2016年4月30日土曜日

4月30日 我が家のエントランス


我が家のエントランスにある、鉄線が咲き始めました。
ごく普通の鉄線ですが、それなりに花をつけてくれました。


門の脇に塀に飾った花たちです。
金蓮花、ゼラニウム、ブルーデージー
それぞれ華やかに咲いています。


門の反対側には、ネメシア、ノースポール、ビオラ
そしてゼラニウムといった花が、賑やかに咲き誇っています。

玄関脇のマーガレットやゼラニウムに加え、
ホットリップスが咲き始めました。

2016年4月23日土曜日

4月23日 柏の木の芽吹き

我が家の庭のシンボルツリー、柏が芽吹き始めました。
この2本に見える柏の木は、根は1つ、1本の木で、
根元から2つに分かれて伸びています。

この柏は、私が育った川崎の榎町の家の庭に植えられていたものを、
40年以上前に、現在の母屋を立てる際に、
この庭に移植したものです。

私が生まれたのは戦後間も無くですが、
物心ついた時には根元で2本に分かれ茂っていました。
30年ほど前に亡くなった祖母から聞いた話では、
この柏は、戦前から川崎の我が家の庭にあり、
戦災(空襲)に遭い一度は枯れたように見えたのが、
根元から新たに2本の枝が伸び、復活したとのことでした。

柏の木の黄葉した葉(茶枯れというべきだと思いますが)は、
次の芽が出てくる春まで枝についているので、
子孫繁栄を願う、縁起の良い木とされているそうです。
秋、そのままにしておくと、あまりに茶枯れした葉が茂り、
鬱陶しくなるので、植木屋さんに刈り込んでもらい、
何枚かの黄葉した葉を残してもらいました。
その葉は、ついこの間まで確かに枝についていました。
春の突風にも負けずに。
5月の節句の時期には若い柏の葉が見事に揃います。
柏餅用の柏の葉は、前年の葉のようですが。

2016年4月21日木曜日

4月20日21日 盛りのトキワマンサクと君子蘭

20日の早朝、朝陽の下のトキワマンサクです。
家の北側の垣根ですが、朝陽がようやくあたるようになりました。


20日の朝は快晴で、朝一で散歩に出かける際に撮影しました。

21日の朝は曇り、同じく朝の散歩時に撮影したのですが、
だいぶ雰囲気が違います。


エントランスの君子蘭も、もう少し、楽しめそうです。
君子蘭のかなり大きないくつもの鉢を、
出し入れすることができる体力があるうちは、
状況が許す限りですが、毎年続けたいと考えています。

2016年4月17日日曜日

4月17日 紅白のトキワマンサクと君子蘭


6本の紅白のトキワマンサクが咲き揃い始めました。
我が家の北側の塀沿いが、
1年で最も賑やかな時を迎えています。

朝、雨が本格的に降り始め、激しい南風も吹きましたが、
夕方になり青空が広がり、風もようやく止んできました。
風で倒れたプランターを片付けていて、
紅白のマンサクが咲き揃い始めたことに気がつきました。


家の廊下で咲き始めた君子蘭も、本格的に咲いてきました。

昼間の風で、かなり傷んだエントランスの君子蘭も、
激しい雨と風に負けず、依然として咲き誇っています。
向かい側のゼラニウムなども、それほど痛まず、
賑やかに咲いています。
西洋サクラソウは、だいぶ開ききっていますが、
ビオラやノースポールは、まだまだ賑やかです。

今日は、私にとっては、極めて残念な日になりました。
2年間育ててきた、稚鯉が、
青鷺の餌になっていたことを発見しました。
私のネットの張り方が十分でなかったようです。
1日中、家を留守をしたことで、
青鷺はゆっくりと私の稚鯉たちを満喫したようです。
稚鯉は全滅しました。反省です。
可哀想なことをしました。
今年は、再度、孵化に挑戦します。
ネットもキチンを張り、青鷺を寄せ付けません。

18日朝
改めて池の中を覗いたら、
比較的大きな稚鯉が5匹くらいは残っていました。
これらが、青鷺の餌にならないよう、最大限、努力するつもりです。

2016年4月13日水曜日

4月13日    花盛りの君子蘭

我が家の君子蘭が、花盛りです。
咲きはじめた順にエントランスに出し、
ついにこのような数になりました。

1鉢に5本の花茎がついたものもありました。

これから咲くのもまだあるので、
入れ替えにより、
もうしばらく、楽しめそうです。

2016年4月9日土曜日

4月9日 加藤弘之『中国経済学入門』を読んで


加藤弘之、2016『中国経済学入門 「曖昧な制度」はいかに機能しているか』
                   名古屋大学出版会 を読んで考えたこと
渡辺幸男


(以下で見る加藤弘之氏の近著は、中国の経済発展を考えるうえで、大変重要な問題提起をし、加藤氏なりの回答を行っているという意味で、注目に値する著作である。それだけではなく、中国の産業発展をどのように考えるべきか悩んできた私にとっても、ある意味で大変示唆的な著作である。私の近著、2016『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』(慶應義塾大学出版会)での認識を念頭に置きながら、加藤氏の議論を紹介し、私なりに検討し評価する)

目次
はじめに
1,著者の言う「曖昧な制度」の各章での具体的内容
2、多様な状況を「曖昧な制度」という概念で括ることの意味
3、中国への現状についての著者の評価
4、混合所有企業、混合市場と市場の効率性
5、垂直分裂システムと「曖昧な制度」
6、小括
参考文献



はじめに
 本書は、タイトルが中国経済入門では無く、中国経済学入門と明記されているように、中国の資本主義発展をどのように把握すべきかについての、著者の基本的考えと、その考えで独自な現代中国での経済現象を説明することを試みた著作である。著者は、中国資本主義を経済理論、少なくともこれまでの先進資本主義国で開発された経済理論では、説明し難い諸現象により発展していると把握する。さらに、この中国独自の資本主義が、著者の言う「曖昧な制度」という考え方を組込むことで、説明可能になると主張する。すなわち、中国の独自性把握の論理を追究した著作である。中国を独自な資本主義、中国型資本主義として把握し、それをいかに説明するか、経済理論から見たら中国が異質であると切り捨てることなく、それ自体を論理的に説明する試みでもある。
 既に著者は、2013年に『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』(NTT出版)で、この議論を展開しているが、その後の「曖昧な制度」を巡る研究者間での論争を踏まえ、その事実上の改訂版として出されたのが、本書である。
 加藤氏の中国資本主義の独自性を「曖昧な制度」という考え方で把握するという議論は、私にとっても大変興味深い議論である。私も日本資本主義の持つ独自性を、どのように把握すべきか、具体的には、日本独自の取引関係と言われた下請系列取引関係を中心に研究してきた。そこでの結論は、日本資本主義は独自であるが、それはそれぞれの国民経済が独自であると同様な独自性であり、その資本主義、国民経済が置かれた時代的な内外の経済・市場環境によって、経済学的に説明可能である、というものであった。さらにいえば、経済理論とは、理論研究者が典型的と考えた特定の資本主義、多くはその時代における支配的資本主義経済を念頭に、抽象化、論理化された経済的構造であり、経済的行動である。
 他方で、故中村精氏が主張されたように、日本の資本主義の独自性を、日本社会の伝統的な関係、 タテ社会というような日本社会の歴史的特性に着目し、経済外的に下請系列取引関係の形成を説明しようとした議論(中村精、1983『中小企業と大企業 日本の産業発展と準垂直的統合』(東洋経済新報社)を参照)も存在した。2000年から中国の産業発展を見てきた私にとって、中国資本主義の独自性は痛感されており、その独自性を、私の基本的な発想法から、どのような把握できるか、繰り返し考えてきた。そのような中で、加藤氏の『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』に遭遇し、自らの考えをまとめる手がかりを得た。その手がかりを元に、拙著、2016『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』(慶應義塾大学出版会)をまとめた。
 この拙著を出版したのと同じ時期に、加藤氏も前著の改訂版ともいうべき本書を出版され、加藤氏から頂くこととなった。それゆえ、改めて、改訂版である本書をどのように見るべきか、そこから、加藤氏の言う中国型資本主義がどのようなものとして見えてくるか、これを探りたくなった。その加藤氏の改訂版での発想法を、筆者なりに整理し、検討することを目指したのが、この小論である。

1,著者の言う「曖昧な制度」の各章での具体的内容
 それぞれの章の課題に関連して、加藤氏の言う中国型資本主義の中核を構成する「曖昧な制度」を、具体的にどのようなものとして示しているか。この点をまずは見ることにする。
 第Ⅰ部は「基礎編」であり、著者の言う「曖昧な制度」の抽象的な規定を示している。そこでの定義は、「「曖昧な制度」とは「高い不確実性に対処するため、リスクの分散化を図りつつ、個人の活動の自由度を最大限に高め、その利得を最大化するように設計された中国独自のルール、予想、規範、組織」をさす」(p.30)とする。ここでは、「中国独自のルール、予想、規範、組織」の「中国独自」が著者にとっては、最も重要な点であろう。本文での展開から考えれば、この「中国独自」は、中国でしか存在しないことは当然として、中国の100年を超えて維持された「ルール、予想、規範、組織」として存在している「中国独自」ということになろうか。それとも、「中国独自」であれば、歴史的・時間的な広がりとは関係なく、このような内容のどのような「ルール、予想、規範、組織」も含まれるのであろうか。このような定義についての理解の幅を念頭に置き、以下では、「第Ⅱ部 応用編」の各章での「曖昧な制度」の具体的な機能として提示されたものを見ていくことにする。
 まず「第3章 進化する土地の集団所有」では、「土地の集団所有という「曖昧な制度」が有効に機能している事例」(p.58)をとりあげている。そこでは、国有でも民有でもない土地所有として、土地所有の中間的形態であるがゆえに、中国独自の「曖昧な制度」とされている。しかもその独特な土地所有制度が、「土地私有化が引き起こす恐れがある問題を回避しつつ、土地の有効利用を実現する」(pp.7475)等で、制度が継続されているばかりではなく、独自の有効な機能を発揮しているとする。
 さらに、「第4章 市場なき市場競争のメカニズム ―成長至上主義からの脱却―」では、「行政権限の中央から地方への委譲という請負構造を前提として、昇進を競う官僚に大きな自由裁量権を与え、その業績評価を上級政府が行うことで地方の独断専行をコントロールする・・・維持される「曖昧な制度」」(p.75)としている。ここでは、中間領域故の曖昧さではなく、「包」(請負)という概念に直接つながる請負であるがゆえに、「曖昧な制度」とされている。それが、一面では「高度成長の源泉」(p.93)となっているとする。
 また、「第5章 混合所有企業のガバナンス ―ナショナル・チャンピオンを創り出す―」では、「国有と民営の要素を合わせ持つ混合所有企業という「曖昧な制度」」とし、「大半の競争的市場において混合所有企業が効率的に経営できている理由を」(p.94)分析している。「混合市場の効率性は、市場の秩序と混合所有企業の経済パフォーマンスの二つによって決まる」(p.101)としている。また、「混合所有企業」は「与えられた環境のもとで自己増殖を追求する資本の一形態として、限りなく民営企業に近い効率性を追求している」(p.103)とのべている。
 ここからは、形態ではなく、すなわち、著者の言う「曖昧な制度」という企業の所有形態の曖昧さではなく、企業が置かれた市場環境によって、効率追求企業となるかどうかが、基本的に決まると述べているようにも取れる。そうであれば、所有形態として「曖昧な制度」であるかどうかは、問題ではなく、多様な所有形態の企業が、どのような市場環境に置かれているか、後者の問題こそ、効率性を規定するということになろう。
 さらには、「「所有と経営の分離、中国型」が確立されていることが、混合所有企業が高い経済パフォーマンスを実現した理由」(p.108)とものべている。ここからは、所有形態ではなく、経営がどのような論理で動いているかが重要であり、競争的市場で企業が生き残ることを追求する経営であれば、所有形態はほとんど関係ないということを、著者自身が述べていることになる。
 「第6章 中国式イノベーション ―「曖昧な制度」が促進する技術革新―」では、「最先端の技術ではなく、その技術をもとに実用的な改良を加える技術革新(中国式イノベーション)が中国で生まれた要因を検討し、「垂直分裂システム」という「曖昧な制度」がそれを可能にしていたことを」(p.117)明らかにしようとしている。すなわち、「垂直分裂」が「曖昧な制度」そのものとされている。また、その章では、「複雑なバリュー・チェーン」を「角度を変えてみれば、垂直統合された巨大企業のような固定的組織を作らず、相互に関連する組織や個人が自由に結合と離脱を繰返す中でしだいに形成された、「包」(請負)の連鎖構造と捉えることができる」としている。すなわち、著者は、中国の携帯電話産業におけるような「垂直分裂」的社会的分業を、請負になぞらえている。そうであるならば、中間財の取引はすべからく請負ということになりかねない。結果として著者の言う「包」(請負)は、中間財の市場取引を全て包含する概念となり、逆に「包」(請負)ということの意味がなくなるといえるのではないかと、わたくしに思われるのだが。
 第Ⅱ部の最後の章、「第7章 対外援助の中国的特質 ―グローバル・スタンダードへの挑戦―」では、「ひとまず大きな構想を提起し、細部は後から詰めればよいとする手法」は、「「曖昧な制度」に特徴づけられた中国独自の制度の設計思想に基づくものである」(p.150)としている。「曖昧な制度」は、政策構想立案の考え方とされている。
 以上をまとめてみると、土地所有の中間的形態として、「包」(請負)という概念に直接つながる行政権限での中央から地方への請負として、企業の所有形態での混合性と市場での多様な所有形態の企業の混在として、垂直分裂システムそれ自体として、細部を後から詰める政策構想の立案の仕方として、それぞれ「曖昧な制度」の内容が示されている。その中で、経済学的概念の中間的形態として曖昧な制度であるとしているのは、土地所有と企業の所有形態にかかわる部分である。それに対して、曖昧な制度としての請負は、行政権限と垂直的社会的分業について言われている。最後は政策発想の順序を巡り曖昧さが指摘されている。

2、多様な状況を「曖昧な制度」という概念で括ることの意味
 以上見てきたように、著者は、多様な内容を持つ制度群を「曖昧な制度」として括っている。著者が本書で行っているように、これらの現象について「曖昧な制度」として括ることで、何か社会科学的な意味があることで括っているのであろうか。それとも、色々な曖昧さが市場経済化以前から中国社会にはあり、その多様な曖昧さが、現在の市場経済での中国の独自性をもたらしている、という意味で、それらを「曖昧な制度」として括っているのであろうか。本書の脈絡から言えば、後者のように思える。「中国独自のルール、予想、規範、組織」として、著者は、それらを「曖昧な制度」と呼んでいるのであろう。著者にとっては、中国型資本主義の伝統社会から受継いだ特徴をもたらすものの総称として、「曖昧な制度」といっているように理解される。
 このような視点から加藤氏の議論を検討するならば、第一に、私には、曖昧さと著者が主張している多様な中身を、中国の市場経済化以前からの制度の性格として、1つに括って「曖昧な制度」とすることの必要性が感じられない。経済的概念の中間形態であるという意味での存在の曖昧さと、「包」(請負)という時の取引関係での一括請負の持つ裁量権の請負う側への委譲ということでどのように委託されたことを実現するかの不明確さという意味での曖昧さでは、根本的に内容の異なる曖昧さであり、それらを一つの概念「曖昧な制度」と呼ぶことに、分析上の意味があるとは思われない。前者については、中国の実態の中には、既存の経済理論の概念からは把握できない、中間的形態の存在があり、それであるがゆえに有効に機能していると、述べる必要があろう。後者については、それとは異なり、制度としては明確であるが、委託相手に裁量権を委譲するような取引関係が広範化しているとすべきであろう。このような意味で、これらを一括りで「曖昧な制度」と呼ばず、中国の資本主義以前からの伝統の影響をより一般的に表現する概念を使用してネーミングした方が、著者の議論としては、より適切なものといえるのではないかと思われる。
 さらには、次に検討するように、この四つの「曖昧な制度」の中には、著者の言う「曖昧さ」ゆえに有効に機能しているというより、曖昧でも機能している、否、曖昧にもかかわらず機能している、すなわち、著者の言う「曖昧な制度」以外の他の要因が働くことで経済の効率性の実現を可能にしている、ということができるような議論が、著者自身によってなされている。その限りでは、中国型資本主義の発展は、著者が主張される意味での「曖昧な制度」故に生じているとも言えなくなる。
 以下では、私が専門と関連している、市場経済における中国企業の考え方と、そこでの競争についての議論にかかわる、すなわち、垂直分裂システムと呼ばれているものについての議論と、企業の所有形態が混在しているという意味の混合所有企業の存在と多様な所有形態の企業が混在するという意味での混合市場についての議論を取上げ、本書でどのように議論がなされているかを多少詳しく紹介する。その上で、その議論の意味するところと問題点を指摘し、私なりの説明論理を、「曖昧な制度」に依存することなく展開する。それを踏まえ、「曖昧な制度」の内容が多様であることを整理して中国型資本主義を議論すべきであるという言う以前に、これらについては、「曖昧な制度」という概念を導入することなく、広い意味での経済学的な概念で充分説明可能であることを示したい。

3、中国への現状についての著者の評価
 著者は、「多様な資本主義が存在していることを前提として、中国型資本主義もその一つの形態であると捉えている」(p.17)とのべている。
 私も、著者と同様に、中国型というべきかどうかは別として、日本の資本主義と同様に、中国も独自な資本主義であり、そのそれぞれの独自性の中に、日中ともに高度成長を実現できた要素が存在すると考えている。
 その上で、著者は、「旧ソ連や中東欧等の移行国とは異なり、中国は35年を超えて高度成長を持続するという優れた経済パフォーマンスを実現できた。その理由は他でもなく、中国が長い歴史的伝統を継承しつつ、30年の集権的社会主義の実験を乗り越えて形作ってきた独自の経済システムの優位性にあったと考える」(p.22)とする。ここに著者の「曖昧な制度」への回帰の原点がある。また、この点こそが、私と決定的に認識が異なる点である。
 私は、日本の資本主義の戦後の発展を、戦後の世界経済の中で日本資本主義が置かれた経済環境と、戦前・戦中からの製造業等での技術や人材の蓄積といった経営資源の蓄積、そしてそれらが活用された市場とその環境により、充分説明可能だと考えてきた。それゆえ、わたくしは、「高度成長を長期に実現した」「中国の独自な経済システムの優位性」について、日本の高度成長と同様に、その直前の状況に基づくことで、充分説明可能であると考えている。まさに改革開放の際に中国が置かれた独自な内外の経済環境、市場環境こそが、持続的な高度成長、私にとっては持続的な産業発展を可能にしたと考えている。
 以下では、著者が「長い歴史的伝統を継承」する「曖昧な制度」まで戻って議論することで、初めて説明可能となるとしている、いくつかの現代中国での経済現象のうち、私が産業発展との絡みで議論可能だと考える二つの現象について取上げ、著者の主張を整理するとともに、それを批判的に検討しながら、私自身の説明を展開したい。その一つは著書の第5章で取上げられている混合所有と混合市場での効率性の説明に関してである。もう一つは、第6章で、中国式イノベーションとの関連で取上げられている「垂直分裂システム」についてである。

4、混合所有企業、混合市場と市場の効率性
 著者は、「同一市場において国有と民営が並存し競争する「混合市場」」と、「同一企業の中に国有の様相と民営の要素が並存する「混合所有」」(p.98)を区別しながら、両者を包含した中国の競争的市場が、効率性の面で大きな制約となっていない、という議論を展開している。
 すなわち「混合市場の効率性は、市場の秩序と混合所有企業の経済パフォーマンスの二つによって決まる」とする。その上で、著者は「何らかの規制が加えられない限り、資本はその自体が増殖を追求する存在である」としたうえで、「混合所有企業という国家資本も例外ではなく、政府の思惑がどうであるにせよ、与えられた環境のもとで自己増殖を追求する資本の一形態として、限りなく民営企業に近い効率性を追求している」(p.103)とする。
 ここから見えてくることは、中国の多くの競争的市場が、混合企業や国有企業が存在している混合市場でありながら、それぞれの企業はそれぞれ資本として自らの価値増殖を追求するがゆえに、競争的市場での競争の結果、市場は効率的になっている、このように主張しているということである。混合市場や混合所有企業であるにもかかわらず、競争的市場では、生き残るため、どのような所有形態の企業であろうと、自己の価値の増殖を追求せざるを得ないと述べているといえる。マルクス経済学の資本・企業の理解からすれば、極めて当然の主張である。競争的市場で生き残ろうとすれば、個別企業は所有形態にかかわらず、効率性を追求するし、せざるを得ない。それを怠れば、市場から排除されてしまう。これが、資本主義における競争的市場の大原則であり、競争の強制ということであろう。まさに、私が見てきた中国の自転車産業では、このような現象が生じている。拙著でも紹介しているように、巨大国有企業として改革開放後も拡大を続けた垂直統合型の国有自転車製造巨大企業は、1990年代以降の市場の変化に対応できず、民営化の後に民営企業に買収され、消滅した企業もある。同時に、民営企業と同様な企業システムを構築しえた旧国有企業については、存立形態を大きく変えているが、いくつかの地方政府の出資を受けながら、トップ企業では無くなったが企業としては再生産している。
 ここからいえること、そして著者が言っていることは、中国の多数の混合所有企業の存在する多数の競争的な混合市場が、効率的なのは、混合所有企業が存在する混合市場なのだからではなく、そのような存在にもかかわらず競争的市場だからということになる。中国で、このような競争的な市場が、何故ここまで広範に多様に形成されたのか、これは、市場の置かれた環境の結果であり、市場内での既存企業の存在の仕方によるといえよう。
 いずれにしても、混合所有企業が存在する混合市場は、中国の「曖昧な制度」故に効率的な市場として機能しているのではなく、そのような形態の市場だが、多様な所有形態の企業が競争的市場のなかで、生き残るために「資本・企業」として、所有形態にかかわりなく価値増殖を追求していることにより効率的市場となっているのである。この点では著者と私の間に差異は無いといえる。所有形態のあり方、その曖昧さではなく、市場の環境こそが重要であるということになる。

5、垂直分裂システムと「曖昧な制度」
 中国製造業、特に競争的市場の環境として多くの論者に注目されているのが、丸川知雄氏が中国産業構造の大きな特徴として強調している垂直分裂である。本書でも垂直分裂システムについて「中国式のイノベーションを可能にした」(p.125)ものとして注目されている。
 本書での第6章では、中国式イノベーションが生まれた理由の第一として、「生産の「フラグメンテーション」が進展し、「中国の沿海地域が、・・・部品生産や最終組立の基地」(p.130)となり、「地元企業への技術のスピルオーバーをもたらし、それが中国式イノベーションを生み出す基礎条件となった」(p.131)とする。その上で、「生産基地としての優位性は、必ずしも中国だけのものではない」のに、「なぜ、中国において、中国式イノベーションが生まれ、隆盛を極めることになったのだろうか」(p.131)と自問している。その理由が「「曖昧な制度」と深いかかわりがある」(p.131)とする。すなわち、「携帯電話産業における複雑なバリュー・チェーン」は「「包」(請負)の連鎖構造と捉えることができる」(p.132)ことから、理由の一つとして「曖昧な制度」が存在し、それが垂直分裂という姿を取るがゆえに中国式イノベーションを可能にしたと主張される。
 「曖昧な制度」の一つの内容として「包」(請負)があり、携帯電話産業における垂直分裂システムの形成は、「包」(請負)の連鎖と把握可能であるがゆえに、中国式イノベーションをもたらした一方の要因として、「曖昧な制度」があるという議論である。
 この議論には、大きく2つの疑問を私は感じる。私もフラグメンテーションの進行が、中国でのイノベーションで一定の役割を果たしていること、特に携帯電話産業でのベースバンドICについては海外メーカーに依存し、その他の部分で開発を行うことでイノベーションが可能となるといった際には、フラグメンテーションの進展が大きな意味を持っているであろうと考える。
 また、著者は、「垂直分裂は、・・・「垂直統合」の対立概念である。・・・「取引費用」を削減するため、組織は垂直統合へと向かう。「関係特殊的投資」を行う必要がある場合、・・・企業は垂直統合を選ぶ」という形で「組織の経済学」を要約し、垂直統合に向かうべきなのに、「中国においては・・・これとは全く逆の現象」(p.126)が生じたと見ている。その理由として、「プラットフォームの機能が充分に働き、固定費が引き下げられ、リスクやインセンティブの問題が解決されれば、垂直統合を必要とする力は弱くなる。さらに低い価格による競争が激しくなると、固定費を回避するために垂直分裂を志向する動きが加速する」(p.129)と説明している。
 以上の議論については、差別化による寡占的支配との関連や市場環境の独自性が議論されていない等、私自身の経済学的な理解とは必ずしも同じではないが、著者はここでは基本的に経済学的な枠組みで、垂直分裂を説明している。その限りでは、「曖昧な制度」とはなんら関係なく、議論が展開されている。すなわち、著者の言う中国式イノベーションという中国独自といえそうな技術的発展は、「曖昧な制度」とは関係なく、フラグメンテーション論と垂直統合論という経済学の論理で説明されうると、著者自身にも考えられているのである。しかしながら、先にも見たように、「携帯電話産業における複雑なバリュー・チェーン」は「「包」(請負)の連鎖構造と捉えることができる」(p.132)ことから、理由の一つとして「曖昧な制度」が存在し、ゆえに中国式イノベーションを可能にしたと主張される。
 私には、ここでの議論に、何故「曖昧な制度」を組込む必要があるのか、全く理解できない。(なお、私自身の垂直分裂が中国の産業で一般化した理由についての理解については、これほど簡単な形ではない。計画経済期の技術蓄積や人材の形成・育成、あるいは巨大な既存大企業や外資系企業に占拠されていない国内市場の存在等、異なる要因も組込んで考えるべきだと考えている。この議論そのものについては、拙著『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』(慶應義塾大学出版会、2016)を見てもらいたい。「渡辺幸男の晴耕雨読日誌(http://sei-ko-u-doku.blogspot.com/)」という私のブログに、垂直分裂システムに議論を絞った、私の考えをアップする予定である)

6、小括
 以上のように見るならば、著者が中国型資本主義の特徴として取上げているいくつかの現象については、「中国型資本主義の本質的な特徴として」の「曖昧な制度」とは関係なく、中国的独自であるとしても経済学的に充分説明できることになる。確かに既存の(開発)理論をそのまま当て嵌めたのでは、所有の問題や垂直分裂の広範化のように理解困難になることもあるが、それは、既存の理論の単純な当て嵌めゆえに生じているのであり、経済学的な理解、説明が不可能であるということを意味するものではない。この点は、先に見たように著者自身の説明が明らかにしている点でもある。
 私が、最初に本格的に学会の議論とかかわった日本の下請系列取引関係も、まさに、経済学的な概念から見れば中間的形態であった。垂直的統合でも無く、かといって垂直的社会的分業(丸川氏の言い方で言えば、垂直分裂)下での(純粋な)市場取引とはいえない形で、下請系列取引関係が存在していた。先に紹介した中村精氏は、このような中間形態であることを念頭に、資本所有関係がないにもかかわらず発注側大企業に下請中小企業が従属するということを意味する準垂直的統合という概念を提起した。その限りでは、極めて適切な把握であり、ネーミングであった。その上で中村氏は、それが何故生じたかについて、中根千枝氏等が社会学の分野で議論されていた日本のタテ社会という伝統に、その成立の根拠を求めた。当時の私にとって、そのような説明は、戦前の下請関係では下請系列的な取引関係が全く存在せず、戦後高度成長期に初めて形成された関係であることを説明することはできないという意味で、許容できなかった。そこから戦後の状況に基づく説明、広義の意味での経済学的な説明の試みを行うこととなった(渡辺幸男、1997『日本機械工業の社会的分業構造 階層構造・産業集積からの下請制把握』(有斐閣)を参照)
 加藤弘之氏の「曖昧な制度」は、特に「包」(請負)は、まさに中村精氏の言う「タテ社会」にあたるといえる。同時に、具体的な現象の説明では、私から見れば、加藤氏は、私同様、少なくとも混合市場の効率性と垂直分裂については、実際には「包」(請負)からの説明にはこだわらず、経済的な説明を行っているように見える。中国の競争的市場での効率性や垂直分裂システムの形成に関して、「曖昧な制度」で説明する必要は無い、これが、著者自身の議論の展開からも確認できたと、私は考える。

参考文献
加藤弘之、2013『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』NTT出版

加藤弘之、2016『中国経済学入門 「曖昧な制度」はいかに機能しているか』
                         名古屋大学出版会
中村精、1983『中小企業と大企業 日本の産業発展と準垂直的統合』東洋経済新報社

丸川知雄、2007『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』中公新書

渡辺幸男、1997『日本機械工業の社会的分業構造
 階層構造・産業集積からの下請制把握』 有斐閣
渡辺幸男、2016『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』
慶應義塾大学出版会

2016年4月8日金曜日

4月8日 葛川の枝垂れ桜と、我が家の君子蘭


昨夜来の風雨にもかかわらず、
近所の葛川の枝垂れ桜は、
朝日を浴びながら、咲き誇っていました


久しぶりの青空に映えています。


我が家の君子蘭、
最初の写真は、本格的に咲きはじめた
4月6日の状況です。


4月8日には、さらに数多くの花が開きました。

エントランスの片側は、
君子蘭の花が並ぶようになりました。
冬の間の管理が、今年もかなり成功したと自負しています。
49鉢中39鉢が花芽を持ちました。
最初に80本を見込んだのは、少し過大でした。
最終的には75本に留まりました。
できれば、この夏もうまく越えさせ、
来年、80本以上を目指したいと思っています。

2016年4月7日木曜日

4月6日 小論 中国の垂直分裂とは

中国での垂直的社会的分業
   [vertical social division of labour ]広範化を
                                        どう見るべきか


目  次
はじめに

1、中国で垂直的社会的分業(垂直分裂システム)が広範化した背景
   ―市場環境(量的・質的・制度的・政策的)と主体の状況―

 (1) 改革開放後の中国が置かれた市場環境(量的・質的・制度的・政策的)
  a) 財・サービスの移動の低コスト化と移動容易な制度的環境の構築
  b) 巨大な国内市場の存在とその存在状況
  c) 販売市場の状況
 (2) 独自な市場環境がもたらしたもの
 (補節) 他のBRICS諸国では、何故、中国同様の発展が生じていないのか

2、垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の機能  ―その広範化の意味するもの―

3、中国での垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の展望

参考文献



はじめに
 筆者は、2000年夏から2011年まで、毎年、中国の産業企業への聴き取り調査を中心に中国の産業発展の実態調査を行ってきた。その実態調査の内容とそこから得た結論については、3月、慶應義塾大学出版会から筆者なりにまとめた形で1冊の著作(渡辺幸男、2016)として刊行した。その実態調査を通して、中国産業の特徴として、丸川知雄氏が主張されている中国での垂直的社会的分業(丸川知雄氏の言うところの垂直分裂[vertical disintegration]システム)の広範化を、筆者自身も実感した。本小論は、筆者が実態調査から得た中国産業発展の論理を、垂直的社会的分業の広範化に絞って展開するものである。
 実態調査から得た筆者の考える論理は、加藤弘之氏が「曖昧な制度」という概念を使用して説明されるような、中国固有の伝統的な制度・慣習・規範といったものによる説明論理ではない。中国の経済的状況・環境に基づき、かつ経済学の論理的枠組みから導かれる論理である。
   
1、中国で垂直的社会的分業(垂直分裂システム)が広範化した背景
   ―市場環境(量的・質的・制度的・政策的)と主体の状況―
(1) 改革開放後の中国が置かれた市場環境(量的・質的・制度的・政策的)
a) 財・サービスの移動の低コスト化と移動容易な制度的環境の構築
 中国経済では、フラグメンテーション論に表現されるような、1980年代以降のグローバル化が進展した経済環境のもとで、市場経済化が一挙に進行した。この点では、同様に計画経済から市場経済へと移行したロシア・東欧と同様の条件のもとにあるといえる。中国もロシア・東欧も、いずれも企業が国境を越え、自らの拠点(生産拠点・販売拠点)を自在に最適立地できる状況下で市場経済化したといえる。今一つ、近年のグローバル化が進展したもとでの経済的環境として重要なのは、国境を越えた、さらには大陸間での財の移動とサービスの一部の移動が極めて容易になったということである。インフラの整備と高度化による移動コストの顕著な低下のみならず、制度的にも国境を越えた財・サービスの移動が容易なものとなったことである。その最たるものは、ソフト開発サービスであろう。移動コストは、費用も時間も極小化され、開発拠点が人材の存在とそのコスト水準によって、世界の中の最適地に決まるようになってきている。
 すなわち、現代のグローバル化は、たんに経済的に世界経済が一体化してきたというだけに留まらず、財やサービスの生産の生産拠点が、部分的な財やサービスの生産について、それぞれの立地の最適化ができ、それの統合体として、世界経済での財やサービスの生産が成立ちうるようになってきているということを意味している。極端に言えば、財やサービスの生産の個別工程が、その自体の立地の最適化の論理で立地可能となったのである。例えば、最終需要者との緊密な情報のやり取り、フェイスツーフェイスの対応が必要であることにより、最終製品についてその消費地での近接生産が不可欠であったとしても、その川上の工程については、それぞれの立地論理で、多様な経営資源の賦存をもとに世界中に最適値を求めることができる、といえるような状況が生じてきている。地域間(企業内分業でも社会的分業としてでも)分業を極限まで追究できる条件が整ったのである。
 日系の機械製造企業の多くが中国に生産拠点を移し、中国が販売市場の主要な部分になった現在でも、開発機能や試作機能、量産立ち上げ機能等は、日本国内に残しているのも、このような最適立地の選択を工程・機能ごとに行いうることによる。これは企業内地域間垂直的分業の深化ということができる。それにたいして、アップル社の製品について言えば、企画開発機能と販売の中核機能は、アップル社社内にあり、部材の生産から組立個別販売拠点への配送等については、全て多数の多様な企業を利用し、日韓台を中心とした東アジア各地で企画開発され生産された部材が、鴻海等のEMSによって調達され、アップル社の製品としてアップル社からの生産委託(外注)のもとで台湾等でつくられた生産設計をもとに、内陸中国を含む中国各地で組み立てられ、世界中にアップル社によって販売されている。これはグローバルな地域間垂直的社会的分業といえる。
 このように、現代の技術のもとでは、生産工程や生産拠点について、最終製品の消費地やあるいは最終製品の生産地への近接を必要としないということを意味している。同時にそのことは、1企業内で垂直的に統合した生産を、技術的な意味においては、必ずしも必要としないことも意味している。技術的には広範な地域間分業と細分化された企業間分業すなわち社会的分業が可能であることを意味している。
 すなわち、現在の機械工業等で、垂直的統合化を実現した巨大企業が多数存在し、垂直的統合企業によって構成されている産業も多数存在するが、先に見た事実は、技術的な意味では、垂直的統合化が有利であり必要であるとは必ずしも言えないということを意味している。垂直的統合が一般化している産業の多くは、他の理由、例えば寡占的市場支配を強化するため等の理由で、そのような状況が生じている可能性が高いのである。
 このような地域間・社会的分業に関する技術的条件下で、中国やロシア・東欧の市場経済化は進展した。この点をまずは念頭において、あるいはそれを前提に、その後の各国の市場経済下の進展の状況を見ていく必要がある。すなわち、既存の工業基盤があろうとも、巨大な市場があろうとも、財・サービスを供給する側の企業にとって、生産拠点として意味がなす工程や機能といった部分だけを、当該地域の残し、あるいは新規立地し、他の工程は世界中に最適立地を求め、自由に展開していくということを、この状況は意味しているのである。

b) 巨大な国内市場の存在とその存在状況
 中国の人口は13億人以上であり、一人当り所得水準は極端に低いが、巨大な市場を形成する可能性が存在する。巨大な人口を持つ国民経済における市場経済化ゆえに、最終商品としての需要を開拓できれば、一挙に巨大な市場を構築する可能性が存在している。同時に、計画経済下での工業生産の一定の発展の結果をふまえた市場経済化ゆえに、内生的な工業化を第2次大戦後に実現しており、国際競争力は無いとしても、産業機械を含め一通りの近代工業製品を、国内で生産可能であった。
 人口が多いが一人当りの所得水準の低さは、インドと同様であり、また、内生的な工業化をそれなりにも実現していたことでも、インドと同様である。ロシア・東欧は、一人当りの所得水準の低さは中国・インドほどでは無いが、国内市場の大きさでは大きな差がある。ただ、内生的な工業化をそれなりにも実現していたことでは、中国・インドと同様であり、この点で、これらの国は、タイ等のアセアン諸国を含め、多くの途上国とは大きく異なっている。
 中国の産業発展のあり方を考えるうえでは、独自かつ大規模な国内市場を実現する可能性を与える(潜在的)国内市場の大きさと、計画経済下で一定程度実現していた近代工業の形成とが、重要な意味を持っている。このことが、大規模な国内市場向けに、外資等の影響を避けながら産業発展を実現する可能性を与えている。

c) 販売市場の状況
 中国は(潜在的に)巨大な国内市場を持っていることは、インド等と同様である。しかし、その市場の置かれた状況が大きく異なることで、産業の構造が大きく異なっている。通常、発展途上国や新興工業国の市場には、供給側の主体である企業には、大きくわけて3種類が存在する。一つは先進工業国から進出した外資系大企業、2つ目は国内の工業化の成果として形成された国有大企業を含めた国内大企業、それに自生的に形成された中小企業群の3種類である。
 中国の国内市場の特徴として強調すべきことは、まず何よりも、形成された国内巨大市場は所得水準が低く、低価格志向が極めて強い市場であリ、その部分が一挙に巨大に形成されたということである。先進工業国の外資系大企業にとっては、供給対象とするには低価格、多くの場合低品質すぎ、自らの市場とはなり難い市場である。通常、これらの低価格市場が大規模に形成されていれば、現地の大企業がその市場の主要な供給企業となり、残された細分化された市場を、現地の中小企業が担うことになる。巨大な国内市場を持つ新興工業国であり、低価格品の巨大市場も存在するインドの場合、外資の進出は制約を受けているが、低価格市場への現地の大企業の進出は大規模に行われている。その結果、本格的工業化以前に、寡占的支配構造が、多くの大規模な市場で形成されている。その場合、寡占的大企業は、必ずしも製造業企業に限られるものでは無く、流通大企業が問屋制下請のような形で流通側から製造業中小企業を支配し、市場全体をコントロールするような場合も含まれる。
 中国の場合も、改革開放後の初期においては、計画経済下に形成された垂直統合型の巨大企業が、多くの市場を、外資とともに寡占的に支配していた。しかし、インド等と中国が大きく異なるのは、まずは、流通大資本による問屋性等の製造業中小企業に対する支配が、全く存在せず、流通システムは資本企業によって担われているのでは無く、全くの物流に過ぎなかったことである。しかも、垂直的統合生産体制にあった寡占的大企業も、基本的には市場経済における経営能力、市場の動向に迅速に対応する能力に欠ける、生産工場群とその管理者の集合体とも言うべき存在であった。結果として、中国の場合、1990年代に入り市場経済が本格化し、単純な不足経済から、市場の動向に合わせて経営を必要とする状況になると、既存の(旧)国有大企業は、市場の動向に対応することができず、多くの産業分野で新規に形成された中小企業群との競争に敗れることになった。
 改革開放以後の中国の市場の特徴としては、以上のように、外資系の進出困難な巨大な国内市場が存在し、そこには市場経済への対応能力に欠ける国有大企業のみが存在しているという状況から始まっていることが第一にいえる。そのことは、市場が変化すれば、巨大な充足されない市場が形成される可能性が高く、他方で、その市場に供給するために必要な、経営資源、技術、人材、部材等の供給については、国有大企業内に存在しているが、国有大企業にはそれらを市場の変化に応じて活用できないということを意味していることになる。
d) 起業家・企業家の簇生と大量の参入
 以上のことは、後は市場の変化に対応できる企業家群の簇生が重要であり、これが生じれば、既存の経営資源を活用し、国有大企業に代わって巨大な市場をいっそう開拓し、それへの供給を実現することになることを意味する。この起業家群となったのが、中国の場合は、郷鎮企業群であり、温州等では(紅い帽子をかぶった事実上の)民営企業群ということになる。起業の基盤となる郷鎮や民営企業家は極めて多数存在した。同時に、それらの多くは競争に敗れ、早々と市場から姿を消すことになるが、無数とも言って良い多数の起業家の中からは、経営的能力を獲得した企業家も多数生き残り、成長することになった。これらの生き残った郷鎮企業や民営企業が、国有大企業が敗退し、競争的となった巨大市場で、拡大する市場を巡って激しく競争することになる。これらの新規創業企業群は、経営資源を、国有企業から放出された技術者や技能者といった人材、必要な部材や産業機械を、相対的に安価に容易に確保することができた。
 また、これらの新規創業企業は、資金が限定的であり、まずは自らが最も見込みがあると考える部分に参入し、企業としての生存をかけることになる。先に見たように技術的には垂直的社会的分業が可能な状況が生まれており、それを前提に、それぞれの企業が川上から川下までの部分的工程やサービスに、そして最終製品の生産のみに特化して参入した。中国では、市場が巨大で、品質より価格勝負の市場であり、その生産のために必要な部材や機械、また技術者や技能者といった経営資源は、計画経済下の国有大企業内に蓄積されていた。しかもそれらの国有大企業は、市場経済下の中で敗退し、大量のそれらの人材や部材・機械を放出することとなった。それゆえ、起業家は必要な経営資源を、安価に容易に調達することができ、必要なのは経営者として、中間財の市場も含め、自らが目指す市場を確定し、それに応じた経営資源の調達を行うことであった。起業家たちにとって、とりあえずの市場への供給には、既存の経営資源で充分供給されており、流通経路も含め、市場を開拓することこそが最重要な課題となった。しかも、拡大する市場は、既存技術で充分対応可能な市場がほとんどであった。それゆえ、低価格で市場動向にあった製品・部品・サービスを提供できれば、販売可能となり企業成長が可能となる。起業家・企業家にとって重要なのは、市場の動向を把握し、あるいは追随し、動向に適合する体制を構築することであった。

(2) 独自な市場環境がもたらしたもの
 その結果、外資の進出できない巨大な市場での競争相手は、市場対応能力に欠落した国有大企業であり、新興の郷鎮企業や民営企業は、これらの市場で国有大企業が形成してきた経営資源を、安価に必要に応じて利用可能なことを活かし、巨大な国内市場の供給主体となった。しかも、そこでの参入は、資金的に限られているうえに、差別化能力が欠落ししているゆえに、垂直的統合により市場を囲込むことも意味がなく、特定の部分に専門化して参入することになる。
 現代の産業の多くが、技術的には垂直的社会的分業を可能とし、かつ差別化能力がない中で、市場の発見開拓こそ、激しい競争の中で生き残る道であることにより、特定部分に専門化し、他の財やサービスについては、市場で通常のものをできるだけ迅速に安く調達することを目指すことになった。そこから、技術的な垂直的社会的分業の可能性の存在が、全面的に開花し、丸川知雄氏が言うところの「垂直分裂システム」が中国の諸産業で、他の先進工業国とは比較にならない規模で広範化したのである。
 それゆえ、技術的に多くの分野でより細かく可能となった垂直的社会的分業の可能性が、中国の市場の条件と経営資源の賦存条件とにより、一挙に現実化したのが、中国の垂直分裂システムの広範化なのである。
 ここから見えてくる中国の資本主義発展の論理についての含意は、加藤弘之氏が主張されるような「曖昧な制度」という独自な伝統的な制度、ないしは制度群が「中国型資本主義」の独自な発展をもたらしたのでは無いということである。すなわち、戦後の中国の資本主義の置かれた独自な経済的な内外環境が、独自な発展をもたらしたと見ることができる。当然のことながら、発展開始前の経済環境ゆえに独自な発展をしたということは、その環境に大きな変化が生じれば、発展のあり方は大きく変わるということを含意している。それに対して加藤氏のように伝統に基づく独自な中国型資本主義の発展の特徴だとすれば、多少の環境変化が生じたとしても、その特徴、垂直分裂システムの広範化は、大きく変化することは無いということになる。
 筆者の考えからは、当然のことながら、前者の理解に立っており、筆者の見解が妥当かどうかは、中国の近未来の展開が証明することになろう。

補節) 他のBRICS諸国では、何故、中国同様の発展が生じていないのか
 ロシアでは、経営資源の蓄積はありながら、90年代以降の市場経済化の過程で、中高級の消費財や産業機械等については欧州からの輸入に代替され、低価格品については中国・トルコからの輸入製品に代替され、多くの国内市場が海外からの輸入に占められた。また、外資の進出等が、残りの市場の多くを寡占的に支配することになった。その結果、国家の需要に依存する宇宙産業や軍需関連産業を除けば、非工業化とも呼ぶべき過程が進行した。特に、この過程は、資源国としてのロシア経済の優位性により、加速された。中国等と比べ相対的に豊かであったロシア国民の需要は、資源輸出による豊富な外貨獲得と相対的なルーブル高により、欧州からの輸入品と向かい、同時に、残された低級品市場の多くも中国とトルコからの輸入で充足された。このように考えることができよう。(藤原克美(2012)を参照)

 ブラジルや南アフリカも、天然資源が豊富な大国として、資源国としての発展を国民経済の核としており、ロシアとほぼ同様な論理で、工業化の困難、突出した製造業大企業も存在するが、それが広範な工業化へとつながらないことの説明が出来よう。

 インドでは、中国同様のレベルでの経営資源の蓄積が戦後生じ、また外資に充足されない低級品の国内市場も広大に存在しているが、インド現地の既存の巨大企業は市場経済への対応能力を持つ巨大企業であり、グローバル化が進行している過程でも、解体されず、一部は多国籍企業として海外進出も果たす能力を持つに至っている。そのため、極く低価格品についての市場の拡大は見られ、それに供給する現地の中小企業の簇生も存在したが、既存の現地巨大企業体制を破壊するだけの競争力を、層として形成することは無かった(柳澤遥(2014)を参照)。それゆえに、国内低価格品市場を巡って既存技術を使った大量の参入が生じることも無く、現代技術のもつ垂直的社会的分業の可能性を現実化するような垂直分裂の広範化も生じていない。

2、垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の機能  ―その広範化の意味するもの―
 国民経済において垂直的社会的分業(垂直分裂)が広範化することは、どのようなことを意味するであろうか。この点を以下で検討する。
a) 各環節での一層の参入促進、競争激化
 まず何よりも強調すべきことは、垂直的社会的分業が広範化するということは、それぞれの製品の生産工程が、企業間取引関係として細分化されることを意味し、そうでないに比べれば、圧倒的に参入に必要な資本が小規模になるということを意味する。さらに少額の資本で参入できるというだけでは無く、既存企業はいずれも企業内の分業に依存し、市場から調達する必要性が無いので、垂直的統合企業が支配的な市場では、部材の調達や部材の販売先を開拓することは極めて困難である。他方、垂直的社会的分業のもとでは、このような意味での部材調達や販売市場開拓の困難は無く、既に中間財の市場は存在しており、それを前提に特定の部品・工程・機能等に専門化した競争相手との競争を考えれば良いことになる。
 結果として、単に小規模資本で参入できるという意味だけでは無く、市場開拓がより容易になるといえる。それだけ、参入企業がそれぞれの部分で多くなり、一層競争が活発化することを意味する。競争が一層促進されるのである。

b) 各環節での多様なつながりの模索とイノベーションの進展
 最終製品の生産を巡り、その企画から始まり、部材の生産、組立、販売と各環節が個別企業によって担われるのが、垂直的社会的分業である。しかも、各環節への参入は、垂直的統合が進んでいる状況とは異なり、活発に行われ、より競争が激しくなる。それゆえ、各環節に専門化した企業にとって、激しい競争の中で、自らどのように企業として再生産していくかが課題として突きつけられることになる。垂直的統合企業であれば、全体としての再生産が問題となるが、垂直的社会的分業の下では各環節の企業にとっての再生産が、それぞれ問題となる。
 そこから生じることは、各環節の担い手企業がそれぞれ、自らの市場の開拓の一環として、既存のつながりを超えた多様なつながりを模索することである。垂直的統合企業の中間段階の生産部門にとって、供給先は自社内の川下部門であることは自明のことであるし、そこへの供給は、よほど他企業の同様部門に比して後れを取らなければ、保証されている。しかし、自立した特定環節の企業にとって、販売市場は保証されたものでは無いと同時に、特定の製品に向けての連関だけにこだわる理由も存在しない。既存供給分野について多数の川下企業が存在しているだけでは無く、可能性として、多様な川下部門が存在し、それらを開拓することで自らの拡大再生産を可能とする余地が、極めて大きい。それゆえ、市場開拓の模索の結果として、新たな川下分野とのつながりが形成される可能性が、より高くなる。
 同時に、それぞれの環節での専門化した企業間の競争の存在、多くは激しい競争の存在は、それぞれの環節でのイノベーションの模索を激しいものとする。垂直的統合企業では、川下や川上の部門と有機的関係が形成され、特定間接部門だけが、独自にイノベーションを行うことは難しく、統合された分野前提としてのイノベーションが模索されがちである。しかし、特定環節に専門化した企業にとっては、その環節を軸にしたイノベーションこそ全てであり、それぞれの環節ごとにイノベーションが追求されることになる。
 このように垂直的社会的分業の進展、深化は、各環節での競争を激しくするだけでは無く、社会的分業のあり方、各環節の川上部門や川下部門とのつながりの一層の錯綜化を進行させ、各環節ごとのイノベーションを活発化させるといえる。
 また、多様な各環節に専門化した企業の存在と、その川下部門とのつながりの模索は、最終製品の企画開発を行う企業、ファブレスメーカー、その代表的な存在はアップル社であり、中国で言えば小米のような企業であろうが、そのような企業に、必要な部材の調達を、多様な供給源から調達可能にするだけでは無く、必要な部材の開発を川上の企業群に競わせることで、新たな水準の部材の調達も容易とさせる。結果として、最終製品部分でも、より自由な、内部の部材供給部門に制約されない製品開発が進展することになる。
 さらに、これらの動きは、垂直的統合の寡占大企業が市場化に向け内部で取捨選択を繰返した結果として少数の製品が市場に登場するような場合と異なり、いずれも大小様々な多数の企業が、多様な模索を行うという形で、市場化に向けた努力が行われる。企業内で一定規模の市場が見込めないから製品化を見送るといった、大企業内部での選択による排除はうけない。

3、中国での垂直的社会的分業(垂直分裂システム)の展望
 以上のように、垂直的社会的分業(垂直分裂システム)は100年以上の伝統ゆえの存在では無く、計画経済から市場経済化した際の状況ゆえに生まれた特徴であるから、環境が変われば、100年を経ずに大きく代わる可能性が大である。当然のことながら、中国経済でも市場経済化初期の環境は急速に変化している。市場の急拡大が一段落し、その結果として既存市場での資本集中が進行し、寡占間競争となり、技術的差別化等の差別化の必要性が競争上大きくなれば、関係特殊資産が増え、垂直的統合(場合によっては日本的な準垂直的統合)が進行する可能性が、多くの産業分野で高くなることも、大いに考えられる。
 もちろん、一度広範に形成された垂直分裂システムの存在を前提し、それの再編過程として生じるのであり、インド等のように本格的工業化以前に寡占的支配が、製造業そして流通で生じている国での、本格工業化過程での垂直的統合の維持あるいは進行とは、異なる程度と過程を経て進行するであろう。
 しかしながら、中国といえども、企業が寡占的市場支配を追求すること自体は、大企業化した結果として資本主義の必然とも言える現象である。その結果は、垂直的統合の進展であることは、資本主義においては凝れも必然の現象といえよう。その進展の速度や進行しやすい分野の違いはあるとしても。

注、 以上の議論は、筆者の日本と中国での産業企業についての実態調査に基づいている。事例を踏まえた筆者の主張については、日本の準垂直的統合、下請系列的取引関係については、拙著『日本機械工業の社会的分業構造 階層構造と産業集積からの下請制把握』(有斐閣、1997年)、中国での垂直的社会的分業(垂直分裂システム)については、拙著『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』(慶應義塾大学出版会、2016年)を参照。

参考文献
加藤弘之,2016『中国経済学入門 「曖昧な制度」はいかに機能しているか』
              名古屋大学出版会
藤原克美、2012『移行期ロシアの繊維産業 ソビエト軽工業の崩壊と再編』春風社

丸川知雄,2007『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』中公新書

柳澤遥、2014『現代インド経済 発展の淵源・軌跡・展望』名古屋大学出版会




2016年4月1日金曜日

4月1日 庭の青鷺、咲きはじめた君子蘭


庭に青鷺がまたやってきて、池の鯉を狙っています。
最初の写真のネットの奥にいます。
ほとんどわからないでしょうが。


池に近づき、望遠で写したのが下の写真です。
池の向こう側の植え込みの中を歩いています。


池をのぞいています。
棒は孫達が近づかないように刺したものですが、
ネットとともに、青鷺にも役に立っているみたいです。


いったん家の屋根に戻りました。


また、降りてきた、池の周りを歩いて、
鯉を捕まえられる場所を探していました。
写真を撮りながら、追いかけたのですが、
蕗が茂っている脇を、悠々と歩いています。
その後も、繰返しやってきています。
見かけると、追い返しているのですが。
いまのところネットと棒の効果で、
鯉を奪われることはありませんが。


午前中に、君子蘭を10鉢ほどエントランスに出しました。
まだ一部が咲いたばかりで、薄い色ですが、
これから色が濃くなるとともに、賑やかになると思います。