2016年12月30日金曜日

12月27日28日番外編 車山高原と八ヶ岳

この冬初めて「スキー」をするために、
娘たち家族とともに、車山高原に行ってきました。
26日には、孫たちは雪遊びを楽しみ、
私も数本、滑れたのですが、
27日は朝から土砂降り、雪遊びどころではありませんでした。
夕方になり、ようやく雨が小雪に変わり始め、うっすら雪化粧、
これが下の写真です。
この後、孫たちは宿舎前でソリ遊びをすることができました。


翌朝、それなりの積雪となり、
私の車もまともな雪化粧をしていました。


圧巻は、定宿のライムライトから見た八ヶ岳でした、
下の写真は日の出直前、ようやく雪があがったところです。
八ヶ岳の方向に太陽の明かりが見え始めました。


その直後に、あっという間に雲が切れ始め、
青空が出てきて、
なんとなく八ヶ岳の形が感じられるようになりました。


そして、日の出、
その瞬間には雲がなくなり、八ヶ岳が姿を現したのです。
宿の前の樅木の枝に雪が積もり、
車山のホテル群の向こうに、雄大な八ヶ岳が、日の出で輝く、
最高の瞬間に出会うことができました。

スキーを滑ったのはごくわずか、
孫たちが雪遊びだけを行ったともいうべき「スキー」旅行でしたが、
瞬間的にですが、雄大な冬景色に恵まれました。




2016年12月24日土曜日

12月25日 冬への衣替え

エントランスが冬バージョンになりました。
サルビアは、すべて軒下に。
ノースポールとクリスマスローズそして西洋サクラソウ、
我が家で育てた苗が、ようやく花を持ち始めました。
我が家のビオラは、まだ苗そのものなので、育成中です。

ノースポールの花が2輪咲いたところです。
去年の花の種がこぼれ、20鉢ほどが育っていますが、
下の写真は、我が家で今シーズン最初に咲いたノースポールです。
これから、春まで楽しみたいと思っています。

クリスマスローズも蕾をつけ始めました、
この鉢は根元からではなく、かなり立ち上がって蕾をつけます。

グリーンパラソルとサルビアの幾つかを
エントランスの軒下にまとめて置きました。
春までもつかどうか疑問ですが、
これらも、最大限楽しみたいと思っています。


2016年12月5日月曜日

12月5日 我が家の紅葉


エントランスのもみじが紅葉しました。
例年に無い鮮やかさです。


陽の明かりの下、
緑とのコントラストがなんとも言えません。
下に照明があります。


夜になり照明が灯り、もみじの紅葉も、
違った趣になりました。
これも、また、乙なものです。


明かりを中心にすると、紅葉は暗くなりますが。
これもライトアップと言えるのではないでしょうか。


軒先の明かりを1つ、追加しました。
上の方の明かりで灯篭も少し見えるようになりました。


2016年11月30日水曜日

11月30日 冬直前のエントランス


冬直前のエントランスです。
夏に種がこぼれた金蓮花が賑やかに咲いています。
サルビアもまだ、鮮やかです。


先日の雪、そして早霜にも、それほど痛みませんでした。
軒下や木の下に避難させたのが、役に立ったようです。
庭のほうの露地植えのサルビアは、多少痛みました。
クリスマスローズや西洋桜草への入れ替えを始めましたが、
ノースポールの苗とともに、花はまだまだなので、
本格的な霜が遅いことを願っています。


あとどのくらい、サルビアがエントランスで鮮やかさを保つか、
このところは、霜が降りないので、まだ大丈夫ではないか。
12月半ばまでは・・・

2016年11月24日木曜日

11月24日 晩秋の雪


二宮の我が家も朝8時頃から雨が雪になりました。
お昼前にはうっすらと雪化粧、
二宮に引っ越し、約40年、初めての11月の雪化粧です。


庭のハゼ、つい先日まで紅葉がなかなかだったのですが、
今朝の北風で残りわずかの紅葉を残すだけに変わりました。
向かい側の家の屋根も雪化粧です。


我が家の冬越しの支度も、まだ道半ばですが、
数日前までに、軒下に収納し、
あとはビニールカーテンで囲うだけになっていました。
雪がほとんど振り込まず、
多分、茶枯れすることもないと思います。


エントランスのサルビアも、本格的な冬が来るまでは楽しみたいので、
とりあえず、軒下に、昨日、慌てて避難させました。
これも多分もう少し楽しむことができるだろうと、期待しています。

2016年11月19日土曜日

11月19日 小論 加藤弘之氏の「曖昧な制度」               を巡って


 中国経済経営学会・アジア政経学会・日本現代中国学会合同企画*
   「加藤弘之『中国経済学入門』との対話」 
               での4人の討論者**の見解を、どうみるべきか
はじめに
 筆者が4月のブログでその近著を取上げた加藤弘之氏が830日に逝去された。加藤弘之氏の中国研究に対する貢献を評価し、その業績を偲び、中国経済経営学会が中心となり、上記の3学会の合同企画として、加藤氏の近著を巡る4名の研究者による討論会が、中国経済経営学会全国大会の際の一つの企画として開催された。
 筆者は、今年の49日付のブログに書いたように加藤氏の『中国経済学入門』の内容を把握したのだが、116日に慶應義塾大学三田キャンパスで行われた、中国経済経営学会における上記の合同企画での4人に討論者の見解は、筆者の加藤氏の著作に対する見解とは大きく異なっていた。筆者は、加藤氏の同書の中での「曖昧の制度」の理解の中に、「曖昧な制度」でありながら制度を有効に機能させる制度として、市場での競争の強制が、事実上組込まれていることを発見した。この点を積極的に強調し、「曖昧な制度」であるにもかかわらず、市場での競争のあり方ゆえに、制度が効率的に機能していると、加藤氏も事実上考えているのではないかと、主張した。
 また、加藤氏が曖昧な制度の一つとして議論している「垂直分裂」について、中国の100年を超える伝統に戻ることなく、改革開放期の中国経済、産業が置かれた状況から経済学的に説明可能であることを、筆者なりに提示した。それが筆者の46日付の「中国の垂直的分裂とは」というタイトルのブログである。
 筆者は、中国資本主義の独自性を、加藤氏と同様に強く認識し、さらには既存の正統派経済学の理論では把握することのできない産業・経済発展が生じているという点では加藤氏と認識を共有している研究者である。同時に、上記の2つのブログを通して、その独自性をどのように理解するかで、加藤氏のように中国の伝統的制度を総称として「曖昧な制度」と呼び、それによって中国資本主義の独自性を解明する方向に対し、疑問を呈した。しかしながら、今回の討論での4人の討論者は、私とは異なる評価、認識を加藤氏の議論について提示している。以下では筆者なりにそれを要約し、筆者との差異を明らかにする。その上で、どうしてそのような差異が生じたのか、多少なりとも検討したい。

1 4人の討論者の議論
 最初の討論者である毛里和子氏は、加藤氏の著書の曖昧さを、例えば、国家と社会に対する中間的な存在の第三領域の存在といった中間的なものの多様な存在から説明している。その上で、「“中国的なもの”に徹底してこだわる」のが加藤氏の特徴だとしている。その上で、中間的領域の存在が発展へとつながるのは、中国に限ったことではなく「アジア経済学」へとつながる議論だとしている。(毛里和子、2016) 
 ここでは、既存の理論で把握できない中間的領域の存在を、「曖昧な制度」とし、それはアジアで共有されうるものであるとみている。中国の歴史的伝統が、どのように中間的領域の存在にかかわっているかはさておき、曖昧さは中間的領域を意味していることになる。
 制度の「曖昧」さとは、中間的領域的存在である点については、細かい点では異なるし、それだけではないという認識もあるが、中兼氏、菱田氏、川端氏、3氏とも共通の認識である。その中で、中兼和津次氏は、特にどこに制度の「曖昧」性があるのか、異なる制度の重複部分と、それぞれの制度の周辺部分との2つの部分に分け、曖昧さの所在を巡る議論を展開している。その中で、中兼氏は、所有形態で中間的、混合的な所有形態の企業でも、市場では効率性を追求するという加藤氏の議論、筆者が大いに評価する「競争の強制」と筆者が呼ぶ部分、加藤氏のいう「(混合所有という国家資本といえども)資本はそれ自体が増殖を追求する存在である」ことについて、「本当にそうか?」(中兼和津次、2016)と疑問を呈している。
 このような中兼氏の加藤氏の議論についての認識は、逆にいえば、筆者のいう「競争の強制」の存在を、筆者同様に加藤氏も認識していることを示唆するものとなり、筆者の加藤氏の現状認識についての理解が妥当なものであることを感じさせるものとなっている。他方で、中兼氏は「曖昧な制度」の動態的なモデルとして、「領域A,Bを制御する制度C」という制度モデルを提示し、「制度Cとは:暗黙の契約が実行されるような補完的制度的メカニズム、例:信頼(trust)関係あるいは司法制度」(中兼和津次、2016)としている。筆者には、何故市場での競争状況がここに入ってこないのか、理解できないのだが、同時に、このような「曖昧な制度」理解は、「競争の強制」による制度の「曖昧さ」の解消について、中兼氏が考慮する可能性も示唆しているのかもしれない。
 菱田雅晴氏の議論は、「曖昧な制度」を、専ら「党・国家・社会関係」の「重複」(菱田雅晴、2016)として把握されているようにみえる。筆者の視点からいえば、中兼氏が引用されているような、市場での混合所有企業の競争といった側面が重要なのだが、菱田氏の議論では、その部分はほとんどみえなくなっている。経済が市場を軸に自立的に展開するのではなく、経済が社会に飲み込まれ、それが党と国家に誘導される姿として、「曖昧な制度」が描かれているように見える。このように把握することは、中兼氏が批判している加藤氏の混合所有企業の競争市場下での行動様式等については、ほとんどみえなくなることを意味しよう。筆者からみれば、中国の産業や経済が持っているダイナミズムのほとんどを説明不可能としてしまう加藤氏の「曖昧な制度」論理解だと思われる。
 4番目の討論者は、筆者とほぼ同様な研究分野の産業論研究者である川端望氏である。川端氏は、加藤氏のいう中国経済や産業の曖昧さは、内容的には大きく異なるが、日本経済や産業にも制度の曖昧さとして存在するとし、両者がどう違うと考えるべきかと課題を提起している。川端氏が取上げているのは、日本のサプライヤーシステムでの下請契約の核をなす「基本取引契約書」のもつ曖昧さ、下請企業側に対し契約上では無限の要求が発注側大企業から可能であるような条項の存在である。このような一方的な契約の下でも、取引関係が長期継続的取引関係として成立っている限り、下請契約を結ぶ双方にとって、一定の利益を与え、産業発展へとつながるものとして機能していることを、日本の研究蓄積を紹介しながら、明らかにしている。
 そこでの含意は、「制度そのもの」が曖昧なものであろうと、その下での「企業・個人のビヘイビア」を通して、産業発展の「ダイナミズム」(川端望、2016)が生まれる可能性が存在しているということである。曖昧な制度であるから、産業・経済発展に有効に機能しない、と一方的にいうことはできない。ただし、川端氏は、このような関係が何故生じえたのか、伝統的制度とどのようにかかわるのか、また競争のあり方がどのような場合、関係の再生産が可能になるのか、といった筆者が関心を持つ事項については、今回の簡単な討論の中ではふれていない。最後に、「インプリケーション」として、「モデルに「主体」としての企業・個人を導入して」、「制度そのもの」、「そのもとでの企業・個人のビヘイビア」、「両者の関係から生まれるダイナミクス」を「区別と関連をつけることが必要ではないか」(川端望、2016)と問題提起をし、討論を締め括っている。
 中国経済での独自な市場環境の形成と、そこでの企業・個人の行動を、まずは問題にし、経済学的に検討することを指摘しようとしているものとも思われる。最後に筆者の近著(渡辺幸男、2016)を引用されていることからも、その点が示唆される。しかし、残念ながら、短時間の討論では、この点についてのこれ以上の追究はなされていない。

2 まとめ
 以上のように、合同企画の加藤弘之著を巡る議論では、その多くの部分が、「曖昧な制度」(筆者には旧来からの制度の共通的性格を示すものとしてよりも、それらの総称に過ぎないと思うのだが)の曖昧さとはどのようなものであるかの検討を行うものとなっている。中兼氏が指摘したような曖昧さの外側で曖昧な領域を制御するような存在、「制度C」の存在の重要性を示唆するような議論もあったが、重点はそこにはなかった。
 もう1ついえることは、曖昧な制度が中国の伝統、特に「包」とどのようにつながるのか、加藤氏の議論にそって検討した討論者もほぼ存在しなかったことである。筆者の理解では、加藤氏の議論の主張点は、「曖昧な制度」の曖昧さそのものとともに、それが中国独自な伝統を引継いだものであり、かつ中国の産業・経済発展をもたらしているのが中国独自な制度であるという、これら3点にある。中国の伝統により形成された中国独自な曖昧な制度が、近年の中国経済の急激な発展、産業発展をもたらした、というものといえよう。その意味では、討論者の論点提示は、かなり一面的であった。また、筆者が加藤弘之著からくみ取った内容とも、かなり異なった理解となっている。
 なぜ、このように討論者の議論は、「曖昧な制度」の「曖昧」とは何かに集中したのであろうか。筆者からみると、加藤氏は、曖昧な制度と呼ぶものの個別の制度について、その機能のあり方をそれぞれの制度の具体的姿から論じている。しかし、その上でいずれも曖昧であると括っている。ないしは総称している。それゆえ、「曖昧な制度」という総称ではなく、個別の具体的な制度がどのように機能していると加藤氏は考え、それがどのような意味で妥当であり、どこに現実からのズレや説明不充分さがあるかを、みていく必要がある。それを通して、個別の中国資本主義の持つ独自性について加藤氏の主張内容とともにどのように考えるべきかをも明らかになる。しかし、どの討論者も、「曖昧さ」という総称にひきずられることにより、残念ながら、加藤氏と独自性の存在自体についての認識を共有しながら、それのよって来る根拠とその機能について具体的に把握することに失敗しているといわざるを得ない。
 川端氏の日本の「曖昧な制度」の具体的機能内容とその有効性の議論を、中国の加藤氏が取上げて個別の制度に対して展開すれば、上記の限界を打破しえたかもしれないが、そこまで川端氏は討論を展開しないで、終了した。また、中兼氏は、「制度C という曖昧な領域を制御するとする概念を持ち出しては来ているが、それぞれの「曖昧な制度」でそれがどのような存在で、かつどのように機能するかについては、短時間の討論では言及されることはわずかであった。残念なことに、故加藤氏に今後の展開を求めることは不可能であるが、川端氏や中兼氏の討論内容が、今後、発展展開されれば、加藤氏の議論をベースにした上で、中国産業・経済発展の独自性把握に関して、筆者との接点が生じる可能性は充分存在することが示唆された、と筆者は勝手に考えている。

おわりに
 なお、上述のブログ2本と本ブログとを中心に、研究ノートとして再編し、『三田学会雑誌』に投稿することを予定している。順調に採用されれば、来年3月までには掲載されることになるかもしれない。

* 中国経済経営学会・アジア政経学会・日本現代中国学会合同企画
   「加藤弘之『中国経済学入門』との対話」、2016116
       於:慶應義塾大学三田キャンパス 

** 討論者の討論タイトル(討論順)
毛里和子、2016「中国経済学の可能性を問う」
中兼和津次、2016「「曖昧な制度」とその意味について再度考える
   —加藤弘之著『中国経済学入門』名古屋大学出版会、2016年を読んで—」
菱田雅晴、2016「加藤弘之『中国経済学入門〜「曖昧な制度」はいかに機能しているか』へのコメント 形容詞系から名詞形へ 曖昧な移項?
川端望、2016「中国経済の「曖昧な制度」と日本経済の「曖昧な制度」
                  —日本産業論・企業論研究から—」
 なお、引用は『中国経済経営学会2016年度全国大会 報告要旨集』(中国経済経営学会)から行った。

参考文献
加藤弘之、2016『中国経済学入門 「曖昧な制度」はいかに機能しているか』
                         名古屋大学出版会
渡辺幸男、2016『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』
慶應義塾大学出版会

2016年11月15日火曜日

11月15日,17日,18日19日             ハゼの紅葉、色づき始めた夏蜜柑


11月19日雨、雨の中、ハゼの紅葉が、より鮮やかに感じられました。
今年は、特に良い色になっているようです。

11月18日晴れ、ハゼが完全に紅葉しました。
今日は風が弱いので、紅葉が賑やかで、散らずに済んでいます。
明日は雨の予報、かなり紅葉が散ってしまうでしょうが。


下の写真は、昨日17日のハゼです。
上の写真と違い、多少緑が残っています。


庭の夏蜜柑も色づき始めました。
来年も夏蜜柑ジュースをたっぷり楽しめそうです。
我が家のは、本物の夏蜜柑、
生食だとかなり酸っぱいのですが、
ジュースにすると酸味と旨味がちょうど良く、最高です。

我が家のハゼの紅葉が本格化しました。
全てが紅くなるのも間近です。


奥に見える公園の黄葉と、なかなかのコントラストです。
我が家の離れの2階から見た夕方の紅葉、
青空を背景にした紅葉を下から見上げると、


下のように、紅葉が冴えません。
同じ日の昼の写真なのですが。
写真の技術の問題もあるとは思いますが。


すぐ上の写真と同じ場所から11月13日に撮った写真です。
2日間で紅葉が急激に進みました。
少し前の寒さが効いたようです。


下の写真は、同じ場所から、10月19日撮ったものです。
紅葉が始まったと思って撮りましたが、
色づいた葉は、そのあとの風で散ってしまい。
まとまった紅葉とはなりませんでした。

2016年11月3日木曜日

11月3日 満開のホトトギスとサルビア


久しぶりの秋晴れ、そのもとでホトトギスが満開になりました。


秋の陽光を浴びて、ホトトギスが輝いています。


ホトトギスの下側に、季節外れの金蓮花の花が、結構咲いています。
夏にこぼれた種が育ち、冬を前にようやく咲き始めました。
冬の間はテラスの中に入れれば、かなり長く楽しめそうです。


サルビアも昨夜の雨に洗われ、鮮やかな色で咲いています。


まだ葉の緑も鮮やかで、朱と緑のコントラストを楽しんでいます。

2016年10月29日土曜日

10月29日 久々の青鷺と大きくなった鯉


秋も深まり、久しぶりに青鷺が我が家にやってくるようになりました。
私が留守にしていた今週の初めには、池の周りまで降りてきたそうです。
今日は、2階離れの2階の屋根に止まって、静かに様子を見ていました。

写真を数枚撮る間、静かに止まっていましたが、
やがて、こちらの気配に気づき、飛び去って行き、
庭には降りてきませんでした。

池の鯉は、ほとんどの鯉が夏を無事に越し、
一段と大きくなりました。
ネットが張ってあるので、
青鷺の食料にはならないと思うのですが。

まだ冬の寒さではないので、
池の鯉は、悠々と泳ぎ回っています。
3回目の夏を過ごした稚鯉も、また一回り大きくなりました。

2016年10月13日木曜日

10月13日 秋本番、ホトトギス、サルビア

秋が本格化しました。ホトトギスが咲き始めました。
今年は蕾が沢山つき、これから賑やかに咲き乱れると思われます。

非常に派手な毛虫がつき、一部葉が食べられましたが、
多少葉が食べられ始めたところで気がついたので、
丸坊主にされずに済み、葉っぱもかなり綺麗に残っています。

エントランスのサルビアは、今が盛り、
次から次へと花をつけ、
葉の緑とのコントラストが見事です。

 この分だと、霜が降りるまでは、楽しめそうです。
すでに来春用の苗が育ち始めているので、
3月の中旬には、次の世代を持ってくるつもりでいます。

2016年9月27日火曜日

9月27日 金木犀の開花、秋の実感


久しぶりに蒼空になり、夏が戻ってきましたが、
ただ、庭の木は秋、金木犀が咲き始め、
香りが漂い始めました。

ご近所も咲き始め、
朝の散歩は、香りに包まれました。
長男が生まれた時は、1週間ほど早く咲き始めましたが、
例外的だったようです。

秋海棠の花も、賑やかに咲き続けています。


秋明菊の花も少しですが、咲いています。
秋を感じさせます。


百日紅の花は、少しだけ残っていますが、
ほとんど実になり、青空にまた違った趣を与えています。
夏の間、次から次へと花をつけ、楽しませてもらいました。

2016年9月24日土曜日

9月24日 付論 小川さやか著を読んでの続編 Mathews & Yang論文を読んで


まえがき
 久しぶりに英文の論文を読みました。小川さやか氏の著作を読み、そこで参考にされていたMathews, Gordon and Yang, Yang両氏の論文(以下、Mathews他)が‘Low-End Globalization or Globalization from Below’、すなわち「底辺でのグローバル化、ないしは、下からのグローバル化」について、香港や広東省を中心に議論しているということで、読みたくなりました。英語の論文をまともに読むのは、本当に久しぶりなのですが、学術論文ということもあり、余り多くの回数、辞書を引くことなく、内容を把握することができました。
 読んでみて、自分が主張したい「中国新興企業によるグローバル市場の底辺部分の創造、ないしはグローバル市場の外延的拡大」ということと、何が同じで、何が異なるのか書きたくなり、したためたのが、下記の文章です。

Mathews,  Gordon(香港中文大学人類学教授
                  and Yang, Yang(香港中文大学人類学修士) (2012), How Africans Pursue Low-End Globalization in Hong Kong
                   and Mainland China
          Journal of Current Chinese Affairs, 41,2, 95-120.  を読んで 渡辺幸男

 本稿で検討したいことは、上記のMathews 他の論文での‘Low-End Globalization’と、私のいう「中国新興企業による、発展途上国の新規形成低価格品グローバル市場の創造を含む、グローバル市場の創造的外延的拡大」とは、どのような認識を共有し、またどこで異なっているのか、ということである。
 両者にとって、グローバル化を議論する時の、グローバル化が意味する中核的な現象は異なっている。Mathews他にとっては、発展途上国の人びとの自発的な大量のグローバル大の移動の発生こそがグローバル化であり、それを議論の対象としている。それに対して、私は、中国を中心としてグローバル商品市場の形成、すなわち、グローバル市場の底辺部分の拡大、低価格品市場の創造とグローバルな一体化とを、グローバル化の議論の中心としている。この意味では、グローバル化という時の内容は異なることになる。
 すなわち、Mathews他にとってのグローバル化は、発展途上国の普通の人びとのグローバル大の移動の活発化であり、商品市場のグローバル化その自体ではない。商品市場のグローバル化が人びとの移動を活発化させるとしても、それ自体がグローバル化ということではない。それに対して、私にとってのグローバル化は、あくまでも、これまでにない低価格品のグローバル市場の創造であり、グローバル市場の外延的拡大である。発展途上国の普通の人びとのグローバルな移動も、商品の流通に絡んだものとして把握されるのであり、それ自体が市場のグローバル化を意味しているのではない。発展途上国の人びとが消費者として中国を核とする新たな低価格品グローバル市場に参加すれば、それだけでも、それらの人びとはグローバル化市場の一翼を担うということで、グローバル化の担い手の一つとなる。
 また、Mathews他にとってグローバル化を可能とさせる重要なインフラは、発展途上国の普通の人びとが移動できる安価な手段と滞在できる宿泊施設ということになる。しかし、私にとって重要なのは、中国での商品生産と流通の独自なシステムの形成と、そのグローバル市場での有効性である。
 問題関心が異なることで、主要な議論の対象がどこかに関して、そもそも異なっているといえよう。しかし同時に、グローバル化を可能にさせたものについての認識では、Mathews他と私とで、ある意味での共通性が存在する。
 すなわち、Mathews他は、要旨で以下のようにも書いている
The article argues that one essential economic role China plays today is in manufacturing the cheap, sometimes counterfeit goods that enable Africa and other developing-world regions experience globalization; the African traders who come to China help make this possible.(同論文、95ページ)
 このような人の動きのグローバル化をもたらしているものとして、中国の製造業が生産する安価な商品の存在こそが重要であり、発展途上国はそのおかげでグローバル化を体験し、中国と消費市場をつなぐことで、それを体験することを可能にしているのがアフリカの商人であるといっている。
 そして、中国の製造業が多くの発展途上国の普通の人びとを引きつけるのは、中国の製品が‘relatively inexpensive and of  acceptable quality(同論文、98ページ)、相対的に低価格でそこそこの品質だからであるとしている。さらに、「もし中国がそうでなければ、下からのグローバル化は少なくとも現在の規模では生じていないことは確かであろう」とし、「これこそ中国の絶対的重要性である」(同論文、99ページ)とも述べている。
 それゆえ、グローバル化は人の動きのグローバル化を指しており、市場のグローバル化を指していないということで、底辺のグローバル化の内容が、私とは異なる。しかし、底辺のグローバル化の動きをもたらしたものとしての中国製造業の重要性に認識については、私と同様なものといえる。
 ただし、中国の製造業が低価格のそこそこの品質のものを供給できていることについての理由の分析は存在しない。しかも、本論文の中で、「2009年以降、労働コストや綿花といった原材料費の上昇が生じてきている。同時に人民元の対ドルレートも上昇してきている。これらが商人の利益幅を大きく減じている。一部の西アフリカの商人は自国に戻り始めているし、他のものはより安い商材を求め、タイ、ベトナム、マレーシアといった労賃や原材料費がより安い地域に出向いている」(同論文、113ページ)と述べている。
 ここからは、中国製造業製品が底辺でのグローバル化の中心となっていることの理由についてのMathews他の理解が推察される。すなわち、労賃や原材料費が安いから、さらに人民元が対ドル相場で安かったから、グローバル化の中心となりえたという、理解といえよう。この点で、中国の製造業発展の独自性についてと、その独自性ゆえにグローバル底辺市場を構築できたという私と、異質な認識が存在している。
 すなわち、Mathews 他と私との理解に違いは、一つは、グローバル化を何でみるか、人の動きでみるMathews他に対し、市場の広がりでみる私との違いといえよう。同時に、中国が中核にあることについては同一の認識だが、その中国が中核にあることをもたらしている中国製造業の優位性についての理解も異なるといえよう。2009年以降の人民元と中国での労賃高騰程度で、中国の底辺グローバル市場での優位性が揺らぐとみるのがMathews他である。それに対して、私は、そのような程度では中国の持つ優位性は崩れないという理解である。
 これまでも、工業化がある程度進展した低賃金国が多く存在しながら、それらの国ではなく、グローバル市場への低価格工業製品の供給の中心が中国になってきたこと、この点の論理を積極的に評価し、それを把握し理解するかどうかで、上記の点での認識の違い生じているといえよう。
 中国の製造業は、巨大な中国国内市場の多様性に富んだ低価格品市場向けへの生産・流通体制を構築したことで、その延長線上で発展途上向けの市場を新たに創造できたというのが、私の理解である。それゆえ、アフリカの商人は、自らの出身国の中下層の消費財市場向けに適切な商品を、多様な内容で、好きな量だけ低価格で手に入れることができる。このような生産・流通体制を構築せず、低労賃中心で製造業が発展した他の多くの中進工業国では、これに代替することはできない。どうもこの点で、Mathews他の見解は、私の理解と大きく異なるようである。

参考文献
Mathews,  Gordon and Yang,  Yang,  2012  How Africans Pursue Low-End Globalization
       in Hong Kong and Mainland ChinaJournal of Current Chinese Affairs, 41,2, 95-120.

小川さやか、2016『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』光文社新書
渡辺幸男、2016『現代中国産業発展の研究 
製造業実態調査から得た発展論理』慶應義塾大学出版会