2023年12月28日木曜日

12月28日 冬至を過ぎ健在、露地のサルビア

 冬至を過ぎ、本格的な冬到来、
のはずですが、
我が家のエントランスのサルビア、健在です。
門の脇に置いていたのを、
軒下の方に移動しましたが。
我が家のある二宮町百合が丘にも、すでに初霜は到来し、
お向かいの家の屋根は霜で既に何回も白くなりましたが、
エントランスの露地植えのプランタのサルビア、
大きなプランタに植えたため、冬囲いをしたテラスに入れられず、
エントランスの軒下に移動しただけですが、
今日、12月28日まで元気。


いつまで元気?
この分だと、正月を無事迎えるのではないかと期待しています。
正月の松飾と同居する露地で咲き誇るサルビア、
なかなかのものだと思います。



2023年11月24日金曜日

11月24日 松里公孝著『ウクライナ動乱』を読んで

 松里公孝著『ウクライナ動乱 −ソ連解体から露ウ戦争まで』

(ちくま新書、2023年)を読んで、感じたこと、

          旧ソ連の「非工業化」への示唆

渡辺幸男

目次

はじめに

第1章      ソ連末期から継続する社会変動

 1 非工業化

 2 分離紛争

 3 安全保障

第2章      ユーロマイダン革命とその後

  1 ユーロマイダン革命の見方

  2 ウクライナ内政の地政学化

  3 ユーマイダン革命

  4 失敗した沈静化の試み

  5 ユーロマイダン後のウクライナ政治

第3章      「クリミアの春」とその後

  1 2009年以前のクリミア

  2 マケドニア人支配下のクリミア(20092014年)

  3 ユーロマイダン革命とクリミア

  4 ロシア支配下のクリミア(20142022年)

第4章      ドンバス戦争

  1 ドネツク州の起源

  2 ソ連解体後のドネツク・エリートの苦闘

  3 オレンジ革命と地域党恩顧体制の完成

  4 ユーロマイダン革命とドンバス革命

  5 平和でも戦争でもなく

第5章      ドネツク人民共和国

  1 先行する分離運動

  2 建国期の試練

  3 20148月のドネツク(リアルタイム)

  4 小康期の人民共和国(20152017年)

  5 活動家群像

  6 経済封鎖以後(20182022年)

第6章  ミンスク合意から露ウ戦争へ

  1 分離紛争解決の五つの処方箋

  2 ゼレンスキー政権の再征服政策

  3 奇妙な宣戦布告

  4 体制変更戦争

  5 領土獲得戦争へ

終章  ウクライナ国家の統一と分裂

あとがき

 

 ドンバス地方、ウクライナ東部地方の工業地帯、旧ソ連時代に炭鉱を軸に鉄鋼業等が栄えた工業地帯であり、ソ連解体後、旧ソ連時代の経済水準まで回復することができずにいるウクライナの中でも、特にその点が顕著な地域だそうである。このドンバスとクリミアとを中心に、ソ連解体以後の状況を著者自ら現地取材を行い、丁寧に追いかけている。そのことを踏まえ、クリミアとドンバスとが、キエフ中央政府の政変に従わず、独自の地域自立化への道を歩もうとし、それが中央政府との武力衝突となったと理解している。この問題はミンスク合意で一旦ある意味で沈静化したが、その合意は本来的な意味での解決ではなく、ウクライナ中央政府の側からの攻撃で、再度本格的な内乱となったと述べられている。

 これまであまり我々に知られてこなかった、ウクライナのドンバスやクリミアの反乱側の人々の状況と動きを丁寧に追いかけ、それがロシア政府の働きかけによるというよりも、自立的な反中央政府の連邦化を目指した動きであることを明らかにしている著作である。この点については、当初、多少の違和感を覚えながら読み始めたが、読み進むうちに、一定の説得性を感じ始め、その論理の妥当性を理解し、興味深い著作と感じた。

しかし、同時に、そのような自生的、自立的な連邦化への動きを破壊したのが、ウクライナ中央政府であるとともに、何よりも、ロシアのプーチン大統領であることも、この著作の展開を通して強く感じた。クリミア併合を実現し、ドンバスの反中央政府勢力を支援したプーチン大統領は、2022年に一挙にウクライナ中央政府そのものの転覆、傀儡政権化を狙い、侵略を開始した。しかも、中央政府転覆が失敗したことで、ドンバスの反乱の位置付けが大きく変わった。このことで、ドンバスでの反乱が、ドンバス等のウクライナ東部と南部諸州を占領し、ウクライナ領土の多くを、クリミアに続くロシアによる占領と自己支配下への一方的編入のための戦争となった。

このような経過そのものは、本書を通して再確認できた。しかし、違和感を覚えたのは、プーチンの介入侵略が、他の旧ソ連諸国でのように非承認国の分離・樹立ではなく、ウクライナ政府の転覆、そしてその後のロシア併合となったこと、この事象の位置付けである。ドンバスの連邦化での自立化の動きは、その歴史的位置からの説明で、理解可能であるが、それをロシアが併合すること、これをどう位置付けるか、その点で本書の流れに違和感を感じた。

同時に、本書もそうであるのだが、旧ソ連時代に相対的に豊かな生活を実現した旧ソ連の工業地帯としてのドンバスであるが、それがソ連解体後に、どのような国際競争下での位置にあり、それがその地域の経済停滞にどうつながったのか、その分析はほとんど存在しない。この点について特に不満に感じられた。

炭坑から始まる垂直統合型の鉄鋼業が中心の産業地帯と述べられ、そこでの投資がソ連解体後十分でないことで、国際競争力で遅れをとったとの指摘はあるが、本当に投資量だけの問題なのであろうか。そうではなく、産業組織の在り方と国際競争との関係の問題ではないのか、このような疑問が生じるが、この点は全く議論されていない。旧ソ連のロシア内の工業地帯を見れば、当然、このような疑問が生じると思われるのであるが。

すなわち、ロシア全体での旧ソ連以来の工業の解体、私流に言えば「非工業化」と同様な経緯で、ドンバスの工業も衰退の道を歩んでいたのではないかと、私は思わずにはいられない。そのことをドンバスの住民は理解できず、ウクライナ政府の政策の結果の問題であり、ロシアと接近できれば、旧ソ連時代の相対的な繁栄を再現できると誤解しているのではないかと、感じられてならない。いずれにしても、この点に関連して不可欠な論点といえる工業地帯としてのドンバスの可能性と問題点についての分析は、本書には全く見られない。近年見る旧ソ連とロシア研究での物足りない第一の点が、ここにも存在している。旧ソ連工業の解体との関連で、旧工業地帯ドンバスの経済停滞を分析しないことにより、客観的な状況の把握に問題が生じていると言えよう。

旧ソ連の工業は、旧ソ連勢力圏内のみでのみ、その範囲内では(国際)競争力は存在していたのであるが、西側の諸資本等との競争に耐えうる競争力(工業生産性?)を保持していなかった、グローバルに見れば、非競争的先進工業であった。このような旧ソ連の工業企業が、中国のように独自の海外からの競争にさらされない巨大な低価格工業製品市場の形成を市場経済化の過程で実現できず、正面から西側工業と自国市場を巡り市場競争を行うこととなった。国際的な競争的環境の中で育ち生き残ってきた西側工業企業との競争は、旧ソ連工業企業にとって敗退以外の選択肢がないことになる。一部の軍事生産のようにロシア政府等の保護下で生き残ったり、天然資源の賦存状況に恵まれて生き残ったものもあるが、正面から国際市場での競争にさらされた工業分野は、ほぼ壊滅、というのが旧ソ連そしてロシアの「非工業化」である。ドンバス工業も例外ではないと思われる。

 しかも、ロシアもそうだが、ウクライナも工業以外の分野に巨大な輸出産業を保持している。今回のロシア侵略下で問題になっている小麦等の穀物輸出の停滞とその国際市場への影響は、まさにこのウクライナの一次産品での強大な供給能力と国際競争力状況を反映していると言えよう。そのため、旧ソ連下に形成された工業地帯の本格的な国際競争力達成、それによる対外バランスの再構築を目指さなくとも、あるいは目指せなくとも、とりあえず、国民経済としての最低限のバランスは確保可能となると思われる。結果、旧ソ連下の工業地帯は、一層ソ連解体による市場喪失という被害を被り、工業生産活動そして経済活動が停滞縮小した地域となる。

旧ソ連経済下では旧ソ連経済圏内での有数の工業生産地域であったドンバス、それだからこそ、ソ連解体下における西側の工業資本との競争激化と競争での敗退の影響は、一層甚大なものとなる。しかも、このような状況についての情報が不足している地元の人々、旧ソ連経済下でウクライナ内での相対的な繁栄地域としての生活を享受した工業地帯の人々にとっては、自らの地域の経済的停滞についての状況認識、自覚が困難となり、さらには停滞の意味についての理解は一層困難になる。その結果、ロシアの工業地帯との連携が、旧ソ連経済下のように再現すれば、繁栄が蘇るかの如く誤解することになる。旧ソ連の工業活動状況を見れば、これが幻想であることは一目瞭然だが、希望的観測のもとでは、誤解の解消は困難といえよう。ウクライナの旧工業地帯ドンバス地方の人々の状況を、このように理解することは可能であろう。

それゆえにこその地域としての自立化志向とロシア工業地帯との再結合への期待ということとなろう。そこにプーチンの付け入る隙が生じたのであろう。プーチンのロシアの経済的成功、国民生活水準の回復上昇と見えるものの元は、ロシア内工業の壊滅状況を自国産の原油や天然ガスの開発採掘輸出によりカバーし、西側諸国からの工業製品輸入に依存する、一次産品輸出国としての成功を基にした、一定の国民生活水準の上昇に過ぎないのだが。

 

このように考えてくると、ウクライナ問題をドンバス地方の置かれた状況から考えるためには、旧ソ連圏内工業に共通するソ連解体が、経済活動、この場合は工業生産活動にあたえた経済的影響についての分析が不可欠となろう。しかし、残念ながら、この研究でも、その点の分析は皆無といえる。ソ連解体後の旧ソ連の工業の置かれた状況、国際競争状況とその結果の内容・意味の解明・確認こそが、今のウクライナそしてドンバス地方の可能性を考える意味でも、不可欠な研究課題だと思えるのだが。単なる統計的状況についての報告ではなく、工業を中心とした実態研究を踏まえたような実証的な産業分析は、今の旧ソ連経済圏については、少なくとも日本語文献では、ほぼ伝えられていない。断片的な研究成果を見る限り、このブログに掲載したいくつかの論考で再三言及してきたように、旧ソ連の流れを引く工業は、壊滅状況にあるようだが。

ダイナミックに発展する工業活動について、その発展の内容についての実態調査的研究は、それなりに取りつきやすいし、その状況を生で見ることも研究者に許されることが多い。しかし、解体し衰退しつつある経済活動を、現場にまで行って調査研究することは、多くの場合、当事者と政策担当者の拒絶反応にあい、大変難しいことは理解している。しかし、今のウクライナやロシアの経済を考え、今後の経済状況を展望する上には、一次産品を中心とした経済活動のみではなく、工業生産活動の実態、その問題点を解明することが不可欠と思われるのだが。

 

 ここまで書いてから、この文章をブログにアップすることを考え始め、ブログの最初に、松里氏の著作の目次を書き始めた。そこで改めて、本書の第1章の1が、「非工業化」というタイトルであることを見出し、何故、上述のような理解に至ったのか、自らの思考への疑問を感じた。そのため、改めて当該部分を読み直すことにした。自らが「非工業化」という言葉を使って批判しながら、それに応える可能性のあるタイトルの節が、第1章の出だしに存在していることに、改めて気がついたのである。

 

松里氏によれば、1990年代初めのソ連解体により、旧ソ連国、特にロシアやウクライナの旧ソ連時代の工業地帯の「非工業化」が進展した、ということである。しかし、その理由は具体的に触れられず、たとえば、2017年のウクライナのクラマトルスク重機械工場での見学時の話として、アゾフ海での風力発電にドイツ系の企業が投資しているが、ポーランドに風力発電機を作らせ、アゾフ海に近接するウクライナのクラマトルスク重機械工場には、「技術を要さず付加価値の低いものを作らせ」ている、とし、当該工場の「技術者にとっては屈辱的な分業」と述べ、工場の敷地の中央に、風力発電機がどんと置いてあるが、それは技術者たちが「「私たちは簡単に作れる」ということをドイツ人に示威」(p.2930)するためのものだと紹介している。

しかし、議論はそこで終わり、何故、設置場所近くで「作れる」工場があるのに、ドイツの投資家が、わざわざポーランドで作らせているのかの理由の分析どころか指摘さえ全くない。松里氏には当然なことなのかもしれないが。

旧ソ連の重工業企業の後身工場にとってものを作れることと、その工場が国際市場向けに経済的に競争力ある水準で作れることとは、全く別のことであるはずだが、両者が依然としてウクライナの国有企業の流れを汲む企業の工場担当者に混同されていることを、この紹介は如実に示している。このような意識こそ、その工場の国際競争力に関する大きな問題につながるはずなのだが、そのような指摘は全くないまま、話はそこで終わっている。それゆえ、なぜ、このような市場競争についての観念のないであろうこの企業が、2017年まで生き残れているのか、この点についての議論どころか指摘ももちろん全くない。

旧ソ連の重化学工業、いや製造業全体は、閉ざされた市場条件、旧ソ連経済圏内だけで通用する経済的競争力、生産できれば需要はついてくる状況での競争力しか持っていなかった。本格的な国際競争力とは無関係に、物的な生産能力それ自体だけで、製造業企業が再生産可能であり、仕事は回ってくる、といった発想である。その端的な表現として、2017年段階でも、ウクライナのクラマトルスク重機械工場の技術者の上記の発言を見ることができよう。このような企業が依然として存立していることこそ、市場経済化したウクライナ重工業の最大の問題性であり、中国の市場経済化のもとで簇生した民間工業企業と大きく異なる点である。

私が見てきた、中国計画経済下で自転車市場を寡占的に支配していた国有企業の1つである天津の飛鴿自行車の2000年代における姿を、まさに思いだすものである。ただし、中国自転車産業では、天津の国有企業である飛鴿は1990年代半ばに急激に衰退したが、そこからの技術者等を利用した新興私営企業が簇生、発展し、世界市場を寡占支配する中国自転車産業企業を生み出してはいるのであるが。

旧ソ連工業の「非工業化」という認識は、松里氏と私の間に共有されているが、その寄ってきたる所以の理解については、かなり異なっているのではないかとも想像される。しかし、残念ながら、松里氏のこの文献には、ロシアやウクライナの旧ソ連圏で「非工業化」をもたらしている理由、そして同じ計画経済下にあったにもかかわらず、中国については改革開放後「非工業化」せず、中国が西側諸国による経済制裁下でのロシアへの工業製品の重要な供給源となっていること、これを理解するための手がかりとしての指摘さえ一つとしてないと言える。

物を作れるということと、市場経済下で売れる物を作れるということは、根本的に異なることなのである。本書で紹介されている風力発電機だけではなく。ここにこそ、旧ソ連特にロシアやウクライナでの「非工業化」の根源があると、私は考える。もし、この点を象徴的に表現するために、クラマトルスク重機械工場が作った風力発電機に言及したのであれば、松里氏への私の誤解であると言えるが。いずれにしても、何故売れないのか、についての指摘がないので、このようなことをしつこく述べた次第である。

松里氏が繰り返しウクライナに実際に入り、聞き取り調査を行い、それを紹介してくださっていることは、大変貴重なことと言える。それだからこそ、そこから、旧ソ連のウクライナ国有大企業のスタッフの意識が具体的に見え、国際競争力を意識しないかのような姿も見えてきた。また、彼らのものづくりに対する認識、これを感じることができたのであるから、貴重な報告だと言える。同時に、これらの紹介は、私の旧ソ連工業の「非工業化」議論について、改めて裏付けを行ったとも言える。ソ連解体が生じ、西側の市場と一体化してから30年近くが経過した2017年でも、国有企業の技術者の感覚は、大きく変化しておらず、「作れる」ことと「売れる物を作れる」こととの混同が依然として存在しているようである。同時に、中国の飛鴿のような国有企業と異なり、ウクライナの国有企業は巨大企業として存立維持することが依然として可能であった、という事実も確認された。これらのことの持つ旧ソ連工業の問題性は大きなものであるといえる。

中国の国有企業のうち、国家によって市場独占を保証されず市場経済にさらされている部分は、大きく国有企業自体が換骨奪胎し本格的な営利企業へと転換するか、企業自体は崩壊し民営企業への人材移転が生じ、産業分野としては競争的な企業分野へと大きく転換した。しかし、旧ソ連では、それが生じずに消滅した部分と、転換しないにもかかわらず何らかの理由で生かされてきたクラマトルスク重機械工場のような企業とに分かれ、自国系企業による工業部門の国際競争力形成は、生じにくかった、ということを示唆していると言えよう。これこそ「非工業化」である。それでは、なぜ、そのような状況は生じたのであろうか。多くが撤退し、生き残っている企業も工業企業としての国際競争力を入手することなく、生き残れている、という状況は。これについての示唆は、本書には全くない。

第1章の1での「非工業化」とは、状況について事例を通しての紹介であり、その事例そのものは大変示唆的だが、それ以上の議論はない。残念である。

それゆえ、目次をこのブログに書く前に述べてきた議論について、改めて第1章の1「非工業」の節を読み直しても、読み直す以前に書いた文章を変更する必要性を感じなかった。

2023年11月4日土曜日

11月4日 元中小企業研究者の世迷言 後輩の産業集積実態調査研究を読んで

 元中小企業研究者として改めて考えたこと(あるいは世迷言?)

後輩の産業集積実態調査研究を読んで

渡辺幸男

目次

はじめに

1、隔靴掻痒の想いの時代

2、実態調査への挑戦1 − 仲間取引の発見 −

3、実態調査への挑戦2  完成品大手企業から社会的分業構造としての生産構造を見て、 

何故中小企業を語れるのか? −

4、まとめ 2つの「実態調査研究」からの発見とその実証的研究としての意味 

あとがき

 

はじめに

 私は、中小企業の実態調査研究を、研究者としての人生の大部分でおこなってきた。私の単著4冊は、いずれも実態調査研究と、それらを踏まえ論理的に昇華させた論考であると自負している。こんな私が、元研究者となり後輩の研究者の実態調査研究の成果を読んだ。その結果、かつての私の実態調査の方法について、今の時点からみたものを、具体的に、改めて述べたくなった。

 

1、隔靴掻痒の想いの時代

 私の方法は、まずは現場に行き、各中小企業の経営的な行動を把握し、その行動のあり方を経済論理的に整合的な形で整理把握する。最も端的には、このように表現できる。

 ただし、これを聴いても、聴いた方には、私が何を言いたいのか、わからないであろう。経済現象として中小企業の存立、その取引や企業内の経営のあり方を理解するということでは、一般的な実態調査研究ということができる。しかし、具体的な実態調査の多くが、少なくとも私が研究者になろうとした1970年代においては、経済学的にこれまで正しい理解とされていたことの裏付けを探し、その主張を実証するという形でなされていた。

たとえば、私が多くを学び、その大枠としての理論的立場や経済学的理解をその後活用した方法、マルクス経済学からの中小企業論の立場にたつ多くの中小企業研究は、被収奪者としての中小企業ということが大前提であり、収奪されていることによる問題性を担う存在としての中小企業に対し、どのように政策的に対応したら良いのか、という視点での実態調査が主流であった。それに対して1960年代後半以降、中村秀一郎氏や清成忠男氏がそのアンチテーゼを掲げ、前提として、中小企業も企業である限り企業一般としての存在であるとし、しかも小回りの効く等の独自な優位性をもつ企業という特徴のある企業として中小企業を位置付け直し、その視点からそのための裏付けとしての実態調査を行なっていた。

前提としての被収奪企業、あるいは自立的企業一般として小回りの効く等、独自な存在としての「中小」企業として、その存在を確認し、その問題性や小回り性等の優位性の具体的な表現を把握するためのものとして、中小企業の実態調査研究が展開されていた。

このような我が国中小企業に関する状況下で、私が最初に実証的研究として行なったのは、工業零細企業増加とその理由を工業統計等の既存統計から確認するということであった。この零細企業の増加という統計的現象(正確には零細事業所の増加)は、1960年代極めて顕著であり、その増加の理由の説明として問題性把握の視点から故瀧澤菊太郎氏が議論を行い、他方でそのアンチテーゼとして清成忠男氏が零細企業の独自性という視点から議論を展開していた。いずれも一般的な経済学的なものとして研究者本人が理解していた既存の理論ないしは議論を適用して、新たな現象を理解しようというものであった。

詳しくは、当時私が書いた論考(1)を参照してもらいたいが、この統計的現象を他の方の行った実態調査から示唆される事実等もふまえて解釈すると、両氏の議論とも、実態を踏まえない、ある意味抽象的な経済学的理解からの統計的現象の、ある意味一方的な解釈ではないか、という疑念が生じた。しかし、実際の零細企業の状況について、統計的事実しか知らなかった私にとって、両者の議論に疑問を感じるだけで、積極的な現象理解の論理を持つことはできなかった。ただ、既存の議論の当てはめによって経済現象を理解することの持つ危うさを感じるに終わったと言える。

 

2、実態調査への挑戦1 − 仲間取引の発見 −

この零細企業の増加の現象を、実態調査を踏まえて理解するための調査研究の機会は、調査当時慶應義塾大学商学部教授であった故佐藤芳雄氏が受託した東京都労働局の都内の「家内労働調査」プロジェクトに、院生の調査員として参加したことから得られた。私がその中で選択した調査対象(当時は、大学院生が先輩教授の受託した調査の中で自らの希望で調査対象を決めることが可能であった。少なくとも我々が「佐藤マフィア」と呼んでいた故佐藤芳雄教授の下では)は、統計調査で顕著に零細企業が増加していたことが確認されていた東京城南地域と城東地域の機械金属関連零細企業(夫婦2名からなる一種の家内労働とも言える存在)群と、それらの企業への発注中小企業であった。一夏の聞き取り調査で、城東・城南地域において、これらの企業、50企業前後について訪問調査した。

研究者(の卵)としての最初の本格的な訪問聴き取り調査であり、それまでの経験としては学生時代のゼミとしての共同研究での企業訪問調査の経験しかなかった私は、基本的な質問項目の調査票を作成し、それをもとに各企業で1〜2時間程度の半構造的聴き取り調査を行った。ただ、当時から、質問事項にイエス・ノーや数字のみで答えていただくのではなく、被調査者の意見や感想を含め、質問事項に対する具体的な状況の紹介や特定の行動をおこなった理由の説明を行っていただくように積極的に努め、それをノートした。

この実態調査から見えてきたことは、ごく単純化して言えば、2つの点であった。1つは、故瀧澤菊太郎氏が零細企業増加の論理として主張した自営業者としての零細企業主が長時間可能であるが故の増加と単純に言えないことであった。そして、何よりも重要なのは、京浜地域の特定加工に専門化した機械金属零細企業の受注工賃が、我々の調査の少し前に故池田正孝氏たちの中央大学の研究グループによって調査された日立地域の中小企業で同じような加工を日立製作所関連から受注している中小企業より、5割くらい高かった事実である。日立の郊外地域で外注すれば極めて安く外注可能であるのに、わざわざ5割も高い工賃で京浜地域の零細企業は受注可能であった。何故であろうか。

少なくとも故瀧澤氏が主張したような長時間労働ゆえに大都市の加工下請零細企業が増加したとは言えないことは明らかになった。清成氏の主張のようにこれらの零細企業が日立の同じ加工をする中小企業より物的生産性が高いゆえなのであろうか。この点は池田氏等の調査報告を読み、池田氏ご本人等から話を伺って、両者を比較した限り、京浜地域の加工零細企業が特別な生産性の高い加工技術を保有しているのではなく、技術的には基本的に同じであり、使用している機械については日立地域の中小企業の方が新しい機械である可能性が高いという結果となった。清成氏が当時主張されていた「生産性が高い」から零細企業が増加している、ということは、少なくとも京浜地域の機械金属零細企業については当てはまらないということになる。

同時に、聴き取り対象となった零細企業経営者のうち、城南地域で当時創業して間もなかった若い方に聴き取りを行った時に、その方が地元生まれで京浜の代表的巨大企業の常勤の工員として勤務していたが、自営での経営がしたいが故に機械加工零細企業を開業した、という事例に遭遇した。その方の話を聞く限り、零細企業経営は経営として、また働く場として魅力があり、その方にとっては、巨大企業常勤工員の地位を捨てるだけの価値があるものだということであった。

このような事例から示唆されるのは、今から見れば当然のことであるが、それまでの我々の立場の研究者の多くに支持されていた零細企業を自営業として開業するのは、他に、特に大企業に常勤の就業の場を得られないから、すなわち「窮迫的自立」だということではないということである。失業するよりマシだから半失業的な存在として開業する、といった認識(これが相対的過剰人口としての自営業主と言う認識である)が、当時の京浜地域の機械加工零細企業には当てはまらないことも明白であった。

となると次の疑問は、なぜ、もっと安い工賃で受注し機械としてはより新しい機械を使っている日立地域の企業に代表されるように、京浜地域の大企業や中小企業が外注先として、当時の状況から見れば、相対的に顕著に低賃金な北関東や南東北の加工中小企業を外注利用しないのかが、問題となる。工賃が5割ほど高い京浜地域の加工零細企業への発注が、何故存在するのか、という疑問である。技術的な加工工程そのものの内容水準等の比較を通しては、工賃の差の存在理由を理解することは全く不可能であった。

故瀧澤氏がいうように小企業並みの安い工賃でかつ残業等の長時間労働が可能だからではなく、清成氏が言うように技術的に生産性が高いからでもない。長時間労働が可能な零細企業を利用すると言うならば、より工賃が安い大都市以外の零細企業に外注すれば良いことになる。それゆえ、それらと異なる理由で京浜地域の零細企業は相対的高工賃で受注可能であることを説明する必要が生まれた。これまでの学術的常識からの推論と言える、単純な長時間労働や技術的な水準の高さではない理由の存在の模索が必要となる。

それまでの議論では全く言及されてこなかった理由で、京浜地域の機械加工零細企業は相対的に高い受注工賃を実現し、その数を増やしていたと言うことになる。この理由こそ、京浜地域の機械金属工業のあり方との関連で、増加する京浜地域の機械加工零細企業の存立基盤として、改めて解明され論理的に説明される必要がある点である。しかし、この点については、1970年代半ばの、私が調査を開始した時点では、誰も問題とせず、解明する課題とさえなっていなかった。

それゆえ、当時の私に必要であったことは、東京の城南・城東地域の機械金属工業零細企業の仕事内容の独自性を改めて検討することであった。すなわち単なる技術的な先進性ではなく、京浜地域の機械加工零細企業にとって、より高い工賃での受注を可能とする独自性を、実態調査から新たに明らかにする必要があった。

この点を考えていく過程で、更なる京浜地域の機械金属加工零細企業の聴き取り調査を通して浮かんできたのは、これらの零細企業の受発注関係の独自性であった。生産技術それ自体の独自性というより、受注内容の独自性があり、それが受発注関係の独自性と重なり、京浜地域の機械金属加工業零細企業の生産体制の独自のあり方が形成された。その結果が、相対的に高い受注工賃の実現へとつながったことが見えてきたのである。

すなわち、当時の京浜地域の機械金属加工業零細企業の受注先として、高度成長期のように京浜地域の量産型機械金属製品生産企業の末端の下請企業として、量産製品の生産の一部を担うということは不可能となっていた。これらの量産型機械金属製品生産工場の多くは京浜地域外へと移転し、その外注需要、少なくとも量産機械の部品等の量産的加工、量が多いだけではなく安定的な発注量が、個別企業として失敗しなければ保証されるような部分、その圧倒的部分が、京浜地域外の企業に発注されることとなっていた。

他方で、京浜地域では、量産型の機械金属製品の生産工場は激減していたが、産業用機械等に多く見られるような多品種少量生産製品の工場や、量産機械関連でもその試作のための開発拠点といった事業所が、多数派を占め存在するようになっていた。そのような発注は、個々の発注で見た場合、量が少ないだけでなく、発注量や発注時期も安定しない。そのような不安定な小ロットサイズの機械金属製品の部品や部分加工についての外注需要は、全体としては、依然として多く存在していた。しかも、産業機械の生産や試作開発の一層の活発化により、その種の需要も拡大していた。それゆえ、そのような需要に対応する小零細企業の存立基盤も全体としては拡大していた。

 このような需要に対応する際に重要なのは、小ロットサイズの注文をあえて積極的に受注することとともに、発注量の不安定性や発注内容の変動に対応できる生産体制を構築することであった。しかし、単独の小零細企業が企業内で加工可能なのは、小ロットサイズの狭い幅の当該企業が専門化した特定加工だけである。しかし、試作や少量生産の産業機械の部品加工は、その発注が不安定なだけではなく、その発注のたびに必要とされる加工内容が変化するような需要である。

それに対して個別の零細企業は狭い範囲の少量の加工しかできないが、京浜地域には極めて多くかつ多様な加工分野の零細企業が、歴史的経過により密集して存立していた。それらがかつてはその受注の中心をより大きな中小企業からの量産機械等を含めた多様なロットサイズで受発注の安定性もさまざまな加工発注の半端な部分を、産業機械や試作の部品加工とともに受注していた。その限りで特定の中小企業群に依存し、その末端の加工専門零細企業として存立可能であった。

しかし、その発注者としての量産型の機械部品の加工を行う中小企業が域内に存在しなくなり、多様な多数の加工に専門化した零細企業そして小企業が、層として残された。他方で不安定な小ロットサイズの変化変動の激しい需要は、小ロット生産の産業機械の生産や多様な機械の試作等の拡大で全体としては絶対的にも拡大していた。その過程で、結果的に形成されたのが、零細企業群と小規模企業群の多数の多様な加工専門化企業の仲間取引を通しての横のつながりにより、層として変化変動の激しい需要に対応するという仕組みである。

その内容は、多様な加工に専門化した小零細企業が、それぞれの専門化分野、得意とする分野を認識し、多様な加工内容を含む小ロットサイズの部品の加工を、ある企業が窓口となり受注し、必要に応じて「仲間」と彼らが呼んでいる同規模の小零細企業に双方向で受発注関係を作り、迅速に、かつ発注側が要求するレベルで納期がない変化や変動の激しい小ロットサイズの加工需要に対応するというものである。

ここで重要な点となるのが、「仲間」の意味である。同業加工の企業の場合も、異種加工の企業の場合もあるが、何れにしても「仲間」について、その「仲間」を持っている企業は、業種の性格や技能水準等を熟知しており、受注した加工で、他企業に任せる場合に、どの程度信頼に足るか、十分の判断ができるような状況になっていたということである。また、既存の「仲間」の範囲で必要な信頼できる加工企業が見つからない場合は、「仲間」の伝手を頼って、「仲間」の「仲間」という形で、信頼できる当該加工に適合した企業に発注することができるのである。

この「仲間」は、経営者がかつて勤めていた当時に同じ中小企業に勤め、そこから独立した企業同士の場合もあれば、近所の飲み屋での飲み仲間で互いの仕事内容を知り、信頼関係を築いたような人々同士を含むものであった。しかも、多くの場合、「仲間」同士はすでに双方向で仕事のやりとりを何回も行っており、十分信頼できる取引関係を形成しているものであった。また「仲間」の紹介であれば、信頼できる「仲間」の紹介ということで、新たな信頼関係を築く可能性が高いことになる。このようにして取引の必要に応じて「仲間」が増えたり、その範囲が変化したりしながら、各自が「仲間」を持ち、そのつながりを通して、迅速に必要な加工を実現し、発注側の要望に応える、ということになる。

それゆえ、試作や小ロットの産業機械の部品加工を発注するメーカーや部品企業の側からすれば、信頼できる小零細企業を窓口として見つければ、あとはその企業に任せれば、必要な小ロットサイズの不安定な部品の加工が完成することになる。すなわち、小ロットサイズで繰り返し性がなく多様な加工を含む加工、その意味で一回ごとに段取りを考える必要があるような極めて面倒な発注でも、受注窓口となる企業が関連加工の専門家たる小零細企業を手配することで、発注側企業が個別の加工ごとについて必要な発注先企業を探す必要がないことになる。しかも重要なのは、小零細企業に2次的な発注を任せても、それでも、必要とする加工内容と水準の部品加工を求める期日までに実現できる、というきわめて発注側企業にとって都合のよい使い勝手の良い生産システムが構築されたことである。

 「仲間取引」による変動の激しい小ロットの部品加工について、加工水準が高いことを保証された生産体制の形成である。これが、層としての京浜地域の特定加工に専門化した企業層、数千の事業所の存在によって、可能となったのである。

 受注する側の小零細企業層にとっても、全体として大量の発注量が存在すること、それを「仲間取引」を媒介として、結果的に事実上層として受注することにより、安定的かつ拡大する受注の場として、層として対応することが可能となったのである。小零細企業の層としての存立が、個別にみれば変化や変動の激しい部品の面倒な手間暇のかかる加工仕事の受注に依存しても、十分可能となったのである。

 しかも、1970年代から1980年代にかけては、このような需要に層として量的に対応可能な産業集積は、海外生産化が進行していなかったこともあり、東大阪等にもなく、京浜地域にしか存在していなかった。そのため、京浜地域に形成された上記のような不安定な需要のみでなく、関東を中心とした周辺地域に存立する機械メーカー等からも、変動の激しい小ロット加工で迅速な柔軟な対応を求められるような需要が、京浜地域に集まってくることとなった。層としての受注範囲が、一層広域化し、相対的に高い受注工賃も実現できたといえる。

 このような結論に至ったであるが、これはあくまでも実態を見ての論理化であるといえる。同じような機械を使っていて特別な加工を担うわけでもない京浜地域の小零細企業が、かつての発注側企業の多くが域外に転出したにもかかわらず、それらの企業が転出した先と思われる地域での発注工賃よりもかなり高い受注工賃で受注できているのはなぜか、という疑問がまず生じた。その事態を加工技術それ自体の差異からは考えられない中、受発注関係の特異性に注目した。その受発注関係は、小ロットと言うばかりではなく、極めて不安定な受発注であるという特徴があった。また、その発注元の多くは、かつて主流をなしていたような量産型機械完成メーカーからのものではなく、小ロット生産の産業機械メーカーや試作工場であった。

 さらに小零細企業の取引関係が、受注者として加工を行うのみならず、同じ規模の加工業者、同じ加工の業者と異なる加工に専門化した業者の双方に外注し、同時にそれらの外注先からも受注しているという、これまでの下請取引関係では想定されておらず理解できないような現象にぶつかった。双方向の取引関係が日常的に行われるのはなぜか。その答えは、それぞれの小零細企業者が、多様な加工を含めた仕事の受注窓口になりうるという状況の存在が確認されたことで見えてきた。双方向での受発注のネットワークの存在である。

 これらの状況が整合的に成り立つために必要な状況とは、どのような状況であろうか。それを追求していく中で、「仲間取引」という発想が生まれた。もちろん、小零細企業経営者から聞き取りする際に、頻繁に「仲間」という言葉出てきたし、その「仲間」は、一方的な受発注関係にある下請企業ではなく、発注することも受注することもある双方向での取引関係を持ちうる信頼できる同業者すなわち「仲間」であった。そのような状況が何を意味しているのか、そこから考えた答えが、上記なような取引関係の解釈であった。

 京浜地域の中での取引のみを見ていると、このような取引関係のもつ独自性が、よく見えてこないのであるが、私にとっては、この取引関係の存在についての理解の妥当性を裏付ける、地域外の企業の情報をのちに得て、この理解、解釈の妥当性を一層強く感じた次第である。すなわち、電気機械製品や部品の組み立てラインを受注生産する長野県諏訪地域の中堅企業が、地元で多数の下請中小企業を利用しラインの開発生産をしているにもかかわらず、納期のない生産については東京城東地域の零細企業群に、より高い発注工賃にもかかわらず発注しているという聴き取り結果を得た。

この企業によれば、諏訪の外注先業は、安定的な発注については確実に、相対的に安価な発注工賃で受注し生産できるが、変化の激しい発注には柔軟に対応できない。また、自ら発注者ともなり、自社できない加工を含めた多様な加工を含む生産のまとめ役にもなれないし、なろうとしない。そのような面倒なことをしなくとも、十分仕事があるゆえに。

それに対して東京の城東地域の加工企業は、受注企業は小零細企業であるが、一社に急ぎの複雑な発注内容の部品の生産を発注しても、再外注をうまく使うことで、急な仕事に柔軟に対応し、納期までに必要な部品を生産し納品することができると述べていた。そのため、その企業は、地元で同様な加工を発注する場合と比べて、3割ほど高い発注工賃で城東地域の小零細企業に必要に応じて発注していた。さらには、そのために川口に拠点工場を置くほどであった。

 この事例は、私の解釈が間違っていなかったことを、改めて地域外の企業の京浜地域の利用のあり方の例を通して、裏付けていると言えよう。

私が観察した事態、「仲間取引」を活用した双方向の受発注による、不安定な不規則な受注内容への対応を、迅速に行う小零細企業層の形成といった状況の持つ合理性、ないしは京浜地域機械金属加工小零細企業の当時の独自の存立形態に注目した。その結果、相対的に高い受注工賃を、他地域の企業と同じような加工技術を使用しながら実現し、同時に層として大量な受注を実現することで、個別に不安定な受注を層全体としてみれば、相対的に安定した受注へと転換することに成功した。結果的にではあるが。このように理解されたのである。

層全体としてみれば、個別の技術として独自な加工技術を持たない、相互に取引関係を実現した小零細企業集団が、他の地域に存在しない柔軟な受注対応能力を持ち、他の地域の下請加工企業が面倒であるがゆえに手を出したがらないような需要を、広域的に集め、層としての再生産し、相対的に高い受注工賃を実現したといえる。その結果、大企業工員の独立による自営業開業のような形態を含め開業が増加し、小零細機械金属加工業が層として拡大した。そのことも、60年代後半以降の日本全体の機械金属工業零細企業として見た時の工場数の増大の一面を説明すると言えよう。

実際に増加した零細企業の存立実態を見たことで、零細企業層の増大の一面を解明することができた。それは故瀧澤氏が主張された理由や清成氏が主張された理由とは大きく異なるものである。もちろん、この京浜地域に機械金属加工業での零細企業の増加が、全国統計に現れた零細事業所数の拡大の多くの部分を説明するものではない。増大の一部を説明するにすぎない。

言いたいことは、実態を踏まえ、その論理を追求することで、抽象的な既存理論の当てはめによる説明ではなく、実態の動きを説明することの重要性である。面倒で、手間暇のかかる方法ともいえるが、このような実態理解によってこそ、その存在の存立根拠(群)が明らかになり、変化のもつ経済的な意味や政策的含意も明白になるといえる。この場合は、地域や産業により異なる多様な要因が存在し、それが結果的に零細企業層全体の製造業での増加となった、ということであるが。

実態調査を踏まえず、さらには実態調査から帰納的な経済論理的含意の抽出することなく、既存の経済理論の当てはめで経済的な新しい現象を解釈する、「実証的研究」の危うさを示すものともいえる。

 

3、実態調査への挑戦2 

 完成品大手企業から社会的分業構造としての生産構造を見て、 

何故中小企業を語れるのか? − 

 乗用車がどのように生産されるか、社会的分業構造からこれを端的に表現するのが、いわゆる「ピラミッド型の生産構造」である。

 完成車メーカーとしての巨大企業がピラミッドの頂点に存在し、その一次下請としての大手完成部品メーカーが存在し、完成車メーカーに部品を供給している。その完成部品メーカーへのサプライヤとして中堅企業や中小企業が存在し、さらに3次や4次の下請企業層までが、完成車の生産に関わっていることを表現するのが、いわゆる「ピラミッド型の生産構造」であろう。社会的分業について完成車を生産する大手企業の側から見たものといえる。底辺を構成する3次・4次の下請中小企業は、あくまでも完成車を生産するための末端下請企業と位置付けられる。

3次・4次の下請中小企業が、どのように再生産しているのか、その点についての把握は、このピラミッド型の社会的分業構造表現からは読み取れない。そもそも、このピラミッド型の社会的分業構造が乗用車生産の生産体系を示すとされているが、特定の企業の生産体系を示すものか、それとも業種としての完成車生産企業群の分業体制を示すものなのか、この点も曖昧である。しかし、トヨタ自動車ならトヨタ自動車を通して、社会的分業をとしての生産体系を端的に表現するとしたら、このようなピラミッド型の生産体制となろう。

ある時代の中小企業白書は、中小企業を位置付けるために、明白にこのピラミッド型の生産構造を特定企業の生産体系として使用していた。これで表現されているのは、特定の企業の乗用車の生産が多層的な社会的分業構造で成り立っているということである。それぞれの層を形成する企業群が、どのような形で再生産しているかは、全くそこからは見えてこない。その意味でこの図は中小企業研究のための中小企業の存立を表現する図としては、非常に限定的なことしか表現できていない。中小企業が完成車の生産の一部の部品の生産に間接的な形だが関わっている、ということだけが表現されている。その関わっている中小企業は、どのように再生産し、存立しているかは全く見えない。それにもかかわらず、これが乗用車生産に関わっている中小企業の存立形態だと流布されていた。

「上から目線」の調査とでもいうべきであろうか。中小企業目線、中小企業の存立実態を踏まえた実態調査の結果でないことだけは、確かなことであろう。

乗用車生産に係る下請中小企業を含め、機械金属工業関連の中小企業の存立について、この完成品生産大手企業の視点からの社会的分業図が横行していた。中小企業の存立再生産を踏まえて政策的議論を展開するはずの「中小企業白書」でさえ、このような視点からの研究がもっぱら行われていた。しかし、私自身は完成品生産大企業の視点から下請中小企業を見ることから始めたのではない。すなわち、完成品大手企業の下請関係を辿って下請中小企業に辿り着いたのではなく、京浜地域に存立する中小零細企業それ自体にアプローチし、そこから下請中小企業も含めた、その存立と再生産の論理を追究する形で研究を始めた。

先達たちの下請中小企業研究は、下請をおこなっている中小企業それ自体の存立と再生産を見るというより、その問題意識から、完成品大企業によって収奪されている中小企業、という視点からの観察が第一にきている場合が多かった。もちろんそれと異なる視点からの実態調査研究も多く存在し、その研究成果で私自身も大いに学ばせてもらったのであるが。企業城下町として見る見方や、下請協力会のあり方を見ていくなど、これらの見方の多くは、中核的存在として、特定の大企業完成品メーカーの存在を想定し、それをめぐる下請関係の中に中小企業を位置づけ、その存立論理を考えるというものであった。

私の場合は、それらの見方と異なり、先にも指摘したように、本格的実態調査を、東京の京浜地域の機械金属小零細企業の存立実態それ自体を、「家内労働」調査の一環として行うことから始めた。そのため、基本的に、特定の完成品大企業をめぐる下請分業構造の検討という視点での実態調査は、私にとっては機械金属中小零細企業の実態調査の中で中核的存在とはならなかった。まずは、そこに存立する受注型生産を行う機械金属関連の中小零細企業そしてその層が、どのような仕事を受注し、自らを再生産し、拡大しているのかが、関心事となった。そこから見えてきたのは、企業城下町等での下請分業構造の研究では見逃されてきた、中小零細企業の存立の形態ないし再生産の多様なあり方であった。

元々、統計的調査によっても、専属的下請中小企業は、製造業中小企業の3分の1にとどまり、残りの半分は特定企業に依存しない下請中小企業であり、残りは下請的生産に依存しない中小企業である。もちろん機械金属中小企業では、相対的に専属的下請企業の比率が高いが、マジョリティではないと言えそうである。

機械金属中小零細企業の存立・再生産から見たとき、特に大都市東京の1970年代後半以降の、私が実態調査を行い始めた時期以降のそれを見たとき、特定企業に専属的な下請企業は中小零細企業の少数派であると感じた。特にそれが明白に言えたのは、零細企業であった。零細企業は規模が小さいだけに特定企業に依存しがちかのように思えるが、実態としては、その多くが特定企業からの需要に依存するというより、京浜地域の半端な変化の激しい受注仕事に依存し、統計的に見るならば、受注先を多様化している企業と見ることができる存在であった。

このような現状を踏まえたとき、機械金属関連中小企業の存立形態を、特定大企業に依存する下請中小企業という形態に代表させて理解することが妥当か、という点が問われることになる。これまでの機械金属関連中小零細企業についての議論は、往往にして特定大企業に依存する下請中小零細企業をもって、その代表的存立形態とされがちであった。巨大完成機械メーカーから見れば、多くの中小零細企業は、その企業にとっての2次・3次あるいは4次の下請企業であり、その大企業の存立そして再生産とともに存立が可能となっていると理解されがちであった。親企業と呼ばれた特定大企業の成長とともに、下請中小企業も順調にいけば拡大する。こんな姿である。

しかし、京浜地域の1970年代後半以降の機械金属関連中小零細企業を見ていくと、その存立形態は極めて多様であり、自立的な下請企業、独自生産技術保有下請企業、そして自社製品企業も多く見られた。同時に特定大企業の下請として安定的に受注を確保できないような下請中小企業、私はこれを浮動的下請中小企業と呼んだのであるが、それらも存在し、機械金属中小零細企業の存立形態は、極めて多様であった。従来の議論は、その多様性を否定し、機械金属中小零細企業の存立形態の一部のみをもって、その存立の形態を代表させていると理解された。

このような理解に至る理由は、ある意味簡単である。中小企業をピラミッド構造の下部を形成する企業群であるともっぱら見るならば、このような理解に至ってしまう。「上から目線」による一面的理解の典型といえる。当然のことであるが、機械金属中小零細企業の存立を「ピラミッド型」の社会的分業構造を通してこれを見るならば、そのようにしか見えてこない。が、産業集積としての機械金属産業を見るならば、全く見え方が異なるのである。ここにも、ピラミッド型の下請分業構造を通して、機械金属中小零細企業の存立を見る見方の問題性が出ている。

一度「ピラミッド型社会的分業構造」の上から目線を離れ、機械金属中小零細企業層の存立そのものの実態研究から、機械金属中小零細企業の存立形態等を見直すことが、決定的に重要になると言える。

中小企業の側から下請分業構造を見ることだけでも、いくつか新たな関係把握が可能となった。同じように大企業から部品や部分工程を下請受注している中小企業であっても、中小企業側から見ると、大企業との受発注をめぐる関係は多様であった。例外的な存在であるが、中には、受注する中小企業の側が独自な生産技術を持ち、すでに下請協力会が形成されているような大企業の完成部品メーカーに、その生産技術を高く評価され、新たなサプライヤーとして採用された事例も存在する。当然であるが、より優れた生産技術、部品生産大企業が社内でできない生産技術を外注利用できれば、それを利用した方が部品メーカー相互の競争上、有利になることは当然であり、そのような下請企業を積極的に取り込もうとすることになる。

このような企業は少数派だが、私自身も実際にそのような事例について乗用車生産をめぐる受発注取引でも幾つか目にしている。もちろん、この場合、受注側中小企業は、特定企業に本来的な意味で専属的になることはないし、従属的関係、すなわち資本所有無しでの発注元企業からの自社経営への介入を甘受することの必要性もない。しかし、有力な発注元大企業に対しては、優先的な扱いをする、というようなことは存在した。主体的に、有力企業を受注開拓できるということである。

また下請中小企業であり、特定発注側大企業からの場合については経営内への介入も甘受する従属的取引関係を形成しながら、そこで得た生産技術水準の高さを活かし、それ以外の大企業を含めた取引先に対しては、従属することなく、自立的な取引関係を形成している企業も多く存在している。これらは系列下請企業と呼ばれている中小企業でもあるが、このような関係については、発注側企業からだけ見るピラミッド的な見方では、把握できないことであると言える。

ピラミッド型の下請分業構造ではなく、それを概念図としてどのように描くかが、この際の、私自身にとっての課題となった。上記したような機械金属関連中小企業の存立形態を踏まえ、それを概念図的に「ピラミッド型分業構造」に対するアンチテーゼとして提示する図の必要性である。中小零細企業の側からの社会的分業の姿も把握できるような概念図が必要となった。

その概念図で必ず表現されなければならいことは、まずは機械金属関連中小零細企業については、その多くが特定の完成品のみに関わることに限定されているのではなく、あるいは大きく業務内容を変更せずに、多様な機器金属の完成品に繋がる完成品や完成部品メーカーと取引可能な存在だということである。すなわち、機械金属関連中小零細企業の多くが、特定製品の完成部品を生産するというより、特定の加工に専門化し、その加工が使用される完成部品の部品を受注しているという専門化の方向性を、分業構造図に盛り込むことである。機械金属関連中小零細企業の多くは、幅広い機械金属製品製造業の、いわば基盤産業あるいは底辺産業として、機械金属産業全体にとって、まずは存在し、個別企業は、それぞれその状況に応じて、それぞれの時点では、結果的に特定の完成品関連や複数の完成品関連の生産に関わっているに過ぎないのである。

また、この完成品の中には、当然のことながら機械金属関連の完成品中小企業も含まれている。また、東京の城東地域の機械金属関連小零細企業に見られるように、金属関連であれば、機械の部品の加工も、金属製玩具の部品の加工も行うような企業も存在している。それぞれの精度水準等の加工上の対応可能性の問題はあるとしても、加工内容としては、同様な技術内容のものであり、近年の玩具の精度の向上等から、機械と玩具の部品の加工水準の差異も小さいものとなり、これまで主要にどちらの完成部品の加工を行っていたかに変わりなく、いずれの加工専門化企業が相互に乗り入れ可能となっている。このような状況を概念図上に明示する必要も存在する。

何れにしても、中小零細企業、特に機械金属の特定の加工に専門化している企業からみれば、完成品がどのような機能を持つ製品、乗用車か、工作機械の旋盤か、船か、あるいはガンダムのような玩具か、そのような差異よりも、どのような加工をどのようなレベルでどれだけのロットサイズで必要されるか、そして受注工賃の水準がいくらで発注されるか、そしてその注文の繰り返し性の状況はどのようなものか、これらのことこそ重要なのである。これらの点で当該企業にとって競争優位を実現でき、より経営上の高い成果を期待できる分野の製品の加工受注を目指すことになる。

その結果年絵生まれた機械(金属)工業の社会的分業の概念図が、私の言う所の「機械工業の山脈構造型社会的分業構造概念図」である。上に言及した全てをうまく入れ込めなかったが、特に完成品機械中小零細企業の存在を明示できなかったが、かなりの程度で、上から目線の分業構造図を訂正できたのではないかと依然として自負している。

 

4、まとめ

− 2つの「実態調査研究」からの発見とその実証的研究としての意味 − 

以上のように、私の実態調査研究は、調査対象に直接接することで、その存在、経済的存在意味をその存在に則して発見し、その存在の再生産の論理を発見し、経済学的意味を解明することにあった。

実証研究の多くは、統計的事実や事例的事実を確認することで、既存の経済的論理、既存の再生産の経済的論理を事実で裏づけ、証明することを目指すものといえる。それに対して、私が目指した実態調査研究は、結果的にみればではあるが、このような意味での実証研究ではなく、経済的存在論理の発見、経済的存在についての経済的再生産の論理の発見であったといえる。それまで、経済的な意味で、その存在論理が解明されていなかった経済的存在、その存在の存在論理を解明することを結果的に目指したといえる。

既存の経済理論で解釈することが可能なことを調査で裏付けるのではなく、まだ明らかでないその経済的存在の経済的再生産の論理を発見するための実態調査研究なのである。

 このような方法からみると、中小企業の存在について、興味深い事実を確認する、あるいはできたということは、それをどのような経済的論理として説明するか、という次の課題を設定することになる。経済学的な研究としては。もちろん経営学的にも、そのような存在を論理的に説明することが必要となろうが、その場合は、その土俵が経済学的なものとは異なることになる。

 繰り返しになるが、言いたいことは、興味深い事実を、既存の理論や論理のどれかに当てはめて解釈し理解するかではない、あるいはするべきではない、ということである。興味深い事実が、興味深いのは、新たな経済学的(あるいは経営学的)論理が含意されている可能性が存在するからだと、いうのが私の理解であり、そのゆえに興味深いのである。それゆえ、その興味深い事実をもとに、それを説明する論理自体を経済学的(あるいは経営学的)に探究する、これが実態調査研究の醍醐味である。そこでの発見は、少なくとも、私にとっては、論理の発見から40年以上経っても、色褪せない存在である。

 

あとがき

 私よりもかなり若い、共に調査をしたことのある研究者の方の最近の興味深い実態調査結果を拝見し、その実態調査結果をぜひ活かしてもらいたいと考え、こんな年寄りの世迷言を書いた。以前にこのブログに書いたことと、かなり重なる内容となっているということも自覚している。でも書きたくなった。

しつこいのであるが、実態調査研究は、既存の経済学的(あるいは経営学的)論理の裏づけのためだけに存在しているのではない。そこから新たな経済学的(経営学的)論理の、それなりのレヴェルでの構築のために行われうるのであり、是非、そのような調査研究の発展を実現して欲しいのである。興味深い事実の発見は、そのような作業の第一歩である。自身による独自な経済学的論理発見の入り口に立ったのである。それを是非無駄にせず、活かして欲しい。

年寄りの世迷言と自覚はしているが、何かの参考にしていただければ、これに越したことはないといえる。

 

(1)   渡辺幸男、1974年、「零細規模経営増加についての分析」

『三田学会雑誌』6710

 

補足:なお、私が書いた論考について多少なりとも関心のある方がおられたなら、私の書いたものの一覧は、このブログの中で、2019年にアップしてある。その稿を参考にしていただければと思う。

2023年10月22日日曜日

10月22日 秋深まる我が家のエントランス

猛暑に耐え、深まる秋を迎えた我が家のサルビア、

改めて、サルビアの朱色が艶やかに。


門の外側のサルビアも、艶やかになってきました。



お隣との境に置いたインパチェンスの鉢、
こちらも全部の鉢とはいきませんでしたが、
いくつか猛暑を乗り越え、華やかな秋を迎えています。


門の内側の植え込みに植えてあるホトトギス、
今年もようやく咲き始めました。
プランターのサルビアにかぶさるように咲いています。

10月も下旬となり、秋らしい気温となりました。

今日の二宮の我が家は朝10度以下になり、

まさに秋です。

これから霜が降りる12月末まで、秋の花々を大いに楽しみます。

2023年9月26日火曜日

9月26日 私の読書世界と勝手な読書感想文

私の読書世界と勝手な読書(内藤著『トルコ』)感想文

渡辺幸男

最近読んだ本10

新聞の新刊紹介や広告で知り、読んだ新刊書

尾上哲治著『大量絶滅はなぜ起こるのか 生命を脅かす地球の異変

講談社ブルーバックス、20239

山田康弘著『足利将軍たちの戦国乱世 応仁の乱後、七代の奮闘

中公新書、20238

浜忠雄著『ハイチ革命の世界史  奴隷たちがきりひらいた近代

岩波新書、20238

丸山浩明著『アマゾン五〇〇年  植民と開発をめぐる相剋

岩波新書、20238

内藤正典著『トルコ  建国一〇〇年の自画像』   岩波新書、20238

 

シリーズで読んでいる本

『生態人類学は挑む』(京都大学学術出版会)シリーズ、

全16冊刊行予定(15冊刊行済み、かつ入手済み、うち14冊読了)

現在、Sessionシリーズ(編著)予定6冊中、全冊刊行済み

   Monographシリーズ(単著)予定10冊中、9冊刊行済み

同シリーズ

Session 4、伊谷樹一編『つくる・つかう』

京都大学学術出版会、2023年4月

Session 6、伊藤詩子編『たえる・きざす』

京都大学学術出版会、202212

 

読んだ本から知り、関心を持って読んだ近年刊行の著作

布留川正博著『奴隷船の世界史』         岩波新書、20198

 

伊谷樹一・荒木美奈子・黒崎龍悟編『地域水力を考える

  日本とアフリカの農村から』昭和堂、20213

柳澤雅之・阿部健一編著『No Life, No Forest

  熱帯林「価値問題」を暮らしから問う』京都大学学術出版会、20213

 

読んだ本から知り、今読んでいる興味深い著作

風間計博著『強制移住と怒りの民族誌

  バナバ人の歴史記憶・政治闘争・エスニシティ』明石書店、20221

 

面白そうな本を新刊案内等で見つけ、また面白かった本の参考文献で最近刊行の興味深い本を見つけ、ネットで注文し、乱読する。すなわち、研究のためではなく、テーマを決めず「読み漁る」、これが今の私の「雨読部分」の日常である。

現役の研究者をやっていた時には、このように著作を好き勝手に選び、自由に読むことは、研究者として自粛せざるを得なかった。自分が興味深いと思った著作には、のめり込むのが、私の読書であり、思考の中心が自ら選んだ研究テーマと大きく離れてしまうことが怖かった。それゆえの禁欲である。1970年代から2013年の定年退職まで、そして最後の単著を刊行した2016年まで、ほぼこの禁欲を「守った」と思う。

しかし、2016年に自身のこれまでの研究者としての研究課題について、まとめが残されていた中国産業について、私なりの研究成果をまとめ、4冊目の単著を出版できた。それから、研究者としての呪縛が解け、自身が関心を持ついくつかの研究分野の最近の成果の解説書、さらにはかなりの専門書、私の読めるタイプのものであるが、それを最も得意な言語である日本語で自由に読みたくなった。特に、日本人による諸分野の研究も、20世紀末から21世紀にかけ、多くの分野で新たな展開を遂げている。

私の専門分野(中小企業、産業論研究あるいは近代産業経済史研究)以外について、ほぼ1960年代で読書が止まっていた私にとっては、21世紀になって発表された研究成果は、新たな認識を可能とする、興味深い研究成果に満ち溢れた世界であった。その結果が、上記のような乱読となった。毎年、新書を始め、専門書も含め数十冊を乱読する。そんな生活を始めた。

そして、感想文を書きたくなった本(書けると思った本でもある)について、勝手な感想を書く。これが私の「晴耕雨読」の日常の一面である。一番最近の読書感想文を以下に掲載する。

 

 

最新の感想文

内藤正典『トルコ 建国100年の自画像』(岩波新書、20238月)

を読んで 渡辺幸男

 

目次

はじめに

第1章      トルコの地域的多様性  沿岸と内陸

第2章      1990年代  不安の時代

第3章      エルドアン政権への道  障壁と功績

第4章      EU加盟交渉の困難な道のり

第5章      世俗主義をめぐる闘い  軍部と司法の最後の抵抗

第6章      エルドアン政権、権力機構の確立

      権力の集中はなぜ起きたか

第7章      揺らぎなき「不可分の一体性」と民族問題

            クルド問題の原点と和解プロセスの破綻

第8章      直面する課題  いかにして難題を乗り切るか

終章  建国100年の大統領

あとがき

関連年表

 

 本書は、エルドアン大統領が率いるトルコ共和国の今を念頭に、オスマントルコ帝国の崩壊そしてアタチュルクによるトルコ建設以来のトルコの政治的な歴史的経過を、改めて議論したものである。ここでの視座は、アタチュルク革命その後の支配的政治勢力がトルコにもたらした枠組みを前提に、その視点から議論するのではなく、その枠組みを前提にしながらも、エルドアン大統領が新たに何をもたらしたか、政治的、社会的な内容を確認し、それを積極的に肯定する姿勢で議論することにある。

 エルドアン以前の世俗主義の政権、それを支えた軍等の勢力の姿勢、そして「西欧世界のフィルター」を通してではなく、エルドアン治下のトルコそれ自体の内的展開を見るものと強調している。そして、その歴史的展開を見る場は、基本的に政治的あるいは社会的トルコである。それ自体としては、大変興味深い観察と分析が行われている。私にとっても、学ぶところが多くあった。

しかし、私がそれと同時に期待していた、それらと組み合わせた経済的なトルコの位置や展開の分析や紹介は、ほぼ完全に無視されている。トルコ経済が、現在の世界経済の中で、どのように機能し、再生産し、発展しているか、その展望は、どのようなものとして見ることができるか、といった側面の議論は全9章中の第7章までほぼゼロである。エルドアン治下で経済の充実、開発が進んだという指摘だけはあるが。その内実の紹介、経済論理的解明、ないしは分析は、さらに、それに基づく産業発展、対外経済関係の展開内容、経済発展でのエルドアン政権の政策の妥当性ないしは問題性といった点についての紹介も、それまでの章には全くない。

それゆえ、本書を読み始め、大変興味深く思って読み進んだのであるが、途中から、エルドアン大統領が、何故多くの人々の支持を取り付け続けられるのか、経済的裏付けがないことで、隔靴掻痒の思いに囚われ始めた。そのこともあり、本書の参考文献を通して、その点の補足をと思い、参考文献欄を探したが、目次にも示したように、残念ながら本書にはそのような欄はなかった。また、まだ目を通していないが、経済と関連する部分としては、終章の前の第8章「直面する課題」の②に「激しいインフレと市民の防衛策」というのがある。14ページほどの節である。ここを読めば、今のトルコが抱える経済的課題が見え、経済の状況が見通せるのであろうか。(以上、第7章まで読んでの感想である)

 

第8章の「課題②」で、「激しいインフレと市民の防衛策」という形で、経済問題の象徴ともいうべき、トルコの激しいインフレ状況と、それに対するエルドアン政権のあり方を紹介している。ヨーロッパの諸政権やトルコ中央銀行総裁の見解に反対し、激しいインフレ状況に対し、エルドアン政権は利上げでの対応をせず、かえって利下げした理由を述べ、トルコ庶民の状況を踏まえたエルドアン政権の姿勢を肯定的に紹介している。ここでは、インフレそのものが何故生じ、インフレがトルコ経済の状況にどのような影響を与えているのかの分析どころか、紹介もない。ただ、エルドアン政権の対応の内容とその理由が紹介されているのみである。

通貨の価値が下がること、それにより輸入品価格が高騰することが悪循環であることは、認めているが、トルコ政府は、それをもっぱら利上げで対応するのではなく、「外国からの不動産投資やインバウンドの観光のような直接的な外貨収入で補おうとする」(p.223)と締めくくっている。それでトルコ経済のバランスが取れ、成長路線を維持しているかどうかのまともな紹介や分析はない。あるのは「外貨が不足すると、国民の保有する金や外国からの旅行者による現金収入をあてにしている」(p.225)とも述べている。「近場のリゾートとしてトルコの地位は高まった」とのことである。

この本では、トルコの激しいインフレについて、政府がその抑制に対しては無策であるが、それをある意味前提として、多様なその場しのぎ的な対応策を経済的弱者に対し数多く行い、積極的な経済拡大を維持し、社会不安の表面化を抑えている、ということであろう。対外バランスを外国人観光客の拡大等でそれなりに維持し、為替レートの低下とインフレそれ自体への積極的な抑制は行わない、という理解であるらしい。外国人の観光の拡大、特にロシアや中東の人々の観光地としての意味の欧州諸国に対する増大、これらが、当面対外バランスを維持することを可能としている、と著者は述べているようである。

なりよりも、インフレが少々進行しても、貧民が飢えず、経済基盤がより強固になれば、いずれ落ち着くところに落ち着くという理解のようである。エルドアン政権も著者も。

 

今ひとつ、著者の本来の記述で、私が理解できないのは、トルコの大多数の人々はイスラム教徒であるということであるが、軍人や既存政党の多くが、世俗主義であり、イスラム法に従うことなく、アタチュルクが進めたトルコの世俗主義に従って行動してきている。これをどう見るのか、エルドアンの支持層は、同じイスラム教徒でも、相対的に中下層の人々であり、素直にイスラム政党を支持するということであろうか。それに対して、エリートはイスラム教徒であると言っても、行動のあり方が大きく異なるということなのであろうか。それが、そのような関係が、安定的に再生産され維持されてきたのはなぜであろうか。階級的格差が大きく、それがある意味安定的に再生産されている、ということなのであろうか。この点も今ひとつわからない。

そうであれば、トルコにおけるイスラム教徒内の階層性と、その階層性ゆえに、世俗主義賛成派とそうでない層とが形成再生産されていた、その再生産の論理を提示する必要があろう。しかし、それについての示唆も、本書から私は読み取れなかった。

 

いずれにしたも、通常のトルコ経済論を中心とした、私がこれまで眼にしてきた議論とは、かなり異なる議論であり、その視座は興味深いものであり、学ぶところも多かった。それゆえにこそ、その視座に基づき、トルコ経済の再生産分析と、それとそこでの中下層トルコ人の状況との存在状況との関連について、是非、著者の見解とその根拠を聞きたい所である。