2023年1月18日水曜日

1月18日 G. ラックマン「ロシアにとって勝利持続への道はない」(FT,1月17日)を読んで

 Rachman, G., There is no path to lasting Russian victory

「ロシアにとって勝利持続への道はない」FT, 17 Jan. 2023, p.17)を読んで

渡辺幸男

 

 久しぶりに、勝手なコメントを書きたくなる、興味深いFTの記事に遭遇した。それが、上記のタイトルのG. Rachman氏の論説である。

 

 ここでは、ロシアのウクライナ侵略について、どのように見るべきか、改めて議論がなされている。そこでの主張の中心は、タイトルにあるように、ロシアのウクライナ侵略では、今後、ロシアによる戦場での一定の成果が生じても、持続的なロシアの勝利とはならない、ということである。たとえ、ロシアがウクライナのゼレンスキー大統領を追放できても、10年単位のゲリラ戦がウクライナで生じるだけであり、アフガニスタンでの旧ソ連の戦争が「ピクニック」のように見えてくる、ことになるとしている。

 たとえ一時的に勝利しても、ロシアのウクライナ占領軍やその傀儡政権は、長期的なゲリラ戦に巻き込まれ、その一時の「勝利」はロシアをより一層、長期の災難へと導くというのである。第2次世界大戦の対ドイツ戦での旧ソ連の最終的な勝利は、自国での戦いであり、その上にヨーロッパ諸国を味方にしての戦いであったが、今回はウクライナがその立場にある。ロシアの味方はヨーロッパには存在せず、南の諸国の中に存在するだけであり、何よりもロシアが侵略者なのである。旧ソ連のアフガン戦争が「ピクニック」とみえるような状況になり、プーチン大統領のロシアにとっては、論理的には降伏も可能だが、降伏は自らの完全否定となるプーチン大統領にとって受け入れ難いことであろうとも述べている。

 そしていずれにしても、プーチン大統領が長い戦争を遂行するには、ロシア国内のエリートの長期に渡る無条件的な愛国主義的支援が不可欠である。しかし、無条件的な愛国主義的エリートは、仲間を戦場に送り、そして殺すことになり、持続可能とは言えない。ロシアの本当の愛国主義的エリートの多くは投獄されたり亡命したりしているが、彼らがプーチン大統領と彼の戦争をやめさせるとき、ロシアには初めて、「道徳的、経済的、そして国際的な地位を再構築するチャンス」が生まれる、と締めくくっている。

 

 この論説でのポイントは、今回の戦争が、ロシアのウクライナへの侵略戦争であり、たとえウクライナ現政権が崩壊したとしても、戦争は長期のゲリラ戦となり、侵略者ロシアは、この30年欧州諸国へのエネルギー資源供給者として成長を遂げてきたのであり、その欧米諸国から総スカンを喰らい、多少なりとも積極的な支援を期待できるのは南の諸国の中にあるだけで、それもイランぐらいであり、中国等も積極的には支援しないであろうというが第一の点である。そして、それにもかかわらず、プーチン大統領は引くに引けず、泥沼で足掻くことになる。しかもその足掻きを維持できるのは、ロシアの愛国主義的エリート層の無条件の支持があってのものであるが、それ自体無理であろう、ということで締め括られている。

 

 この論説を読んで、改めて、ロシアのプーチン大統領の読み間違えの深刻さを痛感した次第である。多くの人が指摘しているように、プーチン大統領はキーウに向けて侵略を開始すれば、本格的な抵抗もないまま、数日ないし10日くらいで、ゼレンスキー政権を追放し、傀儡政権を打ち立てることができると読んでいたのであろう。2014年のクリミア半島のあまりに容易な自国領土化の事実上の成功、これこそが読み違えに向けての原点であろう。クリミアで成功したのだから、それを見た目でより大規模に行えば、ウクライナ全土を属国化できる、という読みである。

 そのような読みがあったからこそ、最前線に向かう自国の兵士に、直前まで演習への参加と思わせていても、問題ないと考えていたのであろう。兵士の絶対数さえ十分であれば、その戦闘意欲や兵站状況とその背後にある大義等は関係なく、ゼレンスキー政権は崩壊すると。これが完全に見込み外れであったことから、引くに引けない羽目に陥った。そして、時間を経過させ、米欧による本格的なウクライナ支援を呼び込んでしまった。しかも、ラックマン氏によれば、プーチン大統領は自らが破滅するまで、戦い続けざるを得なくなっている、ということになる。

 その結果、プーチン大統領は、当面の勝利を得ようとして、無差別攻撃を行い、民間人の大量虐殺や、社会生活のインフラの意図的破壊をおこなっている。これは、当面ウクライナ人を傷め、生活困難に至らしめることになる。しかし、このようにウクライナ国民を徹底的に痛めつけるならば、プーチン大統領がたとえ傀儡政権を打ち立てることに成功したとしても、その傀儡政権は、ウクライナ人の多く、ウクライナ国民の圧倒的な部分の人々の協力を得られないことになるであろう。ラックマン氏はアフガンどころではない長期の激しいゲリラ戦になると言っている。数日で傀儡政権を樹立できなかったボタンの掛け違い、そこに至ったプーチン大統領の状況の読み違いゆえに、引くに引けず、泥沼にますますハマる状況を作り出してしまっている。ほぼ1世紀前の、どこかの新興帝国の侵略者の中国での失敗を素直になぞっているようにも見える。

 その読み違いの根本は、2014年段階のウクライナ国民のウクライナ国民としてのアイデンティティが、クリミアのロシア併合で大きく変わり、強化されたことであり、それをさらに強めているのが、いまのロシアのウクライナ侵略だと、ラックマン氏は言うのである。

しかも、ロシア、そしてプーチン政権は、ここ30年、旧ソ連の崩壊後、ヨーロッパへのエネルギー資源の輸出国として、ロシア国民1億4千万人にとってのある程度豊かさを実現した。そのことを通してプーチン大統領は自らの権力基盤を堅固なものとした。このロシア国民にとってのある程度の豊かさをもたらした対欧州向けの天然エネルギーの順調な輸出と、それを中心とする豊かさへの道は、2度と再現不可能であろう。欧州の主要国は今回の侵略で、ロシアへの天然エネルギー依存が極めて国民的にリスクの大きなことであることを認識したであろう。ここでもプーチン大統領の読み違いが見えてくる。エネルギー資源をロシアに大きく依存するヨーロッパ諸国は、形だけの制裁にとどまり、本格的な経済制裁をロシアに向け発動せず、ロシアへの全面的な経済制裁発動は控える、というクリミア奪取の経験の再現を期待したのであろう。

ヨーロッパへの天然エネルギー資源の輸出拡大の道が閉ざされた中で、ロシアは、どのように改めて経済の回復成長を実現し、高所得国へと近づこうとしているのであろうか。中国とインドという巨大な人口のエネルギー輸入国への輸出の大幅拡大の可能性に将来に賭けているのであろうか。そのことを通して、オーストラリアのようになろうとしているのであろうか。1億4千万人が高所得になるだけの天然資源と農産物の成長する輸出市場を中長期的に確保できるのであろうか。

 それとも、旧ソ連が、それなりに実現した、自国の勢力圏内での完結型の工業化を、改めて再現しようとしているのか。中央アジアの諸国を含め、今回のウクライナ侵略で、周辺国のロシア勢力圏化への積極的な協力の確保は不可能であろう。いつ主権を否定する侵略を行うかもしれないロシアに、積極的に協力する国は、政権基盤がぐらついているベラルーシのルカシェンコ政権ぐらいであろう。

 

 プーチン大統領の権力者としての一層の頑張りは、ラックマン氏もいうように、ロシアの悲劇の深化ということになろう。悲劇への道を突き進む指導者のもとで、その指導者に盲目的に従う国民、歴史的には、幾つものその姿を見てきた、その再来がプーチン大統領支配下のロシア「帝国」ということになろう。工業生産については、国際競争力と勢力圏内完結性の両面において、旧ソ連以下の状況にある現在のロシアだが、国際エネルギー供給者としての地位の確保と、多少の豊かさの実現による国民的支持を得た支配者の見込み違いが、国家としての破滅につながるような泥沼、いな底なし沼にはまる、という国家的悲劇をもたらしつつある。しかも、この支配者は、自らの非を認めることが全面的な自己の破滅となるような、逃げ場のない支配者、事実上、政権交代の仕組みを持たせない体制の独裁者である。

 今こそ、ロシア革命の時と言えるかもしれない。プーチン「皇帝」打倒のためのロシア革命である。しかし、ラックマン氏が期待するように、本当の愛国的エリートが、反プーチン大統領で蜂起する可能性があるのであろうか。その多くが投獄され国外逃亡している人々でもある。天然エネルギーを買ってくれるところは、買い叩かれるとしても、中国やインドといった巨大人口国を中心に存在し続けるであろう。このことにより、ロシア経済はジリ貧とはなるが、獲得した豊かさを少しずつ手放すことで済み、経済崩壊を意味しないですむ。このジリ貧状況は、一挙崩壊より、ロシア経済には、長期的な、より大きなダメージを与えることになるかもしれない。新たな道の模索をしない、あるいはできないまま、ジリ貧状態が長期化する。そして、天然エネルギーである石油や天然ガスの需要者とその量が、絶対的に減る。再生可能エネルギーへの代替により。同時に、そこそこの水準で天然資源への依存が維持されることで、本格的な再工業化へのエネルギーは、ロシアでは生じないことになる。再工業化の担い手となる可能性を持つ多くの人々は、海外に脱出しているがゆえに、一層のこと。

 

 一刻も早い、ロシアでの政権交代、ラックマン氏の言う真の愛国主義的エリートによる政権奪取、「ロシア革命」を願うばかりである、が・・・。

 

 ただ、それにしても、ロシアの高所得国化への道が、私には見えてこない。1億4千万人のロシアの人々にとって、天然資源輸出を通しての高所得国への道は極めて困難に見える。が、他方で、米欧そしてアジアの先進工業諸国からの経済制裁下でのロシアにおける工業発展の道、これもまた私には全く見えてこない。今のロシアの工業状況では、旧ソ連レベルのラーダの量産さえ、できるとは思われない。しかも、この30年でかつての旧ソ連が持っていた勢力圏内完結型の工業構造は完全に解体し、広範な工業生産における米欧を含めた国際分業に依存する天然資源輸出主導の、そこそこに豊かさを実現した国民経済となっているロシア、今後の発展的展開の筋道が見えてこない。

 見えてくるのは、中国経済への天然資源と農産物の輸出で食いつなぐ、高所得国化できなかった停滞的ロシアなのだが・・・。これも、世界経済の再生エネルギーへの転換により経済破綻しなければであるが。


お詫び:論説の著者の日本語表記が、間違っていました。ラックマン氏の翻訳書を読んでいながら間違えてしまいました。お詫びいたします。最初の公開時には、ラッチマン氏と表記していましたが、ラックマン氏と修正しました。




2023年1月1日日曜日

1月1日 癸卯元旦 謹賀新年

                                                                                                                                                    癸卯元旦

明けましておめでとうございます

渡辺幸男

 

 私の昨年1年間、一昨年とほとんど変わらない1年でした。ただし、一昨年、久しぶりに『21世紀中小企業論』の改訂版を出版するために、原稿を書きましたが、そのような仕事も昨年はありませんでした。また、多摩川を越える仕事も、ごくわずかであり、新型コロナの流行もあり、旅行も行かず、神奈川県内でほぼ完結した1年でした。リモートでの会議や学会への参加は、いくつかあり、出不精の私には、ますます暮らしやすい環境になったと感じた次第です。

 ただ、年末から新年にかけての季節労働である「中小企業研究奨励賞」の審査委員としての仕事は、今年度まで引き受けていることもあり、10月に入り、急に緊張感が高まり、久しぶりに、研究書と格闘する日々を過ごしました。このところ、中小企業研究以外の研究書を読むことが多く、なるほど、と感心するだけで読み飛ばしていましたが、審査するとなると、そうもいきません。緊張感が全く異なります。他の委員の見解を拝読し、私の理解と大きく異なることから、さらに読み直すといったこともしました。

 この審査委員の季節労働についても、本年度末、すなわち今年3月をもって終了することにしました。故佐藤芳雄教授がまだ現役の時に亡くなられためだと思うのですが、思わぬ若さで中小企業研究奨励賞の専門委員から審査委員に移行することになりました。それから20年余、審査委員として当初は好きなことを言っていられたのですが、経済部門の主査、あるいは審査委員長になってからは、審査委員の諸氏の見解をまとめるという役目が加わり、私の性格からは、かなり自己抑制をせざるを得ないきつい状況とになりました。言いたいことを抑え、と言っても、かなり自己主張をしていたとは思うのですが、立場上、審査委員諸氏の見解をまとめるということを、常に考えざるをえず、それなりに努力し、私なりにストレスを感じてきました。

 中小企業研究奨励賞の審査委員の任にあたることで、自分の主たる専門分野以外の著作、特に歴史的研究や計量的研究をも読むことを求められ、中小企業研究に関する私の理解の幅も広がったように感じます。それを自分の分野での研究にどこまで活かせたかは疑問ですが、中小企業研究者としての発想やアプローチの多様なあり方についての認識は深まったと思っています。審査委員としての活動の機会を与えてくださった商工総合研究所の方々に感謝です。

 

 さて、季節労働もする必要がなくなり、次年度からは、どのような生活を送るか、この問題が生じるかもしれません。ただ20194月から7月にかけての手術入院生活以後の、ここ数年の状況から言えることは、専門外の研究書、多くは近年の研究成果を反映した歴史学関係の専門書あるいはその入門書ですが、これを興味にしたがって、勝手に読み飛ばすということが、楽しくてしょうがない、と言った状況です。数年前まで、自身の研究がらみ、およびその周辺の研究書を読むことが多かったのですが、かなり状況が変化し、近年の歴史研究の成果を追いかける形での読書となっています。

 その結果、読書を通じて、私なりの見解を述べたくなり、ブログに書くということも減ってきました。あるいは、ほとんどなくなってしまいました。

 

 また、もう1つの趣味である、庭仕事を楽しむ、ということの1つである花については、ここ数年の体力の衰えの影響で、これまで毎年繰り返し世代更新で咲かせてきた鉢植えを、かなり維持できなくなり、種類を減らしてしまいました。エントランスの花々についても、かつての彩りが減ってきています。ただ、それでも、いくつか、サルビア、ゼラニウムやクリスマスローズといった花々の鉢植え、これ等を維持し、あるいは増やすことにも成功し、それなりにエントランスの四季の花々を維持することはできているつもりでいます。ブログにも、だいぶ回数は減りましたが、それ等の花々の移り変わりを、依然としてしつこく掲載しています。

 もう1つの趣味の庭仕事である、池の錦鯉の孵化と育成、こちらは私の中学生以来の趣味、60年余、極めてしつこく続けています。場所と広さは変わりましたが、我が家の池で鯉を卵から孵し、成魚になるまで長く育てる。こんな日々が、未だ続いています。ただ、新たに卵からの孵化、そして稚魚の育成、これについては諦めました。今いる鯉、4年以上(病気で倒れる前に孵した幼魚)たった鯉を最年少に、30数歳の鯉まで、数十匹、これの面倒を見続け、この夏も無事越させることができ、冬を迎え、池の深みで静かに、しかし元気に泳いでいます。

 池の鯉の天敵、まずは猫、これは池の周りを工夫し、猫が池に手を入れることができないようにしたことで、だいぶ前から、ほぼ完璧に防いでいます。もう1つの天敵、青鷺、こちらはしつこくやってきています。我が家の屋根に止まり、周りの様子を伺い、池のほとりに降りてきて、孵って数年以内の幼魚を狙います。かなりやられたのですが、ネットを張ることで、近頃は防げるようになりました。でも、まだ狙いに時々飛来します。知恵比べといったところです。

 60年以上続けている鯉の飼育、できる限り、といっても体がある程度動くことが前提ですが、続けていきます。孵化の再開は無理にしても。

 

 最後に中小企業・産業構造に関する研究者としての今後ですが、気になった本を勝手に読み、勝手な感想をブログに書くことは続けたいと思っています。特に中国、ロシア、インドの産業発展の実態についての研究を、中小企業を念頭に置いて読み、新興工業国の産業発展を、日本での産業発展と対比しながら、考える。こんなことを、日本語の文献を通して行えたらいいな、と思う日々です。

ただ、産業の現場に行って、その報告をされる研究者の方が限られており、新興工業国の産業、特に広義の機械工業についての日本語による研究成果については、目にする機会が、ごく限られています。2000年前後に、中国産業の研究者と一緒に中国の産業発展の現場を自分の目で見るような幸運には、恵まれないであろうし、そんな機会がたとえ降ってきても、もうそれに応じる知的体力はないので、ぜひ、他の方の研究成果を見たいのですが・・・。