以下の小論は、筆者のここ1年くらい書いてきた、いくつかの小論のまとめにあたるものである。現代資本主義における後発工業化国における産業・工業発展をどのように把握すべきか、日本と中国の産業・工業発展を見てきたものとして、強い関心を持っていた。しかし、これまで正面からじっくり考察したことがなかった。そのため、考える時間がたっぷりとることができ、実態調査に出かける意欲を失った今、改めて正面から考えてみた。以下は、その結果である。
現代資本主義における
グローバル化と工業生産にとっての意味
− 工業企業・産業発展の国民経済枠からの把握を超えて –
渡辺幸男
目次
はじめに
1、現代の市場と生産システム
2、グローバル市場への供給システムとしてのグローバル生産システムの形成
3、グローバル市場形成とグローバル生産システム構築の意味
4、雁行形態論への含意
5、グローバル生産システム構築から見た「中所得国の罠」
6、小括
参考文献
はじめに
以下は、筆者のこれまでの産業発展研究、特に日本と中国における産業実態調査に基づく産業発展認識を元に、現代の後発工業化国の産業発展を考える枠組みについて、筆者の勝手な見解をまとめた覚書である。
結論を先取りして言えば、現代の後発工業化国での産業発展を語るとき、日本経済やある程度中国経済での産業発展の際には基軸的枠組みとして設定できた、国民経済の枠組みで産業発展を考えることは、不適切ということである。日中の産業・工業発展について、国民経済の枠組みで考察してきた筆者(その成果は、渡辺幸男(1997)、(2011)、(2016)としてまとめた)にとっては、ある意味で逆説的な結論である。
その根本には、国民経済単位での産業・工業発展を議論できるのは、西欧、北米、そして日本までであり、韓国や台湾は不可能であったし、中国はある意味擬似的にそれが可能となり、時代的には例外的に可能であった、という認識がある。さらに中国が工業発展を遂げたことで、中国の工業発展自体が、最終的に他の後発工業化国において国民経済の枠組みで産業・工業発展を実現することを不可能にした、という認識も筆者には存在している。
以下、後発工業化国での産業発展の考察のための論理的枠組みについて、この考え方の妥当性を、グローバル市場形成とグローバル生産システム構築との2つから示していきたい。
1、現代の市場と生産システム
現代資本主義の到達点は、一方ではグローバル市場の形成であり、他方ではグローバル生産システムの構築であった。
まずはグローバル市場であるが、国際的な市場はこれまでも多様な形で存在していた。また、先進工業国を中心にしたグローバルな市場も存在していたと言える。しかし、筆者がここで言いたいのは、アフリカ等の発展途上国の一般の人々をも組み込んだグローバル市場の形成である。
小川さやか(2016)のアフリカの小商人についての調査研究から多くの示唆を得た点であるが、中国の自生的な産業発展、そしてその対外展開を通して、これまで欧州の古着等、安価だけの商品の市場でもあったアフリカの発展途上国の軽工業品市場が、中国の深圳や義烏を中心とした軽工業諸製品の集散地市場の一部へと組み込まれた。アフリカの小商人が、単に安価だけではなく、地元のニーズを反映する商品を調達するために華南や華東へと出かけ、集散地市場で適切な商品を探すとともに、必要に応じて既存の商品の修正等を求め注文も行うという形で、軽工業製品を調達し始めている。このような事象を通して、これまで工業生産活動が対象とする「グローバル」市場の埒外にあったアフリカ等の一般庶民の日用品の市場が、グローバルな市場の一部を構成するものとなった。すなわち、単に商品が売られるだけという意味での市場ではなく、市場のニーズを反映した商品がグローバルに調達され販売されるという意味で、アフリカの軽工業品需要もグローバル市場の一部へと組み込まれたのである。
すなわち、このことは、アフリカ等の発展途上国に立地する軽工業製品製造中小企業であろうとも、中国華南の深圳等から供給される軽工業製品との競争に、当該企業が立地する国内市場においても曝される、ということを意味している。このグローバル市場での競争に立ち向かい、そこでの競争で生き残れなければ、立地している国の市場の需要にたとえ依存していたとしても、発展どころか残存さえできないことになる。工業製品生産企業間でのグローバル競争に曝されない国民経済内の市場は、発展途上国を含め、グローバルな意味でどこにも存在しなくなった、ということを意味する。
他方で、このようなグローバル市場へ供給する側の生産体制もまた、グローバル生産システムとして構築された。中国での低価格軽工業品の生産用を含め、部材や資本財としての機械設備は、グローバルに調達され、最終製品として生産されている。高度成長期の日本で見られたような、国内完結型の生産体制の下での生産はほとんど消滅し、特定の地点で企画開発された製品や部品について、グローバルに生産された部材と資本財を広域的に調達し、最終製品として生産するに適した場所で生産されるという生産システムが構築されたのである。
このような、本格的なグローバル市場の形成の下でのグローバル生産システムの構築が、後発工業化国の産業・工業発展にとって意味することを、以下で見ていくことにする。
2、グローバル市場への供給システムとしてのグローバル生産システムの形成
グローバル生産システムの形成にとって、最も重要なのは、インフラの整備により情報流と物流が極めて安価となったことである。この結果、部材のグローバル調達が、安価となり、グローバル規模で最も適切なかつ安価な供給者を選択し、そこから調達することが、多くの財の生産で現実化した。その例外とも言えるのが、乗用車生産である。その財の性格から、部材の近接生産が依然として有効であり、部材生産に関する関連産業の集積が、巨大消費地を念頭に立地している乗用車組立工場の周辺に形成されている。しかしながら、それ以外の多くの財においては、部材を含めたそれぞれの財の個別の立地の論理で、生産拠点や開発拠点の立地が決定され、グローバルに部材のやりとりが行われ、それを前提としてグローバル生産システムが構築されている。その典型ともいうべきものが、量産電子機械であろう。企画開発拠点と製品組立拠点が地理的に大きく離れているだけではなく、完成品組立拠点と、それに必要とされる部材の生産拠点も、地理的に大きく離れ、部材のグローバル調達の下で組立が行われている。
また資本財、すなわち産業用の設備機械の生産拠点は、当該資本財が使用される場所とは、基本的に関連なく、個別の資本財生産の最適立地を求め立地が決定されていると言える。この場合は乗用車生産でも例外ではない。資本財に関しては、グローバル調達と言える。筆者が実際に聞き取り調査を行ったことのある事例では、電子基板組立、SMTがその典型的な資本財といえよう。SMTは電子機器に必要な基板の組立には不可欠な設備機械であり、基板の組立自体は、多くの国々で行われているが、そのための機械について言えば、現在では日独の数社が日独で生産し、全世界に供給している状況である。また、最先端設備による半導体生産では、ステッパーについては、少し前までは日欧数社により供給されていたが、現在はオランダの会社ASMLの製品が世界を制覇している状況にある。すなわち、世界中で使用されている各分野の主要資本財、産業機械設備システムの多くは、少数企業の特定少数生産拠点で生産され、グローバル規模で供給されているのである。
3、グローバル市場形成とグローバル生産システム構築の意味
グローバル市場の形成下でのグローバル生産体制の構築のもとでは、製造業の各企業は、グローバル市場での競争関係を前提に自らの存立を考え、経営を行うことを求められる。また、そのために必要な部材や設備機械については、グローバルサプライシステムを前提に調達することが可能であるし、同時にそれが必要であるということになる。
すなわち、同一市場で直接競争する関係に、どの国民経済内に立地している企業も置かれることになる。国民経済ごとに市場がわかれ、完成品の一部が国境を越えて取引されていた時代とは異なり、グローバルな単一市場が形成され、どのような財、中間財等に特化しているような企業であろうとも、直接的にグローバル市場での競争に曝される。この点を前提に、個別企業は、生産設備の調達や部材調達について、グローバルサプライシステムをそれぞれなりに活用していくことが不可欠となる。これはグローバル市場での競争の強制ゆえに生じるのであり、この競争の強制を回避することはほとんど不可能ということになる。
このグローバル市場での競争の強制は、どの国民経済に立地する企業にとっても不可避のことであるということは、逆に見れば、どのような国民経済に立地していようと、現代ではグローバルサプライシステムを、他国民経済に立地する企業とほぼ同様に活用できるということを意味する。
ここから、グローバル市場とグローバル生産システム形成下特有の企業の存立形態が生まれる。かつての国民経済ごとの市場を中心としていた状況、あるいは特定の生産システムの活用範囲が、国民経済や先進工業国内に限定されていた時代においては、先進工業として立地する範囲は、先進工業国内に限定されることになりがちであった。そこから企業立地が外れれば、部材調達や設備機械調達メンテナンスで、競争上不利となり、よほど特別な立地上の優位性、例えば、当該国民経済の関税障壁や特殊な原材料の排他的な入手といった立地上の優位がなければ、先進工業国内立地の企業との競争で、極めて不利な状況になった。
それに対して、グローバル生産システムを前提にできる状況であれば、部材調達や設備機械の調達メンテナンスで、先進工業経済に立地している企業と、後発工業化国経済に立地している企業との間に大きな差異は生じないこととなる。部材や設備機械の面で競争上不利ないならないとすれば、あとは、差異が生じる可能性を与えるのは資金調達能力と人材確保能力ということになる。もちろん、その大前提として、グローバル市場へ供給する上で、インフラ面での当該地域の遅れが存在しないということはある。インフラが整備されていれば、後発工業化国内に立地しようとも、資金調達に成功し、人材を確保できれば、先進設備機械を使用し先進部材を調達し、グローバル市場で十分競争可能な製品等を供給可能となる。
例えば、ブラジルのエンブラエル社は、リージョナルジェット市場では、カナダのボンバルディア社とともに、世界の2強ともいうべき航空機メーカーである。三菱重工業の子会社の三菱航空機がまだテスト飛行中(三菱航空機(2017))の分野でもある。航空機開発のための人材の育成に成功し、国際競争力のあるジェット機の開発に成功した。その上で、エンジンは米国製の最先端エンジンを搭載し、また機体の製造については、日本の川崎航空機等と提携し、ブロック化して生産委託をし、それをブラジルで組み立てている。地元の部材供給企業への依存は、筆者が関連文献や資料(エンブラエル(2016)、田中祐二(2007)、中山智夫(2010))を見た限り、かなり限られたものであった。
また、タイの畜産や食品加工を中心とした巨大企業、CPグループは、最近の日本経済新聞電子版(2017)の記事によれば、その食品加工や包装生産ラインの設計を日本のローカル企業に委託し、日本内外の先進的な設備機械を組み込んだ生産ラインをタイの工場や、進出先の中国の工場に設置しているとのことである。タイのメーカーであることで、タイ製の設備機械を使うのではなく、グローバルに最適な機械を調達し、それを日系企業に設計させ、最先端の機械設備の工場をタイや中国に建設している。
ここから見えてくることは、大きくいって2つのことである。1つは、これまでも述べてきたように、現代のグローバル市場とグローバル生産システムの形成は、後発工業化国に立地していても、グローバルサプライシステムを活用することで、最先端の生産設備を実現でき、部材調達面でも先進工業国立地の企業に引けを取らないということである。
今1つは、以上のことの裏返しであるのだが、特定の立地上の優位な条件に依拠し、後発工業化国においても先進工業企業の形成は、グローバルサプライシステムを活用することで、十分可能なことだが、同時にそれはグローバルサプライシステムを活用することによってのみ可能だということである。すなわち、サプライシステムはグローバルに存在する既存のものが活用され、後発工業化国内に新たに形成される、あるいは当該国内の既存のものがより高度化するようになる、といった可能性を多くの場合与えないことになる。
つまり、末廣昭氏が近著でタイのキャッチアップ工業化の可能性に関連して、「タイ化粧品の原料であるコメ、柑橘類、ハーブの分野で、独自のイノベーションが進んでいる点が重要」(末廣昭(2014)p.95)であるとし、「タイが日本や台湾のように、「電子立国」で成功することは限りなく難しい。しかしながら、豊富な資源を有するタイは、IT産業で生じた新興アジア諸国の「キャッチアップの前倒し」とは別の選択肢、つまり「タイらしさ」を活かした独自の比較優位を追求しているように見える」(末廣昭(2014)p.96)と述べている。
このタイのハーブ等の加工品を使用した化粧品産業の可能性に注目し、そのグローバル市場での成功の可能性を指摘されていることには、筆者も大いに共感するものである。タイ特有の素材を活かした独自の化粧品産業のグローバル市場への進出の試みは、外資の直接投資を中心とした組立産業の立地以上に、先進工業化する可能性が高いといえよう。
同時に筆者が気になるのは、化粧品産業としてグローバル市場へ進出する際に、タイの当該産業は、どのような戦略を構築しているかである。成功するための基本的に必要な要素は、設備機械を中心に、グローバルサプライシステムを活用し、最先端のものを調達し、それをタイの状況にマッチするように設置し、活用することである。このような設備投資を行うのでなければ、化粧品産業企業としてグローバル市場で成功することは不可能である。筆者がかつてかいま見たタイのチェンマイの醸造工場は、その場で飲んだ限りで良い味の酒類を生産していたが、基本的な生産管理体制が全くできておらず、製品の品質の安定化と品質保証の面で全く心もとないものであった
設備面で最先端のものをグローバルに調達し導入することは、グローバル市場で競争する上で、タイの化粧品産業企業としても不可欠なことであろう。同時にそのことは、化粧品産業のタイ企業の発展は展望できるが、その発展がタイの機械工業を含めた工業全体の先進化にどう繋がるのか、全く見えてこないことである。末廣氏の関心は、筆者とは大きく異なることから、タイの化粧品産業の設備機械についての言及は全くない。それゆえ、これ以上何も言えないが、タイの化粧品産業のグローバル市場での可能性は、現代においては、そのままタイの工業他分野への波及の可能性を示唆するものではない、という点だけは言える。
4、雁行形態論への含意
雁行形態論とは、国民経済単位で軽工業から機械工業等へと産業構造が変化することを念頭に置いた議論であり、国民経済単位での工業化を前提としている議論であると言える。グローバルサプライシステムの形成はその考え方に多大な影響を与えるはずであるが、それと国民経済単位の産業のあり方との関連が曖昧なまま、議論が展開されている。
すなわち、雁行形態論が、国民経済としての工業化の際の工業系産業の形成が、先進工業国の発展の後追いとして生じるという議論であると理解されるのであれば、その議論の中核には、国民経済としての一体性の下での評価が前提されている。しかし、国民経済内での部分的な先進工業化の進行、他の産業部門の海外依存、このような状況が現代のグローバルサプライシステムの下では十分考えられる。むしろ、現代において後発工業化国で先進工業化が生じるとしたら、韓国・台湾を先例とする、特定産業の特定企業(群)が主導する形でのグローバルサプライシステムを利用した、国民経済の工業部門の一部(のみ)での先進工業企業(群)の形成であろう。
しかしながら、雁行形態論的発想に立つ限り、このような形での先進工業企業の形成を想定すること、認識し位置付けることは不可能となろう。雁行形態論的発想に従えば、特定の先進工業企業が、後発工業化国に形成されたのであれば、それは当該国民経済の中で、やがてそれを支えるサプライシステムが構築されることを、同時に意味することになる。実際は、そうではなく、特定企業(群)が突出し、当該国民経済の他産業部分への波及が少ないまま、先進工業化が一部で進む可能性が高いのである。しかし、それを包摂する論理は、国民経済単位での先進工業化を想定する論理には存在しないのである。
さらに、後発工業化国の工業化の中でも、先進工業国からの企業進出による工業化は、自国系企業による工業化と、基本的に意味が異なることを理解しているのか。この点も疑問である。現代の後発工業化国での工業化では、企画開発機能と販売機能が海外に存在する中での生産機能のみの海外企業による分工場設置、現地労働力の雇用ということが、一般的に見られる。このような工業化が、当該国民経済全体の工業化にとって何を意味するのか、確認することが必要であろう。
少なくとも雁行形態論が想定している国民経済内での軽工業から重工業への産業シフトへの展望に関していえば、外資系企業の生産拠点のみが当該国民経済に立地している場合は、韓国・台湾での先進工業化以上に、軽工業関連工場立地が関連産業としての資本財産業等の形成へと繋がる可能性が低いであろう。
以上まとめれば、かつてそうであったような国民経済単位で工業化の進展が生じていた状況であれば、特定の軽工業の生産拠点が移行してきた経済において、その関連産業がその周辺に形成され、素材と資本財の生産も同一国民経済内で行われるようになるとの想定がされえた。しかし、現代のグローバルサプライシステムの中での特定の軽工業の生産拠点の国民経済内での形成は、その生産拠点がグローバル市場で競争する力を持つ生産拠点となろうとする限り、グローバルサプライシステムを活用し、そこから必要な部材や資本財を調達することが不可欠である。その中で近接が必要で、かつ量的に規模の経済性を達成できる生産部分だけが、時間をかけて当該国民経済内に立地される可能性を持っていると言える。
各国民経済が、雁行形態的に段階的に産業の高度化を進めていくという状況は、各国民経済の中の有力な企業(群)だけが、グローバル市場で、グローバルサプライシステムを使用して、競争している状況下では、生じる可能性が極めて低いと言える。国民経済を前提に、産業の発展段階を考えるという発想自体が、その発想を可能とする基盤を失っているとも言える。極論すれば、各国民経済は、グローバル市場で競争する各企業の出身地、ないしは出自を表現するのみであり、当該企業が依存する生産システムとは関係ないということなのである。
5、グローバル生産システム構築から見た「中所得国の罠」
グローバル生産システムが構築された現代の状況を踏まえ、近年議論されている「中所得国の罠」の議論を見直して見たい。
近年、後発工業化国として工業化が進展した諸国の多くは、グローバル生産システムの中の労働集約的な生産工程を担う傾向が強い。そこでは、単に労働力を大量に動員することが必要であるというだけではなく、不熟練労働力でも十分労働力として活用できるという点が特徴的である。そのため、不熟練労働力を大量に安価に利用でき、インフラが整備された発展途上国ないしは後発工業化国に、そのような生産工程を担う工場は立地する傾向が強い。
このような性格の工程には、機械工業製品の量産機械の最終組立工程あるいはアパレルの縫製工程等が含まれる。同時に、そこで必要なのは、組立や縫製といった現場作業のみであり、製品そのものの企画開発については、専門技術者を多数使用する必要があり、多数の多様な技術者を確保することが容易な先進工業国内で行われることになる。すなわち、不熟練労働力を大量に使用する組立工程のみを担当する工場が、発展途上国や後発工業化国には立地することになる。その際の具体的な工場の存立形態としては、海外企業の全くの分工場の場合もあれば、受託生産企業の工場の場合もある。この受託生産企業も立地当該国系の企業の場合も、受託生産を専門とするEMSのような多国籍大企業の工場という場合もある。
インフラ整備された後発工業化国で、このような工程を担う分工場や受託生産企業工場が多数立地すれば、やがて不熟練労働力についても自由に調達できるような状況ではなくなってくる。過剰労働力の枯渇といった状況が生じる。このような後発工業化国では、当然のことながら不熟練労働力の労賃も上昇し始める。
「中所得国の罠」として議論されている国の多くは、このような状況下にある国であるといえよう。このような状況が生じるならば、分工場として進出していた企業やEMSのような受託生産専門の巨大企業は、不熟練労働力が豊富でインフラが整備されてきた新たな進出先を探し出し、当該国から転出していくことになる。持続的な工業投資の展望は、この限りでは、中所得国化を実現した当該後発工業化国にはないこととなる。
このような行き詰まりの状況から脱し、中所得国からさらに高所得国へと発展するために、イノベーションの必要性が強調されている(大野健一(2013)、トラン・バン・トゥ(2015))。しかし、以上のような展開をしてきた後発工業化国で、誰がイノベーションを担うのであろうか。イノベーションは政策立案当局がその必要性を訴えたからといって生じるわけではない。資本主義経済では、イノベーションの担い手としての企業や起業家が競争の中で実践していく。競争に強制され、企業がリスクを冒してイノベーションを試みるのである。
すなわち、イノベーションには担い手が必要である。後発工業化国にとって国民経済としてイノベーションが多数発生することが必要であることは明らかである。しかし、そのことが現実化するためには、担い手としての競争にさらされた多数の「企業」や起業家が、当該経済内それも工業分野内に存在し、あるいは形成されることが大前提である。
以上の確認から言える第一のことは、外資の生産だけの分工場や受託生産工場がもっぱら立地し、工業化がそれなりに進展した後発工業化国にとっては、イノベーションの担い手を見出すこと、ないしは当該国民経済内に確保すること、これが最大の課題となろう。現代工業を担う企業家は、このような国民経済での工業化過程では生まれようがない。工場の管理労働者等の層は形成される可能性が大きいが、肝心な企業家は当該国民経済内に依拠する人材には求められなかった故に、層として形成される可能性は極めて小さい。自生的な企業家がいない国民経済の工業化の進展といえよう。
このように見てくると、必ずしもすべての後発工業化国が、企業家不足状況に陥るわけではないことも理解されよう。受託生産を中心とした工業化であっても、その担い手が当該国民経済内の企業であれば、そこでは一定規模の企業家層が形成される。企業経営者としての訓練としては、市場開拓面での限界性を持つ可能性が大きいにしても、企業経営者として自らリスクを負って工業的事業を経営し、生産そのもの運営とその経営については学習することになる。
さらに、中国やインドのように国民経済内の市場が潜在的にでも巨大であり、当該国の国内市場に向けた生産活動が高まれば、市場近接立地の意味が多少でもある限り、グローバル市場向けの生産活動であっても、当該国民経済内に一旦形成された工場群は、市場の重点を変えながら当該国民経済内に定着していく可能性も存在する。同時に、一定の独自性を持つ国内市場に向けて、グローバル市場向けに進出した企業の生産活動に刺激され、新たな起業が生じる可能性も高くなる。その結果、自国内に企業家・起業家の層が形成され、自国市場向けに競争が激化し、イノベーションの担い手の形成へと繋がり、イノベーションそのものも発生する可能性が高くなる。まさに当該国民市場向けの製品開発といったイノベーションが生じる可能性も高いと言える。
グローバル生産システムが一般化した現代において、後発工業化国が中所得国化し、過剰労働力が枯渇してきたとしても、後発工業化国の状況は多様であり、その工業化過程の独自性により、その後の展開の可能性は異なる。また、その多様性を踏まえ、当該国の状況に適した政策的関与の方向性を決める必要があるといえよう。後発工業化国として中所得国化した多様な国民経済について、所得水準が同様水準にあるということだけで、同質の内容の工業化過程であるとは、現代でもいうことはできない。それぞれの工業化のあり方を踏まえて、その後の展望を描き、政策的課題を確定する必要がある。
6、小括
グローバル市場の形成下でグローバル生産システムが構築されたことが、後発工業化国にとって何を意味するか、筆者なりに考察してきた。
そこで確認した第1の点は、構築されたグローバルサプライシステムを活用することで、後発工業化国に立地する企業においても、特定立地での賦存資源(人材も含め)の優位性を活用することで、個別企業として先進工業企業化が可能である、ということであろう。ブラジルのエンブラエル社に見られるように、国民経済内に関連産業の蓄積が十分にあるという状況ではなくとも、三菱航空機がまだ実現できていないリージョナルジェット機の商業化を実現し、メーカーとしてグローバル市場での覇者となることを可能にしたのである。開発人材の蓄積こそ重要であり、それをグローバルなサプライシステムに結びつけることで、ブラジルに立地しながら、リージョナルジェット機分野での覇者となった。
同時に、このように後発工業化国の一部工業企業がグローバル市場で覇者になることによる立地する国民経済への産業連関的内的波及は、グローバルサプライシステムに依存しているが故に、極めて微弱なものにとどまる可能性が大である。雁行形態論が描くような、国民経済内への波及を通して、国民経済全体として先進工業化が進展する可能性も、極めて小さいことになる。
また、「中所得国の罠」として近年話題となっている事象も、このようグローバルサプライシステム下での後発工業化国の工業化のあり方を反映している、と見ることができそうである。近年の後発工業化国では、グローバルサプライシステムの特定機能のみが立地し、それのみで国民経済としての工業化が進展することが可能である。すなわち、豊富な低賃金労働力を活用しうる生産機能だけが立地し、企業経営全体の機能について当該国民経済内への立地が生じない場合も多い。このような状況で工業化推進の唯一の要素、優位資源である低賃金労働力の供給を支えていた過剰労働力が枯渇すれば、工業機能は維持されなくなる。また多くの場合、分工場的工業化であり経営主体が不在の場合が多いゆえに、新たな環境に対応したイノベーションは生じ難い。工業化がある程度進展しながら、その後が続かない状況が生まれやすいのが、グローバルサプライシステムの中での一部機能のみでの工業化の特徴であると言える。
グローバルサプライシステムの構築は、一方で特定の経営資源での優位に依存し、後発工業化国内に先進工業企業が生まれる可能性を与えるとともに、工業化の進展が、一方的に行き詰まり、新たな発展への展望を持ちにくい状況をも生み出す可能性がある。このようにまとめることができよう。
何れにしても、グローバルサプライシステムが本格的に構築されたことは、工業化を国民経済単位で見ていくことを無意味にした、ということができよう。
参考文献
大野健一(2013)『産業政策の作り方 アジアのベストプラクティスに学ぶ』
有斐閣
小川さやか(2016)『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』
光文社新書
末廣昭(2014)『新興アジア経済論 キャッチアップを超えて』岩波書店
田中祐二(2007)「ブラジルにおける新しい企業像の追求
—航空機製造企業
EMBRAER社のクラスター形成とCSR—」『立命館経済学』55巻5/6号
トラン・ヴァン・トウ(2015)「アジア新興国と中所得国の罠」
日本国際経済学会第74回全国大会 (専修大学、2015年11月)
共通論題 新興国と世界経済の行方―貿易・金融・開発の視点
中山智夫(2010)「エンブラエル社の世界戦略と航空機投資の魅力」
日本経済新聞電子版(2017)「フクダコーポ、食品製造ライン 中国強化
タイCPの工場納入」2月22日
三菱航空機(2017) 「MRJ Conducts Hot Weather Test Flight」
渡辺幸男(1997)『日本機械工業の社会的分業構造
階層構造・産業集積からの下請制把握』有斐閣
渡辺幸男(2011)『現代日本の産業集積研究
実態調査研究とその論理的含意』慶應義塾大学出版会
渡辺幸男(2016)『現代中国産業発展の研究
製造業実態調査から得た発展論理』慶應義塾大学出版会
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