中国での垂直的社会的分業
[vertical social division of labour ]広範化を
どう見るべきか
目 次
はじめに
1、中国で垂直的社会的分業(垂直分裂システム)が広範化した背景
―市場環境(量的・質的・制度的・政策的)と主体の状況―
(1) 改革開放後の中国が置かれた市場環境(量的・質的・制度的・政策的)
a) 財・サービスの移動の低コスト化と移動容易な制度的環境の構築
b) 巨大な国内市場の存在とその存在状況
c) 販売市場の状況
(2) 独自な市場環境がもたらしたもの
(補節) 他のBRICS諸国では、何故、中国同様の発展が生じていないのか
2、垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の機能 ―その広範化の意味するもの―
3、中国での垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の展望
参考文献
はじめに
筆者は、2000年夏から2011年まで、毎年、中国の産業企業への聴き取り調査を中心に中国の産業発展の実態調査を行ってきた。その実態調査の内容とそこから得た結論については、3月、慶應義塾大学出版会から筆者なりにまとめた形で1冊の著作(渡辺幸男、2016)として刊行した。その実態調査を通して、中国産業の特徴として、丸川知雄氏が主張されている中国での垂直的社会的分業(丸川知雄氏の言うところの垂直分裂[vertical disintegration]システム)の広範化を、筆者自身も実感した。本小論は、筆者が実態調査から得た中国産業発展の論理を、垂直的社会的分業の広範化に絞って展開するものである。
実態調査から得た筆者の考える論理は、加藤弘之氏が「曖昧な制度」という概念を使用して説明されるような、中国固有の伝統的な制度・慣習・規範といったものによる説明論理ではない。中国の経済的状況・環境に基づき、かつ経済学の論理的枠組みから導かれる論理である。
1、中国で垂直的社会的分業(垂直分裂システム)が広範化した背景
―市場環境(量的・質的・制度的・政策的)と主体の状況―
(1) 改革開放後の中国が置かれた市場環境(量的・質的・制度的・政策的)
a) 財・サービスの移動の低コスト化と移動容易な制度的環境の構築
中国経済では、フラグメンテーション論に表現されるような、1980年代以降のグローバル化が進展した経済環境のもとで、市場経済化が一挙に進行した。この点では、同様に計画経済から市場経済へと移行したロシア・東欧と同様の条件のもとにあるといえる。中国もロシア・東欧も、いずれも企業が国境を越え、自らの拠点(生産拠点・販売拠点)を自在に最適立地できる状況下で市場経済化したといえる。今一つ、近年のグローバル化が進展したもとでの経済的環境として重要なのは、国境を越えた、さらには大陸間での財の移動とサービスの一部の移動が極めて容易になったということである。インフラの整備と高度化による移動コストの顕著な低下のみならず、制度的にも国境を越えた財・サービスの移動が容易なものとなったことである。その最たるものは、ソフト開発サービスであろう。移動コストは、費用も時間も極小化され、開発拠点が人材の存在とそのコスト水準によって、世界の中の最適地に決まるようになってきている。
すなわち、現代のグローバル化は、たんに経済的に世界経済が一体化してきたというだけに留まらず、財やサービスの生産の生産拠点が、部分的な財やサービスの生産について、それぞれの立地の最適化ができ、それの統合体として、世界経済での財やサービスの生産が成立ちうるようになってきているということを意味している。極端に言えば、財やサービスの生産の個別工程が、その自体の立地の最適化の論理で立地可能となったのである。例えば、最終需要者との緊密な情報のやり取り、フェイスツーフェイスの対応が必要であることにより、最終製品についてその消費地での近接生産が不可欠であったとしても、その川上の工程については、それぞれの立地論理で、多様な経営資源の賦存をもとに世界中に最適値を求めることができる、といえるような状況が生じてきている。地域間(企業内分業でも社会的分業としてでも)分業を極限まで追究できる条件が整ったのである。
日系の機械製造企業の多くが中国に生産拠点を移し、中国が販売市場の主要な部分になった現在でも、開発機能や試作機能、量産立ち上げ機能等は、日本国内に残しているのも、このような最適立地の選択を工程・機能ごとに行いうることによる。これは企業内地域間垂直的分業の深化ということができる。それにたいして、アップル社の製品について言えば、企画開発機能と販売の中核機能は、アップル社社内にあり、部材の生産から組立個別販売拠点への配送等については、全て多数の多様な企業を利用し、日韓台を中心とした東アジア各地で企画開発され生産された部材が、鴻海等のEMSによって調達され、アップル社の製品としてアップル社からの生産委託(外注)のもとで台湾等でつくられた生産設計をもとに、内陸中国を含む中国各地で組み立てられ、世界中にアップル社によって販売されている。これはグローバルな地域間垂直的社会的分業といえる。
このように、現代の技術のもとでは、生産工程や生産拠点について、最終製品の消費地やあるいは最終製品の生産地への近接を必要としないということを意味している。同時にそのことは、1企業内で垂直的に統合した生産を、技術的な意味においては、必ずしも必要としないことも意味している。技術的には広範な地域間分業と細分化された企業間分業すなわち社会的分業が可能であることを意味している。
すなわち、現在の機械工業等で、垂直的統合化を実現した巨大企業が多数存在し、垂直的統合企業によって構成されている産業も多数存在するが、先に見た事実は、技術的な意味では、垂直的統合化が有利であり必要であるとは必ずしも言えないということを意味している。垂直的統合が一般化している産業の多くは、他の理由、例えば寡占的市場支配を強化するため等の理由で、そのような状況が生じている可能性が高いのである。
このような地域間・社会的分業に関する技術的条件下で、中国やロシア・東欧の市場経済化は進展した。この点をまずは念頭において、あるいはそれを前提に、その後の各国の市場経済下の進展の状況を見ていく必要がある。すなわち、既存の工業基盤があろうとも、巨大な市場があろうとも、財・サービスを供給する側の企業にとって、生産拠点として意味がなす工程や機能といった部分だけを、当該地域の残し、あるいは新規立地し、他の工程は世界中に最適立地を求め、自由に展開していくということを、この状況は意味しているのである。
b) 巨大な国内市場の存在とその存在状況
中国の人口は13億人以上であり、一人当り所得水準は極端に低いが、巨大な市場を形成する可能性が存在する。巨大な人口を持つ国民経済における市場経済化ゆえに、最終商品としての需要を開拓できれば、一挙に巨大な市場を構築する可能性が存在している。同時に、計画経済下での工業生産の一定の発展の結果をふまえた市場経済化ゆえに、内生的な工業化を第2次大戦後に実現しており、国際競争力は無いとしても、産業機械を含め一通りの近代工業製品を、国内で生産可能であった。
人口が多いが一人当りの所得水準の低さは、インドと同様であり、また、内生的な工業化をそれなりにも実現していたことでも、インドと同様である。ロシア・東欧は、一人当りの所得水準の低さは中国・インドほどでは無いが、国内市場の大きさでは大きな差がある。ただ、内生的な工業化をそれなりにも実現していたことでは、中国・インドと同様であり、この点で、これらの国は、タイ等のアセアン諸国を含め、多くの途上国とは大きく異なっている。
中国の産業発展のあり方を考えるうえでは、独自かつ大規模な国内市場を実現する可能性を与える(潜在的)国内市場の大きさと、計画経済下で一定程度実現していた近代工業の形成とが、重要な意味を持っている。このことが、大規模な国内市場向けに、外資等の影響を避けながら産業発展を実現する可能性を与えている。
c) 販売市場の状況
中国は(潜在的に)巨大な国内市場を持っていることは、インド等と同様である。しかし、その市場の置かれた状況が大きく異なることで、産業の構造が大きく異なっている。通常、発展途上国や新興工業国の市場には、供給側の主体である企業には、大きくわけて3種類が存在する。一つは先進工業国から進出した外資系大企業、2つ目は国内の工業化の成果として形成された国有大企業を含めた国内大企業、それに自生的に形成された中小企業群の3種類である。
中国の国内市場の特徴として強調すべきことは、まず何よりも、形成された国内巨大市場は所得水準が低く、低価格志向が極めて強い市場であリ、その部分が一挙に巨大に形成されたということである。先進工業国の外資系大企業にとっては、供給対象とするには低価格、多くの場合低品質すぎ、自らの市場とはなり難い市場である。通常、これらの低価格市場が大規模に形成されていれば、現地の大企業がその市場の主要な供給企業となり、残された細分化された市場を、現地の中小企業が担うことになる。巨大な国内市場を持つ新興工業国であり、低価格品の巨大市場も存在するインドの場合、外資の進出は制約を受けているが、低価格市場への現地の大企業の進出は大規模に行われている。その結果、本格的工業化以前に、寡占的支配構造が、多くの大規模な市場で形成されている。その場合、寡占的大企業は、必ずしも製造業企業に限られるものでは無く、流通大企業が問屋制下請のような形で流通側から製造業中小企業を支配し、市場全体をコントロールするような場合も含まれる。
中国の場合も、改革開放後の初期においては、計画経済下に形成された垂直統合型の巨大企業が、多くの市場を、外資とともに寡占的に支配していた。しかし、インド等と中国が大きく異なるのは、まずは、流通大資本による問屋性等の製造業中小企業に対する支配が、全く存在せず、流通システムは資本企業によって担われているのでは無く、全くの物流に過ぎなかったことである。しかも、垂直的統合生産体制にあった寡占的大企業も、基本的には市場経済における経営能力、市場の動向に迅速に対応する能力に欠ける、生産工場群とその管理者の集合体とも言うべき存在であった。結果として、中国の場合、1990年代に入り市場経済が本格化し、単純な不足経済から、市場の動向に合わせて経営を必要とする状況になると、既存の(旧)国有大企業は、市場の動向に対応することができず、多くの産業分野で新規に形成された中小企業群との競争に敗れることになった。
改革開放以後の中国の市場の特徴としては、以上のように、外資系の進出困難な巨大な国内市場が存在し、そこには市場経済への対応能力に欠ける国有大企業のみが存在しているという状況から始まっていることが第一にいえる。そのことは、市場が変化すれば、巨大な充足されない市場が形成される可能性が高く、他方で、その市場に供給するために必要な、経営資源、技術、人材、部材等の供給については、国有大企業内に存在しているが、国有大企業にはそれらを市場の変化に応じて活用できないということを意味していることになる。
d) 起業家・企業家の簇生と大量の参入
以上のことは、後は市場の変化に対応できる企業家群の簇生が重要であり、これが生じれば、既存の経営資源を活用し、国有大企業に代わって巨大な市場をいっそう開拓し、それへの供給を実現することになることを意味する。この起業家群となったのが、中国の場合は、郷鎮企業群であり、温州等では(紅い帽子をかぶった事実上の)民営企業群ということになる。起業の基盤となる郷鎮や民営企業家は極めて多数存在した。同時に、それらの多くは競争に敗れ、早々と市場から姿を消すことになるが、無数とも言って良い多数の起業家の中からは、経営的能力を獲得した企業家も多数生き残り、成長することになった。これらの生き残った郷鎮企業や民営企業が、国有大企業が敗退し、競争的となった巨大市場で、拡大する市場を巡って激しく競争することになる。これらの新規創業企業群は、経営資源を、国有企業から放出された技術者や技能者といった人材、必要な部材や産業機械を、相対的に安価に容易に確保することができた。
また、これらの新規創業企業は、資金が限定的であり、まずは自らが最も見込みがあると考える部分に参入し、企業としての生存をかけることになる。先に見たように技術的には垂直的社会的分業が可能な状況が生まれており、それを前提に、それぞれの企業が川上から川下までの部分的工程やサービスに、そして最終製品の生産のみに特化して参入した。中国では、市場が巨大で、品質より価格勝負の市場であり、その生産のために必要な部材や機械、また技術者や技能者といった経営資源は、計画経済下の国有大企業内に蓄積されていた。しかもそれらの国有大企業は、市場経済下の中で敗退し、大量のそれらの人材や部材・機械を放出することとなった。それゆえ、起業家は必要な経営資源を、安価に容易に調達することができ、必要なのは経営者として、中間財の市場も含め、自らが目指す市場を確定し、それに応じた経営資源の調達を行うことであった。起業家たちにとって、とりあえずの市場への供給には、既存の経営資源で充分供給されており、流通経路も含め、市場を開拓することこそが最重要な課題となった。しかも、拡大する市場は、既存技術で充分対応可能な市場がほとんどであった。それゆえ、低価格で市場動向にあった製品・部品・サービスを提供できれば、販売可能となり企業成長が可能となる。起業家・企業家にとって重要なのは、市場の動向を把握し、あるいは追随し、動向に適合する体制を構築することであった。
(2) 独自な市場環境がもたらしたもの
その結果、外資の進出できない巨大な市場での競争相手は、市場対応能力に欠落した国有大企業であり、新興の郷鎮企業や民営企業は、これらの市場で国有大企業が形成してきた経営資源を、安価に必要に応じて利用可能なことを活かし、巨大な国内市場の供給主体となった。しかも、そこでの参入は、資金的に限られているうえに、差別化能力が欠落ししているゆえに、垂直的統合により市場を囲込むことも意味がなく、特定の部分に専門化して参入することになる。
現代の産業の多くが、技術的には垂直的社会的分業を可能とし、かつ差別化能力がない中で、市場の発見開拓こそ、激しい競争の中で生き残る道であることにより、特定部分に専門化し、他の財やサービスについては、市場で通常のものをできるだけ迅速に安く調達することを目指すことになった。そこから、技術的な垂直的社会的分業の可能性の存在が、全面的に開花し、丸川知雄氏が言うところの「垂直分裂システム」が中国の諸産業で、他の先進工業国とは比較にならない規模で広範化したのである。
それゆえ、技術的に多くの分野でより細かく可能となった垂直的社会的分業の可能性が、中国の市場の条件と経営資源の賦存条件とにより、一挙に現実化したのが、中国の垂直分裂システムの広範化なのである。
ここから見えてくる中国の資本主義発展の論理についての含意は、加藤弘之氏が主張されるような「曖昧な制度」という独自な伝統的な制度、ないしは制度群が「中国型資本主義」の独自な発展をもたらしたのでは無いということである。すなわち、戦後の中国の資本主義の置かれた独自な経済的な内外環境が、独自な発展をもたらしたと見ることができる。当然のことながら、発展開始前の経済環境ゆえに独自な発展をしたということは、その環境に大きな変化が生じれば、発展のあり方は大きく変わるということを含意している。それに対して加藤氏のように伝統に基づく独自な中国型資本主義の発展の特徴だとすれば、多少の環境変化が生じたとしても、その特徴、垂直分裂システムの広範化は、大きく変化することは無いということになる。
筆者の考えからは、当然のことながら、前者の理解に立っており、筆者の見解が妥当かどうかは、中国の近未来の展開が証明することになろう。
補節) 他のBRICS諸国では、何故、中国同様の発展が生じていないのか
ロシアでは、経営資源の蓄積はありながら、90年代以降の市場経済化の過程で、中高級の消費財や産業機械等については欧州からの輸入に代替され、低価格品については中国・トルコからの輸入製品に代替され、多くの国内市場が海外からの輸入に占められた。また、外資の進出等が、残りの市場の多くを寡占的に支配することになった。その結果、国家の需要に依存する宇宙産業や軍需関連産業を除けば、非工業化とも呼ぶべき過程が進行した。特に、この過程は、資源国としてのロシア経済の優位性により、加速された。中国等と比べ相対的に豊かであったロシア国民の需要は、資源輸出による豊富な外貨獲得と相対的なルーブル高により、欧州からの輸入品と向かい、同時に、残された低級品市場の多くも中国とトルコからの輸入で充足された。このように考えることができよう。(藤原克美(2012)を参照)
ブラジルや南アフリカも、天然資源が豊富な大国として、資源国としての発展を国民経済の核としており、ロシアとほぼ同様な論理で、工業化の困難、突出した製造業大企業も存在するが、それが広範な工業化へとつながらないことの説明が出来よう。
インドでは、中国同様のレベルでの経営資源の蓄積が戦後生じ、また外資に充足されない低級品の国内市場も広大に存在しているが、インド現地の既存の巨大企業は市場経済への対応能力を持つ巨大企業であり、グローバル化が進行している過程でも、解体されず、一部は多国籍企業として海外進出も果たす能力を持つに至っている。そのため、極く低価格品についての市場の拡大は見られ、それに供給する現地の中小企業の簇生も存在したが、既存の現地巨大企業体制を破壊するだけの競争力を、層として形成することは無かった(柳澤遥(2014)を参照)。それゆえに、国内低価格品市場を巡って既存技術を使った大量の参入が生じることも無く、現代技術のもつ垂直的社会的分業の可能性を現実化するような垂直分裂の広範化も生じていない。
2、垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の機能 ―その広範化の意味するもの―
国民経済において垂直的社会的分業(垂直分裂)が広範化することは、どのようなことを意味するであろうか。この点を以下で検討する。
a) 各環節での一層の参入促進、競争激化
まず何よりも強調すべきことは、垂直的社会的分業が広範化するということは、それぞれの製品の生産工程が、企業間取引関係として細分化されることを意味し、そうでないに比べれば、圧倒的に参入に必要な資本が小規模になるということを意味する。さらに少額の資本で参入できるというだけでは無く、既存企業はいずれも企業内の分業に依存し、市場から調達する必要性が無いので、垂直的統合企業が支配的な市場では、部材の調達や部材の販売先を開拓することは極めて困難である。他方、垂直的社会的分業のもとでは、このような意味での部材調達や販売市場開拓の困難は無く、既に中間財の市場は存在しており、それを前提に特定の部品・工程・機能等に専門化した競争相手との競争を考えれば良いことになる。
結果として、単に小規模資本で参入できるという意味だけでは無く、市場開拓がより容易になるといえる。それだけ、参入企業がそれぞれの部分で多くなり、一層競争が活発化することを意味する。競争が一層促進されるのである。
b) 各環節での多様なつながりの模索とイノベーションの進展
最終製品の生産を巡り、その企画から始まり、部材の生産、組立、販売と各環節が個別企業によって担われるのが、垂直的社会的分業である。しかも、各環節への参入は、垂直的統合が進んでいる状況とは異なり、活発に行われ、より競争が激しくなる。それゆえ、各環節に専門化した企業にとって、激しい競争の中で、自らどのように企業として再生産していくかが課題として突きつけられることになる。垂直的統合企業であれば、全体としての再生産が問題となるが、垂直的社会的分業の下では各環節の企業にとっての再生産が、それぞれ問題となる。
そこから生じることは、各環節の担い手企業がそれぞれ、自らの市場の開拓の一環として、既存のつながりを超えた多様なつながりを模索することである。垂直的統合企業の中間段階の生産部門にとって、供給先は自社内の川下部門であることは自明のことであるし、そこへの供給は、よほど他企業の同様部門に比して後れを取らなければ、保証されている。しかし、自立した特定環節の企業にとって、販売市場は保証されたものでは無いと同時に、特定の製品に向けての連関だけにこだわる理由も存在しない。既存供給分野について多数の川下企業が存在しているだけでは無く、可能性として、多様な川下部門が存在し、それらを開拓することで自らの拡大再生産を可能とする余地が、極めて大きい。それゆえ、市場開拓の模索の結果として、新たな川下分野とのつながりが形成される可能性が、より高くなる。
同時に、それぞれの環節での専門化した企業間の競争の存在、多くは激しい競争の存在は、それぞれの環節でのイノベーションの模索を激しいものとする。垂直的統合企業では、川下や川上の部門と有機的関係が形成され、特定間接部門だけが、独自にイノベーションを行うことは難しく、統合された分野前提としてのイノベーションが模索されがちである。しかし、特定環節に専門化した企業にとっては、その環節を軸にしたイノベーションこそ全てであり、それぞれの環節ごとにイノベーションが追求されることになる。
このように垂直的社会的分業の進展、深化は、各環節での競争を激しくするだけでは無く、社会的分業のあり方、各環節の川上部門や川下部門とのつながりの一層の錯綜化を進行させ、各環節ごとのイノベーションを活発化させるといえる。
また、多様な各環節に専門化した企業の存在と、その川下部門とのつながりの模索は、最終製品の企画開発を行う企業、ファブレスメーカー、その代表的な存在はアップル社であり、中国で言えば小米のような企業であろうが、そのような企業に、必要な部材の調達を、多様な供給源から調達可能にするだけでは無く、必要な部材の開発を川上の企業群に競わせることで、新たな水準の部材の調達も容易とさせる。結果として、最終製品部分でも、より自由な、内部の部材供給部門に制約されない製品開発が進展することになる。
さらに、これらの動きは、垂直的統合の寡占大企業が市場化に向け内部で取捨選択を繰返した結果として少数の製品が市場に登場するような場合と異なり、いずれも大小様々な多数の企業が、多様な模索を行うという形で、市場化に向けた努力が行われる。企業内で一定規模の市場が見込めないから製品化を見送るといった、大企業内部での選択による排除はうけない。
3、中国での垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の展望
以上のように、垂直的社会的分業(垂直分裂システム)は100年以上の伝統ゆえの存在では無く、計画経済から市場経済化した際の状況ゆえに生まれた特徴であるから、環境が変われば、100年を経ずに大きく代わる可能性が大である。当然のことながら、中国経済でも市場経済化初期の環境は急速に変化している。市場の急拡大が一段落し、その結果として既存市場での資本集中が進行し、寡占間競争となり、技術的差別化等の差別化の必要性が競争上大きくなれば、関係特殊資産が増え、垂直的統合(場合によっては日本的な準垂直的統合)が進行する可能性が、多くの産業分野で高くなることも、大いに考えられる。
もちろん、一度広範に形成された垂直分裂システムの存在を前提し、それの再編過程として生じるのであり、インド等のように本格的工業化以前に寡占的支配が、製造業そして流通で生じている国での、本格工業化過程での垂直的統合の維持あるいは進行とは、異なる程度と過程を経て進行するであろう。
しかしながら、中国といえども、企業が寡占的市場支配を追求すること自体は、大企業化した結果として資本主義の必然とも言える現象である。その結果は、垂直的統合の進展であることは、資本主義においては凝れも必然の現象といえよう。その進展の速度や進行しやすい分野の違いはあるとしても。
注、 以上の議論は、筆者の日本と中国での産業企業についての実態調査に基づいている。事例を踏まえた筆者の主張については、日本の準垂直的統合、下請系列的取引関係については、拙著『日本機械工業の社会的分業構造 階層構造と産業集積からの下請制把握』(有斐閣、1997年)、中国での垂直的社会的分業(垂直分裂システム)については、拙著『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』(慶應義塾大学出版会、2016年)を参照。
参考文献
加藤弘之,2016『中国経済学入門 「曖昧な制度」はいかに機能しているか』
名古屋大学出版会
藤原克美、2012『移行期ロシアの繊維産業 ソビエト軽工業の崩壊と再編』春風社
丸川知雄,2007『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』中公新書
柳澤遥、2014『現代インド経済 発展の淵源・軌跡・展望』名古屋大学出版会