佐伯靖雄編著『中国地方の自動車産業
人口減少社会におけるグローバル企業と地域経済の共生を図る』
晃洋書房、2019年8月 を読んで 渡辺幸男
本書の出版日は、奥付によると8月30日となっているが、共同執筆者の一人である学会仲間の若手研究者から、早々と送っていただき、発売日よりかなり早く読み終わることができた。本書に興味を持った最大の理由は、私がかつて1990年代に、故滝澤菊太郎教授からの紹介で、仲間とかなり丁寧に現地調査を行なった三菱自動車水島工場の協力企業の協同組合、ウイングバレー協同組合が、事例の一方として取り上げられているように見えたことである。後で見るように、内容的に見ると、本書は中国地方広島県立地の乗用車メーカーとしてマツダを中心として取り上げており、岡山県の三菱自動車の位置付けとこの調査研究でのツッコミは、曖昧ないしは不十分である。
また、本書の主旨は、編著者によれば、「自動車産業の分析における(企業グループの)経営戦略論と(地域の固有性を意識した)地域経済論とを折衷した産業集積の動態的研究のことを地域自動車産業論として提唱」(本書、306ページ)するものであるとされ、乗用車産業を中核に形成された地域産業集積の今後そのものを、乗用車産業の展望を核に議論しようとするものであると言える。その意味で、かつての乗用車生産を軸にした繁栄がかなり変化してしまった、三菱自動車水島工場を中核とする産業集積ないしは集積地域への関心は弱いのかもしれない。
本書の目次
はしがき
序章 構造不況業種化しようとする中国地方の自動車産業
第1部 中核企業の視点
第1章 中核企業の競争力形成史 −技術選択と提携による資源補完−
第2章 国内部品調達 −系列の選抜と系列外への依存−
第3章 海外部品調達 −海外拠点での系列取引の再現性−
補論1 群馬県太田市の自動車産業
−SUBARU(スバル)の生産システム、部品調達における磁場部品企業の役割−
第2部 部品企業の視点
第4章 地場協力会組織の比較 −マツダと三菱自の系列取引構造−
第5章 山陰企業の自動車部品事業への参画
第6章 独立系部品企業との取引関係 −自動車タイヤの事例−
補論2 瀬戸内海対岸(四国北部)工業地域の自動車産業への包摂可能性
第3部 支援機関の視点
第7章 地域における産業集積力強化に向けた産学官連携の展開
第8章 中国地方の自動車産業集積と地域金融機関
第9章 オール広島体制の到達点と課題
−支援企業・機関から見たマツダ「モノ造り革新」−
終章 中国地方自動車産業に内在する3つの問題性
補論3 先行研究の検討
*本書への最大の疑問は、現代の日本国内の機械工業関連の産業集積の発展展望を考えるとき、乗用車産業を核とする産業集積の発展展望が存在可能とすることが妥当かどうか、ということである。本書は、世界的な意味での有力企業の本社開発機能が集中する、中京地区と関東地区の乗用車産業集積においてだけではなく、それ以外の産業集積においても、乗用車産業を核とする産業集積が、地域産業集積として発展展望を持つ可能性が存在するという考え方に立って議論を展開している。この点の妥当性に疑問を感じるのである。
乗用車生産がEV等、1台当たりでみて、より部品点数が少ない車両の生産に変わり、既存の機械加工関連業務が極端に減少する可能性が、ますます濃厚になっている。その中で、乗用車の日本国内需要は、減少する可能性はあるとしても、拡大する見通しはほとんど存在しない。このような状況下、中京と関東以外の乗用車産業関連産業集積にとって、既存の産業集積地域で、どのような形で当該地域内の乗用車の生産量を増やし、地域の雇用や所得の拡大に結びつける可能性が存在するのであろうか。
既存の内燃機関中心の乗用車生産についても、主要需要地域でかつ成長可能市場である中国(良くてそれに北米・EU)市場とASEAN市場等の新興市場を目指して立地展開する以外、産業集積発展の展望は見えないであろう。国内需要は頭打ちで輸出の急増が展望されにくい日本国内生産、このような需要に依存し、かつ同時に生産性を高めていかなければならない量産型乗用車生産で、国内既存産業集積がいかにして集積規模としての発展展望を持つことができるというのであろうか。私には理解できなかった。
確かに、補論1で紹介されているように、スバルは例外的に2010年代に入って輸出台数を増やすことで群馬県内の国内工場での生産を急拡大した。そのスバルでさえも、北米での海外生産が急激に拡大することで、北米市場向け輸出中心の国内生産の拡大は近年完全に停滞し、縮小に転じているようにも見える(本書、134ページ、図補1−6を参照)。
しかも、中国地方の既存産業集積について、この点を考えるということは、安定した国内需要を、中国地方の2メーカーが、中京地区と関東地区のメーカーに対し、より多く確保することができる、それもかなり安定的に拡大できるということを意味している。残念ながら、このような可能性を示唆するものとして、中国地方立地の完成車メーカーの競争優位を示す議論は、本書の中にも、全く存在していない。
*上記のこととも関連するのであるが、本書を読んで、私の立場から最も気になった点は、三菱自動車水島製作所の協力工場からなる協同組合、ウイングバレー協同組合のメンバー企業の動向である。しかも、第4章でのマツダと三菱自動車の協力会メンバー企業の扱いで、三菱自動車の協力会メンバーを中心とするウイングバレーのメンバー企業は4社程度は三菱の比重が依然として高いが、「それ以外の加盟企業は概ね三菱自依存度を3割以下まで下げてきている」(本書、178ページ)と述べている。しかも、議論はそこで止まっている。
私たちが調査した1990年代後半では、ウイングバレー協同組合のメンバー企業は、三菱自動車への依存を減らすべく多角化努力をしても、なかなかそれが実らず、依然として三菱自動車への圧倒的な依存状況にあった。それが2000年代に入って、三菱離れが結果的には生じている、ということになる。私が知りたいのは、その三菱離れは、他産業分野への多角化で実現し、企業としての成長を維持している中での依存度低下なのか、それとも三菱自動車への依存の低下が企業の衰退につながり、それ以上に三菱自動車への依存が低まり依存度低下となったのか、この点である。しかし、本書はこの点については、全く触れていない。
その理由は、本書の関心が、地方自動車産業としての産業集積の維持発展にあるからであろう。マツダの関連企業は、マツダ本体の持ち直しを通して、関連企業としてマツダ依存の状況を維持していることが報告されている。広島を中心にいかにマツダを核とした産業集積を維持発展させるかが、本書の中国地方での乗用車産業を軸とした地域産業振興につながる議論の中核となっている。
しかし、私の視点から、すなわち地域産業集積の展開発展さらには振興そのものの視点からいえば、海外生産化が進展し、国内生産が何れにしても頭打ちとなっている(この点は本書も認めている点であるが)国内乗用車生産を軸に地域産業振興を考えるよりも、国内生産が拡大基調にある多様な(産業)機械工業とのつながりの中で、地域産業振興を考えた方が、より長期の発展展望を国内地域としては持ちうると思うのであるが。
*より具体的な集積内容についても、本書での議論の設定に疑問を感じる。議論の出発点の基本的認識としては、中京地区や関東地区の乗用車産業関連産業集積と、広島や岡山の乗用車関連産業集積とでは、その業務内容の地域内立地の状況、特に系列化された協力工場の業務内容の幅に大きな差異が存在するとしている。特に、電装品等の完成部品については、中国地方にはほとんど集積内立地していないことが確認されている。すなわち、近接立地する関連サプライヤの業務内容に地域間で大きな差異が存在することが認識されている。
しかし、具体的に分析の中では、そのことが持つ意味が、事実上無視されている。乗用車産業関連集積として、集積間に差異がないが如く議論が展開されている。私が見てきた岡山県水島の三菱自動車製作所関連の近接立地の協力工場企業は、バルキーで製品単価の割に輸送コストがかかる部品の加工を、発注側完成車メーカーの仕様に従って生産する、機械関連加工サービス企業群というべき企業群であった。自社で製品を開発するような自動車部品メーカー(例え、発注側大企業が基本的仕様を指定するとしても、部品の詳細設計等は自社で行うような部品メーカー)ではなく、発注側の設計図に従い加工サービスを提供する企業群、いわゆる貸与図メーカー、それも特定加工を中心とする「メーカー」である。私から見れば、それらの企業は、部品メーカーではなく、プレス加工や切削加工を中心とする加工サービス企業である。
これらの企業群、加工サービス提供企業群と、デンソーやアイシンといったグローバルに展開するトヨタ系の完成部品メーカー群とを同列に見ることは、産業集積内近接立地の根拠を異にする企業群を、同一理由で近接立地していると見誤ることとなる。歴史的経緯でデンソーは中京地区に開発拠点があるのであり、その市場はグローバルに展開し、各国市場単位に生産工場展開をしている。たまたま出自がトヨタの1工場にあるということが、トヨタ系の完成部品メーカーとされる所以であり、完成車工場ごとに生産工場を近接立地させる必要性がない業務内容の企業と言える。
それに対して、ボディパネルのプレス加工等の加工サービスを提供する企業は、その業務の性格から、生産工場を完成車組立工場に近接立地させる必要がある。だからこそ、広島でも岡山でもそのタイプの企業群は狭い産業集積内に工場立地しているのである。水島の場合は、系列外大手企業の分工場という形での立地も存在し、集積内立地工場即当該完成車メーカーの系列協力企業とは言えない状況でもあった。業務内容での近接立地の必要性が、これらの企業の工場を集積させるのである。歴史的経緯で近接立地していることになった部品メーカーとは、その立地根拠が異なる。
今、乗用車のEV化の可能性が濃くなっているが、それ以前に乗用車部品の電子化が急激に進んでいる。これらの電子化を担っている乗用車部品の生産は、他の電子製品用部品と同様に、完成車組立工場に近接立地する必要性は小さい。多くの場合、自社の生産工場立地に最適な立地を選択し、規模の経済性を実現し、そこから世界中に供給することになる。乗用車部品生産及びそれに関わる各加工サービス等の機能を担う工場が、完成車組立工場に近接立地する場合が多かったのは、個別の生産機能における近接立地することの経済的利益ゆえであり、乗用車生産ゆえの状況ではない。本書でも第6章で乗用車組立工場の立地とは関係なく立地している自動車タイヤ工場の例を取り上げ、この点を事実上示している。
量産型の乗用車生産が乗用車生産であるがゆえに、産業集積を形成すると考えるならば、それは間違いである。それぞれの生産機能が、経済的利益の関連で、近接立地したり、独自最適立地を選択しているのである。たまたま乗用車生産はバルキーな部品の加工が多く、その割に単価が低かったがゆえに、完成車生産工場に近接立地することに経済的利益を見出す生産機能が多かった。その結果として完成車生産の国内での分工場建設の際にも、周辺に関連企業の工場立地が見られ、新規の産業集積が形成されることとなったのである。
かつて、量産型家電製品の生産においては、関連産業工場の近接立地が存在し、日立地域の日立製作所が代表したように、日本国内に多数の産業集積が形成されていた。しかし、今最大の量産家電製品であるスマートフォンの完成品生産の多くは、EMSによって最終組立は担われている。そこでは、完成品組立工場が、関連部品産業等の工場群からなる産業集積を形成することなく、労働力を確保しやすい立地を求め、独自に立地展開している。関連部材は、近隣で生産されることなく、世界中から調達されている。
乗用車のEV化は、今以上に量産電子機器の生産と同様に、グローバルな広がりの中での部品調達という部分が大きくなることが予想される。結果、乗用車組立工場が立地しても、EMSの立地がそうであるように、その周辺に関連部品生産企業を従来のような規模で立地させることは、限定的であろう。乗用車生産における産業集積の意味が大きく変わる可能性を与えるのが、乗用車のEV化でもある。そのEV化が、大気汚染の問題とも関連して、世界最大市場の中国やそれに次ぐようなEU市場で差し迫っているのが、今の乗用車産業である。とするならば、既存の乗用車組立工場を核に地域産業集積の発展を通して地域の経済発展を展望する、ということには、大きな疑問を感じざるをえない。
ちなみに、本書でも、鳥取県の乗用車部品関連へと電機部品製造から転換した中小企業の多くは、取引先は山陽のマツダや三菱自動車関連の工場ではなく、近畿等の企業からの受注開拓で転換可能となったことが紹介されている(第5章 山陰企業の自動車部品事業への参画 4. 鳥取県自動車部品企業の事例)。すなわち、そこでは、産業集積の地理的拡大、すなわち山陽地域の乗用車工場からの受注開拓の結果としての自動車関連部品企業への転換として、鳥取県立地の旧電機部品企業の乗用車部品関連産業への参入は描かれていない。立地は、地理的により自由であり、日本全体を前提にした、より広域的な調達が、旧電機部品関連企業の乗用車部品関連への進出では前提されていることが、事例からは示唆されている。
ちなみに、本書の終章の最後のパラグラフで結論的に述べられていることは、本書のスタンスを象徴するものと言える。そこでは「本書は地域自動車産業論というカテゴリーを標榜し、あくまで中国地方という限定された地域経済の再生産に寄与しうる実践的な議論を試みてきた。しかしながら最終的に建設的な提案に至らなかった点もある。その最たるものは、労働集約的でありながら競争力のある国内量産工場のあり方を検討し、その維持・存続に向けて具体的かつ実践的な手法の提示にまで及ばなかったことである」とし、「人口減少が進む地方においては優秀な技能職や技術者を地方に留めることが最重要な課題であると主張したことまでが本書の到達点」(本書、302ページ)としている。
ここから見えてくるのは、地域産業集積を形成してきた乗用車産業のあり方それ自体についての大きな変化は、問題にする必要がなく、産業集積の必要性を前提に人材の問題を考える必要がある、ということになる。EV化等を通して、乗用車生産での地域集積する必要性が極めて低下する可能性を、本書は全く見ていないと言える。それで良いのであろうか。
ただ、この議論、乗用車産業の日本国内の既存産業集積の顕著な縮小の可能性については、私自身は、輸出部分がほぼ全面的に海外生産化することを通してすぐにも生じると、前世紀末から主張してきた。しかし、実際には、それほど急激な海外生産化は生じず、国内生産の縮小はそれほどでもなかった。私の読みは、大きく外れた。それが本書のような議論が2010年代においても可能となっている理由といえる。
その意味では、私の議論としては、輸出部分の全面的海外生産化の可能性とその影響という議論が、EV化の影響という議論に変わったとも言える。今回は、どちらが正しいのであろうか。この点についての結論は、近々出ると私には思えるのだが。
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