まえがき
久しぶりに英文の論文を読みました。小川さやか氏の著作を読み、そこで参考にされていたMathews, Gordon and Yang, Yang両氏の論文(以下、Mathews他)が‘Low-End
Globalization or Globalization from Below’、すなわち「底辺でのグローバル化、ないしは、下からのグローバル化」について、香港や広東省を中心に議論しているということで、読みたくなりました。英語の論文をまともに読むのは、本当に久しぶりなのですが、学術論文ということもあり、余り多くの回数、辞書を引くことなく、内容を把握することができました。
読んでみて、自分が主張したい「中国新興企業によるグローバル市場の底辺部分の創造、ないしはグローバル市場の外延的拡大」ということと、何が同じで、何が異なるのか書きたくなり、したためたのが、下記の文章です。
Mathews, Gordon(香港中文大学人類学教授)
and Yang, Yang(香港中文大学人類学修士) (2012), ‘How Africans Pursue Low-End Globalization in Hong Kong
and Mainland
China’
Journal of Current Chinese Affairs, 41,2, 95-120. を読んで 渡辺幸男
本稿で検討したいことは、上記のMathews 他の論文での‘Low-End Globalization’と、私のいう「中国新興企業による、発展途上国の新規形成低価格品グローバル市場の創造を含む、グローバル市場の創造的外延的拡大」とは、どのような認識を共有し、またどこで異なっているのか、ということである。
両者にとって、グローバル化を議論する時の、グローバル化が意味する中核的な現象は異なっている。Mathews他にとっては、発展途上国の人びとの自発的な大量のグローバル大の移動の発生こそがグローバル化であり、それを議論の対象としている。それに対して、私は、中国を中心としてグローバル商品市場の形成、すなわち、グローバル市場の底辺部分の拡大、低価格品市場の創造とグローバルな一体化とを、グローバル化の議論の中心としている。この意味では、グローバル化という時の内容は異なることになる。
すなわち、Mathews他にとってのグローバル化は、発展途上国の普通の人びとのグローバル大の移動の活発化であり、商品市場のグローバル化その自体ではない。商品市場のグローバル化が人びとの移動を活発化させるとしても、それ自体がグローバル化ということではない。それに対して、私にとってのグローバル化は、あくまでも、これまでにない低価格品のグローバル市場の創造であり、グローバル市場の外延的拡大である。発展途上国の普通の人びとのグローバルな移動も、商品の流通に絡んだものとして把握されるのであり、それ自体が市場のグローバル化を意味しているのではない。発展途上国の人びとが消費者として中国を核とする新たな低価格品グローバル市場に参加すれば、それだけでも、それらの人びとはグローバル化市場の一翼を担うということで、グローバル化の担い手の一つとなる。
また、Mathews他にとってグローバル化を可能とさせる重要なインフラは、発展途上国の普通の人びとが移動できる安価な手段と滞在できる宿泊施設ということになる。しかし、私にとって重要なのは、中国での商品生産と流通の独自なシステムの形成と、そのグローバル市場での有効性である。
問題関心が異なることで、主要な議論の対象がどこかに関して、そもそも異なっているといえよう。しかし同時に、グローバル化を可能にさせたものについての認識では、Mathews他と私とで、ある意味での共通性が存在する。
すなわち、Mathews他は、要旨で以下のようにも書いている
‘The article argues that one essential economic role China plays
today is in manufacturing the cheap, sometimes counterfeit goods that enable
Africa and other developing-world regions experience globalization; the African
traders who come to China help make this possible.’(同論文、95ページ)
このような人の動きのグローバル化をもたらしているものとして、中国の製造業が生産する安価な商品の存在こそが重要であり、発展途上国はそのおかげでグローバル化を体験し、中国と消費市場をつなぐことで、それを体験することを可能にしているのがアフリカの商人であるといっている。
そして、中国の製造業が多くの発展途上国の普通の人びとを引きつけるのは、中国の製品が‘relatively inexpensive and of
acceptable quality’(同論文、98ページ)、相対的に低価格でそこそこの品質だからであるとしている。さらに、「もし中国がそうでなければ、下からのグローバル化は少なくとも現在の規模では生じていないことは確かであろう」とし、「これこそ中国の絶対的重要性である」(同論文、99ページ)とも述べている。
それゆえ、グローバル化は人の動きのグローバル化を指しており、市場のグローバル化を指していないということで、底辺のグローバル化の内容が、私とは異なる。しかし、底辺のグローバル化の動きをもたらしたものとしての中国製造業の重要性に認識については、私と同様なものといえる。
ただし、中国の製造業が低価格のそこそこの品質のものを供給できていることについての理由の分析は存在しない。しかも、本論文の中で、「2009年以降、労働コストや綿花といった原材料費の上昇が生じてきている。同時に人民元の対ドルレートも上昇してきている。これらが商人の利益幅を大きく減じている。一部の西アフリカの商人は自国に戻り始めているし、他のものはより安い商材を求め、タイ、ベトナム、マレーシアといった労賃や原材料費がより安い地域に出向いている」(同論文、113ページ)と述べている。
ここからは、中国製造業製品が底辺でのグローバル化の中心となっていることの理由についてのMathews他の理解が推察される。すなわち、労賃や原材料費が安いから、さらに人民元が対ドル相場で安かったから、グローバル化の中心となりえたという、理解といえよう。この点で、中国の製造業発展の独自性についてと、その独自性ゆえにグローバル底辺市場を構築できたという私と、異質な認識が存在している。
すなわち、Mathews 他と私との理解に違いは、一つは、グローバル化を何でみるか、人の動きでみるMathews他に対し、市場の広がりでみる私との違いといえよう。同時に、中国が中核にあることについては同一の認識だが、その中国が中核にあることをもたらしている中国製造業の優位性についての理解も異なるといえよう。2009年以降の人民元と中国での労賃高騰程度で、中国の底辺グローバル市場での優位性が揺らぐとみるのがMathews他である。それに対して、私は、そのような程度では中国の持つ優位性は崩れないという理解である。
これまでも、工業化がある程度進展した低賃金国が多く存在しながら、それらの国ではなく、グローバル市場への低価格工業製品の供給の中心が中国になってきたこと、この点の論理を積極的に評価し、それを把握し理解するかどうかで、上記の点での認識の違い生じているといえよう。
中国の製造業は、巨大な中国国内市場の多様性に富んだ低価格品市場向けへの生産・流通体制を構築したことで、その延長線上で発展途上向けの市場を新たに創造できたというのが、私の理解である。それゆえ、アフリカの商人は、自らの出身国の中下層の消費財市場向けに適切な商品を、多様な内容で、好きな量だけ低価格で手に入れることができる。このような生産・流通体制を構築せず、低労賃中心で製造業が発展した他の多くの中進工業国では、これに代替することはできない。どうもこの点で、Mathews他の見解は、私の理解と大きく異なるようである。
参考文献
Mathews, Gordon and Yang, Yang, 2012 ‘How Africans Pursue Low-End Globalization
in Hong Kong and Mainland China’Journal of Current Chinese Affairs, 41,2, 95-120.
小川さやか、2016『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』光文社新書
渡辺幸男、2016『現代中国産業発展の研究
製造業実態調査から得た発展論理』慶應義塾大学出版会
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