2016年6月30日木曜日

6月30日小論                  覚書 後発工業化国の産業発展について3

2014817日 
20166月補筆
末廣昭『新興アジア経済論 キャッチアップを超えて』
       シリーズ現代経済の展望 (岩波書店、2014)
                       を読んで 補筆修正版
渡辺幸男

はじめに 以下の文章は、上記末廣昭氏の著作が発表された際に、私が書いた読後感をもとにしたものである。一部の研究仲間には読んでもらい、コメントをもらったが、公表はしなかった。産業発展について、改めて考え始め、先に覚書として、「後発工業化国の産業発展について」という小論をブログに掲載した。それとの関連で、近年のアジアでの産業発展を軸とした経済発展を議論している末廣昭氏の著作を、再度、読み直した結果、2年前に書いた読後感を紹介し、私の理解との差異を示したくなった。20148月に作成した小論に、読み直しを踏まえ多少手を入れたものが、下記の小論である。

末廣昭『新興アジア経済論 キャッチアップを超えて』
目次
はしがき
第一章   新興アジア経済論の視角と課題
第二章   歴史の中のアジア、世界の中のアジア
第三章   アジア化するアジア —中国の台頭と域内貿易の深化
第四章   キャッチアップ再考 —技術のパラダイム変化と後発企業の戦略
第五章   「鼎構造」の変容 —政府系企業・多国籍企業・ファミリービジネス
第六章   中所得国の罠 —労働生産性とイノベーション
第七章   社会大変動の時代 —人口ボーナス・少子高齢化・家族の変容
第八章   社会発展なき成長 —格差の拡大とストレスの増大
終章  経済と社会のバランス、そして日本の役割

0.本書での議論、キャッチアップ工業化論の整理や、中所得国の罠の議論の整理等、各章での諸議論の紹介について言えば、大変勉強になったと言える。私自身が不勉強であった部分をうまく整理されており、多くを教えてもらうことができた。
 また、アジア各国の現状についての統計的整理に関しても、多くを学ぶことができた。文献・資料を渉猟し、できる限り比較可能な形で紹介していることは、大変意味があり、学習するものにとって有意義であった。このような資料の渉猟と整理について、その努力の大きさときちんとした整理のしかたを高く評価し、大いに参考にさせていただくつもりである。
 しかし、統計資料を駆使した各国比較その自体の多くは、状況の確認であり、差異の形成の説明そのものではなく、多くの場合、説明されるべきものである。その説明については、本書の著者は、既存理論を前提にし、議論を展開しているように見える。既存の開発経済論の理論で説明可能というのが、基本的な研究姿勢ということができよう。その姿勢で、何処まで現実の新興アジア諸経済の展開の説明できるのか、説明に成功しているのか、またそこからの適切な展望を見出しているのか、これらの点については、大きな疑問を感じた。
 すなわち、上記の方法で、実際の新興アジア諸経済のダイナミズム、特に産業発展について検討し説明することに、大きな疑問を感じた。本当に説明できているのかという意味で。この疑問は、本書が講義をもとにした概説的な著作であることにより解消されない、分析方法の問題としての疑問でもある。具体的に、どのような点で疑問を感じたのか、以下に記し、私の産業発展の理解の論理的枠組みとの差異を示したい。

1.その1つは、各国経済の主体を、国有企業、外資系企業、民営企業とにわけ、その状況を各国について見ているが、その際の認識としては、どの国の国有企業も、民営企業も、その機能や主体としての意味は同様であり、それは概念によって与えられているという、理論認識先行の理解であった。果たしてそうであろうか。
 さらに各国の民営企業について、まずは大企業の存在に注目し、それと前2者との比重の各国での差異を議論している。寡占的大企業中心に民営企業を検討することの有効性の限定性を理解していない。
 同じ民営企業であろうと、そもそも自国の巨大市場を開拓可能でそこで大企業化可能な中国企業と、海外市場、特に先進工業国市場を念頭におかねば大企業化が不可能な韓国等の民営企業とでは、存立の状況、競争のあり方も大きく異なり、国民経済にとってのその存在の意味も異なるはずだが、本書では、その差異について全く意識されておらず、このような問題については捨象し、議論の中に組込んでいないと考えられる。
 参考文献に、中国産業発展研究として伊藤亜聖、駒形哲哉、丸川知雄と言った方々の文献を上げ、韓国のサムスンについて吉岡英美氏の著作を利用し、台湾のパソコンメーカーの発展には川上桃子氏の研究成果を紹介されていながら、それらの研究の含意の理解が、私とは全く異なっているということになろう。
 例えば、丸川知雄氏のいう大衆資本主義は、寡占的民営巨大企業の議論ではなく、新規参入が盛んにおこなわれる民営企業分野の状況についての議論であるはずだが、それについて区別しているという認識の存在は感じられず、民営企業はサムスンも山寨携帯メーカーも同様という認識と思われても反論しようがない書き方になっている。
 このような発想から見えてくることは、著者にとっては、まずもって、開発理論で概念化された民営企業があり、それは、少なくとも新興アジア経済では共通存在であるということであろう。すなわち、著者にとっては、既存の理論からえられた概念を、それぞれの経済への妥当性を反省的に検討したうえで、独自性を加味して使用するのではなく、演繹的な発想の思考の下で使用するということが当り前なのであろうと推測される。
 だからこそ、アジア諸経済の各国別のダイナミズムをそれぞれ検討することなく、特定の指標で一般化し、それをもとに各国比較とそれらの今後について議論することが可能なのだと考えられる。

2.このような発想の議論であるため、経済を考える基礎的な概念に関する統計数字、特にマクロな数字は出てくるが、戦略的に対応すべき市場とその市場のあり方の特徴・差異や、それを開拓していく主体としての企業の企業間競争のあり方や差異については、全く言及されていない。タイの民営企業と中国の民営企業とが、マレーシアの国有企業と中国の国有企業とが、同様な市場をめぐり、同様な競争のあり方の下でのものとして発展を議論すべきかどうかについて、著者には全く問題とされていない。当然ながら、このような議論をすべきではないということは、私にとっては余りにも明白な議論の前提である。
 著者には、開発経済論の理論で形成された分析用の諸概念に基づく統計的分析と、各国政府の政策の分析とが、今後の展開を考えるうえで決定的に重要なものであり、それぞれの経済のおかれた状況とそこでの市場と競争のあり方の差異は、ほとんど問題にならないということであろう。

3.上記の開発経済論の理論で形成された分析用の諸概念に基づく統計的分析と、各国政府の政策の分析からいえることは、何処まであるのであろうか。日本と韓国と台湾の先進工業化過程の大きな差異については、結果として先進工業化したということが統計的に確認される、と言うことで、先進工業化の差異の検討については捨象可能ということなのであろうか。
 日本は極東の孤立した経済ゆえに可能になった国内完結型生産体制の下での先進工業化であり、部分的発展で先進工業化を実現した韓国や台湾についていえば、日本が隣国として存在したことが決定的に意味を持った工業化である。しかし、先進工業化し、相互にグローバル市場で巨大企業は競争しているという現状があれば、それを捨象しても良いのであろうか。
 先進工業化は、積み重ねの内的発展の結果だけではない。1つとは限らないとしても、特定の外的環境と内的環境を前提にした、企業間競争と政策的環境づくりの結果、例外的に可能となるといえる。このような発想が重要である。ロストウ流の発想は、内的条件、それも要素資源の蓄積を主として経済成長が生じ、先進工業化が可能となるという発想であろう。イノベーションについても、教育を含めた政策的努力が中心であり、その結果としての可能性として検討されている。市場のあり方とそこでの競争圧力の存在、それらが、先進技術の導入競争とともに、イノベーションを生み出す原動力にもなるという、私の発想とは異なる発想なのであろう。
 しかし、私が見る限り、先進工業化した諸国・地域経済は、いずれも、いくつかの環境的要素と内的要素とがそれぞれ独自に組み合わさり、先進工業への道を歩むことが可能となったといえる。それらのうちの各経済に共通するいくつかの要素を開発経済学は抽出し、理論化したといえるであろう。抽出されたそれらの事項は、必要条件となりえても、充分条件にはほど遠いことになる。
 それ故、理論からの概念を当て嵌め、それに従って分析しても、そこからは中所得国の罠をどうしたら脱することができるかは見えてこない。見えてくるのは、せいぜい、こうなれば脱したことになるということと、脱するための政策的努力の差異ということになる。
 このような視点からは、南米の幾つかの国の経済は、戦後段階で日本経済より豊かな国であり、大戦中に工業化が進展したにもかかわらず、なぜ先進工業化に失敗しているのか、アルゼンチンが何故高所得国から中所得国に後退したのか、政策的失敗を指摘するぐらいしか分析はできないであろう。それで良いのであろうか。私には、アルゼンチンの産業のあり方、産業構造の特徴等、またそのような構造をもたらした発展環境の独自性、すなわち、早期に高所得国化した際の発展の内容の独自性が問題となり、その後の世界経済環境の変化とアルゼンチン経済のその中での位置といったことが問題となるのであるが。

4.競争と市場についての議論がないのは、市場や競争については経済原論レベルの理解、一般論で充分であるという発想に基づいているからであろう。原論では競争一般、せいぜい寡占的競争ぐらいしか議論されない。市場も市場一般であり、それぞれの市場のあり方や独自性を問題にしない。それでは、国内市場に依存して発展できたことによる日本の高度成長での日本的な生産管理の形成や、国内巨大低価格市場の一挙形成という独自な市場条件ゆえに生じた中国民営企業による山寨携帯の出現の論理も見えてこない。
 結果の評価に統計的数字を使うのは、大変適切であり、格差の問題等を考えるための出発点になる。しかし、貧富の差を統計的に評価することは、その原因を、そして格差形成の論理を説明することとは関係がない。
 格差の状況について、統計的に把握し、各国比較をすることは十分意味があるし、当然可能であろう。しかし、それぞれの国で格差が多様な形で存在することを、資本主義一般の発展の論理から説明することは、本当にできるのであろうか。その論理は何か。資本主義一般として格差の状況の歴史的展開が語れるという、理論的幻想ではないかと考える。

 英国を中心とした西欧資本主義が発展し、世界の市場を支配し、それに米国資本主義が続き、資本主義世界体制からの離脱によるソ連圏の独自な産業発展があり、日本の極東での国内市場における内的循環を活用した独自生産システムが構築された。これらは、それぞれの置かれた市場環境を抜きには理解不可能である。同様に、現代のアジアNIESs諸国や中国・インドの産業発展も、それぞれの地域の産業が置かれた時代的環境や、市場の独自性を抜きにして、その産業発展の可能性と経路について議論することできない。これらは原論レベルの市場と競争に還元することによって、全て消えてしまう論点なのである。

2016年6月19日日曜日

6月19日 サンパラソルと孔雀サボテン



サンパラソルが、本格的に咲き始めました。
これからしばらく紅と緑のコントラストを楽しめます。


孔雀サボテンが賑やかに咲くのも、明日までといったところです。
明日の朝、4・5本咲くと、あとは、僅かです。
短い期間でしたが、次から次へと咲き、今年も十分楽しみました。


我が家のエントランスも、ゼラニウム中心から、
サルビア中心へと、かなり変わりました。
奥に見えるクチナシの1種が、これから本格的に咲き始めると、
また雰囲気が変わると思います。

2016年6月17日金曜日

6月17日 小論                 覚書 後発工業化国の産業発展について2


 以下の覚書は、低賃金労働力の利用をもっぱら念頭に置いた外資の直接投資の投資先国の産業発展にとっての意味を、どのように考えるべきか、この点を検討するための手掛かりを得るためのものである。そのために、日本国内で低賃金労働力を求めて立地し、その後に東アジアへの転出が続出した東北地方への誘致工場の事例を取り上げ、そこで何が生じたかを聴き取り調査を通して確認した筆者たちの研究を紹介する。調査自体は2000年代初頭のものであり、部材調達の取引範囲等で、現在ほど広域化、グローバル化は進展していないが、論理的には現代の状況を考える参考になると思い、拙稿を紹介し、その意味を提示することにした。

2016年6月17日
(後発工業化国の)地域産業発展にとって、何が必要か

誘致工場の地域産業発展にとっての意味 再考
    — 2000年代前半の東北地域機械工業調査の含意 —
渡辺 幸男

はじめに 筆者は、2000年代前半に科研費を利用して、学術振興会産業構造・中小企業第118委員会を中心とした中小企業研究仲間と、岩手県と山形県及び熊本県で、広義の機械工業関連誘致工場と、その誘致工場進出との関連で生まれた新規形成中小企業についての現地聴取調査を行った。その成果は、幾つかの論考として発表した。

拙編著、2006『新産業時代における集積の本質とその将来展望』に掲載の
 拙稿、第4章 誘致工場と産業集積の形成 その可能性と限定性,と、
 拙稿、第5章 誘致工場と機械金属産業集積の新たな形成
    (日本学術振興会科学研究費補助金研究成果報告書)
(渡辺幸男編著、2007『日本と東アジアの産業集積研究』同友館、として公刊)
拙著、2003「岩手県機械・金属産業集積の変貌と中小企業の存立展望」
    『企業環境研究年報』8号、1〜15ペーシ
拙著、2004「誘致工場と機械金属産業集積の新たな形成
   ―熊本県の事例を中心に―」『三田学会雑誌』97巻2号、85~107ページ
拙著、2006「誘致工場と産業集積の形成 ―その可能性と限定性―」
 『三田学会雑誌』99巻1号、29~56ページ(本論考を、以下に抜粋掲載)

 それらの論考を通して主張したかった点はいくつかあるが、その1つは、誘致工場の進出が進出先地域の産業形成に持つ意味は、単純ではない、ということである。そして、そのことは、外資が後発工業化国に直接投資をし、工場立地をすることの当該地域の産業発展に対しての意味に、大きな示唆があると考える。以下に、一部を省略した上で、誘致工場の地域産業発展にとっての意義について、一定の示唆を得た論考の結論部分を中心に紹介する。

<上記論考の地域産業発展への示唆>
 これらの一連の調査から得た筆者の産業発展に関わる示唆は以下の通りである。その示唆は、経営の存在、経営による参入可能市場の発見、そのために必要な人材確保に要約される。
 1つは、産業発展の主体である企業ないしは事業体についてである。誘致工場であるがゆえに、その多くは他地域に立地する既存企業の分工場的性格を持つものである。ただその分工場としてのあり方は全てが同一ではない。多くの事業体は、全くの生産のためだけの工場、すなわち現地のトップは単なる工場長であり、経営者ではない事業体である。しかし同時に、分工場という側面を持って設立されながら、当該事業体の実態としては、進出先の事業体のトップが自主的に販売先を開拓し、さらには生産・製品技術についても開発を行う機能を備えている事業体も存在していた。すなわち経営的側面を保有し、現地事業体のトップが実質的に経営者である誘致工場も存在する、ということが発見された。同時に、このような機能を保有する事業体の存立形態は、名義上、単なる工場かあるいは子会社として企業化されているかどうかには、全く関係ないということも確認された。
 2つ目は、誘致工場として立地しながら、環境変化の中で自立的な経営主体となった誘致事業体にとって、極めて重要であったのは、誘致工場として元来の需要の中心であった安定的な量産製品の生産に対する需要が、同様の需要の東アジアを中心とした海外調達へと転換し、これらの事業体にとっての需要ではなくなった時、それに代わる需要をより広域的な形ではあるが、開拓しえたことである。
 量産的かつ安定した需要ではないが、これまで蓄積してきた技術を活かし、対応可能な需要・市場が国内に存在していた。しかも、それらの需要は、インフラの整備のもと広域的に市場開拓が可能になっており、国内での絶対的拡大を自らの需要として取り込むことが可能となった。産業の地理的関係の広域化と、国内需要の質の変化のもとでの一定の質の部分の拡大とが重なり、旧来の工業地帯から離れた国内立地の旧誘致工場にも、需要の質の変化に対応できれば、市場開拓可能な市場拡大があった。国内の需要の中心部分となった変化の激しい需要を、これらの経営する事業体となった旧誘致工場は取り込むことができた。
 3つ目の示唆は、誘致工場が立地した地域に、事業を継続する際に必要な経営資源面での優位が、ある側面で存在していたことである。誘致工場のような経営の幾つかの側面では、本社工場と異なり大きく不足している事業体が、経営の裁量権の保有のもとで、単なる生産工場であることからより多様な内容を持つ事業体に転身するために必要な人材を、相対的に容易に確保できた。これが新たな内容の経営を目指す旧誘致工場にとっては不可欠であり、それが転身を図る事業体にとって、それを可能にした条件であったし、当該地域で事業を継続する意味でもあったと言える。大都市で既存巨大企業と人材確保で競合する場合には確保困難な人材を、地元人材として確保できたのである。
 すなわち、主体となる可能性のある事業体にとっての経営裁量権の存在、転身した時に開拓可能な市場の存在、そしてより広域的な市場で競争する際の立地上有利な経営資源としての人材確保の容易さ、これら3つが確認された。これらが存在することが、誘致工場であり分工場としての機能を中心に立地しながら、立地初期の市場条件が失われる中で、当該立地地域で新たな展望を持つ事業体として存立を維持できた主要な理由であると同時に、そこに立地する意味と言える。
 以上の3点を、外資の後発工業化国への直接投資や生産委託の場合と重ね合わせて、多少の考察を行ってみる。まず、外資の直接投資が、第3国への輸出のための分工場で、もっぱら進出先の低賃金労働力を利用するのみの分工場であれば、賃金の相対的上昇が生じた時点で、他の国へと転出し、当該国の産業発展へとは繋がらない可能性が大だと言える。しかしながら、同じ分工場としての進出であっても、新市場開拓等での経営的裁量権を持つ事業体であれば、環境変化の中で、当該事業体自ら生き残りの展望を見出すための努力を行う可能性が存在する。
 さらに、このような動きがより現実的なものとなりうるのは、当該事業体が運営の中で自ら蓄積した技術等を生かせる他の市場を開拓できたときであろう。進出国に当該事業体の関わる製品等の市場が形成されたり、グローバル市場での存立余地が見出せたりすることで、当該事業体が蓄積してきたものが活かされる可能性が存在する。その際に最も重要なのは、事業の転換等のための多様な開発や市場開拓を担う人材の確保ということになろう。
 また、外資の委託生産による産業集積形成の場合は、当初より経営的に自立した企業群が形成されることで、環境変化が生じた際に、当該地域の企業群による自生的な存立維持のための市場開拓への模索が生じるであろう。また、現代であれば、国民経済単位等のローカルな市場のみではなくグローバルな市場の中を含め、このような模索が生じることになる。そうであれば、重要なのは、市場の発見と開拓の模索を実行することのできる企業家の存在であり、それを現実化するための人材確保ということになる。この両面が充足されれば、台湾の受託生産から始まったパソコン生産のように、部材や産業機械については少なくとも当初はグローバル調達に依存しながら、特定製品の生産の優位を実現し、産業発展へと展開可能となろう。



誘致工場と産業集積の形成 その可能性と限定性*(はじめにと結論部分)
渡辺 幸男

目次
はじめに
1 岩手を例に見た、製造業の動向と、誘致工場の動向と意味・大きさ
2 岩手、山形の発展展望を持つ企業として紹介された企業群の規模別出自一覧
3 誘致工場出自で、進出先で発展展望を持っている企業の類型的整理と紹介
4 現在、依然として進出先で発展展望を持つ誘致工場群共通の特徴
5 誘致工場が進出先で新たに展開することを可能にした基盤
6 小括
  以上のうち、以下では1、2と3の統計と事例の紹介については省略

はじめに
 日本の機械金属工業では、高度成長過程の後半にあたる1960年代半ば以降、既存の産業集積地域での生産機能の新規拡大立地が、相対的に困難なものとなった。そのため、京浜地域等の既存の産業集積地域から、多くの企業が国内周辺地域へと追加的生産機能を新規立地展開させ、あるいは生産機能を転出させていった。これに呼応するかたちで、既存の産業集積外の各地域が、既存の産業集積地域企業の新規工場立地に対し、積極的に誘致活動を展開してきた。
 結果として、機械金属工業での国内生産機能の本格的な東アジア転出が開始される1990年代初頭までに、日本国内の高度成長期までの機械金属工業集積地域外に、既存産業集積地域からの転出・誘致工場を中心とした機械金属工業の工場群が形成された。実際に、1970年代から1980年代にかけては、機械金属工業の生産額、従業者数、事業所数のいずれにおいても、既存の産業集積地域を多く含む大都市圏よりも、それ以外の地域での増加率が高かった(1)。増加寄与度から見た場合、必ずしも大都市圏以外が上回っているとはいえず、大都市圏内での拡大も一方で生じていたが、大都市圏外の従来機械金属工業の事業所立地が希薄な地域での拡大が目立っていたことは確かである。
 しかしながら、1990年代に入り、国内経済の停滞と東アジア化との相乗作用により、機械金属工業の国内での生産額や従業者数が増大から減少に転換した。1990年代初頭においては、大都市圏での減少に対し、周辺地域、特に九州や東北では、依然としてある程度の増大傾向を示していた(2)が、1990年代後半には、上記のような周辺地域を含めた減少、工場群の縮小ということになった。具体的な状況については、本論の展開の中で、岩手県の状況を紹介するかたちで示すが、周辺地域の多く、特に東北地域では、依然として誘致等を通しての新規立地がありながら、他方で、これまでの誘致等を契機に新規立地した企業の工場群が、それら企業の中国を中心とした東アジア地域への生産機能・工場展開と同時進行するかたちで、国内周辺地域より撤退し始めたのである。結果として、誘致による立地が依然として存在しながらも、東北地域等の機械金属工業の絶対的規模は、縮小に転化した。
 このような誘致を契機とした既存機械金属工業集積地域から、地域外の地域への生産機能の進出と、その東北地域等への「集積」の進展、1990年代に入って、特にその後半以降の誘致工場群の撤退の激化、このような激しい立地変化を経験し、機械金属工業を誘致することで、地域の産業振興を行い、経済活性化を目指すことについての疑問が提示されるようになった。その1つの典型的なものは、神野直彦氏の議論であろう。氏は、2004年に刊行され、氏が編集した著作の中で、「工場機能の誘致による外部依存型の地域経済発展は、現実をもって否定されている」「地域経済は新しい産業構造を創造すれば発展できる。そうした地域経済の発展は、そこに内在している個性と能力を解き放つしかない」(3)と述べ、誘致を契機とする地域産業の振興の意義を全面的に否定している。
 筆者自身、誘致されて既存産業集積地域以外に進出した生産機能は、集積地域外にそれ自体として移転できる生産機能であるがゆえに、転出先での基本的な立地条件が大きく変われば、新たな立地先を求め、容易に他地域に転出しうるものと考えていた。実際に、2000年代に入り、岩手県や山形県の機械金属工業企業の現地調査を行い。このような認識が、一面では依然として正しいものであるということを実感した。誘致に応じて立地した多くの工場が、立地環境の変化とともに撤退し、国外、特に中国等の東アジア地域の同様な生産機能を移転させていた。
 しかし同時に実態調査を通して認識したことは、同じように誘致され移転してきた同様な生産機能を担う工場であったにも関わらず、立地条件の大きな変化の中で、依然として進出先にとどまり、新たな発展展開を示している、誘致を契機に進出した工場も、かなりの数で存在するということである。
 2003年夏の岩手県での調査、2004年夏の山形県での調査(4)、いずれにおいても聴取り調査先の企業は、両県の中小企業振興公社にあたる機関で機械金属工業企業を含めた中小企業振興の任に就いている、第一線の行政担当者から推薦を受けた企業である。その際、推薦対象の選択の基準として、我々の方から依頼した条件は、現在、それぞれの県内に生産機能を立地させ、その生産機能を軸に発展展望を持っている企業・工場を推薦して欲しいということであった。その推薦にもとづき、岩手県、山形県ともに2チームに分かれ、それぞれ20件弱の企業からの聴取りを、共に1週間をかけ行った。
 当初の想定では、1990年代に誘致を契機に両県に進出した企業・工場が立地条件の変化の中で、撤退し、あるいは撤退しないまでも縮小し、当地での発展展望を失う中で、元来の誘致を契機として進出した企業・工場以外の企業が、新たな発展展望を開拓しているのではないかと考えていた。それゆえ、誘致を契機として進出した企業・工場が撤退ないしは縮小した後で、それらが地域に波及効果として残したものを把握し、それを通して、誘致を中心とした地域産業振興策の意義と限界を考えることを、現地聴取り調査の目的としていた。実際に聴取り対象となった企業の中には、当初は誘致された企業・工場との関連で創業し、その後の誘致企業・工場の当該地域からの撤退の中で、新たな発展展望を開拓している企業も存在していた。その意味では、当初の想定も一定程度妥当していた。
 しかしながら、同時に、誘致された企業・工場として立地しながら、当初の誘致された条件であった主要な立地条件が変化した後にも、我々の想定とは異なり、進出地域にとどまり、新たな立地条件を前提に、当該地域からの撤退でなく、当該地域での立地の継続の中で、発展展望を持つ誘致企業・工場も、両県の産業振興担当者から推薦された企業の中に、かなりの数存在していた。しかも、そのような工場は、単純にもともと非量産の多品種少量生産企業だから、といった基準で整理されるものでも無かった。豊富な相対的に低賃金な労働力の活用を目指し、量産の家電製品組立工場として誘致された工場であり、現在でも量的には量産ものについて人手をかけ組み立てている企業もあった。その企業の親企業は中国を含めた東アジア一円に量産組立工場を展開しながら、同時に、岩手県の聴取り先企業も子会社として維持している。しかも、この岩手県の企業はある意味で量のでる製品の人手をかけての組立を受託することで、岩手県に立地し発展展望を明確に持ちえていた。また、誘致された企業・工場として現在でも両県で発展展望を持っている企業・工場の規模も大小さまざまであった。特定の規模の特定のタイプの企業・工場が、その特定性ゆえに、両県でまだ発展展望を持てている、というわけではない。その意味で、神野氏のように一方的に誘致による地域産業振興の可能性を否定することは誤った認識である可能性が示唆された。
 同時に、先に紹介した神野氏が編集した著作の第2章で、関満博氏が「地域産業振興に「王道」はない。誘致型にしろ、内発型にしろ、いずれも地域の経営資源を的確に見定め、エネルギーを集中して取り組んでいくことが何よりである」(5)と、事実上、神野氏の第1章での主張と正反対に、地元の人の地域に対する認識と熱意で、誘致による工場立地も地域産業振興へとつながると述べていることにも疑問を感じた。ここでは、問題は立地する企業の側ではなく、立地を誘導する地域の人々、特に政策担当者の認識と姿勢にこそ、誘致型の工場立地に基づくものを含め、地域産業振興の成否の鍵はあるとされている。我々も、このような地域の政策担当者の認識や姿勢が重要であることに異論はないが、それさえあれば誘致工場が地域に定着し、構造変化の中でも立地先で新たな発展展開を実現していくと考えることには、疑問を感じざるをえない。関氏が第2章の中で上記の意味で成功事例とも言えるものとして取り上げた岩手県の北上市や花巻市での誘致企業の中にも、のちに見るように、当然のことながら、立地環境の激変の下に、両市から撤退した企業も多く存在する。同時に、同じ立地地域で新たな展開を示し、地域に定着している誘致企業・工場も存在する。このような状況をふまえるならば、誘致を含めた産業振興の可能性を考える上では、誘致等で産業振興をはかる地域の政策担当者の側だけではなく、誘致により立地した企業そのものの性格についても分析することは不可欠といえよう。
 しかし、残念ながら、上記の著作を含め、誘致による地域産業振興の有効性と限界性を、誘致された企業・工場のあり方に内在して検討した研究に、筆者はいまだ遭遇していない(6)。それゆえ、本稿では、当初は特定の立地条件を求めて、誘致を契機に立地した企業・工場でありながら、何故、当初の立地条件が大きく変化している中で、依然として誘致先で発展展望を持ちえている理由を明らかにする。同時に、その理由を明らかにすることにより、誘致による機械金属工業企業・工場の立地に基づく、地域産業振興、地域経済振興の有効性と限界性に対する示唆も提示することにしたい。このことは、先に紹介した、神野氏の議論の誤りを示すと同時に、関氏の議論の一面性を示すものと考える。

1 岩手を例に見た、製造業の動向と、誘致工場の動向と意味・大きさ
   省略
2 岩手、山形の発展展望を持つ企業として紹介された企業群の規模別出自一覧
   省略
3 誘致工場出自で、進出先で発展展望を持っている企業の類型的整理と紹介
   省略

4 現在、依然として進出先で発展展望を持つ誘致工場群共通の特徴
 現在、依然として進出先で発展展望を持つ誘致工場群にとって、共通する特徴は何か、について以下で整理し提示する。
1) 当初の生産内容からの大きな変化
 まず注目すべきことは、これらの事例にほぼ共通して言える特徴として、「分工場」としての進出当初の生産内容からの、その後の大きな変化であろう。まず第1に注目すべき変化の内容は、対応する需要の内容が大きく変化し、その結果として生産のあり方が大きく変化したことであろう。誘致で進出した企業・工場の多くが、当然のことながら、当初は親企業・工場の「分工場」としての存立形態にあった。そのため、対応するべき需要は親工場から割り当てられた需要であり、その多くは量産型の生産で対応する需要であった。
 これは東北地域への進出動機が、大都市圏の工業集積地域における人手不足と拡張余地の無さから、大都市圏工業集積地域との企業内地域間分業の結果として、東北地域に人手の確保と工場用地を求めたことにあることから、当然の結果とも言える。特定加工に専門化している中小企業の誘致による進出の場合にも、同様に人手の確保や用地の確保とともに、東北地域に形成される量産型の完成品・完成部品生産のために必要とされる特定加工を受託することを目的としており、その意味で量産型の需要に対応する生産内容としての進出であることには変わりがない。
 しかしながら、進出後数十年経過した現時点では、今、現地で発展展望を持っている誘致企業・工場にとっての需要は大きく変化している。「分工場」として親企業・工場からの需要のみに依存する企業は、多様なタイプのいずれにおいても全く存在しない。多様な多数の企業からの需要に対応しているか、あるいはかつての「分工場」が自ら開発した製品の生産にシフトしているかのいずれかとなっている。依然として「分工場」としての性格を一部のこし、親企業・工場の生産体制の一翼を担う部分を保持している企業・工場も存在するが、それらにしてもその生産内容の主要部分を占める需要は、「分工場」としての需要以外の部分である。
 今1つの生産内容の変化は、需要の質の変化である。当初の「分工場」としてこれらの企業・工場が担った生産内容は、当然のことながら大都市圏の工業集積地域ではコスト的にあわなくなった安定的量産製品・完成部品の生産、それも主としてその組立であった。また、特定加工に専門化した企業・工場については、それらのために必要とされる特定加工の受託ということであった。しかし、現時点でのこれらの企業・工場が生産対応している需要は、量的には大変多様であり、大量に生産するものから単品生産まであるが、いずれにしても非常に不安定な需要内容のものに対する生産である。変化が激しい需要に対して柔軟な対応能力を持つ生産体制を構築し、かつてとは異なる需要への対応により存立しているということができる。それは、一方で常に新製品の生産を繰り返すということで変化が激しいということもあると同時、多様な受注先から大小さまざまな変動の激しい量の受注を行うこと、あるいは質的に変化の激しい内容の受注を行うことからも生じている。
 単に特定親企業からの受注に依存する生産体制が消滅しただけではなく、受注する、あるいは生産する製品や完成部品あるいは特定加工のそれぞれの受注・生産内容が、変化の激しいものへと変わったのである。これが誘致進出企業・工場の需要の内容の変化であり、変化の内容の第1の面である。
 変化の内容の第2の面は、第1の面と裏腹の関係にあるといえるのであるが、これらの誘致進出企業・工場の持つ機能が大きく変わったということである。生産の内容の変化を支える、あるいはそれを可能にするものとして、これらの企業・工場が保有する機能が、組立や特定加工を主要な内容としたものから、大きく変化した。すなわち、通常の「分工場」が求められる機能である特定の生産機能、量産組立工場であれば、量産の組立のみの生産機能が求められることになるのであるが、これらの企業・工場では、それにとどまらず関連する生産機能を幅広く保有するようになっている。組立量産を中心として出発した「分工場」の場合であれば、組立に必要なパーツの生産に必要な要素技術機能の幅広い保有が、まずは変化した機能の第一として述べることができるものである。先に紹介したRK光学の事例で言えば、大都市圏の人手不足への対応を主眼として、カメラの量産組立工場として進出した「分工場」が、組立生産機能のみならず、部材の加工生産機能を持つようになり、親企業からの支給に基づく生産から、「分工場」内での一貫生産へと転化していくといった内容の変化をさしている。
 事例でのかつての「分工場」の保有機能の変化はこれにとどまらない。さらには、生産のための「分工場」にとどまる限り全く必要がない機能である、受注開拓等の営業機能や製品販売先の新規開拓機能、生産技術のみならず製品技術をも含めた技術開発機能、これらの機能を誘致進出企業・工場は、現在保有している。「分工場」ではなく、事実上、1つの自立した企業としての機能を、完成品・完成部品生産企業・工場の場合も、特定加工専門化企業・工場の場合にも保有しているのが、今回の調査対象となった企業に共通する特徴である。ただし、それらの企業・工場が所有の形式として自立した企業に変化したということを、このことは意味しない。ほとんどの誘致進出企業・工場が、当初の所有の形式を、母体となった企業との関連で維持している。当初、母体企業にとっての100%保有の子会社として設立され、進出した企業は、現在でもそのような存立形態を維持している。また、当初、同一法人の分工場として進出した工場の場合は、現在もそのまま同一法人の1工場に、所有の形式としてはとどまっている。しかし、同時に、その実際の企業・工場としての機能は、大きく変化し、事実上、自立した企業と同様の一連の諸機能を、進出した企業・工場内に保有している。この点についても注意する必要がある。法人形態が当該企業・工場の保有機能を規定するのではなく、法人形態を変化させないまま、保有機能は大きく変化しうるといえる。

2) 当初の生産内容からの大きな変化を可能にした要因 
 次に、事例を通してみることができた限りではあるが、上記のような生産内容の大きな変化を可能にした要因について検討を加える。まずは、前項でも指摘したように、「分工場」がどのような所有形態で形成されたかどうかは、生産内容の大きな変化を可能にしたかどうかには、全く関係ないといえる。「分工場」とそれを設立した元の企業との関係は、所有関係の形式から見れば、多様である。文字通り「分工場」であり、同一法人の中の1工場として設立されたものもあれば、株式の100%を元の企業が保有する別法人、すなわち子会社として設立されたものもある。それゆえ、「分工場」の責任者の肩書きは、工場長の場合もあれば代表取締役社長の場合もある。しかし、これらの違いが、現在の誘致進出企業・工場を見る限り、変化のあり方等に影響しているということは、全く把握されなかった。
 他方できわめて重要な特徴として、今回の対象となった企業に共通していた点は、これらの企業がいずれも、当初から、あるいは創業後の早い時点から、存立形態の如何に関わらず、「分工場」として設立されながら、事実上の企業経営を行う裁量権を「分工場」の責任者が保有していたということである。その経営上の「分工場」の責任者の裁量権は、独自の営業活動の許容であり、あるいは独自製品の開発や独自生産技術の開発といったことである。TT社の場合、親会社の発注量との関連で、当初より分工場としての業務にプラスして独自の受注開拓を行うことを求められていた。UD工業北上工場の場合は1工場としての進出だが、受注先は本社の取引先とは別個に開拓することが前提での進出であった。完成品メーカーの場合も、RK光学のように、当初こそ、本社の量産品の組立のための「分工場」であったが、その後の環境変化の過程で、当地から撤退ではなく、独自な経営展開を親会社から許容され、また求められ、結果として自立的な経営が展開されている。まさに、「分工場」での自立的な経営の実行こそが、これらの事例の企業の共通の特徴であるといえる。
 同時に、このような自立的な経営それ自体を支え、そこでの独自な営業や開発の展開を支えている人材についても、共通の特徴が見られる。それは、基本的に経営トップを除けば、今回の対象事例のほとんどで、東北地方出身者といったような広い意味での地元の人材が、これらの自立的経営を支えていることである。DP社が岩手県で得たものは、大都市圏の中小企業では確保できない、新卒の優秀な人材であり、それを活かし、教育し、当該分野では高い競争力水準を実現する特定加工専門化企業となったのである。完成品・完成部品メーカーの場合でも、地元で開発や営業を担当する人材を確保できたがゆえに、「自立的」な経営の下で新たな機能への展開が可能になったと見ることができる。通常、大企業といえども子会社では、直に地元の有力な大学等の学卒者を豊富に採用しがたい中で、事例の企業は、「自立的」経営体として、自社に必要な人材を、地元の大学等から採用することに成功し、それらの人材を活かすかたちで、新たな機能への展開を成功させている。
 大企業か中小企業かどうかということに関わらず、それぞれなりに進出立地した地元で、それぞれの経営の自立的展開に必要な人材を確保、育成できたことも、これらの企業に共通した特徴である。中小企業においては、大都市圏に立地している本社においては全く採用不可能であった、地元工業高校やさらには大学工学部等の新卒者を採用することに成功し、それらの人材を社内で育成することで、新たな展開を実現している。

5 誘致工場が進出先で新たに展開することを可能にした基盤
 2で見てきたように、誘致により進出した企業の中にも、存立環境が変化したなかで、誘致により設立された企業・工場が経営上の裁量権を持ち得たこと活かし、新たな展開を実現し、多くの誘致により設立された企業・工場が誘致進出先から撤退するなかで、誘致進出先での存立展望を保持している企業・工場が存在している。それらが存立展望を新たに保持するに至った際の基盤は何か、それを事例を通して確認される限りではあるが、以下で検討する。
 上記の点に関連して、事例から読み取れる誘致により設立された企業・工場にとっての最大の環境変化は、安定的な量産の形で対応可能な需要が、国内で大きく減少したということである。逆に言えば、大量生産で対応することが必要な需要でも変動変化が激しいような需要は、依然として国内に存在し、場合によっては拡大傾向にあると見られることでもある。このような変化の激しい需要の意味は、完成品・完成部品の開発生産を行なう企業・工場と、特定加工に専門化し上記のような需要の変化に対応する企業・工場とでは、異ることになる。以下では、両者を分け、どのような基盤をどのように活用することで存立展望を保持しているのか、見ていくことにする。
<完成品大企業にとって、進出先での展開を可能にする基盤>  変動変化の激しい需要へ対応することにより、完成品・完成部品メーカーの誘致先進出企業・工場が、進出先での新たな展望を獲得したことを見てきたが、その際、裁量権を持った誘致された企業・工場であっても、新たな環境下での存立の基盤が無ければ、進出先での新たな展開は不可能といえる。このような意味での存立の基盤として重要なのは、1つは、岩手県や山形県が、国内機械工業としては、広域関東機械工業圏(7)に属しているということである。今1つは、この両県では、広域関東機械工業圏の中の他地域と比較して、新たな環境下での展開に必要とする人材の確保を、誘致された企業・工場が独自に行うことが相対的により容易であったということである。
 岩手県と山形県に立地した誘致により進出した企業・工場は、広域関東機械工業圏という日本国内で最も濃密かつ多様な機械工業関連企業・工場が集積する地域に立地していることになる。このことが、変動・変化の激しい需要、完成品・完成部品メーカーの場合は、新製品の開発を中心とした変化の激しい需要へ対応することを可能にしているといえる。内部に蓄積されているものだけで新製品開発を手がけることは難しいが、関連する種々の業務を必要に応じて調達可能な機械工業圏内に立地していることは、開発の中核になる部分を企業・工場内に保有すれば、残りの部分について、必要に応じて外部から調達することで、新たな製品や部品の開発が可能となる。その意味で、機械工業圏内、それも最も濃密な機械関連の諸企業が立地する広域関東機械工業圏内に立地していることは、重要な変動・変化する需要への対応基盤となる。
 同時に、単なる分工場として既存の完成品や完成部品の製造を行うことで存立していた企業・工場が、研究開発に乗り出し、一定の成果を収めるためには、単に誘致され進出した企業や工場の責任者に、実質的な経営上の裁量権が存在するだけでは不十分である。研究開発に乗り出すための人材の確保、育成が不可欠である。しかも、本社や親企業レベルでの人材の確保ではなく、進出企業・工場の責任者が全面的に活用できる人材の確保・育成が必要である。多くの場合、進出企業・工場レベルで研究開発に向けての人材を確保することは困難が伴うが、岩手県・山形県では、地元大学を中心に新規学卒、そして修士卒の新卒者の開発に向けての採用が、可能であった。経営上の裁量権を持った進出企業・工場の責任者が決意をすれば、地元の人材を開発用に確保できた、このことは、完成品・完成部品メーカーの誘致企業・工場が、この地域で研究開発型の企業・工場へと展開でき、環境変化の中において当地で新たな展開の展望を持ち得た基盤として、重要な要素であったといえる。基本的にこれらの新たな展開展望を持ち得た企業・工場のスタッフは、開発担当のものを含め、東北を範囲とするといった広い意味では、人材の現地化の中で展望を持ち得ているのである。
<特定加工専門化企業にとって、進出先での展開を可能にする基盤>  同じ誘致され岩手県・山形県に進出した企業であっても、完成品や完成部品のメーカーの進出の場合と、特定加工に専門化した企業、多くは中小企業であるが、それらの進出とでは、新たな展開を可能にした基盤の持つ意味が異なっている。特定加工に専門化した中小企業の場合も、広域関東機械工業圏内に立地していることは非常に大きな意味を持っている。しかし、それは必要に応じて必要な機能を調達できるという意味が中心ではなく、受注開拓に関し、変動・変化の激しい特定加工に関する需要を、広域的に開拓可能であるということの意味においてである。しかも広域関東機械工業圏の工業圏としての集積の厚みは、日本国内でも最高の水準にあり、かつそこでの完成品や完成部品の生産が、基本的に新製品の開発とその立ち上がりや非常に高度な製品の生産といったものにシフトしており、変動・変化の激しい需要の量は、きわめて大量であり、かつ需要として拡大しているといえる。それゆえ、広域機械工業圏内に立地していることは、特定加工に専門化している中小企業にとって、新たな展開を変動・変化の需要に対応する方向で行うに、最も適切であるといえる。

 同時に、そのような変動・変化の激しい需要に対応するためには、生産現場を担う、新たな柔軟な人材を確保し育成することが重要な意味を持つ。岩手県や山形県に立地している特定加工専門化中小企業にとって、この点で広域関東機械工業圏の他の地域に立地している企業より、より有利な地位にあるといえる。もともと多くの変動・変化する需要に対応する完成品・完成部品メーカーが存立している他の地域に対し、岩手県・山形県では、安定的な既存製品の量産を行う完成品・完成部品メーカーの工場の進出が多く、これらの多くが環境変化の中で国外へと立地転換を行った。そのため、相対的な状況として、当地で存立展望を持ち得ている特定加工専門化中小企業にとって、より容易に新規学卒の人材を確保し育成することが容易になっている。このことが、特定加工に専門化し、海外展開も行っている中小企業においても、国内での生産技術開発拠点、変動変化の激しい需要への対応するための生産拠点として、岩手県や山形県での生産拠点を維持し、新たな展開の拠点とすることにつながっている。

6 小括
1) 本稿で明らかにしたことの地域経済の自立化への含意
a) 地域経済にとっての誘致工場の意義と誘致工場・企業の経営的自立の重要性
 「はじめに」で紹介した神野氏の議論の様に、誘致工場・企業がもつ地域経済の自立にとっての意義を、ほぼ全面的に否定する見解に対し、本稿での分析結果は、誘致工場のあり方によって、進出企業・工場の地域経済の自立にとってもつ意義は異なりうることを示している。誘致された工場・企業が、単なる分工場としての進出ではなく、自立した経営主体を伴うものとしての進出、あるいは環境変化の中で自立的な経営を行う方向での転換が生じた場合には、誘致され進出した当時と存立環境が大きく変化しても、地域の中での存立維持の模索が行われることになる。そして、その地域での存立維持の模索が一定の成果を収めた企業・工場は、誘致により進出した工場であっても、地域経済に根を下ろし、地域経済の発展の担い手の1つとなりうることを、今回の調査結果は示唆している。
 別稿8で紹介したように、誘致工場の進出は、単に誘致工場の立地のみではなく、周辺に新たな関連企業の創業の可能性を与える。しかも、それらの企業が環境変化の中で地域経済に根ざし、同時に自立的に発展する可能性も存在しているともいえそうである。これらの誘致による波及的創業をも含めて考えるならば、誘致による製造業企業・工場の立地も、立地環境の変化を超えた長期的な地域経済の自立発展の主体形成に対し、一定の意義を持ちうるものとなるということができよう。
 その際、繰り返しになるが、少なくとも、決定的に重要なのは、誘致され進出して立地した工場・企業が、その形式的な存立形態に関係なく、実際に経営上の裁量権を持ち、単なる分工場にとどまらない存在であるかどうかという点である。さらに、誘致進出の際の立地条件が環境変化の中で消失した際に、進出先で、工場・企業が新たな模索を可能とする別途の立地継続可能性の条件があるかどうか、あるいは形成されているかどうか、これも誘致進出工場・企業が環境変化の中で進出地域での経営を維持していくことを模索可能にするかどうかで、きわめて重要な前提条件ということができよう。
 本稿での分析は、白い猫でも黒い猫でも自立的経営を保持している猫は、地域経済の自立に役に立つ可能性を示唆している。と同時に、自立的経営を保持している猫が棲める環境がなければ、地域経済の自立へとつながらないともいえる。
b) 自立的経営保持が有効な基盤としての広域機械工業圏と人材確保の重要性
 先に見たように、このような誘致進出工場の経営裁量権の保有による自立化のために、本稿の事例にとって重要であった要素が2つある。1つはこれらの企業が、新たな企業・工場展開の道を模索し、それに成功した存立環境として、岩手や山形といった地域が、広域関東機械工業圏という国内最大の機械工業圏の一部を構成していたという事実である。いくら経営裁量権を持つ自立的経営であったとしても、模索を意味あるものとする存立基盤がなければ、新たな展開は不可能である。これらの企業は他企業との関連の中で、自らの存立可能性を維持するようなタイプの機械工業企業であることには、当初の分工場であろうと、現在の経営的に自立化した企業であろうと同様である。完成品や完成部品のメーカーの場合には、製品開発型の企業・工場として経営的自立が実現されるのだが、その際に開発に必要とされる関連産業企業の集積が必要であり、その場が広域関東機械工業圏ということになる。また特定加工専門化型の工場・企業の場合には、変動や変化の激しい需要を十分確保できる地域内に立地しなければ、新たな経営展開を誘致進出先で行うことは困難である。その意味でこれらの工場・企業にとっても広域関東機械工業圏内に立地していることは、決定的に重要である。
 今1つの自立化のための重要要素として事例から示唆された点は、新たな展開を行うにあたり、地元で必要な人材を確保できるという条件であった。大企業の分工場や中小企業であっても、進出先においては、地元の就業先として評価され、大都市圏に立地していた場合に比して、新規学卒を中心として人材を採用することが、比較的容易であった。既存の熟練技能者や技術者を確保するという意味では、大都市圏と比較して不利な条件にあったといえるが、同時に地元の大学や工業高校の新卒者を採用し、それを育成していくことによる人材確保という意味では、岩手県も山形県も進出企業にとって恵まれた環境にあったといえる。この点が、経営的に自立した誘致進出工場・企業にとって、新たな展開を模索し地域での自立的経営主体となっていく上で、きわめて重要な意味を持ったといえる。
 機械工業に属する誘致進出工場・企業が、進出先企業・工場が保有した経営裁量権を活かし、環境変化の中で、新たな環境条件の下で存立を維持し、展開発展していくための前提条件として、模索を意味あるものとする存立基盤としての広域機械工業圏と展開を支える人材の育成可能性が存在したと見ることができる。

2) 残された課題
 今回の調査から示唆された誘致進出工場の地域経済自立化にとっての意義を、より一般的なものとして確認していくためには、いくつかの点の解明が残されている。もちろん、本稿での分析は岩手県と山形県という、誘致進出工場・企業が多かった地域とはいえ、特定に地域に限定された分析に過ぎない。それゆえ、今後明らかにすべきことの第一は、広域関東機械工業圏内の他地域や、他の広域機械工業圏での誘致進出工場の、環境変化の中での新たな展開の実態であろう。新卒人材の確保の可能性と広域機械工業圏内に立地することにより、誘致進出分工場が、経営的に自立することで、新たな環境変化の中で進出先地域で新たな展開をすることが可能となる。この点の一般化のために、まずはこの点の解明が必要である。さらに、広域機械工業圏内に属さない地域での誘致進出工場の環境変化の中での展開も、広域機械工業圏内での存立の意味を確認する意味で重要であろう。例えば、それは北海道へ進出した企業が、その後どのように展開し得ているかといったことと関わることになる。北海道内といえども、広域関東機械工業圏とのつながりを形成し得る地域であるかどうかで、この点が異なってくるならば、本稿で提示した仮説が一定程度裏付けら得たことになろう。
 さらに地域経済の自立化との関連で重要なのは、誘致進出工場・企業のうち、どのような工場・企業が、どのような条件によって、経営的に自立化しえるのかという点である。この点については、環境変化の中で撤退した誘致進出工場・企業と本稿の事例との対比・検討を行い得なかったこともあり、ほとんど把握しえていない。工場誘致を1つの柱に地域経済振興を考えていく場合に、この点は非常に重要な意味を持つ検討課題といえよう。神野氏のように誘致による経済自立の可能性を全面的に否定する必要がないことが確認できたことにより、この点が地域経済との関連では最重要の残された課題といえるかもしれない。

* 本稿は、筆者が研究代表者を務めた文部科学省の科学研究費補助金(基盤研究(A)、研究番号15203012)「新産業時代における集積の本質とその将来展望」の研究成果報告書の第4章「誘致工場と産業集積の形成 その可能性と限定性 —岩手・山形両県の事例を通して—」を圧縮・修正・加筆したものである。

(1) 拙稿「地域別にみた中小製造業の変化」(中小企業事業団中小企業研究所編『‘91中小製造業の発展動向』(同友館1992年)所収の第2部第2章)を参照。
(2) 八幡一秀「地域産業の変化と中小企業」(財団法人 中小企業総合研究機構編『ユ95中小製造業の発展動向』(同友館1996年)所収の第 II 章第3節)を参照。
(3) 神野直彦「地域おこしの新しいシナリオ」(神野直彦等編『新しい自治体の設計4 自立した地域経済のデザイン 生産と生活の公共空間』(有斐閣、2004年)第1章)の11ページ。
(4) これらの調査はいずれも、文部科学省の科学研究費補助金(基盤研究(A)、研究番号15203012)の助成を得て行われている研究、「「新産業時代における集積の本質とその将来展望」」研究の一環として、実施されたものである。
(5) 関満博「モノづくり復権への新たな戦略展開」(神野等編、同上、第2章)の42ページ。
(6) 「地域と産業の振興を支援」((財)日本立地センターのホームページ(http://www.jilc.or.jp)(200647日))すると巻頭に掲げる(財)日本立地センターの機関誌『産業立地』での工場誘致と地域振興にかかわる議論は、特集の形では、422号(20032月)の「特集 外資系企業誘致」以外では、ここ10年間で、445号(20059月)の「特集 企業誘致への新たな取り組み」、418号(20028月)の「特集 企業誘致と地域振興」と407号(20017月)の「特集 企業誘致の戦略」が、企業誘致を特集したものである。これらをみるかぎり、前述の関氏と同様の視点にあり、重要なのは「企業誘致担当者の熱意や誠意に基づいた、適切で迅速な対応」(同誌、445号、8ページ)であり、企業誘致する側の視点で、企業誘致における自治体側の誘致戦略の重要性が専ら議論されている。どのような誘致企業が、その後の構造変化の中でも、地域に定着しているかといった視点での検討はなされていない。例えば、407号の特集への前書きでは、「企業誘致は、地域振興を考える上では、地域産業の高度化につながらない、誘致してもいずれ出ていってしまう、といった理由から批判的な見方をする人もいる」とした上で、誘致が「大きなプラスの面を持っているのも事実である」とし、「企業誘致をどのように考え、成功に導いていくのか」(8ページ)という点を特集するとしている。418号の特集の前書きでも「自治体独自の活動が重要である」(6ページ)としている。
 他方で、例えば、上述した関満博氏は、日本政策投資銀行の機関誌で工作機械メーカーの誘致に言及し、誘致工場の技術的性格により地域の産業振興にとっての意味が異ることも指摘している(伊藤正昭・関満博・石井吉春「座談会 転換期の地域産業政策を考える」『RPレビュー』(日本政策投資銀行、2000No.3,Vol.3)78ページ)。しかし、これも、実際に誘致された工場の環境変化のなかでの企業行動の実態を踏まえたものではない。工作機械工業の生産上の特徴に注目し、そこからの可能性に言及したものに過ぎない。
 (7) 広域機械工業圏については、拙稿「日本機械工業の地域間分業構造」(拙著『日本機械工業の社会的分業構造 階層構造・産業集積からの下請制把握』(有斐閣1997年の第11章)を参照。
(8) 拙稿「岩手県機械・金属産業集積の変貌と中小企業の存立基盤」(前掲)を参照。