2016年2月25日木曜日

2月25日 コビンダラジャン&トリンプル      『リバース・イノベーション』を読んで


ビジャイ・ゴビンダラジャン+クリス・トリンプル著、渡部典子訳
『リバース・イノベーション 
     -新興国の名もない企業が世界市場を支配するときダイヤモンド社、2012年
 
を読んで考えたこと

― 産業の多元的発展可能性と大規模新興国での独自な産業発展 ―

渡辺幸男
目次
はじめに
1, 本書の主題と、私から見た産業経済論的意義
2, 翻訳書のサブタイトルについての疑問
3, リバース・イノベーションとは
4, 新興国での独自なイノベーションと
     富裕国巨大多国籍企業にとってのリバース・イノベーション経営戦略
5, 著者たちがいいたかったリバース・イノベーションと
    新興国独自のイノベーション一般
6, 新興国独自のイノベーションと経営戦略としてのリバース・イノベーション
7, 新興国独自のイノベーションの経済学的、産業経済論的意味
8, 多国籍企業にとって意味のあるリバース・イノベーションの限定性と、
    新興国独自のイノベーションの多様性・多数性
9, 本書で取上げられている新興国大企業による新興国独自のイノベーションと、
    その成果を持っての富裕国市場への進出について
10, ディアのトラクターの事例について
11, ディアのトラクターの事例と徐航明氏の議論
12, 産業発展論から見たリバース・イノベーション論から学ぶべきもの
13, 新興国を中心とした産業の多元的発展の可能性とは

はじめに
 旧知の西口敏宏一橋大学教授に、同氏と龍谷大学教授の辻田素子氏の共同論文「中国資本主義の牽引役、温州モデルは脱皮できるか コミュニティ・キャピタルによる温州企業の繁栄と限界」という、近年の温州企業の展望が温州人のもっている独自なコミュニティとのかかわりで議論されている興味深い論文が掲載されている『一橋ビジネスレビュー』(63巻3号、2015年)を送っていただいた。その際、同じ特集の中に、徐航明「中国企業の成長とリバース・イノベーション2.0」が掲載されており、読む機会が持つことができた。かねがね、中国でのイノべーションの展開に関心を持っていた私としては、こちらの論文にも興味を感じ、目を通した。そこから、勉強不足で、概念そのものの存在を仄聞したに留まっていた「リバース・イノベーション」の議論に関心を持ち、そのもととなった著作を読みたくなり、早速手に入れ、上記の翻訳書に目を通した。そこで議論されている「リバース・イノベーション」とは何かについて、またそこから感じたことを、ほぼ思うままに書き連ね、徐論文に対する疑問等も提示したのが、下記の文章である。

1, 本書の主題と、私から見た産業経済論的意義
 本書は、特定の製品やサービスの発展は、直線的であり、基本的には先進と後進との関係に整理可能であるという常識への批判を踏まえ、その上での富裕国の巨大多国籍企業の経営戦略は、新興国の成長する大規模市場をわが物とするには、どうあるべきかを議論している。新興国の市場の成長が、世界経済としても主要な部分となっている現在、新興国の市場の特性に応じた製品とサービスが、改めて富裕国の多国籍企業にも必要であり、それを追求するのがリバース・イノベーションであるという主張である。その上で、本書は巨大多国籍企業の経営戦略として、新興国でのリバース・イノベーションを自らのものとするための事業体制のあり方と、現地企業に対して優位に立つために必要な多国籍企業の経営資源の活かし方について議論している。それを、GEの小型超音波診断装置の開発を中心に、いくつかの富裕国の巨大多国籍企業のリバース・イノベーションの事例を紹介することで裏づけている。
 特定の製品やサービスの発展は、直線的であり、基本的には先進と後進との関係に整理可能であるという常識への批判の書として、本書は、経営戦略論を超え、経済学的、産業経済論的に意味のある著作であると、私には思われる。
 同時に、本書でのリバース・イノベーションは、あくまでも富裕国の多国籍企業の視点からのリバース・イノベーションであり、新興国での新市場形成とそこでのイノべーションのあり方そのものを問題とするものではない。そのため、新興国で既に存在している形態の技術発展方向に、富裕国の多国籍企業が改めて目をむけ、自らその方向に適合し、かつ優位に立つためにおこなう新興国市場向けのイノべーションも、富裕国を対象としたイノべーションとは異なるという意味で、リバース・イノベーションと呼んでいる。その事例が、ディアの農業機械のインド市場向け開発努力である。地元企業にとっては当然の発展方向が、米国市場での方向と大きく異なっていること、そこからディアに生じた新興国向けの新たなイノべーションも、リバース・イノベーションと呼んでいる。
 この意味で、産業論の視点から、富裕国とは異なる産業発展をもたらす新興国でのイノべーションを、リバース・イノベーションと呼んでいるわけではないことは明らかである。徐論文での議論が、2.0である意味を、担い手だけの違いとして把握して良いのか、ここで疑問が生じる。
 同一産業での市場間、特に富裕国と新興国との市場間での産業発展の多元的可能性、これを前提に、富裕国を拠点に発展した多国籍企業は、新興国市場に本格的に進出することを考える時、自らの発展の基盤であった技術発展の方向をそのまま前提としたのでは、うまくいかないことがあり、その際には、当該市場向けに改めて基本的な部分からの開発をおこなわなければいけないことがある。この場合の開発が、リバース・イノベーションであるという、富裕国多国籍企業向けの新興国市場の開発戦略をめぐる議論といえよう。

2, 翻訳書のサブタイトルについての疑問
 副題は、どのような意味でつけられたのであろう。「はじめに」によれば、本書の原典の副題は “Create far from home, win everywhere”とある。これであれば、本書でいうグローバル企業、多国籍巨大企業が、異質な市場で勝利するということを示しているであろう。しかし翻訳書での副題は『新興国の名もない企業が世界市場を支配するとき』である。本書の内容は、新興国市場の発展に先進国の多国籍企業の主要な成長の場が移っている中での、新興国市場制覇のための多国籍企業の経営戦略論としての、リバース・イノベーションに関する議論である。名もない新興国の企業の世界市場制圧の議論ではない。
 サブタイトルへの疑問から分かるように、本書は、富裕国の巨大多国籍企業が、今や世界経済の成長の核となった主要新興国市場で、いかに自社の強みを活かすかの議論である。その際、富裕国で開発した先端技術にもとづく、最先端の先進工業国である富裕国向けの製品を新興国市場に、現地市場向けに多少の修正を加えての投入、グローカリゼーションでは不適切であり、現地市場を見据えたある意味で1からの開発、リバース・イノベーションをおこない、その中に多国籍企業としての技術面等での優位性を組込む、それにより巨大多国籍企業としての優位性を活かすということが大事だと強調した、富裕国巨大多国籍企業向けの経営戦略論である。
 その際の、中心的な事例は、GEによる中国市場向けの小型超音波診断装置の開発と成功である。そこでは、LGT(ローカル・グロース・チーム)という自立的な当該市場向けに専門化した開発チームが形成され、そのチームの活動を本社幹部が支持・支援し、その開発に多国籍業全体が持つ優位性が組込まれ、結果として、現地市場に適合し、かつ自社の独自性・優位性を活かした製品を生み出すことができたということが紹介される。さらには、その製品が、富裕国市場でも新たな需要を掘り起こし、新市場の形成をもたらしたとしている。単に既存の先進国向けで優位にあるような製品の低価格化等だけでは、新興国市場で競争力のある製品を生み出すことはできないという議論でもある。
 このような議論それ自体、新興国での低価格品中心だが市場としての規模は巨大な成長市場のいくつもの形成と存在を念頭におけば、先進国出自の巨大多国籍企業の戦略論として、極めて意味のあることといえよう。
 逆に言えば、この著作が評判を呼んだということは、巨大多国籍企業の経営陣も含め、技術発展は富裕国の市場向けの技術開発が主導するものであり、それの応用で新興国市場向けでも充分であるという認識が一般的であるということを意味しよう。その背後には、技術発展は直線的であり、同様の製品やサービスについての技術は、先進と後進とにわけられるのであり、多元的な技術の発展は存在しないという暗黙の想定、前提があるということが示唆される。
 
3, リバース・イノベーションとは
 本書でいうリバース・イノベーションとは、特定の製品の製品技術や生産技術は、リニアに発展するという発想の人々に対する批判であることは確かであろう。経営論的に言えば、富裕国の先進的な製品技術・生産技術を前提に新興工業国でも競争優位に立てるという理解に対する批判、否定である。当該市場で優位に立つ製品やサービスは、当該市場に適合した製品やサービスでなければならず、単に先進技術を組込んでいることや、他の市場で優位を維持していることは、そのような適合性を保証しないということであろう。
 しかし、この著作は、それ以上をいっていないのではないか。

4, 新興国での独自なイノベーションと
  富裕国巨大多国籍企業にとってのリバース・イノベーション経営戦略
 富裕国巨大多国籍企業にとってのリバース・イノベーション経営戦略は、新興国独自のイノベーションその物とは大きく異なる。前者は後者を必要条件とするが、それ以上に、差別化や市場の囲い込みの可能性、また総量としての利益の大きさが一定以上等、富裕国の寡占的大企業にとっての必要条件が、同時に不可欠といえる。
 新興国等、富裕国以外の諸国に独自なイノベーションは多様な形で、多くの新興国や発展途上国で生じるが、それが巨大な産業になるのは、大規模市場の新興国独自のイノベーションの場合に限定されよう。さらに、巨大企業が支配的な巨大産業となるには、さらに市場支配をもたらしうる差別化が可能であることが必要条件となろう。大規模市場で寡占的な市場支配力を形成可能な状況こそ、多国籍企業としての巨大企業が当該市場に進出し、経営戦略としてのリバース・イノベーションをおこなうことに意味をもたらす。
 本書でも、繰返し、地元企業に対し優位にたち市場支配力を確保するために、多国籍巨大企業が持つ全社的な意味での技術優位を、リバース・イノベーションに利用することに言及されている。

5, 著者たちがいいたかったリバース・イノベーションと、
    新興国独自のイノベーション一般
 一般的な意味での新興国での独自なイノベーションが、著者のいいたかったリバース・イノベーションなのであろうか。それとも、リバース・イノベーション経営戦略となりうるようなイノべーションが、著者達のいうリバース・イノベーションなのであろうか。そうなると徐航明論文のいうリバース・イノベーション2.0の多くは、本書で議論されるリバース・イノベーションではなくなる。徐氏が事例として紹介している中国での電動自転車開発は、既存技術を踏まえた新市場開拓であり、地元大企業も含め製品差別化による市場の囲い込みが困難な新市場形成である。
 それゆえ、天津の電動自転車メーカーである悍馬は先行した開発企業なのに、本格市場形成期には衰退した。技術的差別化ではなく、マーケティングでの成功により、後発の泰美や雅迪が優位企業の一角を占めている。競争的、かつ参入容易な下での新産業形成、垂直分裂状況下での新産業形成、これが電動自転車産業形成の特徴であり、これは、個別企業主導で技術的優位をもとに寡占的支配を実現するという意味でリバース・イノベーション戦略をみても、その戦略の成果、さらには成功として見ることはできない。
 著者たちにとっては、新興国独自のイノベーション一般をも念頭においていることは、地元企業によるイノべーションに言及していることからも理解されるが、同時に、本書のテーマは富裕国の巨大多国籍企業にとっての新興国での改めてのイノベーションであり、その意味では、著者たちが問題としたかったのは、富裕国巨大多国籍企業の経営戦略の必要性、有効性ということができよう。そのためには新市場を巨大多国籍企業が囲込むことができる、技術優位等が不可欠ということになる。

6, 新興国独自のイノベーションと経営戦略としてのリバース・イノベーション
 それゆえ、当然のことながら、社会的な意味での新興国独自のイノベーションの多発と、リバース・イノベーション経営戦略の成功とは、同じものではない。前者は新製品をめぐる新産業の形成や新生産技術の形成そのものであり、後者は徐氏の2.0バージョンであっても、寡占的大企業による差別化戦略の一環としての成功である必要がある。寡占的大企業による、あるいは個別先行企業による経営的成功がなくとも、前者は生じるし、中国では多くの部門で前者が生じている。
 本書では、既存の巨大多国籍企業がローカルな新たなニーズにどのように対応すべきかを中心に、リバース・イノベーションを議論している。そのための基本的手段としてローカル・グロース・チームの形成と、その自立的行動と社内の資源の利用を経営幹部が容認し、奨励することが、強調されている。専ら巨大多国籍企業の世界戦略の一環としてのリバース・イノべーションの議論が、事例を紹介しながら、展開されている。しかし、そのような経営戦略としてのリバース・イノベーションと、新興国独自のイノベーションとの共通性と差異性についての議論は、全く無い。幅広く新興国では多数の独自なイノベーションが生じており、その形成の論理は、著者たちの経営戦略論としてのリバース・イノベーションとは大きく異なり、その存在は極めて多様である。そこには、競争的な市場の形成も多く含まれる。

7, 新興国独自のイノベーションの経済学的、産業経済論的意味
 本書では、リバース・イノベーションを議論できることの、経済学的な、産業経済論的な含意は、全く議論されていない。私の議論の次元にリバース・イノベーションの議論を引き込めば、その議論の位置づけは大きく変わることになる。
 各産業の発展は、市場とそこでの競争のあり方に応じて、大きく変わりうる。産業として、それぞれの産業が各市場横断的に同一方向に発展するのではない。このことが、リバース・イノベーション論からの産業経済論的な第1の含意であろう。後発工業国での産業の発展は、富裕国の産業の発展を追いかける。キャッチアップという概念には、暗黙の内にまさにこれが前提とされている。確かに、大きな意味では、間違えではないであろう。また、グローバルな市場が形成され、そこでの競争が主要な競争の場となれば、産業の競争で生き残るのは、1つの選択、1つの発展方向であろう。存在したとしても、価格面で序列化された2次元的階層的市場と、それを前提とした産業発展であろう。同じ使用価値の製品でも、高価なものと安価なものとでは、その産業分野なりに、一定の論理の下ですみ分けが生じる。
 しかし、市場が分断されている時、同じ使用価値の製品やサービスの産業の発展であっても、市場状況の差異は、競争のあり方の差異に反映され、産業の発展内容を、発展しないことを含め、規定し、それぞれの市場ごとに独自な産業発展が生じる可能性を与えるであろう。だからこそ本書の著者たちは、グローバル企業が富裕国で開発した製品をもって、その微調整、特に一部機能の削除による低廉化であるグローカリゼーションで後進工業国の市場へと進出することの限界性を強調しうるのである。同じ使用価値の製品やサービスの産業であっても、市場環境や競争環境が異なれば、産業の発展内容は大きく異なることになる。発展するかしないか、どの程度の速度で発展するかどうかだけではなく、どのような形、内容で発展するかで差異が生じる。リニアではない産業発展が生じる。この多様な発展可能性を、主要な大規模新興国市場については、多国籍企業が自らのものとすることが可能であるし、意味があるし、必要である。というのが、本書の著者のいわんとすることであろう。しかし、これは可能なのであろうか。
 中国での事例を見る限り、新興国独自のイノベーションの多くでは、富裕国の多国籍企業がその新生市場で優位に立つことは困難であろう。それは、富裕国の多国籍企業が、圧倒的優位性を発揮し、市場を囲い込み支配することが困難だからである。本書でも常に富裕国の多国籍企業が、本社の持つ技術的優位を生かし、進出先の新興国市場で優位に立つことの重要性や必要性に言及している。まさに技術優位で市場を囲込み、寡占的に支配することの重要性が強調されているのである。しかしながら、私が見てきた中国での新興国独自のイノベーションは、これと大きく異なり、独自な市場を開拓する際に最も必要なのは、市場を発見し、市場の独自性の内容を把握することであり、技術的には既存のものを使用することで、市場の独自性に対応した上で、より安価な製品やサービスを供給することを目指す場合が多かった。そうであれば、大企業による寡占的市場支配は実現されず、競争的状況が維持される。たとえ市場の規模が大きくとも、競争的な市場が維持されるのであれば、富裕国の多国籍企業が進出し、高い収益率を実現することは困難であり、あえてLGTを立ち上げ、社内に軋轢を生み出しながらまでして進出することに意味を見出すことはできないであろう。

8, 多国籍企業にとって意味のあるリバース・イノベーションの限定性と、
             新興国独自のイノベーションの多様性・多数性
 多国籍企業のLGTが現地企業との開発競争で負ける、という意味でと、勝っても意味がない形での産業発展、新興国独自の新興国企業主導のイノベーションも数多く存在するという意味で、多国籍企業にとって意味のある可能な部分は限定される。本書の事例はGEの例が典型的であるように、多国籍企業が本社として持っている技術的優位を生かす形でLGTが新製品を開発するというものである。そこでは、単に現地企業に負けないその市場に適合した製品を開発することができるというだけではなく、全社的に見た時の技術優位の存在ゆえに、多国籍企業は市場を囲込むことができる。だから、多国籍企業にとって、そこでの開発、リバース・イノベーションは当該市場で意味があり、かつ他の同様な市場や富裕国市場でも意味を持つ可能性がある。
 しかし、中国での電動自転車市場の形成と発展の例のように、多国籍企業が優位を持つ余地が極めて小さい新興国独自のノベーションも存在する。あるいは、中国を見る限り、そのような新興国独自のイノベーションの方が圧倒的に多いように見える。中国では、市場を発見し、それに適合した製品やサービスをいち早く開発し投入することこそ重要であり、その際に必要な経営資源や部材については、市場で広く調達可能であり、その意味で差別化要因とはなりえないということ、このような状況が普通に存在している。市場で幅広く存在している部材を迅速に安価にいかにばらつきが少なく調達するかが、安価にそれなりの品質のものを迅速に大量に供給するための第1の手段となっている。GEの小型超音波診断装置は、その意味では例外的な製品であるといえるのではないか。

9, 本書で取上げられている新興国大企業による新興国独自のイノベーションと、
   その成果を持っての富裕国市場への進出について
 本書で言及されているマヒンドラ・アンド・マヒンドラの小型農業機械は、インドの巨大企業がインド市場向けに永年にわたり開発してきたものの米国家庭菜園での応用、日本のハンドトラクターのようなものであろう。市場のあり方で、製品の発展方向は大きく異なるという典型的な分野であろう。同時に、近代工業として、ある意味洗練された製品となり、品質等で安定すれば、それぞれの市場向けで発展してきたものが、他国市場のすき間に入りうる典型的な例であろう。この事例は、同一の市場での同じレベルでのぶつかり合いとはいえそうにない。
 ガラパゴス化していた日本の乗用車の1970年代の米国市場進出、このほうが、同一市場でのより正面からの対峙であろう。まさにトヨタ等により日本の高度成長期の寡占間競争に促迫され行われた独自な生産技術面でのイノベーションが、太平洋を越えるインフラが構築された時、米国の乗用車市場そのもので品質面で価格比で独自性を持つ製品としての競争力を発揮した。先行したフォルクスワーゲンの小型車が実現できなかった、巨大米国乗用車市場での独自な存在としての定着を実現した。

10, ディアのトラクターの事例について
 ディアのトラクターの場合は、インドの既存の市場に新規参入するための、ディアにとってのリバース・イノベーションであり、インドのトラクター産業や市場の形成をめぐる新興国にとっての独自な方向性を持つイノベーションではない。個別企業にとっては、リバース・イノベーションだが、市場としては現地既存市場そのものの方向の中でのイノべーションであり、そこへの新規参入の議論である。富裕国の多国籍企業の新興国既存市場進出の話である。
 本書でのリバース・イノベーションとは、個別企業にとってのものであろうか。それとも各市場にとってのものであろうか。富裕国多国籍企業の視点にたてば、新興国での新市場の形成のためのイノベーションも、既存の新興国市場への参入のためのイノベーションも、経営戦略的には、同じタイプのイノベーションといえる。しかし、新興国の現地の各市場にとっては、ディアのイノベーションは、既存の先行地元企業の進めてきたイノべーションの方向での深化のイノべーションであり、地元市場にとっては新たな方向のイノべーションではなく、その意味で新規の発展方向をもたらすイノべーションではない。ディアにとってのみ、リバース・イノべーションといえるだけである。
 すなわち、リバース・イノベーションを、産業論的に新たな市場を新興国で創造するイノべーションとして問題とするのであれば、ディアのトラクターの例は、その事例としては不適切であり、取り立てて方向性で新規性のあるイノべーションということではない。インドの市場では常識的な方向でのイノべーションということになる。日本の乗用車生産で、トヨタ生産方式が、日系乗用車メーカー間でイノべーションの方向として、当然のものであったように。ディアの事例は、現地の市場のあり方、そこでの地元企業の発展方向に、多国籍企業も順応しなければならないという議論である。その意味で新興国で新市場を開拓する際に、富裕国の発展方向と異なる独自な、かつ新興国にも存在しない方向性のイノべーションを実現する、という意味でのリバース・イノベーションとは大きく意味が異なる。
 本書がいっているリバース・イノベーションは、地元企業の発展方向に順応しておこなうイノべーションをも含んでいるのであろう。少なくとも、GEの小型超音波診断装置は、そうではなく、中国市場でも新市場を開拓する、これまで地元市場になかった方向でのイノべーションであり、同時にそれが富裕国でのイノべーションの方向性とは異なっていたがゆえに、リバース・イノベーションと呼ばれたのであるが、ディアの事例を見る限り、現地市場にとって新市場開拓であることは、リバース・イノベーションの不可欠な条件ではないようである。

11, ディアのトラクターの事例と徐航明氏の議論
 このように見てくると、「リバース・イノベーション」という概念を、新興国での新興国独自のニーズに向けて新市場開拓、それを富裕国の多国籍企業が、改めて製品・サービスを1から開発しておこなうこと自体と把握し、新興国独自の新市場開拓を、新興国の地元(大)企業が開拓することを、「リバース・イノベーション2.0」とする徐氏の議論には、かなり無理があるということになる。「リバース・イノベーション」のリバースたるゆえんは、新興国独自の新規市場開拓にあるのではなく、富裕国多国籍企業が富裕国市場向けに開拓した技術を生かしながら、1から新興国向けに同一使用価値ながらコンセプトの大きく異なる製品やサービスを新たに開発し、新興国市場で優位となり、寡占的支配を実現することにある。ないしはそれを目指すことにある。新興国にとっても独自なようなコンセプトの新市場を開拓することそれ自体ではない。市場開拓の概念としてはそれより大きく、新興国独自なコンセプトの市場を、市場の新旧にかかわりなく開拓することなのである。
 すなわち、リバース・イノベーションがたんなるイノべーションではなく「リバース」・イノベーションたるゆえんは、新興国独自なイノべーションであることではなく、富裕国の先進技術を保有した多国籍企業が、富裕国向けに開発した製品やサービスのコンセプトを、新興国市場向けに根本的に見直すことにあるといえる。この点で、徐航明氏のいう「リバース・イノベーション2.0」は、リバース・イノベーションの新バージョンとはいえないことになる。
 
12, 産業発展論から見たリバース・イノベーション論から学ぶべきもの
 産業発展論の視点から見て、リバース・イノベーション論を通して把握される何よりも大事な点は、最先端を行く富裕国の多国籍企業の製品やサービスに対し、新興国の同様な製品やサービスは単にキャッチアップするだけの遅れたものではなく、独自な発展を遂げる可能性を持つものである、ということであろう。同様の製品やサービスであっても、市場環境が異なれば多元的に発展可能なものであり、一定の発展方向に限定されるとは限らないのである。
 以上の意味で、先行研究での表現を借用すれば、新興国で独自な産業発展が生じることは、丸川知雄氏が例えば『現代中国経済』(有斐閣、2013年)の155ページで「キャッチダウン型技術進歩」と表現されているような、「先進国の後追いではない方向に技術を発展させる動き」(155ページ)も含む概念として把握すべき事象であろう。

13, 新興国を中心とした産業の多元的発展の可能性とは
 私が産業発展のあり方の議論として強調したい、新興国を中心とした産業の多元的発展の可能性とは、かつての日本でのトヨタ生産方式の形成と独自な生産体制の構築、そしてそれによる高品質かつ安価な製品の生産の実現、近年の日本での諸産業のガラパゴス化との共通性をもつ産業発展の性質である。
 新興国を中心とした産業の多元的発展そしてその可能性とは、同一の使用価値の製品やサービスについての産業でありながら、他の国々で発展した産業とは異なる、独自な内容を持つ産業の発展とその可能性を意味する。既存の産業がこれまで他国には存在しない新たな独自な産業を生み出すことを含め、産業の多元的な発展可能性を主張するものである。
 新興国の市場の特性ゆえに、富裕国での産業発展と異なる独自な産業の発展にかかわる議論であるということでは、リバース・イノベーションと共通する側面を持つ。同時に、リバース・イノベーションと異なる考えでもある。すなわち、問題はあくまでも新興国での独自な産業発展、独自な新産業の形成や既存産業での独自な発展そのものの可能性を主張する議論である。独自な産業発展の担い手、主体は地元資本・企業を主として想定しているが、多国籍企業であることも当然含まれる。そこでは、先進的な技術を必ずしも必要とせず、既存の一般的に普及した技術にもとづき形成された独自な製品技術や生産技術に基づくものも含まれる。中心は産業として、既存の産業と異なる独自な発展をすることそのものを問題としている議論である。さらには、独自に発展した産業が、寡占的な市場構造である必要性も全くない。そこでは内外の特定の資本・企業が支配的な存在になることは必ずしも必要ではない。競争的な市場構造の下での産業の独自な発展をも充分ありうるものと考えている議論である。
 同時にこのような産業の独自な発展は、直接グローバルな競争にさらされている市場とそこでの競争の結果としては生じ難い。グローバルな市場とそこでの競争が形成されている現代において、産業の独自な発展があるとしたら、市場がなんらかの形でグローバルの市場そのものではなく、亜市場としてある意味自立している必要がある。すなわち、グローバル企業間の競争に直接さらされない市場空間が、特定の地域経済において成立していること、これが必要条件である。これがなければ、グローバルな市場の競争に強制され、一部の企業だけが独自な方向へと発展することは許容されない。常にグローバル市場で勝利した方向のみが残り、他は排除されることになる。ないしは、多元的・多方向的ではなく、2次元的に階層化された方向での発展のみが残ることになる。
 他方でグローバルな市場からの競争に直接さらされない市場空間があれば、その市場の独自な状況に応じて、独自な発展方向が実現する可能性が存在する。その際問題となるのは、その市場の担い手、主要な企業と、市場の大きさである。近代工業が独自に発展するには、一定規模以上の市場の大きさが必要である。乗用車産業であれば、少なくとも5千万人できれば1億人規模の市場でなければ、近代工業としての規模の経済性を実現し、かつ当該市場での大企業間の競争状況が生じるような場が提供されない。少数の独占的大企業により、市場が占拠されることになる。担い手として、それが国内資本であろうと海外資本であろうと、競争の強制が無い独自市場には、当該市場の特性に向けて独自にダイナミックに発展する工業あるいは産業は生じようが無い。
 また、たとえ市場規模が大きくとも、主要な担い手が少数の巨大な多国籍企業のような場合は、往々にして富裕国で成功した製品・サービスを導入し、それに基づき市場を開拓するという努力がなされ、独自な市場状況に応じた独自な新規開発は生じにくい。まさに、GEが中国で小型超音波診断装置の開発に着手する前の状況といえよう。
 このような大規模新興国市場での多国籍企業主導の新市場開拓の限界を、意図的に修正し、独自な市場向けに独自な製品を開拓する、すなわち、従来の多国籍企業の多くが陥っていた新興国市場開拓での限界を自覚し、当該市場向けの自立した1から開発をおこなう主体を人為的に作り出し、そのことを通じて独自な市場向けの画期的な製品開発を実現したのが、GEのLGTによるリバース・イノベーションということができよう。その意味で、大規模新興国市場の独自性とそこでの独自な技術の発展の持つ可能性と有効性が、改めて巨大多国籍企業の側で認識されたことを示すのが、本書であるということもできよう。
 しかしながら、丸川知雄氏も述べているように、それは「途上国側が主体的に技術を発展させる動き」(丸川知雄(2013)、155ページ)を、潜在的競争相手として意識はしているが、途上国側での主体的な技術発展の可能性についての評価、その位置づけを視野に入れた議論ではない。しかも、富裕国の多国籍企業によって市場開拓の対象とされるのは、小型超音波診断装置がそうであるように、大規模新興国市場の中で大規模化する可能性のある市場でかつ多国籍企業の持つ技術の優位性を発揮し寡占的市場支配が可能と思われるような潜在的市場の開発に限定される。
 他方で、新興国市場には、先進的であるがゆえに優位性をもたらすといった技術ではない技術に専ら依存し、また、巨大な多国籍企業が参入することに魅力を感じず、可能性として相対的に小規模とみられるような未開拓な市場が無数にある。これは中国での多様な新産業の形成を見れば、明らかである。しかしながら、富裕国の多国籍企業にとっては、これらの市場の開拓は経営戦略的に意味がないことになる。これらの市場での独自な技術進歩、そして産業発展がリバース・イノベーションでは全く無視されることになる。
 このような意味でリバース・イノベーションを批判し、多数の地元企業による多様な市場開拓による独自な産業発展に注目して、それを独自に概念化したのが、丸川知雄氏の「キャッチダウン型技術進歩」という概念であるといえよう。先進工業に追いつくという意味での技術進歩、キャッチアップの対語としてこのような概念を使用されたのであると理解できるし、キャッチアップではない技術進歩が新興国の産業発展を支えている部分があるという意味では理解できる。しかし、リバース・イノベーションの「リバース」と同様に、新興国での独自な技術進歩に、ある意味逆方向という意味が込められてしまうように感じられる。私の理解では、そうではなく、先行した富裕国での技術発展とは異なる方向への技術発展と把握することが重要であり、その意味では「リバース」とは異なる意味ではあるが、「キャッチダウン」という表現にも疑問ないしは違和感を感じざるを得ない。
 日本でのトヨタ生産方式の発展がそうであったように、新興国の独自な市場状況の下で、その市場の開拓を主とする企業群が競争的に市場開拓に取組むならば、富裕国で先行的に開発された技術とは異なる技術、さらには製品・サービスの独自なコンセプトが開発される可能性が存在するのである。その根本は、技術の発展の方向の多元性、ないしはその可能性の存在であり、これを明示的に表現する概念化が必要である。当然のことながら、それには「リバース・イノベーション」は不適切な概念である。また、「キャッチダウン」も不適当な概念化といえよう。しかし残念ながら、新興国での多元的・多方向的な独自な技術発展の実現を表現するより適切な概念は、私にはいまのところ存在しない。とりあえず、産業の発展は直線的ではなく多元的であり、市場環境次第では、現代でもそのような状況が生じうるのである、ということのみいえるだけである。また、その考え方の妥当性を、富裕国の多国籍企業の経営戦略論からある意味で裏付けた議論が、本書でのリバース・イノベーション論ということができよう。

参考文献
ゴビンダラジャン,B・トリンプル,C.著、渡部典子訳
『リバース・イノベーション -新興国の名もない企業が世界市場を支配するとき』
ダイヤモンド社、2012年
駒形哲哉「自転車産業の発展方向 ―電動自転車産業の形成と可能性」
   (同著『中国の自転車産業 「改革・開放」と産業発展』
慶應義塾大学出版会、2011年の第5章)
徐航明「中国企業の成長とリバース・イノベーション2.0」
『一橋ビジネスレビュー』63巻3号、2015年WIN
丸川知雄「技術 キャッチアップとキャッチダウン」
(同著『現代中国経済』有斐閣、2013年の第5章)

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