2018年7月15日日曜日

7月15日 小論 事例調査研究の方法について

7月8日東部部会に出席して感じたこと
        事例調査研究の方法について

はじめに
 7月8日の日本中小企業学会東部部会に出席し、6件の報告を聞いた。全ての報告に対し、相変わらず質問をしたが、いかんせん、質疑の時間が短く、十分に議論ができなかった。全ての報告が事例調査研究という形態をとっていたが、事例調査研究報告として、十分な内容を持っているといえるものかについて、特に疑問を感じた。その疑問をまさに代弁してくれたのが、東京経済大学准教授、山本聡会員の若手研究者の報告へのコメントであった。
 山本氏のコメントは、具体的な事例調査のそれ自体の方法への疑問、研究報告としてのレビューのあり方への疑問、主要参考文献の研究書としての適切さについての疑問、そこから導かれた結論の意義についての疑問、という形で、報告全体に疑問を呈していた。この山本氏のコメントに触発され、自分自身の事例調査研究を振り返り、改めて私にとっての事例調査研究のあるべき姿を考えて見たくなった。
 まずは、山本聡氏がコメントの対象とした報告を巡って、自分なりに論点を整理したのち、山本氏とメールで多少のやりとりを行なった。その結果、特定の報告に対するコメントとして山本氏のコメントを受け止めるのではなく、中小企業研究における事例調査研究のあり方一般の問題として議論する必要があろうと思うようになった。以下は、東部部会での報告と山本氏のコメントに触発され、改めて中小企業研究としての事例調査研究の方法と意義を、私自身の経験を中心に、私なりに検討したものである。

1)  事例調査と事例調査「研究」
多くの事例調査が、多様な機関や組織そして個別の研究者によって、多数行われている。また、その成果、調査結果の報告も数多く存在している。それ自体は事例調査報告であり、事例調査「研究」とイコールのものではない。この点をまずは確認する必要がある。それぞれの事例調査は、それがきちんと聞き取り内容を整理した調査結果であれば、少なくとも資料としては役に立つものとなる。また調査報告として報告書が刊行される場合が多く、それ自体は資料として保存され、研究のための材料となりうるものとなるであろう。しかし、それらは「研究」ではなく、あくまでも事例を整理し紹介した資料というべきものである。
私も、20歳代の終わり頃から十年ほど、数多くの調査に参加し、調査報告を毎年年度末を中心に、原稿用紙にして数百枚から千枚単位で書いていた時代があった。機械振興協会経済研究所や当時の中小企業振興事業団といった組織の調査プロジェクトに参加する形でのものが多かった。ここで書いた報告書の一部は、私にとっては大変勉強にはなったが、これ自体は事例調査「研究」ではなく、あくまでも事例聞き取り調査に関する調査報告であった。とりあえず、調査したことから言えることを、既存の議論の有無等とは関係はなく、まとめとして書いた記憶がある。事例調査をしてわかったことを、新たな発見かどうかには関係なく、単に並べたものと言える。いわば事例紹介とそのまとめともいうべきものである。しかし、これ自体は、資料として意味のある事例調査報告であっても、事例調査「研究」ではない。

2)  事例調査研究の目的
 単なる「事例紹介とそのまとめ」にとどまらない事例調査「研究」とは、どのような内容を持つことが不可欠であろうか。この点を考える上で、まず何よりも重要な点は、事例調査を通して、新たな「発見」を行うということである。なんらかの「発見」がなければ、事例調査をどれだけ積み重ねようと、個別事例紹介集にとどまることになる。新たな事象の発見を行い、それを論理的に説明すること、これが事例調査研究の研究としての意義となろう。事例調査は多少の数を重ねても、それ自体で蓋然性の程度を示すものとなりにくい。研究としては、あくまでも新たに発見した事象について定性的な内容を明らかにするものであると言える。
 それでは、研究につながる事象の「発見」とは、どのようなものを含むであろうか。発見には、いろいろな内容の発見が含まれると考える
 まずは、これまでの理論や議論では対象となっていなかった事象で、既存の理論や議論で説明可能な事象の発見がある。これを通して、既存の理論や議論の適用範囲がより広がることになる。
また、事例調査を通しての「発見」には、これまでの理論や議論で説明可能な事象の範囲の確認・確定と言った内容が存在する。理論の適用範囲の限定性を示すということである。同時にそのことは、その範囲内であれば、適用可能であるということを示すことでもある。
 さらには、これまでの理論や議論で分析されていない、説明されていないタイプの事象、そして、これまでの理論や議論で説明できない事象の発見という、本来的な「発見」も、まさに発見である。

3)  事例調査研究の方法
 「発見」したと考えた事象の独自性に関わる先行の研究、理論や議論のレビューが、次の段階で必要となる。自分が発見したと思った独自な事象も、すでに既存の理論や議論が包摂する内容である場合が多数存在する。自らの研究フィールドとする分野の理論や議論では、これまで論理的に説明されてこなかった新たな事象と言えたとしても、他の分野の理論や議論では、すでにその説明の論理が存在するような場合も数多くある。発見したことの内容を、どのような視点から説明することができるか、多様なアプローチの存在を前提にレビューすることが必要であろう。
 私が1970年代後半から東京の機械工業零細企業の存立基盤を検討していた際にも、既存の中小企業研究では、地域的な視点を持ったものとしては、東京の零細企業についてはほとんど本格的な事例調査研究は存在しなかった。しかし、板倉勝高・井出策夫・竹内淳彦の3氏のような経済地理研究者からのアプローチがすでに存在し、「底辺産業論」として京浜地域の機械工業零細企業を位置付け、その意味を説明する議論が展開されていた(例えば、3氏による共著の1つ『大都市零細工業の構造 地域的産業集団の理論』新評論、1973年)。私も、それらの議論から多くを学ばせてもらった上で、さらにそれらを通しても理解できなかった点に何故の問いを重ね、京浜地域の機械工業零細企業の再生産の論理を自らのものとして発見していった。経済地理学からのアプローチでは、多様な機械工業企業が活用する共用的基盤としてある地理的範囲に零細企業層が存在すること、それが底辺産業と名付けられるものとしては議論されていた。ただ、そこではそのような零細企業が、より具体的にどのような仕事内容を受注し、そして何故層として再生産可能なのか、企業間関係を通しての零細企業層再生産の経済的な論理の追究が弱かった。私自身が改めて発見し論理化したのは、存在それ自体の発見と論理化ではなく、その層としての再生産の論理ということができる。

4)  発見した独自事象の論理的説明
 これまでの理論の対象外であったり議論されてこなかった事象を発見したとしても、その事象の報告だけでは、研究報告ではなく、やはり事例紹介ということができよう。ただし、極めて興味深い事例を発見し紹介しているということにはなるが。あるいは課題提起の研究報告とはなるかもしれないが。
発見した事象について、それは何故存在するのか、経済論理的にあるいは社会科学的に説明することが、次に求められる。1つは、既存の理論や議論との関係を示すことが求められる。特に、これまで対象となって来なかった事象についてであれば、その理由を含め、既存のどのような理論や議論で、どのように説明されるか、改めて確認を行うことが求められよう。
新たに発見した既存の理論や議論で説明不能な事象を、経済現象として問題とするのであれば、経済現象を説明する基本的な論理にまで戻り、改めて説明論理を再構築することになる。どこまで戻って論理を再構築するか、その事象の独自性の程度によるということになろう。経済現象であり、私の研究対象である産業の発展の論理の枠内であれば、当該産業企業群が直面する市場の状況と競争の状況、それに制度的環境といったものにまで戻れば、多くの新たな事象の論理の解明の緒を把握することが可能となろう。
私がかつて研究対象としていた東京の機械工業零細企業の存立基盤についても、量産型工場が域外へと転出していく中で、一品生産型の産業機械や試作開発関係の工場部門が京浜地域で残存拡大し、それらからの需要を対象に、「仲間取引」等を活用することで、零細企業層が層として再生産していたことを明らかにした。それが確認できたとして、日本経済政策学会で報告した(「大都市金属加工零細経営の存立基盤  −東京の城東・城南地域の場合 −」 日本経済政策学会第37回大会, 19805月、(要旨日本経済政策学会年報XXIX 『経済政策の国際協調と日本経済』勁草書房、19815月所収)。なお、日本中小企業学会が創設されたのは1980年、第1回全国大会が開催されたのは1981年であり、それまでの中小企業研究の発表の場は、日本経済政策学会が1つの中心であった。
また、三田学会雑誌に査読対象論文として投稿し、受理され掲載された。拙稿「大都市における機械工業零細経営の機能と存立基盤」『三田学会雑誌』(722号、19794月)がそれである。最初に三田学会雑誌に査読論文として掲載された「零細規模経営増加についての分析」『三田学会雑誌』(6710, 197410月)が、当時の零細企業増加現象について、瀧澤菊太郎氏と清成忠男氏との論争について、統計的事実を確認すれば、両者の議論とも不適切という、いわば両者の議論がともに妥当しないことを発見したと称するにすぎない論文であった。しかし、72巻2号に掲載された論文は、急増する東京の機械工業零細企業の存立基盤を、従来の議論では説明困難なものを、経済の基本的状況にまで戻って明らかにしたものと、今でも私なりには評価している。その意味で、日本の機械工業の発展研究の中で、どこまで意味のある発見かどうかは別として、既存の理論や議論では説明できない事象を発見し、その事象の論理を、私なりに解明したものと、自ら評価している。

5)  可能であれば、その事象の蓋然性の程度の評価
 自ら発見した事象を論理的に説明した上で求められることは、その事象の蓋然性の程度を評価することであろう。私自身が最も苦手とするところでもある。大都市の機械工業零細企業の独自な存立形態の蓋然性を、既存統計を通して評価することは極めてむずかしい。
ただ幸運なことに、私がこの問題に取り組んでいた時期に、当時の我々の調査研究グループのリーダーであった佐藤芳雄慶應義塾大学教授(当時、故人)が、墨田区が主体的に実施した区役所職員を動員しての区内製造業事業所3000件規模の全数調査で回答率95%という驚異的水準を実現した調査、23区自治体が初めて本格的に行ったと思われる全数アンケート調査のための委員会の長を務められた。そのおかげで全数アンケート調査の個票を閲覧し分析する機会に恵まれた。それを通して、既存統計では全く窺い知れない、機械工業零細企業の存立実態、個別零細企業にとっての多様な製品分野の取引先や再外注先の存在を、墨田区という範囲内であるが、量的に確認できた。これにより、大都市の機械工業零細企業の存立をめぐる私に理解の量的妥当性もある程度確認できた。その成果が、拙稿「墨田区金属プレス加工零細経営の分析()   −統計分析−」(『三田学会雑誌』726号、197912)である。

まとめ
 以上、私が事例調査「研究」をどのようなものと考え、実際に自身として何をやってきたか、初期の「研究」成果と自負するものを紹介しながら、まとめてみた。ここで何より言いたかったことは、事例調査「研究」の意味は、既存の理論や議論の不足する部分、妥当範囲や説明不能な事象と言ったものの発見を行い、それを少なくとも定性的に解明し、その事象を説明する論理を示すことにある。事例調査研究という研究手法は、量的な意味での評価には役に立ちにくい研究方法だが、新たなことの発見には最も適切な手法であると考えられる。

 逆に言えば、繰り返しにもなるが、既存の理論や議論で説明可能な、すでにそれらの理論や議論の対象とされている事象・事例を調査し、それを新たな事例として紹介するだけの報告は研究ではない、ということである。これらは、その水準を別とすれば、私が30歳前後に毎年原稿用紙数百枚以上書いていた、下請中小企業についての事例調査報告書と同様のものということになる。

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