昨年の10月に発行された霞山会の雑誌の巻頭言として、下記のような文章を書きました。私を中国産業発展研究へと導き、その後の中国研究の方向性を決めた、2000年の春の北京市郊外の浙江村での驚きを中心に述べました。これが、この3月に刊行される私の4番目の単著の原点です。
『中国研究論叢』第15号 「巻頭言」再録
筆者は長らく日本の中小企業、機械工業を中心とした下請企業や産業集積の実態調査研究を行い、日本の産業発展を研究してきた。統計資料を参考にしながらも、企業経営者からの聴取りを中心に、中小企業の側から日本の産業発展を見てきた。
1999年に、偶然、中国の中小企業発展政策研究のための日中共同プロジェクトの日本側主査を担当することになった。翌年の3月、北京でシンポジウムが開催され、中国産業研究者につれられ、北京郊外の繊維製品専門市場とその周辺の浙江村と呼ばれる小工場群を見学した。巨大な専門市場の賑わい、遠方からバスを乗り継いで買い出しに来ている商人の逞しさに驚いたが、それ以上のショックは、浙江村の1小工場を覗いた時に生じた。
経営者夫婦と若い女性1名の従業者3名の専門市場向けの零細刺繍工場で、そこではポロシャツ等につけるワンポイント刺繍を刺していた。使用されている機械は中国メーカー製のかなり年代物の刺繍機2台で、フロッピーディスクのデータで駆動する数値制御 (NC)装置がついており、一応、データをフロッピーディスクに入力すれば、あとは自動で刺繍をしていた。しかし、それぞれの機械に1名の作業者がつく形で稼働していた。ここから、中国には刺繍機やNC装置を生産する国内企業が既に存在していること、メカトロニクス化、今風にいえばIT化は零細工場でも既に進行していること、それゆえ、刺繍の熟練技能者を必要とはしないが、刺繍機の精度がかなり落ちるため糸切れが頻繁に生じ、不熟練作業員が糸を繋ぐために1台ごとにつかねばならないこと等が見えた。すなわち、中国にはIT関連も含め、先進的な近代工業の諸要素、技術や機械が、数段精度が落ちたとしても国内で安価な形で存在し、生産され利用されている状況が見えたのである。
その年の夏、筆者にとって初めての本格的な現地調査を、日中の中国産業研究者と一緒に、浙江省の紹興市と温州市で2週間行った。北京郊外で垣間見た中国工業の現実を、より大規模な形で2つの民営企業中心の新興工業都市で見ることができた。同時に、紹興、特に温州の民営企業の経営戦略から見えたことは、中国国内市場の開拓余地がきわめて巨大であること、未開拓市場を開拓することに成功すれば、数年で数千人の企業になることも不可能ではないこと、そんな民営企業が数多く浙江省に存在していることである。さらに、この市場での成功のためには、市場と市場の開拓方法の発見こそ最も重要で、必要な技術や機械については、中国に存在する安価な既存の機械や技術者を利用することでほぼ十分なことである。
この北京市と浙江省での中国産業に関する発見を原点として、2011年まで毎年のように中国沿海部の諸省で工業企業等への聴取り調査を重ね、中国製造業の発展をどう見るべきかを、筆者なりに悩み、考えてきた。そこからの結論は、中国には工業でも国有巨大企業が多数存在し、外資系巨大企業の大量進出と加工貿易での輸出の巨大さと重要性もあるが、中国の産業発展を主導し、中国の工業の今後を方向づけるのは、改革開放後に輩出した民営企業群であるということである。激しい競争下におかれたこれらの民営企業が、中国の計画経済下で培われた近代工業の諸経営資源を、一斉に形成された新市場開拓のために活かし、結果として中国国内に安価なもの作りのための多様かつ巨大な生産能力を一挙に形成した。先進工業国企業が供給できない水準の安価さでそれなりの製品を作り上げる、最新の技術も組み込んだ独自な近代工業の生産体系が中国国内に構築された。中国国内市場や先進工業国の低級品市場のみならず、発展途上国の最も巨大な部分を自らの市場として開拓しているのが、中国民営企業群である。
10数年にわたり中国国内の民営企業での聴取り調査を繰り返すことで、このような中国産業発展の論理が、日中の中国産業研究者の助力も得て、筆者なりに把握できてきた。これを踏まえ、1冊の本にまとめることにした。2016年3月30日に慶應義塾大学出版会から出版予定の拙著『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』がそれである。
最後に、若い研究者諸君に対して、以上のような自身の研究から感じていることを率直に述べたい。何よりも自分の眼で見ることの大事さ、自分の眼で見ることができる能力を形成することの大切さである。先行研究に学ぶことは、それを信じることではない。現実を見るために有効な道具を手に入れるとともに、自ら考える叩き台を持つために学ぶのである。現場に行き、具体的な姿を素直に観察し、その存在が何故存在するのか自らの頭で論理的に考えること、これが、中国産業のような、近年の急激な失速を含め、他に類例のない形でダイナミックに発展・展開している経済・社会を考えるうえでは、不可欠である。是非、自分の眼で見、耳で聴き、自分の頭で考え、何故そうなっているのかについて、大いに悩んで欲しい。その後にこそ、意味のある、理論の再検討も可能になり、政策的含意も見えてくる。
2000年夏の浙江省の紹興と温州で見た光景
紹興の軽紡城の内部
布帛を中心とした繊維製品の小ブースが無数あり
中国中から客が集まっていました
温州市の街路に面した町工場
模具と書いてあるのは金型のことです
靴底用のプラスチックをつくるための射出成形金型を
受注している工場が多いようでした
温州市の中の県級市、瑞安市にある
当時800人規模の急成長中の自動車部品メーカーの工場内部
NC旋盤が多数設置され、バッチ生産で部品加工をしていました
使用しているNC旋盤は、紹興市の中の県級市、
諸暨市にある企業が生産した中国産の機械のようです
1 件のコメント:
不束ながら拝読いたしました。
専門的な事は何も解りませんが、最後の若い研究者に向けての
アドバイスに感動いたしました。
自分の眼で確かめて、自分の耳で聴いて、自分の頭で考えて・・・
きっと何にでも当てはまるのですね。
歳を取っても好奇心を失わないで、眼と耳とスカスカになりかけている頭を駆使して
行きたいです。
有り難う御座います。
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