トニー・サイチ+胡必亮『中国 グローバル市場に生きる村』鹿島出版会、2015年
(原著、Saich, T. & B. Hu, “Chinese Village, Global Market” Macmillan Pub.,2012)
を読んで 渡辺幸男
目次
第一章 グローバルな村へ – 雁田の歩み
第1部 経済運営・組織
第二章 足を洗う – 農業を中心とした村の終わり
第三章 霊鳥を呼ぶ巣づくり – 親族、市場、そしてグローバルな生産拠点の興起
第四章 新しいワイン、新しいボトル – 農村の集団の新たなかたち
第五章 トラクターから自動車へ – 家庭の経済管理
第2部
第六章 公的な提供から多元的なネットワークへ – 教育サービス
第七章 同じ村でありながら別の世界 – 雁田の医療衛生サービス
第八章 鄧氏の村 – ガバナンス
第九章 雁田 – 過渡期のモデル
本書は、中国郷鎮企業発展の主要モデルの1つ、珠江モデルに含まれる広東省東莞市の農村部にある雁田村という、深圳市と東莞市の中心部との中間にある地域が、改革開放の中でどのように変容したのかについて、フィールドワークを通して具体的に見た著作である。
本書の存在を、中国産業発展研究での共同研究者であった慶應義塾大学の駒形教授に教えてもらった。それというのも、ブログですでに感想文を披露した梁鴻著で、出稼ぎ労働で荒廃している河南省の農村部の実態を読み、中国の農村部の産業展開を、より詳しく知りたくなり、かつて院生時代に天津郊外の農村部の郷鎮企業についての実態調査研究を行い、興味深い修士論文を駒形教授が書いていたことを思い出した。そこで、最近の中国農村部での産業動向を知りたいと伝え、教示してもらったのが本書である。
まさに、本書は、梁鴻著とは一対の関係にある著作であった。中国内陸部から出稼ぎ労働者、農民工を大量に受け入れながら発展している沿海部農村が、本書の舞台となっている雁田村であった。ただし、受け入れている農民工の出自は、河南省ではなく、中国のより西部の内陸部の諸省からのようである。この雁田村の主要産業は、外資系企業の「三来一補」(18・19ページ)形態による進出を出発点としている。また、進出外資系企業の出資者は、当初は圧倒的に雁田村出身の香港在住の華僑であったようである。この当地域出身者を中心とした香港系外資そして台湾系外資と日系企業等が、雁田村への主要な投資者であり、それらが出資する外資系企業を中心とした産業発展が描かれている。そして、当初は雁田村の農民自身が工員として外資系企業に雇用されたとのことであるが、あっという間に労働力不足になり、圧倒的な部分が外来の農民工によって担われ、地元農民は、外資系工場の工員としてはほとんどは意味をなさなくなったことが紹介されている。
同時に、行政村である雁田村は、集団として土地や工場の賃貸しに乗り出し、大きな収益を上げ、当該村の元来の住民、すなわち村の戸籍を保有している旧農民に広くその収益を分配しているとのことである。その上で、旧来からの住民の中にも、自ら住宅賃貸し等に進出し、大きな収益を個人的に実現している人々も多く生まれてきていることが示される。この個人的な資産運用ともいうべき点で、旧来の村民の間にも大きな所得格差が生じていることも示される。
大きくみると、雁田村に現在住んでいる中国人の間で言うならば、まずは村からの配当に恵まれている戸籍保有の3,489人(2008年末、18ページ)の村民と巨大な農民工層(2008年で8万人(18ページ)であり、最大期には15万人(256ページ)に達したと書かれている)との間に、大きな所得格差があると言える。同時に、旧来の村民の間にも、所得格差は大きく、資産運用に成功した村民の富は突出していることも紹介されている。
さらに中国の他の農村地域での工業発展との対比で注目すべきは、雁田村の製造業企業に関して、雁田村の起業家によるものが見えてこないことである。それだけではなく、当初は中国系企業の存在一般も見えてこない。工業発展の中心は、調査時点まで一貫して外資系企業中心(1990年代半ばには400社とピークで、2011年末でも180社(19ページ))である、と言うのが、雁田村の産業発展についての本書の叙述から汲みとれることである。主要な低賃金労働力は、外来の農民工であり、雁田村の元々の住民は、農業もやめ、されど、工業企業を起業することもなく、住宅等の賃貸しを主たる業務としているように描かれている。
たとえば、まとめの第九章で、「近年、外資系企業数が減少するなか、村は自ら営むいくつかの企業の育成、より多くの国内企業の誘致、そしてより積極的な不動産事業の展開を試みている」(257ページ)と述べられている。当該村の戸籍保有の村民や外来の農民工による、本格的な起業による工業企業群の形成については、本書の中で最後までその内容について触れられることは無かった。
このような農村工業の状況は、私が中国で見てきた、中国系企業家による起業を中心とした華東浙江省温州市の民営企業群(1)、あるいは華南広東省陽江市でみた輸出向け金属製品製造の地元の中国系民営企業が中心の農村工業化地域の姿(2)とは大きく異なっている。また、私が参加していた3E研究院中国中小企業発展政策研究グループの仲間が調査報告した、東莞市の調査対象工業企業の中に、中国系民営企業の起業による企業も存在しているが、それとも異なった状況といえる。なお、上記の調査の対象企業として、雁田村の事例としては同村へ工場進出した香港出自の企業、茂森精芸金属の事例のみが紹介されている(1)。
なお、2012年に原著が出版されており、本書の元となっている現地調査が行われた最後は、2011年である。統計的にも2012年の数字が本書の中では最新となる。
この雁田村のすがたを、中国産業発展を議論する上で、どのようなものとして位置付けることができるのであろうか。
*中国産業発展において占めた位置の視点から
私自身は、2000年から本格的な中国での現地産業企業調査を行ってきた。その最初の調査対象が同年夏の浙江省紹興と温州の工業中小企業とその製品のための卸売市場であった。いずれも国内市場向けに、現地企業が多数形成され、産業発展を遂げている最中の華東の工業企業であり工業地域であった。それらの企業について出自で見ると、紹興では各レベルの郷鎮や村落が創設した本来的な郷鎮企業が民営化しつつあるのが中心と言える状況にあったのに対し、温州では紅い帽子をかぶっていた隠れ民営企業が、帽子を脱いで本来の民営企業としての姿を表面化させ本格的に拡大し始めたところ、といった違いはあった。が、いずれも、中国系企業の中小企業としての簇生し、それらの発展を中心とした産業集積地域であった。
それに対して、本書で取り上げられている農村地域の工業形成は、香港系の華僑の進出を中心とした、海外市場向けの外資系工業企業の工場建設投資の結果として生まれたものである。担い手は、当該地域出身の香港在住者ではあるとしてもあくまでも香港系外資であり、あるいはそれに触発された台湾系や日系企業という外資である。また三来一補と表現されているように、外資が材料等を持ち込み、地元の他企業とのつながりをあまり持たず、輸出市場向けに組立等の特定の機能のみを、この地域の工場に担わせているのであり、産業集積地域としての一定の特徴づけ、何らかの集積の経済性を持っているようには描かれていない。
この点でも、産業集積としての集積の経済性を発揮していると見ることができる紹興や温州の産業とは大きく異なっている。雁田村では、1980年代初めから地元出身の香港在住の企業家の投資を積極的に受け入れ、外資系企業群による農村工業化を実現している。当初は地元農民が工場労働者化して、外資系企業のニーズに応じていたが、瞬く間にその数は足りなくなり、先に見たように戸籍人口の数十倍もの外来農民工を受け入れ、その労働力供給で外資系企業の工場労働者需要を充足したのである。そのような農村地域での工業発展のあり方は、2010年に至るまで、基本的なあり方としてはほとんど変化なく、ただ工場の絶対数や外来労働力人口の大きな増減の変化のみが生じたと、地域産業の視点からは見ることができる。
紹興や温州のような地元資本企業の創業による国内市場向けの工業形成ではなく、あくまでも外資系企業への豊富な低賃金労働力供給の場となることで、雁田村の工業化は進展した。それは、30年間にわたり、大きくその状況を変えることがなかったというのが、本書で描かれている雁田村の姿である。さらに言えば、当該村の戸籍住民は、その結果として、集団としての土地貸し業と個人的な住宅賃貸業への進出が可能となり、大いに繁栄した。豊かな農村生活を、農業から離れることで実現したことになる。所得面で恵まれただけではなく、戸籍人口であることで村の工場用地等の賃貸し業等での集団経営の成果を生かし、教育や医療面でも、梁鴻著で描かれた河南省の農村とは大きく異なり、都市に負けない生活環境を実現したことが、本書で描かれている。
しかし、このような状況を見ると、本書の舞台である雁田村は、産業発展地域として、2010年には、従来の方向での発展のほぼ限界にきていたと言えるのではないかと推察される。すなわち、一方で、農民工の賃金は上昇しているだけではなく、不足化傾向が顕著であり、豊富な低賃金労働力を求める企業、たとえば富士康のように深圳での工場拡大が限界にきた中で、豊富な労働力の供給源により近い河南省鄭州市へと進出したり、あるいは東南アジア諸国へ立地展開したりする動きが顕著である。遠来の豊富な低賃金の外来農民工に依存する外資系大規模工場を、珠江デルタ地域、その中でも深圳市に近接するような雁田村に誘致することは、労働力確保困難と土地不足との双方で困難になってきている。
他方で、すでに中国国内各地では、旧来工業やICT産業等の新分野を含め、多くの分野で自立的に発展する産業企業の形成を実現している。その中で、本書の対象地域は、2010年代にはいって、豊富な低賃金労働力のみを求めるような外資系企業への依存が工場数、雇用労働力数の大幅減という形で限界にきたことを自覚するに至り、それとは異なる道を模索しようとしている。2010年までには、中国国内に多様な産業基盤が中国系企業や中国国内市場志向の外資系企業によって形成されている。しかし、これら企業の地域内簇生は、雁田村では全く生じていないようである。内発的な中小企業簇生状況にない雁田村としては、その選択肢は限定的なものとならざるを得ない。
残されている選択肢は、深圳市や東莞市内で独自に発展してきている中国国内外市場向けの新興企業群への近接立地を生かした関連産業企業工場の誘致を行うことのみであろう。これ以外に何か存在するのであろうか。あらためて村の集団や戸籍住民が小商いを超えた産業企業を創業することができるのであろうか。ある意味外資に依存して豊かになることができてしまった雁田村の戸籍村民にとって、その豊かさを維持しながら成果を上げることができるような新たな事業展開が自生的に可能なのであろうか。私には、非常に疑問に思える。
深圳市に近接するという立地ゆえに外資系企業の進出し豊かさを実現した地域の住民が、これから改めて始める新規参入の企業群が、自らが域外市場での競争を通して豊かさを実現してきた地域の既存中国系企業群と、後発企業でありながら競争可能となる存在になることができるのであろうか。例外的には存在可能かもしれないが、数千人の戸籍村民の規模でさえ、それらが依存し得るような一定規模の企業群を形成することは、ほとんど不可能であろう。ましてや農民工として当地に来、定着している新莞人と言われる人までも、それなりに豊かにすることを可能する企業群をこれから作り上げることなど、ほぼ不可能であろう。
そうなると、地域として可能なことは、あくまでも、雁田村の地理的立地上の特性を活かし、深圳市内や東莞市内で生まれ、依然として両市に近接立地することが必要な産業企業の拡大の際の工場立地の受け皿として、地域外資本企業の工場立地に依存することということになる。これこそ有効な地域発展ないしは地域繁栄維持の道といえそうである。この点は、本書の最後に書かれている雁田村の幹部の話、「製造業を先細りにし、雁田村経済のサービス化を図ることなどできない」ということ、「彼らは中国の私営企業の誘致に重点的に取り組んできた」(265ページ)ということは、まさに妥当な選択といえよう。
しかし、同時にこのことは、雁田村の事例を通しては、中国産業発展の現状を見ることは不可能である、ということを示唆していることになる。新たな中国国内での産業発展は、多くの農村工業の転態をも通して見ることが可能であるが、雁田村はその対象外にあるということになる。すなわち、中国産業発展の見地から、中国農村工業の積極的展開に注目するとき、梁鴻著の河南省の村も、本書も、直接それを議論するためには、参考にならない、ということになる。
中国他地域との競合の視点から
深圳市の新産業集積との近接性を活かし、その周辺地域として企業工場誘致を行うこと、これが雁田村の今後の主要課題であろう。そうなると、次は、供給するに十分な広さの土地の存在とともに、十分なそれなりの水準の相対的に低賃金である豊富な労働力の供給となろう。土地と労働力をめぐって、同様に深圳市の産業集積に近接する諸地域、諸農村部と競合していることになる。まずは深圳市を中心とする産業集積が、グローバル市場で優位になり、一層発展すること、これが第1の前提条件であろう。その上で、深圳市周辺地域の一部として、雁田村は他の周辺農村部の村々と競合していることになる。
いわば、改革開放初期に、香港からの外資を誘致するのに有効だった同郷人のネットワークのように、深圳市に進出あるいは創業立地している企業群の工場進出を引きつけるコネクションの存在も重要であろう。しかし、現時点となると、深圳市の企業群は多様であり、かつ激しく競争している企業群である。それらの企業の工場立地を当該村に引きつけるには、企業経営上での合理的な選択理由こそ重要となろう。それが、本書を通しては見えてこない。そもそもの交通インフラ上、深圳市と東莞市の中心地との中間にあるという物流上の優位は存在する。しかし、それ以上の叙述はない。農民工として当地に近年やってきた新莞人と呼ばれている人々の、村での地位が大きく変わったわけではない。また工場用地の不足も、当地に工場立地していた日系シナノケンシの安徽省での新工場建設を例に紹介している(265ページ)。行き詰まり状態をどうやって克服するのであろうか。あるいは、ある程度の外資系工場の集積状況の存続に安住するのであろうか。本書の叙述の限りでは、ほとんど見えてこない。
注
(1) 日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業報告書(別冊)「中国中小企業発展政策研究」−企業訪問インタビューノート−』同所、2004年2月 を参照。
(2) 渡辺幸男「華南のステンレス製食器産地からの示唆 ―華南調査ノート―」(丸川知雄編『中国の産業集積の探求』(現代中国研究拠点、研究シリーズ4号、東京大学社会科学研究所、2009年3月)第5章)を参照。
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