2025年11月26日水曜日

11月26日 FT記事、Chinese companies push up price of Russia’s war supplies を読んで

 Cook, C. Chinese companies push up price of Russia’s war supplies

FT, 25 Nov. 2025, p.3


を読んで 渡辺幸男

 

 ロシアによるウクライナ本格侵略開始後の中露貿易の動向が、機械工業関連について紹介されている記事である。その小見出しでは、「中国の輸出業者たちは、ロシアの軍需産業関連バイヤーに対する価格を引き上げ、西側の制裁で輸入を制限され、彼らの供給に依存せざるを得ないことから利益を得ている、と新たな調査研究が明らかにした」としている。

 

 具体的な中身として、特に機械・同関連産業に分類されるような戦争遂行に不可欠であるような製品について、西側の制裁は、輸入製品の価格をより高価にすることで、ロシアの物的生産能力を制約しているとしている、という報告を紹介している。

その中でも、特に私が注目したのは、中国からロシア向けの「ボールベアリング」の輸出についての数字である。2021年と2024年とを比較し、ロシアの中国からの輸入金額は76%増大しているが、中国からのロシア向けの輸出量はその期間に13%も下落している、という指摘である。機械や兵器生産において不可欠な部品であるボールベアリングの中国からの輸入金額は急増しているのに、中国からの輸入数量は逆に減少しているのである。ボールベアリングの単位あたりの価格が倍増しているにもかかわらず、輸入の拡大にはつながっていないということを示唆している可能性が高いといえよう。

 

これをどう見るべきであろうか。

ベアリングは、機械や兵器の生産には不可欠な部品である。また、中国政府ないしは中国企業が、主体的に輸出を制限しているということは考えられにくい。そうであるならば、可能性の1つとしては、中国製のベアリングの価格が急騰し、ロシアが他国からの調達を行い、中国製品の価格が高止まりしながらも、調達先代替により中国からの調達が減少している、ということがありうる。いま一つの可能性は、戦時下にあるロシアだが、輸入原資が不足してきていて、思うように輸入量を増やすどころか維持することさえできなくなったということが考えられる。さらには、ロシア国内での機械や兵器の生産それ自体の水準拡大どころか維持さえ困難となり、部品としてのベアリング需要が減り、中国からの調達も縮小したという可能性も考えられる。

 

制裁に参加している西側諸国以外で、機械や兵器に使用可能なレベルの部品を大量に供給可能で、中国からの調達に量的にも代替可能な工業国は、果たして存在しているのであろうか。この記事にも書かれているように、制裁に参加していない国からの輸入の価格は、対中国と同様に価格上昇しているようであるから、供給面での中国からの代替国の存在の可能性については、必要量の巨大さという面から見て、ほぼ不可能ではないだろうか。

そのように見てくると、ボールベアリングの中国からの輸入量が縮小しているということは、ロシア側での理由によるのではないかと考えられる。戦時下であることから、ロシアの機械工業や兵器産業という、戦時体制を物的に支えるロシア内工業生産に対する需要が縮小するということは、ほぼあり得ないであろう。あるとすれば、生産体制そのものを制約する状況の発生か、部品調達をする際の輸入原資の不足の発生か、のいずれかということになろう。私には、物的な生産能力そのものが限界にきて縮小するということよりも、輸入原資の不足の可能性が、理由として大きいと考えられる。

他の国からの輸入価格も急騰していると、この記事の最後に触れられていることからも、輸入原資の不足の可能性は高いのではないだろうか。原油や天然ガス等の輸出による外貨の獲得、それらも欧州への輸出等の制裁による制約強化で先細りである。他方で、国民の生活水準を維持するための消費財等については、それらの輸入水準を維持しながらのウクライナ侵略遂行が必要である。すなわち生活水準切り詰めを伴う本格的戦時体制への移行へについては大きな制約がある。その中で、外貨獲得機会の縮小が響いてきたのではないか。こんなふうに考えるのであるが、如何であろうか。

 

ウクライナにとって、ロシアの侵略に対抗することがますます困難になってきていることは確かなようであり、その結果として米国トランプ政権の強引な和平案にも、一定の理解を示さなければならないような状況に、ウクライナ政府は陥っているようにもみえる。しかし、同時に、ロシア側も、ロシア国民の許容範囲でウクライナ侵略戦争を実行していくこと、プーチン大統領側の強気姿勢にも拘らず、これも困難になりつつある。このようにも見えてくる。

ロシア側の兵士の人的損害の多さが指摘され、徴兵の本格的実施への制約等で、それが侵略戦争遂行の難しさをロシア側にもたらしているということであるが、同時に、ロシア政府は資金面でも侵略続行のための限界にぶつかりつつあるのではないか。このような示唆を感じさせるFTのこの記事である。

2025年11月13日木曜日

11月13日  FT ‘The free fall of German industry, を読んで

 FT BIG READ. MANUFACTURING 

                  ‘The free fall of German industry, 

FT, 12 November 2025, p.15 を読んで

 渡辺幸男

 

 本記事は、Olaf Storbeck, Sebastien Ash Florian Muller(uに¨)3名によって書かれた記事で、サブタイトルで「ヨーロッパ最大の経済が、トランプの貿易政策と中国の成長する競争力によって悪化したスランプから脱出すべく戦っている。経済学者は、残されているものを救うために、ラディカルなステップの必要性を示唆している」と述べられている。

 

 私にとって、この記事を読んで知った最も衝撃的な事実は、4つ掲載されている図のうちの第一、「ドイツは今年の初めから中国との資本財(capital goods)の貿易で赤字に陥っている」とタイトルがつけられた図である。ドイツにおける投資財(investment goods)の独中貿易での直近12ヶ月平均のドイツの対中国月別収支が、20251月から大幅な赤字へと転化したこと示している。図は2009年から示されており、2024年までの間は一貫してドイツ側の黒字であり、特に2010年から2024年までは5億ユーロ以上のドイツの黒字、多い時は15億ユーロのドイツ側の貿易黒字となっている。それが、2025年に入って、この分野で一挙にドイツ側の対中貿易赤字となったのである。それも直近(3?)の月までの12ヶ月平均の数字で、5億ユーロのほどのものとなっている。

 しかも、2番目の図によれば、ドイツの工業生産は2024年後半から2021年を100として、一時は110くらいまで上昇していたものが、90程度にまで急減していることが示されている。工業生産が大幅に縮小している中で、投資用の資本財の大幅な対中赤字への転化が生じたのである。工業生産の好調ゆえの資本財輸入拡大の結果では無く、工業生産縮小の中での中国からの資本財輸入の拡大の可能性を示唆しており、少なくとも、ドイツ国内の資本財需要が、不況の中で、国内生産の資本財から中国製の資本財へと急激に代替するという現象が生じているということになる。

その裏付けの一例ともいうべき数字が、本文で示されている。線材加工機械の例であるが、ヨーロッパの企業、この場合の機械供給側のメーカーはスイスの企業のようだが、一台13万ユーロであるのに対し、中国浙江省製のそれは28千ユーロとのことである。さらに価格面だけでは無く、中国の企業は欧州の企業に対し、新しいアイデアの機械製品の商品化までの開発必要時間が、半分の時間で済むということも指摘されている。

 

 この記事自体は、この後の部分で、ドイツの製造業の雇用の縮小の問題が取り上げられている。であるが、私の関心から言えば、この前半の部分、その中でも、アメリカのトランプ政権とドイツ製造業の関係ではなく、ドイツと中国の資本財での競争関係の逆転、その逆転の背景にあることとして指摘された点が、極めて興味深く感じられた。資本財部門について、単なる価格面だけでは無く、中国側の新製品開発能力の形成と、その開発速度の速さでの優越性についての指摘がそれである。

 前回のブログで、中国の製薬産業の発展についてのFT記事に注目し、それについて多少の意見を書いたが、このドイツと中国の資本財貿易での逆転は、それ以上に、中国の持つ製造業の変質発展を示唆するものとして注目され、衝撃的である。欧州一というだけでは無く、世界で最も有力な(というよりは、これまでは世界一であった)ドイツの資本財製造業、産業用機械製造業について、欧州市場、その中心のドイツ市場で、中国製の製品が価格面で優位に立った。しかも、それだけでは無く、資本財の新製品開発競争でも優位に立つようになり、ドイツの工業生産不況の中での投資用財の調達で、ドイツ製より中国製が従来より顕著に競争力のある存在となっている。このようなことを示唆しているのが、この記事であるといえよう。

 

背に腹は変えられない、ということであろうか。価格面、そして新製品開発面の両面で、ドイツ製の資本財、自国製品の機械調達による投資よりも、中国製の機械を調達しての投資の方が、不況下のドイツ製造業諸企業自体にとって、競争上優位に立つことを意味するようになりつつある。このようなことを、この記事は示唆するものと思われる。

世界の工業生産における資本財生産第一人者としてのドイツ機械工業の覇者の時代は、ついに終わりを迎え、もしかしたら覇者の交代が進みつつあるのかもしれない。このようなことが示唆される記事である。電子製品等の技術変化の激しい先端的な分野での覇権の移行のみでは無く、旧来型の工業生産の中核部分である、資本財としての機械工業の分野でも、覇者の交代、中国の企業そして産業が覇者となる時代が始まっていることを示す事例の1つなのかもしれない。

 

こんなことを、この記事を通して感じた。同時に、ここでも、具体的に、何故、中国企業は、一挙に競争力を強化したのか、そのメカニズム、論理が知りたくなった。金をかけさえすれば、政府が希望しさえすれば、直ちに実現するものではないことだけは確かである。しかし、新聞記者諸氏に、これを求めるのは酷であろう。これを解明するのは、かつての私にとってそうであったように産業論研究者の務めであろう。だれか中国の具体的な資本財産業を事例に、中国企業群・産業の競争力強化、それもドイツのそれを超すような強化の論理を解明していただけないであろうか。できれば、日本語で書かれたものを期待しているのであるが。ぜひ読んでみたいものである。

日本語の文献で無くとも、英語、中国語、ドイツ語の文献であれば、辞書を引きつつなんとか読むことが(多分)可能なので、先の点についての文献をご存知の方がおられれば、ご教示いただければと思う次第である。

 

 

2025年11月4日火曜日

11月4日 FT記事「諸改革が中国のバイオテックブームを加速している」を読んで

 FT記事「諸改革が中国のバイオテックブームを加速している」を読んで 

 

渡辺幸男

 

 ‘Reforms turbocharge China’s biotech boom’(FT, 3 November 2025, p.8)という英文タイトルで、E. Olcott H. Ko  W. Sandlund3名による記事である。副題に「北京政府の資本調達や技術革新を促進する諸手段は、製薬産業の急速な国際的成長へとつながっている」とあり、中国の製薬会社の新薬開発の実態事例を紹介しながら、統計的事実も示している。掲載された図によれば、中国の製薬産業が2020年前後から、この5・6年で、技術革新的薬剤で、海外からのライセンス取得による生産中心から、急速に海外へのライセンス供与に変化し、海外への技術供与がライセンス取得による生産を大きく上回るようになったこと、海外への技術供与の額が2019年から鰻登りに増え始めていること、また、新薬のトライアル数が、急速に増大し、2016年に日本を抜き、2022年から2023年にかけて、米国をも抜き世界一になったことを紹介している。

 さらに2社の具体的な医薬品開発事例も紹介するなど、大変興味深いレポートとなっている。

 

 この記事を通して、「製薬産業、お前もか」といった状況、すなわち、スマホや乗用車産業すなわちEVで生じた、中国企業の急速な発展とその結果としての世界市場での存在位置の逆転状況が、製薬分野でも再現されてきているようにも見える。製薬産業の場合、その急速な発展は、開発の際に、治験や臨床試験が、迅速かつ大量に安価に可能であるということ、このことが、このような結果をもたらす要因の1つとして、この記事では紹介されている。さらに、資本調達の面での中国政府の改革も、医薬品製造分野での企業の資本調達をよりスムーズにし、技術革新を追求し易くしていると指摘している。

 何れにしても、激しい国内での新薬開発等の技術革新競争が、政府の支援等もあり、一層活発化し、その成果が海外への技術供与数と額の急増に結びついているようである。相対的に安価に迅速かつ豊富に治験をしやすい環境、巨大な国内市場の存在、すなわち相対的に急速に豊かになりつつあり、薬剤への需要が巨大化している国内市場の存在が、このような急激な多数の治験の迅速な実行と結果としての豊富な成果の実現を可能にしていると、この記事は述べていると見ることができよう。

 

 新薬市場でもEV市場等に続いて国際的な貿易摩擦を起こすのであろうか。そこまでの言及は、この記事ではなされていない。しかし、新規開発の薬剤市場でのそれぞれの薬剤は、EVやバッテリーのように、海外にほぼ同質のものが存在し、その価格面でもっぱら評価されるというより、それぞれの薬剤がもつ独自の効能を評価され、差別化され得た存在として利用されると言える。それゆえ、国際市場での競争のあり方も、EV等とは大きく異なることになろう。

 しかし、いずれにしても、中国経済そして国内市場が持つ巨大さ、それが相対的に豊かな市場へと変身し、巨大な医薬品ニーズが生じた上で、それに呼応する形で、多様な新薬開発メーカーが簇生し、激しい新薬開発競争が生まれ得る基盤が整い、そこに政府の促進策が実行され、その成果が一挙に花開きつつある。このように見ることができよう。

 ただ、本記事からのみではわからないことは、新薬開発を主導する企業群の出自であり、それらの企業の技術革新を支える資金の具体的な出所である。さらには、それらを踏まえた脱落企業の存在を含めた競争の実態である。製薬産業の多様な新薬開発競争が、具体的にどのような企業群と諸資本によって担われ、多くの成果が生まれているのか、本格的な新薬開発を中心とした中国製薬産業の産業分析が待たれるところである。

中国語での研究論文をフォローしていない、近年の私の怠慢ゆえの「まとめ」といえるかもしれないが。

 

 

2025年9月11日木曜日

9月11日 猛暑を乗り越えた庭の花

百日紅の花
こぼれ種から育った百日紅
元の木はシロバナの百日紅でしたが、
この百日紅はピンク、
植木鉢で咲き始めました。


こちらは、木槿
タネが池の端にこぼれ、
勝手に生えてきたのを、繰り返し刈り込み、
今年は、このように密に花が着きました。


ピンクの百日紅の種の元の白の百日紅
この夏2回目の花です。


 暑い夏、
私の手入れが不十分になり、
多くの花の鉢や庭の木々が花をつけない中、
この2本の庭木は、ここにきて元気に咲いています。
感謝です。

2025年8月25日月曜日

8月25日 ポプキンズ, A.G.著『アメリカ帝国 グローバル・ヒストリー』を読んで

ポプキンズ, A.G.著『アメリカ帝国 グローバル・ヒストリー』

上、下、 (ミネルヴァ書房、2025)  を読んで

 

  渡辺幸男

 

  この著作は、米合衆国の歴史を独立から振り返り、かつての英国の植民地が、独立国になっただけではなく、ある時点からまさにアメリカ帝国となり、対スペインの19世紀末の戦争を契機に、キューバやプエルトリコといった島国をカリブ海で、そしてフィリッピンを太平洋で植民地として獲得し、またハワイもヨーロッパ系の移民を送り込むことで植民地化し、植民地帝国として存在していたことを明らかにしている著作である。

 

 しかし、私は、本書でプエルトリコ等を植民地化した19世紀末の対スペイン戦争以前の歴史として書かれていたこと、これに強く関心を惹かれた。

この著作を読んで、自分が米合衆国についての基本的知識において、極めて曖昧に生きてきたことを、改めて感じたのである。

 米合衆国とその資本主義のあり方について関心があり、その問題性についても色々考えてきたつもりであるが、そもそも米合衆国が、いつどのようにでき、すなわち、本書の最初の部分が述べている、米合衆国がいつ植民地から独立国家になり、南北戦争という内戦を経て、その後、覇権国家の道を進んできたかの歴史的経過そのものについて、時代的、地理的に私の理解が全く曖昧であり、きちんと確認し、理解することができていなかったことを、本書での主題である米合衆国の帝国としての形成過程やその内容そのものを受け止め検討する以前に痛感させられた。

 

 上巻の194ページの「図5−1 19世紀における合衆国の大陸拡張」、そして195ページの「表5−1 合衆国の政治発展の指標としての州設立年」という図表が端的に表していることであるが、米合衆国のそもそもの独立時からの地理的拡張の経過そのものと、それらの歴史年代的な経過さえ、まともに理解できていなかったのである。

 すなわち、米合衆国の独立は1783年、そして南北戦争が始まったのが1861年、これらと、当時の米合衆国を構成していた諸州ないしは地域が米合衆国に組み込まれた経過や時期等についての知識が、極めて不確かなまま米合衆国史を勝手に理解したつもりになり、考えていたのである。

今の時点で考えれば、当たり前のことのようにも思えるのであるが、図の5−1は、独立時の米合衆国の州が、北アメリカ大陸の東の端の部分のみに過ぎず、アパラチア山脈東側の13州のみからなっていたこと、独立後に、他の英国植民地を接収し、スペイン領を手に入れ、西に大きく拡大し、太平洋岸まで到達したことを示している。そして、その進出併合の多くが19世紀に入ってからのその世紀の前半の時期であったことである。そして、同時に、重要なのは、13州で独立したときには、アパラチア山脈の西側にはネイティブ・アメリカンの「国々」、すなわち先住民の生活圏が大きくは傷つくことなく、実質的に広がり、生活圏として再生産していたこと、それらが形式上は欧州諸国の植民地として存在していた。それらを、当時の宗主国から買取り、あるいは宗主国との戦争を通して奪うとともに、そのもとにそれなりに存立を保っていたネイティブ・アメリカンの国々そして生活圏を完全に破壊し、それらの人々を元来の生活空間から追い出し、それぞれのネイティブ・アメリカンが共同体としてもっていた再生産の基盤を破壊したことである。また、そこへヨーロッパ人からの移民の入植を大量に進め、欧州人中心の自国の州として米合衆国に編入してきたことである。

さらに認識すべきは、それが今からたった200年少し前からの事柄であったこと、これらのことである。そして、しかも、これらを知っているつもりになっていて、歴史的に年代的に自分の中で位置付けることなく、私は認識し、理解したつもりになっていたのである。

 

ここで、なぜか先日のアラスカでの米露首脳会談を思い出した。アラスカはかつて一時期ロシア帝国の領土であった。それは当時ネイティブ・アメリカンが住んでいた今のアラスカの地を、ロシア人が1741年に「発見」し、1799年にロシア領とし、1867年に米合衆国がロシア帝国より買収した結果のことである。このことは、今のロシア連邦、そして前身の旧ソ連やロシア帝国のシベリアや極東の地が、ロシア人により「発見」され、ネイティブの人々の存在とその生活空間を無視し、ロシア帝国領とされ、ヨーロッパ系のロシア人が移住し作られたロシアのシベリアや極東地方、その東の先端がアラスカであったこと、このことを示している。

何故か、米合衆国の西部へのネイティブ・アメリカン社会を破壊しての拡大とロシア帝国今のロシア連邦東部への拡大、ネイティブ社会を破壊し、欧州系ロシア人を入植させ、植民地化した動きが、重なるのである。これらは、多少時代のずれがあるものの、ほぼ同時期に行われ、アラスカで米露が巡り合い、ネイティブ民族の存在を無視して、占領者による勝手な土地の売買取引が行われた。そして、今の米露の国境が確定された、といえる。

欧州の他の植民帝国は、ネイティブの人々を結果的には皆殺しにし、欧州人とアフリカ人を送り込んだ地域を含め、植民地母国の欧州諸国と地理的に大きく離れていたが故に、第2次大戦後、多くの地域が植民地の立場を脱し、独立することになった。南米大陸の多くの国は、この点では異なる歴史的経過を経てはいるが。

しかし、ロシアの東部地域と米合衆国の中部や西部地域の植民地地域は、本国と地続きであるがゆえか、欧州人による植民が数の上で圧倒しただけではなく、米露という植民を行った欧州人の国土そのもの一部とされてしまった、と言えそうである。この一点でも、両国は似ている。トランプとプーチンの両氏が、現代の主権国家の国境について、自国の利害で変更可能かのように考えている点で似ているように、両国の国土の拡大形成経過も似ているように見える。

もちろん、ロシア帝国は、他方で地続きでありながら、人口的に大きくかつ密であり民族としての独自文化を強固に育んできた中央アジアの諸民族については、それを自国帝国内に民族的存在のまま取り込んでいるようであり、全面的に民族の破壊を行うようなことは、いくつかの例外を除き、しなかったようである。まさに欧州系のロシア人が主力を占め、他民族を内部に従属的に従える典型的な多民族帝国を形成していたし、今のロシア連邦もその一部が依然として継続しているということは確かであろう。

同時に、ロシア東方の極東地域等では、先住民社会の破壊と欧州系ロシア人の入植による植民地化を行い、西漸してきたアメリカとアラスカで欧州出身者同士の植民地としてぶつかったことも事実と言えそうである。

 

 この本は、上記のような点も含め、米合衆国を帝国と見ているとも言える。

また、同様なことは、規模は大きく異なるといえるが、和人の北海道でのアイヌ人の共同体や生活環境の破壊、土地の掠取や、ブラジルのポルトガル人を中心とした欧州系の人々のネイティブ・アメリカンの社会の破壊等、多くの地域で、同時代から現代にかけても見られることでもある。それをどのように我々は位置づけるべきなのであろうか。私は、たまたま破壊した側の人間として生まれたに過ぎないのだが。

これらの事実をきちんと自覚し、自分なりに位置付ける必要があろう。

 

 この本を読んで、まずは、こんなことを考えた。自らの生活圏を拡大するために、他の人々が営々として築いてきた共同体の生活圏を破壊してしまうこと、このようなことは、その時点で軍事的に優位に立った人々により、現生人類の歴史の中で繰り返し行われてきたのであろう。長い歴史を持つ事実であろう。しかし、だからといって、今、人類を単位に豊かな社会の構築を唱える人々としての我々が、このような過去を背負っていることを忘れるべきではないであろう。また、同じようなことを今から行うことは、絶対に許されるべきではないであろう。しかし、ここ2百年の時間の中で、このような出来事は、一挙に進んだとも言えるのである。米露に限らず、今存立している社会の多くが、このような他の共同体の破壊を行ってきた結果として存立していること、これに目を瞑るべきではないであろう。

 アラスカという地は、どのような理由ないしは根拠で、ロシア帝国が米合衆国に売却し得たのか、その背後の歴史を知ること、そこに先住の人類の営みが存在し、それらの多くが破壊されたということ、これを知った上で、今を見つめる必要があろう。偉そうに振る舞うプーチンとトランプの両氏を見るたびに、このようなことが思い浮かぶ今日この頃である。

 現在はウクライナ領のはずのクリミア半島の先住民であるクリミア・タタールの人々を、クリミア半島から旧ソ連のスターリンが追放してから、まだ百年も経たないのである。その地に旧ソ連はヨーロッパ系ロシア人を移住させた。ロシア連邦は、ウクライナ領になっていたその地を、2014年に自国領土に編入した。移住したヨーロッパ系ロシア人が、ロシア連邦への併合に賛成したということなのであろうか。プーチンはスターリンの遺産を活用したともいうべきなのであろうか。 

2025年8月22日金曜日

8月22日 日経:呉軍華「「光」と「影」が際立つ中国経済」を読んで

 呉軍華「「光」と「影」が際立つ中国経済」

エコノミスト360°視点,(日本経済新聞、2025822日、p.6) 

を読んで 渡辺幸男

 

 この新聞記事を読み、「角を矯めて牛を殺す」の格言、諺を思い出した。

 

 呉氏は、この日経のOpinion欄で、現在の中国経済の「光」として中国の「先端産業」の「技術覇権に挑む勢い」を述べ、「影」として「不動産市況の崩壊」等、「経済は改革開放以来の深刻な局面に陥っている」ということを、まずは確認し、「なぜ、光があっても景気減速が止まらないのか」と問い、その答えとして、新産業の「波及効果が乏し」く、「経済全体をけん引するには裾野が狭い」こととともに、制度的制約も1つの要因と指摘し、それが「地方政府間の熾烈な競争をもたら」し、「過剰生産と無秩序な競争を招き、価格破壊」となっている、こととしている。すなわち「「光」を生む仕組みが同時に「影」を増幅していることを示す」とし、「真に持続的成長を図り、国際社会との調和を目指すには、・・・無秩序な競争の是正といった構造改革が不可欠だ」としている。そして、「さもなくば、せっかくの「光」の輝きも国内外の摩擦に覆われ、色あせることになりかねない」と結んでいる。

 

 ここでの議論を、私流に見ると、今の中国では、「地方政府間の熾烈な競争をもたら」し、「過剰生産と無秩序な競争を招き、価格破壊」が影をもたらす要因であるという、それ自体としては、妥当な指摘をしていると思う。だが、同時に、この要因が「技術覇権に挑む勢い」を可能にしている、という呉氏自身が主張している事実、これを呉氏は議論の最後では無視しているようにも見えるのである。

 最大の光をもたらす主要な要因の1つが、同時に影をももたらしている、まさに光と影の関係である。このような事実を無視し、あたかも両者を切り離して政策的対応が可能かのように議論しているように、私には見える。

つまり、先端産業企業の簇生という光る牛の「角」の1つであるはずの「価格破壊につながる」「過剰な生産と無秩序な競争」という角を、「矯める」ことを推奨するような結論を安易に述べているように見える。

 

 この呉氏の議論を読みながら、かつての日本の通産省の1つの動きを思い出した。通産官僚による乗用車産業の「過当競争論」であり、政策的にはトヨタと日産の2大メーカーに集約することを政策的課題とすべきという高度成長初期における産業政策論である。

 その論理は、高度成長初期の日本国内の乗用車市場の小ささを前提に、当時の技術水準で見ても、乗用車産業企業が規模の経済性を十分に実現するためには、日本の市場には乗用車メーカーは2社程度が適切であるという認識に基づくものである。それゆえ、後発の東洋工業(現マツダ)、プリンス等の乗用車市場への参入は規模の経済性の実現という意味でも、当時の遅れた日本の乗用車産業にとっては、「過当」な競争をもたらすから、後発企業の参入を抑え、さらには排除し、2大メーカーに集約すべきである、という政策的議論である。ましてや二輪車メーカーのホンダや鈴木の乗用車産業への参入は政策的に断固阻止すべき、といった内容ではなかったかと思う。かなりうろ覚えであるが。

 ここでの重要な点は、当時の産業政策担当の通産官僚の認識では、世界市場で競争できる規模の経済性を実現することが第一であり、日本市場を前提にそのことを考えると2社程度に集約し、国内市場で規模の経済性を発揮させる必要であるということである。すなわち、国内企業間の企業間競争を抑え、世界市場に打って出られる規模の経済性を最初から発揮できる企業を政策的意図で作ることが可能であり、必要である、ということになる。それが国際競争力を日系企業が発揮するためには不可欠である。このような理解であるといえる。

 このような通産官僚の思惑による政策が、実際には実行されず、「過当競争」的な乗用車産業への参入がその後も生じたが故に、1980年代後半以降の日米貿易摩擦の中心が日系企業による米国への乗用車輸出となるような日系乗用車メーカーの発展が生じたと言える。結果的には、「角を矯め」て「牛を殺す」ことが無かったが故に、日系工業企業の世界的な展開が1980年代以降に発現したといえるのである。

 このような日系工業企業の発展展開、90年代以降の相対的停滞についての議論は別として、一度は世界市場の主導企業としての地位を多くの産業で実現した事実、これを思い起こすと、今の中国の状況を光とその影として見ること自体は妥当だと、私も思うが、その影自体を解消する政策を、光をもたらした要因の「是正」という策にすべきということには、疑問を感じざるを得ない。しつこいが、「角を矯め」て「牛を殺す」ことがない形での軟着陸を模索すべきなのではないかと考える次第である。

 呉氏は、最後に「せっかくの「光」の輝きも国内外の摩擦に覆われ、色あせることになりかねない」と結んでいるのであるが、「せっかくの「光」」の元を断ってしまっては、光が色褪せるどころか消えてしまい、元も子もないということになろう。ただ、ここでの呉氏の議論もかつての通産官僚の議論と同様に、実際には実行されず、中国では、「産業の育成と支援」をめぐる「地方政府間の熾烈な競争」は、今後もしばらくは続きそうに、私に思えるのであるが。

2025年7月29日火曜日

7月29日  FT ‘China’s profitless investment boom' を読んで

 ‘China’s profitless investment boom'

by Joe Leahy, Wenjie Ding and William Langley,

FT BIG READ. CHINESE ECONOMY, 29 July 2025, p13

を読んで 渡辺幸男

 

 ブログに「米国との経済的対立と、中国・ロシア産業経済の方向性」を掲載した日の午後に配達されたFTに、この記事が掲載されていた。「中国の利潤無き投資ブーム」とも訳すべき、大変興味深いとともに、ブログで展開した私の中国産業経済理解の妥当性を問うとも思える内容の記事である。

 

 記事の内容は、中国で消費拡大が一方で叫ばれながら、依然として設備投資主導の景気刺激策が展開されている、という内容につながる議論である。まずは、地方政府、それも省レベルのような大きな地方政府ではなく、下級の地方政府が依然として積極的に工業団地を建設し、工業企業の誘致活動をしているが、その多くには十分な企業が集まっていない。たとえ土地が売れたとしても空き地のままであるか、よくて倉庫建設にとどまり、工場の建設そして稼働には至っていない。これらの点について、事例を通しての紹介がされている。

 また、雑貨類の生産工場では、過当競争状況に陥り、利幅が極めて薄くなっている状況も紹介されている。さらに、機械工業関連でも過剰生産能力が目立っているとしている。航空機部品製造やロボット製造のような分野でも、過剰生産傾向は強く、海外への進出を考えざるを得ないとの言及もなされ、工業生産全般における過剰投資と、低利潤状況が紹介されている。

 しかも、地方政府等の支援を受けた工場建設等による過剰設備状況は、中央政府の抑制策にもかかわらず、いろいろな形で継続され、状況の改善は見られないとしている。そして、本記事の締めくくりは、地方政府の官僚の言として、「我々は全面的に中央政府の政策を支持しているので、もう鉄鋼業や炭鉱業のような産業については支援していない」という、皮肉な表現で締め括られている。

 

 この記事が言いたいことは、中国経済が投資依存の経済である傾向は、簡単には変わらない、ということであろう。その動きの中心的部分は、下級地方政府の利害が地元への工場建設の実現にかかっている中国の政治状況である、ということでもあろう。それゆえ、本記事の見出しは、「地方政府はハイテク設備を生産する新工場の投資を誘導しているが、実際には、経済成長刺激とは程遠く、過剰生産能力の積み重ね、一層の薄利へとつながっている」としている。

 中国経済での過剰投資傾向、特に先端産業に絡む分野に向けての投資の過剰は、地方政府の利害に絡んでいるがゆえに、中央政府の投資抑制そして消費需要拡大への動きに地方政府が対応し、大きく減少することは困難であろう、ということであろう。過剰投資傾向の今後の継続、投資分野を変えながらの過剰投資の継続が、地方政府の利害ゆえに見込まれることを指摘する記事といえよう。

 同時にこの記事から受け取れることは、産業向けの設備投資を促進するとしても、下級地方政府は、いつも同じような産業を支援するのではなく、その時代時代で注目されている新産業企業の誘致をする方向で、誘致対象を変えてきている、ということであろう。しかし、注目される新分野への投資が、地方政府間の競争を通して、過剰投資として実現され、当初より参入企業の利益は薄くなりがちである、ということでもあろう。

 同時に、参入を意図する企業にとって、中国の地方政府間の誘致競争は、大変強力な助人となってきたし、今もそうであることを、この記事は示している。新産業分野での激しい参入と、その後の新規参入企業間の「過当競争」が生じ、急激な新産業分野での新規参入企業間の優劣の顕在化、そして勝者と敗者の明確化、急成長企業と脱落企業の共存が繰り返されることとなる。

 同時にこの過程こそ、中国での新産業形成と、そこでの無数とも言え得る企業の参入とチャンピオン企業の形成の過程でもあり、それが依然として存在し続けている、ということを示すものとも言える。そのためのキーパーソン的な存在が下級地方政府であるといえ、それが依然健在であることを示す記事と言えよう。

 このFTの記事を我田引水的に議論そして理解すれば、このようになろう。私のここでの理解が現実的な議論と言え得るのかどうかは、今後の中国産業経済を見守ることで明らかになるであろう。