2022年11月20日日曜日
11月20日 秋深まる中、我が家の元気な鯉たち
2022年10月24日月曜日
10月24日 冬を前に食欲旺盛、我が家の鯉
一斉に餌に向かって集まってきます。
大中小、大きさに関係なく、早い者勝ちでの争奪戦、
ポンプ二台での循環と、滝を利用した浄化装置、
そして、水道水の追加、毎日のポンプの掃除、
これらで水は澄んで、賑やかな鯉たちを、餌やりの際に楽しめます。
ただ、憎き青鷺の襲撃を避けるため、
ネットを張らざるをえず、鑑賞の際は邪魔そのものです。
下のが、我が家に来る、にっくき青鷺です。
2022年10月20日木曜日
10月20日 サルビアの秋
朝8時、サルビア全体を照らし、全体が輝き始めました。
秋です。本格的な陽を浴び、花盛りとなって来ました。
2022年9月30日金曜日
9月30日 吉見俊哉著『空爆論』を読んで、考えたこと
吉見俊哉著『空爆論 メディアと戦争』(岩波書店、2022年8月4日)
を読んで、考えたこと
渡辺幸男
吉見俊哉氏の『空爆論』を、新聞の書評で知り、関心を持ち、早速手に入れ、目を通し始めた。以下は、『空爆論』を読みながら、勝手に考えたこと、そして読み終わってから考えたことである。
*吉見俊哉氏の著作で描かれていること、
主として米国の最新の空爆のあり方とその歴史
米軍そして米国の太平洋戦争での日本空爆、朝鮮戦争での朝鮮空爆、ベトナム戦争でのベトナム空爆、そして戦争行為としての不十分さについての反省、そこからの空爆による戦争支配の方式の開発を心掛けた。その結果が、イラク戦争であり、コソボ紛争である。米国軍人の損失を最小限に、敵対軍隊を崩壊させる。ここまでをほぼ完璧に実現した方式、それがドローンによる空爆、アメリカに操縦者はいて、情報技術を駆使して、現地のドローンを操縦し、米国人負傷のリスクを限りなくゼロに近づけた空爆を実行し、目標を破壊し殺害する。それが東京大空襲等で実行してきた米軍の空爆の進化の究極の姿であること、これを解明した研究がこの著作である。
*吉見氏の空爆論から見た、今回のロシアのウクライナ侵略
この吉見氏の議論から今回のロシアのウクライナ侵略を見ると、あまりにも古典的な、アフガン等から学ばず、旧ソ連時代そのままの、ロシアの軍隊の姿が見えてくる。吉見氏が描く「現代」のアメリカの空爆とはあまりにも異なるように見える。
そこに見えるのは、「プラハの春」の再現可能性を夢見ていた旧ソ連たるロシアの軍事組織とロシア・プーチン政権とも言えるのではないか。
「プラハの春」の再現可能性の夢とは、旧ソ連タイプのロシア軍が圧倒的な「規模」の軍隊で侵略すれば、チェコのような周辺「衛星国」では反ロシア的政権が崩壊し、親ロシア的政権が擁立される、という幻想の世界、残影の世界である。そして、その夢が完全に崩壊したのがキーウ攻略失敗であったといえよう。
ウクライナが、イラクではなかったからなのか。それとも、現在のロシアそしてロシア軍が、ベトナム以後の米国そして米軍ではなかったからなのか。吉見氏の議論を踏まえれば、その双方であったようだ。
ウクライナはコソボ紛争の際のセルビアでもなく、米国を中心としたNATO諸国を含めた多くの国々から多大な支援を得ている。また、ロシアもNATO軍ではなかった。少なくとも戦争開始期の戦闘では圧倒的勝利したNATOの戦闘力そして空軍を中心とした先進的な攻撃力(最新鋭の武器と情報システム、それらを総合的に使用する軍事戦略力)をロシア軍は持っていなかった。単なる量的な優越だけの軍隊での侵略であった(と私の得た情報では見えた)。あまりにも、古典的な帝国軍隊、植民地支配権力軍であった。しかも、帝国の俊英ではなく、貧しい人を、そしてそこから明晰な人を選抜することもなく、兵卒として集め、数だけ揃えた、「質の悪い」軍隊であった。ウクライナ現地からの報道を聞く限り、このように見えてくる。
吉見氏の著作を読んで感じ、理解したことは、まずは、米国の軍隊とロシアの軍隊では、基本的発想が異なるということである。米国の軍隊は、米国人、とりあえずどんな人種であろうとも、米国人の犠牲を最小限にして、帝国的侵略先諸国の屈服へと導く戦略的体系の構築をめざし、それにある程度は軍事的な意味においては成功している。それに対し、ロシアは、帝国内人種差別をも活用しながら、人海戦術で帝国的侵略先諸国を屈服させること、これを厭わない、ということであろう。自国民の人的犠牲に対する、この鈍感さ、これはロシア政府のみならず、スラブ民族と称する人たちのロシア内少数民族出身者に対する鈍感さでもあるようだ。この鈍感さ、第2次世界大戦に勝つために、スラブ民族を中心に膨大な人的犠牲を強いられたことの裏返しなのであろうか。ここに、大きな違いがある。
その上で、それを実現する近代兵器の開発にそれなりに成功したのが米国である。それに対して、ロシアは、米国と同様な方向での開発をしていない、どころか、それをなすだけの先端的工業基盤の構築に失敗している。あるいは、そのような方向での努力をせずに、一次産品や農産物の生産輸出での豊かさ追求に「逃げた」。安易な道、正統派経済学的発想では比較優位な道を、プーチンは選択し、それに、国民の豊かさの実現という意味では、ある程度の成功を納めた。そして、その延長線上で、ウクライナに「プラハの春」の夢の再現を夢想した。
しかしながら、現代のロシアは、かつての旧ソ連のような当時の先端的工業生産力に裏付けられた兵器産業を保持していない。しかし、プーチンはそれを知らないのか、あるいはそれを知っているが、それがウクライナ侵略の際に問題になることはないと踏んでいたのか、多分後者であろう。それこそ「プラハの春」の夢再現を夢見ていた、のであろう。短期的な決着を夢想していたが故に。
*なぜこのような違いが生じたのであろうか
ベトナム戦争を経験した米軍と、アフガン戦争とシリア内戦に留まる旧ソ連軍・ロシア軍の経験の差であろうか。米国は、ベトナムで、最後まで傀儡政権を北ベトナムに擁立することができないまま、南ベトナム政府を見放し、ベトナムから撤退せざるを得なかった。常に勝者の側にいた米国が経験した敗退であり、国内的混乱をもたらした敗退であった。それに対し、ロシアはシリアのアサド政権を維持し、アフガンでは、一応社会主義政権をある程度維持し得た。旧ソ連型の軍隊でも、機能していた、と言えるのかもしれない。
また、なぜ、ロシア空軍は、開戦初期に、ウクライナ空軍を徹底的に叩き、機能不全にしなかったのか。あるいは叩けなかったのか。この点についての疑問の提示は、開戦当初より、日本のジャーナリズムでも存在していた。ロシア政府には、旧ソ連時代の「プラハの春」の夢幻想、「大規模な」軍隊で(規模の大きさだけが取り柄の軍隊でも)軍事侵攻さえすれば、現政権の一挙解体は可能という幻想があったからなのか。それとも、組織として、十分な敵対者把握ができておらず、徹底的に叩きたくとも、できなかったのであろうか。さらには、圧倒的な空軍力の量的差異はあったと言われているが。質的に問題があり、ウクライナ空軍の具体的な展開を把握し、それを徹底的に潰す行動が取れる、情報把握のための最新の仕組みがなかったのであろうか。いずれも該当するように、今の時点、2022年9月の時点では見えてくる。
他方で、ウクライナ軍では2014年のクリミア半島と東部2州へのロシア侵攻でのウクライナ政府と軍の対応能力の欠如への反省があり、当時と根本的に在り方が変わっていたと言われている。
確かに、ロシア軍全体の動きを見ていると、高度に情報化した最新鋭軍事組織とは、全く見えない。第2次大戦中の旧ソ連軍と同様に、量的には凄いが、それだけの軍隊なのであろうか。ここ30年の軍事力の情報化に大きく遅れているのが、旧ソ連軍を引き継いだロシア軍、衛星を飛ばし、ロケットを打ち上げることはできるが、自国で生産した半導体を大量に使用し最新情報技術で武装し、それを駆使するための軍事システムとは程遠いような軍隊なのであろうか。
吉見氏が描く、現代的空軍主導の帝国側の侵略戦争、米国の湾岸戦争以後に見られる戦争とは、大きく異なる帝国の侵略戦争、旧型のそれがロシアのウクライナ侵略なのであろうか。
ここまでが、『空爆論』の終章、「プーチンの戦争」を読む前の感想である。
*『空爆論』を読み終わって
「終章 プーチンの戦争」で、吉見氏は「ロシア軍の空爆は」「アメリカの空爆がベトナム戦争を経て1990年代以降に推し進めていったパラダイム転換を全面的には受け入れていない」(同書、201ページ)と指摘している。
基本的に、この終章を読む前までの、私のロシア空軍理解を裏付ける議論であった。旧ソ連の持っていた軍事技術での進展の方向性が、空軍のあり方として、米国等と比較し、無人化、ドローン化の方向ではなく、旧ソ連時代からの地上部隊を支援する部隊としての位置付けにあるとされている。
また、2017年に鹵獲されたロシア製のはずの軍事用ドローンを解体すると、そこから見えてきたことは、航続時間が30分と短い低性能のドローンであるにもかかわらず、その主要部品は全て輸入部品であるということであったと指摘されている。そして、「ロシアはもはや、自国の軍事用ドローンの部品すら、自国の技術では製造できなくなってしまったのだ」(同書、202ページ)と、私にとっては大変興味深い指摘を、ワシントンポストの記事を参照しながら、吉見氏は述べている。現代ロシアは、完成品としては自国製(すなわち組立てたのはロシア国内のロシア系企業の工場)であろうとも、軍事製品生産のためでも、主としてロシア製の部品を使って、本格的な軍事ドローンを量産できる状況ではないようである。ベトナム戦争時の米軍と異なり、2022年2月からのウクライナ侵略におけるロシア軍は、空軍力でウクライナを圧倒し、制空権を完全掌握した上で、侵略を進める状況にはない、と指摘されている。
大規模部隊を動員し、消耗戦で相手を圧倒し、戦闘での主導権を握る、旧ソ連の戦略の延長線上にあるようである。逆に侵略されたウクライナは、コソボ紛争のセルビアやシリアの反政府軍と異なり、ましてやベトナムでの反政府勢力と大きく異なり、NATOからの武器面での支援を受け、それを使いこなすための訓練が可能な軍隊であることもあり、衛星からの情報を利用するなど、現代のIT活用の情報戦で優位に立っていると指摘されている。無差別に侵略するロシアに対し、的確な情報に基づき反撃を行うことで、戦局を変えつつある、というところまでで、今年の8月初旬に発行された本書での吉見氏の指摘は終わっている。
*その後の展開
そして2022年9月にウクライナの本格的な反攻が始まった。一般的な動員をかけない特別軍事作戦で、結果を出そうとしていたプーチン政権は、完全にその戦略に失敗し、ロシアの若者(若者以外も動員されているとの情報もあるが)を「戦争」に幅広く動員するということになった。全面戦争への道を歩むことで、不利な状況を転換しようとするロシアであるが、動員で状況が変わるとは、とても思われない。そもそも、動員する人的な量の不足で、反撃され、後退したのではないのであるから。ただ、人的増員をしないと、後退した戦線自体でさえ持たないのであろう。
*ロシア経済と旧ソ連経済
ロシアは、天然資源と農産物が豊かで、大規模輸出が可能な、1次産品、天然資源が豊富な貿易黒字国である。人口約1億4千万人の1次産品依存の上位中所得国と言えるであろう。ただし、ロシアは「豊かな」「先進工業」国ではないのである。ただし、旧ソ連時代までは、先端的な兵器生産能力を持つ、先端的近代工業保有国であった。競争優位の近代工業を保有する国ではなかったが。兵器生産を市場経済とは全く別なものとして、市場経済から切り離し、保護育成し、それに成功したからである。兵器生産のための基盤産業として不可欠な他の近代工業諸部門、特に機械工業関連の財の生産も、先進工業国と市場競争を行うことのない国際的な市場原理が作用する市場圏の外に存在させていたことで、旧ソ連経済圏内で十分自給可能であった。ただし、当時の国民生活も、先進工業国のそれではなく、豊かな消費生活からは程遠かったようである。
しかし、約30年前、旧ソ連の計画経済は解体し、ロシアは西側諸国に市場を開放し、近代工業部門の自国系企業による生産を事実上、あるいは結果的に放棄した。その代わりプーチンは、豊富な天然資源と比較優位にあった農産物を活用し、資源と農業の大国として国民経済のバランスを回復し、それなりの成長を実現した。あくまでも、先端的工業製品や設備機械あるいは中高級日用消費財については、西側諸国そして中国に依存し、その他の工業製品についてもトルコやインドに依存し、それらを獲得するために、その対価として一次産品を輸出するという、工業製品についての海外依存国としての国民経済の豊かさの追求であった。それが、それなりにうまくいき、一人当たりGDPで、日本の7割程度の水準まで到達した。
ドイツは、ロシアの豊かさ追求が、このような達成の経過により生じたがゆえ、ロシアの石油やガスに大きく依存しても、その対価としてロシア経済に不可欠なドイツ製の先端工業製品が存在する以上、ロシア政府はドイツ等からの最新工業製品の輸入展望をなくす可能性が生じるような、無謀な行動は取らず、NATO諸国とも協調的行動をとるであろうと、勝手に想像していたようである。
しかし、プーチンが、どのような長期的展望を持っていたかは分からないが、資源供給の圧倒的部分を対欧州で握ったプーチンは、そのことを切り札に、強引な対外政策を行っても、NATO諸国は、ドイツを先頭に、本格的な先端的工業製品の禁輸を行わないだろうと、全く異なることを考えていたようである。というより、「プラハの春」の夢から覚めていなかった、のかもしれないが。夢が実現したら、西側諸国が今回行った、本格的な禁輸等の制裁処置が実行される以前に、表面的には問題が片付いていたかもしれない。2月末にでも、ウクライナに親ロシア政権が誕生したならば。
いずれにしても、今のロシアは、西側諸国からの工業製品の輸入を止められると、まともにドローン1つ量産し飛ばすことができない工業水準ということになる。
*ウクライナ侵略の今後とロシア工業の展望
ここから見えてくるのは、今のロシアは、旧ソ連と異なり、西側諸国に対抗し、自前の工業製品で先端的な兵器を使った戦争を、長期に渡りあうことができるような近代工業を国内に保有していない、ということである。あるいは、主要部品や、独自製品の企画開発能力で、特定の工業製品では先端化している、ということでもない。あくまでも、1次産品生産国としてのそれなりの豊かさ、それもオーストラリアには遠く及ばない一人当たりの豊かさであるが、それを実現しているに過ぎない。いつまで持つのであろうか。戦が始まり、ロシアがウクライナに侵略開始をし、まだ7か月である。兵隊の頭数を維持することは、動員で、反発を受けながらも、当面可能であろう。
しかし、誘導兵器の量産を、どう維持するのであろうか。ウクライナには米国をはじめとする西側諸国の近代工業がついている。しかし、ロシアに多少なりとも協力する可能性のある中国やトルコにしても、個別先端的企業は、自国市場が最優先であるとしても、海外市場での競争力があるのであれば、ロシア市場に西側市場以上の魅力は全く感じておらず、西側諸国にロシアと西側との市場選択を迫られれば、大きさから言っても西側市場を選ぶことは、技術の問題を抜きにしても、企業として当然のことといえよう。
ここから見えてくることは、プーチンの核使用についての脅しの真実味の昂まりである。他に手がなくなり、追い詰められたプーチンが、権力を握り続けていれば、最後には戦術的に侵略を維持するには核使用しかない。
が、核を使用して何を得ようとしているのか。どこの誰に対して戦術核を使用するというのであろうか。建前としては、「ネオナチ」を駆逐することであったはずである。しかし、核が実現することは、当該地域の「ネオナチ」を「退治する」ことや「追い出す」ことではなく、当該地域の住民すべてを抹殺することであり、周辺地域の住民、ロシア領、あるいはロシア領に編入した地域の住民の多くをも、長期的な病に陥らしめることなのである。
また、核戦争が生じないとしても、西側諸国の経済制裁は、解除されるどころか、一層強化されるであろう。数年単位で今以上の経済制裁が実行され、ロシア経済は、先進工業製品や国内生産のために不可欠な部品類について、正規ルートでの調達はますます困難となる。ロシアの航空会社各社は、今やその運航機体は、ボーイングやエアバスに依存しているようである。どうやってメンテナンスをするのであろうか。老朽化した機体から部品を集め、まだ新しい機体の交換パーツとして利用する。あるいは、海外のグレイ市場から中古を含めた部品調達を進める。後者については、現在もかなりやっているようであるが、どこまで調達が可能か、まともなそれが可能か、疑問である。
乗用車については、旧ソ連時代のラーダ(シートベルトやABSがついていない車)に戻って量産を再開するといったことが、6月初めに報じられていたが、どこまで実現したのであろうか。ラーダ関連工場で、旧ソ連時代のようなラーダのためでも部品が足りないとの報道もなされている。旧ソ連にはできた量産、これは部品を含め国際競争力があるかどうかは別に、旧ソ連経済圏内で量産できる生産設備と熟練労働力、すなわち生産力基盤が全般的に存在していたから可能となっていた。全般的な生産力基盤を維持することをやめてから、既に30年経っている。生産基盤が全般的な形で残っているわけがない。
ウクライナ侵略直前で、国産ラーダは年産30万台規模で存在していたようだが、当たり前のことだが、市場原理に従って、必要な部品でより安く手に入るものは輸入に依存していたであろう。旧ソ連で全く作っていなかったABSやナビなどでは当然だが、旧ソ連時代には旧ソ連圏内で量産していた部品の全てが、依然としてロシア国内で量産されていたとは、全く考えられない。輸入への代替は、全てではないが、多くの部品で進んでいたであろう。外資系に買収され、市場原理に従う存在として、ラーダさえも生産されていたのだから。
一体どこで、どのようにして、これらの部品を年産10万台といった規模でロシア国内において改めて量産するのであろうか。試作的に何百か作るのであれば、可能でも、これでは、価格的にべらぼうな車になり、ラーダの価格がベンツの価格になってしまう。量産するとなれば、専用工場への設備投資、そのための熟練労働力の確保、といった多くの設備と人材への長期を睨んだ投資が必要となる。誰が、旧ソ連レベルのラーダのために、長期を睨んで設備投資を行うのであろうか。
*ロシアからのノルドストリームのガスパイプラインの爆破
ロシアからの天然ガスの主要供給源であるノルドストリームの天然ガスパイプラインが、デンマーク近くの海中で爆破され、ガスが噴き出している。ロシア系のテロによる爆破とも報じられているが、欧州へのロシアからのガスパイプラインが爆破されたことで、大量のガスが漏れていることが、2022年9月28日の新聞で報じられた。このことは、何を意味しているのであろうか。ロシアからの欧州へのガス供給を実際に止めるために、ロシアが意図的に爆破したというのであろうか。しかし、これにより、ドイツをはじめヨーロッパ諸国は、この冬、ロシアからのノルドストリームの天然ガス供給に依存するな、ということを強制的に指示されることとなるであろう。
この冬、無事越えることができるかどうか、ここでロシアからの天然ガスを別ルートで求め、制裁を解除するか、制裁を維持し、ロシアからのガスがないなかで、EUの人々はロシアへの妥協を求めず、制裁を支持するのであろうか。まさにドイツの人々をはじめとして、EUの人々に最後通牒が、ロシアから突きつけられたということかもしれない。ロシアからのEUへの豊富なガス供給とロシアに対する制裁維持とは両立不可能である。わかっていたことだが、実際に物理的困難により、ロシアからの天然ガスに依存する選択肢がなくなるということが生じたのである。どうなるのであろうか。
ロシアの予備役動員による混乱と、冬が近づくEUの天然ガス不足、どちらが先に決定的な方針転換をもたらすのか。まさに正念場である。
いずれにしても、先進的な工業基盤を、市場経済化で喪失し、国際市場からの輸入に依存するようになったロシア経済は、今回のような本格的な西側諸国による経済制裁に対し、中長期的に耐えることができる経済ではない。これだけは確かである。旧ソ連の持っていたソ連経済圏内で完結した近代工業生産体制は、今や存在しないのである。しかも、先進的な工業部門ほど、西側諸国や中国に依存しているのが、今のロシアである。旧ソ連並みのラーダの生産を本格化すると言って、3ヶ月余が経過している。旧型のラーダが出回りはじめたという話は聞かない。近代工業の基盤産業を、大きく国際市場に依存するようになったロシアは、旧ソ連で可能であった工業製品の工業生産でさえ、経済制裁下ではほぼ不可能なのであろう。
*冬来たる
厳しいウクライナの冬がやってくる。この冬を、ロシアそしてEU諸国は、どう越すのであろうか。民主主義国の強さと弱さが露呈するかもしれない。独裁国家のロシア、独裁ゆえに政治的に強固なのであろうか。
我慢くらべの一冬、インフレによる生活水準低下に直面する我々にとっても無関係ではない。が、ウクライナの人々の冬越しが、最も厳しいことも当然だ。この冬、それぞれがどう対応し、方向を維持するのか、それとも大転換するのか。その覚悟が問われることになる。
*補足
なお、現在のロシアの工業の状況については、本ブログで、これまで何回かロシア工業について、藤原克美氏のロシア繊維工業を中心としてロシアの工業の現状を解明した著作をはじめとした諸著作、ジェトロのロシア工作機械工業の現状についての調査報告等の調査報告、さらには新聞記事等を紹介し、コメントする形で、私なりの見解を示してきた。2月24日のロシアのウクライナ侵攻の後に書いたロシアに関する本ブログでの私のノートには、その際に利用した参考文献や記事の出所も掲載した。それらも踏まえて、本ノートは書かれている。もし、典拠等について関心がおありならば、ここ半年余りの私の本ブログでのロシア関連のノートをご覧いただきたい。
なお、これまでのノートを踏まえたということで、本ブログでは、間接的に参照した著作や記事についての一覧を示していない。ご了承いただきたい。
2022年9月21日水曜日
9月21日 我が家の庭のサルビアと芙蓉
2022年8月14日日曜日
8月14日 日経記事「ロシアGDP 5期ぶり減」を読んで
日経記事、署名無し「ロシアGDP 5期ぶり減 4〜6月、制裁で企業に打撃 事業停止2割増 11万社 消費低迷 資源高でも補えず」
(日本経済新聞、2022年8月14日、12版、5ページ)を読んで
渡辺幸男
この日経記事は、ロシア経済の近況を伝える記事であり、内容は盛りだくさんで、見出しにあるようにいくつものことが言及されている。その中で、ロシアの産業に現況について、より突っ込んで知りたい私にとって、大変興味深い内容があった。
ロシア自動車の販売市場と生産についての現況紹介が記事の2段目からあり、そこには、まずは「特に輸入依存度が高い自動車業界は制裁で苦境に陥った。欧州ビジネス協議会(AEB)によると、6月のロシアの新車販売は前年同月比で82%減と大幅に落ち込んだ。7月も75%減だった。」と述べた上で、「ロシア最大手自動車メーカー、アフトワズの一部工場の従業員は7月下旬、プーチン大統領に「部品が不足しているため、工場の生産を再開できない」と窮状を訴える書簡を送り、SNS(交流サイト)で公表した。書簡によると、部品に占めるロシア製の比率は40%にとどまる。(引用中の太字は引用者による – 渡辺)」と書かれていた。
もともと、近年のロシア経済は、年180万台前後のロシア国内販売台数であり、人口は1億4千万人以上で、天然資源豊富でその輸出大国であり、日本の一人当たりGDPと比して、その3分の2強の所得水準の新興経済としては、近年の自動車の国内販売台数は少なめと言える。その上で、月15万台前後の販売水準であったものが、4分の3ないしはそれ以上の市場縮小、月3万台水準に下落したと言うのである。極めて顕著な市場縮小である。
その上で、注目すべきことは、この販売の顕著な縮小が、この記事の見出しにあるように「消費低迷」と言うことに起因するといえるかどうか、と言う点である。景気が低迷していると言っても、本文記事の出だしにも書いてあるが、「4〜6月期のGDPは前年同期比4.0%減」と言うことである。一桁の減少であり、4分の3以上減少した自動車販売とは桁の違う減少である。
この点との関連で注目すべきは、引用の後半部分の記事である。年35万台ほど生産していたラーダを生産している一時ルノーに買収されたが、ロシアのウクライナ侵略を機に、ルノーの傘下から離れたソ連時代の国内最大規模の乗用車メーカーの後身、現在もロシア国内で最大規模の生産を維持していたアフトワズの工場の従業員がらみの話である。そこでは、アフトワズのその従業員が勤務している工場の生産を、部品不足のため再開できない、というのである。また、その工場では部品に占めるロシア製の部品は40%に過ぎないとのことである。
すなわち、ロシアの自動車販売が落ち込んでいる原因については、「消費低迷」による販売不振のみではなく、あるいはそれよりも、輸入部品の途絶のため国内生産で部品生産を補おうとしても補い得ない結果として、ロシア国内で自動車を生産できないことによる部分と、完成車を輸入できないことによる部分との双方が、供給側の要因として影響していると思われる、国内市場への供給不足の問題こそが重要であると言えそうなことである。
6月にアフトワズの生産再開、エアバックやABS等の近年の乗用車には当然積載されているはずの装備のない、今日ソ連時代のレベルのラーダの生産が再開されると言う話が、日経等で報じられた。(この記事についての勝手なコメントを、「日経記事「ロシア車最大手、生産再開」(2022年6月9日、夕刊、3版、3ページ)を読んで」と言うタイトルで、私のブログに掲載した)また、付論として示しておいたように、朝日新聞にもそのことと似たような記事*が7月3日付けでていたので、その際に自らへの覚書として、後述のようなノートを書いた。そして、今、この日経の記事に引用されている、アフトワズの1工場の従業員のプーチン大統領への書簡である。
そこで言われているのは、ロシア製の部品の比率は40%にすぎず、部品不足で工場再開が無理、という話である。6月や7月の日経や朝日の記事を前提にアフトワズの生産再開を考えれば、そこでの再開は旧ソ連レベルのラーダ等を生産することを目指していたはずであり、ABSやエアバッグの装備は、再開に向けて想定されていたラーダの生産のための採用部品に、初めから入っていなかったはずである。もしこの従業員の工場が完成車生産工場であるならば、旧ソ連時代のラーダを作るのであっても、それでも完成車の部品のうちロシア製は40%と言うことになる。付論として掲載した朝日新聞の記事が予想している「ロシア経済の「ソ連化」の道」、これさえも、もう歩めない、と言うことになる。「「簡素なモデル」(他国には売れないモデル?)を「生産量と雇用を維持するために」生産するというロシア副首相の発言での主張も、実現不可能ということといえる。この従業員に従えば、旧ソ連レベルの製品も、今や国産部品だけでは作れない、ということであろう。
付論
*朝日新聞「ロシア車 エアバッグ・ABSなし」「欧米の制裁影響 経済
「ソ連化」か」(13版、2022年7月3日、7ページ)を読んで
– 年何台作れるのか? 量産できるのか? –
本記事は、執筆者名のない記事である。欧米の経済制裁で「ロシアの自動車産業ではハイテク機器などに深刻な影響が出ている」とし、「ロシア経済も「ソ連化」の道を歩む可能性がある」と述べている。すでに、日本でもいくつもの記事が報道しているように、制裁がらみでルノーの子会社から独立したロシアの「アフトバズ」(アフトワズ)の旧ソ連以来の乗用車ラーダの最新モデルが、米欧日からの輸入に依存するABSやエアバッグが無く、現行排ガス規制不適合車であると紹介し、「簡素なモデル」(他国には売れないモデル?)を「生産量と雇用を維持するために」生産するとロシア副首相が主張していることを紹介している。
その上で、このような新車を生産することになったのは、「いきなり独自に高性能な部品を作ることは至難の業」だと記事は指摘している。他方で、プーチン大統領の「ソ連は実質的に常に制裁の条件の中で生きてきたが、発展し、大成功を収めた」という主張も紹介している。その上で、記事は、「欧米の制裁は、(ロシアの)ハイテク産業などに確実に打撃を与えて」いるとしている。
つまり、本記事は、ラーダがロシア国内の生産基盤を基に生産できるのか、どのくらいの台数生産できるのかについては、全く触れていない。これまでの他の新聞が掲載した記事と、その点では同様である。
まず、確認すべきことは、旧ソ連は、最後まで、欧米でまともに販売可能であった競争力のある(低価格)乗用車を生産したことはないという点である。乗用車を開発し、量産することには成功したが、国際競争力のあるものとは最後までならなかった。ソ連時代に旧ソ連経済圏内でラーダが売れたのは、旧ソ連経済圏では日米欧の車が競争相手として圏内に存在しなかったからである。
旧ソ連は、乗用車を開発し量産できたが、国際競争力のあるそれではなかった。これが、「ソ連は・・・発展し、大成功を収めた」の実質的な中身であろう。
ただ、私が気になるのは、旧ソ連並みのラーダを量産することさえ、今のロシアに可能なのであろうか、という点である。これが私の最大の疑問である。旧ソ連に立地していた企業にはソ連経済圏という日米欧の企業との競争から隔絶された市場の利用が、長期に渡り可能であった。そのため、数億人規模のソ連経済圏市場を前提に素材の生産から一次加工、そして部材の生産、最終製品の組立と、全ての生産機能について投資が行われ、それらがソ連経済圏内に構築されていた。その上で、ラーダ等の乗用車生産もソ連内に経済圏内完結型の生産体制でもって量産可能であった。
この生産体系が解体し始めてから、すでに30年がたっている。一般市場向けに乗用車を生産するということは、何十台かの車を手作りすることではない。多くの部品を量産し、それをラインで組立てる。このような生産体系の構築が前提となる。今のロシア国内に、旧来型の乗用車用の部品であっても、旧ソ連並みの多様な部品についての部品の量産基盤が存在するのであろうか。ラーダの組立ラインは存在可能であるとしても、である。これが大きな疑問であり、これまでの記事も含め、この記事でもどこにもこの点が言及されていない。
旧ソ連時代のラーダ並みの乗用車用の部材の生産それ自体であれば、ハイテクではないので、今のロシアに存在する企業の中にも、何社かそれぞれの部門で生き残っているであろう。ラーダの最近のバージョンの部品生産者として、あるいは補修用乗用車部品の生産者や、他の一品生産的機械製品の部品の生産者や、それらの補修用部品の生産者として。しかし、乗用車の場合、必要な部品の生産の量的規模は少なくとも10万台単位での生産である。それだけの量を、1年あるいは2年のうちに安定的に生産できるような企業が、国内にほぼ全ての分野に存在して、国内で初めて安価な乗用車が量産可能となる。1980年代の東ドイツのように、256kのDRAMを作ることはできるが、手作りであり、日米で生産されていた当時の先端的な量産半導体とは、コスト的に全く次元が異なるもの、民生用電子機器の部品としては使用不可能なもの、そんなことが、ラーダについても生じる可能性がある。
それとも、そもそも旧式のラーダをあらためて生産するだけであるから、新車の開発の際に必要な多大な開発費用がかからないので、年産10万台レベルでの量産をしなくとも、一台あたりで、かなり安くなるというのであろうか。しかし、この30年間にWTO加盟、そしてルノーの子会社化といった外資系企業へのシフトもあり、すでに輸入部品に代替されているものも多いのではないか。そのような、かつては国内で生産され、今は輸入に依存していた部品を、改めて量産するためには、それぞれの部品について新たな設備投資が必要であろう。中期的に見れば技術的には可能だとしても、誰がその投資リスクを引き受けるのであろうか。部材の輸入が再開された時、ほぼ無意味になる可能性の高い生産単位に、本格的な投資を行い、そのリスクを担う企業家は、今のロシアにいるのであろうか。それとも、国営企業として、旧ソ連時代のように全てを国営企業として運営する方向で、関連の民間企業を買収し、生産体制を構築するのであろうか。
エレクトロニクス機能を含む高性能の完成部品については、輸入完成部品を使用せざるを得ないので、ついていないというだけではなく、乗用車のレベルとしては旧ソ連並みのラーダだが、けば高い車になる可能性がある。このようなロシア内産業基盤の存在についての議論は、これまでも、ラーダの生産再開の紹介の際に、私が目にした限り、日本語で書かれた記事のどれにも言及されていない。しかし、これこそ、旧ソ連解体によるロシア経済そして工業の変質の中核的部分ではないのではないか。私は、このように感じている。
旧ソ連では、当時でも技術的にかなり遅れていたとしても、乗用車を量産するのに必要な一通りの部材を、一からソ連経済圏内で量産することができたし、そのための生産主体が存在していたのである。このことが再び可能とならない限り、ラーダをロシア国内で「新規」に開発生産することはできないであろう。
中古部品を集め、それでそれなりの規模での量産をすれば、当面は、このような状況にならないかもしれないが、このような状況は中長期的に継続可能なことではない。
ある機械を作れることと、その機械を安く安定的に市場での値段に見合う品質の機械として一定量以上の規模で継続生産できることとは、生産体系としては全く異なるものである。実験室での生産と、市場向け量産との差異とも言えよう。
これからのロシアでのラーダ生産の行く末を見ることで、私の理解の妥当性が確認できよう。ロシアの工業生産の「非工業化」と私が呼んでいることが、実際に生じているかどうかについても、ラーダの生産再開をめぐる今後の報道を通して確認できそうである。
ただ、ロシアの近年の在り方を見れば、半導体でそうであるように、正規ルートを通さず輸入すること、直接的に生産メーカーからあるいは正規ルートから輸入することが困難な部品については、いわゆるグレイマーケットを利用して海外から輸入調達することは、日常的に行われているらしい。だとすれば、新ラーダの部品のうちロシア内生産が困難な部品を、グレイマーケットを通して調達することを前提に開発・設計を行うことも考えられる。こうなると、比較的安価な新ラーダを生産することはそれなりに可能となり、新ラーダを解体してみないと、ロシア工業基盤の実態についての真実はわからないことになる。
なお、ウィディペキアによれば、ラーダはいまでも旧ソ連経済圏では一定の人気があるということである。その理由は、作りが簡素で、故障しても修理しやすい、という点にあるとのことである。かつての中国国営企業が製造した自転車と共通する理由とも言える。ただ、旧ソ連崩壊後、一応モデルチェンジをしていることも記され、その最新モデルは親会社になったルノーの影響を受けていることも記されている。部材がどうなっているのであろうか。基本的に旧来からの部品については部品生産からロシア内で行われていたのであろうか。
また、故障しても修理しやすいということは、旧ソ連系内には、修理用部品の供給網と、そのための生産基盤が存在するということになるのであろうか。
2022年8月7日日曜日
8月7日 日経記事、鄭婷方・黎子荷「半導体供給網 無数のネック」を読んで
鄭婷方・黎子荷「「国内化」による安全保障に不都合な真実
半導体供給網 無数のネック」(NIKKEI Asia, Global Eye)
(日本経済新聞、2022年8月7日、12版、8ページ)を読んで 渡辺幸男
久しぶりに、私のかつての専門に近い分野での興味深い記事に出会った。米欧日の各国の政府が、台湾のTSMCを中心に、最新の半導体メーカーの自地域内誘致を進めているが、それがたとえ成功したとしても「「国内化」による安全保障」としては「それはおとぎ話にすぎない」と切り捨てている。実に明快な結論である。
その根拠は、半導体生産におけるサプライチェーンについての理解にある。すなわち、今、半導体不足の中で供給力強化に乗り出している半導体最大手で最先端技術の担い手であるTSMCそのものが「サプライチェーン(供給網)のボトルネックに直面している」というのである。そこからの含意は、「半導体製造の「国内化」を」実現したとしても、その「製造プロセスに必要不可欠な数百の原材料、化学薬品、消耗部品、工業用ガス、さらに機器や原材料を供給するネットワーク」が存在し、それらは「数十カ国をまたいで機能し」ているのであり、「これを1つの国や地域で行うのは困難である」ということである。
さらに、それぞれの「専門企業」のうちで、半導体製造の基準を満たすのは、「それぞれ世界に数社しかない」とのことである。すなわち、数十カ国に広がる専門企業、しかしそれぞれの分野については数社しか存在しない部品、部材、製造装置を集めること、それによって最先端の半導体生産がはじめて可能となっている、ということである。具体的にどのような部材や製造装置がそうなのか、簡単な指摘も行われている。部材についても、その分野の製品が作れれば、どの企業の製品でも使用可能というのではなく、ごく限定された最先端の部材のみ使用可能ということも指摘されている。
結果、「供給網のどの部分も二重化ですら簡単ではない」と締めくくっている。ここでの議論は、半導体製造、それも先端的なそれについては、単に半導体製造について最終組立企業としてのTSMCをはじめとした数社のみが、先端的な半導体を製造できるというだけではなく、幅広い高度な専門企業群の社会的分業が、グローバルな形で、素原料を含め、部材、製造装置、製造装置用の部材といった多様な分野との社会的分業から成り立っており、かつ、先端的な半導体につながる製品を生産できる企業は、世界でも、それぞれの分野で少数企業である、ということが指摘されている。それゆえ、最終製造工程の最先端工場を誘致するという形で、今、米欧日で進められている「半導体製造の「国内化」」は、半導体の自国・自地域への安定的供給を実現するという意味では、それ自体だけでは「おとぎ話にすぎない」ということになる。
この限りでは、まさにその通りだというしかない。それぞれ最先端の少数企業に担われている社会的分業に基づくサプライチェーンの各環節は、それぞれについて少数の生産拠点がグローバルな広がりの中で、各地に、それぞれなりに展開する形で存在している。それぞれ他の企業がすぐには追随できないような少数専門化企業によって担われている。そのどの環節が損なわれても、先端的半導体は製造困難となり、近年生じたような半導体不足が少なくとも短中期的には継続することになる。このことの一面については、韓国と日本との半導体生産用のフッ化水素ガス(エッチングガス)の規制をめぐる争いを通して、すでに明らかになっている点ともいえよう。
ここまでは、極めて納得的な記事である。しかし、その上で、かつて社会的分業論を専門研究分野としてきた私にとっては、気になる点がいくつか抜け落ちているような気がした。1つは、社会的分業の担い手である半導体生産の川上部門や製造設備製造部門、そしてその生産のための川上部門の企業の、個別企業としての再生産をめぐる存立形態についての議論が、それである。今ひとつは、「供給網の強靭化」を実現するための有効な方法模索の方向性についてである。
前者の各関節を担う、専門企業の存立形態について、少数寡占が多いということは指摘されているが、その専門企業の存立形態、再生産形態についての言及はない。ごく一般的な議論としていうならば、それらの少数寡占状況を生み出している専門企業の多くは、半導体部材、また半導体製造装置向けだけに専業化している企業は少ないとみられるということである。それぞれの専門企業が、特定の部材生産分野、製造装置分野で、半導体に専門化しない形で存立している場合が圧倒的である。この記事でも、「バルブやパイプ」といった半導体製造に使用する部材や製造装置の部材について言及しているが、その専門メーカーは、特殊パイプやバルブを少なくとも専門の1つにしている企業であるが、半導体関連のためだけにパイプやバルブを生産している企業は、ほぼ皆無であろう。どんな製品であっても、半導体の部材の一部や製造装置の部材の一部を構成するにすぎず、先進的な開発能力のある企業が、それだけで自らの持つ開発力や資本力等を使い切り、諸費用を回収するには、特殊すぎる部材と言える。
それぞれパイプやバルブを含めた専門メーカーとして多様な特注や特別企画の製品の生産を含め、高度な製品を幅広く受注し、それらを通して開発から生産を行う企業、さらにはその一部を担う企業であろう。重要な供給先として半導体関連が存在するとしても、あくまでも自社の受注の一部を構成する一分野というのが、その存立、再生産の多くの企業の場合の在り方である場合が多いと、私は考える。それらの企業の多くは、私のいう機械工業の基盤産業の先端的な、相対的に大企業的な部分とも言える。多様な機械分野で使用される部材を幅広く開発生産している中で、半導体向けや半導体製造装置向けの受注も行い、それらの分野でも先端化した企業の可能性が高い。
これらの企業は、経路依存的であると同時に、その専門化した分野にとって都合の良い立地、すなわち人材確保や関連企業の利用状況、そして原材料調達等の面で、立地上優位な地点に、その開発と生産の拠点を展開している。結果として、グローバルに生産立地を展開している企業もあれば、特定地点に集中生産立地している企業もあろう。それぞれの企業の歴史的経緯と立地論理に従い、特定地域に単数ないしは複数立地をし、グローバルに高度専門化部材を供給しているといえよう。
繰り返すが、多くのこれらの企業は、半導体製造のためだけに存立しているのではなく、多様な製品分野からのニーズに応える専門化企業として存在しているのである。この点を忘れると、大きな間違いを犯すことになる。世界最大規模の単一製品生産産業である乗用車産業では、多くの場合これと異なり、大手完成車メーカーを頂点に、ほぼ乗用車専用部材に専門化した形で多くの部材メーカーとその2次サプライヤが、乗用車生産にほぼ専門化する形で存在し、多くの場合、大規模市場の近くに乗用車産業集積、いわゆる企業城下町を形成し、多くの部材部分をも含め、集積内完結の形で生産している。しかし、機械工業の社会的分業のあり方としては、あるいはサプライチェーンのあり方としては、乗用車産業はそれ自体では巨大だが存立形態としては例外的産業分野と言える。トラック等の自動車を含め多くの機械や機械部品の生産分野の部材は、多様な製品や部材に供給している専門部材メーカーによって担われている。それゆえ、その部材メーカーにとっての川上のサプライヤから見ても、川下の完成品ないしは完成部品は極めて多様な分野となり、それらの立地は分散的である。
すなわち、半導体関連のサプライヤにとって、半導体生産メーカーは、重要な顧客分野であるとしても、多くある分野の1つにすぎない場合が多いのである。半導体生産向けだけをもっぱら念頭において、その生産体制や立地を選択することは、これらの部材生産企業にとっては、その企業としての再生産を阻害することになりかねないのである。この点の確認をした上で、サプライチェーンの問題を議論することが必要であるが、この点についての議論はもちろんのこと、この点について言及も、残念ながら、この記事にはなかった。
いま1つは、「各国の半導体製造の「国内化」」は「供給網を強靭化」するとの話は「おとぎ話にすぎない」として、それではどうしたら良いのか、何か対応策はあるのか、この点である。素原料まで遡るサプライチェーンを含めて、どうすれば、多少なりともリスクを軽減できるのであろうか。この点についての言及も、この記事には存在しない。
私なりの考え、その実現可能性自体についても、かなり怪しいのではあるが、この点についての私なりの考えを示したい。なお、本記事で主張されている、サプライチェーンの重要性を考慮すれば、半導体生産について最先端の最終組立工場を自国内に立地させれば、安全保障上の問題をかなり解消できると見るのは浅はかである、という考えそのものについては、私も肯定的に評価する。その上で、ではどうしたら良いのか、と言うのが、この論点である。
半導体の最先端の最終組立工場が、台湾そして韓国に多く立地するという、中国近接地域、「隣国」と係争を抱えている地域にもっぱら立地していることのリスクは、何れにしても、先端半導体を安定的に確保するためには、地政学的リスクが極めて大きいとは言える。また、サプライチェーンの中のそれぞれの部分が、特定少数企業への依存や特定地域への立地企業への依存という形で、偏って存在しており、この点のリスクも大きいことは事実である。これをいくらかでも緩和するために可能なことは何か。これが考えたいことである。
まず、この点を考える前提として、当然のことながら、サプライチェーンを構成する企業に代替する企業を、新たにゼロから作ることは、極めて困難である、ということがある。既存の企業や多くの場合はその既存の工場群を前提に、あらためて、安定的な先端半導体の入手の方法を考える必要があろう。少なくとも短中期的には。
そうであれば、必要なことは、サプライチェーンのそれぞれの部分について、「分散の必要性」ということになる。分散には大きく分けて2つの意味での分散があり、それを考慮すべきである。第一は、TSMCの米日への誘致に代表されるように、地理的分散である。半導体の主要消費地を前提に、その開発と生産の拠点をできる限り地理的に分散する。それも当然のことながら、最終組立に関して分散するだけではなく、サプライチェーンの最上流である素原料部分から、完成部品生産までも、また、製造設備の生産についても、特定地域にそれぞれについて集中させることなく、地理的に分散させること、これがまずは必要なことであろう。
今ひとつは、担い手としての企業の分散、すなわち特定1企業によるサプライチェーンのいずれかの部分の独占を、できる限り回避するということである。半導体製造装置のASMLが典型的であると言えると思われるが、技術開発競争の結果として、特定1企業が先端的部分、部材でも製造装置でも、完成品生産でも、いずれかどこかを占めてしまうことが生じがちである。これを、できる限り避ける努力をするということでもある。
このような2つの側面での集中を回避し、分散を実現すること、このことこそが、半導体のようなグローバルに生産される先端的に製品を安定的に確保するために最も必要とされることであろう。しかし、「言うは易く、行うは難し」の典型例であろう。特に、技術的競争の結果としての事実上の独占形成、TSMCやASMLのような例の発生を、どのようにしたら避けることができるのか、諸企業間の競争を通しての技術的発展、健全な資本主義的経済発展の根幹であると思うが、これを肯定した上で、どのようにして結果的に生じる独占を防ぐか。その手立てについて、私にはわからない。しかし、少なくとも、できるだけ、特定1企業によって支配的な技術状況を作り出しやすいような環境を避けることは必要であり、多少なりとも効果があろう。
以上、今日の日経の記事を読んで、勝手なことを考え、それを一気に書き綴った。資本主義の持つ、競争を通して技術進歩を実現する、と言うことが如実に、かつ具体的に現れているのが、半導体生産産業である。また、そのような技術開発競争が、独占的停滞へと転化せず、次々と新たな段階に突入し、多様な側面から新たなチャンピオンが登場しているのも半導体生産産業である。しかも、半導体生産そのものは、グローバルな形での多様な機械工業の基盤産業の存在の上に、再生産可能となり、発展可能となっている。これをかなり上手く表現しているのが、本記事であろう。
より一層の半導体生産産業の健全な発展が、どのような形で実現するのか、しないのか、私なりに、今後もその展開を追いかけていきたい。2次情報に依存するしかないが。










