経済にダイナミズムをもたらす「競争」とは
どのようなものか
細川幸太郎「中国有機EL サムスン追う」
日本経済新聞、2018年6月29日、12版、p.11
細川幸太郎「国産有機ELの灯つなぐ JOLEDが初出荷 苦節10年、
パナソニック・ソニーの技術を継承」
日本経済新聞、2017年12月5日、ネット版 を読んで
上記の6月29日の記事には、このほかのタイトルとして
「ビジョノックスやBOE 5000億円規模新工場 10箇所」
「スマホ向け 量産急ぐ」「供給過剰の恐れ」「曲面化で用途拡大カギ」
といったものがついている。
6月29日の記事では、中国でのスマホ向け有機ELパネルの大量生産工場が、中国地方政府補助金をも利用し、7社、うちBOEのみで4工場、合計10工場が各投資額5000億円前後で一斉に立ち上げられ、うちビジョノックスの工場が稼働を開始したとしている。韓国メーカー、特にサムスンの独壇場であったスマホ向け有機ELパネルの生産に果敢に挑戦する中国企業群の存在を紹介している。
また、ビジョノックスは2001年創業で、清華大学の有機ELプロジェクトを前身としていると紹介し、サムスンや台湾の企業の技術者を多く採用し、安定量産を実現したとも述べられている。
同時に、このように多数の中国系のスマホ向け有機ELパネルメーカーが参入することで、中期的には供給過剰が続く模様であり、また、地方政府がかなりの投資負担をしていることから、市民への災禍をもたらす可能性があるとの指摘も紹介している。有機ELの独自な特性である曲面化可能なことをどう生かし、同時に耐久性を高め、用途を広げることが重要であると結んでいる。
ここでも、中国メーカーとして紹介されているトップメーカーは2001年創業の新規参入企業であり、液晶ディスプレイメーカーで著名な中国系企業は、BOEの1社に限定されるようである。
グローバルに見ても少数の企業のみが成功しているにすぎない量産市場に対してでも、展望があると思われる市場には、一斉に何社もの新規企業が参入するということが、有機ELパネルにおいても生じていることを紹介しているものと言える。そして、まず最初に量産に成功した企業は、大学等での研究成果を引き継ぎながら技術者を広く集めた中国系新規創業企業であることを紹介している。
さらに注目すべきは、新規分野で長期的に有望と思われる分野には、中期的には過剰が展望される分野でも、地方政府の補助金等を活用し、5000億円規模での工場投資を行う企業が、1、2の企業に限定されないことである。いわゆる「過当競争」状況が見通されても、それも実績がない企業でも、新規参入を目指し、積極的に巨大な投資を行おうとするし、行うことが可能であるのが、中国での競争状況であると言える。
地方政府所有の国有企業ではないが、地方政府が積極的に支援する新規創業企業やこれまで無名であった企業が、数多く存在しうることが、またもやスマホ向け有機ELパネルでも示された。
また、この記事では、先行するサムスンが、自らの優位を保持するために、「「有機EL技術のブラックボックス化に成功しており、技術格差は簡単に埋まらないのではないか」」というサムスン電子に在籍したことのある日本人技術者の談話を紹介している。どこかで聞いた話である。かつて液晶パネルでシャープは自らの技術のブラックボックス化を進め、優位を維持すべく努めた。経済経営関係の研究者に対しても、工場見学を拒否していたと記憶している。私もシャープの基板組立工場を、窓越しに見学した記憶があるが、液晶ディスプレイの工場を見学した記憶がない。
ただ電子製品については、製造技術のかなりの部分は、外部の産業設備機械メーカーの産業機械を利用し、それらとの共同開発に依存している場合が多い。その点では、シャープもサムスンも例外ではないであろう。どこまで囲い込めるか、産業機械自体も内製化していた、かつてのIBMの汎用コンピュータ生産での囲い込みとは異なるといえよう。
長期的には、自国内での市場が拡大が見込め、それを確保できる可能性があり、技術者については多様な形で集めることができ、産業機械それ自体は機械メーカーから購入可能である。それをどのように使うか、あるいはシステムとして安定したものとして構築するか、この点については、サムスンに「一日の長」があることは確かだが、「一日の長」にすぎないとも言える。
さらにこの記事から読み取れるべきことは、この記事の図に掲載された5000億円規模の工場投資を行っている有機ELパネルメーカー7社全てが、このあと生き残り発展する可能性は低いということでもある。中国の新規参入企業は、多くの分野で少数を残し、敗退退出している。かつての家電組立工場から始まり、最近ではソーラーパネル工場でもそうであったが、数多くの企業が、地方政府の支援等を受けて参入し工場を建設している。しかし、同時に、過剰生産に陥ることを契機に淘汰が一気に進み、そのうち数社がよりたくましい企業となり、グローバルプレーヤーとして生き残る。このような図式を繰り返している。残る企業にビジョノックスを含まれるかどうか、それもわからない。がしかし、いくつかの中国系企業が、巨大化しつつある自国市場を活用することで生き残りグローバル・ビッグプレーヤーになる確率は高い。
先日の日経で紹介されたEV用車載電池でのCATL(日経、2018年5月23日、13版、p.8)でもそうだが、技術の一定のタネとなる部分を持って創業した企業が、短期間で一挙に巨大企業化しているのが、中国経済でのベンチャーの事例である。少なくとも国内に巨大な市場が形成されることが見込まれ、その技術開発のタネが国内にあれば、人材を幅広く集め、巨額資金を調達し、一挙にフロント・ランナー化しうるベンチャーが各分野で簇生している。資金的には地方政府の補助金等が大きいとしても、極めて、競争的な市場ということができよう。
同時に、一斉に新規参入した企業の中で、急成長した企業でも、市場環境の少しの変化で大きな打撃を受ける企業が存在することも、6月30日付の日経の記事で紹介されている。「車載電池世界4位の中国企業」が「半年間にわたって生産を停止する見通し」(中村裕、日本経済新聞、2018年6月30日、13版、p.12)とのことである。急成長企業ゆえに、急成長を可能にした市場条件の多少の変化にも脆い企業も存在し、環境変化が敗退企業を生み出す、という意味でも、中国市場は競争的であると言える。
今回取り上げた事例、有機ELパネルについていえば、既存の液晶パネルですでにトップメーカーとなったBOE以外の多くは、工場立地地域の各地方政府の支援を受けた新興企業群(1)であり、それが巨大な可能性を持つ中国市場を中心にし、当面の過剰生産の可能性も無視し、技術的に固まってきており、次の世代の表示装置となる可能性が非常に高い有機ELパネルの覇者になるべく、積極的な投資を行っているのである。このこと自体は、「地方政府が負担しており、失敗すれば市民にとって災禍」をもたらすという見解が、本記事でも紹介されているように、問題も多い行動であり、全ての企業が覇者の道を歩むことはできないことは明確である。同時に、成功の可能性もこれらの新興企業にとって存在している。
このような積極的な投資姿勢こそ、新産業形成過程での競争的な行動と言える。地方政府という公的団体は、その毀損の可能性を承知の上で、補助金を多額に投下しているのであり、地方政府は補助金を出した結果、覇者となることによる地域としての受益の可能性に賭けているのである。それゆえに、巨額の投資を一挙に行うことが必要な分野でも、新興企業が一斉に参入することになる。まさに競争的市場そのもの、あるいは「過当競争」的状況を示している。
翻って、日本での投資状況はどうであろうか。私も有機ELのディスプレイについては、2000年代はじめの日本での聞き取り調査で話を聞く機会があった。山形大学にこの分野の研究で先端を行く教授がおり、その方を中心に有機ELパネルに関する産業集積が山形にできつつあることを聞いたことがある。日本で本格的に有機ELディスプレイの生産に乗り出しているのは、各社の液晶ディスプレイが分社し合体したジャパンディスプレイの工場を間借りしている、同じく大手2社から分社合流したJOLED(2)ということである。しかも、紹介している記事によれば、画期的な製法での製品開発に成功したが、量産のための工場建設資金が課題であるということである。中国の状況とは全く異なり、独自生産技術を開発しても、市場の構築に向けての本格的参入さえ起こりにくい状況にあることが示唆される。
かつて、日本の第一次高度成長期において、銀行系列集団間での設備投資の「過当競争」という表現が横行した。例えば、鉄鋼業では、戦後当初は、旧日本製鐵系の当時の八幡製鉄と富士製鉄それと日本鋼管の3社のみが高炉からの一貫製鉄メーカーであったのに対し、当時の川崎製鉄や住友金属そして神戸製鋼が高炉分野に進出し、さらには各社が最新のLD転炉を一斉に導入したことで、鉄鋼の過剰生産が危惧され、その競争状況が「過当競争」と称された。なお、その際の技術は、米欧に既に存在する最新の技術を導入していた。同時に最新だが既存の技術ゆえに、上記6社が一斉に技術導入し設備投資をすることが可能となった。既存技術の導入競争であったがゆえに「過当競争」となったとも言える。
中長期的にみれば、結果として経済の当時としては古今未曾有の高度成長ゆえに過剰は生じなかったのであるが、極めて強引な設備投資が一挙に生じ、当時の通産官僚を困惑させていた。
同時に、今、日本の主要企業に、このような経済産業省の官僚を困惑させるような、強引な設備投資の実行を期待することは不可能である。安定的市場を前提に、寡占的な投資行動、慎重な投資行動にほぼ終始しているのが、日本経済の巨大企業である。しかも、日本では、大規模投資が必要とされるような新生産分野へ進出する製造業企業は、ベンチャーや新興企業ではなく、既存巨大企業である。まさに寡占的な協調的投資行動が一般化しているのが、現在の日本経済といえよう。この点、有機ELディスプレイをめぐる日中の投資状況の差異を通して、17年12月と18年6月の日経の2つの記事が、如実に表現している。
中国では、巨大な市場の形成や市場の一層の拡大を見込んで、先端技術保有企業・起業者ではなくとも、既存の最新の技術を導入することによって、多くのベンチャーが参入し、設備投資資金の調達に成功し、数社に限定されない規模での量産設備投資が一挙になされている。担い手は異なるが、第一次高度成長期の日本の企業と共通する形とも言える。それに対し、日本では画期的な生産技術の開発に成功しながら、それの量産化のための資金調達が課題として指摘されている。ただし、画期的な生産技術を開発したのは、既存の巨大企業の流れをくむ特定企業であり、技術を囲い込んでいる。その技術を広く開放し、一斉に新興企業が参入するような状況を許容する可能性は存在していない。
中国経済の状況は、かつての高度成長期の日本経済とは、投資主体では大きく異なるが、ある意味で同様な設備投資の「過当競争」状況ともいいうるものである。それに対して、現在の日本経済の状況は、競争的な状況とは程遠いものとなっている。独自技術を開発しても、一挙に本格的量産投資に乗り出せない日本の状況、市場の急拡大が見込まれれば、技術のタネを多少なりとも持った人々が、創業し、経営資源を集め一挙に量産を試みる中国の状況、これが、有機ELディスプレイでも、再び生じている。
個別企業として、その投資戦略を経営的な視点から評価するならば、「過当競争」に突入するような経営戦略は、経営的に高い評価を受けるものではないであろう。第一次高度成長期の銀行系列集団間の「過当競争」も結果オーライの側面もあったが、経営学の視点からみれば、経営的には無謀な投資であったということができる。いまの中国の投資競争にも、当然当てはまる同様な無謀さがある。「過当競争」と言われる所以である。しかし、この無謀さが、日本の第二次高度成長期の輸出競争力の形成の源の1つとなったのである。
中国での現在の大型設備投資の「過当競争」は、次に何を生み出すのであろうか。
(1) ネットで調べた限り、記事の図に掲載されていた7社のうち、BOEは1993年創業、あと天馬微電子が1983年創業である。あとの5社はいずれも2000年代に入っての創業で、ビジョノックスは2001年だが、他の4社は2008年以降の創業で、創業10年以内ということである。2012年に創業した企業も2社ある。このように新しい企業が、成長が見込まれる分野に参入し、一気に5000億円規模の工場投資を行う。これが可能なのが中国であり、中国の競争的な状況ということになる。
(2)日本での有機ELディスプレイの本格量産工場については、同じ細川幸太郎氏が「国産有機ELの灯つなぐ JOLEDが初出荷 苦節10年、パナソニック・ソニーの技術を継承」というタイトルで記事を書いている。
「パナソニックとソニーの有機EL事業を統合したJOLED(ジェイオーレッド)は5日、世界初となる低コストの「印刷方式」で生産した高精細の有機ELパネルを出荷したと発表した。パナソニックが2006年に研究開発を始めた同技術をJOLEDが事業化に道筋をつけた。電機大手が撤退し一度は消えかかっていた国産有機ELの灯をJOLEDが引き継ぐ」という話である。「研究開発会社として初出荷という節目を迎えたJOLED。次の節目は量産投資となる。足元では19年の量産開始に必要な資金を求めて外部企業を引受先とした増資を検討中。だが想定以上に時間がかかっているのが現状だ。現場の技術陣は製品出荷までこぎ着けた。次は東入来社長ら経営陣が現場の「努力のたまもの」に資金調達で応える番だ。」(日本経済新聞、2017年12月5日、ネット版)と結んでいる。
日系企業が最先端生産技術の有機ELの開発に成功していながら、量産向けの資金調達に苦労しているという話が、昨年の末に伝えられているという事実は、5000億円規模での量産工場建設資金の調達を創業数年の企業を含め何社もが実現している中国との現状と、あまりにも大きな差異がある。
付論:競争について
日本と中国の産業発展を見てきたとき、そこでダイナミズムを生み出す根源は、諸資本の競争ないしは諸企業の競争のあり方にあると感じた。
ダイナミズムをもたらす競争とは、経済理論上の「競争」ではないし、ましてや主流派経済学での「完全競争」ではない。産業発展のダイナミズムをもたらす競争にとっては、参入の自由があり、既存企業間の中で特定少数が市場動向を決定することができないような多数性、すなわち寡占的市場支配が生じていないことが、まずは中核的な必要条件であろう。また、市場が亜市場に分断されておらず、多数の企業が同時に参加することができる相互に直接的に相まみえる市場が存在することも必要条件である。
さらにダイナミズムをもたらす競争の条件として重要なのは、参加する企業が市場で敗退する可能性を持っている、ということである。市場での競争で劣後した時、廃業や倒産の可能性が存在すること、これも不可欠な条件といえる。いざとなれば、「親方日の丸」で救済されるような企業は、ダイナミズムをもたらす競争の主体とはなり得ない。この点との関連で、所有形態が私的所有ではないことが、ダイナミズムを阻害するというような理解もあるが、所有形態が問題となるのは、国有や公有であることで、市場独占が許容されたり、競争で劣後した際に救済されることがあることによるのであり、所有形態それ自体が競争主体として、独占的存在であったり、競争状況に晒された時に企業主体としての行動が、私的所有の企業と異なるのではなく、救済が想定されるがゆえに、行動が異なるのである。同様な条件下で競争に曝されるならば、所有形態による企業行動の差異は生じにくい、というのが中国地方国有企業の行動を見聞してきて得た結論である。
中国の国有企業の多数派は、地方政府所有の国有企業であり、その多くは、市場において、当初の資本投下等の面で多少の優遇を受けるとしても、競争上で特別待遇を受けることはなく、それぞれの市場では、多数の民営企業や他の多数の国有企業と正面から競争を行うことを前提にして設立されている。また、制度的に倒産の法的制度がなかった改革開放初期であっても、競争に敗れた国有企業は、数多くあり、市場から姿を消している。その初期の例は、地方国有企業としてのテレビを中心とした家電組立工場群であろう。圧倒的大部分の工場は撤退消滅したが、そこからTCLやハイアールといったごく少数の生き残り企業が巨大企業化している。活発な参入と競争の結果、ごく少数の企業のみが家電メーカーとして生き残り、中国市場全域に、そしてグローバル市場に進出している。
地方国有企業でありながら、地域市場の独占を許されることなく、他の国有企業と民営企業との市場競争の中の1企業として存立を模索した結果、多くが消滅し、いくつかの企業が生き残った。
末廣昭氏(末廣昭、2014)は、後発工業化国の産業発展を議論する際に、企業の所有形態に注目し、それぞれの企業がおかれた市場環境を抜きに、所有形態別の独自性の存在を前提に、所有形態別の企業分布を通して各国比較を行う議論を展開している。しかし、中国国内だけ見ても、同じ国有企業形態でも、市場独占を認められた分野や参入規制が敷かれている分野の国有企業と、一般的な市場に参入している国有企業では、その企業行動は当然のことながら大きく異なる。同じ私的企業であっても、寡占的支配を実現している企業と競争的市場で競争している企業とでは、その行動のあり方が大きく異なるのと、同様である。
企業にとって、所有形態はどうであろうと、生き残るために取る行動あるいは行動の方向性は、当該企業がおかれた市場環境によって多くは決まる。所有形態によって専ら決まるのではない。所有形態ではなく寡占的ないしは独占的支配をしているかどうかこそが、企業行動を大きく変えるのである。
参考文献
末廣昭、2014『新興アジア経済論 キャッチアップを超えて』
シリーズ 現代経済の展望、岩波書店
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