アラン・テイラー著、橋川健竜訳『先住民vs帝国 興亡のアメリカ史
北米大陸を巡るグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房、2020年)
を読んで 渡辺幸男
本書の特色は、北米でのUSAの独立そして拡大を、先住民の生活する北米への英国系植民者の侵略として示し、その拡大過程を、他の欧州系植民勢力と、現地先住民諸部族とのせめぎ合いの中で示していることにあるといえよう。
しかも、USAの地理的形成としては、現行の北米大陸の中緯度を大西洋岸から太平洋岸までを支配するのは、ごく最近、19世紀半ば前後以降の話であり、それまでは、フランスやスペインの植民地がミシシッピ川西岸にあり、その地域で面的な展開をしていたのは、スペインやフランスの植民者ではなく、先住民諸部族であったとのことである。
このようなことさえ、私の常識には入っていなかった。あるいは私の意識に定着していなかった。情けない話である。USAは、独立当初から北米大陸の「大国」、大陸を大きく覆う国のように勝手にイメージし、思い込んでいたのである。
また、本書では、北米の先住民の被征服前の状況、その一定の部分での農耕文明の形成とその浮き沈みが描かれている。これまで私が読んだ北米の先住民がらみの本は、先住民としての生活、特に農耕への従事についての言及がほとんどなく、勝手に狩猟中心の生活を送る人々で、中米や南米のアステカやインカの人々とは、大きくその生活内容が異なると誤解していた。しかし、本書を通して、彼ら北米の先住民の人々も、とうもろこし、じゃがいも、キャッサバの育成を中心とした農耕にも従事する人々を、多く含む人々であることが理解された。
さらに、スペイン人によるアステカ征服等の過程で、アステカ帝国を支配していた先住民の特定の部族の人々と、それらの人々に征服された先住民の他の部族の人々との対立を、スペイン人がうまく利用し、少人数での最終的な中南米支配へとつなげた、という記述を多く読んできた。本書において、北米の英国系植民者の大西洋岸の植民地からの内陸支配の過程でも、同様に先住民部族間の対立が利用され、最終的な英国系植民者による内陸部支配が実現したことも、理解された。
特に興味深かったのは、先住民の中で欧州人の進出に対抗した勢力が、欧州人が持ち込んだ馬を、自ら繁殖させ、戦闘に積極的に活用するようになったこと、このことが、北米先住民の欧州系植民者に対する、強力な抵抗する力となったことを指摘していることである。同時に、また、銃をはじめとする鉄器や火薬を欧州人から手に入れ、戦闘にも使ったが、鉄や火薬そのものの生産には至らなかったことで、欧州人との戦闘過程で、銃弾等が不足し、不利となり、敗戦に至っていたこと、このことも指摘されている。先住民の一部の部族の強力な反欧州人戦線の形成と、その一定の成功、そして限界とが、私なりに理解できた気がした。
18世紀後半でも、アパラチア山脈東側が、とりあえずの英国系欧州人の本格的な植民地域である。そして、その時点でその西側は、実質的に先住民居住地域であったことが、指摘されている。これも興味深い。同時期に北米の英国系植民地の西側、すなわちアパラチア山脈の西側に展開していた英国系以外のスペイン系やフランス系の植民地は、点的な支配であり、地域全体に植民者が展開し、地域として植民地を形成していたとは言えなかったこと、この点も指摘されている。とくにこの点はスペイン系の植民地に顕著にいえるとのことのようで、中米の植民地での面的な展開を確実にするために、北米の南部にも拠点を設けていた、ということである。
北米での欧州系植民地の形成というとき、欧州人が植民地支配の面的な支配を宣言しているが、実際には港湾等の拠点を支配し、内陸の先住民との交易等を独占していることと、欧州人が面的に入植し、地域全体として欧州人が展開支配している状況とを、明確に分けて理解することが必要であろう。
この点、「植民地」と宣言され、その地域が植民者によって武力で拠点支配がなされていても、拠点以外の空間が、どのような先住民の生活との繋がりを持っているか、植民地ごとに考察することが必要なのであろう。植民地は、インドのような上部支配構造の外部勢力による支配、そのことを通して地域の富の植民者による吸い上げ収奪と、先住者を基本的に排除し、生活空間全体を植民者の世界としてしまう植民とで、根本的に意味が違うはずである。この点を、私は朧げには理解していたつもりだったが、北米植民地の歴史を先住民からの視点も含め見ることで、より明確に理解することができたようである。
先住民からの収奪を目的とする植民地支配と、先住民を排除しての働く人々(輸入される奴隷を含め)を含めた植民による地域支配、この違いがようやく明確になってきた。同じ「植民地」といっても、先住民にとっては、全く意味が違うことになる。
域外勢力による先住民からの収奪を中核とする支配と、域外勢力による先住民の存在そのものの破壊による土地支配、その最たるものは、カリブ海諸島の支配、先住民の結果としての皆殺しのもとでの奴隷労働力の輸入を利用した土地支配であり、そのもとでの砂糖生産であろう。これらとの違いである。
中間形態ともいえるのが、ニュージーランドや太平洋の島国諸国であろうか。そこでは、先住民が自律的に生活圏を確保している一方、それ自体を搾取しその上納を手に入れるだけではなく、植民者それ自体の自立的な再生産も可能となっているようであり、USAの先住民とも、植民地インドとも異なっているに見える。
また、19世紀初めになっても、ミシシッピー川の東側がUSAであり、その西側は、依然としてフランスやスペインの植民地であり、本格的な面的な欧州人の植民は展開していなかったとのことである。
USAは、19世紀半ばにカリフォルニアを自国領土にし、そしてカリフォルニアにおけるゴールドラッシュが生じ、先住民の生活を破壊しての、欧州人の進出が、荒っぽく展開することとなったようである。
また、1783年に独立したUSAは、その時点では、まだアパラチア山脈東側の存在であり、かつ、その部分でも内陸の多くの土地は、先住民が優勢な土地であったようである。支配領域は、欧州人の間での認識では、アパラチア山脈東側全体となっているが、実質的には大西洋沿岸地域での入植地展開が中心の新興独立国であり、内陸部は先住民の生活空間であり、先住民が事実上支配していた、ということになる。
北米大陸の圧倒的部分を支配するUSAは、19世紀半ばにようやく成立した、と言えそうである。その中で、その後しばらくも含め、先住民の生活空間の一挙縮小への動きが本格化し、先住民が駆逐排除されるだけの無意味な邪魔者として描かれる西部劇の世界が生まれたのであろう。19世紀後半に、北海道で入植開拓と称して大和人からアイヌの人々が被ったような。
このような認識をあらためて喚起してくれたのが、本著作であると言えそうである。北米大陸での先住民の方々の生活、それを破壊して自分たちの世界を構築した英国系を中心とした欧州系移民、その欧州系移民にとって使い勝手の良い労働力として導入され、奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々、この3者の関係を、時間軸をもっておおよその理解を可能にしてくれたのが、この著作である。70歳代後半になり、ようやく、北米の覇権国家USAの歴史的な展開を、自分なりに理解したつもりになった次第である。
USAは、私が生まれた時、私にとって戦勝国の占領者であり、巨大そのものに見え、反発を感じた存在であった。そのため、USAの歴史を、自らの日本の歴史をはじめとするUSA以外の国の歴史的時間軸の中に相対化することができなかったようである。それが、この年まで影響していたのかもしれない。恥ずかしい限りだが。
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