「プリゴジンの叛乱」とは何だったのか
渡辺幸男
1、2023年7月8日付のFTの記事(Ivanova, P. & M. Seddon
‘Prigozhin ties to Putin expose weakness in the Kremlin’)を読んで
と
2、2023年7月23日付のFTの記事(Seddon, M. & A. Schipani,
‘Wagner chief in surprise appearance at Russia‘s Africa summit’)を読んで
*1の記事を読んで、当初感じたこと
今度のプリゴジンの叛乱とその収束に関して私の最初の基本的了解が、どうも間違っていたようであると感じた。
この記事で書かれている、当面の叛乱収束と思われ得る状況、プリゴジンの所有するオリガルヒとしての民間軍事会社を含めた産業複合体が、ほぼそのまま存続している、しかもプリゴジンの所有の下でということについて考えると、当初私がかんがえたように、プリゴジンは、プーチンに叛乱したことの罪を許された、ということではなく、また、ワグネルは解体され、ロシア国軍に吸収されるということではなかったようである。ベラルーシのルカシェンコの仲介で、とりあえず、両者の間での妥協が成立した、ということのようだ。
プリゴジンはモスクワ侵攻を放棄することで、自らの事業体を、民間軍事組織を含め維持でき、拘束されず、経営者として行動することをルカシェンコの仲介でプーチンに保証されたが故に、モスクワ侵攻を主体的にやめた。プリゴジンとプーチンとのルカシェンコが仲介した妥協は、プリゴジンは当面モスクワへ侵攻しない、プーチンはプリゴジンの行動の自由を保証する、というものであったのではないか。一応プーチンの面子を立てた上で、だが。プーチンは、プリゴジンのモスクワ侵攻の軍事的な阻止を不可能と判断した上で、このような妥協したのではないか。
このままプリゴジンのモスクワ進攻を許せば、プーチンは自らの政権は崩壊し、もたないと理解し、それを回避する最後の手段として、ルカシェンコの仲介ということで、あたかもプリゴジンが、プーチンに説得され、「撤退」したという形を取ることに成功した。プリゴジンもプーチン政権の崩壊、そしてその後の大混乱を避ける必要があったのであろう。このように見えてきている。実際に、公開で逮捕され、見せしめが行われていないのだから。
このような理解を、皆さんもしていていたのであろうか。このように理解できず、無知であったのは私だけなのであろうか。どうも、そうでは無いようである。
2023年7月9日付「朝日新聞」5ページの記事「ワグネル、アフリカ撤収か プーチン政権、プリコジン氏と切り離し」、この記事は無署名だが、「中央アフリカに駐留していたロシアの民間軍事会社ワグネルの戦闘員が撤収」という内容の記事の中で、「ロシア国営テレビは5日、プリゴジン氏の特集を放映し」、自宅の捜索の結果やプリゴジン氏がワグネルなどのグループの掌握を続けるのはむずかしいとしている。しかし、同時に、押収されたはずの現金や武器が、プリゴジンに返還されたとの報道があると伝えている。
報道されている事実を、冷静に外から眺めれば、叛乱を起こした人物が叛乱を諦め、降伏したようにいわれ、家宅捜索されながら、戦闘行為もしておらず、逮捕されず、行方不明になり、オリガルヒとしての資産のロシア政府による全面没収は語られていない。大変奇妙な事象である。ちらほら、聞こえ、見えてくるのは、表面的には降伏したことにしたが、事実上、ルカシェンコの仲介で、何らかのオリガルヒとしての生き残りを前提に、プリゴジンが妥協した、といったような姿である。朝日の記事も接収した現金をプリゴジン本人に返還という話があるという、叛乱に失敗したということを前提とすれば、とても奇妙なことにも言及している。
ロシア国民の前には、家宅捜索を含め、犯罪者であり敗者であるプリゴジンに対し、プーチンがその後始末をしているように見せても、その実、その姿はロシア国民向けのポーズに過ぎず、プリゴジンそのものはオリガルヒとして無傷であるように見えてくる。プーチンの面子を立て、当面、叛乱を「鎮圧」したプーチン政権は維持されるとしても。
プリゴジンそのものについては、事件収集後、ルカシェンコ情報で多少消息が漏れる程度であり、その姿については誰にも目撃されず、逮捕されたり、拘束されているという情報さえない。報道的には、プリゴジンの豪華邸宅の捜索だけが具体的な報道として示され、関連会社の接収という報道もない。少なくとも、専制的大統領プーチンに対する叛乱を主導し、それに失敗した首謀者の姿ではない。プーチンが、国民の前で、反乱を解決し、依然として
さらにプリゴジンのロシア国軍に対する影響力、そしてその大きさを、ロシア南部ロストフ州の州都のロストフ・ド・ヌフ市のロシア軍基地をほぼ無血で占領したこと、また高速道をモスクワに向かって、何らのロシア軍による抵抗もなく進軍できた事実との関連で、どう見たら良いのか。ロシア軍の中級以下の将官の多くにとって、プリゴジンとその行動は断固阻止され排除されるべき事項ではなかったことは事実であろう。国軍の南部司令部を戦わず明け渡しているのであり、モスクワへの進軍を阻止する動きが、衛星写真を含め、外から全く見えなかったのであるから。初期には、戦闘機によるロシア空軍のプリゴジンへの攻撃があったようだが、戦闘機は撃墜されたとのことであり、その火力は依然維持されているのであろう。同時に、それ以外の阻止行動は、全く伝えられていない。
どうも、ルカシェンコの仲介は、プーチンにとって、ぎりぎりのタイミングでのものであり、表面ヅラだけ、プーチンの権力保持を示すに過ぎないものといえよう。日本国内の報道では、ルカシェンコがプリゴジンに対して、プーチンに降伏するように説き、それに成功したかのように報道されている専制的な大統領として君臨している、という形を示しているだけである。実質的には、プリゴジン自体は叛乱に失敗しておらず、ルカシェンコの仲介で表面ヅラだけを当面丸く収めただけに見えてくる。と、私には見え、奇妙に感じていたが、単なる戦闘行為に至ることを停止するという仲介に成功したということであろう。
その上で、露呈したロシア国軍のプーチンへの忠誠の弱さが、今後、どのように影響してくるのであろうか。戦場に向かう将校や兵士の間に、ウクライナ侵略の不当性への嫌悪や、何のために戦場で死をかけたかのかわからない状況が、浸透しているからこそ、プリゴジンに対して本格的な対立、戦闘を行わなかったのではないか。そんなことを感じる。
その後の報道で、ロシアのベスコフ大統領府報道官が、叛乱収拾の数日後にプーチン大統領とプリゴジンおよびワグネルの中心的幹部数十名とがあっていた、ということを述べたことを知った。そこで、プーチンによるワグネルに高い評価が伝えられたとのことである。初めの報道とは、全く違う方向に向かっている。このベスコフの発言をどうみたら良いのであろうか。当初のプーチンの発言としてプリゴジンの叛乱を断固許さないと伝えていたのは、何だったのであろうか。
ベスコフ報道官の発言により、叛乱とその叛乱分子に対する制裁、という内容が全く消えたことになる。
また、7月9日付の朝日新聞の報道によれば、ワグネルは中央アフリカ共和国での介入行為を放棄したようである。このことでアフリカ大陸の状況は、さらに混沌としてくるであろう。他方で、ワグネル自体がそのままベラルーシで活動していることが、ルカシェンコより報道されている。ワグネルの解体そのものは、少なくとも全面的には行われず、ロシアの意図に素直に従うことをやめたということであろう。シリアとアフリカ諸国がどうなっていくか、ワグネルの「大きさ」を推し量る上にも、これからの動きが見ものということになる。
*2の記事を読んで
プリゴジンのその後(FT, Seddon, M. & A. Schipani, Wagner chief in surprise appearance at Russia’s Africa summit, FT, 28 July 2023, p.2 を読んで)
プリゴジンのその後について、私にとっても、驚きのニュースが飛び込んできた。日本の新聞にも報道されていたが、FTで事実であるとより積極的に報道されている「事実」に関する記事で、今、ロシアのセントペテルスブルグで開催されている、ロシア政府によるアフリカサミットで、プリゴジンが現れ、中央アフリカ共和国の要人と会談しているという写真を、ワグネルの幹部が写したものが、プリゴジンのロシアでの活動を表すものとして、紹介されているとのことである。このことは、プリゴジンが、依然としてロシアの現体制にとってのアフリカ政策の重要な一翼を担っており、プーチンが彼を排除することを躊躇しているか、できないでいることを示すとの解説が、FTのこの記事にはついている。
どうも、私が7月8日付のFTを読んで書いた論考の結論部分が、全くの見当違いであったことを確認できる内容である。ワグネルのアフリカの活動は、そのまま継続されており、プリゴジンがひきいるワグネルは、民間軍事組織として健在であり、事実上、あるいはかつてのように影の存在ではなく、ロシア政府の公認の下に堂々と、ロシアのアフリカ介入の主要な担い手として生きており、そのことを自らロシア国内で示せるようになっているということであろう。
すなわち、昨年のウクライナ侵略開始以前は、建前としてロシアの中では法的には存在を認められていなかった民間軍事組織が、ウクライナ侵略の中で、事実上、その存在がロシア政府のお墨付きを得たことにより、アフリカでの軍事行動をロシアで堂々と示せる存在となった、ということであろう。だからこそ、プリゴジンが、セントペテルスブルグで、中央アフリカの要人と会い、それを広く広報できるようになったと言える。
叛乱収集後のプリゴジンの自宅の家宅捜索と称するものは、何であったのか。やはり、プーチンが自らの力で事態をおさめたという形を、ロシア国民に示すための単なるポーズであったのであろう。実態は全く逆で、プリゴジンがプーチンに恭順の意を示し、ワグネルの事実上の解体のもと、本人のベラルーシへの亡命を許されたということではなく、プリゴジンがプーチンに恭順のポーズをとることと引き換えに、これまでのプリゴジンの民間軍事会社を含めた資産と存在を、プーチンが保証し、プーチンが事態を収集したという形を、ようやく実現できた、ということであろう。
この叛乱のプリゴジンにとっての成果は何であろうか。それは何よりも、その民間軍事会社としての存在のロシア政府による最終的な公認であろう。が、それだけではなく、それと並んでの大きな成果は、ロシア正規軍の前衛として、ウクライナ戦線で、自らの基本的な方針とは関係なく、消耗戦の最先端を担わされること、末端の使い捨てに兵士ばかりではなく、その中堅的な幹部を失っているであろうことからの離脱であろう。戦果が上がらず、何らの利権も手に入れられないウクライナ消耗戦、プリゴジンからみて無能なロシア国軍の指揮下でのそれを避けるためにも、そこからの離脱をプーチンに認めさせること、これこそがその主要な目的の一方であったのであろう。
ウクライナの消耗線、見通しがない戦いでロシア正規軍により使い捨てされること、特に、ウクライナの反攻が予想される時期の前に、ウクライナ前線からの離脱を実現するために、叛乱を起こしたのであろう。それゆえ、プリゴジンにとっては、アフリカ諸国での権益がらみの軍事行動をやめるつもりは全くなく、ウクライナ戦線からのワグネルの撤退をプーチンにのませるための叛乱であった、と言えそうである。
それをプーチンが全て飲んだから、モスクワへの進軍をやめ、叛乱をやめ、ベラルーシにワグネルごと「亡命」した形で、事態を収集するというプーチンの案を飲んだのだろう。プリゴジンの叛乱は、プリゴジンの思惑通りに大成功を収めた。同時に、プーチンも一応ロシア大統領、独裁的なそれとしての面子を保つことができた、ということであろう。アフリカでは利権を含めワグネルは健在である上に、ウクライナで強いられていた消耗戦を、ベラルーシで民間軍事会社としての存在を公認された上で、離脱し、ワグネルとしての存在の安全を確保し、再建が可能となった。アフリカでの権益も健在、プリゴジンとワグネルにとって、これ以上の良い結果はないと言えよう。叛乱はプリゴジンの当初からの意図を実現したという意味で、大成功であった。表面的には、プーチンに恭順の意をプリゴジンが示した形を取りながら、実質は「全て」プリゴジンの思惑通りになった、ということであろう。プリゴジンにとって「大成功」の叛乱であるといえよう。
ワグネルという前線での消耗を厭わない軍事組織が撤退した今、ロシア国軍はウクライナ軍の反攻の前にどうなるのであろうか。少なくとも東部ドネツク州バフムウトの争奪戦までは、ロシア軍はワグネルの消耗的な戦いを元に、「攻め」の姿勢を保てたようだが、ワグネル撤退後は、全くの受身に近い状況が報告されている。ウクライナ軍の反攻が遅々として進まないとも言われているが、ロシア軍の進軍そのものの報道は、ほぼ皆無である。守り一辺倒、自国領土にしたはずの4つの州全域を軍事的に支配することに成功するどころか、東部、南部、いずれでも、じわじわと後退していると伝えられている。
ワグネルのウクライナ戦線での存在の大きさと、戦線離脱のワグネルにとっての意味の大きさの双方を、改めて感じざるを得ない。
また、ワグネルにとっては、今や政府公認の民間軍事会社となれたし、ウクライナでの新たな利権の獲得が全く見通せない中、プーチンに忠誠を尽くし、ロシア軍が後退するウクライナ戦線で、消耗線の前線を担う理由は、全くない。また、美味しいアフリカでの利権を放棄する気もない。受け身にまわり多大な消耗線になっているウクライナの前線から、いかにうまく反攻にさらされる前にワグネルを引き上げ、ウクライナに展開していたワグネルを再建し温存するか、これが課題であったのを、すべて無事達成できるようにした。これが今回のプリゴジンの叛乱の一方の意味であり、叛乱の最大の成果であろう。
ここに至り、プリゴジンがモスクワまでロシア国軍の阻止行動にあいそうもなく、モスクワ包囲をできるようにも見えたにも関わらず、プーチンの顔を立てて叛乱を撤収した行動の意味を、私なりに納得することができた。ルカシェンコにより、ベラルーシでプリゴジンがワグネルを再構築する場を与えられた理由も含めて。
それゆえ、私の今の理解が正しければ、ワグネルがベラルーシからキーウに向けてロシア軍の尖兵として侵略を再開するといったことは、全くないということになる。利権を全く得られそうもないどころか、泥沼以外の何者でもないウクライナ戦線に戻る理由は、プリゴジンのオリガルヒを構成する民間軍事会社としてのワグネルには、もう全く存在しない。利権が豊富なシリアや中央アフリカに注力する、これこそが、軍事組織を核とした利益集団であるオリガルヒのトップとしてのプリゴジンにとって、極めて正当な行動であろう。
追記(9月10日)
そして、8月23日、プリゴジンが搭乗していたエンブラエル社製のプライベートジェットが、モスクワからサンクトペテルブルグに向かう途中で墜落した。公開された映像では、真っ逆さまに墜落する当該ジェット機が映っている。そして、すぐさま、ロシア当局によりプリゴジンの死亡が確認されたとの調査結果が報道された。そして、当該ジェット機については、ロシア当局は墜落機の製作会社であるエンブラエル社にその墜落原因の究明調査を依頼しない、という報道が続いた。しかも、迅速に。
自身が保有するジェット機で、ロシア国内をワグネルの幹部たちと共に自由に移動するプリゴジン、その彼が突然の死を迎えたとの報道である。それも事故死とは言えない墜落の仕方で、自身が保有するジェット機で、幹部と共に。見えてくるのは、プーチンによる、他のオリガルヒの対する見せしめを兼ねた暗殺以外の何者でもない、といえよう。報道された中では、プーチンが見せた最初の怒りが、本音であったということになる。
とりあえず、反乱を収束し、プリゴジンを泳がせておき、安心させ、プリゴジンの周辺を再確認し、後始末の見通しが立ったところで始末をした。独裁者として、暗殺者として、ロシア外での評判も無視し、その本質を露骨に出した結末である。それだけ、プーチンにとって危機感は大きく、ロシア国内の潜在的対抗可能勢力に対し明確なメッセージを送る必要性を感じだのであろう。
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