、結果は、旧来の国有大企業の「地主」化が進行し、収益をあげ経営を継続し得たが、世界最大化した国内市場の存在にもかかわらず、国内自動車産業の主要な担い手とはならなかった。既存国有大企業が主導するのではなく、合弁相手の外資系企業が主導する自動車産業となった。しかし、他方で民営や地方国有の新興企業が進出し、それらが旧来の国有企業が実現できなかった自立的中国系自動車メーカー層の形成を実現した。その上で、自動車のEV化の進行を契機に、さらに異なる分野からの参入や新規創業が輩出し、その中からグローバルな競争力を持つEVメーカーやEV用電池メーカーが形成された。

 中央政府の意図とは全く異なる形でだが、最も巨大な産業で、自国系である中国企業の、世界最大市場である中国市場制覇が実現し、そして世界市場制覇の可能性が生まれたのである。

 以上の点、各産業での分析は、産業政策を軸としながらも、各産業それ自体の産業発展をも紹介し、その中での産業政策のもった意味、あるいは持たなかった状況を紹介している。それ自体として、上で鉄鋼業について簡単に触れたように、中国で急激に発展した現代的な工業の各産業について、大変興味深い政策がらみでの発展経過の内容が紹介されている。

 

 ただし、本書の特徴は、産業政策がらみでの産業発展を議論することに主眼があるためか、各産業の発展経過の概略についてはきちんと紹介されているが、各産業それ自体が何故発展できたのか、その論理そのものの追究は不十分なように思える。例えば、各産業で民間起業家が輩出し、その中からグローバル企業の担い手となる企業群の形成を紹介しているが、その民間起業家層それ自体の中国社会での形成輩出についての議論はほとんどないように見える。すなわち、中央政府の主たる政策対象となった旧来型の中央政府国有企業以外の新興企業について、それ自体の層としての形成や、その発展の経過そして激しい競争の展開状況や、そしてその中での多くの新興企業の退出と少数の企業のグローバル企業化といったことの背景についての議論はほとんど見えない。

 また、新規形成産業での主要市場となった中国国内市場の特性についての議論、それが(潜在的に)巨大な市場でありながら、中国の新興企業にとって、最も活躍しやすい市場となり、外資系の企業や、旧来の国有企業が既存企業として大きな意味を持つ市場ではないこと等が生じた所以についての分析等もほとんど見られない。

 新興の企業、中央政府国有大企業でない企業が、主導できるような巨大市場が一挙に形成されたのが、中国の本書で取り上げているような諸産業分野であるにもかかわらず、である。

 

 何故、改革開放後の中国において、新規創業が多様な分野で極めて多数生じ、その中から少数のグローバルな市場での競争を担い得るような先端企業が、いくつも生まれたのであろうか。逆に言えば、極めて多数の企業が競争に敗れ、市場から退出した中で、少数の新興企業が先進化し巨大化し得たのはなぜか、ということになろう。このような疑問が、改めて浮かんできた。

 

 私自身は、中国の諸産業の展開については、中国自転車産業の事例についてのみ、それなりに聞き取り調査を含め、実態調査を行い、その発展展開の論理を追究したが、そのような産業別の実態調査は、ほぼ自転車産業にとどまり、現在の先端的工業分野での中国企業の生き残りと成長の論理を調査することはできていない。丸川氏をはじめとする方々、多様かつ多数の現場を見続けており、それに基づき議論する方達に、この点について、ぜひ、お聞きしたいところである。

 

 キャッチアップをある程度完了したところで、国内での寡占的市場支配を実現し、結果として、その後の世界市場での優位性形成と維持の困難な産業分野が多くなったのが、日本の巨大企業群と言えるであろう。それに対して、中国の企業群、華為やBYDはどうなるのであろうか。また、鉄鋼業や造船業の中国系企業群による世界市場支配は、今後、どう展開していくのであろうか。世界一の巨大国内市場を背景にしているだけに、今後の展開は、他には見られない独自なものとなることだけは言えそうである。

 この点では、ある時点から米国市場への依存が急拡大した日本の工業系の巨大企業とは、かなり異なる環境にあると言えるであろう。

 

 いずれにしても、産業発展を考えるとき、既存の企業を優先し、それらの中の主力的な企業を抜き出し、その企業を専ら活用し、担い手として先進工業へのキャッチアップを実現しようとする政策、これをも産業政策の1つのタイプとするならば、そのようなタイプの政策が成功することは、大変稀有であろうということである。この点を中国の事例もまた明らかにしているというのが、この本の示していることの1つであろう。

 (私には、今、日本の政府により行われている液晶パネル企業の支援等、特定分野の少数特定企業を選択しての支援が、まさにそのような事例に見えてならないのだが)

 

 この本で取り上げている産業で、中国の経済計画時から産業としてそれなりに存在し、国有大企業がいくつか存在した自動車産業と鉄鋼業、その双方で、既存中央政府国有大企業は、産業政策での主要支援育成対象となりながら、その期待に応えられず、改革開放後の中国経済、工業の発展の中核的発展部分となり得なかった。そこでの主役は、新興民営企業であり、新興地方国有企業であった。しかも、それらの企業は、巨大化した企業そのものは少数だが、当初の参入企業は大変多く存在し、激しい競争の結果として、多くの企業は脱落し、生き残って成長した少数企業が巨大化し産業の主役となったと思われる。

 

 現代資本主義も資本主義であり、そのダイナミズムにとっての必要条件は、多くの企業による市場での激しい競争であるということなのではないか。激しい市場競争に揉まれ、その中で生き残れた企業こそが、次世代の産業発展の担い手となりうる、この資本主義市場経済の原理は、現代中国経済にも貫徹していることを示唆しているのが本書と言えるのではないかと、私には思えてならない。ただ、この点は、丸川氏の議論の向こう側に透けて見えてきていることであり、本書で、正面から議論されていることではない。

(以上を、2025517日午後開催の『中国の産業政策』合評会の前までに書いた)

 

517日午後の合評会での議論を聞いて

 丸川氏の報告は30分、各討論者のコメント等は各10分で五人、そして丸川氏の回答、若干のフロアからの質問と丸川氏の回答、これが今回の合評会の内容であった。討論者を多様な研究者が担当し、興味深く思われたが、何せ、割り当てられた時間が短く、質疑応答の予定討論者との双方向での直接的なやりとりもなく、しかも、最近議論慣れしなくなった私には、コメントとそれへの回答についてよく理解できなった部分も多かった。議論についての理解は不十分であったが、いずれにしても、上記に書いた私の理解を、大きく変えるような議論はなかったように感じられた。

 特に、新興企業が地方政府の資金的支援を活用し、急激に成長した事例が紹介されたが、どのような数の企業が参入し、多様な地方政府の支援を受け、そのうち、どのくらいの数の企業がどのような理由で生き残り、巨大企業まで成長できたかの議論は無く、この点は未だ不明のままだった。この点、時間的に多少なりとも余裕のある合評会であれば、リモートの参加者としてだが、質疑に参加したかったところであった。しかし、何せ、色々な意味で余裕のない合評会であったので、諦めた。

紹介された地方政府の出資等を生かし、成長した企業の事例(例えば、液晶パネルメーカー、恵科への多様な地方政府による助成の事例等)の紹介は、大変興味深かったが。そこでも、何故、そこまで大胆に県級市レベルの地方政府が資金を提供できるのか、それについての突っ込んだ議論は無く、特に失敗した場合、どうなるのか、についての議論等もなかったように思えた。

2025年4月29日火曜日

4月29日 FT ‘Can China rescue Europe’s carmakers?’を読んで

FT BIG READ. ELECTRIC VEHICLES

Can China rescue Europe’s carmakers?’ 

By K. Inagaki, E. White and P. Nilsson, FT, 16 April 2025, p.15 

を読んで考えたこと 渡辺幸男

 

 1970年代から日本の乗用車産業のキャッチアップとそこでの下請中小企業の意味と位置や、そして2000年から中国での産業発展をも追いかけてきた私にとって、このFTの記事は極めて衝撃的である。タイトルそのものが、「中国は欧州のカーメーカーたちを救うことができるか?」と度肝を抜くようなものとなっているだけではない。タイトルの上の記事の要約として、「顕著な役割の逆転のなかで、中国の技術がworld-leadingであるといえるバッテリーやソフトウェアのような領域で、EUはその優れた技術の見返りに市場へのアクセスを提供しつつある」と書かれている。

 この記事の本文の中に明確に述べられているのであるが、乗用車産業における中国と欧州との関係は、この40年間で大逆転したとし、その契機が乗用車のEV化開発での両者の差異で、そこで逆転が生じたとしている。

  そして、欧州のメーカーの中国のそれに対する、決定的な技術的遅れは、EVのソフトウェアとバッテリー技術とにあるとしている。また、中国の市場は国内企業間での競争が極めて激しく、成功した企業は、起業家によって作り出されているという発言を、肯定的に引用している。

 

 上記の記事の議論で特記されていない点で気になるのは、中国市場の持つ大きさである。実際、記事に付記されている世界の地域別EVの販売台数でみると、2024年には、世界全体で17百万台くらいの中、中国市場だけで1千万台余となっている。このうちの台数ベースでの圧倒的部分が中国系EVメーカーの生産したものとなろう。そこでの新興企業の激しい競争、テスラを含めたそれが生じており、その中で生き残ったメーカーがBYD等ということになり、またそこに多く使われているバッテリーがBYD製やCATL製等であるということであろう。

今一つ注目すべきことが、これらの企業は、いずれも新興企業であるということである。40年ほど前までに欧米の乗用車メーカーと提携し、合弁企業を作った既存の自動車メーカーであった国有大企業の上海汽車や第一汽車等ではなく、まったくの新興企業である。BYDはバッテリーメ―カーとしては1995年創業でEVには2000年代に参入、CATL1999年創業、いずれも米欧日韓の乗用車メーカとの合弁企業が中国市場を席巻した時代の中で生まれた、新興企業そのものである。計画経済時代の歴史を引き継ぐ改革開放下で外資進出の受け皿となった既存の主要巨大国有企業とは関係のない企業であると言える。中国市場の改革開放下で合弁の受け皿となった旧来からの自動車メーカーとしての国有大企業の名は、この記事には全く見えてこない。

 

私が研究者を始めた頃の日本の乗用車メーカーは、戦前からの蓄積を踏まえ、多くのメーカーが欧州の先行した乗用車メーカーと提携し、それら企業の乗用車のライセンス生産を行い、先端乗用車生産の技術を学ぶ状況をようやく脱し、自立化したところであった。巷には、まだ、日産オースチン、日野ルノー、いすゞヒルマンという、かつてのライセンス生産車の名残が存在していた。そして1980年代、日系の乗用車メーカーは、米国向け輸出を本格化し、日米貿易摩擦を引き起こした。

 

また中国乗用車産業の本格的形成は、さらにそれより大きく遅れた。1980年代末からの中国の改革開放後、フォルクスワーゲンを筆頭に、欧州、米国そして日韓の乗用車メーカーが相次いで、巨大化が見通されていた中国市場に直接投資をした。それは、中国政府の政策により中国既存国有企業群と合弁企業という形を取らざるをえず、その形で現地直接投資をし、成長する中国市場を2000年代までリードしていた。中国政府が期待した計画経済時の伝統を引き継ぎ合弁に参加した国有大企業群からは、全くと言っていいほど、自立化した乗用車メーカーは生まれず、それらの国有企業は外資への「貸家」業を展開し、大家としての「店賃」で満足するような状況であったといえる。

他方で、吉利等の新興民営企業、そして新興地方国有企業の中国系企業の参入はあったが、欧米日韓系の現地合弁企業に拮抗するような市場競争力を持つ中国系企業は、内燃機関使用の自動車産業では、ついに生まれなかった。この状況を大きく変えたのが、EV化の進展である。中国市場でのEV化では、中国政府が自動車産業のEV化を契機に外資系企業の市場支配を脱することを目指したことから、その政策の後押しもあり、現地系民営企業が多数新生し、既存企業をも巻き込んだ激しい生き残り競争を生じせしめ、その中から技術的高度化を実現する企業も生まれた。その中のいくつかの企業が急発展し、テスラと並んでEVメーカーとして技術的にも世界市場の先頭を走る企業群が生まれた。その代表が新興EVメーカーのBYDであり、この分野の主要部品である蓄電池のメーカー、CATLということになる。

40年の年月の経過の中で、欧州系乗用車企業と中国系乗用車企業との位置、立場が逆転し、ファルクスワーゲンを筆頭とした欧州企業の40年前における中国市場への進出と同様な現象が、今や、中国系企業の欧州市場への進出として生じている。欧州の現地企業との合弁で中国企業の直接投資を受け入れ、現地企業の残存再発展を図るという、40年前に生じたことを想起させ、しかも、それが全く逆方向で生じているということを紹介しているのが、この記事ということになる。

 

 ここで注目すべきは、まずは、巨大な国内市場の存在と、多様な企業群の活発な参入、その結果として激しい生き残り競争の存在ということになろう。ただし、巨大な市場が形成されても、もし、外資との合弁で高い収益を得ている旧来の国有企業のみが参入可能な市場であれば、このような欧中の逆転現象は起きなかったということも、この記事での注目点である。巨大な既存の国有企業という存在がありながら、多様な新興企業の参入を許容し、かつ、それをも自国系企業の産業発展の中に組み込んでいく国家政策の存在も注目すべきであろう。「多様な新興企業の参入」と「それを許容する国家産業政策」の双方に注目すべきであろう。

 政策上の決定的な特徴は、かつての欧州で見られたような、戦略的な重要分野での既存の特定企業の選定とそれへの集中的支援による、自国系企業の世界市場での生き残り発展を実現する、という政策ではないということである。自国の巨大市場を前提に、そこでの参入新興企業間での激しい競争を、結果的とも言えそうではあるのだが、許容することで、イノベーションを担う多様な新興企業群の形成を実現し、それが新たな巨大新産業企業群となり、それらの中国系新興企業がグローバル市場をリードする存在となった。このように見ることができよう。

 

 多分に結果的に、以上のようになったと、中国の産業政策を見ることができよう。先にも指摘したように、1980年代末の改革開放期の中国は、潜在的な巨大市場としての自国乗用車市場に外資系企業の直接投資を呼び込んだ。その際、自国系の自動車産業企業を発展させるための担い手としては、もっぱら既存の巨大国有自動車産業企業を想定していたといえる。しかし、この目論見は、見事に失敗し、直接投資の合弁の受け皿となった既存巨大国有企業は、巨額な「店賃」に満足する「大家」となってしまった。

欧州各国にみられたような、チャンピオン企業1・2社を選抜し育成するような、ごく少数大企業に絞った産業政策ではなかったが、既存巨大国有企業群も次世代をリードする国内企業へとは転身できなかったのである。乗用車市場の世界最大化と言える巨大市場化が実現したにもかかわらず、既存の巨大国有企業はその市場のチャンピオンとはなれなかった。この点は、注目すべき点であろう。内燃機関の自動車産業では、中国国内企業でも、吉利のように民営企業として激しい競争の中から生き抜き成長した新興の民営大企業や地方国有大企業がいくつか形成されたが、本格的にグローバル化できるような存在とはなれなかった。

既存の世界市場での企業間競争において、一度自国内市場を外資系企業に占拠されてしまうと、そこからグローバル企業として自生的に発展する企業が形成されるということは、たとえ急速に拡大し、超巨大市場になった改革開放後の中国市場でも難しいことであったのであろう。それに対して、EVは、用途としては既存の乗用車と同様であるが、技術体系が根本的に異なる耐久消費財である。そのEVの市場を巡り、激しく開発競争する企業が存立する場として、巨大な中国市場は、参入する企業の多さと多様さ、またそれらを支援する政策主体の中央政府のみではなく地方政府も加えた多様さ、さらに一挙に巨大化する可能性のある市場の存在、それが激しい参入、開発競争をひきおこし、独自なグローバルにみても先行する新興企業群を生み出したといえよう。

 

ここまで大胆に結論づけて良いのか、私自身として、実は迷うところでもある。しかし、今の中国を見ていると、巨大な新市場の形成と、そこへの自由な参入企業の大量存在、その前提としての参入を許す環境ないしは参入を許容する環境、また、それらの参入企業群を支援する多様な主体の存在、このようなことが、極めて重要な要素となっていることが見えてくる。現代資本主義的市場経済のもつ、依然としての発展可能性を示すものと、中国でのEV産業の進展、そして中国企業の中からのトップランナー企業の形成から、言えるかもしれない。 

2025年4月26日土曜日

4月26日 エントランス、花盛り

エントランス、

ゼラニウム、ノースポール、サルビア 、

元気に咲き誇っています。


鉄線も咲き始めました。


ホットリップスも、


そして、金魚草、
とにかく、賑やかなエントランスです。

春です。
今年も花の春です。


2025年3月24日月曜日

3月24日〜30日 春、花盛りへ

 春本番

我が家の庭とエントランスに、

本格的な春がやってきました。

庭のボケが賑やかに。


庭の水仙もほぼ満開。


エントランス
テラスの中で冬を越し、咲き始めていた
ゼラニウム、サルビアを加え
西洋桜草、咲き始めたノースポール、
そしてクリスマスローズ、


賑やかなエントランスです。


クリスマスローズの花も
一段と背が高くなり、
花盛りそのものです。


そして門、
西洋桜草が賑やかに咲き、
ゼラニウム、クリスマスローズ、そしてノースポール、
いよいよ、
春の花の季節の本格化。
出遅れ気味の花を含め、
春の花々が咲き揃ってきました。



廊下で冬をやり過ごしていた君子蘭、
こちらも花を開き始めました。


3月27日
廊下の君子蘭の花盛りに


3月30日
我が家の山桜も見頃です。
本葉が生え始めたくらいの苗から育てて40年余。
立派な山桜になりました。



我が家の今年の花の春です

2025年2月28日金曜日

2月28日 賑やかなクリスマスローズ

クリスマスローズ、本格的に開き始めました。


 
買った時のものは、上の白色一鉢だったのですが、
種が溢れ、紫色のものも。


白色のクリスマスローズの鉢は、
かなりの数増え、
それぞれ花をつけています。

クリスマスローズ以外の鉢植え、
エントランスで咲き始めているのは、
西洋桜草。
例年に比べ、数は減りましたが、
元気に花をつけ始めました。


昨年は夏が暑く、冬がなかなか始まらず、
また、今年に入って、
二宮でも、氷点下の日が何日か続き、
寒さが厳しい日も多く、
クリスマスローズや西洋桜草の開花も
遅れているように感じました。
ここへ来ての寒波襲来の際には、
軒下に避難させていました。
が、
いよいよ本格的な春です。
予報では、3月初旬に、
まだ0度前後の日があるようなのですが。
待ちきれません。

2025年2月16日日曜日

2月16日 中小企業研究センター編『エフェクチュエーション・アプローチによる地場産業の新たな担い手創造に関する調査研究』を読んで

 公益社団法人 中小企業研究センター編

エフェクチュエーション・アプローチによる地場産業の新たな担い手創造に関する調査研究〜若者・女性・外国人の地場産業への参入・企業の可能性』

      (調査研究報告No.138、令和612月、同所)     

                                               を読んで  渡辺幸男

 

 本報告書は、私がかつて実態調査を行う際、2000年前後に大変お世話になった中小企業センターによる、最新かつ本格的な実態調査研究の報告書である。その上、当時、私とともに中小企業センターの調査に参加した当時の若手研究者が複数参加している調査研究報告書でもあり、大変興味深く感じ、勝手な形で読み進んだ。そこからの、中間的な感想を、結論部分の章にもっぱら焦点を当て、書いたものが以下の文章である。

 

本報告書の目次

第1章      調査研究の目的と方法              (山本篤民氏担当

 

第2章      地場産業産地の動向と人材育成          (遠山恭司氏担当

 

第3章      地場産業の産地における新たな人材の参入とスクールの役割

(吉原元子氏担当

第4章      スクールの修了生における起業活動とエフェクチュエーション

(長谷川英伸氏担当

第5章      地場産業の新たな担い手創造と産地の振興     (山本篤民氏担当

  (以上、99ページまで)

 

事例編 (103ページから188ページ)

 

本報告書は、全体として、地場産業の新たな担い手として、地場産業地域における後継者育成機関等が、地域外の人々の当該産業についての技能習熟の場となり、そのような技能を学ぶ人から起業する担い手が生まれていることに注目し、「地場産業の新たな担い手創造」につながる可能性を、実態調査を通して明らかにしようとしている。その結論部分が、第5章である。

私は、本報告書をはじめから読み始めたが、何を結論として述べているのか気になりはじめ、途中から第5章を先に読むこととした。その結果、第5章を読んで、その後、他の章にも目を通し、以下に述べるようなことを感じた。

 

 そこで明らかにされていることは、まずは、既存の地場産業に関心を持ち、産地に設置されたスクールに、域外から来て通うようになった人が多く存在していること、それらの人々が技能習熟し、尚且つ起業することも生じていることを確認していることである。その上で、そのような経路で開業した企業家には、「既存の産地企業」と異なり、産地問屋等を通さず、独自な販路を開拓している起業・企業家が多いことを明らかにしている。その生産の性格は、手工業的製品や工芸的製品の少量生産が多い、ということも確認している。

 ここから、産地のスクールを通して、当該産地が保有していた製品をより工芸的な少量生産品として再生していく志向を持った起業家の形成を確認している。産地の伝統的な製品を踏まえ、その技術を継承しながらも、市場を変え、非量産的な工芸的性格の強い製品作りに向かっての新たな開業が、スクールを通して生じているということである。

 その上で、著者たちは、これらの人々に、産地産業集積の新たな担い手の創造、そして、さらには産地の再生産の可能性をも見出しているようにも見える。あえて言えば、縮小再生産であろうと、既存産業集積の再生産が、既存の完結した産業集積として可能であるかのように述べているようにも見える。それは本当であろうか。これが、まず私が感じた正直な感想である。

 

 このようなスクールを通しての開業が、産業集積の新たな担い手の形成であることは、私も理解するが、これらの新たな担い手が、既存の「産地の産業集積」の(たとえ縮小再生産に近いものであろうと)再生産を可能とするような、新たな担い手の層だと言えるかについては、私には疑問に思えた。

その第一が、多くの産地の産業集積は、産地が主力とする完成品生産の中小企業群からなっている企業だけの集積ではないということである。当然のことながら、産地内は部品や工程等での細かな社会的分業が形成され、それらの社会的分業の担い手の相互の繋がりの中で再生産しているのである。

本報告書で注目されているのは、そのような社会的分業の担い手の存在を前提にした上で、手工業的な少量生産に特化した工芸的な生産者群の新たな形成であると思われる。そのような人々が形成されていること、しかもある程度の層として形成されていること、それ自体は調査結果そのものであり、その通りなのであろうと、私にも理解できる。しかし、その人々が、その生産を行う上で、旧来の産地内の社会的分業にどの程度依存しているのか、この点がよくわからない。これがわからないことで、新たな質の企業家層の形成、スクール卒業の外部からの人材の企業の持つ意味を、産地型の産業集積の今後を考える上で、どう見るかが変わってくることになる。

新たなタイプの起業家層の質と量の2つの問題なってくるであろう。質として検討すべきは、工芸的少量生産者として起業することで、旧来の社会的分業に依存せず、川上から川下まで、主要な行程を内製化する可能性である。芸術的な製品を単品生産する工芸作家の多くは、工程の外注をせずに内製化している、といった事例を仄聞している。

もう1つは、少量生産のスクール出身の起業家群が、どれほどの大きさの外注を行うかと言う量的な問題である。量産的な生産について産地問屋を通してこれまでの中小企業が受注していた場合、当然のことながら、それに応じて少量生産の場合に比したならば、一企業あたりで見て比較にならない量の外注を実行していたと言える。それに相応するような外注量を実現できる分厚い工芸的少量生産企業家層を形成することが可能なのであろうか。残念ながら、この調査報告書を通しては、そのような極めて多数な小規模企業家層の形成を示唆するような状況の紹介はない。あくまでもそれなりの数のスクール卒業者の少量生産者としての開業が確認されているだけである。

そうだとすると、産地産業集積としては、スクール出身の小企業層の形成は、その再生産のために、存在しないよりはマシだが、それが中心となることで産地産業集積としての社会的分業関係を含めた再生産が可能となるとは言えそうにもないことになる。

もしそうであるならば、工芸的な小企業が起業する場としては、旧来の産業集積は機能することができるが、産業集積そのものの再生産、その社会的分業を含めた再生産を保証するものとは、到底言えそうにないことになる。

 

私が2000年代初頭に調査した産業集積にすでに垣間見られたように、既存の産業集積それ自体は、単独の産業集積として(たとえ、縮小再生産であろうと)再生産していく展望は、スクール出身の新たなタイプの小起業家が簇生したとしても、本格的なものとして開けない、ということになるのではないか。

 本章のタイトルは、「地場産業の新たな担い手創造と産地の振興」である。「新たな担い手創造」それ自体は、本調査から十分言えると思うが、それが「産地の振興」、少なくとも産地内社会的分業の(たとえ、縮小再生産であろうと)再生産を可能とする規模で生じるのかは、本報告書の調査範囲内では、見えてこないといえよう。私の勝手な想像だが、この新たな担い手の性格からして、既存の産地内基盤産業企業にとっての重要な需要家群となることは、質量両面から、ほぼ不可能ではないかと推測される。どうであろうか。

 

 本報告書で扱っている新規創業者群が、それぞれなりに関連産業の存在を必要としているであろうことは、量的な大きさを別とすれば、十分私にも想像できるし、理解できる。そうであれば、ネット通信環境や宅配便等の物流環境が、大きく進展している状況を踏まえるとき、なぜ、旧来の産業集積ごとの完結した社会的分業構造にこだわっているように見えるような、産業集積単位でのみ物事を考えているように思われるような叙述をおこなっているのであろうか。もっと真正面から、旧来の産業集積を越えた社会的分業を利用した、工芸的新規開業企業を紹介するなりして、産業ごとの広域的な、あるいは産業をも越えた広域的な社会的分業の中で、新たな起業家が、各地のスクール等を通しても、形成されている、という形で述べないのであろうか。なぜ、ここまで旧来の産業集積単位の議論にこだわるのであろうか。それとも、このような認識の仕方には、私が理解していない、実態的な根拠が存在するのであろうか。

実際に、スクールの卒業生の中には、かなりの数、スクール立地の産業集積地域内で開業立地するのではなく、地域外で同業種系の職種に就業する例が、本調査報告書の事例の中でも、豊岡のかばん産地の例などで紹介されていた。

 実態から見ても、すでに2000年ごろでも、既存産業集積いわゆる産地産業あるいは地場産業を越えた取引関係、社会的分業関係に依存する、旧集積内中小企業が、多く形成されていたことは見えていた。また、近年もそのような事例は、執筆者諸氏自身が積極的に評価しているかどうかは別とすれば、本報告書の執筆者達を含め、多くの産業集積研究者による実態調査報告からも垣間見られている、と私には思えるのだが。どうであろうか。

 

 今ひとつ気になるのは、事例産業集積が、機械金属工業関連の産地、産業集積を対象としていないように見えることの意味である。産地型の産業集積の中で、機械金属工業に属すような集積も、これまで数多く存在していた。そのような集積の事例は、本報告書では、全くと言って良いくらい事例として取り上げられていない。なぜなのであろうか。1つ考えられることはスクールとして取り上げる対象として、その技能があまりにも多様であるという、機械金属工業の特徴があるのかもしれない。あるいは、1990年代にすでに広域的な分業形成に巻き込まれ、産地として完結した構造がほぼ完全に解体していることによるのかもしれない。

 何れにしても、産地型の産業集積として、本報告書で取り上げた事例の性格を、地場産業としても一定の業種に偏って取り上げていること、そしてその理由を明確に示しておくこと、これらが欠けており、これらに言及することが調査報告書としては必要なことであったのではないかと思われる。

 具体的に事例を述べれば、私が調査した経験を持つ燕の金属洋食器や、あるいは川口や岩手の鋳物産地といった事例である。機械金属系の産地型産業集積は、本報告書で取り上げられているような繊維や雑貨関連の産地型産業集積とは、大きく異なった展開を示しており、それらの展開をも念頭においた上で、スクールと既存産地型産業集積の再生産の議論を展開する必要があったのではないだろうか。このような疑問を感じた。

 

 いずれにしても、本報告書は、地場産業集積の今を、スクールからの卒業生に焦点を当てることで、これまでの視角からの研究とは異なる可能性を、国内地場産業とそれについての研究に関して見出している、あるいは見出そうという努力をしている研究の成果であると言える。

 

すでに自ら実態調査を行うことを完全にやめた元実態調査研究者、否、元研究者にとっては、眩しく感じられるような実態研究とその成果である。それゆえにこそ、あえて勝手な注文を行ったといえる。せっかくの実態調査の成果を、より豊かに活用していただきたい、というまさに「老婆心」からといえる。

 近年個別経営の可能性を追求するような研究が、ともすると中小企業研究には多くなっている。私としては、本報告書のように、とりあえず個別中小企業の経営戦略がらみの議論から離れ、中小企業の置かれた産業実態を解明し、その意味を追求する研究を渇望している。その意味で、大変興味深く感じた報告書であり、あえて勝手な意見を、展開し、それを自らのブログに掲載した次第である。