2024年12月21日土曜日

12月21日 中国からの世界市場制覇企業の登場をどう見るべきか

 中国からの世界市場制覇企業の登場 をどう見るべきか

大塚靖明「経済➕」「経済安保 揺さぶる中国 下」

(朝日新聞、20241221日、朝刊、13版、6ページ)を読んで


渡辺幸男

 

 中国新興企業の発展を考える上で、興味深い記事を朝日新聞で見つけた。「経済➕」「経済安保 揺さぶる中国 下」「「部品大国」価格も品質も追随許さず」、という見出しの記事である。編集委員の大塚靖明という方の署名入りの記事である。

 そこで書かれていることは、中国ドローン・メーカーのDJIの世界ドローン市場制覇に関する紹介である。DJIをまずは「世界市場で7割のシェア」を占め、「ホビー用から」「高級機種まで」取り揃えていると紹介している。ドローンはカメラやGPSあるいはスマホ等に内蔵される部品を寄せ集め「プロペラで飛ばす」もので、それをDJIがやったとしている。DJIの拠点である深圳で豊富な多様な部品の寄せ集め、安く作り、量産に成功し、品質も向上させ、他の追随を許さない存在とも紹介している。そのために、DJIは今ではスウェーデンや日本に研究開発拠点をもうけているようである。

 結果、日本での政府による国産メーカー育成努力により、ドローン生産分野の新規企業参入も行われているが、価格のみならず品質面でも「現時点では彼我の差は大きい」という経産省のぼやきも紹介している。そして、結論として、「世界が中国に生産を移転してきた帰結と言える。ひとたび先行されると、もはや追いつくのは難しい」と締めくくっている。

 

 これを読んで、まず疑問に思ったことは、拡大するドローン産業で先頭を行くのが、中国企業群ではなく、何故中国の1メーカーであるDJIなのか、という点である。

この記事は、DJIが生まれた背景は、深圳の部品産業集積としている。そうならば、もっと多数の中国系メーカーがドローン産業をめぐって存立しても、ちっともおかしくない、ということになる。しかし、実態は中国のメーカー群ではなく、中国の2006年創業のDJIという企業1社が世界シェアの7割を占めているのである。DJIは中国企業間の激しい競争をも生き抜いたドローン市場における覇者であり、新分野に群がる中国企業一般ではない。

DJIによる世界市場制覇にとって、中国の環境は必要条件であっても、十分条件ではないのである。現状での中国内外での積極的な研究開発投資に見られるように、DJIの持つ技術革新への志向とその方向性等が、中国内他企業との差別化をも成功させ、中国企業間での競争の覇者としてのDJIを生んだといえよう。だからこそ、深圳の部品産業基盤をたとえ活用できたとしても、他の中国内(外)の企業が、DJIとのドローン開発競争に伍していくことができなかったのであろう。このように考えられる。

さらに、ここで全く言及がないのが、2006年創業のDJIにとっての最初の市場についての議論である。私自身、DJIについて調べていないので、全くの推測になるが、民需用ドローンの市場としての中国市場の大きさの持つ意味、DJIが発展し得た当初の主要市場としての中国国内市場の意味が言及されていない。形成当初のDJIにとって、中国国内市場の巨大さは、中国国内他企業との競争に勝ち量産を達成し、圧倒的な価格面での優位を実現するためには、決定的な意味を持ったであろう、と想像している。結果としての量産ゆえの価格競争力、そして独自技術の開発の双方で、中国内(外)のドローンメーカーに対し、基本的な部品の利用可能性の共有にもかかわらず、DJIがグローバル市場の覇者となったと言える。

さらに、覇者になったのちでも、世界に研究網を張り巡らし、ドローンメーカーとしての差別化努力を続けている。その結果が、現状での世界シェア7割という結果を産んでいるのであろう。このような意味で、見出しの「「部品大国」価格も品質も追随許さず」というのは、一面的という意味でミスリーディングといえよう。繰り返すが、「部品大国」を利用できるのは、中国内(外)の企業共通であり、特に深圳の他の企業であれば尚更である。DJIに限られたことではないはずである。その中で、なぜDJIという1社に集中することになったのか、この点も議論する視点も不可欠であるといえるが、このことは「部品大国」という中国の状況それ自体から全く出てこない。

繰り返すが、覇者になった中国企業にとって、巨大(化しうる)市場の中国という自国市場での激しい競争、特に同じ条件にある自国企業間の激しい競争の中での差別化努力、その結果としての競争相手の駆逐排除、これが極めて重要なのである。だからこそ、生き残った覇者としての中国企業の多くは、国際市場へ進出し、さらには海外直接投資を先進工業国に対しても行い、その存立を拡大していくことが可能となっていると見ることができる。かつての日本の乗用車産業におけるトヨタ自動車がそうであったように。

 

2024年11月17日日曜日

11月17日 久しぶりのエントランスの花々

 久しぶりにエントランスの花の写真を、
アップすることにしました。
今年の夏、
極めて暑く、
いつもなら咲いているはずのゼラニウム等が傷んでしまい、
蕾がつくどころではなくなりました。
そんな中、唯一、賑やかに咲き始めたのが、インパチェンス、
こぼれ種から多くの芽が出、
賑やかに咲き始めました。

多少花芽がついたサルビアと合わせ、
エントランスの門の前に並べてみました。
可憐なインパチェンスの花も、量を集めることで、
華やかさを演出してくれます。
これに、ゼラニウムが咲いてくれたら・・・
いつもの賑やかさが戻るのですが。
これから、いよいよ冬、
西洋桜草とノースポールの苗を育て始め、
そしていつものクリスマスローズの鉢が元気に育っていますが、
霜が降りる季節までに咲くかどうか・・・。

追加
一晩経ち、苗などをアップしたくなりました。
まずは、西洋サクラソウの苗、
いくつか、数える程ですが、
まともに育ってきています。
夏の暑さが長引き、発芽は遅く、
まだ苗そのものですが。


下の写真はノースポール、
こんな鉢をいくつか作ることができました。
先は長いですが。


こちらは、クリスマスローズの鉢。
無事、夏を越しました。
奥のインパチェンスの鉢が賑やかですが、
クリスマスローズの葉の緑も、それなりに賑やか。
これからが楽しみなところです。

2024年11月1日金曜日

11月1日 中国市場での「熾烈な過当な国内競争」は、「疲弊をもたらす」「過当」さか?

 中国市場での「熾烈な過当な国内競争」は、「疲弊をもたらす」「過当」さか?

鈴木友里子「次は水素 「中国式」は持続可能か」

(朝日新聞、20241031日朝刊、p.7

を読んで  渡辺幸男

 

 本記事は、朝日新聞の特集記事「資本主義 NEXT 復権する国家 8」として掲載されている。私が注目したのは、その記事のうち、「エネ産業育成 国家主導で」と「熾烈な国内競争 企業疲弊」と2つの中見出しで書かれたもののうちの後者、「熾烈な国内競争 企業疲弊」の記事内容である。

そこでは、「育てるべき産業と目標を中央政府が定め、地方政府も補助金などの強力な優遇策で競う」とし、「価格競争力をつけた企業が、世界市場に打って出る」としたうえで、「中国式の産業政策は、・・・その内側にもひずみを抱える」と述べている。その「ひずみ」として、「過当競争に陥る」ことや、「EVを含む新エネルギー車のメーカー数は、20年ごろには約500社にものぼった。その数は1割ほどまでに減り、さらに淘汰が進むと見られる」ことを述べている。その上で、この競争を「「内巻」とも評される熾烈な競争を生」み、「非合理な内部競争」とも称される、としている。その上で、「産業育成での「内巻」は、世界市場でも競争力を持つ中国製品の一群を生み出した。一方、大量の「敗者」につぎ込まれた支援策は経済全体の生産性向上の重しになったり、地方財政の悪化をもたらしたりした面がある」と述べる。

 

この議論を読み、何よりも感じたのは、ダイナミックな資本主義の市場経済での新産業形成過程がもたらす、「大いなる無駄」についての認識、評価についての本稿の著者と私との決定的な差異である。ここでの著者である記者は、中国での新産業形成と、その結果としての世界市場での優位な中国系企業の形成が、他方で大きな「ひずみ」をもたらしていると認識している。この記事での文脈からすると、避けるべき、あるいは避けることができる「ひずみ」として認識されているように見える。本当にそうであろうか。

この記事によれば、このような「ひずみ」は、中国の政策ゆえの問題であり、避けるべきものであるという理解のように見える。しかしながら、私には、健全な資本主義的市場経済での新生産部門形成過程としてのほぼ不可避な無駄、本来的な健全な発展的な資本主義的市場経済に伴う、資本主義経済のダイナミズムそのものの持つ無駄であるように見え、その無駄の中国版とも思える。ここに、記者と私との認識上の決定的な差異がある。

 

資本主義的市場経済の特徴は、競争的かつダイナミックに発展するそれの場合、新生産部門が形成される過程は、きわめて多数の参入企業による、試行錯誤と、その結果として新生産部門の急速な市場拡大、そしてその過程での多数の新規参入企業の脱落ないしは撤退、結果として、独自かつ新規形成市場を自らにとって適合的なものと成し得た企業とそれに追随できた限られた企業群が、新たな市場の構成企業として生き残り、既存市場での企業間競争へと転化していく過程と言える。資本主義市場経済とは、それがダイナミックに発展するとき、大変大きな無駄を、ダイナミックな市場経済的には意味のある多様な多大な試行錯誤の結果としての無駄を、常の伴うものと言える。

それと全く反対なのが、この意味での無駄が制度化されていないのが、いわゆる計画経済である。何をどのように生産するのか、誰がそれを担うのか、計画的に決めて生産とその拡大、変化をも進めていくのが、計画経済である。思惑通り進むかどうかは別の問題であるが、計画経済には試行錯誤による巨大な無駄は建前上には存在しない。実験室では試行錯誤が行われるとしても、「市場」では、実際の需要供給の場では試行錯誤は建前上では存在しない。

それと正反対に、資本主義的市場経済、その競争的な経済では、新市場形成をめぐっては、多数の企業の参入による試行錯誤が大規模に形成される過程、きわめて多数の参入が発生し、落伍する資本が大量に形成されてこそが、健全な競争的市場経済、資本主義的な競争的な市場経済なのである。ここにこそ、資本主義経済の持つダイナミズム、生産力を発展させる経済としての他の経済に対する決定的な優位性がある。同時に重要なのは、経済学の教科書に書いてあるようなタイプの企業だけによる試行錯誤ではなく、極めて多数の多種多様な企業による試行錯誤と淘汰こそが重要であるということである。それを現代で現実化したのが、改革開放後の中国経済と言えよう。

このような資本主義的市場経済のダイナミズムの形成の論理が、改革開放から30年余を過ぎた現代にも、中国経済には存在している、ということを示しているのが、この朝日の記事から私が読み取ったことであるといえる。なにせ、EVについては、市場が急拡大している中で、数年前に500社の参入があり、それが50社前後に淘汰され、さらに淘汰が進んでいるというのだから。既存の乗用車メーカーとそのほか数社が参入したと話題になった日本とは、大きく異なる「競争的」な資本主義ということができよう。中国経済は、日本経済のような寡占的市場支配が一般的な資本主義経済では、いまだ無いことが、この事実から示唆されよう。

資本主義経済としての国内市場の大規模性、否、巨大規模性、そして参入主体の多様性が、これを可能にしているように、私には思える。そして、それを考える際には、地方政府の独自なあり方、これが大きく影響している。このこともこの記事は「過当競争」的な理解でではあるが、示唆している。

ここで、その昔、改革開放後に、中国の各種の地方政府が一斉にテレビの組み立てに乗り出したことを、私は思い出した。その進出企業群は、その後、ほとんどが消滅してしまった。が、その中に経営者に恵まれたごく少数の企業が生き残り成長し、その後の中国テレビ等の家電生産主要企業として、グローバルに活躍していることを見聞きしたことを思い出した。

いずれにしても、資本主義市場経済とは、ダイナミックに発展しうる経済であると同時に、ダイナミックに発展するためには、極めて多数の敗者とそれに伴う大いなる無駄をつくり出すことが必要な否必然な経済なのである。このような意味での無駄が大量にあってこそ、ダイナミックに発展する、無駄が多ければそれだけ発展するというわけではないが。繰り返しになるが、「創造的破壊」の世界が発展する資本主義経済の主要な源なのであり、当たり前であるが、その創造的破壊は他方での大きな無駄を伴うものなのである。

 

中国についてのこの記事を眺めながら、この正反対、同じように計画経済を30年前に解体しながら、全く異なる道を歩んでいる資本主義市場経済化した経済、ロシア経済が、私の頭の中に浮かび上がってきた。資本主義経済として市場の動きに支配されるようになり、競争圧力のもとに大きく変化した経済、この点については中ソで差はない。差は変化したかどうかということ自体ではなく、変化した中身の差異にある。

新たな工業分野への国内(新規)企業の大量参入の話は、計画経済が解体したはずのロシアからは聞こえてこない。聞こえてくるのは、EVを開発する企業群の簇生どころか、既存企業の衰退の姿である。乗用車生産では、計画経済下において、旧ソ連は中国を大きく上回る生産を実現していた。しかし、今や、ラーダを生産していたアフトヴァースは、自社でまともな乗用車を生産できなくなっているようで、EVどころではなさそうである。しかも、EV生産の新興メーカーの出現を、私は聞かない。そこには新産業部門進出をめぐる、巨大な無駄は全く存在しないのかもしれない。

結果、近い将来に世界市場に進出するようなロシア系EVメーカーが生まれる可能性も全く見えてこない。乗用車のEV化が本格化すれば、中国製にロシア市場は席巻される、このことが目に見えている。関税をかけて阻止するどころではない。自国系企業が全く作れないのだから。国内に競争力のあるEV生産部門を持つために巨大な創造的破壊の際の無駄を享受するか、黙って豊富にある天然資源の採掘とその輸出に専念し、工業製品については先進工業国製品の輸入国になり、創造的破壊の巨大な無駄を省くか、である。後者の無駄を被ることを避けることができると同時に、避けることしかできないというのが、まさに、今のロシア経済であろう。すなわち、一次産品の豊富な輸出国であり、旧ソ連時代の先端工業基盤を引き継ぎながらも創造的破壊の担い手を創り出せず、それに伴う朝日新聞の記者が気にしている大きな無駄を気にする必要がないのが、ロシアであろう。そして、その対極に存在するのが、今の中国経済となろう。

 

上記のような中国の新産業形成の特徴を、まとめてみれば、以下のように見ることができる。国に提案され、あるいは民間の企業により先見的に提示され、新市場が見えたとき、多様な母体から、多数の多様な企業が参入し、それぞれが新市場での覇者を目指し、多様な試みを行う。これがまず重要である。多様な多数の試みの存在の重要性ということである。中国の場合、その際の市場は、これまでの先進工業国の中に類例を見ない10億人余の規模の巨大な国内市場である。

その上で、市場の選択により、覇者が選択される。1つには限らないとしても、いくつかの有効な選択が見えてくる。このとき、それらにいち早く取り組んだ企業が拡大する市場を確保し急成長し、出遅れた圧倒的多数の企業が退出する。多数が退出することで、拡大する市場がより少数の企業によって供給されることになる。成功企業の規模の経済性が、急激に高まる。その結果、優位になった企業が価格をより一層急激に下げることが可能となる。さらに、ますますの上位企業への集中、同時に上位企業の個別規模の急拡大が生じる。これが、巨大国内市場を持つ中国での中国国内市場での競争を通しての新産業の形成過程の特徴といえよう。

競争的で無い市場経済、すなわち寡占的市場経済での新製品分野の開拓では、試行錯誤の選択肢が少ない。すなわち大企業によって企業内で市場に出る前に選択され、その財の消費(者)側による選択の機会が極めて狭くなる。また、新市場についても当初より少数大企業による寡占的な市場支配が存在することが多く、参入企業の排除が急速に進むことは起こりにくく、集中が進まず、市場の急拡大が、一層大きな形で特定企業に集中し、急激に規模の経済性を発揮し、価格の低下を一挙に実現するという循環が生じにくくなる。また寡占的市場支配を目指せる企業群においては、価格引き下げによる市場シェアの急拡大が見込みにくい中、価格引き下げによる自社の市場のより一層の拡大への志向が弱くなる。

大規模になる可能性の高い国内市場を前提とした上で、競争的市場として新市場が形成され、そこでの多様な試行錯誤と、失敗企業の急激な退出が生じる。これが新市場の覇者をより有利にし、規模の経済性の実現を容易にし、国際市場での覇者にもなりうる条件を付与することになる。このような状況こそ、中国のEV産業等に見られる特徴的循環といえよう。

敗者の退出による投資の多大な無駄の発生は、新産業部門の急激な発展のためであり、競争的市場経済のダイナミズムに必然的に付随するものとも言える。

 

朝日新聞のこの記事は、中国の資本主義市場経済としての(ある意味での)健全性の依然としての、そして頑とした存在を示している。金融面での中国経済の揺らぎ、政治的な不透明性にかかわらず(?)、資本主義的市場経済としての健全性は中国には依然として存在していることを示唆している。経済学の教科書に書かれているような市場のあり方や競争では無いが。

 

私はこのように考えたが、如何であろうか。

2024年10月14日月曜日

10月14日 今のロシア政権とロシア経済、行末の勝手な推測

 のロシア政権とロシア経済、その行末についての勝手な推測

渡辺幸男

 私の誤解? 

 一国の政府は、何らかの意味で国民生活の豊かさを第一に考える。

 そうではなくとも、自国の強さを第一に考える。としたら、そのためには、経済が豊かで強いことが、そして経済発展が展望されることが不可欠だと思っていた。それゆえ、長期的な経済展望を、当該国の政府は常に考えると、私は思っていた。どうもそうではない考えの政権担当者もいるようである。ロシアのプーチン政権のように。

 

 プーチン政権の場合

 当初、ウクライナ侵略開始時点では、ウクライナ政権の早期崩壊で、戦争長期化の可能性を、プーチン大統領ないしはプーチン政権は極めて過小評価していたようである。そうだとしても、長期化の可能性が出たときには、経済への長期的な影響を考え、政権自らのメンツを立てながらの早期撤収の展望を一方に持つなかで、侵略を開始したのだと考えていた。私は。

しかし、実際は、最悪のシナリオを想定していなかったようである。侵略の長期化、その結果としての経済への深刻な打撃を想定し、その場合の対策を考えていたとは思えない。あるいは、深刻な経済的打撃を被っているとは、思っていないのかもしれない。とりあえず、経済は回っているのだから、長期的なことはさておいて、と言うことなのだろうか。

 

 今のロシア経済で可能性が否定されていることは、ロシア経済の優位点である天然資源の豊富さ、原油や天然ガスそして鉄鉱石といった原燃料鉱産物と農産物の輸出余力の豊富さ、それと、それらの資源の輸出対価を使っての海外から国民生活に必要な財、および先端的な工業製品の輸入、その結果としての国内での先端的工業製品生産開発とその能力の維持、国内生産を通しての国民生活水準の向上、先進経済の生活水準へのキャッチアップ、これらの実現という経済発展軌道の実現ということである。せっかくの豊かな資源を、長期的な国内工業発展のために使えていない。

 

実際生じていることは、豊富な天然資源を輸出資源として活用することで、戦争に必要な財とその生産の維持、そのための先端的部材を中心とした部材の輸入、また国内工業生産の軍需化を海外からの消費財の輸入で補うことでの国民生活水準の維持を実現せざるを得なくなっていることである。将来の多様な産業そして経済発展のための豊富な天然資源の活用、これができなくなっている。戦争の遂行のために、そしてその中で国民生活水準を一定水準以上に維持するために、将来の経済発展、それも天然資源に依存しない経済発展への展望を開くような発展に活用できなくなっている。

多大な天然資源を持っていることで、侵略のための戦争の維持しながら、国民に極端な禁欲を強いることなく、2年余を過ごすことはできた。「欲しがりません、勝つまでは」と言うどこかの国のような戦時の標語については必要がない、ということでやってこれた。しかし、・・・・である。

その代償は、極めて大きい。国民経済は、工業製品については、西欧依存から、中印そしてトルコ依存ないしはそれらの経済経由依存の経済へと転換し、かつ国内生産循環の充実への展望を開くことができなくなっている。自立した覇権国家ロシア「帝国」を夢見ながら、豊富な天然資源に依存できることで、戦争を維持できているとともに、そのことで将来的な産業発展の選択肢を、極めてせばめている。1億4千万人余の人々が、専ら天然資源輸出でそれなりの生活水準を実現すること、維持することを、長期的にも考えざるをえなくなっている。工業先端化等の産業発展展望の王道が、ほぼ消えつつある。必死に自立的な先端的工業基盤の国内育成を手掛けている中国政府との大きな差異である。人口2600万人余のオーストラリアは、確かに豊かな天然資源と一次産業への依存国であり、豊かな国民生活の社会になれた。乗用車の国内生産は、ノックダウンも含め消滅したようだが。だが、ロシアの人口は、オーストラリアの5倍以上、これらの人々を天然資源と一次産業で、十分豊かにできるのであろうか。

 

 確かに、当面は、天然資源が豊富で、輸出余力が多大にあり、かつその天然資源をオリガルヒから取り戻し、国民経済のために政府が使えるようにした。プーチン政権はその存立基盤を、このことで構築したといえよう。一部の人間だけが膨大な海外資産を積み上げるような、発展途上国の多くに見られるようなソ連崩壊直後の状況を打破し、プーチン大統領は国民経済としての循環を、それなりに実現した。それなりに豊かな国民生活、再建から市場経済的豊かさの一定の実現へと、ロシア経済を進めた。しかし、私からみたら、次の一歩を間違ってしまった、というしか言いようがない。

 今ある天然資源輸出による余裕を、国民経済の長期的な発展のために利用する、これができなかった。というよりそれに使用するのをやめ、偉大なロシア帝国の短期的な実現にかけ、見事に失敗した。そして、失敗を認めた上で、改めて長期発展の道を模索すること、この転換をも諦めた。このように見えてくる。

 

 FTOpinion掲載の小論

このような勝手なことを書いていたら、FTOpinion欄(8October 2024, p.15)に、A. Prokopenkoというベルリンのカーネギー・ロシア・ユーラシア・センターのフェローの方の小論 ‘Russia’s budget is a blueprint for war despite the cost’ が掲載されていた。

そこでは、ロシアの2025年の予算が紹介され、国防関連予算がロシアのGDPの8%を占め、ソ連崩壊後で最大の全連邦予算の40%に及ぶものとなっていると指摘されている。他方で、クレムリンの社会福祉を最優先するという言質にもかかわらず、教育、厚生や社会政策の予算は最小限の増加か減少となっている、とまとめている。

それゆえ、ロシア経済の不均衡は悪化し、長期的な経済安定よりも軍事的強化が優先されているとしている。中国等の国との貿易が維持されているが、経済制裁は、基幹的部品の入手経路等を狭めていることで、クレムリンの軍備近代化等自体もかなり制約している、とも指摘している。その上で、プーチン大統領は、予算の均衡の維持、社会的責務への対応、国防支出の維持という、解決不能のトリレンマに陥っているとしている。

軍事支出の増大は、教育や厚生そして科学への資金の流れを制約している。それゆえ、数年は持つかもしれないが、長期的には維持困難であり、その点を考慮して、西側は考える必要があるとしている。

 

ロシアのプーチン政権が、ウクライナ侵略を継続することについては、当面、天然資源の輸出等で、中国等からの輸入に依存して、戦争体制そのものを維持することで可能とはなっている。が、国家予算からみれば、国防予算の増大が顕著のうえ、長期的な意味で取り掛かるべき教育や厚生を犠牲にしていることが明らかである。それゆえ、長期的な国家安定成長には、大きなマイナスとなるだろうといえる。このことが、2025年予算からも示されているというのが、このOpinionでのProkopenko氏の主張といえよう。

 

ロシア工業の現状

ここには、産業政策面での議論は、出てきていない。しかし、それをいう前に、教育等の産業発展の前提となる支出の停滞が注目されるということであろう。いわんや、である。工業生産的には軍需生産維持強化一辺倒の政策となっていることが、ここから強く推測される。世界の工業は、激しく展開し、積極的に先端的工業部門の立地振興のための環境づくりを図らなければ、一国の工業部門を中心とした産業の国際競争力は、あっという間に他の先進工業国に遅れをとってしまう。このような事例は、20世紀末の日本をはじめとして枚挙にいとまがないといえる。

ましてや、本稿で問題としているのは、旧ソ連を引き継いだロシアである。ロシアはソ連時代に一応先進工業国としての工業を一揃い保持するにいたった。しかし、それらのほとんどは、西側市場では国際競争力の無い、旧ソ連圏内だけで通用する、技術的にだけは「先端的」な工業生産力であった。ソ連のジェット旅客機がその好例であろう。先端的なジェット旅客機を、開発設計生産についてソ連圏内で完結させ、ソ連圏内の需要に対応していた。しかし、ソ連が崩壊し、ソ連圏という経済圏ないしは市場圏がなくなり、世界市場での競争にさらされると、その販売は不可能となり、米欧のジェット旅客機がロシアの航空会社でも採用されるようになった。先端製品を生産できるが、商品として、市場で売れる市場競争力のある先端商品については開発・生産ができていないといえよう。

ましてや、IT関連の先進的な諸機器では、ほとんど競争力がない。あるいは生産能力自体がない。部品から完成品まで。先端高級品から低価格旧製品まで。ほぼ全てロシア外の米欧や日本中国韓国台湾等の東アジア諸国で生産されるものとなっている。この分野では、ロシア系企業の名前を聞かない。TSMCの最先端の半導体製造工場、これが立地しているのは、台湾であり、そして米欧日では工場の建設途上である。また、TSMCに対抗可能な半導体製造企業として指折り数えられるのは、米国インテル以外では、韓国のサムスンであり中国の華為関連企業といったところであろう。ロシア系の企業の名は全く出てこない。私が読む新聞雑誌に偏りがあるとしても、それらでもロシアの先端分野企業の悪評すら出てこないのである。

その昔、1980年代に日本での256KDRAM生産の対米優位が話題になった際に、当時の東独でも256KDRAMが生産できると紹介されたことがある。ただし、その際の東独の生産体制は手作りであり、すでに量産体制であった日本の工場とは生産能力と単位あたりコストに根本的な差があった。そんなジョークとしか言えないような話題でさえ、現代のロシア経済では出てこない。少なくとも私は目にできていない。

半導体製造装置企業として現在最も有名なのが、オランダのASMLであろう。また、先端半導体製造のための基本設計部分の開発の先端を行く一社が、英国のアーム社である。米韓日台中以外でも、欧州には先端半導体生産関連の先端企業がいくつか存在していると伝わってきている。しかし、ロシア連邦からは聞こえてこない。この分野でのロシア連邦での存在を聞くとしたら、半導体設計企業であるが、先端的半導体の開発に成功しているとは聞かない。ロシア連邦の工業企業が全く存在しなくとも、世界の先端的な半導体産業は回っていく。これが、ロシア工業の悲しい現実と言えよう。

 

このような状況を変えるべく最大限の努力が必要な時に、ロシア政府は、ウクライナ侵略を始めた。ロシア帝国の復活を唱え、資源を国内産業発展に使用せず軍備に浪費しているだけではない。豊富な国内天然資源を利用し、国内工業生産への依存を強めるための投資を拡大することなく、中印やトルコから中低級品を含めた工業製品の輸入を増やしている。まさに、国内産業発展にとっては逆行する道を、一層の天然資源依存型の経済への道を大胆にも歩んでいるといえる。

 

プーチン政権についての2つの議論

その理由を知りたくて、ロシア駐在歴がある新聞の論説委員が書いた著作、2冊を読んだ。朝日新聞論説委員の駒木明義氏の著作、『ロシアから見える世界  なぜプーチンを止められないのか』(朝日新聞出版、2024年)と日本経済新聞論説委員兼編集委員の石川陽平氏の著作、『プーチンの帝国論 何がロシアを軍事侵攻に駆り立てたのか』(日本経済新聞出版、2024年)の2冊である。

しかし、残念ながら、この2冊が明らかにしていることの中に、ロシア国内産業の現状についてのプーチン大統領の理解と政策的対応の現状や展望についての議論はなかった。それどころか、ロシア連邦の産業の現状についての分析それ自体も、全く存在していなかった。

そこでは、プーチン大統領の考え方の元となったものの紹介や、プーチン大統領の発想のあり方を規定しているものについての議論は大いに行われ、それ自体は興味深いものであったのであるが、プーチン大統領の侵略がもたらす国内政策への影響についてのプーチン大統領の認識や、産業を中心とした経済への影響についてのプーチン大統領の理解についての議論は、ほぼ皆無であった。

私の関心事からすれば、プーチン大統領の政策、特にウクライナ侵略戦争の継続が、具体的にロシア連邦の産業とその発展にどのような歪みをどの程度もたらしているかが問題であり、かつ、その歪みの意味についてプーチン大統領がどのようにどの程度理解しているかが気になる。これらを知りたいのである。その上で、侵略戦争の長期化のもとで、プーチン大統領がどのようにロシア連邦の将来的な経済発展を展望しているのか、それが知りたいのであるが、それらに対する回答は、どこにも見当たらなかった。私が目にできた、日本語を中心とした文献では。

追記:たとえば、石川氏の著作の最終章である第4章で「反米の旗幟鮮明に」という節が書かれているが、そこで取り上げられている2012年の大統領選の前に書かれたプーチン大統領の「7本の論文」について言及している。そのなかで「「われわれには新しい経済が必要だ」」(石川著、281ページ)という論文があることが示されているが、石川氏のこれら7本の論文についての紹介では、他の論文については簡単な内容紹介とコメントをしているのだが、この「新しい経済」について全くその内容に言及せず、当然コメントもしていない。石川氏にロシア経済それ自体についての関心は、ほとんどないということを示していよう。

 

改めてロシア連邦の工業の水準とは?

ここまで書いてきて、「はて?」と思うことが出てきた。ロシア製の工業製品あるいはロシア連邦の工業製品生産企業で、世界市場を席巻しているものはあるのか、アメリカ政府に目の敵にされているような製品や企業はあるのか、ということである。同じ新興工業国でも中国製あるいは中国系の企業では、数多く存在する。その代表がEVであり華為であろう。ロシア連邦ではどうか。ロシア連邦は社会主義時代の先端工業製品生産国、ソ連の中核的な後継国である。

先にも見たように先端製品の一つジェット旅客機は、ロシア連邦になって見る影もなくなった。しかし、同じBRICSの中のブラジルにはエンブラエル社があり、それが小型ジェット旅客機では国際市場で異彩を放っている。またインドのミタル社は、欧州の製鉄メーカーを買収し、欧州でその存在を示している。しかし、ロシア連邦からはスホイ等にしても、国際競争力のある機体を開発するのに成功したというニュースは聞こえてこないで、試験機が墜落したというニュースが報じられているのに気がついたくらいである。ロシア系メーカーでロシア国外の市場において成功した事例を、多少なりともそのようなニュースに敏感だと自負している私の耳にも聞こえてこない。

米政権が目の敵にしているというようなロシア系メーカーの存在については、全く聞こえてこない。中国からは、華為をはじめ、幾つも聞こえてくるのに、である。

旧ソ連という先端工業化には成功した経済の後継国家、ロシア連邦であるが、国際的にみて工業生産に関しては、他国から目の敵にされる企業もなければ、その可能性を示唆する動きも全く伝わってこない。プーチン大統領は、国家としてのロシア連邦について、どのような将来像を描きながら、ウクライナ侵略を継続しているのであろうか、そして、それに全力を投入できるのであろうか、ご本人に是非伺いたいところである。

 

ロシア経済の向かう先の選択肢

ここまで書いてきて、また、わからなくなった。

ロシア経済は、旧ソ連の崩壊を通して、欧州経済に当初の思惑(誰の? アメリカの経済学者たちか?)通り統合された。だから、問題は深刻となったのだろうか。どのように見たらいいのであろうか。EU諸国にとって、旧ソ連、特にその中の人口が多く天然資源の産出が豊富なロシア連邦は、天然ガスや原油の供給源として高く評価され、また、それなりの所得水準の1億4千万人余の市場として、欧州工業製品の消費財や資本財の有力な市場として統合された。それ自体についていえば、中国経済ないしは産業とは異なり、極めて当初に想定された形で欧州市場に統合されてきているといえる。

中国経済に関してみるならば、まずは豊富な低賃金労働力の韓国台湾を大きく上回る供給源として位置付けられ、同時に進出国資本主導の市場形成という形で、低価格品市場としての世界市場への組み込み、多くの発展途上国に見られる先進国工業企業にとって都合の良い形での工業生産体制と市場としての組み込み、これを想定して西側諸国から見た中国市場の「改革開放」が、米日資本を軸に始められた。しかし結果は、かつてない規模の巨大な中国市場の形成そして自立化と、その市場を核とした中国企業の簇生、発展そして自立化により、自立的巨大資本と巨大な国内市場を有する有数の資本主義国として台頭し、米日資本にとっての競合資本主義となった。それが今の米中対立の源であろう。

しかし、ロシア連邦は違う、欧州市場への一次産品供給国としての組み込みについては大成功であった。当初の想定通り、かつての先端工業製品生産国であったソ連の中核部分であったロシア経済は、一次産品の豊かな輸出力を持ち、かつ、欧州工業製品にとってのそれなりに豊かな巨大な需要市場となった。欧州諸国の当初の思惑通りの組み込みに成功した。天然ガスパイプ網も構築され、欧州への石油天然ガスの主要供給国が生まれた。

ロシア経済は、国際競争力のない先端工業の保有国から、国際競争力のある一次産品供給国への転換に見事に成功した。

 

産業論的に見ると、計画経済体制崩壊から30年が経過し、中国は自国の巨大市場を活かし、先進工業国化への道を歩み始めた。それに対し、旧ソ連の中核部分であるロシア連邦は、一次産品の豊富な生産国としての優位性を生かし、国際競争力の形成が困難な30年前に保有していた先端工業部門の国際競争力形成を放棄し、一次産品を輸出することで相対的に豊かな国民経済形成する、オーストラリア経済の巨大版を、欧州市場への組み込みの中である程度実現することに成功した。

そして、今後どうするか、である。今後の展望は、中露それぞれどうであるかである。スホイは、結局、世界の空を飛ぶことを諦めたのだろうか?

ロシア経済は、ソ連崩壊後の西欧経済への組み込みが、欧州側の想定通りに順調に進行したがゆえに、経済や産業として、特に工業分野での発展展望を持たないままにもがいているように、私には思えてしようがない。中国経済は、改革開放後の日米経済を中心とした西側経済への組み込み形態を乗り越えかかったことで、米国と正面から対立し、自国市場や米国以外の市場を活用して独自な工業発展の道を模索しているように私には見える。

そして両国が、BRICSグループとして独自な経済世界を新たに作ろうとしている。ロシア経済はウクライナ侵略の早期成功に失敗し、欧州とのつながりを軸にした経済再生産ができなくなり、工業製品、消費財と資本財双方の工業製品の供給国としての中国経済に依存する形で、中国経済にとっては自国の多様な工業製品の供給先の1つとしてかつ豊富な一次産品の供給国として、中露両者の利害が当面一致した。しかし、その行き着く先を考えると、・・・・。今のままの両者の関係が維持されていくとは、到底思えない。ロシア連邦政府が中国の周辺国、すなわち中国への原燃料や農産物供給国としての位置付けを甘受し続けるとは、到底思えない。

 

産業論的な各国経済のつながりと、各国政府間の政治的繋がりは、イコールではない。これについては、私なりに理解してきたつもりであるが。ロシア連邦は、経済的には豊かだが、経済的関係としては欧州の周辺国になる、という現実を、何故受け入れられないのであろうか。NATOEUによるウクライナ等の囲い込み、これは、経済実態としては、至極妥当なことのように、私には思えるのだが。欧州の周辺国化を嫌って、中国経済圏の周辺国化を、結果的にではあるが自ら選択しつつあるロシア連邦とは、何なのであろうか。

今のロシア連邦、核兵器を中心とした軍需産業以外の工業での発展展望が、私には全く見えてこない。軍需産業も、その情報化の面では、極めて遅れ、大量に保有する核兵器と兵器の量だけで勝負する産業となっているようである。その質は、国内のICが不足し、輸入家電製品から取り出して、とりあえずの間に合わせにしている状況とも伝えられる。ここから見れば、推して知るべし、であろう。

このような、いずれに転んでも、他の巨大先進工業国への一次原料供給国、それなりに豊かではあるが、それにならざるを得ない、と見えてくる。どうせ、一次産品供給国になるのであれば、BRICSの中で生きるロシア連邦になるよりも、欧州の一部としてのロシア連邦になる方が、長期的に見れば、より強い立場に立てるのではないか、とも私には思えるのだが。BRICSは1つの市場として確立されれば、域内だけで30億人近くの市場を持ってはいるが、巨大な一次産品供給国であるブラジルとの直接的競合を避けられない。そうであるのであれば、欧州こそロシア連邦の一次産品国として優位に生きる場となると思うのであるが、どうであろうか。

 

行き着く先?

プーチン大統領が西の米欧から自立したロシア帝国再建を目指した結果、東の中華帝国経済圏に取り込まれてしまう、こんな皮肉な結果が、私の勝手な推測の先には見えてきた。この結末、「ロシア帝国」の行末を見届けるには、私は歳を取りすぎているようだが。見てみたいものである。もしかしたら、私の想像以上に早い時期、私が元気なうちに結論が見えてくるかもしれないが。

2024年10月1日火曜日

10月1日 テイラー『先住民vs帝国 興亡のアメリカ史』を読んで

 アラン・テイラー著、橋川健竜訳『先住民vs帝国 興亡のアメリカ史

北米大陸を巡るグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房、2020年)

を読んで 渡辺幸男

 

 本書の特色は、北米でのUSAの独立そして拡大を、先住民の生活する北米への英国系植民者の侵略として示し、その拡大過程を、他の欧州系植民勢力と、現地先住民諸部族とのせめぎ合いの中で示していることにあるといえよう。

 しかも、USAの地理的形成としては、現行の北米大陸の中緯度を大西洋岸から太平洋岸までを支配するのは、ごく最近、19世紀半ば前後以降の話であり、それまでは、フランスやスペインの植民地がミシシッピ川西岸にあり、その地域で面的な展開をしていたのは、スペインやフランスの植民者ではなく、先住民諸部族であったとのことである。

 このようなことさえ、私の常識には入っていなかった。あるいは私の意識に定着していなかった。情けない話である。USAは、独立当初から北米大陸の「大国」、大陸を大きく覆う国のように勝手にイメージし、思い込んでいたのである。

 

 また、本書では、北米の先住民の被征服前の状況、その一定の部分での農耕文明の形成とその浮き沈みが描かれている。これまで私が読んだ北米の先住民がらみの本は、先住民としての生活、特に農耕への従事についての言及がほとんどなく、勝手に狩猟中心の生活を送る人々で、中米や南米のアステカやインカの人々とは、大きくその生活内容が異なると誤解していた。しかし、本書を通して、彼ら北米の先住民の人々も、とうもろこし、じゃがいも、キャッサバの育成を中心とした農耕にも従事する人々を、多く含む人々であることが理解された。

 

 さらに、スペイン人によるアステカ征服等の過程で、アステカ帝国を支配していた先住民の特定の部族の人々と、それらの人々に征服された先住民の他の部族の人々との対立を、スペイン人がうまく利用し、少人数での最終的な中南米支配へとつなげた、という記述を多く読んできた。本書において、北米の英国系植民者の大西洋岸の植民地からの内陸支配の過程でも、同様に先住民部族間の対立が利用され、最終的な英国系植民者による内陸部支配が実現したことも、理解された。

 

 特に興味深かったのは、先住民の中で欧州人の進出に対抗した勢力が、欧州人が持ち込んだ馬を、自ら繁殖させ、戦闘に積極的に活用するようになったこと、このことが、北米先住民の欧州系植民者に対する、強力な抵抗する力となったことを指摘していることである。同時に、また、銃をはじめとする鉄器や火薬を欧州人から手に入れ、戦闘にも使ったが、鉄や火薬そのものの生産には至らなかったことで、欧州人との戦闘過程で、銃弾等が不足し、不利となり、敗戦に至っていたこと、このことも指摘されている。先住民の一部の部族の強力な反欧州人戦線の形成と、その一定の成功、そして限界とが、私なりに理解できた気がした。

 

 18世紀後半でも、アパラチア山脈東側が、とりあえずの英国系欧州人の本格的な植民地域である。そして、その時点でその西側は、実質的に先住民居住地域であったことが、指摘されている。これも興味深い。同時期に北米の英国系植民地の西側、すなわちアパラチア山脈の西側に展開していた英国系以外のスペイン系やフランス系の植民地は、点的な支配であり、地域全体に植民者が展開し、地域として植民地を形成していたとは言えなかったこと、この点も指摘されている。とくにこの点はスペイン系の植民地に顕著にいえるとのことのようで、中米の植民地での面的な展開を確実にするために、北米の南部にも拠点を設けていた、ということである。

 北米での欧州系植民地の形成というとき、欧州人が植民地支配の面的な支配を宣言しているが、実際には港湾等の拠点を支配し、内陸の先住民との交易等を独占していることと、欧州人が面的に入植し、地域全体として欧州人が展開支配している状況とを、明確に分けて理解することが必要であろう。

この点、「植民地」と宣言され、その地域が植民者によって武力で拠点支配がなされていても、拠点以外の空間が、どのような先住民の生活との繋がりを持っているか、植民地ごとに考察することが必要なのであろう。植民地は、インドのような上部支配構造の外部勢力による支配、そのことを通して地域の富の植民者による吸い上げ収奪と、先住者を基本的に排除し、生活空間全体を植民者の世界としてしまう植民とで、根本的に意味が違うはずである。この点を、私は朧げには理解していたつもりだったが、北米植民地の歴史を先住民からの視点も含め見ることで、より明確に理解することができたようである。

先住民からの収奪を目的とする植民地支配と、先住民を排除しての働く人々(輸入される奴隷を含め)を含めた植民による地域支配、この違いがようやく明確になってきた。同じ「植民地」といっても、先住民にとっては、全く意味が違うことになる。

域外勢力による先住民からの収奪を中核とする支配と、域外勢力による先住民の存在そのものの破壊による土地支配、その最たるものは、カリブ海諸島の支配、先住民の結果としての皆殺しのもとでの奴隷労働力の輸入を利用した土地支配であり、そのもとでの砂糖生産であろう。これらとの違いである。

中間形態ともいえるのが、ニュージーランドや太平洋の島国諸国であろうか。そこでは、先住民が自律的に生活圏を確保している一方、それ自体を搾取しその上納を手に入れるだけではなく、植民者それ自体の自立的な再生産も可能となっているようであり、USAの先住民とも、植民地インドとも異なっているに見える。

 

 また、19世紀初めになっても、ミシシッピー川の東側がUSAであり、その西側は、依然としてフランスやスペインの植民地であり、本格的な面的な欧州人の植民は展開していなかったとのことである。

USAは、19世紀半ばにカリフォルニアを自国領土にし、そしてカリフォルニアにおけるゴールドラッシュが生じ、先住民の生活を破壊しての、欧州人の進出が、荒っぽく展開することとなったようである。

 

 また、1783年に独立したUSAは、その時点では、まだアパラチア山脈東側の存在であり、かつ、その部分でも内陸の多くの土地は、先住民が優勢な土地であったようである。支配領域は、欧州人の間での認識では、アパラチア山脈東側全体となっているが、実質的には大西洋沿岸地域での入植地展開が中心の新興独立国であり、内陸部は先住民の生活空間であり、先住民が事実上支配していた、ということになる。

 

 北米大陸の圧倒的部分を支配するUSAは、19世紀半ばにようやく成立した、と言えそうである。その中で、その後しばらくも含め、先住民の生活空間の一挙縮小への動きが本格化し、先住民が駆逐排除されるだけの無意味な邪魔者として描かれる西部劇の世界が生まれたのであろう。19世紀後半に、北海道で入植開拓と称して大和人からアイヌの人々が被ったような。

 

 このような認識をあらためて喚起してくれたのが、本著作であると言えそうである。北米大陸での先住民の方々の生活、それを破壊して自分たちの世界を構築した英国系を中心とした欧州系移民、その欧州系移民にとって使い勝手の良い労働力として導入され、奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々、この3者の関係を、時間軸をもっておおよその理解を可能にしてくれたのが、この著作である。70歳代後半になり、ようやく、北米の覇権国家USAの歴史的な展開を、自分なりに理解したつもりになった次第である。

 USAは、私が生まれた時、私にとって戦勝国の占領者であり、巨大そのものに見え、反発を感じた存在であった。そのため、USAの歴史を、自らの日本の歴史をはじめとするUSA以外の国の歴史的時間軸の中に相対化することができなかったようである。それが、この年まで影響していたのかもしれない。恥ずかしい限りだが。

2024年9月25日水曜日

9月25日  FT ‘Presidential vote. Imports’,   ‘China flags its presence in US election campaign’

 FT  ‘Presidential vote. Imports’,

China flags its presence in US election campaign’,

Financial Times, 25 September 2024, p.4 を読んで 

渡辺幸男

 

 この「大統領選挙、輸入、中国はその存在を米国選挙戦で示している」というタイトルのFTの記事は、現代の産業のあり方として大変興味深く、同時に、私にとっては色々な意味で面白い記事でもあった。

 この記事の内容は、今回の米国大統領選のキャンペーンで振られている共和党と民主党両陣営の候補者、トランプ前大統領とルイス副大統領の応援旗についての生産供給についての話である。

 記事のオチは、米国の大手旗メーカーは、今回の大統領選で販売の5から10%の増加を期待していたが、中国製の旗が市場を席巻したので良くて前年並みにとどまる、ということである。これは、中国製品の輸入抑制、工業製品の国内生産化を訴えるトランプ前大統領陣営の応援旗を含めての話である。また、シカゴの旗メーカーは、自社で作ると材料費だけで1本5ドルでも足りないのに、中国浙江省金華市義烏市のメーカーは、1000本のキャンペーンフラッグを1本当たり90セントで売っている、とも指摘している。

 ただ、義烏市のメーカーから見ると、販売増は、それほど単純なことではないようである。当初は米国市場向けについて、アメリカのバイヤーに卸していたのだが、そのルートが米国政府の政策等からダメになったようである。アメリカのバイヤーは多少高くつくが、東南アジアからの調達に切り替えた、とのことである。ただ、義烏市のメーカーはAmazonを通しての米国市場への直販に切り替え、オンラインストアを開き、米国の状況変化に迅速に対応し、商品開発をし、販売を維持し拡大しているとのことである。

 Amazonで“Trump flag 2024”検索すると、最初の48社の販売者のうちアドレスが中国なものが46社となっている、と紹介されている。義烏の生産者は、ニュースを見、価格づけを行い、迅速に供給対応をしているとのことである。上海のコンサルタントによれば、状況に対応して生産するのに米国だと1〜2週間かかるのに、中国では1〜2日で対応し、安いだけではなく、状況に敏感に生産内容を変化させての供給が可能であると指摘している。

 結果、トランプ陣営の応援旗の多くが中国製であり、米国内に生産が戻るどころではない。それどころか、アメリカのバイヤーが中国以外の東南アジア諸国から調達し米国向けに販売しようとしても、中国の浙江省義烏市の旗メーカーは、Amazonを通しての直販を実現し、アメリカの状況に迅速に生産対応することで、トランプ陣営の応援旗の多くについても、中国メーカーが敏感に機を見ることで、生産供給することに成功している、と指摘している。このことが、いくつかの事実を通して確認されている記事ということになる。

 

 この話のオチは、アメリカのバイヤーが米政府の規制で中国から調達できなくても、米国内での生産と調達に戻ることはない。まず、これが第1点である。第2点は、アマゾンという米国発の新たな流通経路の開発そして発展が、機を見るに敏な中国義烏のメーカーに活用され、中国からの日用品の対米輸出が直販の形で依然として活発に行われている、という点である。あんなに中国からの輸入を国内生産に代替させようと唱えてきているトランプ前大統領陣営、その応援旗についても。という皮肉な話でもある。

 

 本来の議論、産業経済論という私の議論の土俵から見れば、産業と流通は一体のものであり、両者がうまく組み合わさることで、産業の発展や、新たな状況への対応展開が可能となる、ということであろう。市場経済での物作りの要点は、製造業者、「メーカー」の立場から見れば、販売市場とルートの存在の多様性を念頭に、最終消費者の需要とその変化に、いかに迅速に対応するか、そのための物的な生産供給基盤をどのように構築し維持し、ダイナミックな生産体制をつくるか、ということになろう。

 中国義烏市の多様な「メーカー」にとっては、米国市場向けでは、かつての日本の米国市場向けの地場産業産地の企業が抱えていた流通ルートの限定性という問題については、柔軟な輸送網ネットワークとインターネット上での取引網の形成により、大きく緩和されたということができよう。アメリカのバイヤーに依存しなければならない状況以外の選択肢ができ、同時に、市場情報のより迅速な流通捕捉も可能となった。それにより、生産システムの柔軟性をより有効に活用できるようになった。

このような状況下で、トランプ氏は、どのようにして中国製の極めて安価な時機にかなったトランプ大統領候補応援旗のような商品の、中国メーカーによる開発と米国市場での販売を阻止しようとしているのであろうか。あるいは阻止できると本当に思っているのであろうか。中国から第3国経由で米国市場に中国製品についてインターネットを通して供給することも、いくらでも可能であろう。中国の義烏の中小企業にとってさえも。

 米国内で、安価な旗が大量に生産され、自国市場向けに販売される可能性を、前大統領が期待しているとは、全く思えないが。旗の生産も製造業であること、米国にも生産者がいることには、自動車産業と変わりがない。


追記:浙江省金華市義烏市とそこの卸売市場そしてメーカーとは

 (ここからは、926日に追加した)

 義烏市は、浙江省(省都、杭州市)の内陸にある金華市(地級市)の一部を構成する県級市であり、残念ながら、私自身は調査に訪れたことはないが、そこの市場は中国最大級の消費財の卸売市場であると聞いている。義烏市にある中国の巨大な卸売市場は、中国内の多くの卸売市場と同様に、単なる消費財の集散地としての市場ではなく、背後に巨大な生産システムを構築している卸売市場である。多様な消費財の生産が可能となる大小様々な中小企業が、周辺地域に社会的分業的集積を構成し、多様な財の産地型産業集積として市場から発せられる多様な消費財に対してそれぞれ機能的に専門化しながら、需要に対応し、迅速に生産供給する体制を構築している。

 そのような巨大な産業集積への中国内外からの需要の受容と販売の拠点として、その集積の中心に「卸売市場・義烏市場」があるとも言える。このような市場は、まずは巨大な中国内需要を充足するために形成され、それが、国内の多地域のバイヤーの多様な大小様々の注文に迅速に応える柔軟かつ巨大な生産力の集積となり、「市場」となったことで、海外からのバイヤーも引きつけることになった。海外向けにも生産供給する中核に市場がなり、かつその周辺に海外向け製品の生産を念頭におく、多くの「メーカー」も形成された。

なお、この場合の「メーカー」の多くは、私が浙江省の温州市等にある他の市場でみた同様の市場の場合は、「メーカー」と言っても、主要生産部分を企業内で一貫生産するタイプの製造企業ではなく、日本の産地でいう製造問屋、製品の企画開発といくばくかの生産工程を担い、商品の開発販売リスクの主要な担い手となり、多くの部品生産等については、外注に柔軟に依存するような存在、そのような企業が多くみられた。いわば、日本のアパレル産業でいう「メーカー」に近い存在といえよう。義烏市場の場合も、このような社会的分業が広範に行われているようである。

このような柔軟かつ巨大な社会的分業体制の構築、これが「メーカー」による大小様々なある範囲内の新規需要に、柔軟かつ迅速に対応することを可能しているとみられる。

 海外企業が、低賃金労働力等を念頭に、発展途上国内に新たに生産拠点を設けたような生産体系とは全く異なる成り立ちと集積内容を持つものと言える。ここからは全くの想像ということになるが、本記事の米国のバイヤーが東南アジアの国に調達拠点を移した、という場合の多くは、以下のような状況となるであろう。

すなわち、低賃金労働力の動員を中心に、物流インフラがある程度整った労働力が豊富な地域に、調達先工場を新たに「作った」(全く新規ではないとしても、既存の転用等で)場合が多く、多様な柔軟な社会的分業は望むべくもない状況であろう。現在の中国と比較し、表面的には労賃水準は低くとも、変化の激しい消費財需要に必要な柔軟な部品調達等を含めたトータルコストは高くつく、ということになるであろう。かつて、日本の産地型産業集積が、国内賃金の高騰にもかかわらず、ある程度までは、輸出競争力を維持しえたように。

 

2024年8月22日木曜日

8月22日 カリマーニ著『ヴェニスのユダヤ人』を読んで

リッカルド・カリマーニ著(藤内哲也監訳・大杉淳子訳)

『ヴェニスのユダヤ人 ゲットーと地中海の500

(名古屋大学出版会、2024年) を読んで 渡辺幸男

 

 イスラエルへのハマスの反撃、そして、それへの報復としてイスラエルによるガザへの攻撃、昨年10月からの一連の動きを見て、改めてパレスチナ問題と呼ばれているものの中身を、自分なりに理解し直したいと思った。そのため、ガザを巡る現状の紹介の議論をまとめた著作から始まり、パレスチナ問題、そしてユダヤ人問題についての諸著作を読み始めた。その最新の読書対象が、このカリマーニ著の『ヴェニスのユダヤ人 ゲットーと地中海の500年』である。昨日、2週間程度かけ、本文330ページほどのこの本に、ようやく一応目を通し終わった。

 この著作は、副題にあるように、ヴェニスのゲットーですごした、多様な出自のユダヤ人の500年間の話である。ユダヤ人と言っても、イタリア半島各地のユダヤ人、ドイツ系ユダヤ人、地中海東岸地域出自のレヴァント系ユダヤ人、イベリア半島を追われた西方ユダヤ人と、多様な出自のユダヤ人が、それぞれなりの理由で、ヴェニスのゲットーにそれぞれごとにグループ化しながら棲みつき、500年の長きにわたり、全体として独自な社会をヴェニスという大都市の中で構成してきた。それ自体多様であり、数千人規模でありながら、10万人規模のヴェニスの中でも独自性を発揮し続けてきたユダヤ人とその社会、その歴史を時代時代のトピックスを踏まえながら、描いた著作である。

 1516年という16世紀初頭にヴェニスにユダヤ人ゲットーが作られてから、それが解体される18世紀末、そしてファッシストによるユダヤ人迫害が行われた第2次世界大戦期までの500年のヴェニスのユダヤ人ゲットーの歴史を描いた著作である。重い、重い著作、ユダヤ教の信者であるがゆえに、ヴェニスに代々住み着いたとしても、数百年にわたって、ナポレオン戦争で状況が変化するまで、「異邦人」としてゲットーという一種の隔離状況下で暮らし、かつヴェニスの社会・経済にとっては大きな意味を持ち続けた存在、そんなヴェニスのユダヤ人を描いている。

 

 何よりも、この著作から、私が読み取ったことは、改めて、「ユダヤ人」とはキリスト教徒が大多数を占める中のごく少数派の異教徒たるユダヤ教徒の集団、少なくともヨーロッパでは、そのような存在だということである。何故、このようなことを、改めていうのか自らに問うてみれば、「民族」というものがあるとして、そのような存在、1つの「民族」として「ユダヤ人」を把握することは、私が常識的と思うところの民族概念とは相入れないということからである。

少なくともヨーロッパでは、ユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗すれば、「ユダヤ人」ではなくなる、ということを意味する。このような存在であることが、本書から明確に浮かび上がってくる。ユダヤ人はユダヤ教徒であるからユダヤ人、少数派宗教人であるから、圧倒的多数派のキリスト教徒から差別疎外されてきた、少なくともヨーロッパのキリスト教徒社会では。このように、この本を通して改めて確認され、理解された、私には。

その土地の多数派宗教に対する異教徒として、独自の聖典を保持し、当該地域に一般的な言語以外のそれをめぐっての独自言語をも維持し、土着した土地に一般的な言語をもしゃべりながら、ユダヤ教徒間では独自な伝統的な言語を、それぞれの土着した土地の言語との融合により、方言的な分化を遂げながらも維持している。そんな宗教集団、地中海東方地域で生まれた宗教集団が、発祥の地から離れ、地理的にはバラバラになりながら、1000年以上たっても、宗教的一体性を維持し、地中海周辺全体、そしてそこから内陸へも広がっている。広域的に分散し、地方化しながら、保持している宗教を核とし軸とする独自文化集団としての繋がりも維持している、そんなふうに理解された。

また、イベリア半島、そこにはかつてイスラム教徒が支配する社会が構築され、そこにユダヤ教徒も少数派としてだが、ユダヤ人社会として、地中海世界の商業的活動等の有力な担い手として、隔離されることなく存在していた。それが、土着していた土地であるイベリア半島が、キリスト教徒に支配されるようになり、イスラム教徒支配層が排除されただけでなく、イスラム教徒の社会でも少数派であったユダヤ教徒は、キリスト教への 改宗かイベリア半島から退去を求められ、「隠れユダヤ教徒」化した。それが「マラーノ」と呼ばれる人々であり、イベリア半島からイタリア半島へと移動し、ユダヤ教徒へと戻り、西方ユダヤ人と呼ばれたことも、新しく知ったことである。

地中海世界の、少数派宗教の人々・集団であり、それぞれの地域で圧倒的多数派を構成する、イスラム教徒やキリスト教徒ではなく、地中海世界全域に分散し、それぞれの地域でごく少数派だが、堅固な宗教的一体性を保持する宗教集団、それがユダヤ教徒であり、「ユダヤ人」ということになる。彼らは本書の例にあるように、ヴェニスに500年間住み続けていても、「ユダヤ人」であり、「イタリア人」とは、「民族的」にならない、一体化しないということであろうか。ユダヤ教の信仰を保持している限り。宗教を主たる結集の軸とした少数派人間集団、とでもいうべき存在である。

 

このような状況が生じたのは、一神教の世界ゆえなのであろうか。東アジアの世界、特に日本では、多様な宗教、その多くは多神教であるが、それらが共存的に存在し、状況に応じて各人の中でさえ使い分けられ、それぞれの状況に応じて宗教対象とされている。このような世界での「民族」そして「日本人」とは、なんであろうか。考えさせられることになる。言語的一体性ゆえであろうか。現在の米欧での「民族」、これまたよくわからなくなる。

 

「日本人」というとき、何を表象して、その人を「日本人」と我々は見なすのであろうか。両親が「日本人」というはトートロジーであろう。先祖代々多くの時を「日本」と慣習的にみなしている区域内に住んで過ごし、主たる言語として「日本語」を喋ってきた。こんな基準なのであろうか。少なくとも、そこには宗教的な一体性についての議論は、今は全く登場しない。「日本民族」となると、尚更わかりにくい。数千年の歴史でみても、日本列島には、多様な出自の人々が集団移住し、定住している。「縄文人」あるいは「弥生人」と言った形で分類することすらできないくらい多様な人々、集団が住みつき、混淆しているようである。少なくとも近年の遺伝子を調べた結果に基けば。

 

話は「ユダヤ人」とは何かから、「日本人」とは何かに移行してしまった。本書の中心的なテーマは、そのようなことではない。当然のことながら、ヴェニスに長年住み着いた「ユダヤ人」とは、どのような人々であったかが議論されている。そして、それらの人々が、他のヴェニスに長年住み着いた人々と宗教的に異なる集団であるがゆえに、特別な場所、ゲットーに押し込められ、ヴェニス市当局から税負担等、他のヴェニスの人々が負担する必要のないほどの重い負担を強いられてきた。また、就業先の選択でも限定され、金融業、古着商、貿易業等、特定の業務にのみ従業することが認められるに過ぎなかったようである。

 

「ユダヤ人」ゆえの多くの負担等を負いながらも、圧倒的多数派のキリスト教徒に吸収されずに、ユダヤ教徒として自らの一族を再生産し続けられたのか、そのような状況を経験したことがなく、近くに見てこなかった私にとっては、驚異以外の何者でもない。私の娘は、一代前は中国で生まれた方を片方の親とする人々から生まれた夫と、「日本人」として日本で暮らしている。孫たちも、日常的には三代前の先祖が大陸生まれであることを全く意識していないように見える。三代数十年で現地の人々と同質化していると言える。ここからは、500年間の少数派「ユダヤ人」の再生産、維持は、至難のことのように見える。

「ユダヤ人」として生き続けた人々が残り得たということ、圧倒的な少数派でいながら、圧迫されながらでのそれは、すごいこととしか言いようがない。その原動力は宗教なのであろうか。

 

このような少数派として生き抜いた人々の一部が、その子孫の一部が、同じ宗教を信奉する人々が少数派として住んでいた地域から、異宗教の圧倒的多数派先住民を追い出し、自分たち優先の国を、20世紀になって構築する。そして、その国を維持するために、敵対可能勢力を徹底的に力で排除し、その存立基盤をも破壊する。どう考えたら良いのであろうか。ヴェニスのかつてのゲットーの住民から見たら、今のイスラエルによるガザのパレスチナ人破壊は、どのように見えてくるのであろうか。存立再生産、500年間の長きにわたってそれを可能としたヴェニスのユダヤ人ゲットーとは程遠い存在が、今のガザといえよう。

それとも、ガザやヨルダン川西岸に押し込まれたパレスチナ人が、ヴェニスのゲットーのユダヤ人とは異なり、押し込んだ側、この場合はイスラエル側の論理のもとで行動しないから、全てを破壊すること、その存在そのものを否定することも許される、ということなのであろうか。

 

2024年7月22日月曜日

7月22日 ハーリディー著『パレスチナ戦争』を読んで

 ラシード・ハーリディー著(鈴木啓之、山本健介、金城美幸訳)

『パレスチナ戦争 入植者植民地主義と抵抗の百年史

法政大学出版局、202312月、を読んで

 

渡辺幸男

 

 鈴木啓之編『ガザ紛争』(東京大学出版会、20246月)と、バーナード・ワッサースタイン著(工藤順訳)『ガリツィア地方とあるユダヤ人一家の歴史 ウクライナの小さな町』(作品社、20244月)とを読み、『ガザ紛争』に紹介されていたパレスチナ人が書いた「パレスチナ戦争」についての著作、ハーリディー著を読みたくなった。

 『ガザ紛争』は、202310月のハマスのイスラエル攻撃をきっかけに始まった、イスラエルによるガザ地区に対する全面攻撃の話を巡る日本人の専門家たちによる論文集である。『ウクライナの小さな町』は、現ウクライナのポーランドとの国境地帯に位置する小さな町、クラコーヴィエツのユダヤ人たちが、第2次大戦に巻き込まれ、殺され、翻弄され、何世紀にもわたって住み着き暮らしていた故郷を追われる話である。これが、その人々の中のある一家の中で生き残り、現在はウクライナ外に住む数少ない子孫によって書かれたウクライナ西部の町の歴史である。

 そして、このハーリディーの著作は、イスラエルのシオニストにより故郷を追われたパレスチナ人、その中でも名家の一員で、現在、米国の大学で教員をしている人物による2010年代までの100年間のパレスチナの動きを自らの一族を一方の中心として描いたパレスチナ人による「重い」内容の歴史書である。

 

 そもそも、ガザ紛争に関する著作を読み始めたのは、今回のハマスのイスラエル民間人攻撃の位置、意味を自分なりに改めてそれなりにきちんと理解したいとおもったことによる。ロシアによるウクライナ侵略をきっかけに、ソ連とそれ以前の現ウクライナの歴史が語られ、現ウクライナを含む東ヨーロッパがポーランド王国やオーストリア・ハンガリー帝国とオスマントルコ帝国そしてロシア帝国の角逐の場であったこと、その後も含め、第2次世界大戦までは、そこに現在のウクライナ人やポーランド人、そしてユダヤ人も多く住み、そこに住む人々が歴史的に動かされ、多くのユダヤ人が殺害され、「故郷」を後にしてきたこと、これらのことを漏れ聞いてきた。しかし、それらをユダヤ人の問題、パレスチナ人の問題、そして、現代東欧の問題として、それぞれを見るだけで、相互に関連付け、うまく整理し理解することができなかった。また、そもそもユダヤ人とは何か、パレスチナ人とは何か、そして現在のウクライナ人とは、と疑問が尽きなかった。

 そこに住んでいた人々は、「民族的」に「宗教的に」異なるといわれる人々とどのように棲み分け、どのような文化や言語のもとでどのように生活し、激動の20世紀を迎えたのか、知りたくなった。そのために読んだ著作が、上記の3冊である。

 いずれも重い著作であるが、特に『パレスチナ戦争』は「重かった」。本文300ページ余の本であるが、一挙に読み進むことができず、少し読んでは休み、それなりに考え、読み進んだ。『ウクライナの小さな町』も重い本であるが、ユダヤ人として、ナチスによる虐殺を乗り越え、イスラエルに「安住の地」を見つけた人々の話も出てくる。しかし、『パレスチナ戦争』では、最後まで、自らの民族としての「パレスチナ人」として主人公として暮らせる場もなく、その展望も暗いまま、模索が続く現状までの100年の歴史が語られる。

 また、ユダヤ「民族」、アラブ「民族」、スラブ「民族」という時に想定されているものと、ユダヤ人、パレスチナ人、ウクライナ人として区別される時とでは、何が違い、何が共通なのであろうか。こんなことも知りたかった。が、3冊を読み進むうちに、私の内部で、ますますわからなくなった。

ウクライナのいまの大統領、ゼレンスキーは、ユダヤ系(ユダヤ教徒?)でありロシア語話者であるということである。著者、ハーリディーとワッサースタインは、それぞれ、パレスチナと現ウクライナ西部の人々の流れを汲むが、今は、米欧で研究者・大学教員として活躍している。民族的出自、これを意識し、米欧で生き、活躍している2名の方ということもできる。

 

 民族とは何か、その民族的自立、民族としての独立とは何か、それが極めて流動的なものであり、一面では、集合体の意識、自己認識の問題とも言えるのかもしれない。

 西ウクライナの小さな町で第2次大戦時に生じたことは、歴史的にその地で長く暮らしていたユダヤ系と自認し、ユダヤ教の信仰を守る、数百年前から、その地の町で商業活動を中心に生きてきた人々の集合体が、完全に破壊され、その構成員の多くが殺され、他の地域へと追い出された、ということである。

パレスチナ人の場合は、イスラム教を信仰しアラビア語をしゃべる、その地に圧倒的多数派として数百年以上住んでいた人々の集合体が、突然、英国そして米国の援助を受けたヨーロッパ各地に住んでいたユダヤ教徒の集団によって、地域の圧倒的多数派から、少数派にされ、良くて2級市民とされてしまった。あるいは、ヨルダン川西岸地区やガザ地区といった狭い地域に、まともな自治も行うこともできずに、難民として押し込められてしまった、ということであろう。

いずれの場合も、上記の本の著者達のように、東ヨーロッパやパレスチナの地を離れ、活躍している人々は存在するが、一方のユダヤ人は、元来長く住んでいた欧州の町々から追い出され、他方のパレスチナ人は、欧州から追い出されたユダヤ人の一部、英米の支援を受けたそれにより、少数派にされ、多くが住みなれた地を追い出され難民化させられたと言える。

 

私にとって理解できないことの1つは、長年住みなれた地から強制的に排除され、多くの親族や友人を殺害されたのがイスラエルの多数派の支配層の人々でもあるにもかかわらず、自らが、今度は、そこに長く暮らしていた人々の社会を破壊し、人々を殺害し駆逐排除し、ユダヤ教の伝説上の土地への集団的移住とそこでの支配的存在となることを目指すということである。そういうユダヤ教の人だからこそ、このようなことが正当化されるのであろうか。本人達の心の中では。

ヨーロッパ各地で迫害され、殺害された人々の中で、生き残った人のうちのかなりの人々が目指すシオニズムとは何か、ということになろう。そのためには、それまで住んでいた人たちに対し、どのような迫害を行うことも、許されるということなのであろうか。欧州のユダヤ教信者の生き残りだからこそ、許されるというのであろうか。欧州や米国への第2次大戦後のその時点での先住民を排除しての排他的進出ではなく、英国の植民地でのように新大陸やアフリカでの当時の先住民を排除しての進出と同様に、「遅れた」人々を排除しての進出ゆえに正当化されるというのであろうか。そうだとしても、アラブ人は、ヨーロッパ人にとって、ある時代まで学ぶべき先進文明の担い手であったはずだが。

 

英国人にしても、米国の人も、そこの支配層の人々は、植民地で先住民を駆逐排除し、自らの世界を築いてきた。典型的なのが、米国での英国を中心とした欧州系白人の移民であろう。西部劇という、悪役としてのインディアン(北米大陸の先住民の蔑称)と白人の騎兵隊の戦い、白人の幌馬車隊をつくっての先住民の地への侵略、それを阻止しようとする先住民、その幌馬車隊の侵略を援護する植民者の騎兵隊、そこでの戦いの正義は常に、幌馬車隊と騎兵隊側にあり、そこに長く住んでいた先住民(インディアン)は侵略者を阻止しようとする、現代的に見れば正義の防衛戦争であるはずが、我々が見(せられ)てきた話では、悪役としての先住民の敗北、侵略者の侵略成功で「めでたし、めでたし」となる。そして、生き残った「インディアン」の人々を、インディアン居留地に押し込める。

先住民の人々は、原来の生活環境を大きく変えられ、積極的な展望をひらけなくなる。まさに、パレスチナで起きたことは、先住民たるパレスチナ人の抵抗、それらの人々を虐殺し排除、そしてヨルダン川西岸とガザ地区へのパレスチナ人の押し込みであり、かつて数百年前に北米等で生じたことの再現ゆえに、中東ヘのユダヤ人の大量進出と先住民としてのパレスチナ人の排除、居留地への押し込み等は、欧州の人々には赦されるのであろうか。特に、幌馬車隊・騎兵隊の側であった英国人と米国人にとっては、占領者が、占領者内での民主主義を実行しているがゆえに、先住民を排除することを赦されるというのであろうか。

私が、テレビ等で米国制作の西部劇をみたのが、第2次世界大戦後であった。まさにシオニストによるイスラエル建国時期に、英国人を中心とする欧州白人による米国建国、その際の先住民征服についての正当化の「ものがたり」、「宣伝広告」を見せられていた、ということになる。

欧州系白人だけの民主主義、これが米国の「民主主義」、少なくとも南北戦争までは明白に、かつ明示的に、先住民は、駆逐排除される存在、西部劇の敵役、奴隷としての黒人は人間以下、この上に合衆国白人の「民主主義」は構築されていた。同じことをアラブ系住民にたいし、イスラエルのシオニストは行ってきた。それも第2次大戦後の植民地解放運動が広がる中で、南アでの欧州系移民による先住民抑圧と共に。そして、欧州での白人から排除された欧州に住む「ユダヤ人(ユダヤ教信者)」は、自分たちだけで、アラブ人を排除し、自分たちだけで、アラブ人が圧倒的な部分を占めていた中東の地に、ユダヤ教徒ゆえの正当性を、すなわち自らの抱えてきた伝説に基づき自らの行動の正当性を主張し、アラブ人を排除し、「ユダヤ人」が多数派を占める国を作った。それを英米が積極的に支援してきた。

それに対して、中東の他のアラブ諸国は、当初はイスラエルのアラブ同胞の排除に反対した。しかし、権威主義的な国々であるがゆえか、英米の圧力のもと、結局、妥協し許容する方向に動いた。鬱屈したまま(存在として、物理的にも)のパレスチナ人達、その気持ちを歴史的に振り返ることで説得的に伝えてくれた著作が、ハーリディーのこの著作なのであろう。

重い、重い著作である。

 

 歴史的には、上記のような先住民の暴力的排除を行なった上での、外来者集団による占拠は、数多く存在する。

北米が、ほぼ全面的に該当し、カリブ海の島々は、外来者が占領し、先住民を支配し収奪しようとしたが、外来者が持ち込んだ疫病等により全滅させてしまい、アフリカから奴隷を輸入し、欧州人支配の植民地を作った。南米大陸では、先住民の数が多く、疫病等で全滅させることができなかった地域は、先住民を労働力として使役する侵略者による支配体制を作り出し、先住民が全滅したところでは、カリブ海地域と同様な、アフリカ人の奴隷としての輸入が行われた。

我々が習った欧州史、そこでも、今優勢な諸民族の歴史が語られ、それらの人々が、どのように欧州をそれぞれとして今の地にやってきた(征服してきた)かが綴られている。しかし、欧州にはローマ時代、否それ以前から人は住んでいたのであり、先住民がどうなったのかは、ケルト人等の激動の中で生き残った先住民のその後しか見えてこない。伝えられない。

また、中国の歴史を見ると、先住民として中原の農耕民と、周辺の遊牧系の人々との争いが頻発し、集団移住が生じ、支配者のみではなく、居住民が集団的に入れ替わることも繰り返し生じたようである。生き残った集団の記録は残るが、抹殺された先住民の記録はわずかしか、否、ほとんど残らないがゆえに、集団移住先に住んでいた先住民の状況やその後については、多くの場合見えてきていないが。

日本の歴史を顧みても、縄文人、弥生人と言われる人々が、海をわたり何度となく移住してきたと言われているが、その時点での先住民がどうなったかは不明ということであろう。また、「蝦夷」と言われる地域は大和言葉とは異なる言語の人が住んでいたようだが、現代につながるアイヌの人以外は、駆逐されたか同化され、その存在が遺構としては残っており存在は確認されているが、現代人への繋がりを含め、具体的な形では見えてこない。

 

 人類の歴史は、征服側の民族的発想でいえば、先住民を追い出し、あるいは皆殺しし、また、支配集団として、奴隷労働力化した事例に溢れてかえっている。しかし、相互尊重、民族間対等をうたう近代以降において、当初は、これは欧州人の間だけの話であったようだが、植民地独立が当然となった第2次世界大戦以降において、他民族の駆逐排除さらには絶滅の行動を行うのは、世界中で、どんな理由でも許されものではなく、赦されるものではないはずである。しかし、現実に起きている。それを見せつけたのが、第2次大戦期の欧州在住者間での駆逐としてのナチスによるホロコーストであり、第2次大戦後のシオニストによるパレスチナ人駆逐排除である。ここまでは、これら3冊を読んで改めて確認し、理解できた。

 しかし、何故、そのような行動が、現代において許容されているのか、未だ許容されているのか。まさに今の「ガザ紛争」がそうであるように。そこでは、多くを殺し、集団としての存在を抹殺することが目指されているように見える。

現代もそれ以前と変わらない世界、結局生き残った集団が、生き残ったゆえに自らの存在の正当性を主張できる、かつてと同じ世界なのか。民族としての死を含め「死人(消滅(民族)集団)に口なし」の世界なのか。キューバの先住民がそうであるように。今存在しない集団については、歴史的にどのような集団か確認することすら困難だし、ほとんど誰も確認しようとしない。考古学の世界以外では。欧州での先住人類、ネアンデルタール人が、DNA鑑定の世界では現代人との繋がりが確認されても、それだけであり、現代人類と共存していた世界、そして絶滅に至った経緯が、具体的には全く見えてこないように。

 

国際連合ができて、もうすぐ、80年になろうとしている。

2024年7月11日木曜日

7月11日 日経「中国車、欧州へ攻勢やまず」を読んで

 日経記事メインタイトル「中国車、欧州へ攻勢やまず」

(日本経済新聞、2024710日、12版、3ページ)を読んで

渡辺幸男

 

この記事のサブタイトルは、「BYD、トルコに新工場」、「現地生産で関税回避」それに「日米欧、競争力の強化急務」である。さらに、それに併設関連記事として「供給過剰が招く悪循環 値下げ・淘汰 車産業、転換期に」と言うタイトルの記事が掲載されている。

この記事は、中国の自動車メーカー比亜迪(BYD)が、EUによる中国製EVへの追加関税の適用の回避を狙い、トルコに工場を新設するということを中心に、いくつかの中国EVメーカーが欧州に工場進出するということの記事である。私が特に関心を持ったのは、この主たる記事に併設された「供給過剰が招く悪循環」という関連記事の方である。

 この併設記事では、「中国では」「新エネルギー車分野で少なくとも50社以上が乗用車を生産し、激しい競争が続く」とし、比亜迪(BYD)が「10車種以上の値下げに踏み切った」と紹介している。さらに、「25年の新エネ車の生産能力は3600万台規模に達するとの見方がある」と述べ「生産台数見通しと比べ、2000万台近く過剰となる試算だ」としていることである。

 記事では、国内市場への供給過剰から、輸出志向が高まり、最初は米欧市場を目指すが、そこから関税引き上げ等で締め出しを喰らうと、東南アジアや南米市場に向かい、現地の既存企業の存立を危うくしかねないとし、世界の自動車産業は「低価格な中国車と対峙する転換期を迎えている」と締めくくっている。

 

 この記事から浮かび上がってくることの第一は、私にとっては、まずは中国市場の高い成長性と巨大さである。それとともに、中国でのEV産業での激しい(参入)競争の存在である。その上で、私の関心は、当面、それが海外輸出を促迫し、中国外の既存の市場の改変をもたらすということよりも、中国EV市場の巨大さと激しい競争それ自体が持つ中国と世界のEV産業への意味にあり、そのことを考えたくなった。

 

 この記事から、私にとって示唆されることの第一は、1990年代以降の中国の産業発展の特性が、より巨大な形で、ここでも繰り返されている、ということである。私が2000年代に垣間見た中国の産業発展の大きな特徴は、丸川氏のいうところの垂直分裂(垂直的社会的分業の深化)と、多くの多様な企業による激しい参入による激しい競争、市場の急激な成長拡大と、その中での垂直分裂により専門化した企業の中での激しい淘汰である。その中からスマホの小米やドローンのDJIのような、少数の活力ある生き残り企業群が形成され、それら企業に担われる新興産業市場が巨大化した。

 自動車産業の1600万台規模の販売市場、この記事から推測される2025年の中国EV市場についての大きさ予測であるが、この規模は、当たり前だが、日本の自動車産業全体の国内市場、年500万台以下と比較しても、また、米国の自動車全体の市場としての1500万台前後と比較しても、大変巨大なものである。中国の自動車市場の規模は3000万台規模だそうなのだが、その中で半分程度を占めるということであろう。EV等、新エネルギー車だけで。

 さらに興味深いのは、そこに、まだ、50社が存在し、競争し、膨大な過剰生産能力が生まれているということである。米国はいざ知らず、自動車メーカーが相対的に多いと言える日本でも10社足らずということになろうか。ということは、中国の国内の新エネルギー車産業では、他国では見ることができないような巨大市場が形成され、極めて激しい競争が行われて、これから本格的な淘汰が始まる。そんな状況にあるということであろう。極めて巨大な成長国内市場は、50社の中国立地企業の前にある。しかし、他方では、全体ではきわめて過剰な生産能力を抱えている。ここから生じることは、激しい競争による企業淘汰の中での、相対的に少数の生き残り企業の選抜ということになろう。過剰生産能力は、退出をやむなくされる敗退企業単位で、急激に排除されることになろう。寡占的な市場支配のもとでの過剰生産能力、既存寡占企業がそれぞれ応分に負担し、それぞれにとっての遊休生産能力化せざるを得ないそれとは、大きく異なる過剰生産能力である。社会的な「無駄」「浪費」であることは、確かであるが。しかし、ある意味、健全な資本主義的新興競争市場の出来事といえよう。

 50社を数える多数の企業にとって、過剰生産能力の圧力の下、いかに差別化に成功し、成長巨大市場の果実を自らのものにするか、どのような差別化を試みるか、差別化をめぐる極めて激しい競争、ということになろう。価格引き下げは当たり前、その上で市場が受け入れる独自性を持つ、言うのは簡単だが、極めて難しい。しかし、市場は巨大かつ拡大しており、差別化を試みる余地は豊富に存在する。ダイナミックな極めて激しい競争とそのもとでの市場退出が頻発し、集中が進む過程が、成長巨大市場をめぐって進行している、ということであろう。

 

 このような競争こそ、これまでの中国で独自な差別化戦略を用いて、激しい競争のもとで、それぞれの新形成された中国国内市場で覇者となった企業群を作り上げてきたものである。日本の戦後高度成長期に行われた「過度競争」といわれた激しい競争、これは6大企業集団間競争と呼ばれ、系列間競争と呼ばれたが、成長する大規模化市場をめぐる既存巨大企業を中心とした、多角化し(準)垂直統合をした寡占企業グループ間の「過当競争」であった。それとは、異なる形態の「過当競争」、極めて高度な垂直的社会的分業を実現している新興企業間による激しい生き残り競争が、中国の新興巨大市場、多分かつて他国には見たことがないような巨大成長国内市場を巡って始まっていると言えそうである。

 これまでの中国を見ている限り、成長巨大市場の形成過程での激しい競争は、多数の企業が参加する中、圧倒的多数の企業の脱落をもたらすが、同時に少なくない数の多様な新機軸により激しい競争の乗り越え、急成長を遂げる企業をもたらしている。市場が成長している中での「過当競争」であるが故に、共倒れではなく、少数だが多様なチャンピオン企業群を生み出す可能性が高い。今回の新エネルギー車での覇者は、何社で、どのような革新を実現し、次の産業発展を担う存在となるのか、極めて楽しみな状況と言える。中国産業発展を考える立場から言えば。

 これを、この同じ現象を見ながら、記事では「悪循環」と呼んでいる。同じ事象を見ながら、見る視点の違いによる大きな評価の違いが生じることを感じる記事でもある。私は、ここに、新エネルギー車での第二のDJIの誕生の可能性をみたい。中国経済にとっては、新たなチャンピオン、ドローンのDJIのように当該分野で世界チャンピオンになる可能性のある企業(群)の「産みの苦しみ」が始まっている、と言うことであろう。

 

*本文で使用している「垂直的社会的分業」という概念は、近年、日経等で解説付きで使用されている「垂直分業」とは、全く異なる概念である。日経では力関係での優劣関係を表す取引関係の概念が「垂直分業」で、対等な取引関係にある分業が「水平分業」だそうである。しかし、もともと水平的社会的分業と垂直的社会的分業とは、取引関係での力関係の差異を表現するものではない。そうではなく、企業間分業の際の同じ製品に使用される部品同士のような同じ次元の分業と、連続する工程の前工程と後工程との分業という、分業の際の生産上の位置関係を示す概念である。ここでは、当然のことながら、生産上の位置関係の意味で垂直的社会的分業という概念を使用している。念のため。

2024年6月30日日曜日

6月30日 個別各国産業論と経済理論の差異

 個別各国産業論と経済理論の差異

渡辺幸男

 

1970年代後半から2010年代にかけて行った、日本と中国における中小企業を中心に見た工業発展実態調査研究を通して考えたことと、その意味について、経済理論との関連付けについて改めて考えた。

 

 工業中小企業の存立形態は多様であり、それらの企業が当面する市場も多様である。しかも、それらの市場が置かれた経営環境も多様である。この多様性の中で、それぞれの工業(中小)企業の市場での競争が展開され、競争の成果が生じてくる。環境と主体の多様性は、結果の多様性をもたらす。

 競争的環境が投下労働あたりの生産量の拡大という効率性をもたらす、ということは間違いではないが、競争的環境は多様であり、結果として効率的に達成する成果の方向性も多様である。このことを、日本と中国の中小企業の実態調査を通じて痛感した。

経済学での諸資本の競争と経済の発展の数量的表現は、多様な可能性を付加価値額や利潤あるいはGDP等の一元化した指標で評価、還元した際に抽象的に得られるものである。この点についても実態調査を通して痛感した。結果としての工業生産拡大、経済拡大は、多様な経路と成果内容を通して実現されるのであり、均質な多数の市場を前提に、均質な企業が、同様の競争を行うことで、質的にも同一な量的な拡大を意味するものではない。この点を痛感した次第である。

常に変化の経路の多様性を伴いながら、また発展内容の質的変化を伴いながら、量的な拡大あるいは縮小は生じるのである。結果としての量的評価は、あくまでも抽象的に量に還元した結果として生じるものであり、本格的な工業発展過程では、通常は多様な経路をたどり質的変化を伴いながら、生産力としての量的拡大という変化も生じると理解すべきである。というよりも、多様なルートを経由しさらに質的変化を伴うことにより、本格的な生産力の量的な拡大も可能となると言ったほうが良いかもしれない。確かに、状況によって、多様性の内容と変化の程度は異なるにしても、多様な経路でかつ質的な変化を伴いながら量的な拡大は生じているといえる。

 

 以上の点を痛感したのは、実際に日本と中国で工業の発展を中小企業の視点から見た際である。当然のことであるが、経済学の教科書にある市場と競争の世界は、マルクス経済学のものであれ新古典派経済学のそれであれ、抽象化された市場と競争なのであり、産業発展をもたらす実際の経路、市場と競争のあり方は、多様で極めて変化しやすく、抽象化されたものがほぼそのまま存在するといったことはない。これが調査を通して見えてきた。

 

 その要因として、私が調査を通して最も感じたものとして、それぞれの経済が置かれた大きな意味での市場環境ないしは経済環境が、まずあげられる。

 戦後高度成長を遂げた日本経済、その発展の中核を担った工業部門特に機械工業部門について見れば、その地理的環境や時代環境から、先進工業資本による直接投資、企業進出が限定的であり、ライセンス生産を自国系資本すなわち日系現地工業資本が行う可能性、余地が大きな分野が多かったことである。

 それに対して、計画経済から改革開放経済へと移行した1990年代以降の中国経済について言えば、状況は全く異なり、外資系工業資本の現地直接投資が非常に多く見られたという特徴がある。ただし、この際の直接投資された外資系企業の生産物が向けられた市場は、外資系企業の出自である先進工業国市場すなわち中国にとっての海外市場であった。中国市場は人口が多いが所得水準が低く、当時の先進国からの直接投資企業が生産する製品の市場としては、極めて限定的な大きさの市場であった。

 

 同時に、日本の戦後発展過程での状況と、ある意味同様に、改革開放下の中国の産業インフラ、電力や水道そして港湾・道路・鉄道等についてみれば、近代工業が展開するに必要な最低条件を備えていた。それを実現したのが計画経済下の中国経済と言える。しかも、改革開放下の中国経済は、工業労働に動員可能な初等教育を受けたレベルの労働力が、他の地域に例を見ないほど豊富に動員可能であった。進出先の地域それ自体に存在しなくとも、内陸農村地域からの出稼ぎ労働力として、低賃金のままある意味際限なく採用を量的に拡大できる状況であった。この極めて豊富な低賃金労働力を最終組立等の工程に利用する形で、多くの中国外の先進国資本が中国に直接投資したのである。

 この限りでは、中国系資本そのものによる工業発展は見えてこない。中国の改革開放を契機に、輸送コストの低下等で、広域的企業内地域間分業が可能となった先進工業国資本が、豊富な低賃金労働力そして外注先として中国系企業群を大量に利用し、中国からの輸出向け工業生産を拡大した、という工業発展に過ぎない。

 しかし同時に、このような工業発展は、当時の中国の全体的な労働人口から見れば少数派であっても、都市労働者や出稼ぎ労働者といった賃金労働者を大量に、他の国に比較すれば、巨大な賃金労働者群を作り出した。これらの賃金労働者群を中心とした中国国内での新たな消費者層の形成は、現地に直接投資した中国にとっての外資にとっては、あまりにも所得水準が低く、自らの市場として開拓することが困難な低価格商品への需要のみしか生み出さなかった。しかし、総量としては巨大な超低価格商品市場が、潜在的に形成された。

 これを開拓したのが、中国の新規形成企業群であった。既存の工業技術を蓄積していた計画経済に由来する国有企業は、市場の変化に対応して、それに対応した超大量の超低価格消費財とそのための生産財や資本財を開発し生産する能力、すなわち市場動向を踏まえた製品開発を行い、生産を行う能力に欠けていた。ここまでは、ロシア等の旧ソ連圏の国有企業群と同様であった。

 中国の改革開放下での特徴は、旧国有企業群の外側に、大量の多様な新興企業が形成されたことである。それが新設の地方国有企業であり、郷鎮企業であり、赤い帽子を被った民営企業、さらには純粋な民営企業群である。これらが有象無象と呼べるように、雨後の筍のように、各地で大量に形成された。これらのタイプの企業の分布は、それぞれの地域で大きく異なるが、新しい市場形成を我が物としようと、実に多様な多数の公有や私有の新企業が形成されたのである。

 これらの企業のほとんどは、市場開拓等に失敗し、消滅していていった。しかし、その無数に形成された新企業の中から、市場のニーズを捉え、それに適合した超安価な製品を供給する幾つもの企業や、そのための部品や資本財を開発する多数の企業が形成され、さらにそのいくつかは生き残り、発展した。

 

私が中国調査を始めた時点、2000年代初頭に見たのは、この生き残って元気に国内市場を開拓している企業群が活躍している状況であった。その典型が浙江省温州市の民営企業群であり、中国各地に温州城という商業拠点や浙江村といった生産拠点を作り上げ、温州産の安価な消費財や現地付近で仕上げをした安価な消費財を中心に販売を伸ばし成長していた。

 あるいは、天津市の自転車産業、ここでは、国有企業として計画経済下で中国の主要メーカーとして、生産台数では当時から世界有数の大きさをもつ、一見すると寡占的市場支配企業に見える存在であった飛鴿自行車という巨大垂直統合企業が存在していた。寡占的大企業に見えたにもかかわらず、1990年代後半には新興の私営企業との主役交代が生じ、2000年代初頭に我々が天津に調査に行った時点では、飛鴿自行車はなんとかかつてのブランドを使って生き残っているに過ぎない状況になっていた。元気が良かったのは、天津とその周辺に蓄積された人材や資本財を活かし、新規に開業したいろいろなタイプの私営企業であった。それらの企業が、中国国内市場の自転車需要の変化を把握し、あるいは掘り起こし、既存の巨大国有企業に取って代わって、天津自転車産業の主役となっていた。

 これらの企業は、巨大垂直統合企業であった飛鴿自行車と大きく異なり、完成品組立といった最終的な生産といった生産工程に専門化し、また各完成部品に専門化し、各加工工程に専門化していた。そして、他の企業と個別繋がりを持つこともあれば、各部品市場を通じて必要な部品を調達する等によって、完成車としての自転車生産工場群を構成していた。天津を中心にした社会的分業が形成されていたが、部材の調達はそれに限定されず、中国華南地方の部材生産企業からの調達をも射程に入れたものであった。

 完成車メーカーには、日本等の企業から受託生産をも行うとともに、自社ブランドでの輸出を試みる企業も多く存在した。いずれにしても、米国や欧州を中心としたグローバル市場では、それまでにないほどの低価格な自転車として、その存立基盤、市場を確保し、高度な社会的分業を背景にし、外資系を含めた世界最大の自転車生産国である中国の一方を担っていた。もちろん、中国には、ジャイアントのような台湾系企業やブリヂストンのような日系企業も現地進出し、中国外市場向けに自社工場での生産やOEMによる委託生産をも行い、その生産の多くについて輸出していた。

 それらの中国市場にとっては外資系の企業と、市場を棲み分けながら、中国内の基盤産業については、必要に応じて共有するような形で、棲み分け共存していた。

 

 そこから見えてきたことは、極東の当時は孤立的に存在していた国内市場を前提に、海外技術の導入を軸に、自国内企業同士の激しい競争を前提に急成長した日本の機械工業を中心とした工業発展とは、全く異なった中国地元工業企業の形成発展そして中国産業発展であった。急激な工業発展を実現した東アジアの諸国経済、私がある程度詳しく見ることができたのは、日本の工業と中国の工業だが、そのほかの韓国や台湾の工業も、それぞれ独自な市場のあり方と自国系企業の競争のあり方を前提に、それぞれなりの発展を実現している。

 

独自な市場環境事例 ファーウェイ(華為)にとっての市場環境

 こんなことを考えている中で、興味深い日経の記事に遭遇した。「ファーウェイ0S搭載9億台」(日本経済新聞、2024627日、12版、p.15)という記事である。サブタイトルに「中国シェア、アップル上回る」「米規制下、内需取り込み」とついている。

 米国からの種々の規制を受けたことで、ファーウェイ(華為)は、輸出市場で大きな制約を受け、売上高を大きく減らした。しかし、中国市場を改めて再開拓するために、スマホ用の独自なOS等の開発等を通して、中国市場を開拓し、スマホ等でこれまでの中国市場での首位企業アップル社を上回り、売り上げは十分には回復していないが、利益は規制開始の19年を上回るようになったと紹介している。そのために膨大な研究開発投資をしているが、それを中国市場で活かすことで、大きな利益を実現したのである。

 

 かつて、日米自動車貿易摩擦で、日系乗用車メーカは米国市場へ直接投資をすることで、米国側の規制を回避し、その後のさらなる成長に繋げた。輸出市場としての米国市場へのアクセスを拒否されたことを、直接投資による現地生産化で回避し、市場そのものとしては、輸出で確保していた市場を維持することで、国際的に競争力ある乗用車メーカーとしての地位を持続し得たと言える。それに対して、ファーウェイの場合は、多くの先進国市場から締め出され、自国市場中心の販売を限定されながらも、その市場で既存の外資系首位企業に取って代わることで、業績を利益面で見れば、十分に回復したと言える。

 ここから見えてくるのは、中国市場の巨大さである。かつて中国市場向けに開発された現地民営企業等の安価な自転車が中国市場を席巻し、その結果、中国系自転車メーカーが成長し、世界の中低価格自転車市場の圧倒的部分を占めるようになった。また、中国の潜在的に巨大な携帯電話の需要を、安価で独自な機能を持った山寨手機(正式認可品ではない従来型携帯電話)群が開拓拡大し、輸出品としても一時アジアをも席巻した。そこから見えてくるのは、市場環境としての中国国内市場の持つ(潜在的)巨大さである。

 最先端のスマホ、膨大な研究開発コストがかかるそれを、独自に開発する能力を中国企業が持ち、先端化した事実を、このことは示している。同時に、中国国内市場向けにもっぱら販売するだけで、独自なスマホの研究開発費用を回収し、なおかつ膨大な利益を実現できるという巨大さを、中国市場が先端製品にたいしても持っていることが、この記事では示されている。現在の中国国内市場の持つ豊かさと巨大さが、改めて実感される結果となった。

 

 第2次大戦後の20世紀においては、このような巨大さを備えていた一国市場としては、米国市場のみと言えるであろう。米国市場は、当時の最も規模の経済性を必要とする乗用車産業で、全く独自の大型車群で世界最大の巨大な市場を構築することが可能であった市場である。人口が3億人以上で、所得水準が高い米国市場は、いまだ、独自な巨大先端産業が、米国市場をもっぱら対象として形成されうる市場でもある。かつてはそれにEU市場が肉薄するかのように思われたが、巨大な先端産業企業の形成の場としては、そのEU市場を上回って有効なのが、中国市場と言えそうである。

 その中国市場は、単に巨大なだけではなく、成長している市場で、12億人余の人々が、高所得国の入り口に差し掛かっている段階の市場である。すでに都市に住む約半数の人々は、高所得国並みの所得水準にあり、それだけで他に例を見ない巨大な市場を形成しているが、それに農村市場が成長し、かつて世界に例を見ない巨大な国内市場が形成されようとしている。その市場を活用し米国市場等からの締め出しを耐え忍ぶことに成功したのがファーウェイともいうことができよう。海外市場での成功を元に巨大化したTSMCやサムソン電子等には存在しえない経営戦略上の選択肢といえよう。

 アメリカ政府は、先端産業企業にとっても、このような存立環境の違いが持つ意味を、どこまで理解した上で、華為に制裁を課したのか、あるいは現状でもどこまで理解しているのか、私には疑問に感じるところである。日本市場を基盤としたトヨタ自動車に対して有効であった政策手段が、中国市場を基盤としている華為にも有効であるかは、その企業が置かれた市場環境によって大きく異なるのである。ここも、経済学の教科書での競争一般の議論と大きく異なる多様性の1つである。

 すべての中国企業が、中国市場の巨大さを活かし、海外市場から締め出されても国内市場を中心に再生し、さらなる飛躍を遂げられるわけではない。しかし、同時に、中国企業には、中国市場に戻ることで、新たな先端企業としての可能性を模索し、構築する可能性が与えられている。これは、韓国企業であるサムソン電子が追求可能な場ではないのである。韓国市場に引き篭り、再生することは、巨大化したサムソン電子には不可能である。グローバル市場で先端技術をめぐって競争している巨大企業について、それぞれが基盤としている市場によって、その存立発展のための選択肢は異なってくる。このことを如実に示したのが、この華為の記事である。

 

 経済理論の次元での企業の再生産の可能性と、具体的な市場での存在としての企業の再生産の可能性とその余地は、大きく異なっている。これを日中の中小企業を中心に見た産業発展から痛感した。