しばらく自分の考えそれ自体についての議論を展開しないでいました。中国産業論に関する単著を出版はしましたが、その最終的な校正の時期を含め、中国産業論を中心に、他の研究者の方々の成果を、どのように見ることができるのか、検討してきました。その過程で、改めて自分自身は、後発工業化国の工業発展を、どのように捉えているのか、あるいは捉えるべきなのか、反省的に考えたくなりました。近年読む機会を得た著作も検討の対象に加え、その点についての私自身の考えを、「覚書」として記したものが、下記の小論です。
「雁行形態論」もそうだと思っていますが、私自身も、やはり日本のキャッチアップ過程のあり方を典型的なものと認識し、後発工業化国の工業発展のあり方についての見方を、それにかなり縛られていると、改めて感じました。それを少しでも脱するために、下記のような文章を書き、日本の経験を私なりに相対化したいと考えました。
またもや、本題についての先行研究を全く検討しない、勝手な文章を書いてしまいました。研究論文として皆様にお見せできるものではありませんが、私の考えを知って頂きたく、「覚書」としてブログに掲示することにしました。
[覚書]グローバル市場・調達時代における
後発工業化国製造業・企業の発展をどう見るべきか
—ブラジルのエンブラエルの発展に至る産業発展の新たな可能性と限定性—
渡辺 幸男
目次
はじめに
序 後発工業化国の製造業とくに機械工業の発展を、どう考えるべきか
1、
日本(と米国)の場合 国民経済内に包摂された産業発展
2、 韓国・台湾の産業発展 グローバル市場での個別産業としての産業発展
3、 中国の場合 外資と並存の中の擬似国内完結型生産体制の構築
4、 ブラジルの場合 エンブラエル、個別企業の発展をどう見るか
補、 ロシアの場合 国内完結型生産体制の崩壊・非工業化
小括 グローバル市場・調達時代の産業発展とは
参考文献
はじめに
これまでの経済学では後発工業化国での産業発展を議論する時、暗黙の想定ともいえるが、基本的に国民経済単位で産業について考えてきたと筆者は考える。すなわち、多くの場合、国民経済が工業化する、という認識のもとに議論が展開されてきた。この場合の工業化とは何か、ある意味自明のことであり、工業に関わる諸要素が、国民経済内で形成され、「フルセット型」の産業構造が形成されることが前提として、暗黙のうちに認識されていたと思われる。工業化するという時の主体は、国民経済であり、フルセットの産業を揃えることこそが工業化であると考えられていた。この点は、後発工業化国で、先進工業化した国としての日本の産業発展をみれば、ある意味当然のことのように見える。
なお、本稿でいう「フルセット型」とは、関満博(1993)が言うところのものであり、工業生産に関わるほぼすべての産業が1国民経済内に形成されている状況を指している。またのちに出てくる「国内完結型生産体制」とは井村喜代子(1993)が日本の戦後の産業構造を見て述べた概念であり、単にフルセットで工業系諸産業が存在するだけではなく、1次加工から最終製品まで輸入材料や部品等の輸入中間財に依存することなく、ほぼすべての工業経済を国内で自給している生産体系を指している。当然のことながら、厳密な意味では、「国内完結型の生産体制」は日本では実現しなかった。ただ、1970年代末にかけては、工作機械の輸入の極端な縮小に端的に表現されるように、ほぼすべての財を国内生産で賄う状況を実現していた。ただ最後まで国内生産を実現できなかった財として大型ジェット旅客機があり、フルセット型の生産体系さえ厳密には実現できていなかった。また、電力価格の関係でオイルショック後輸入に代替されたアルミインゴットのように、幾つか専ら輸入に依存する財も存在していた。その意味で、厳密な意味では、国内完結型の生産体制どころかフルセット型の生産体制も実現していないが、方向性としては国内完結型生産体制に向かって進み、かなりその実現に近づいていたということができる。
しかし、日本の先進工業化以降に工業化したといえる諸国を見ると、必ずしもフルセット型の産業構造をほぼ備えていると言える状況には至っていない。しかし、韓国の半導体産業やスマートフォン産業がそうであるように、明らかに主要な産業は先進工業化し、グローバル市場で高い競争力を保ち、当該産業の発展を主導している。グローバル経済化・市場化時代においては、国民経済と工業化との関係を改めて考える必要がありそうである。
そのため筆者が注目したのが、先進工業化国とはまだ認められてはいないブラジルに立地し、世界のリージョナルジェット市場での主要メーカーとなったブラジルのエンブラエル社である。機械工業として極めて高い技術水準を要求される旅客機産業においてグローバル市場で商業的に大成功しているメーカーがブラジルから生まれた。このような事例を見ることで、現代の後発工業化国での産業発展のあり方の独自性を確認できるのではないかと考える。同時に、そこから現代の後発工業化国にとっての産業発展政策への含意も得られるのではないかと思っている。
序 後発工業化国の製造業とくに機械工業の発展を、どう考えるべきか
英国で産業革命が生じ、それを出発点として欧州での工業化が西欧を中心に進展した。英国と近接した地域の工業化の進展である。しかし、それ以降、欧州から大きく離れた他地域の工業化が進展した。まずは米国を中心とした北米で工業化が進み、さらにユーラシア大陸の東の端の日本での工業化が進展した。日本での先進工業化は、ほぼ1970年代に達成されたと見ることができよう。1980年代には、日本国内で発展した製造業企業が、国際競争力を多くの産業分野で持ち始め、他の先進工業国への先進的機械工業製品の輸出や独自な生産技術の優位を活かしての先進工業国での現地生産化を実現し始めている。
それに次ぎ、1990年代以降、アジアNIEs諸国の産業発展が急激に進展し、先進的産業でアジアNIEs諸国の企業がグローバル市場での競争力を持ち始めた。完成品産業で見ても、スマートフォンの韓国サムスンや、ノートパソコンの台湾エイサーといった企業が生まれ、グローバル市場で競争優位を実現してきた。さらには、中国のスマートフォンや通信設備の華為やブラジルの旅客機メーカーのエンブラエルがそれに続き、先進工業のグローバルな市場で存在感を示し始めている。
これらの先進工業分野での後進工業化国の企業の発展の論理を、時系列的な差異だけで同じ論理で説明することができるのか、これが筆者の疑問である。産業発展という時、雁行形態論が前提するように各国経済のそれぞれが、同様な経路をたどり産業発展し、そこから先進的工業分野のグローバル市場でも競争力を持つ企業を生み出してくると見て良いのであろうか。
筆者は雁行形態論の議論については、まともに学んではいない。本稿では、末廣昭(2000)の議論を参考にし、それを踏まえ考察していきたい。上記著作では、「赤松が「雁行形態」名付けた」ものの重要な一方として、「後発国(日本)の立場から、ある特定の産業が「輸入→国内生産→輸出」へと進むそのパターンと、主要輸出産業が交替していくプロセスであった」とし、「①綿糸、②綿織物、③紡機・織機、④機械器具工業の4つの産業における「輸入・国内生産・輸出」の継起的な推移を検討」(p.46)しているとする。ここからうかがい知れるのは、「雁行形態」とは、1国内で輸入代替が進展し、やがてそれが輸出産業となることと、その対象産業が軽工業から機械工業へとシフトしていくことを指しているということである。しかも、そのような形態での国内産業と輸出産業の変化が各国で前後しながら生じていくということになるのであろう。
この点について、米・日、韓国・台湾、中国、ブラジル、ロシアと見ることで、どのように考えることが可能かを、本稿では検討する。これらを見ることで、雁行形態論的な産業発展への懐疑が筆者には生じた。すなわち、現代の産業発展を国民経済単位で考えることの限界と、現代における妥当性への懐疑とも言える点である。同時に、近年の上記の諸国の産業発展を見ることで、地域産業発展に必要な要素とは何かについて確認できるのではないかと考えた。そこで見えてきたことは、結論を先取りしていば、地域として必要なのは、各国のフルセット型の生産体制の形成では無く、経営資源一般でも無く、企業家と相対的に安価で豊富な近代工業人材(技術者や技能者)ということである。グローバル市場の物流インフラ等、基本的なインフラが極めて整備されたことで、企業立地の自由度が高まっている。従来のような国民経済単位のフルセット型の産業集積・集積の経済性を前提とした工業発展(理解)の有効性の限界を示唆するものといえる。地域産業発展にとっては、世界経済の歴史的環境が決定的な意味を持ち、グローバル経済化の現段階的な状況は、立地に関して極めて高い自由度を各企業に与えている。その上でどのような条件が、各企業の競争優位のために必要かを考える必要がある。そのことが逆に、後発工業化国の諸地域での具体的な先進工業化の可能性と限定性を示唆すると考えている。
1、 日本(と米国)の場合(1) 国民経済内に包摂された産業発展
筆者は日本の産業発展について機械工業中小企業を中心に研究してきた。日本での産業発展は、日本の機械工業のみならず、素原料の多くを輸入に依存するが、その素原料の1次加工から最終製品としての消費財や資本財のほとんど全てを国内で生産している。その意味で関満博(1993)が言うところのフルセット型の生産体制ということができる。しかし、日本の戦後の70年代に先進工業化した過程で到達した製造業の姿は、そこに留まらず、中間財の多くと産業機械のほとんどを輸入に一切依存しない、国内完結型生産体制の構築をほぼ実現した形であった。素原料を輸入に依存するが、工業生産体制としては、全てを国内で行うという体制にほぼ到達したのである。究極の輸入代替化を実現するとともに、機械工業等の先進工業でも国際競争力を持つに至った。
その過程では、先進工業化した産業の競争の場が国内市場中心であったことから、国内市場のあり方に規定され、トヨタ生産方式に代表されるような、生産技術での革新や、下請系列取引関係と呼ばれるような独自な取引関係が形成され展開した。その結果、他の先進工業国では実現できなかった、安価だけれども壊れにくい、あるいは製品の品質にばらつきの極めて少ない工業生産体系が構築された。
国民経済内で完結した生産体系を、先進工業については国内市場を対象に、ほぼ自国系企業だけで構築したことで、国民経済市場の特性に適合し発展することを目指し、国内企業間で激しい競争が展開され、このような独自な工業生産体系が構築されたといえる。
このように、国民経済で完結した生産体制が構築されただけでは無く、その生産体系が当初は、日本経済という1億以上の人口を保有する大規模市場である国内市場向けを軸に展開した。当初より海外市場向けの生産を担っていた工業部門、産業もいくつか存在するが、機械工業については、造船業などをのぞけば、あくまでも国内市場向けの産業機械であり、量産耐久消費財としての機械であった。独自な市場としての日本国内市場向けに、国内完結型生産体制の下で、自国系の多くの大企業が激しく競争をしたことで、独自な生産体系を構築したといえる。現代風に言えば、「ガラパゴス」的発展をしたがゆえに、80年代に日本の多くの機械工業製品が先進工業国市場に進出した際、独自な優位性を確保することが可能となった。筆者は、かつて、このような日本の市場を北米や欧州のような大陸市場では無いが、「ガラパゴス大島」的市場と表現した(渡辺幸男、2008)。
筆者自身は、直接研究をしていないが、北米市場も、まさにこのような意味では独自な生産体系を、国内完結型で構築したといえそうである。米国といった独自な市場、しかも巨大な市場向けに、国内完結型の生産体制が構築されたからこそ、部品を互換できる本格的な量産機械としてのシンガーミシンやコルト拳銃、そしてフォード生産システムといった、当時の欧州先進工業諸国では全く生まれようが無かった量産型機械の設計思想や生産体制が構築されたといえよう。
ここで見えてくることは、米・日とも、国内市場が大きく、その市場に専ら依存して、自国系企業により国内完結型の生産体制が構築され、その結果、独自な生産体系が生まれ、先進工業国間の競争において、米・日の企業が優位性を発揮することが可能となったということである。
このような日本あるいは米国での工業の発展は、時代的制約で、先進工業諸国と遠く離れた地域で工業化が実現するとすれば、1次加工原料から産業機械をほぼ国内で生産可能な体制によってのみ可能であるということが、大きくかかわっている。戦後まもなくの日本の状況においても、北米や欧州からの先進工業国の製品の輸入は、輸送コストが大きく、高価格品となる。しかも、所得水準が低い国内市場向けには、高価格のみならず高機能過ぎ、同時に、輸入産業機械や輸入中間財に依存しては、輸送コストを考慮しただけで国際競争力を持つ工業製品を生産できない状況といえた。好むと好まざると、日本の工業にとって、先進工業化を目指すのであれば、国内完結型の生産体制構築をも同時に目指す必要があったといえる。それと相対的に大規模な、乗用車生産でも激しい競争をする大企業群の共存を可能とする規模の国内市場を、当初は潜在的だったとしても持っていたがゆえに、本格的な工業化が戦後国内企業間の激しい競争の下で、国内市場を巡って生じた時に、独自な生産体系を構築することとなった。このように見ることができよう。
2、 韓国・台湾の産業発展(2) グローバル市場での個別産業としての産業発展
韓国・台湾の産業発展に関して、筆者が多少なりとも直接議論に参加したのは、台湾自転車産業に関する調査研究のみである。参考文献にもあるように、台湾のノートパソコン産業や韓国の半導体製造企業については、研究者による著書を通して間接的に学習したに過ぎない。
ここでは、自転車産業のジャイアントのブランドで知られる巨大機械工業を念頭に置きながら、台湾の産業発展を中心に考えていきたい。台湾の自転車産業は第2次大戦後、輸入代替化として発生し、低価格品市場向けに1960年代末で年間10万台弱の生産量であった。それが、1970年代初めに米国からのOEM発注が100万台規模で行われ、一挙に生産が拡大した。しかし、輸出製品に多くの低価格粗悪品が含まれていたため、北米市場で問題を生じさせたが、検品制度等を設けることで、品質の確保を実現し、その後は急激にOEM輸出を拡大させた。結果、台湾の自転車産業は、輸入代替化の形で国内に形成された自転車組立と部品の産業を基盤に、北米市場を主要な市場として、産業として本格的かつ急速に発展した。その中で、OEM生産中心の輸出企業からジャイアントのような自社ブランド製品開発にも乗り出し、海外先進工業国での自社販路を独自開拓するようなメーカーを輩出し、1990年代初頭には、完成車メーカーと部品メーカーからなる世界有数の規模の自転車についての生産体系を構築した。
小規模な国内向け産業の形成を足がかりに、北米市場へ進出を実現することで、世界有数の自転車産業を構築したのが、台湾の自転車産業である。現在では、生産基盤の多くを中国に持つようになり、量産品については中国で生産しているが、台湾系企業群は、依然として世界有数の自転車産業を構成しており、台湾国内に本社機能のみならず開発拠点や高級機種の生産拠点を保持している。
ここに見られることは、日本がそうであったような国内完結型の工業の生産体系を構築することなく、自転車産業として生産体系の構築を中心に、しかも北米市場を中心としたグローバルな先進工業市場に進出することで、本格的な産業体系を確立した姿である。グローバル市場と繋がったことが、ようやく芽を出した産業が、国際競争力のある本格的な産業となる契機となったと言える。日本のように産業体系として成熟し国際競争力を持ち始めたのちにグローバル市場、特に先進工業国市場へと進出した自転車産業さらには乗用車産業とは、グローバル市場への参入の時点が、全く異なることになる。台湾産業の場合、このような姿は自転車産業に限定されるものではなく、エイサーに代表されるようなノートパソコン産業等の電子製品産業でも同様に言える。
また、韓国の場合も、サムスンの電子製品の多くがそうであるように、グローバルな資材と製造機械の調達に基づき、北米を中心にしたグローバル市場を対象に開発や投資が行われ、幾つかの分野で世界最大のメーカーとなっていくようなことが生じている。ここでも、日本の場合と異なり、国内市場向けと国内の広汎な産業基盤形成を前提に、国際競争力を形成したのではなく、特定産業への多くの企業の参入は存在したが、それらの企業が内外の経営資源を当初より利用し、グローバル市場を対象に成長し、その競争に勝ち抜いた企業がサムスン等であるということになる。
グローバル生産体制に組み込まれ、グローバル市場ないしは北米大陸市場を前提した上で、地域の特定産業の本格的形成・発展が生じているのが、これらの国の有力産業である。それゆえ、そこで生じていることは、国民経済としての製造業のフルセット型の構築を踏まえた特定産業の発展ではなく、特定産業・機能に特化した企業群を軸にした産業集積それ自体が、海外の経営資源をも多様に活用し、海外市場向けを中心に内包的・外延的拡大していくという形での産業発展である。
3、 中国の場合(3) 外資と並存の中の擬似国内完結型生産体制の構築
中国の改革開放後の急激な工業化をどのように見るか、研究者の視点により、かなり異なっている。筆者は、来料加工と言われる外資による輸出向けの事実上の外資による自社生産よりも、中国民営企業より担われてきた自生的工業発展に注目し、それが中国の本格的工業化を考える上で、最重要であると考えている。もちろん、両者は無関係ではなく、外資主導の来料加工から中国系企業の受託生産へと展開し、その担い手が民営企業である場合も数多く存在している。さらには、現在の民営企業の中には集団所有制を出自とする旧郷鎮企業も多く存在するし、同時に、来料加工の中国側の担い手は郷鎮政府でもあった。
しかしながら、自生的な工業発展として独自な生産体系を構築しつつあるのを中国の現在の工業化の特徴として注目するならば、その担い手は、来料加工から転化した受託生産の発展形態の企業群というよりも、民営企業主導の工業化の担い手企業群であると言える。これらの民営企業群が担っている工業化の特徴は、韓国や台湾に大きく遅れた水準と時期から工業化した中国にもかかわらず、より先行した日本の工業化とある意味共通した内容を持っている。これを筆者は中国の擬似国内完結型生産体制の構築と呼びたい。
外資が実質的に材料と機械を持ち込み、労働力と建屋等を賃借りして行っていた来料加工は、当然のことながら外資が中国外に輸出するために加工を行っていた。そこでの市場は多くの場合先進工業国市場であった。その意味では、「雁行形態」の議論と異なり、中国の輸出産業の一方は、国内市場向けの輸入代替とは関係なく形成され、巨大な輸出産業となったものである。
それに対して、民営企業が温州等で自生的に形成した工業は、極めて品質的に低水準の工業であったが、基本的に改革開放後に一挙に形成された国内市場向けであった。中国の国内市場については、改革開放後、海外企業に対しても一定程度開かれ、その潜在的な巨大さから、多くの外資により中国国内市場を念頭に直接投資も行われてきた。しかしながら、先進工業国の外資が獲得した中国国内市場は、中国市場の中の相対的に豊かな消費者である極めて上層のごく一部の市場部分であり、そのために必要な機械や部材の部分であった。先進工業国の製品については、改革開放後の中国市場では、先進工業国製品は低価格品であったとしても、あまりにも高価格過ぎ、最大部分を占める中下層の市場には浸透することができなかった。しかも、既存の国有企業は、計画経済下の企業であったこともあり、市場の変化に対応する経営能力に欠ける企業が圧倒的に多かった。結果として、改革開放後の市場経済化のもとで、最小限の需要が充足されるような状況が生じ、市場のニーズに応じた製品展開が必要になると、その変化についていくことができない企業がほとんどであった。
筆者が見てきた自転車産業でも、計画経済下で垂直的統合生産を行い、その時点で世界最大級の生産台数を誇っていた中国の主要メーカーである国有大企業は、改革開放後も1990年代初頭までは、不足経済の解消に向けて、既存の製品群を大量にそれなりの品質で生産できる企業として、一層の拡大を実現した。しかし、自転車需要不足が解消し、市場のニーズが変化し始めると、高い市場シェアと生産技術や人材を内部に保有していたにもかかわらず、旧国有大企業は、変化に対応できずに、新規創業した民営企業群にそのシェアの大部分を奪われてしまっている。
なお、同じ時期に台湾系企業を中心に華南や華東により先進的な自転車企業が大量に進出し、中国国内市場への進出も目指していた。しかし、結果的には、当時の中国国内市場には高級・高価すぎ、現在では中国の中高級品市場で大きなシェアを確保しているジャイアントを含め、ほとんど浸透できないで終わっている。他方で、新規開業の中国系民営企業が、国有企業の保有していた部材生産や機械そして人材を活用し、当時の市場のニーズに適合したお値頃な製品を開発し、新興の部材メーカーとともに、国有自転車メーカーや国有自転車部品メーカーに取って代わった。
その結果生まれた中国民営企業生産の自転車は、最低限必要な品質水準と機能を備えているが、極めて安い自転車であり、世界最大規模の中国国内市場で圧倒的多数を占めるとともに、先進国市場としての米国や日本で、低級品市場向けに供給されることとなった。日本のスーパー等で、一時1台5千円ぐらいで売られていた自転車、いわゆるママチャリのほとんどが中国製であり、このような民営企業の製品に対して、日系の企業が品質面での一定の指導等の手を加え、日本市場での最低限の品質を維持しうるものとして改良され、供給されたものである。基本に、中国市場での低価格品の独自な生産体系が構築されなければ、日系企業の中国での低賃金労働力利用の基づく現地生産だけで、このような製品を生産することは不可能であった。
自転車で見てきたような、労賃が中国以下であっても中国以外のどこでも不可能な安価なそこそこの機械製品を生産できたのは、単純に不熟練労働力の賃金が安いというだけではなく、中国国内に計画経済期に形成された近代工業の諸要素、工作機械から各種の部材生産に至るまでの要素が存在していたこと、またともかくも近代工業を担うことができる技術者や技能者が豊富に、民営企業が自由に利用できるような形で存在していたこと、これらが決定的に重要である。このような安価な人材と安価な部材・機械を自由に調達し使用できたことが、市場のニーズに敏感な民営企業家が改革開放後の中国市場に販売できる価格とそこそこというべき品質水準の製品の生産を、一挙に生産拡大し供給することができた理由である。
巨大な市場が一挙に形成され、外資には参入できないような価格レベルの市場として急拡大が見込まれ、既存の国有大企業は人材や技術については、そこそこ持っているが、市場ニーズの変化が本格的に生じ始めると、その変化にはついていけなかった。その間隙を埋めたのが新興の民営企業家である。国有大企業が維持できなくなった人材や機械等を活用し、中国市場に適合した製品を開発し、急成長したのである。部材から機械に至るまで、中国市場の開拓に適合したものが既に存在し、それを市場ニーズの変化を踏まえた開発生産に活用することで、中国の民営企業家は国内市場の他の企業には埋められない需要を満たし成長した。まさに、その限りでは国内完結型の生産体制を構築したと言える。日本や米国と異なるのは、同時に中国国内には、中国市場の上部のニーズを充足する外資系企業が存在し、それが海外から持ち込んだ機械や部材を利用して生産し販売をしていたということである。いわば、外資に主導された生産体系と国内民営企業群に主導された生産体系が、当初は交わらず並存していたと見ることができる。そこに擬似国内完結型生産体制と呼んだ所以がある。
潜在的に巨大な国内市場があり、それを外資や既存の国内大企業である国有大企業が充足できず、しかも近代工業に必要な最低限の質を満たす人材や機械は豊富に存在した、という独自な環境が、中国で改めて現代において擬似的とはいえ国内完結型の生産体制を構築することを可能にしたと言える。いわばグローバル時代の中にあっても、極めて独自な市場環境が存在したが故に、中国での独自な生産体系が中国国内で完結する形で形成されたと言える。
日本では、その形でしか先進工業化が可能ではなかった国内完結型生産体制のもとでの先進工業化が、韓国や台湾でそうであったようにグローバルな生産体系と結びつくことで他の形でも可能となったにもかかわらず、中国では、その市場の独自性、計画経済下の蓄積、改革開放による既存大企業の事実上の不存在とが、新興(民営)企業主導での国内完結型生産体制の構築に基づく産業発展と類似した状況をもたらしたと見ることができる。
ただし、この中国での国内完結型生産体制下での工業化は、技術的に先進工業へのキャッチアップ型工業化とは、必ずしも言えない。丸川知雄(2013)によれば「キャッチ・ダウン」とも呼ばれる工業化である。低価格品市場が中国に限定されず、アフリカ等で拡大していることもあり、先進工業国の低価格品市場とともに、このような低価格品生産が中国で拡大し、国内市場に限定されずに成長を遂げている。しかし、先進工業化とは異なる方向性であると言える。これが今後どうなるか、興味深い点である。
同時に言えることは、中国は巨大な外資が容易に参入できない国内市場を持ち、それを新興(民営)企業群が確保したことで、台湾や韓国とは異なる内容と経路の工業化を遂げたということである。
4、 ブラジルの場合(4) エンブラエル、個別企業の発展をどう見るか
上記3形態とも異なり、地域産業発展の欠落の中での企業的発展を見ることができそうなのが、ブラジルのリージョナル・ジェット旅客機メーカー、エンブラエルの発展である。
同社は、1969年に国有企業として創業し、国内市場向けを中心に小型プロペラ機を開発生産していた。技術の元は戦後ドイツから招聘した技術者にあるようだが、国内市場向けを中心に小型機を開発することと、政府の積極的支援により国内市場ではそれまで支配的であったセスナ機を駆逐し、米国の航空会社にも30人乗り旅客機を本格的に販売するに至った。しかし、ブラジル経済が90年代初頭に不況に陥ったこともあり、政府の支援を受けられなくなり、大幅な赤字に陥り、1994年に民営化した。民営化の前から開発し始めていた50人乗りのリージョナルジェット機が米国市場でヒットし、本格的にリージョナルジェット旅客機メーカーとしての地位を確立するに至った(エンブラエル(www.embraer.com/en-us)、田中祐二(2007)、中山智夫(2010)を参照した)。
またその生産体制は、エンジンを米欧の大手ジェット・エンジンメーカーに依存するのみならず、機体についても、自社での開発とともに米欧日の機体メーカーと共同開発し、生産分担する形で生産している。それゆえ、ブラジルの同社が立地しているサンパウロ州に工場を持ち、周辺にサプライヤを擁しているが、周辺サプライヤへの依存は機体の数パーセントにとどまっている(田中祐二(2007)を参考に、計算した)。
このような状況が幾つかの資料からうかがい知れる。これらを勘案すると、エンブラエルは海外の多くの機体メーカーを主要サプライヤとして利用し、自社が中心となって設計した機体を分割発注し、自社で生産した機体とともに組み立て、グローバル市場で販売している、と見ることができる。ブラジルでブラジル系企業を利用し、機体のほとんどを生産しているとは言えない。また、ブラジルには、エンブラエル同様にグローバル市場で優位に立つジェット旅客機メーカーは存在していない。グローバル市場向けのジェット旅客機についてのグローバルな産業の重要な一翼を担うのがエンブラエルであると言える。しかし、同時にブラジル航空機産業内での競争が存在し、その産業での競争の中から生まれた企業ではなさそうである。ブラジルという国民経済を単位に発展した産業のチャンピオン企業がエンブラエルというのでもなさそうである。国有企業として、特別待遇のもと人材を確保し技術的蓄積を実現し、それを活かすことで、グローバル市場へと参入し、民営化と海外の有力機体メーカーやエンジンメーカーと連携することとを通して、世界有数のリージョナルジェットのメーカーとなった企業と言えそうである。
エンブラエルの事例は、現代においては、グローバル市場に直結するとともに、グローバルに部材等を調達することで、必要な人材さえ確保できれば、必ずしも産業としての蓄積が当該地域にない地域の企業であっても、グローバル市場で優位に立つ可能性が存在することを示唆している。韓国や台湾でのグローバル市場と結びついての特定産業の形成とも異なり、個別企業として人材を確保することで、グローバル市場で発展展開することが可能な状況になったと言えそうである。
補、 ロシアの場合(5) 国内完結型生産体制の崩壊・非工業化
ロシアの製造業は、ソ連時代の計画経済期に一度は国内(この場合はソ連圏内)完結型の生産体制を構築した。しかし、市場経済化の過程で、中核となる最終財生産企業の多くは、ロシア市場内での競争にも敗退し、グローバル市場の中での優位どころか、自国市場内での優位も失い、ロシア市場進出を目指す他国の企業との合弁の形で生き残る道を模索している(藤原克美、2012)。中国市場ほどの大きさはなく、また相対的に豊かな市場であったが故に、先進国企業すなわち外資の進出が国内市場の隅々まで浸透した。さらに、低価格品についてはトルコと中国という隣国が先行していたが故に、ロシア国内企業ないしは国内新興企業が参入する余地はここでも小さかった。
すなわち、ロシアでは、旧ソ連圏の一部として囲い込まれた「市場」を前提に、先進工業企業と直接競争しない形で旧ソ連圏の生産体制が構築された。その結果として、ソ連圏で完結した工業生産体制が完成した。そして、同時に、中国とは異なり、その時代の先端技術をも自生的に形成することに成功した。製品の品質等の生産技術面では多大な問題を抱えていたが、製品技術的には先端的な製品をほぼ全て自前の技術で開発生産していた。しかし、それを構成する技術的には先端的であった事業体は、市場での競争にたえられるような経営主体を保持していなかった。それゆえ、ソ連圏が解体し、先進工業諸国企業と直接国内外の市場で競争することとなった時、グローバル市場どころかロシア国内市場においても直接競合する市場では敗退することとなった。経営資源として存在していたはずの、水準の高い豊富な人材や機械、さらに資金はロシア内の企業家によって活かされることなく散逸することとなった。
中国との違いは、1つは国内市場の大きさと質の違いであろう。そして、工業に依存することなく豊かさを追求できる、天然資源の豊富さ、それを開発する能力の存在であろう。さらに、急激な市場化も大きな影響を与えているといえるであろう。それが持つ意味はどこまで影響しているのであろうか。市場の空隙が一挙にでき、そこには新興企業が形成進出する余裕がなく、一斉に欧州企業等が進出することとなったと、見ることもできそうである。「既存の仕組みに付け加える形で市場流通を導入した」(駒形哲哉、2016、p.104)中国との大きな違いと言えそうである。
このような現象を、ロシアの非工業化と筆者は呼んでいるが、ただし、全ての製造業の産業が壊滅状況にあるのではない。軍需関連の産業、航空機製造や造船といった産業は政府需要に支えられ維持されているようである。しかし、エンブラエルのように海外市場で優位に立つ機械工業関連のロシア企業の存在を、不勉強なせいか筆者は見いだせていない。
リージョナルジェット機に関しても、新聞報道等によれば、ロシアの軍用機メーカーであるスホーイが、イタリア社との合弁企業の形をとり欧米企業の協力を得て開発されたリージョナルジェット、スホーイ・スーパージェットのシリーズを三菱のMRJに先駆けて開発実用化に成功しているとのことであるが、販売面では成功したとは言えず、デモ飛行中に墜落事故を起こしたことが報道されたことが目立つような状況である。
小括 グローバル市場・調達時代の産業発展とは
以上の検討から結論的に言えることは、以下のようになろう。
① 国民経済全体が、フルセット型でかつ先進工業化という状況を実現していないとしても、先進的個別産業や先進的工業個別企業が存立しうる。これが第1の点である。
その際の主たる市場はグローバル市場であり、グローバルな生産チェーンを活用できることが重要である。グローバルに部材や機械を調達可能なのである。
先進工業化とは別に、国内完結型の生産体制による工業化は、独自な大規模市場を当該国の産業企業が確保できれば、現代でも形成可能である。その例が、中国である。しかし、国内完結型生産体制の構築それ自体は、先進工業化を意味するわけではなく、それことが国際競争力を保証するものでもない。また、かつては、工業化するための条件として少なくともフルセット型の生産体制の構築が不可欠であったが、現代ではその必要性はなくなった。
② グローバル市場での競争で、地域として最も必要なのは、近代工業人材であり、グローバル市場で参入できる場を発見し開拓できる企業家経営者である。これが第2の確認である。
部材や産業機械については最適なものをグローバルに調達することが、相対的に安価に迅速に可能となっている。しかし、後発産業企業が参入可能な市場を見つけることは、極めて困難であり、重要である。それを自社のものとして開拓すれば、人材を確保できる地域に立地していれば、グローバル市場へと参入することが可能となる。これが現代のグローバル市場・調達時代の特徴である。
同時に、グローバルに安価に調達可能であるのであるから、地域内に新規に調達源を創造することは、そのためのコストを考えれば、無意味に近くなっている。核となる事業の形成と、それを必要に応じて徐々に外延的に拡大することで十分であり、それが最も有利な方法であると言えそうである。
ここから言えることは、国民経済単位で工業化すると理解することが、人材の育成等を除けば、あまり意味のないことになるということである。人材の集積を前提に地域として産業が形成されることもあれば、人材を活用し個別企業として特定地域に先進企業が形成される可能性もある。これを端的に示しているのがエンブラエルではないかと考える。
また、例えば、インドのバンガロールのIT産業集積も、インドの国内市場のニーズに規定されるのではなく、北米を中心としたグローバルな先進工業国市場を主要な市場として拡大している。その中で先進的なニーズに対応できる地域産業となっている。ここでは、人材の集積と、その相対的な安価さこそが重要であり、インド全体の産業水準や国内市場ニーズとはつながりがあまりないようである。
③ すなわち、企業家と人材との頭脳の特定地域への立地ないしは流入こそが、地域としての自立的な産業の発展には重要であるということを意味するであろう。分工場的な生産拠点が多数集積しても、それ自体からは、産業の頭脳の集積を生み出すことはできない。これが第3の確認点である。
来料加工の集積それ自体は、自立的な経営事業体の集積とはならないのである。自立的に事業体の頭脳が当該地域になければ、地域の事業体が自らにとって発展可能な市場を発見し開拓するようなことは、想定外ということになる。もちろん、そこで形成された人材が企業家となり、新たな市場の発見の主体の形成につながる等のことが、生じる可能性は存在する。しかし、分工場の集積それ自体からは、このような可能性を直接展望することはできない。
④ このように見てくると、国民経済の工業化、ないしは工業発展による国民経済の成長をどのように考えるべきか、これも再検討の余地が生じてくる。単に、工業生産活動が、国民一人当たりどの程度かによって工業化水準が決まるのではなく、グローバル市場で活動可能な企業家をどれだけ輩出することができ、それらの企業家が必要とする水準の高い近代工業人材の集積がどの程度存在するかということこそが、工業活動を軸に国民経済が経済成長を遂げていくときの重要な核となると言える。
しかし、同時にこのことは、これらの企業家と人材の集積がある地域でも、生産活動それ自体が同一地域内で行われることを必ずしも意味しない。分工場的生産活動は、その他の条件によってグローバルな範囲で選択されることになる。
この点は、スマートフォンをめぐるファブレス・メーカーのアップル社の立地、そしてその組立てを担うEMSの鴻海精密工業の立地、その組立工場の立地の相互関係でも表現できよう。企業家と人材は米国と台湾に集積しているが、最大の雇用の場は中国である。つまり、アップル社のスマートフォンは先端的な製品であるが、その開発の頭脳は米国にあり、またその製品の組立に関する生産技術や購買管理のノウハウは台湾の鴻海精密工業が保持し、最大の雇用の場である深玔をはじめとする中国には企業としての市場開拓能力はなく経営としては工場管理といったマイナーな部分のみが存在するにすぎない。しかし、スマートフォンという先端製品の工業製品生産額として、また輸出額としては中国の収支に計上されることになる。鴻海精密工業の中国各地の工場は、数十万人を雇用する巨大工場であるが、組立のための分工場にすぎない。なお、鴻海精密工業の中国各地の工場で使用されている組立装置は、日本や韓国等の先進工業国で生産されたものである可能性が高いし、組立用の部材のかなりの部分も同様の可能性が高い。グローバル調達の中での最先端の組立工場が鴻海精密工業の中国各地の工場であるが、それ自体はあくまでも分工場にすぎないと考えられる。
ただし、中国には、別の系統の生産単位が、同じスマートフォン生産をめぐっても存在している。すなわち、中国系完成品メーカーが生産するスマートフォンである。ここでは、開発主体としての華為や小米が中国国内に立地し、製品を企画開発設計し、中国市場を中心にしながらもグローバルに販売している。この場合、中核部品であるベースバンドICは、台湾のメディアテックや米国のクァルコムのものとともに、中国製のものも使用されるようになっているようである。
⑤ 以上の議論が持つ産業集積論への含意は、以下のようになろう。まずは各地の産業集積は、国民経済単位での産業構造の中に、それぞれが位置付けられ、集積としての経済性を発揮するというのではなくなる。そうではなく、グローバルなバリューチェーンの中で、それぞれの産業集積が位置付けられ、集積の経済性を発揮することで、集積内立地企業に立地維持の根拠を与えることになる。それらの集積では、グローバル市場を前提に、集積内企業が集積内で再生産し、集積としても再生産されることになる。
また、この際の集積の経済性の第一は、必要な人材の確保が容易であることになろう。関連企業の集積は、関連人材が存在しているところか集まりやすいところに形成され、そのことがさらに人材をより集めやすくするようにさせ、集積が再生産されることとなる。
⑥ また、雁行形態論にとって、このような状況は、大変大きな意味を持つといえよう。雁行形態論は末廣昭(2000)で紹介されているように、国民経済を前提に議論が組み立てられている。各地域が、そして各企業が、国民経済ごとの工業化の論理の枠内に収まる時、初めて成り立つ議論であろう。
しかし、現代では各産業が、そして各企業が国民経済を飛び越えて、グローバル市場とグローバルなバリューチェーンに結びつく状況が生じている。このような状況下では、雁行の主体である国民経済を、産業発展の議論の核に置くことは無意味となる。
諸国民経済が雁行するのではなく、各国民経済が輸入→輸入代替→輸出と展開し、それぞれの産業で諸国民経済が雁行するのでもない。グローバルに適所が求められ、先端産業の諸機能が分散立地するのが現代なのである。先端産業の分工場が立地したからといって、その立地が生じた国の国民経済の工業が先端化したわけではないのは、EMSの巨大な工場が未だ先進化していない後発工業化国への大量立地し、かつ最先端製品を生産し輸出していることからも明白であろう。しかし、統計的には、当該国の先端産業製品の輸出額が急増することになる。
⑦ それでは、現代、グローバル市場時代の後発工業化国での産業発展とは、どのように把握されるべきであろうか。後発工業化国の産業発展は、後発工業化国の国民経済の発展基軸になりうるものと言える。天然資源に依存した経済発展と異なり、価格変動に大きく曝されることなく発展が可能なのが工業の諸産業に依存した発展である。1資源に依存せず、多様な産業需要に対応する産業の発展につながるのが工業の諸産業を核とした発展と言える。製造業の諸産業を核とした発展は、他の製造業の諸産業の発展へとつながる共通の要素を保持しいてるが故に、モノカルチャーになりにくいのである。
特定の産業のみでの発展、特定企業のみでの発展は、製造業の産業や企業でも、それ自体としては一種のモノカルチャー状況であると言える。しかし、鉱産物採取等のモノカルチャーとは異なり、多様な製造業諸産業の発展展開可能性を与えるが故に、依存する市場を多様化する可能性が高いと言える。だからこそ、特に豊かな資源を持たない国、そしてサウジアラビアのような豊かな資源国でさえ多様化のために製造業産業の発展を求める
この製造業を軸にした産業発展による国民経済の成長は、かつては、日本がそうであったように、国内完結型の生産体制、少なくともフルセット型の生産体制を構築することと同義であった。輸出産業として自立的に発展する産業を構築するためには、後発国としては高価格の先発国の機械や部材に依存することは、かなり困難を伴った。だからこそ、フルセット型の生産体制の構築を目指したし、それを実現した米国や日本が先進工業化を達成し、部分的工業化に止まったブラジルやアルゼンチン等は従属発展論が言うように、相対的に豊かな国内市場がありながら、自立的工業発展を実現できなかった。
しかし、製造業産業の発展、インフラの整備等により、グローバル市場が本格的に形成され、産業機械や部材の国境や大洋を超えた流通が大きなハンディキャップにならなくなり、製造業の一定部分の産業の生産体制の構築だけで、グローバル市場で優位を確保できるようになった。韓国、そして台湾での工業発展がそれであろう。
さらに、ブラジルのエンブラエルについて言えば、航空機メーカーとして、ブラジルに立地し、開発設計、機体の人材を軍用機の生産を通して蓄積し、それを活かしグローバルなリージョナルジェット機市場に参入し、優位を確保した。ジェットエンジンついてロールス・ロイスやGEそしてP&Wといった米欧の既存エンジンメーカーに依存しているが、機体の生産についても、自社で生産するとともに、米欧日の機体生産可能企業に対し開発段階から参画を求め、分割発注し、生産している。
企業としては、グローバル市場で競争優位を実現している企業であるが、ブラジルの航空機産業のチャンピオンとしてエンブラエルがあるというより、エンブラエル単体で優位を実現していると見ることができる。エンブラエルの自国内のサプライヤはごくわずかを受注生産しているにすぎない(田中祐二、2007)。
ここから見えてくることは、現代の後発工業化国の産業発展における容易さと、後発工業化国での製造業の特定産業、そして特定企業のグローバル市場での発展を、後発工業化国全体の工業による経済成長に結びつけることの難しさである。
すなわち、後発工業化国にとって、かつてのようにフルセットの生産体制を構築し、その生産体制を基にしてグローバル市場に通用する産業が生まれることを導く必要はなく、グローバル市場の中で参入可能は隙間を見つけ、それを開拓するための人材を集める、ないしは育成すれば、一点突破で特定の製造業企業をグローバル企業として自国内に保持することが可能となる。これは、グローバルな市場で通用する製造業の中の産業を自国内に獲得するということでの、相対的な容易さということができよう。
もちろん、これはグローバル市場で優位にある産業だが、その産業の分工場的生産機能のみを自国内に存立させることではない。そうではなく、自立的にグローバル市場を開拓する能力を持つ企業を自国内に存立させることを意味している。その意味では、工場誘致といった形での製造業を存立させることと比較すれば、多くの困難を伴うことだが、国民経済全体の多様な製造業産業・企業の育成そしてグローバル市場でのそれらの競争力の獲得に比すれば、容易なことといえよう。
このような意味で容易と言えるが、同時に、グローバル市場で優位を獲得した製造業産業や企業の存在を通して、そこから国民経済全体の製造業を軸とした成長を実現することは、フルセット型の製造業を基盤にグローバル市場での優位を獲得した場合に比して、困難なことと言える。現代においては、韓国や台湾で特定産業での発展を核に国民経済全体の製造業を基盤とした成長を実現した1990年代に比べても、関連産業からの部材や機械をより容易にグローバルに調達することがより容易となっている。
だからこそ、一点突破で特定産業や企業のグローバル市場の優位が可能となるのだが、同時にそのことは、優位になった産業や企業からの国内への需要波及が弱くなることを意味する。周辺に関連産業を必ずしも必要としないということは、海外から調達できれば、あえて新規に周辺に調達源を創造する必要がなくなることを意味する。さらには、海外から調達するがゆえにグローバル市場での優位を獲得できたのであるから、それを国内周辺からの調達に変えることは、優位の基盤を崩すリスクが大きくなることを意味する。それだけ、一点突破の成功を国民経済全体に波及させることが難しくなるのである。
注
(1)
本節の内容については、拙著(1997)を主として参考にしている。国内完結型生産体制について、詳しくは、同書を参照していただきたい。
(2)
本節の内容については、渡辺幸男・周立群・駒形哲哉(2009)を参照している。また、台湾のパソコン産業については、川上桃子(2012)を参照した。韓国のサムスンについては、吉岡英美(2010)も参照した。
(3)
本節の内容については、詳しくは、拙著(2016)を参照していただきたい。
(5)
補節の内容については、主として、藤原克美(2012)を参考とした。
参考文献
井村喜代子、1993『現代日本経済論 敗戦から「経済大国」を経て』有斐閣
川上桃子、2012『圧縮された産業発展
台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会
駒形哲哉、2016「中国「社会主義市場経済」の性格と構造 —工作機械産業における競争的国有企業の役割に注目して—」大西広編『中成長を模索する中国
「新状態」への政治と経済の揺らぎ』慶應義塾大学出版会の第5章
末廣昭、2000『キャッチアップ工業化論 アジア経済の軌跡と展望』
名古屋大学出版会
関満博、1993『フルセット型産業構造を超えて
―東アジア新時代のなかの日本産業
』中公新書
田中祐二、2007「ブラジルにおける新しい企業像の追求 —航空機製造企業EMBRAER社のクラスター形成とCSR—」『立命館経済学』55巻5/6号
中山智夫、2010「エンブラエル社の世界戦略と航空機投資の魅力」
藤原克美、2012『移行期ロシアの繊維産業
ソビエト軽工業の崩壊と再編』春風社
丸川知雄、2013『現代中国経済』有斐閣
吉岡英美、2010『韓国の工業化と半導体産業
世界市場におけるサムスン電子の発展』有斐閣
渡辺幸男、1997『日本機械工業の社会的分業構造
階層構造・産業集積からの下請制把握』有斐閣
渡辺幸男、2008「日本の大企業と中小企業にとっての日本という市場」
『商工金融』58巻10号
渡辺幸男、2016『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』
慶應義塾大学出版会
渡辺幸男・周立群・駒形哲哉、2009『東アジア自転車産業論
日中台における産業発展と分業の再編』慶應義塾大学出版会
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