2018年6月30日土曜日

6月30日 小論 経済のダイナミズムと競争、有機EL記事を読んで

  経済にダイナミズムをもたらす「競争」とは
                 どのようなものか
細川幸太郎「中国有機EL サムスン追う」
日本経済新聞、2018629日、12版、p.11 
細川幸太郎「国産有機ELの灯つなぐ JOLEDが初出荷  苦節10年、
              パナソニック・ソニーの技術を継承」
日本経済新聞、2017125、ネット版 を読んで


 上記の629日の記事には、このほかのタイトルとして
「ビジョノックスやBOE 5000億円規模新工場 10箇所」
「スマホ向け 量産急ぐ」「供給過剰の恐れ」「曲面化で用途拡大カギ」
 といったものがついている。

629日の記事では、中国でのスマホ向け有機ELパネルの大量生産工場が、中国地方政府補助金をも利用し、7社、うちBOEのみで4工場、合計10工場が各投資額5000億円前後で一斉に立ち上げられ、うちビジョノックスの工場が稼働を開始したとしている。韓国メーカー、特にサムスンの独壇場であったスマホ向け有機ELパネルの生産に果敢に挑戦する中国企業群の存在を紹介している。
また、ビジョノックスは2001年創業で、清華大学の有機ELプロジェクトを前身としていると紹介し、サムスンや台湾の企業の技術者を多く採用し、安定量産を実現したとも述べられている。
同時に、このように多数の中国系のスマホ向け有機ELパネルメーカーが参入することで、中期的には供給過剰が続く模様であり、また、地方政府がかなりの投資負担をしていることから、市民への災禍をもたらす可能性があるとの指摘も紹介している。有機ELの独自な特性である曲面化可能なことをどう生かし、同時に耐久性を高め、用途を広げることが重要であると結んでいる。
ここでも、中国メーカーとして紹介されているトップメーカーは2001年創業の新規参入企業であり、液晶ディスプレイメーカーで著名な中国系企業は、BOEの1社に限定されるようである。
グローバルに見ても少数の企業のみが成功しているにすぎない量産市場に対してでも、展望があると思われる市場には、一斉に何社もの新規企業が参入するということが、有機ELパネルにおいても生じていることを紹介しているものと言える。そして、まず最初に量産に成功した企業は、大学等での研究成果を引き継ぎながら技術者を広く集めた中国系新規創業企業であることを紹介している。
 さらに注目すべきは、新規分野で長期的に有望と思われる分野には、中期的には過剰が展望される分野でも、地方政府の補助金等を活用し、5000億円規模での工場投資を行う企業が、1、2の企業に限定されないことである。いわゆる「過当競争」状況が見通されても、それも実績がない企業でも、新規参入を目指し、積極的に巨大な投資を行おうとするし、行うことが可能であるのが、中国での競争状況であると言える。
 地方政府所有の国有企業ではないが、地方政府が積極的に支援する新規創業企業やこれまで無名であった企業が、数多く存在しうることが、またもやスマホ向け有機ELパネルでも示された。
 また、この記事では、先行するサムスンが、自らの優位を保持するために、「「有機EL技術のブラックボックス化に成功しており、技術格差は簡単に埋まらないのではないか」」というサムスン電子に在籍したことのある日本人技術者の談話を紹介している。どこかで聞いた話である。かつて液晶パネルでシャープは自らの技術のブラックボックス化を進め、優位を維持すべく努めた。経済経営関係の研究者に対しても、工場見学を拒否していたと記憶している。私もシャープの基板組立工場を、窓越しに見学した記憶があるが、液晶ディスプレイの工場を見学した記憶がない。
ただ電子製品については、製造技術のかなりの部分は、外部の産業設備機械メーカーの産業機械を利用し、それらとの共同開発に依存している場合が多い。その点では、シャープもサムスンも例外ではないであろう。どこまで囲い込めるか、産業機械自体も内製化していた、かつてのIBMの汎用コンピュータ生産での囲い込みとは異なるといえよう。
 長期的には、自国内での市場が拡大が見込め、それを確保できる可能性があり、技術者については多様な形で集めることができ、産業機械それ自体は機械メーカーから購入可能である。それをどのように使うか、あるいはシステムとして安定したものとして構築するか、この点については、サムスンに「一日の長」があることは確かだが、「一日の長」にすぎないとも言える。
 さらにこの記事から読み取れるべきことは、この記事の図に掲載された5000億円規模の工場投資を行っている有機ELパネルメーカー7社全てが、このあと生き残り発展する可能性は低いということでもある。中国の新規参入企業は、多くの分野で少数を残し、敗退退出している。かつての家電組立工場から始まり、最近ではソーラーパネル工場でもそうであったが、数多くの企業が、地方政府の支援等を受けて参入し工場を建設している。しかし、同時に、過剰生産に陥ることを契機に淘汰が一気に進み、そのうち数社がよりたくましい企業となり、グローバルプレーヤーとして生き残る。このような図式を繰り返している。残る企業にビジョノックスを含まれるかどうか、それもわからない。がしかし、いくつかの中国系企業が、巨大化しつつある自国市場を活用することで生き残りグローバル・ビッグプレーヤーになる確率は高い。
 先日の日経で紹介されたEV用車載電池でのCATL(日経、2018523日、13版、p.8)でもそうだが、技術の一定のタネとなる部分を持って創業した企業が、短期間で一挙に巨大企業化しているのが、中国経済でのベンチャーの事例である。少なくとも国内に巨大な市場が形成されることが見込まれ、その技術開発のタネが国内にあれば、人材を幅広く集め、巨額資金を調達し、一挙にフロント・ランナー化しうるベンチャーが各分野で簇生している。資金的には地方政府の補助金等が大きいとしても、極めて、競争的な市場ということができよう。
 同時に、一斉に新規参入した企業の中で、急成長した企業でも、市場環境の少しの変化で大きな打撃を受ける企業が存在することも、630日付の日経の記事で紹介されている。「車載電池世界4位の中国企業」が「半年間にわたって生産を停止する見通し」(中村裕、日本経済新聞、2018630日、13版、p.12)とのことである。急成長企業ゆえに、急成長を可能にした市場条件の多少の変化にも脆い企業も存在し、環境変化が敗退企業を生み出す、という意味でも、中国市場は競争的であると言える。
 今回取り上げた事例、有機ELパネルについていえば、既存の液晶パネルですでにトップメーカーとなったBOE以外の多くは、工場立地地域の各地方政府の支援を受けた新興企業群(1)であり、それが巨大な可能性を持つ中国市場を中心にし、当面の過剰生産の可能性も無視し、技術的に固まってきており、次の世代の表示装置となる可能性が非常に高い有機ELパネルの覇者になるべく、積極的な投資を行っているのである。このこと自体は、「地方政府が負担しており、失敗すれば市民にとって災禍」をもたらすという見解が、本記事でも紹介されているように、問題も多い行動であり、全ての企業が覇者の道を歩むことはできないことは明確である。同時に、成功の可能性もこれらの新興企業にとって存在している。
このような積極的な投資姿勢こそ、新産業形成過程での競争的な行動と言える。地方政府という公的団体は、その毀損の可能性を承知の上で、補助金を多額に投下しているのであり、地方政府は補助金を出した結果、覇者となることによる地域としての受益の可能性に賭けているのである。それゆえに、巨額の投資を一挙に行うことが必要な分野でも、新興企業が一斉に参入することになる。まさに競争的市場そのもの、あるいは「過当競争」的状況を示している。
翻って、日本での投資状況はどうであろうか。私も有機ELのディスプレイについては、2000年代はじめの日本での聞き取り調査で話を聞く機会があった。山形大学にこの分野の研究で先端を行く教授がおり、その方を中心に有機ELパネルに関する産業集積が山形にできつつあることを聞いたことがある。日本で本格的に有機ELディスプレイの生産に乗り出しているのは、各社の液晶ディスプレイが分社し合体したジャパンディスプレイの工場を間借りしている、同じく大手2社から分社合流したJOLED(2)ということである。しかも、紹介している記事によれば、画期的な製法での製品開発に成功したが、量産のための工場建設資金が課題であるということである。中国の状況とは全く異なり、独自生産技術を開発しても、市場の構築に向けての本格的参入さえ起こりにくい状況にあることが示唆される。

 かつて、日本の第一次高度成長期において、銀行系列集団間での設備投資の「過当競争」という表現が横行した。例えば、鉄鋼業では、戦後当初は、旧日本製鐵系の当時の八幡製鉄と富士製鉄それと日本鋼管の3社のみが高炉からの一貫製鉄メーカーであったのに対し、当時の川崎製鉄や住友金属そして神戸製鋼が高炉分野に進出し、さらには各社が最新のLD転炉を一斉に導入したことで、鉄鋼の過剰生産が危惧され、その競争状況が「過当競争」と称された。なお、その際の技術は、米欧に既に存在する最新の技術を導入していた。同時に最新だが既存の技術ゆえに、上記6社が一斉に技術導入し設備投資をすることが可能となった。既存技術の導入競争であったがゆえに「過当競争」となったとも言える。
中長期的にみれば、結果として経済の当時としては古今未曾有の高度成長ゆえに過剰は生じなかったのであるが、極めて強引な設備投資が一挙に生じ、当時の通産官僚を困惑させていた。
 同時に、今、日本の主要企業に、このような経済産業省の官僚を困惑させるような、強引な設備投資の実行を期待することは不可能である。安定的市場を前提に、寡占的な投資行動、慎重な投資行動にほぼ終始しているのが、日本経済の巨大企業である。しかも、日本では、大規模投資が必要とされるような新生産分野へ進出する製造業企業は、ベンチャーや新興企業ではなく、既存巨大企業である。まさに寡占的な協調的投資行動が一般化しているのが、現在の日本経済といえよう。この点、有機ELディスプレイをめぐる日中の投資状況の差異を通して、1712月と186月の日経の2つの記事が、如実に表現している。
中国では、巨大な市場の形成や市場の一層の拡大を見込んで、先端技術保有企業・起業者ではなくとも、既存の最新の技術を導入することによって、多くのベンチャーが参入し、設備投資資金の調達に成功し、数社に限定されない規模での量産設備投資が一挙になされている。担い手は異なるが、第一次高度成長期の日本の企業と共通する形とも言える。それに対し、日本では画期的な生産技術の開発に成功しながら、それの量産化のための資金調達が課題として指摘されている。ただし、画期的な生産技術を開発したのは、既存の巨大企業の流れをくむ特定企業であり、技術を囲い込んでいる。その技術を広く開放し、一斉に新興企業が参入するような状況を許容する可能性は存在していない。
 中国経済の状況は、かつての高度成長期の日本経済とは、投資主体では大きく異なるが、ある意味で同様な設備投資の「過当競争」状況ともいいうるものである。それに対して、現在の日本経済の状況は、競争的な状況とは程遠いものとなっている。独自技術を開発しても、一挙に本格的量産投資に乗り出せない日本の状況、市場の急拡大が見込まれれば、技術のタネを多少なりとも持った人々が、創業し、経営資源を集め一挙に量産を試みる中国の状況、これが、有機ELディスプレイでも、再び生じている。
 個別企業として、その投資戦略を経営的な視点から評価するならば、「過当競争」に突入するような経営戦略は、経営的に高い評価を受けるものではないであろう。第一次高度成長期の銀行系列集団間の「過当競争」も結果オーライの側面もあったが、経営学の視点からみれば、経営的には無謀な投資であったということができる。いまの中国の投資競争にも、当然当てはまる同様な無謀さがある。「過当競争」と言われる所以である。しかし、この無謀さが、日本の第二次高度成長期の輸出競争力の形成の源の1つとなったのである。
中国での現在の大型設備投資の「過当競争」は、次に何を生み出すのであろうか。

(1) ネットで調べた限り、記事の図に掲載されていた7社のうち、BOE1993年創業、あと天馬微電子が1983年創業である。あとの5社はいずれも2000年代に入っての創業で、ビジョノックスは2001年だが、他の4社は2008年以降の創業で、創業10年以内ということである。2012年に創業した企業も2社ある。このように新しい企業が、成長が見込まれる分野に参入し、一気に5000億円規模の工場投資を行う。これが可能なのが中国であり、中国の競争的な状況ということになる。

(2)日本での有機ELディスプレイの本格量産工場については、同じ細川幸太郎氏が「国産有機ELの灯つなぐ JOLEDが初出荷  苦節10年、パナソニック・ソニーの技術を継承」というタイトルで記事を書いている。

「パナソニックとソニーの有機EL事業を統合したJOLED(ジェイオーレッド)は5日、世界初となる低コストの「印刷方式」で生産した高精細の有機ELパネルを出荷したと発表した。パナソニックが2006年に研究開発を始めた同技術をJOLEDが事業化に道筋をつけた。電機大手が撤退し一度は消えかかっていた国産有機ELの灯をJOLEDが引き継ぐ」という話である。「研究開発会社として初出荷という節目を迎えたJOLED。次の節目は量産投資となる。足元では19年の量産開始に必要な資金を求めて外部企業を引受先とした増資を検討中。だが想定以上に時間がかかっているのが現状だ。現場の技術陣は製品出荷までこぎ着けた。次は東入来社長ら経営陣が現場の「努力のたまもの」に資金調達で応える番だ。」(日本経済新聞、2017125、ネット版)と結んでいる。
 日系企業が最先端生産技術の有機ELの開発に成功していながら、量産向けの資金調達に苦労しているという話が、昨年の末に伝えられているという事実は、5000億円規模での量産工場建設資金の調達を創業数年の企業を含め何社もが実現している中国との現状と、あまりにも大きな差異がある。

付論:競争について
 日本と中国の産業発展を見てきたとき、そこでダイナミズムを生み出す根源は、諸資本の競争ないしは諸企業の競争のあり方にあると感じた。
 ダイナミズムをもたらす競争とは、経済理論上の「競争」ではないし、ましてや主流派経済学での「完全競争」ではない。産業発展のダイナミズムをもたらす競争にとっては、参入の自由があり、既存企業間の中で特定少数が市場動向を決定することができないような多数性、すなわち寡占的市場支配が生じていないことが、まずは中核的な必要条件であろう。また、市場が亜市場に分断されておらず、多数の企業が同時に参加することができる相互に直接的に相まみえる市場が存在することも必要条件である。
 さらにダイナミズムをもたらす競争の条件として重要なのは、参加する企業が市場で敗退する可能性を持っている、ということである。市場での競争で劣後した時、廃業や倒産の可能性が存在すること、これも不可欠な条件といえる。いざとなれば、「親方日の丸」で救済されるような企業は、ダイナミズムをもたらす競争の主体とはなり得ない。この点との関連で、所有形態が私的所有ではないことが、ダイナミズムを阻害するというような理解もあるが、所有形態が問題となるのは、国有や公有であることで、市場独占が許容されたり、競争で劣後した際に救済されることがあることによるのであり、所有形態それ自体が競争主体として、独占的存在であったり、競争状況に晒された時に企業主体としての行動が、私的所有の企業と異なるのではなく、救済が想定されるがゆえに、行動が異なるのである。同様な条件下で競争に曝されるならば、所有形態による企業行動の差異は生じにくい、というのが中国地方国有企業の行動を見聞してきて得た結論である。
 中国の国有企業の多数派は、地方政府所有の国有企業であり、その多くは、市場において、当初の資本投下等の面で多少の優遇を受けるとしても、競争上で特別待遇を受けることはなく、それぞれの市場では、多数の民営企業や他の多数の国有企業と正面から競争を行うことを前提にして設立されている。また、制度的に倒産の法的制度がなかった改革開放初期であっても、競争に敗れた国有企業は、数多くあり、市場から姿を消している。その初期の例は、地方国有企業としてのテレビを中心とした家電組立工場群であろう。圧倒的大部分の工場は撤退消滅したが、そこからTCLやハイアールといったごく少数の生き残り企業が巨大企業化している。活発な参入と競争の結果、ごく少数の企業のみが家電メーカーとして生き残り、中国市場全域に、そしてグローバル市場に進出している。
 地方国有企業でありながら、地域市場の独占を許されることなく、他の国有企業と民営企業との市場競争の中の1企業として存立を模索した結果、多くが消滅し、いくつかの企業が生き残った。
 末廣昭氏(末廣昭、2014)は、後発工業化国の産業発展を議論する際に、企業の所有形態に注目し、それぞれの企業がおかれた市場環境を抜きに、所有形態別の独自性の存在を前提に、所有形態別の企業分布を通して各国比較を行う議論を展開している。しかし、中国国内だけ見ても、同じ国有企業形態でも、市場独占を認められた分野や参入規制が敷かれている分野の国有企業と、一般的な市場に参入している国有企業では、その企業行動は当然のことながら大きく異なる。同じ私的企業であっても、寡占的支配を実現している企業と競争的市場で競争している企業とでは、その行動のあり方が大きく異なるのと、同様である。
 企業にとって、所有形態はどうであろうと、生き残るために取る行動あるいは行動の方向性は、当該企業がおかれた市場環境によって多くは決まる。所有形態によって専ら決まるのではない。所有形態ではなく寡占的ないしは独占的支配をしているかどうかこそが、企業行動を大きく変えるのである。

参考文献
末廣昭、2014『新興アジア経済論 キャッチアップを超えて』
      シリーズ 現代経済の展望、岩波書店

2018年6月26日火曜日

6月26日 中国市場の意味、朝日新聞「波聞風問」を読んで

原真人「貿易戦争 巨大消費市場 米国のたそがれ」
(「波聞風問」、朝日新聞2018626日、13版、p.7) を読んで

 上記の朝日新聞の編集委員の記事は、大変興味深いとともに、その結論部分は、一回り遅れているのではと感じた。「「トランプの米国」が貿易戦争の火ぶたを切った」で始まる記事で、「「最も魅力的な巨大市場」が中国になれば、世界秩序は大きく変わる」とし、「米国が貿易戦争を仕掛けるのは、その来たるべき日におびえ、あがく姿のように見えなくもない」とし、「米国のたそがれ時を早めてしまうことになるだろう」と締めくくっている。
 興味深かったのは、これまでの米国の影響力の大きさが、その市場としての大きさにあったことを確認していることである。同時に、その米国の大きさの優位が、中国に対しまだ存在しているという点に、一回りの遅れを感じた。トランプ政権は、輸入乗用車について、高額な関税を課そうとしているが、米国市場という巨大市場に大きく依存している日欧の企業が存在することは事実である。しかし、同時に、今や世界最大の乗用車市場は中国である。年間販売台数で1千万台規模の差が米中市場間で生じている。しかも、米国市場は成熟しきっているとほぼ言える市場だが、中国の市場は成熟から程遠い市場であり、需要のあり方としても供給企業の寡占体制形成という視点からも、成長過程にある。
欧州系メーカーにとって、そして日系メーカーにとっても、さらには米系メーカーにとってさえ、自らの世界市場での優劣を決めるのは、中国市場での今後の勝敗であろう。年間3千万台に近づきつつある中国自動車市場、これはすでに米国と日本の市場を合わせたものよりも巨大であり、かつ変化が激しく、そこでの覇者はまだ確定していない。特にEV化の政策的促進により、その市場での覇権の行方は、さらに混沌としてきている。1700万台の規模がほぼマキシマムで、市場として成熟している米国自動車産業、米中のどちらの市場を中心に、自社の乗用車販売の今後の発展をかけるか、少なくともグローバルプレイヤーとしての乗用車メーカーにとっては、この点は明白である。中国市場以外ない。
 ということは、世界の乗用車産業主要企業にとっては、すでに中国が「最も魅力的な巨大市場」なのであり、それは大きさのみではなく、未成熟ゆえの魅力でもある。中国市場で覇権を握ることで、これからグローバル市場の覇者になれる可能性が、世界の巨大メーカーに与えられている。既に、このようにいうことができる。さらにいえば、乗用車産業は単品での産業規模としては、他に類例のない巨大な産業である。そのような市場での覇権を決めるのは米国市場ではなく、中国市場であり、既に移行は済んでいる。
 このように見てくると、朝日新聞のこの記事は、やはり1周遅れの認識下で議論していると言わざるを得ない。朝日新聞の論説委員の方自身が、米国市場の過去の大きさ、文句なしの世界最大市場であった時代の幻影を引きずっているのであろう。

2018年6月25日月曜日

6月25日 梅雨の晴れ間(?)のエントランス

冬を室内で越したサンパラソル、
本格的に咲き始めました。

軒下で冬を越した我が家の房咲きクチナシ、
こちらも咲き始めました。
クチナシの香りが漂っています。

紫紺野牡丹が沢山の蕾をつけました。
テラスで冬を越し、
本格的な野牡丹の花の季節、
もう少しです。

エントランスの花の中心が、
孔雀サボテンと大葉擬宝珠から、
次の花へと変わります。
梅雨明けを間近に、
夏の花へと。

サンパラソル、クチナシ、野牡丹、
いずれも長く咲くので、
この3つが軸のエントランス、
しばらく続きます。

2018年6月18日月曜日

6月18日 小論 乗用車のAI化・EV化と乗用車産業変化の方向性

実態調査による産業研究から空想的産業論の世界へ
乗用車のAI化・EV化と乗用車産業変化の方向性
渡辺幸男 
目次
1、乗用車産業で何が目指されているか
2、日系企業と乗用車産業
3、乗用車産業の市場の特徴
4、中国乗用車市場の特徴
5、米国乗用車市場の特徴
6、中国と米国の乗用車市場の対比を踏まえた時、何が言えるか
 1) 供給主体側から見た特徴の差異
 2) 政府の姿勢 乗用車産業のウィンテル化を許容するか
7、中国市場での乗用車産業の構造変化の方向性
8、まとめ

1、乗用車産業で何が目指されているか
 現在、乗用車産業で生じている革新の中心は、大きくいえば、自動運転と呼ばれる乗用車のAIを利用した電子的制御の本格化と「電池」の高度化、ということができよう。すなわち、一方で、駆動システムが内燃機関から電動機に変化するという変化の方向性である。EV化であろうと燃料電池車化であろうと、要は電動機による駆動ということになる。さらに電動機による駆動を、電子的に制御することが本格化しているわけであるが、その変化はAIによる自動運転という方向である。今1つ重要な革新は、「電池」、蓄電池か発電器としての燃料電池か、大きく異なる方向性が存在するが、何れにしても「電池」の効率的な生産と大容量化および単位あたりコスト低下の革新が強く求められている。
 すなわち、駆動システムの電動機化、AIによる自動運転化という形で、電子的制御が本格化しているのが、現代の乗用車における技術革新の一面であると言える。この電子的制御技術と「電池」の高度化の今後のあり方が、従来の乗用車産業での乗用車開発の際の技術のあり方と、大きく異なる可能性をもたらしている。
従来の乗用車の開発は、基本的に各乗用車完成車メーカーごとに、一応いくつかの主要部品については既存の完成部品を前提にしてはいるが、多くの部分についてはそれぞれの1から設定開発し、最終的に独自な製品としての新モデルを開発してきた。主要な部品の互換性は、同一企業内の他モデルとも、一定の部分に限定されていた。ましてや、完成車メーカー間のモデルでは、部品の互換性は、タイヤとか補助動力としての電動機を動かすためのバッテリーとか、極めて限定された完成部品のみに存在していた。
 すなわち、これまでの乗用車は、当該モデル用に開発された部品であれば、当然のことながら高い互換性が存在し、補修する際に、パーツのモデル番号を確認するだけで、交換できた。しかし、同じ機能を持つ部品であっても、他機種の乗用車に使用することができる可能性は極めて限定されていた。かつてのラジオであれば、マニアが機能ごとに必要な完成部品を集め、勝手に組み立て、自分だけのラジオで放送を聞くことはできた。しかし、乗用車では、それは全く不可能であった。基本的に完成部品間のインターフェイスが標準規格化されていないことで、異種モデルの完成部品間では組み付けることが不可能なのが、これまでの乗用車である。
 しかしながら、駆動システムと制御機器が電気・電子化したならば、そのような乗用車の部品のあり方が、大きく変わる可能性が存在する。電気・電子機器一般に見られるような特定モデル内での互換性を大きく超えた互換性が、形成される可能性が存在する。しかし、その可能性は、可能性として存在しているに過ぎない。それが具体化するかどうかは、市場環境により左右される。これが市場経済の特徴である。乗用車産業は一面でグローバル産業としての性格を持っているが、生産と流通に基づく具体的な市場支配力等の観点から見れば、いくつかの大規模市場の集合体と見ることも可能である。
 以下では、乗用車の電子機械化が、乗用車開発生産に対してどのような可能性を与えるか、大規模市場ごとの環境の差異を念頭に置きながら見ていきたい。以下の議論は、私のこれまで見てきたことを踏まえながらも、事実上、私の想像の産物である。

2 日系企業と乗用車産業
 日系乗用車メーカーの製品は、かつてグローバル市場を席巻した日系の耐久消費財としての機械製品の中で、唯一と言って良いほどの、現在でもグローバル市場で存在感を示す日系企業による数少ない製品の一つとなった。
 カラーテレビから始まり、ウォークマン、VHSビデオレコーダー、ノート型PC等々、これまでグローバル市場を席巻した日系機械メーカーが主導して開発した耐久消費財は、数多く存在するが、今や乗用車を除けば、いずれも見る影もない。これらのかつてグローバル市場で一斉を風靡した日系企業の耐久消費財は、いずれも製品内容の大きな変化を契機に日系企業群が覇権を握ったとともに、さらなる製品内容の大変化でその地位を日系企業は失っている。
 このような製品内容の大きな変化が、これまで、少なくとも日系企業がグローバル市場に進出して以来、耐久消費財で生じていなかったのが、乗用車である。フォードT型以来、100年以上にわたって製品内容の大きな変化は、乗用車には生じていない。もちろん、付加的な革新は数多く存在し、乗用車のあり方を変えてきた。しかし、4輪のゴムタイヤで内燃機関を駆動力として、10名以下の大人を乗せ、人間が操縦しながら走る機械として、変革はなかった。つまり、レコードがCDに変わったような、媒体の大きな変化、電気・電子機器の多くでアナログで処理されていた情報が、半導体を軸にデジタルで情報処理され、それが基軸となるような変化は生じていない。
 この乗用車産業の100年余にわたる漸進的変化が途絶える可能性を与えるのが、現在進行中の自動運転につながるAI化と駆動システムの電動機化(EV化と燃料電池車化のいずれでも生じる)である。駆動システムの根本的な変更が電動機駆動化であり、人間が操縦するシステムの大変更がAI化である。
 私が関心があり、想像の産物として、これから語る物語は、この多様な市場で生じるであろう乗用車のシステムの多様な方向での変革が、どのような環境下のどこで生じた変革内容によって統一され、グローバル市場の事実上の標準規格を生み出すのか、そして、その際、誰がその変化を主導するのか、という点である。
 乗用車産業の大きな特徴は、その製品内容が極めて長期にわたって安定的に漸進的に改善されてきたかという点のみにとどまらない。極めて重要な産業としての特異性がその他にも存在する。それは、いってみれば当然なことなのであるが、1つの製品の市場が、時間軸で見て安定的な商品であったことのみならず、極めて巨大な商品であるということである。乗用車という1つのコンセプトの製品が、世界の工業生産の中で、単一商品としては、飛び抜けて他に類例のない大きさで存在している。電気機械産業、あるいは電子機械産業が巨大化しているとしても、その製品内容は、最終財として見て極めて多様であり、乗用車に比肩できるような規模の単品での電気機械や電子機械は、これまで全く存在していない。電子機械で最も量産され価格が相対的に高いテレビといえども、乗用車の何分の1以下の存在にすぎない。
 この巨大な技術的に漸進的・安定的に推移してきた乗用車産業で、今、激しい変化が生じようとしている。しかもその変化を乗用車産業の既存巨大企業と乗用車産業外の既存巨大企業が主導しようとしているだけではなく、新規参入企業も含めた多様な企業が、新たな変化の機会を活かし、市場の変更での勝者は自らであるとしようとしている。このグローバルな巨大産業での大きな変化が、どのような市場を通して、誰に担われていくのか、これを考えてみたい。私のこれまでの知識を前提に、自らの想像力を使ってではあるが、考えてみたい。

3、乗用車産業の市場の特徴
 グローバルな市場としての特性の上に、ローカルな市場が多数形成され、、その多数のローカルな市場の大小には巨大な差異が存在している。その市場の性格は、歴史的形成過程の差異を反映し、同じ乗用車産業の市場でありながら、かなり異なる市場として存在している。私が注目するのも、その差異とさらにはその差異が持つ意味である。
 現代の巨大国民経済市場と言えるのは、米国市場と中国市場の2つであろう。欧州市場も関税面では1つになっている巨大な市場であるが、主要メーカーがそれぞれ差異なく欧州市場内の各国市場に浸透しているとは言えない。歴史的な国民経済単位の市場の名残が存在しているように見える。また日本市場も500万台規模があり、日本の乗用車産業の形成期には、決定的な意味を持ちうる大規模市場であった。しかし、現代の乗用車産業の状況から見れば、主要乗用車メーカーが正面から競争する市場の大きさを持つ市場とは言えない。
 それゆえ、グローバル市場での新規格形成の観点から見れば、現代の乗用車産業では、米国市場あるいは中国市場、ないしはこの両市場を制した規格が、グローバルな乗用車市場を制する規格となる可能性が高い。
 ただし、米国市場と中国市場とでは、市場の性格が供給側、需要側双方で大きく異なっている。この差異が、新たな支配的な規格を生み出す上で、そして誰が主導し、どのような内容の規格を形成するかに対して、大きな意味を持っていると考えられる。

4、中国乗用車市場の特徴
 中国市場の特徴を供給側から見るならば、世界最大の市場でありながら、主要供給企業は、基本的に中国系と外資系の既存大手乗用車メーカーの合弁企業であるということである。中国の自国系企業が単独では主要乗用車メーカーの中には入っていない。しかも、合弁企業における技術開発やブランドといった面では、外資系企業が主導権を握っている。私が見た限りでは、主要合弁乗用車メーカーの中国側の企業、国有大企業は、合弁を通して極めて大きな収益を得ているが、それを活かし、近い将来も含め、中国市場への乗用車供給での先導的地位を確保するに至る状況には全くない。
 さらに、外資系の合弁企業が主導する中国市場の供給側の特徴は、外資系が主導主流なだけではなく、その外資系の中でVWが最も大きなシェアを確保しているが、米国市場におけるかつてのGMや日本市場におけるトヨタのようなガリバー的な巨大企業は、市場の大きさとの対比の下ではあるが、存在しない。特定巨大完成車企業が主導する状況にないということも、中国市場の特徴ということができよう。
 外資系企業が合弁企業を利用しながら、中国市場での覇権を握ろうと寡占間競争を繰り広げているのが、中国市場の供給側の特徴といえよう。それに対し、中国の中央政府は必ずしも現状をそのまま受け入れる状況にはなく、これまでも、合弁の担い手でもある既存国有完成車メーカー群に、自社ブランド車の供給拡大、シェア拡大を求めてきた。しかし、既存国有大企業としての完成車メーカーは、完成車メーカーとして成功しているとは言えない。はたから見た感想的見解を述べれば、明らかに合弁事業での高い収益に安住し、冒険を行い、既存外資系企業の牙城に正面から挑戦する姿勢を持つには至っていないと見える。その間隙をついて、新興地方国有企業や民営企業の完成車市場への参入が相次ぎ、中国系企業の完成車メーカーとして、一定の成功を収めているのは、これらの新興企業である。
 また、供給面での特徴として、さらに、中国政府の政策ゆえに、国内市場向けの乗用車は圧倒的に国内生産車であること、また海外向け生産が極めて少ないこと、この2つが言える。3千万台近くが、部材の多くを含め、完成車組み立てにとどまらず、ほぼ国内生産で充足されていること、これは新興工業国としては極めて珍しいことといえよう。同時に、外資系との合弁企業である主要乗用車メーカーの生産は、そのほとんどが中国国内市場向けであること、このことも、タイ等の新興工業国とは大きく異なる点である。中国という自国市場向けに他国には見られない規模での生産が可能とされ、実行されているのである。巨大な市場ゆえに、このような国内完結型の生産体制が乗用車産業で構築され、しかも十分に規模の経済性を発揮できている企業群が、寡占間競争を繰り広げることが可能となっている。
 すなわち、このことは、中国での乗用車生産は、中国市場向けをもっぱら念頭に置き生産されるし、生産できるということを意味する。輸出向けを考慮する必要は、ほとんどなく、中国市場向けにのみを考えても、十分に規模の経済性を実現できるということになる。しかも、その担い手の間には、激しい競争が存在しうるのであるし、実際、しているのである。
 他方で、中国市場の需要側の特徴としては、年間3千万台近くの巨大な市場を構築したにも関わらず、未だ拡大基調にあるということが最大の点であろう。また、このような拡大基調の維持が、現在でも新規参入企業を含めた新興企業の急成長を可能としている。さらに注目すべき点は、中国乗用車市場の階層性および多様性である。単に巨大な市場なだけではなく、価格帯としても幅広い価格帯の乗用車が存在し、また機能的にも多様な乗用車系の車両が販売されている。
その底辺には、かつては農用車と呼ばれる低速の商用車が存在した。多くは農村部で荷物を運搬するために利用されていたが、当然のことながら、人の運搬にも利用されていたトラクターから派生したと言われる低速の内燃機関の自動車である。この市場の存在が、LEV(簡易型電動自動車)の中国での普及に影響を与えている。多層的な自動車市場は、かつてから存在し、それが現在の中国乗用車市場のあり方にも影響を与えていると言える。なお、LEVの開発生産の担い手企業は、既存の乗用車メーカーではなく、またBYD(比雅迪)等、EVメーカーとして喧伝されている中国系企業でもない。2011年までの私の見聞で、かなり古い話であるが、多くのLEVメーカーは山東省や江蘇省に立地し、日本ではほとんど紹介されていない新興企業群である。その数は私が2011年時点で調べた限りでも数十を超えており、実際は100社以上存在することが見込まれた。
 すなわち、巨大な成長過程にある中国乗用車市場には、海外の人間が知らず、さらには中央政府等の担当者も把握しきれていないような、非常に多くの乗用車メーカーが参入しているし、また参入の機会を伺っていると言える。さらに、地方政府は、自らの利害の点からも、これらの新規参入企業を支援することに熱心であり、より参入が活発になっていると言える。
 さらに、中国乗用車市場の特徴として、多層性とともに強調する必要があるのは、その市場参加者のある意味での「若さ」である。乗用車が「マイカー」として本格的に普及を開始して、まだ20年くらいであろうか。私が初めて中国を訪問した2000年においては、乗用車として目立ったのは合弁企業の国内生産による旧型のサンタナやシトロエンのタクシーであった。「マイカー」はあまり目立たず、タクシーと官公庁を含めた社用車が中心であったが、その後急激に「マイカー」が増加したのを目の当たりにした。このような事実は、中国乗用車市場が成熟しておらず、買い替え需要ではなく新規需要層が大量にまだ存在する可能性が高いことを意味している。また、このことは、中国の巨大な乗用車需要者層は、長らく既存の内燃機関の乗用車に慣れ親しんだ人々ではないことをさらに意味する。既存の乗用車概念に規定される程度が少ない需要者層なのである。
 すなわち、中国乗用車市場は、成熟した寡占的巨大企業に支配された市場ではなく、市場が巨大かつ成長余地があるというだけではなく、需要者層が若く、市場として成熟に至っていないし、また新規参入企業の可能性があるということで競争的な市場である、このような特徴を持つ市場だということができる。
 このような特徴を持つ市場に対し、いま、電動機駆動システム化とAI化の可能性が高まり、かつ中央政府が積極的にその方向を政策的に推進しているという状況が生じている。国内自国系巨大企業の中に、覇者としての既得権者が存在しない。既得権者がいるとしたら合弁相手として利益の分け前を享受している国有大企業、独自な乗用車メーカーとしてはマイナーな国有大企業が存在するだけなのである。しかも、中国中央政府は、この電動機駆動システム化とAI化の可能性が高まりを、既存の外資系巨大企業群の中国市場での圧倒的優位を覆す好機と捉えている。既存のシステムの維持を図るよりも、それを変えることを推進しているように見える。

5、米国乗用車市場の特徴
 上記の中国乗用車市場の特徴と対比しながら、米国乗用車産業の特徴を検討する。米国市場を供給面から見ると、海外巨大メーカーを含め、既存巨大乗用車メーカーによって安定的に寡占的市場支配が行われていると見ることができよう。新規参入企業としてのテスラによるEV事業の先行的発進が生じているが、乗用車量産化に向けての努力が進行中というところであろう。ただし、量産モデルの達成が延期され2018年2月現在では未達の目標が週5千台であるから、目標を達成できたとしても年間にしたら30万台弱であり、年1700万台市場の米国市場から見れば、ごく小さな存在といえよう。
 しかも、テスラ以外については、EV参入企業の情報が伝わってきていないし、テスラも完成車メーカーとしての存立形態は、基本的に従来の完成車メーカーと同様な発展を目指している。基幹部品のプラットフォーム化ではなく、乗用車市場での寡占的大手企業化をEVで目指しているように見える。米国発で乗用車産業のあり方を変える要素としては、テスラの先行は大きな影響力はないと思われる。
 この意味では、当面、米国系企業GMとフォードを軸に、日系企業を中心とした外資系巨大完成車企業による安定的な寡占的市場支配が継続される可能性が強い。ただし、巨大な米国乗用車産業への参入を目指す企業は、プラットフォームとなる可能性の高い自動運転技術の開発を中心に、既存巨大IT企業やシリコンバレーに代表されるIT集積地のベンチャー企業を中心に数多く存在する。しかも、既存大企業のみならず、ベンチャー企業も資金的には十分なものが多く、激しい技術開発と主導権争いが生じている。
 既存の乗用車生産企業側も乗用車のAI化でも主導権を確保しようとしている。新規参入を狙う大小のIT関連企業と、既存完成乗用車企業との主導権争いが激しく行われているのが米国市場の特徴といえよう。中国との差異は、自国系の完成車企業が、この激しい競争の一方を主導していることであろう。
 さらに、米国市場の需要側の特徴を、中国市場との差異を念頭に確認する。まず当然のことながら、指摘する必要があるのは、米国乗用車市場の需要者は、極めて成熟した需要者であり、新規購買者はごく限られている。また市場の(安定的)拡大の可能性は極小であり、巨大市場であるが、市場としては成熟し、既存の需要へのこだわりが強い。特にピックアップトラック等の他の市場では見られない乗用に利用される大型車が、大きなシェアを乗用車市場で占めている。第一次石油危機以降、繰り返し見られた米国乗用車市場での現象の特徴は、環境が許せばピックアップトラックを中心とした大型車の需要が復活し拡大する、という市場の保守性である。
 このように見てくると、既存の乗用車市場を前提に、それに電動機駆動化と自動運転化が組み込まれるといった方向での展開が想定されるが、同じように巨大な市場である中国市場と比較すれば、新たなタイプの乗用車と新たな存立形態の受容については、米国市場の消費者の方がより保守的に行動する可能性が高い。乗用車の所有のあり方の変更も含め、新たな供給のあり方に、より柔軟に対応可能な市場は米国よりも中国と言えそうである。

6、中国と米国の乗用車市場の対比を踏まえた時、何が言えるか
 需要側の特徴から見た、新技術導入に向けての市場としての魅力 
 市場の大きさでは圧倒的に中国の市場が大きく、まずは絶対的な意味で、市場としての大きさがあり、新たな製品が育つ余地が大きいと言える。同時に、依然として若い需要者の拡大する市場であること、このことも新たな製品の投入先としては、より優位な市場と言える。

1)  供給主体側から見た特徴の差異
 中国と米国との市場での乗用車供給者側の大きな差異は、中国では自国系巨大企業が外資系主導の下での合弁企業としてしか存在しないということである。自立した大企業として自国系企業は、乗用車産業上位企業としては存在していないのが中国であり、米国では自国系のGM、フォードが依然として主要メーカーとして存在し、現在の市場の主流であるピックアップトラックの中核メーカーとなっている。
 この違いは、市場の変化に対し、既存大企業がどのように反応するかで、米中では大きな差異が生じる可能性が存在することを意味する。少なくとも中国市場では、中国政府の政策がEV化や完成部品企業のプラットフォーム化許容の方向に転じた場合に、自国系既存乗用車巨大企業が強力な反対勢力となる、といった可能性は極めて低いことになる。自国系巨大企業も含め、政府も企業も乗用車産業の構造変化を積極的に促進し、それを機にそれぞれなりに主導権を確保しようと考えるのが、現在の中国市場の供給側の状況から見て、生じる可能性が高い状況といえる。
 他方で、米国市場では、既存の自国系巨大乗用車メーカーが健在であり、寡占的市場支配企業として君臨している。乗用車メーカーとしての主導権を容易に手放すことは考えられないし、金城湯池のピックアップトラック市場の解体を甘受するという姿勢は生じないであろう。また、米国市場の需要者から見ても、これまで慣れ親しんだ大型乗用車の世界から積極的に離れることは、ここ数十年の小型車への選好傾向が、ガソリンの値段に左右されるだけで、根本的に大型車志向に変化がなかったことからも、考えにくい。ガソリン車の市場が世界的に縮小すれば、ガソリン価格は低下することは目に見えている。その結果は、アメリカではますます既存のピックアップトラック中心の市場が強化されることになるであろう。

2)  政府の姿勢 乗用車産業のウィンテル化を許容するか
 さらに考慮すべきことは、それぞれの市場で、構造変化を主導する企業が既存の乗用車巨大メーカーではなくなる可能性に対しての対応が、大きく異なる可能性である。米国政府にとって、既存巨大企業である自国系乗用車メーカーの利害を無視することは考えられない。GMやフォードの経営ががたつけば、米国経済にとって特定地域での雇用も含め、巨大なマイナスの影響が生じることは目に見えている。全体として、乗用車産業が高水準であるが成熟化している中での、既存企業の衰退ということであるから、その時点の政権にとって、そのような状況が生じることを無視することは不可能であろう。
 それに対して、中国の場合は大きく異なる。確かに、既存合弁企業の衰退は、特に特定地域では雇用問題を引き起こすであろうが、市場そのものは巨大であり、かつ依然として成長の余地を大きく残している。それゆえ、それに取って代わる企業が生まれれば、既存企業の維持にそれほど大きな配慮をするとは考えにくい。ましてや外資系企業主導の状況が、自国系企業主導へと変化する可能性が大きければ、地域雇用構造変化等の激震も許容する可能性が高いであろう。
結論的に言えることは、中国市場では、新しい世代の乗用車産業のあり方は、その巨大さのみならず、市場の若さゆえの柔軟性、既存の覇者としての自国系メーカーの不存在、そして政府の基本的な姿勢の差異と言ったことから、多様な模索が、より積極的に行われる。そのことにより、新たな乗用車産業の存立形態は、中国市場で先行的に決まる可能性が極めて高い、ということである。そして、その中国での方向性が、世界最大市場ゆえに、主要乗用車メーカーにとって、それへの対応を不可避とされるものとなる。すなわち、世界の乗用車産業のあり方の変化の方向性を規定する可能性が高い。

7、中国市場での乗用車産業の構造変化の方向性
中国市場を中心に、新世代の乗用車産業の方向性が決まるとしたら、どのような形になる可能性が高いか。電気駆動化とAI化を担う中心的主体は誰かと、その結果生じる乗用車産業の産業構造は、どのようなものとなるかが、次の問題となる。
改めての確認であるが、現在の乗用車産業のあり方は、日米欧でサプライヤのあり方にはかなり差異があるが、乗用車産業を主導するのは量産完成車メーカーであることは、現在のところ、どの市場出自の企業であっても差異がない。トヨタ、GMVWがそれぞれの市場を代表する企業であると言える。いずれの企業も、自社が生産する乗用車について、乗用車全体の開発設計はもちろん、主要部品である内燃機関を中心とした部分については企業内部で設計生産している。また、その他の主要部品についても、部品サプライやとの共同開発も多いが、基本的なコンセプトは完成車メーカーがモデルごとに決め、それに従った開発を行い、生産を委託している。
さらに、各社とも、自社の開発車は、中核部分はモデルごとに自ら開発した車種であり、かつ、モデル内での部品の互換性は当然非常に高い水準にあるが、競合他社のモデルの部品と互換性が存在することは、多くの場合ない。各社による各モデルごとの開発に基づき、各社が一部の主要部品を内製化した上で、完成車組立を内製しているのが、主要メーカーの一般的な姿である。
他方で、現代では、スマホが典型であるように、開発と量産、主要部品の開発と量産、それぞれが別々の主体によって担われていることの方が当たり前な量産電子機器のような分野も存在する。
 乗用車がこれまで完成車メーカー主導でかつ開発生産が一体化していたということは、乗用車のコンセプトが長期的に安定し、漸進的な改良の積み重ねであったこと、その中で巨大寡占完成車メーカーの支配が安定していたことが根本にあり、製品内容に大きな変化がなかったがゆえにかつて一般的であった産業形態が維持されていたという側面が、まず重要である。それと同時に、乗用車は、耐久消費財で、一般的な人々が日常的に使用する財でありながら、高速かつ重量物である移動手段であることで、多くの危険が存在し、実際に事故を起こし、人的被害も多く生じている。そのため移動手段としての安全性の追求が重視され、それと適合的な内燃機関を設計開発生産、かつ量産することが、極めて重要であった。
 内燃機関の往復運動の力を車輪の回転運動に滑らかに変換し、かつ重量物としての車体の操作性と安全性を確保することには、設計上の多くの難問があり、それを完成車メーカーは、それなりに克服することで寡占的支配を実現したとも言える。このような開発上の問題が、回転運動である電気駆動の電動機を主たる動力とすることで、従来の内燃機関が持っていた設計上の問題点の多くが主要な問題点とならなくなる。その際たるものが、インホイールモーター、すなわち車輪にモーターを内蔵した形の乗用車であろう。インホイールモーターを軽量化し安定化する技術自体には課題が多く残されているようだが、車両を駆動するという意味では、モーター部分と車体とを、ほぼ別のものとして設計可能となるということができる。構造上の問題は、電動機内蔵の車輪とそれに電気を送る蓄電池ないしは燃料電池、そしてそれらの車輪の動きを制御する制御機器、このセットと、それを搭載し人や物を乗せる部分とは、発想として別個に考えることが可能であろう。制御機器そのものは複雑なものとなるが、LSI中心の極めて小型なものになるであろう。また、電池は、インターフェイスを規格化しておけば、必要に応じてサイズやタイプを自由に交換できることになる。
 このようなインホイールモーターの乗用車そのものは、慶應義塾大学の清水教授によって、すでにエリーカとして試作車が開発され、公道を走り話題を呼んだ。その実用化を目指し、各国で多様な模索がなされているのが、現状であろう。そして、その模索の場として、あるいは模索の担い手の多様性と多数性という面で、中国市場は最も適合していると言えそうである。中国では、電動2輪車でインホイールモーターの実用化が実現している。そのレベルは乗用車向けには程遠いとしても、その発想そのものはより具体的に展開され、すでに量産されている。電池の大容量化、モーターの小型化といった、ある意味歴史の長い課題が依然として残っているが、他方でAIの進展で制御機器の進歩は急激であり、またLSIのレベルの向上でその小型化は急激に進展している。旧来技術でいくつかの突破が生じれば、蓄電池か燃料電池かは別として、一気にAI化された電動自動車の時代がやってくるであろう。機構的により簡素なものとなる可能性が高いのが、インホイールモーター型であり、それが実現すれば、乗用車開発のコンセプトが全く変化することになる。
 車体は構造力学的な問題とデザイン性の追求により開発され、それにインホイールモーターの車輪がいくつかつけられ、AIの制御機器と蓄電池か燃料電池が搭載される。これが近未来の乗用車であり、それの開発が多様な主体によって模索されている。その上で、繰り返しであるが、このような多様な多数の主体が存在可能で、模索の成果を多様な形で具体化できる巨大な市場があるのが、中国である。しかも、中国市場では、従来持っていた優位性を失い、それを苦々しく感じる既得権益者は、外資系企業およびそれと合弁して漁夫の利を得てきた国有大企業にほぼ限定される。他の大規模市場のように自国系の寡占的巨大企業ではないのである。
 既存の主要な世界乗用車完成車メーカーの思惑とは関係なく展開しそうな巨大市場は、中国市場しかなく、それは、既存完成車メーカーの思惑など無視して、多様な主体による多数の多様な試みがなされ、その結果勝者が決まり、新たな乗用車産業が形成される可能性が高い市場なのである。結果として乗用車産業のあり方が大きく変わる可能性がある。
 1つは、電動機構、制御器、蓄電池あるいは燃料電池、それぞれに多様な専門企業が形成され、それらがインターフェイスを標準規格化されることで、完成乗用車メーカーの参入障壁が顕著に低下し、多くの車体メーカーが車体開発だけの企業も含め、参入するという姿である。自転車産業の部品メーカーと車体組立メーカーとの関係に近い姿と言えるかもしれない。中には、シマノのように特定のコンポネンツで優位に立つ企業は出現するとしても、事実上の業界標準、すなわちパソコンのCPUのインテルのような存在は生まれず、少数のプラットフォーム企業が業界リードするような形態ではない、多様性に富んだ産業の姿である。もちろん、そこでは、完成車メーカーは、自転車メーカーがそうであるように、あくまでも車体メーカーとして存在しているのであって、乗用車全体の開発を主導し、乗用車生産の中核を担う存在ではない。
 あるいは、特定の完成部品で圧倒的に優位に立つ開発企業が成立し、その企業の製品を軸に乗用車が開発される、パソコンでのウィンテルのような状況が、乗用車生産でも生じる可能性も存在する。圧倒的に軽量かつ強力なインホイールモーター、他に類例のない能力の高い蓄電池とか燃料電池、あるいは圧倒的に優れた制御機器を、特定少数企業が開発すれば、そのような存在となる可能性がある。世界最大規模の製品市場でのプラットフォーマーの登場である。
 私が言いたいことは、乗用車産業の存立形態として、近未来的にこのような2つの可能性があり、それが形成される場は、既存巨大企業が強力に存在する米国市場ではなく、それが存在しない中国市場である可能性が高い、ということである。そして、そこでの産業形態の変化が、世界の産業形態の変化をもたらす。乗用車産業全体の変化をもたらす可能性が強い、ということでもある。

8、まとめ
 中国市場こそ、フォード生産システムの流れをくむ産業形態の次の乗用車産業の存在形態を作り出す可能性が最も高い市場である、というのが何よりも本稿で主張したいことである。その理由は、既得権益の自国系寡占的巨大企業が存在せず、市場が巨大なだけではなく、需要者が若くかつ市場が成長期に有り、新規参入企業が数多く存在するなど極めて競争的であることにある。
その上で、中国での新たな産業形態の普及過程では、山寨携帯でのメディアテックの展開が、極めて参考になる。中国市場外で展開し形成された垂直統合型の携帯電話産業が、既存の大手携帯電話産業企業ではなく、メディアテック主導で中国市場独自の展開をすることでその産業形態を大きく変えたのが、メディアテックのプラットフォーマーとしての成功である。レシピ付きベースメントICを提供することで、多様かつ多数の携帯メーカーや関連企業の新規参入を促し、従来の携帯電話の生産からは想像できない安価かつ多様な携帯電話産業を作り上げた。これが乗用車産業でも、再度中国市場の中で生じないとは限らない。そこで気になるのは、中国市場でのLEVの独自な発展展開である。
 中国でのLEVは、いくつかの省では公認されている場合もあるが、中央政府からの規定や規制がない状態で、自然発生的に開発され、農村部を中心に簡易交通手段として利用されている。既存の鉛電池やモーターを使用し、内燃エンジンの農用車で利用されていた車体を活用し、電動2輪車の延長線上で制御機器を開発し、組み立てられ、近隣市場への人や農産物の運搬に供せられている。その特徴は、既存技術を最大限活用しながら、LEVという財を開発するということであり、それを無数とも言って良い主体が、多様な出自の主体が参入し、すでに生産をしている。
 このようなLEVの中には、リチウム電池を使い始めているものも、2010年前後にすでに存在していた。農村部の乗用車に対する巨大な潜在的市場を顕在化させれば、メディアテックが携帯電話で実現した、安価価格帯だがそれなりに市場のニーズに応える製品に関する新しい生産システムの導入の乗用車版が生じる可能性も大である。既存の乗用車生産体制の変化が遅れれば、携帯電話同様に安価製品分野からのシステム革命が生じる可能性がある。
 携帯電話では、メディアテックの新しい生産システムが、スマホへの移行過程で、クアルコムへも波及し、クアルコムとメディアテックという中核部品をプラットフォーマーとする新しいスマホ生産システムが、サムスンの統合型生産システムとグローバルに競合している。乗用車のどの部分であろうと、一定の巨大な規模で新たな生産システムの有効性を示す存在が形成されれば、それが一挙にグローバル生産体制の変革へとつながる可能性が存在する。その際、中国LEVでメディアテックになぞらえることができるような新たなプラットフォーマーの形成が見られれば、LEVを出発点として、グローバルな生産体制が大きく変化することが考えられる。そんな可能性を秘めているのが中国乗用車産業であろう。