2020年2月26日水曜日

2月26日 梁鴻『中国はここにある』を読んで

梁鴻『中国はここにある 貧しき人々のむれ』(みすず書房、2018年)
<原典『中国在梁庄』(江苏人民出版社、2010年)> 
を読んで 渡辺幸男

目次
まえがき
第1章         私の故郷は梁庄
第2章         活気あふれる「廃墟」の村
第3章         子度を救え
第4章         故郷を離れる若者たち
第5章         大人になった閏土(ルントー)
6章 孤立する農村政治
第6章         「新道徳」の憂い
第7章         故郷はいずこに
あとがき
訳者あとがき

 読み始めて、大きな衝撃を受けた。何より、これが私にとって、極めて同時代というか、非常に新しい中国での出来事の話であることである。日本の感覚で言えば、かつて戦前の「おしん」の小作農の世界から戦後のおしんの都市での商売成功の世界とその後、60年間の時間単位を超える、還暦を超える時間の経過の中で生じたような内容が、2010年出版の本で、今荒れ果て廃墟化している小学校が、1981年に地元の努力で創設された、というような、時間単位で語られている(同書、70ページ)。中国の近年の変化の激しさを、改めて感じざるを得ない話のようである。
 私自身は、2000年からの10数年の中国産業発展を、民営企業(中小企業)サイドから沿岸部のみだが、毎年数回、現場に出向き見てきたのであるが、それの裏側の内陸の農村部での同時代における大きな変化が描かれている。それも、中原の一部である洛陽のある河南省の農村を舞台として。新疆・ウイグル自治区やチベット自治区の話としてではなく。1973年生まれの当該村の出身者であり、かつ現在は人民大学教授の文学研究者によって、30歳代後半の時期にノンフィクションとして。そして、1981年に創設された小学校で学び、筆者の卒業の四半世紀後に本書の中国語原典が出版された時、2010年よりかなり前のはずの時に、その小学校が廃墟と化していると著者は描いているである。中国で変化が激しいのは、産業だけの話ではないことがよくわかる話である。
 農村部の人々が、文化大革命後に農業者として積極的に前を向いた生活を営んでいた時期、それがあっという間に過ぎ、都市の産業発展にとっての底辺労働力として大量に動員され、それも老年層を除いて男女ともに、多くの人は夫婦として、しかも子供を農村の祖父母に預ける形で、バラバラなところに出稼ぎ労働者として動員され、物的な豊かさと交換した農村部の農業地帯としての荒廃、新築の住宅の増加とともに農村の人々の心の荒廃が描かれている。
 中身は、発展する巨大国民経済、その経済発展の一翼を担う農村出身者と、その中で取り残され荒廃する農業基盤としての農村の姿の描写である。

 他方で、ここで見えてくるのは、ある意味での戦後日本農村との共通性でもある。日本での戦後農地改革がもった大きな影響、農村での小土地保有の自作農の大量形成、これと同様なことが、中国での人民公社化、生産大隊への編成の実施、そして、それがその後解体し、大規模地主なき、土地の使用権のみで所有権はないが、しかし小土地を「自作」する農民のみの農村社会の形成とそこでの農業の生産性上昇が、歴史の出発点となっていることである。パール・バックの『大地』での大地主支配の農村とは異なる中国農村世界が描かれている。描かれているのは大地主が登場しない農村である。これは<悠久の>中国農村ではなく、文化大革命後、そして人民公社後の農村ゆえであるといえよう。結果的に日本の「戦後農地改革」後の小規模土地所有の自作農中心同様の、小規模「自作」農中心の農村社会が形成されたのである。ただ、この点については、本書では、明示的にはまったく言及されていない。共産主義革命期どころか文化大革命以後に教育を受けた、1973年中国農村生まれの研究者ゆえ、ということであろうか。
 それゆえ、農村の原風景も、大地主と小作農との争いがどこにもない、小農中心の、ある意味、極めて牧歌的な絵柄となっている。この絵柄が描かれうるようになったのは、中国共産党革命の後の農業集団化とそれの解体、請負耕作の一般化ゆえであるから、その解体過程が改革開放から始まるとして、原著の初版出版時の2010年から見れば、そんな遠い過去のものではないことになる。小規模「自作」農中心の世界が請負制の普及で始まったとすれば、1980年代からのことであり、まさに著者の地元の学校の校舎が建てられた時期と重なる。改革開放の過程で育ったがゆえに、大地主制下の中国農村ではなく、また人民公社下の集団化された農村でもなく、また大量の農民工が流出した南巡講和以後でもない、自作小農中心の「牧歌的」な農村の原風景を経験できた、稀有な中国農民の子弟の一人が著者ということになるのであろうか。
 著者にとって生まれ育った農村の原風景として描かれている状況は、本格的な農民工を大量の沿岸部に動員する中国の産業発展が、鄧小平の南巡講話以降に始まったとすれば、1990年代はじめまでのわずかの時期に存在したに過ぎないことになる。すなわち、たかだか著書が出版された30年前から10年間程度のこととも言えることになる。WTO加盟の時期までとしても20年間弱に過ぎない。それとも、本書での農村の原風景は、文化大革命時の当該農村での村民間の対立も描かれているように、人民公社時代をも含むものなのであろうか。そうだとすると、多くの人が飢えに苦しんだ時代の農村の人々をも含んだ原風景となり、締めくくりの描き方は、あまりにも地元の過去を牧歌的にみすぎているとすることができよう。
 著者にとっての「農村」として念頭に置かれているのは、著者が経験した小規模自作農中心の中国農村の世界、まさに、著者が農村で過ごした学齢期そのものの経験であろう。しかし、それを中国農村一般の時代を超えた「原風景」とするには無理がある。同じ日本の小規模農家中心の農村であっても、おしんの育った地主が中心にいる農村世界と戦後の農地改革後の自作農中心の農村が、全く異なる様相を示したように。

 本書は、文化大革命時とそれ以後の中国農村の変化、特に後者の時期のそれを、河南省の農村部に生きた人々からの証言を通して描いたノンフィクションとしては、大変興味深いものであるが、それを改革開放前そして革命前からの中国農村の姿とすることは、河南省の当該地域のそれとしても、明らかに無理があると言えよう。最後の章での叙述は、その意味で自らが行なったインタビュー対象の位置付けとしては不適切なものと、私には感じられた。

 また、本書には、人民公社由来の工業企業とみられる農村部の工場の話が、過去の存在として時折触れられるが、沿岸部の諸都市周辺部で見られた郷鎮企業の形成と意味について全く言及されていない。河南省のこの地域では、郷鎮企業の形成は見られなかったのであろうか。これが、本書を読んで、次に感じた論点である。
 また、河南省には、沿岸部の諸工業都市が農民工の大量吸引が徐々に難しくなっていった段階、2010年前後から、内陸中心都市への沿岸部企業の工場進出が一斉に生じているが、この点についての動きは本書では全く展望されていない。実際に河南省も、鄭州市にはEMSの最大手の富士康の大規模組立工場が設立される等、内陸部への工場進出の舞台の1つとなっている。高速道路と高速鉄道の発達、そして情報流の高度化等のインフラ整備が、これを可能にしていると言える。その段階で、沿岸都市に出稼ぎに出ていた農民工と言われた人たちが、どのように動いているか、特にかつての農民工の次の世代の動きが注目される。
 本書の中でも、子供たちはもっぱら一定の歳になったら出稼ぎに出るということばかり考え、勉学に身が入らないと書かれている。そうであるとしても、その出稼ぎ先の立地は、省内や近隣都市の可能性が出てきたのが2010年代以降の姿であろう。巨大な農民工の移動が一挙に生じたのが中国であれば、その出稼ぎ先の地理的拡大変化が急激に生じているのも中国である。外部環境、河南省の農村にとってのそれが、急激に大きく変わるのが今の中国であり、環境変化はまた農村のあり方を大きく変える可能性があろう。
 また、近年、近隣都市の都市戸籍であれば、かなり取得可能となってきているようである。農村戸籍ゆえに、出身農村に縛られ、社会保障面で制約を受け、それゆえに農村での農地使用権にこだわらざるを得ない、かつての農民工とは状況が大きく変化しつつあるともいえよう。その意味で、出稼ぎし、出身農村に家を建てる、という農民工のこれまでのあり方にも、かなりの変化が生じる可能性があるといえよう。本書での叙述された状況と、そこでの回顧の対象とは、いずれも10年からせいぜい数十年単位の出来事であり、「悠久」の中国中原の歴史の中では、実にほんのわずかな一コマに過ぎないのではないか。

 農民工としての出稼ぎでの農村荒廃の後の別の農村風景、これはすぐやってくることであるが、何が起こるのか、あるいは今何が生じているのか、大変興味深いところである。

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