日経記事メインタイトル「中国車、欧州へ攻勢やまず」
(日本経済新聞、2024年7月10日、12版、3ページ)を読んで
渡辺幸男
この記事のサブタイトルは、「BYD、トルコに新工場」、「現地生産で関税回避」それに「日米欧、競争力の強化急務」である。さらに、それに併設関連記事として「供給過剰が招く悪循環 値下げ・淘汰 車産業、転換期に」と言うタイトルの記事が掲載されている。
この記事は、中国の自動車メーカー比亜迪(BYD)が、EUによる中国製EVへの追加関税の適用の回避を狙い、トルコに工場を新設するということを中心に、いくつかの中国EVメーカーが欧州に工場進出するということの記事である。私が特に関心を持ったのは、この主たる記事に併設された「供給過剰が招く悪循環」という関連記事の方である。
この併設記事では、「中国では」「新エネルギー車分野で少なくとも50社以上が乗用車を生産し、激しい競争が続く」とし、比亜迪(BYD)が「10車種以上の値下げに踏み切った」と紹介している。さらに、「25年の新エネ車の生産能力は3600万台規模に達するとの見方がある」と述べ「生産台数見通しと比べ、2000万台近く過剰となる試算だ」としていることである。
記事では、国内市場への供給過剰から、輸出志向が高まり、最初は米欧市場を目指すが、そこから関税引き上げ等で締め出しを喰らうと、東南アジアや南米市場に向かい、現地の既存企業の存立を危うくしかねないとし、世界の自動車産業は「低価格な中国車と対峙する転換期を迎えている」と締めくくっている。
この記事から浮かび上がってくることの第一は、私にとっては、まずは中国市場の高い成長性と巨大さである。それとともに、中国でのEV産業での激しい(参入)競争の存在である。その上で、私の関心は、当面、それが海外輸出を促迫し、中国外の既存の市場の改変をもたらすということよりも、中国EV市場の巨大さと激しい競争それ自体が持つ中国と世界のEV産業への意味にあり、そのことを考えたくなった。
この記事から、私にとって示唆されることの第一は、1990年代以降の中国の産業発展の特性が、より巨大な形で、ここでも繰り返されている、ということである。私が2000年代に垣間見た中国の産業発展の大きな特徴は、丸川氏のいうところの垂直分裂(垂直的社会的分業の深化)と、多くの多様な企業による激しい参入による激しい競争、市場の急激な成長拡大と、その中での垂直分裂により専門化した企業の中での激しい淘汰である。その中からスマホの小米やドローンのDJIのような、少数の活力ある生き残り企業群が形成され、それら企業に担われる新興産業市場が巨大化した。
自動車産業の1600万台規模の販売市場、この記事から推測される2025年の中国EV市場についての大きさ予測であるが、この規模は、当たり前だが、日本の自動車産業全体の国内市場、年500万台以下と比較しても、また、米国の自動車全体の市場としての1500万台前後と比較しても、大変巨大なものである。中国の自動車市場の規模は3000万台規模だそうなのだが、その中で半分程度を占めるということであろう。EV等、新エネルギー車だけで。
さらに興味深いのは、そこに、まだ、50社が存在し、競争し、膨大な過剰生産能力が生まれているということである。米国はいざ知らず、自動車メーカーが相対的に多いと言える日本でも10社足らずということになろうか。ということは、中国の国内の新エネルギー車産業では、他国では見ることができないような巨大市場が形成され、極めて激しい競争が行われて、これから本格的な淘汰が始まる。そんな状況にあるということであろう。極めて巨大な成長国内市場は、50社の中国立地企業の前にある。しかし、他方では、全体ではきわめて過剰な生産能力を抱えている。ここから生じることは、激しい競争による企業淘汰の中での、相対的に少数の生き残り企業の選抜ということになろう。過剰生産能力は、退出をやむなくされる敗退企業単位で、急激に排除されることになろう。寡占的な市場支配のもとでの過剰生産能力、既存寡占企業がそれぞれ応分に負担し、それぞれにとっての遊休生産能力化せざるを得ないそれとは、大きく異なる過剰生産能力である。社会的な「無駄」「浪費」であることは、確かであるが。しかし、ある意味、健全な資本主義的新興競争市場の出来事といえよう。
50社を数える多数の企業にとって、過剰生産能力の圧力の下、いかに差別化に成功し、成長巨大市場の果実を自らのものにするか、どのような差別化を試みるか、差別化をめぐる極めて激しい競争、ということになろう。価格引き下げは当たり前、その上で市場が受け入れる独自性を持つ、言うのは簡単だが、極めて難しい。しかし、市場は巨大かつ拡大しており、差別化を試みる余地は豊富に存在する。ダイナミックな極めて激しい競争とそのもとでの市場退出が頻発し、集中が進む過程が、成長巨大市場をめぐって進行している、ということであろう。
このような競争こそ、これまでの中国で独自な差別化戦略を用いて、激しい競争のもとで、それぞれの新形成された中国国内市場で覇者となった企業群を作り上げてきたものである。日本の戦後高度成長期に行われた「過度競争」といわれた激しい競争、これは6大企業集団間競争と呼ばれ、系列間競争と呼ばれたが、成長する大規模化市場をめぐる既存巨大企業を中心とした、多角化し(準)垂直統合をした寡占企業グループ間の「過当競争」であった。それとは、異なる形態の「過当競争」、極めて高度な垂直的社会的分業を実現している新興企業間による激しい生き残り競争が、中国の新興巨大市場、多分かつて他国には見たことがないような巨大成長国内市場を巡って始まっていると言えそうである。
これまでの中国を見ている限り、成長巨大市場の形成過程での激しい競争は、多数の企業が参加する中、圧倒的多数の企業の脱落をもたらすが、同時に少なくない数の多様な新機軸により激しい競争の乗り越え、急成長を遂げる企業をもたらしている。市場が成長している中での「過当競争」であるが故に、共倒れではなく、少数だが多様なチャンピオン企業群を生み出す可能性が高い。今回の新エネルギー車での覇者は、何社で、どのような革新を実現し、次の産業発展を担う存在となるのか、極めて楽しみな状況と言える。中国産業発展を考える立場から言えば。
これを、この同じ現象を見ながら、記事では「悪循環」と呼んでいる。同じ事象を見ながら、見る視点の違いによる大きな評価の違いが生じることを感じる記事でもある。私は、ここに、新エネルギー車での第二のDJIの誕生の可能性をみたい。中国経済にとっては、新たなチャンピオン、ドローンのDJIのように当該分野で世界チャンピオンになる可能性のある企業(群)の「産みの苦しみ」が始まっている、と言うことであろう。
*本文で使用している「垂直的社会的分業」という概念は、近年、日経等で解説付きで使用されている「垂直分業」とは、全く異なる概念である。日経では力関係での優劣関係を表す取引関係の概念が「垂直分業」で、対等な取引関係にある分業が「水平分業」だそうである。しかし、もともと水平的社会的分業と垂直的社会的分業とは、取引関係での力関係の差異を表現するものではない。そうではなく、企業間分業の際の同じ製品に使用される部品同士のような同じ次元の分業と、連続する工程の前工程と後工程との分業という、分業の際の生産上の位置関係を示す概念である。ここでは、当然のことながら、生産上の位置関係の意味で垂直的社会的分業という概念を使用している。念のため。
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