2020年12月29日火曜日

12月29日 真冬を前にしたエントランスと花々

 植木屋さんがはいりました。
エントランスのモミジはほぼ葉を落とし、
周りの常緑樹が綺麗に刈り込まれ、
灯籠がよく見え、目立つようになりました。

エントランスに移動した
冬の花、
西洋桜草は、ようやく花を開き始めました。
ただ、まだほんのちらほら、
に過ぎませんが。

桜草には蕾がたくさんつき始めているので、
これからが楽しみです。

クリスマスローズの花はまだ開きませんが、
蕾がつき始め、かなり大きくなったのもあります。
今年も、かなりの数、花が咲きそうです。

軒下に集めた、
ゼラニウムとサルビア、それに紫紺野牡丹、
先週の初霜を耐え、
まだ、元気に咲いています。
この年末年始の数年に一度の寒さ、
軒下のサルビアは、耐え切れないでしょうが、
ゼラニウムと野牡丹は・・・
まだ、花をつけ続けることを期待しているのですが。

写真の奥の方に見えるお隣との境の塀においた西洋桜草、
葉の勢いは良いので、
いずれ多くの花をつけてくれることでしょう。
楽しみです。



2020年12月8日火曜日

12月8日 初冬のエントランス サルビアと冬の花々の準備

 立冬が過ぎ、
二宮の我が家にも、
霜の降る本格的な冬が、すぐそこに。
エントランスの灯籠の前のモミジも本格的に色づいてきました。

門の前のサルビアの鉢、
霜の降りる直前、精一杯、咲き誇っています。

庭で、今年の秋、種からの芽生を苗として育ててきた
西洋桜草、マラコイデスの鉢が、
いよいよ花芽をつけてきました。
今年も真冬のエントランスで、賑やかに花をつけてくれそうです。

秋のエントランスを飾ってくれたゼラニウム、
軒下に密着して並べました。
冬をなんとか無事越せると嬉しいです。
今はまだ花も沢山ついており、
色とりどり、賑やかです。
ゼラニウムの手前には、
やはり、昨年の種からの芽生えを育て、
花芽をつけ始めたノースポールとマラコイデスを
並べてみました。

エントランスの階段の手すりの下には、
クリスマスローズ、
今年も賑やかに花をつけてくれそうです。
数年かけて育てた苗が、それぞれ大きくなり、
冬の楽しみを増やしてくれそうです。

真冬に向け、
我が家のエントランス、
ようやく冬の準備が、ほぼ完了。
ただ、君子蘭は、もう一段寒くなるまで軒下で耐えさせ、
寒さを実感させ、花芽をつけさせる。
ということで、
まだ家の中に入れず、エントランスの玄関脇に置かれたままです。
来週早々には、お向かいの家の屋根に霜が降りそうなので、
その時、エントランスの冬支度が完了です。

2020年11月17日火曜日

11月17日19日21日 櫨の木の紅葉、そして短い命

 晩秋、ハゼの紅葉
我が家の庭の櫨の木、
秋の蒼空のもと、真っ赤に色づきました。

この季節、庭での楽しみの第一、
櫨の木の紅葉
下の葉から紅葉し、
葉が落ちることなく、一番上まで到達しました。

松など、周りの木は緑が濃く、
白木蓮の黄葉もまだ始まったばかり、
ハゼが目立ちます。
この角度で庭のハゼを仰ぎ見るのが、

我が家の庭が、最も鬱蒼と見える位置です。

 向こう側の隣の家も見えず、住宅地の一角とは思えない構図です。

19日のハゼ、一層、朱色に染まり
空の秋の雲、
手前に、陽に光る蜘蛛の糸、
ますます、ハゼが、我が家の庭で輝いてみえます。


そして、金曜日の、激しい南風、
ハゼの紅葉は、終わりました。
蒼空に、残ったハゼの紅葉より、枝が目立つことになりました。


2020年10月19日月曜日

10月19日 夜明けのサルビア

 

我が家の庭のサルビア、
秋が深まり、ますます朱色が深まってきています。
3枚の写真は、今日の日の出の時間の写真、
ただ、今日は曇り、陽が当たらない中での夜明け、
特に朱色と緑のコントラストが綺麗でした。

この時間帯、サルビアの朱色が最も素晴らしい時、
花柄摘みを多少なりとも行い、
朱色が、さらに鮮やかになっています。

まだ、10月後半が始まったばかり、
我が家のあたりで、霜が本格的に降りるには、あと2ヶ月、
2ヶ月は十分楽しめそうです。






2020年10月13日火曜日

10月17日 小論 私の中小企業研究「社会的分業と中小企業」

 私の中小企業研究「社会的分業と中小企業」

 20201010日と11日の両日に、日本中小企業学会第40回全国大会が、駒澤大学の長山宗広教授を準備委員長にオンライン開催されました。その際、11日の統一論題報告が40回記念として企画された中で、私は「社会的分業と中小企業」というタイトルで報告の1つを担当しました。以下の文章は、その内容として、前もって座長宛に送付したものです。

私がこれまで考え行なってきた中小企業研究、実態調査研究の成果の中から、最も中核的な部分である山脈構造型社会的分業構造という概念図について、それを導き出した経緯と、私自身が考えるその意味をまとめたものです。中小企業学会会員以外を含め、関心があるより幅広い方々に、もしおられればですが、見ていただきたいと考え、改めて当ブログに掲載することを考え、全国大会事務局から許可をえ、ブログにアップした次第です。

報告そのものでは、オンラインとはいえ、30分間という長時間、実際は時間超過し35分間喋ってしまったのですが、長い時間しゃべり続けて、声が少し変わってしまいました。大学で講義を担当していた時には、90分間マイクなしに100名以上の学生を対象に喋っていて、なんら問題が生じなかったのですが。それは昔々のこととなったことを痛感した次第です。定年退職が20133月、もう7年以上経ちます。その間、講義めいたことは全くせず、大学院の演習で多少しゃべりましたが、それからもだいぶ経ち、近頃は、コロナ禍もあり家に籠り、妻との多少の会話が中心の毎日です。喉は大きく変わった、と痛感した次第です。

なお、本稿は、学会論集に投稿予定の原稿そのものではなく、統一論題で大会当日報告した内容で見ると、その3分の2から半分に留まる縮刷版です。また、最初の投稿日は10月13日となっていますが、図の掲載に失敗したため、17日に完成稿をアップしました。そのため、タイトルは17日となっています。

 

【統一論題報告】

 社会的分業構造と中小企業

渡辺幸男

 本報告では、私のこれまでの研究方法を簡単に述べ、その具体的事例として、日本の機械工業の社会的分業構造としての山脈型社会的分業構造図に至った経過を紹介したい。

1、私の中小企業研究の方法

① 私の中小企業研究の方法は、マルクス経済学の経済理論の基本的枠組みを踏まえ、実態把握を論理的理解へと昇華させる方法といえる。すなわち、マルクス経済学の経済理論での(国民経済の下での)市場と諸資本の競争という枠組みから、中小企業を中心に産業そしてそのダイナミズムを見ていくという方法である。

市場と諸資本の競争を、それぞれの国民経済の制度的・歴史的環境を背景に考察し、各国経済について、中小企業を中心において、各産業のあり方とその発展を考察する方法とも言える。中小企業からの視点を軸にし、裾野産業・基盤産業等を重視し、それをも通して産業を理解し、産業発展を理解する方法の有効性、必要性から、このような方法を採用した。

②  私の研究対象となる中小企業は、多数で多様な中小企業層の全体であり、多数・多様な中小企業群による模索の重要性を認識し、重視している。それゆえ、層としての中小企業に着目し、産業のダイナミズムを考える方法とも言える。特定のタイプの中小企業、例えば、中小企業全般ではなくベンチャー等にのみ注目するといった研究方法ではない。

③  さらに、自らの目で見、足で稼いだ「実態」について、自ら把握したことに基づき、それを論理的に整理したものにより、既存の議論を批判的に検討するという方法でもある。自身としては、「ただもの論(唯物論)」と自称している方法である。まずは、機械工業零細企業の存立論理でこのような方法を試み、それを、戦後日本の機械工業を中心とした下請系列取引関係についての理解に応用し、次いで、日本の機械工業の社会的分業構造の理解に適用した。その結果、日本の機械工業の社会的分業構造を山脈構造型社会的分業構造として把握する議論となった。それが、拙著『日本機械工業の社会的分業構造』(有斐閣、1997年)として結実した。

 

2、私の研究事例  「(日本の)機械工業の社会的分業構造の理解」

①  日本の機械工業の社会的分業構造を、私は、「中小企業の存立する市場と競争相手」の視点から理解するように努めた。すなわち、それまでの多くの研究が依拠していたような、特定の完成品機械分野の大企業にとっての下請分業構造の一部として、中小企業群を見るのではなく、まずは、中小企業それ自体の存立実態が、具体的にどのようなものであるかを見ることから始めた。その結果、「機械工業」では、機械金属工業の製品が多様なだけではなく、素材生産から部材生産そして完成品生産に至る川上から川下まで、その流れが錯綜しており、完成機械ごとに社会的分業を括れるような形で、機械工業の社会的分業は存在していないということが確認された。これこそ、実態を通して、その存在から確認したことの第一の点と言える。

②  この状況は、完成機械分野ごとにみていた旧来のピラミッド型の社会的分業構造概念図では説明不能ないしは表現不能なことである。ピラミッド型として表現することで、社会的分業を担う(中小)企業の存立の場(市場)とそれぞれの競争相手について誤解が生じる可能性が大きくなる。たとえば、特定の機械製品用の完成部品をもっぱら(企画開発し)生産供給する企業については、当該完成品機械分野と一体化したものとして把握しても、誤解を招くことは生じない。しかし、多様な製品に供給可能な、特定加工に専門化しているような(中小)企業については、特定機械分野にのみ繋がっているかのように表現することは、その存立する市場と競争相手について実態とズレることになり、誤解を生じる可能性が強いことになる。

実態を踏まえ、錯綜した取引関係の存在を表現しようとするならば、誰が誰と競争しているかを論理的に提示することが可能な概念図が必要となる。それこそ、私が提起した山脈構造型社会的分業構造概念図であった。

 

3、ピラミッド型社会的分業構造概念図と山脈構造型社会的分業構造概念図

①  いわゆるピラミッド構造型の社会的分業構造図について、実態を踏まえた詳細な図の典型的な事例としては、以下のような図がある。これは、特定完成品機械大企業(分野)を核に、当該完成品機械が生産されるための社会的分業構造を表現した図で、『昭和53年版中小企業白書』に掲載されていた。そこでのサプライヤー層の調査は、極めて綿密かつ丁寧に行われ、精度の高いものとなっている。


  図 昭和53年版白書における自動車産業の社会的分業構造図

出所:中小企業庁編『昭和53年版中小企業白書』(1978年)168169ページ

 

この『白書』の本文では、本図は以下のように説明されている。「自動車(乗用車)工業を・・・みると、下請企業が親企業と相互依存の関係を持ちながら緊密にかつ多層の協力関係を形成していることが示されている。すなわち、親企業1社の下に一次下請171事業所、二次下請延べ5,437事業所及び三次下請延べ41,703事業所が分業体制を構成している。・・・このように自動車工業における分業構造は網目状の様相を呈している」(同書、167ページ)

 A社の(社会的)分業構造として、完成車メーカーからの視点により、完成車生産に至る階層的な社会的分業構造が描かれている。それゆえ、他の完成機械等の分野とのつながりの存在や可能性は全く言及されておらず、階層的な社会的分業構造全体が乗用車工業(それもA社1社)に包摂された形で描かれている。そこでは、2次や3次の下請(中小)企業の多くについて、特定加工への専門化している姿が明示的に描かれている。しかしながら、それらの特定加工専門化(中小)企業が乗用車工業以外の産業企業との取引を保有している、あるいは取引可能であるという機械金属工業の基盤産業的認識は示されていない。乗用車工業の中にあくまでも包摂されている存在として示されている。乗用車という完成品生産単位で、特定加工専門化企業群も存在しているかのように描かれ、そのように認識されても仕方がない形の図でもって描かれている。

 これは、基本的に最終完成品を生産する巨大完成品機械メーカーの側からのみ社会的分業構造を見ていることから、このように見えてしまうことがほぼ必然的に生じてしまうとも言える。世界最大の単品巨大市場である乗用車生産企業からみれば、全ては乗用車に向かっている川上工程ということになり、乗用車のため(だけ)に加工専門化(中小)企業も存在すると、認識されてもおかしくないし、それを反映した図とも言える。

 実際、私自身、当初は(実態調査を本格的に行い、多様な製品分野とつながりを持つ小零細企業層の存在を知るまでは)、このような社会的分業構造として、機械工業各製品分野の社会的分業構造を認識していた。

② このピラミッド構造型の社会的分業構造図に対し、実態調査を行うことにより、根本的な疑問が生じたのである。特定加工専門化小零細企業群についての自らの実態調査を踏まえ、これら上記の図に描かれている特定加工専門化(中小零細)企業にとっての「市場と競争相手」を見るならば、当該(中小零細)企業が専門化している加工をおこなっている企業群全体が競争相手であり、市場は、完成品単位で存在するのではなく、当該企業が専門化した加工ごとに存在していることが見えてきた。

機械金属工業の種々なる完成品の生産の中で必要とされる特定加工専門化企業群、特に種々の機械加工に専門化した(中小)事業所(企業)が、業種分類上の恣意的な分類事情によって、特定完成品のみの社会的分業構造の階層の中下層を形成するかのように示されているのが、ピラミッド型社会的分業構造把握である。また、これは機械加工専門化事業所(企業)が専ら業種分類上の恣意的な理由により、特定加工に専門化していることではなく、最も多くを受託している特定製品の業種に分類され、完成品機械ごとに業種分類されることによると認識される。同時に、機械金属製品向けにプレス加工部品を供給したりメッキ加工を行っている事業所(企業)は、どのような製品向けが主力であるかは関係なく、専門化している加工で業種分類されてしまうことになる。先の白書の図で2次や3次で特定加工に専門化してる事業所のうち、プレス加工等に専門化している事業所は、乗用車向けだけの生産に特化していても、業種分類上は、自動車部品の細分類業種どころか機械工業関連の中分類業種に分類されることなく、中分類24の金属製品製造業に分類され、機械工業分野の1つとしての自動車生産に特化していることは、業種分類上では完全に無視されることになる

それゆえ、専門化と市場と競争の関係を、改めて概念図化して示す必要が生じた。そこから私のいう山脈構造型社会的分業構造概念図が生まれたのである。これによって、これまで底辺産業として、あるいは基盤産業として言われてきた小零細企業群が、何故、一国経済の機械金属工業全体にとっての「底辺」であり「基盤」であるのかも、より明らかにされた。これに、多様な取引関係のあり方が加わったのが、下に示した私の最終的な概念図となる。

 

出所:拙著『日本機械工業の社会的分業構造』有斐閣、1997年、159ページ

 

 この図で言わんとしていることの1つは、機械工業の各製品生産分野さらには特定完成品向けの完成部品生産分野は、それぞれ自立した産業分野を形成している。しかし、同時に、汎用部品生産企業群や特定加工専門化企業群については、機械工業さらには機械金属工業全体によって共同利用されている、ということである。それゆえ、特定加工専門化企業は、自企業が主として関わっている特定完成品機械向けの同様の専門加工企業と競争しているだけではなく、他の製品向けの同様な加工に専門化している企業とも競争している。また、特定加工専門化企業の多くは、特定製品の部品等の部分加工を行うだけではなく、多様な製品向けの部品について同様な加工を受託加工している。さらには、需要の変化に応じて、業務内容を大きく変えることなく、全く異なる機械向けの生産に従事することが可能である。工業統計表等の業種別集計では、このような行動は中分類ないしは小分類業種レベルでの特定加工専門化事業所(企業)の業種転換として表現されてしまうことも多い。しかし、この場合の業種転換は、主要取引先が変わり、その取引先が生産する完成機械としての製品が大きく変わっただけで、特定加工専門化事業所(企業)の業務内容はほとんど変化していないことになる。この点をも表現した概念図なのである。

 他方、同じ特定加工の専門化し、完成機械メーカーないしは完成機械部品メーカーから特定加工を受託している事業所(企業)であっても、機械加工ではなく、プレス加工やメッキ加工に専門化している事業所(企業)は、先にも触れたように、業種分類上での扱いが全く異なっている。これらの事業所(企業)は、もともと専門化している加工に従って業種分類され、主として携わっている部品がどの完成機械に使用されるかによっては業種上は分類されない。そのため、こちらの側は、業種分類別でのカウントでは、当該事業所がたとえ特定完成機械関連の部品加工に専門化していても、当該完成品の属する業種に属する事業所としてカウントされないことになる。また、受注先企業の主要製品が大きく変化しても、当該加工専門化事業所(企業)の業種分類には、全く変化がない。

例えば、自動車部品だけのプレス加工あるいはメッキ加工に専門化している事業所(企業)は、他の完成機械がらみの加工を行っていなくとも、自動車部品の機械加工に専門化している企業が分類される「3113自動車部分品・附属品製造業」には分類されない。そうではなく、中分類業種も異なる「2451アルミニウム・同合金プレス製品製造業」や「2452金属プレス製品製造業(アルミニウム・同合金を除く)」、また「2464電気めっき業(表面処理鋼材製造業を除く)」といった細分類業種に分類され、どのような製品の部品を加工しているかについては、業種分類に全く反映されない。

 上記の山脈構造型社会的分業概念図は、まさに、1990年代半ばの私のパソコンでの図形作成能力の限界が露呈している図であるが、この図で言いたいことの主要な点の一方は、上記のことである。

 

4 結論

 実態調査を通して得た具体的な存立形態の情報を論理的に整理し、それを踏まえ既存の機械工業での社会的分業についての概念図を書き直すことで、機械工業の基本的なあり方についての認識を、より正確に把握することが、あるいは実態を知らない人が、図を見て誤解した理解に陥ることを避けることが可能となった。このように言えよう。

 

付論1 

 また、このような理解を通して、改革開放後の中国の産業発展を見た時、その潜在的可能性を理解することができた。すなわち、機械工業の基盤的部分が、技術的には遅れているが、すでに幅広く自生的に存在し、それを活用することで、中国での新市場の発掘に長けた起業家による新規創業企業が、自らが発見し開拓しようとする中国市場にとっては新製品である市場に容易に参入可能である理由を理解することが可能となった。

 中国では、個別の企業の技術水準は、同時代の日本の特定加工専門化企業群と大きく異なっていたが、機械金属工業にとっての基盤をなす特定加工専門化企業群が、多様に多数存在し、相互に競争していた。それゆえ、完成機械や完成部品について、独自の市場を開拓しようとする起業家にとって、自らの企画する製品を具体化するための要素技術を、国内で安価に入手することができたのである。これが、ある時代までは、改革開放下における中国の機械工業発展を容易にしたものといえる。このような発見を中国での調査を通して実現できたのも、上記のような機械金属工業の社会的分業構造についての理解を、日本での実態調査を通じて得ていたことによると言える。

 

付論2

 山脈型社会的分業構造図には、上記の企業(事業所)の専門化の表現を主内容とする社会的分業それ自体についてとともに、今1つ、下請(系列)取引関係等の企業間の取引関係を表現する内容が含まれている。今回の港氏の報告と重なる部分についての、私の理解を表現するものでもある。それについては、私の報告に与えられた時間の関係もあり、本日は、全面的に割愛することにした。

 今回の大会が、当初の予定のように、駒澤大学で開催されたのであれば、各自の報告の後で、報告者等による討論が予定されていた。そこで可能あれば触れるつもりであった。が、残念ながら、その機会がなくなり、港氏と私の学会での論争の続編を展開することは不可能となった。

2020年9月29日火曜日

9月29日 サルビアの季節到来

 猛暑の夏が過ぎ、秋の長雨がようやく終わり、
本格的な秋がやってきました。
サルビア、夏の間、花の鮮やかさに欠けていたサルビア、
一気に、朱色を増してきました。

我が家の庭への春到来、霜の季節の終了とともに、
テラスのプランタから外植えにしたサルビア。
冬を無事越した苗を、庭に路地植え、
夏にかけて、大きく育ちましたが、
朱色の花は今ひとつでした。
ようやく、秋のサルビアの季節が、巡ってきました。

サルビアの向こう側には、
グリーンパラソルが、今年も繁っています。
毎年、冬の間は、葉を刈り取り、ポリ袋をかぶせ、
霜を避け、冬越しをしています。
夏の我が家の庭を賑やかにしています。

今年も、これからサルビアの苗の冬越しの準備が始まります。

2020年8月25日火曜日

8月25日 庭の百日紅と芙蓉、池の鯉

 盛夏の花、紫紺野牡丹の次に花盛りなったのは、
今年は紅色の百日紅でした。
下の写真は8月17日、
1週間前の写真です。今は実が目立ち始めています。

例年、いち早く咲く、我が家の白いサルスベリですが、
今年は、紅色に遅れ、
今日の段階で、ようやくこれからと言った所です。

今真っ盛りなのは、池の端の芙蓉です。
毎日、賑やかに華やかに、
1日花が次から次へと咲いています。

別の角度から見た同じ芙蓉です。
2本の木が一体になって咲いています。


今年は梅雨が続き、すぐ猛暑になったため、
庭の手入れがおろそかになり、
地面は草ぼうぼうになっています。
少し涼しくなってきたので、
これから、庭の草むしりとエントランスの花の手入れを
本格化したいと思っています。
庭の木々は、草むしりに関係なく、きれいに咲いてくれます。

池の鯉も、池の端から伸びた草むらの下で泳いでいます。

梅雨の雨の時期、そして猛暑の中では、
鯉の元気も今ひとつでしたが、
少し涼しくなり、
リフィッシュという寄生虫駆除の薬を投与したせいもあり、
また元気に泳ぎ回るようになりました。

池の周りの草、真夏は日除けの意味もあったのですが、
涼しくなった所で、これを刈り込んで、
池の鯉の元気な姿を楽しむつもりでいます。

2020年8月4日火曜日

8月4日 盛夏を迎え、咲き誇る紫紺野牡丹

本格的な夏がやってきました。
庭の紫紺野牡丹が
次から次へと毎日咲いています。

蒼空に冴え、
緑に映えています。

夏の朝日をうけ、
賑やかさが否が応でもましています。

しばらく、一日花が次から次へと咲き、
真夏の野牡丹を楽しめそうです。

2020年7月29日水曜日

7月29日 コロナワクチン開発と量産での社会的分業は「水平」?

コロナワクチンは「垂直()(社会的)分業」で開発が効率化されるのではないのか
日経記事「ワクチン開発・製造 分業 富士フィルム、原薬増産 供給体制早く」
2020729日、12版、3ページ)を読んで

 この記事の内容そのものではなく、そこで使用される表現について、極めて強い違和感を感じた。ワクチンの開発・試作を行っている企業群と量産を担当する生産受託会社との関係の図が描かれ、その図のタイトルに「コロナワクチンは「水平分業」で開発を効率化」とつけられている。また、本文で、「ワクチンは基礎研究から製剤化までを製薬会社が一貫して進めるいわゆる「垂直統合型」の代表的な医薬品だ」と述べ、その理由が記され、その後に「一方、新型コロナ向けのワクチンは開発と生産を異なる企業が担当する「水平分業型」が進む」と述べている。
 すなわち、1つの企業内で一貫して開発・試作と量産の双方を行う生産体制が「垂直統合型」であり、それらについてそれぞれ別の会社が担当する、すなわち社会的分業を行う場合が「水平分業型」というのである。相変わらずである。これまでも何度も見てきた対概念についての誤りが、ここでも繰り返されている。
 この「垂直統合型」という場合の「垂直」は、企業内あるいは企業間で分業される工程間の位置関係を示している。「垂直」とは、川上工程と川下工程との関係であり、この場合は開発・試作と量産との工程間の関係であることを示している。すなわち、ここでの「垂直」は工程関係を示し、経済学用語として、ワクチン生産での開発・試作と量産の工程的関係のみを示す概念であり、自社内で双方を行うか他企業と分業するかには全く関係がない概念である。すなわち、「垂直」的な関係にある工程をどう分業するか、すなわち企業内で分業するか社会的に企業間分業するかという意味であり、この場合は、双方とも「垂直」関係にあるといえる。少なくとも記事の「垂直統合型」という表現は、経済学用語としてこのような状況を表している。
 ちなみに、(社会的)分業に関わる経済学用語としての「水平」とは、例えば乗用車生産でのエンジンとタイヤといった完成部品間の生産についてのような、同じ次元の製品や部品間での分業概念であり、それを1社内で行えば、完成部品の「水平統合」あるいは完成品の「多角的生産」であり、他社と分業すれば、「水平(社会的)分業」となる。
 すなわち、ワクチンの開発と量産の企業間分業は、「垂直(社会的)分業」と呼ぶべきものであり、「水平」という概念を使用する理由は全くない。「垂直」関係の対概念としての「水平」という時の経済学的内容は、この記事の対概念には全く存在していないのである。あくまでも垂直的工程関係にある複数工程を同一企業内で行うか、他社と分業するかということであり、一方を「垂直統合」と呼ぶのであれば、他方を「垂直分業」と呼ぶべきなのである。
 機械工業における社会的分業論を研究対象としていた私の言葉で言えば、この記事で表現されている両者は、開発・試作と量産の「垂直的統合」とそれらの「垂直的社会的分業」ということになる。すなわち工程間の「垂直的」関係の企業内統合か企業間社会的分業かということなのである。「水平」という概念がどこから出てくるのか、「垂直」の対概念は「水平」だが。この場合は、対象となる工程関係としては、同じ垂直的関係であるから、対概念で表現されるべき理由は、全くないのであるが。
 そもそも、「垂直統合」の対概念として「水平分業」という言葉が誤用された根源は、「垂直」という概念に工程間の技術的な関係以外の要素を込めたこと、すなわち「対等ならざる」取引関係という支配従属的なものも含む下請的取引関係の意味を込めたことにあるようである。下請取引関係の場合は「垂直的」分業関係にあり、かつ「対等ならざる」取引関係であるのに対し、取引関係が、対等であるという意味を込め、「水平分業」という言葉が生まれたと、私は想像している。これは、「垂直」的取引関係に経済学的な分業上の位置関係を示すものとしてだけではなく、取引上の力関係の非対等性を含意させたことによる。
 ただ、「水平分業型」と「垂直統合型」、それぞれにカッコがついているのはなぜであろうか。経済学的な概念であれば、不要なカッコであるが。
 もしかしたら、開発・試作する製薬会社と、量産を担当する製薬会社との取引関係が、対等な取引関係である、と言いたかったのであろうか。量産する製薬会社は、開発・試作する製薬会社の「下請」ではなく、それぞれ独自の生産技術を持つ、対等な取引関係にある企業であると、言いたかったのであろうか。もしそうであれば、そのように具体的に述べればよいであろう。両者は対等な取引関係にあると。

 以上の議論とほぼ同様な内容の新聞記事批判は、私が現役の教員で工業経済論を講義しているときに、日経の記事を取り上げる形で、何回か教室で行ったと記憶している。また、だいぶ前にこのブログにも書いたような気がしている。しかし、依然として、このような叙述が行われていると、改めて批判的なコメントをしたくなった。

2020年7月28日火曜日

7月28日 盛夏が待たれる庭の紫紺野牡丹

我が家の庭に置いた、紫紺野牡丹のいくつもの鉢、
本格的に咲き始めました。
数年前から、挿し木をし、増やしてきた野牡丹、
大きく育ち、
本格的に、賑やかに咲いています。

惜しむらくは、盛夏の蒼空ではなく、
梅雨の曇り空の下での
本格的開花、
背景の緑は冴えていますが、
空は灰色、
残念です。

それでも、一日花の野牡丹の花ですが、
次から次へと咲き、
庭を賑やかに飾っています。

エントランスにも2鉢、持ってきています。
こちらも本格的に咲き始め、
エントランスの彩りに変化を与えています。

梅雨の雨に濡れた野牡丹の花も、なかなかのものでしたが、
やはり、蒼空を背景にした野牡丹の花を
早く楽しみたいものです。
あと1週間、
梅雨明けが待たれます。

2020年7月17日金曜日

7月17日 夏の花と梅雨

庭では、梅雨の花、アジサイが咲き誇っています。
この写真は、今週の火曜日のもの、
薄日が差し、アジサイが木陰で咲き誇っていました。

今日、雨の中、紫紺野牡丹が咲き始めました。
エントランスの華です。
今夏、最初に咲いたノボタン、
これから毎日、多数のノボタンが楽しめそうです。
挿し木で簡単に増やせることもあり、
我が家ののボタン、2桁の鉢となり、それらが蕾をつけて、
エントランスと庭を飾っています。

今年も、サンパラソルも咲き始めました。
雨に濡れ、真紅がより鮮やかです。
今年の花つきは、今ひとつですが、
花の色は、相変わらずで、見事で鮮やかです、

一重のベコニア・白から紅色まで、
いろいろな色のベコニアが勝手に種から育っています。
葉っぱの緑と花の赤、かなり気にいっています。
勝手に増えているのですが。

2020年6月20日土曜日

6月20日 梅雨のエントランス

梅雨を迎え、
エントランスを飾っていたゼラニウムの花が、
一段落、
門の前、サルビアとベコニアに入れ替えました。

エントランスの階段の脇も、
一方はサルビアに入れ替えました。
冬を苗で濾したサルビアが、大きく育ちました。
これから、秋遅くまで楽しめそうです。

そして、梅雨の花、
大葉擬宝珠の花が本格的に咲き始めました。

クンシランや棕櫚竹の緑に、
大葉擬宝珠の薄紫色の花が冴えています。
ゼラニウム、今年もたくさん花をつけてくれました。
梅雨を迎え、雨が本格的に降るたびに、
開いた花の花びらが痛み、
雨上がりの次の日には、花殻摘みで忙しくなります。

2020年5月26日火曜日

5月26日27日 我が家のエントランス、ゼラニウムの花盛り、新緑

我が家のエントランス、
ゼラニウムが咲き誇っています。
周りの新緑に、
色とりどりのピンクのゼラニウムが映えています。

このところ、雨が多く、
花殻が汚くなる、という経験を、
ゼラニウムを外で育てている方は、皆さん、経験していると思います。
我が家も例外ではなく、
今週も、花殻摘みと、病葉摘みを繰り返しています。

また、雨が降れば、一通り、手を入れる必要が。
ただ、隠居老人の私には、
楽しみの1つでもあります。

次から次へと、
花々は、手を入れることを求めてきます。
エントランスをそれなりに花で飾るには、欠かせないこと。
楽しい限りです。

27日、
本格的な晴天、
エントランスの柘植、木斛、モミジの新緑、
蒼空に映えています。

緑も綺麗な季節、
これから、植木屋さんに、
モッコクの大敵、葉閉じ虫の幼虫を退治する為の消毒を頼みました。
なんとか、木斛の艶やかな葉を維持したいものです。


2020年5月12日火曜日

5月12日 我が家の庭の新しい仲間、ラバテラ、

我が家の庭に、久しぶりに、新しい花の仲間、
ラバテラ
が加わりました。

昨年の秋、
妻の知人から、タネをいくつかいただき、
どのような花が咲くか、
詳しいことは知らないまま、
園芸書を参考に、
プランターに種を蒔き、
テラスの中で霜にあてずに、育ててみました、

秋に発芽し、
春先、小さなプランターの中で、
何本かが元気よく育ち始めたので、
大きな鉢に、たっぷり肥料を入れ、植え替え、
庭に出してみました、
その後、順調に育ち、5月3日に最初の花が開花しました。

それから、十日ほど、
最初の花は1週間ほどで萎れましたが、
次から次へと花が開き、最初の写真のように、賑やかになりました。
園芸書によれば、ラバテラには多年草と1年草があるそうですが。
我が家のは、多分1年草だと思いますが、
ご存知の方、おられるでしょうか。
我が家の花々の1つに定着すると良いのですが。
採種と種蒔き、
そして、賑やかな花の開花、
楽しみが一つ増えました。
なお、定着するかどうかは、
これまでの経験によると、
私の花の育成の仕方の癖と、その草花や花木との相性できまるようです。

2020年5月1日金曜日

5月1日 皐月を迎えたエントランス

我が家のエントランス、皐月を迎え、
地植えの初夏の花が本格的に咲き始めました。
まずは鉄線

そして、ホットリップス、

冬を越した鉢植えのゼラニウム、
マーガレット、
石斛と
大変たくさんの花がつきました。
しばらく、花殻つみと病葉つみをていねいにすれば、
艶やかな彩りを楽しめそうです。

春のエントランスの中心だった君子蘭、
長く楽しみましたが、
これからは観葉植物として、エントランスを彩ります。

昨年の今頃、まだ、東海大大磯病院のベッドに寝たきり、
自分で食事をとることもできない状況でした。
今年の皐月は、我が家で、
好きな花と池の鯉の手入れをし、
「ご隠居さん」を満喫できそうです。
感謝です。
また、世の中、Covid-19のため
ステイホームがいわれ、
仕方なく、家に止まられている方々が多い中・・・。
私は、もともと、出不精、家での庭いじりが趣味ということで、
不自由をほとんど感じないでいます。