2019年12月15日日曜日

12月15日 FT記事 ‘New dawn’ as Tories turn Redcar into Bluecarを読んで

“‘New dawn’ as Tories turn Redcar into Bluecar   
Johnson admits many traditional working-class Labour supporters ‘lent him their votes to see lives improved and Brexit delivered“ FT,14 Dec. 2019, p.3
を読んで 渡辺幸男

 今回の英国総選挙での保守党大勝利についての象徴的な記事が、この記事と感じた。伝統的に労働党支持であったイングランド北東部の重工業地帯の労働者の支持を保守党が得ることで、大勝利を得たというものである。その中身は「伝統的労働党支持層である労働者階級は、ジョンソン首相に生活状況の改善とブレクジットに向けて票を「lent」した」というサブタイトルから明確なように、衰退重工業地域、イングランド北東部の労働者が、EUからの離脱と地域経済の再生、自分たちの経済状況の改善を願い、労働党一辺倒であった労働者層の多くが、家族ぐるみで保守党に初めて投票したというものである。
 この期待が現実化する可能性は、非常に低いと思われるが、一縷の望みに賭けた、一縷の望みに賭けざるを得ないほど、に激しいこれまでのEU下での保守・労働両党の政策へのそれほどまで失望、ということになろう。そのために多くの労働者たちが、ジョンソン首相に票を「lent」したというのである。あまりにも悲しい物語である。
 これこそ、資本主義の本質が露呈した資本主義経済体制下での悲劇そのものと、私には見えてくる。ダイナミックで発展する資本主義、英国保守党が本来目指すものであろう。EUの政策に縛られ、経済政策について自らの判断での裁量の余地が小さくなったこと、これが経済的には、Brexitを求めた議員たちの建前であろう。実際には、かつての大英帝国の再現を夢見ているに過ぎないとしても。少なくともMartin Wolf氏をはじめとするFTの論説委員諸氏は、ほぼ例外なくEU残留派であり、その方々の議論は英国経済の今後を考える議論としては、英国との利害が薄い私にとっても極めて納得的であった。
 しかし、何れにしても、英国自身の判断で、資本主義としての再発展を展望するためには、自らが、競争的なという意味で、より資本主義的になる必要がある。より一層の競争の貫徹の必要性である。その中で英国内立地が優位な産業が、金融業等を含め、グローバルな競争優位を獲得し、英国内で発展し、英国経済の自立的発展を可能とする。しかし、それから外れた、ないしは漏れた諸産業は、国外からのより一層の激しい競争にさらされ、しかも巨大なEUという「国内」市場を失い、一層急速に衰退する。Brexitが経済発展につながるとしたら、すなわち経済的に意味があるとしたら、このようなシナリオが、可能性は低いが、数少ない一定の可能性を持つシナリオであろう。EUの枠組み内での経済・産業構造転換ではなく、より直接的な英国それ自体だけでの、新たな経済・産業発展の枠組みへの転換・対応が不可避であるということ、これだけは確かなことである。
 すなわち、そこで見えてくるのは、経済・産業構造でのグローバル分業内での英国の一層の特化である。その特化の方向での産業発展の担い手の中に、イングランド北東部の、経営主体さえ簡単に定まらない、否、得ることのできない、さまよえる既存の鉄鋼業に代表される重工業企業群それ自体の再生は、ほとんど含まれていないといえよう。1980年代にまさに英国の資本主義的発展の追求を行なったサッチャー政権下で生じたことは、イングランド北東部での旧来の重工業の縮小再生産と、それに変わる外資系乗用車工場等の進出による、新たな地域産業発展の担い手の形成ないしは導入であった。担い手として典型的なものが乗用車産業であるが、今回のBrexitで、最もマイナスの影響が受けるであろう英国内立地産業の1つが、EU市場向けにEU大での地域間分業に組み込まれた英国内の量産型機械工業であり、その典型が乗用車産業ということになろう。
EU市場内の立地という利点を失うことで、EU市場向け生産では、外資系企業にとって英国内にEU向け主力工場を立地させることの意味は、完全に失われる。他方で、英国立地に多少でもこだわる可能性が存在するかもしれない英国系量産乗用車産業企業は、1980年代と異なり、今や1つも存在しない。その意味、影響の大きさは、NAFTAの条約改定で大きな影響を受けるであろう、メキシコの外資系乗用車産業の工場群以上であることは、確かであろう。
 衰退し、かつ迷走する英国鉄鋼業に加え、存立基盤を失う可能性の大なる英国内で生産する乗用車産業の有力工場が立地しているのが、イングランド北東部である。経済の論理を英国経済・産業として追求すれば、その存在意義を最も失うのが、これらの既存の重・機械工業といえよう。英国経済・産業がグローバル競争の中で、改めて競争優位を確立するとしても、それを主導する英国内立地の産業が、イングランド北東部の既存の重・機械工業、ないしはその一部であるという可能性は、極めて低い。否、存在しないと言った方が良いであろう。
 もちろん、グローバル資本主義経済を前提とした場合、労働党の国有化政策等を通して、その下で英国産業が再生し、国際競争力を持つようになり、その恩恵をイングランド北東部の重・機械工業もうけることができるということは、これこそ全くの幻想だと思うが。資本主義競争下の衰退民営巨大企業について、国有化を通して、当該企業を含めた当該産業が再生発展したような事例を、民営企業形態をとりながらの国の巨額資本の投入の例を含め、英国どころか日本等でも、私は知らない。私が知らない成功事例が、どこかにあるのであろうか。英国労働党のコービン党首は、どのような展望を持ち得ているから、国有化による企業そして産業再建をまだ政策的に主張しているのであろうか。かつて想定されていたような1970年代のBLの国有化のような産業再生政策を意図したものとしてではなく、産業安楽死政策としてであれば、私なりに国有化も納得的ではあるが。

 それでは、彼ら、イングランド北東部の労働者層は何に賭けたのであろうか。現状の行き詰まりの中、何はともあれ、産業状況が変化することの可能性に賭けたのであろうか。変化の方向の自分たちにとっての妥当性については、とりあえず無視して。何はともあれ、変化を求めたのであろうか。確かに、今の労働党には、その意味での変化さえも望めない。他方で、Brexitには、少なくとも国内産業にとっての大きな「変化」は存在する。ともかくも、これまでと大きく異なる販売市場環境そして供給市場環境になるのであるから。ただその変化が、既存企業立地地域社会にとって、プラスの方向での変化となる可能性は極めて低い。それでも、変化がない方向より、何らかの変化を求め、イングランド北東部の労働者層の多くが、初めて保守党に投票したということなのであろう。
 労働党の国有化政策が、一種の産業安楽死政策であることを、これまでの経験を通し直感的に感じているのかもしれない。今度の選挙で、遂に、イングランド北東部の労働者層は、蛇の生殺し状況に置かれ続けるよりも、本格的な変化の中で、新たな地域経済にとっての前向きな可能性に、一縷の可能性であろうと、それの形成に賭けたのかもしれない。

 資本主義、健全なそれの基本は、「創造的破壊」を通しての発展であろう。イノベーションを通しての発展とも言い換えられる。既存のものを破壊し、新たな価値あるものを作り出す力、これが資本主義に備わった、その経済の発展を持続的に可能とする根本であろう。その「創造的破壊」をもたらすものは企業間「競争」である。競争があって、新しいものが古くなったものに取って代わる。これが順調に生じる時、それが生じている資本主義経済は、全体としてみるならば、あくまでも「全体」としてではあるが、健全に発展していることになる。「健全」に「順調」に発展している資本主義経済、それ自体が破壊を内包している。その破壊は古くなった産業や企業の破壊であり、それを担ってきた、そこで習熟し育ってきた人材の存在意義をも破壊することを意味する可能性が高い。
我々の身近に生じた現象としては、溶接ロボットの乗用車組立工場への導入時に見られたことでもある。これまで熟練労働者が蓄積してきたノウハウをロボットが学ぶことで、多くの熟練労働者が不要となる。さらにこの過程は、相対的に技術革新に乗り遅れた企業、旧来の熟練労働の担い手を尊重してきた企業、あるいは労働組合との関係で尊重せざるを得なかった企業が、一手にその負担を担うことにもつながりやすい。既存の雇用人材の持つ習熟を尊重することで技術革新の導入に遅れ、競争に負けた企業やその企業が立地する地域は、創造的側面を全く享受しないまま、技術革新の持つ破壊の側面を、一手に引き受けることとなる。しかも、このような過程は、近接地域内の企業や地域間で生じると言うよりも、制度的共通性が各国民経済や地域経済に存在することで、グローバルな地域間競争の中で諸国経済間、そして産業立地地域間で生じる可能性が高い。
先行的に導入する等で技術革新を活かし、新たな発展展望を持った国民経済・地域あるいは産業地域と、それを全面的に喪失した国民経済・地域・産業地域と2分する可能性が高いのが、グローバル化した健全な資本主義的な経済で本来生じていることである。「勝ち組」と「負け組」への2分化である。それゆえに、それぞれが地域的に偏在することになる。
もちろん、英国保守党としては、英国経済の中のグローバル資本主義下で優位に立てる可能性が高い産業・企業を全面的に支援し、その優位の実現に努めるであろう。結果、グローバル資本主義下で英国経済の一定の地位の維持に成功するかもしれない。しかし、このように意味で成功するということは、国内経済の一層急激な再編成を意味している。グローバル市場での競争力を持っていない産業・企業は、基本的に切り捨てられることになる。そのことが、切り捨てられた産業・企業の立地する地域にとって、極めて大きな打撃なるかどうかは、それに変わるグローバル市場で優位を確保できる産業・企業の当該地域内への立地を実現できるかにかかっている。そのことに成功すれば、地域経済としては、一定の繁栄を実現できる可能性を持つことになる。既存産業で習熟を実現した多くの人々は、その習熟の意味を破壊され、人間としての存在意義を否定されるのであるが。
しかし、イングランド北東部に、あえて英国経済・産業にとっての創造的部分が新たに立地することは可能であろうか。サッチャー政権下にそうであったような、EU市場を念頭に置いた外資系企業工場の新規立地は全く考えられない。近年の英国経済について不勉強な私にとって、どんな産業・企業立地がイングランド北東部で可能性を持っているか、皆目見当がつかない。ましてやEU市場を失った英国経済内の企業の今後の姿、前向きなものが見えてこない。また、IT人材等、これからの産業発展に不可欠な人材層が、イングランド北東部に存在するのであれば、これが地域経済発展の核となる可能性が存在する。地域経済論としては確認すべき点であろう。ただ、それらの発展がたとえ存在しても、旧重・機械工業で習熟した人々が活用される可能性はほとんど存在しない。
今回、初めて保守党に投票したイングランド北東部の労働者層が、保守党による英国の自立経済発展政策が成功したとしても、その受益者になるのは、働くものとしてすでに習熟の場を選択してしまった彼らではない。受益者になれるとして、彼らの子供達の世代であろう。彼らにとって、新たな産業がイングランド(北東部)で発生・発展すれば、それに応じて新たな雇用が生まれ、次への展望が生まれるかもしれない。これに彼らは賭けたのであろうか。労働党の国有化政策では、創造的破壊を遅らすことはできても、創造的破壊への契機を与えることはできないであろうから。これを書いている過程で、ますます、絶望的選択、一縷の可能性、遠い可能性に向けての選択を、イングランド北東部の労働者層が行なった、ということが私自身に自覚されるようになった。
ただ、現代英国の若者にとっては、イングランド北東部にこだわる理由は存在しないであろう。新たな産業の担い手としての可能性が大であれば、よりその能力発揮機会が大きい、英国内であれば、ロンドン周辺へと移住することになろう。人は移動できる、ましてや新たなスキルを身につけた若い世代は、自ら最も高く評価してくれる場に自らを置くように移動する。国境を超えても。住む場所、職業等での選択の幅は、極めて広い。となると、次世代にとって、といったことも、あまり意味のないことなのかもしれない。
イングランド北東部の労働者層は、何を、今回の選挙で保守党に託したのであろうか。Brexitで彼らの生活が改善される可能性が存在すると、何故思えたのであろうか。選択肢が狭まり、そう思わざるを得なかったとしても、何故それが選択肢として存在し得たのであろうか。考えれば考えるほど、私にはわからなくなった。一縷の望みは、やはり一縷でしかなく、それは儚い白昼夢に過ぎないということであろうか。何故、イングランド北東部の労働者層は、保守党のBrexit政策に、自分たちの生活状況の改善について、一縷でも望みを託したのであろうか。考えれば考えるほど、わからない。絶望の下での最後の賭けとしての選択ということであろうか。

 あるいは、自らの世代での状況改善については、もはや絶望し、次世代が担う英国が、自立した発展する英国となること、それを通して、次世代の人々の生活が英国単位で守られること、これを選択したのであろうか。

0 件のコメント: