駒形哲哉「中国・シェア自転車の「ジェットコースター的」展開
―変わる競争の方向と当面の展望―」
(日中経協ジャーナル、2020年3月号) を読んで
渡辺幸男
構成
はじめに
シェア自転車サービスの急拡大
自転車業界の急旋回とジェットコースター的急降下
自転車業界の混乱とシェア事業者トップ2の『退場』
それでも終わらない中国のシェア自転車
変わる競争の方向
おわりに
中国でのシェア自転車という本格的な新産業の形成・開始から5年、多数の新規参入そして激しい市場競争の結果、新規の当該サービス産業の再生産に向けての着地点が見えてきた。この点を描いたのが、駒形哲哉氏によるこの論文である。本論文では、その時点以降を「「バブル終幕」以降」(24ページ)と表現している。それゆえ、本論文は、「「バブル終幕」以降」の時点での、中国におけるシェア自転車産業という新しいサービス産業形成発展過程についての反省的考察と言える。
本論文で、まず描かれることは、中国のシェア自転車産業が、産業形成当初より極めて競争的であり、多くの企業が参入したが、その多くの企業が消滅しただけではなく、当初積極的に投資し、一時他社を圧倒し複占的地位を得た主要2社、ofoとモバイクそのものも、5年後の今、自立した企業としてはともに消滅している、という極めて衝撃的かつ象徴的な事実の確認である。この理由として、両者とも、ビジネスとして収益を上げ企業再生産が可能となる経営モデルを構築できないまま、覇権獲得のための消耗戦で燃え尽きたとみている。ただ、シェア自転車産業それ自体は、現在でも産業そのものとしては、市場自体としては消滅していないで、一定の意味のある産業規模を維持している。このような新市場の形成経過ゆえに、結果、それら参入企業により集められ、投入された大量の資金と資金が投下された自転車の多くが、泡と消えた。同時に、そのような浮き沈みの激しかった新産業にも産業として定着する着地点が存在し、そこに今到達しつつある、ということ、そしてその到達点の姿を素描するのが本論文の内容でもある。
5年間という新産業形成とその一定の定着にかけられた時間、それが妥当なものかどうか、またそこに投下され浪費されたと思われる多額の資金の意義はなんだったのか、それ自体は本論文では検討されてはいない。しかし、そのような個別企業的には浮き沈みの激しい新産業でも、産業それ自体としては定着可能であることを、本論文は具体的に紹介している。赤字覚悟の新市場獲得競争も、中国でさえ5年も経てば終焉を迎え、採算ベースに乗るような方向で価格の引き上げが生じ始め、より大きな産業主体の中に組み込まれ、社会のインフラの一部を形成する産業として定着しつつある。5年間という時間は、狂想曲ともいうべき産業展開を示した産業を、新たな社会インフラとして定着させることが、中国でも可能なことが示されている。
その着地点とは、1つは、IT産業の巨大企業に主導される大きな産業の一部として、当該の運輸サービス産業企業の提供するサービス事業が組み込まれるということである。今ひとつ本論文で示されていることは、この無秩序と見えた競争過程を通して、産業としてのあり方、社会インフラの一部を担う者として産業的あり方が、法整備も含め、中国でも整えられ、事後的にではあるが、社会的生活に安定的に組み込まれ、社会的基盤の上に立った安定した再生産の可能性を持った産業へと転進することができそうなことである。これまでも、中国での新産業形成や産業急拡大の際に生じた、産業の形成拡大を制度が後追いし、最終的には社会的に安定的な制度下での産業へと、新産業や急拡大産業が組み込まれるという姿が、非常に過激な形でではあるが、ここでも生じたと言える。
現在の新産業としての着地点が、社会合理的な着地点といえるか。また、社会に合理的なものとみなされる費用の範囲内での着地といえるか。依然として、より社会合理的な着地点に、より低コストで到達することができたのではないか、という疑問が残る。このような疑問に対し、どう答えることができるのであろうか。これらは、残された課題であろう。
このシェア自転車産業形成でのアナーキーとも言える競争は、多様な多数の参入と莫大な消耗的資金の投入による激しい生き残り競争、このような本格的な自由競争は、豊富な資金的な環境も含めた市場環境と巨大な市場の大きさを持つ中国経済だからこそ生じた競争であり、それゆえ到達できた着地点であると言える。このことを、中国経済の今後を考える上で、そして世界経済での新産業形成の可能性の中での中国経済の意味を考える上で、どう評価するべきあろうか。新産業形成の実験場としての中国経済の優位性を示すものと見ることもできよう。
実際に、激しい参入により中国の(潜在的に)巨大なシェア自転車市場の陣取り合戦が行われ、多大な資金が投入され、無数と言っていいくらいの自転車の投入と廃棄が生じ、結果、当初の参入資本企業群は全滅した。いろいろな独自性をもたせながら、各企業によって覇権を握るために投入された自転車は、一億台の大台を超えたのではないか。しかし、当初進出した企業は、自らの拡大再生産を5年以上維持できなかった。ただ、産業としては残り、買収等を経て当初からの資本企業は、制度化された市場の中でそれなりに再生した。これが中国シェア自転車産業の着地点である。これを多様な視点から評価することが、この事例研究を活かすことにつながるであろう。例えば、中国でのITがらみの新産業形成の過程と、その結果を見るための指標的産業として、シェア自転車産業を位置付けることも可能であろう。本論文は、現在の中国での新産業形成に関わる多様な議論の出発点を提示した論文ということもできよう。
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