松里公孝著『ウクライナ動乱 −ソ連解体から露ウ戦争まで』
(ちくま新書、2023年)を読んで、感じたこと、
旧ソ連の「非工業化」への示唆
渡辺幸男
目次
はじめに
第1章 ソ連末期から継続する社会変動
1 非工業化
2 分離紛争
3 安全保障
第2章 ユーロマイダン革命とその後
1 ユーロマイダン革命の見方
2 ウクライナ内政の地政学化
3 ユーマイダン革命
4 失敗した沈静化の試み
5 ユーロマイダン後のウクライナ政治
第3章 「クリミアの春」とその後
1 2009年以前のクリミア
2 マケドニア人支配下のクリミア(2009―2014年)
3 ユーロマイダン革命とクリミア
4 ロシア支配下のクリミア(2014―2022年)
第4章 ドンバス戦争
1 ドネツク州の起源
2 ソ連解体後のドネツク・エリートの苦闘
3 オレンジ革命と地域党恩顧体制の完成
4 ユーロマイダン革命とドンバス革命
5 平和でも戦争でもなく
第5章 ドネツク人民共和国
1 先行する分離運動
2 建国期の試練
3 2014年8月のドネツク(リアルタイム)
4 小康期の人民共和国(2015―2017年)
5 活動家群像
6 経済封鎖以後(2018―2022年)
第6章 ミンスク合意から露ウ戦争へ
1 分離紛争解決の五つの処方箋
2 ゼレンスキー政権の再征服政策
3 奇妙な宣戦布告
4 体制変更戦争
5 領土獲得戦争へ
終章 ウクライナ国家の統一と分裂
あとがき
ドンバス地方、ウクライナ東部地方の工業地帯、旧ソ連時代に炭鉱を軸に鉄鋼業等が栄えた工業地帯であり、ソ連解体後、旧ソ連時代の経済水準まで回復することができずにいるウクライナの中でも、特にその点が顕著な地域だそうである。このドンバスとクリミアとを中心に、ソ連解体以後の状況を著者自ら現地取材を行い、丁寧に追いかけている。そのことを踏まえ、クリミアとドンバスとが、キエフ中央政府の政変に従わず、独自の地域自立化への道を歩もうとし、それが中央政府との武力衝突となったと理解している。この問題はミンスク合意で一旦ある意味で沈静化したが、その合意は本来的な意味での解決ではなく、ウクライナ中央政府の側からの攻撃で、再度本格的な内乱となったと述べられている。
これまであまり我々に知られてこなかった、ウクライナのドンバスやクリミアの反乱側の人々の状況と動きを丁寧に追いかけ、それがロシア政府の働きかけによるというよりも、自立的な反中央政府の連邦化を目指した動きであることを明らかにしている著作である。この点については、当初、多少の違和感を覚えながら読み始めたが、読み進むうちに、一定の説得性を感じ始め、その論理の妥当性を理解し、興味深い著作と感じた。
しかし、同時に、そのような自生的、自立的な連邦化への動きを破壊したのが、ウクライナ中央政府であるとともに、何よりも、ロシアのプーチン大統領であることも、この著作の展開を通して強く感じた。クリミア併合を実現し、ドンバスの反中央政府勢力を支援したプーチン大統領は、2022年に一挙にウクライナ中央政府そのものの転覆、傀儡政権化を狙い、侵略を開始した。しかも、中央政府転覆が失敗したことで、ドンバスの反乱の位置付けが大きく変わった。このことで、ドンバスでの反乱が、ドンバス等のウクライナ東部と南部諸州を占領し、ウクライナ領土の多くを、クリミアに続くロシアによる占領と自己支配下への一方的編入のための戦争となった。
このような経過そのものは、本書を通して再確認できた。しかし、違和感を覚えたのは、プーチンの介入侵略が、他の旧ソ連諸国でのように非承認国の分離・樹立ではなく、ウクライナ政府の転覆、そしてその後のロシア併合となったこと、この事象の位置付けである。ドンバスの連邦化での自立化の動きは、その歴史的位置からの説明で、理解可能であるが、それをロシアが併合すること、これをどう位置付けるか、その点で本書の流れに違和感を感じた。
同時に、本書もそうであるのだが、旧ソ連時代に相対的に豊かな生活を実現した旧ソ連の工業地帯としてのドンバスであるが、それがソ連解体後に、どのような国際競争下での位置にあり、それがその地域の経済停滞にどうつながったのか、その分析はほとんど存在しない。この点について特に不満に感じられた。
炭坑から始まる垂直統合型の鉄鋼業が中心の産業地帯と述べられ、そこでの投資がソ連解体後十分でないことで、国際競争力で遅れをとったとの指摘はあるが、本当に投資量だけの問題なのであろうか。そうではなく、産業組織の在り方と国際競争との関係の問題ではないのか、このような疑問が生じるが、この点は全く議論されていない。旧ソ連のロシア内の工業地帯を見れば、当然、このような疑問が生じると思われるのであるが。
すなわち、ロシア全体での旧ソ連以来の工業の解体、私流に言えば「非工業化」と同様な経緯で、ドンバスの工業も衰退の道を歩んでいたのではないかと、私は思わずにはいられない。そのことをドンバスの住民は理解できず、ウクライナ政府の政策の結果の問題であり、ロシアと接近できれば、旧ソ連時代の相対的な繁栄を再現できると誤解しているのではないかと、感じられてならない。いずれにしても、この点に関連して不可欠な論点といえる工業地帯としてのドンバスの可能性と問題点についての分析は、本書には全く見られない。近年見る旧ソ連とロシア研究での物足りない第一の点が、ここにも存在している。旧ソ連工業の解体との関連で、旧工業地帯ドンバスの経済停滞を分析しないことにより、客観的な状況の把握に問題が生じていると言えよう。
旧ソ連の工業は、旧ソ連勢力圏内のみでのみ、その範囲内では(国際)競争力は存在していたのであるが、西側の諸資本等との競争に耐えうる競争力(工業生産性?)を保持していなかった、グローバルに見れば、非競争的先進工業であった。このような旧ソ連の工業企業が、中国のように独自の海外からの競争にさらされない巨大な低価格工業製品市場の形成を市場経済化の過程で実現できず、正面から西側工業と自国市場を巡り市場競争を行うこととなった。国際的な競争的環境の中で育ち生き残ってきた西側工業企業との競争は、旧ソ連工業企業にとって敗退以外の選択肢がないことになる。一部の軍事生産のようにロシア政府等の保護下で生き残ったり、天然資源の賦存状況に恵まれて生き残ったものもあるが、正面から国際市場での競争にさらされた工業分野は、ほぼ壊滅、というのが旧ソ連そしてロシアの「非工業化」である。ドンバス工業も例外ではないと思われる。
しかも、ロシアもそうだが、ウクライナも工業以外の分野に巨大な輸出産業を保持している。今回のロシア侵略下で問題になっている小麦等の穀物輸出の停滞とその国際市場への影響は、まさにこのウクライナの一次産品での強大な供給能力と国際競争力状況を反映していると言えよう。そのため、旧ソ連下に形成された工業地帯の本格的な国際競争力達成、それによる対外バランスの再構築を目指さなくとも、あるいは目指せなくとも、とりあえず、国民経済としての最低限のバランスは確保可能となると思われる。結果、旧ソ連下の工業地帯は、一層ソ連解体による市場喪失という被害を被り、工業生産活動そして経済活動が停滞縮小した地域となる。
旧ソ連経済下では旧ソ連経済圏内での有数の工業生産地域であったドンバス、それだからこそ、ソ連解体下における西側の工業資本との競争激化と競争での敗退の影響は、一層甚大なものとなる。しかも、このような状況についての情報が不足している地元の人々、旧ソ連経済下でウクライナ内での相対的な繁栄地域としての生活を享受した工業地帯の人々にとっては、自らの地域の経済的停滞についての状況認識、自覚が困難となり、さらには停滞の意味についての理解は一層困難になる。その結果、ロシアの工業地帯との連携が、旧ソ連経済下のように再現すれば、繁栄が蘇るかの如く誤解することになる。旧ソ連の工業活動状況を見れば、これが幻想であることは一目瞭然だが、希望的観測のもとでは、誤解の解消は困難といえよう。ウクライナの旧工業地帯ドンバス地方の人々の状況を、このように理解することは可能であろう。
それゆえにこその地域としての自立化志向とロシア工業地帯との再結合への期待ということとなろう。そこにプーチンの付け入る隙が生じたのであろう。プーチンのロシアの経済的成功、国民生活水準の回復上昇と見えるものの元は、ロシア内工業の壊滅状況を自国産の原油や天然ガスの開発採掘輸出によりカバーし、西側諸国からの工業製品輸入に依存する、一次産品輸出国としての成功を基にした、一定の国民生活水準の上昇に過ぎないのだが。
このように考えてくると、ウクライナ問題をドンバス地方の置かれた状況から考えるためには、旧ソ連圏内工業に共通するソ連解体が、経済活動、この場合は工業生産活動にあたえた経済的影響についての分析が不可欠となろう。しかし、残念ながら、この研究でも、その点の分析は皆無といえる。ソ連解体後の旧ソ連の工業の置かれた状況、国際競争状況とその結果の内容・意味の解明・確認こそが、今のウクライナそしてドンバス地方の可能性を考える意味でも、不可欠な研究課題だと思えるのだが。単なる統計的状況についての報告ではなく、工業を中心とした実態研究を踏まえたような実証的な産業分析は、今の旧ソ連経済圏については、少なくとも日本語文献では、ほぼ伝えられていない。断片的な研究成果を見る限り、このブログに掲載したいくつかの論考で再三言及してきたように、旧ソ連の流れを引く工業は、壊滅状況にあるようだが。
ダイナミックに発展する工業活動について、その発展の内容についての実態調査的研究は、それなりに取りつきやすいし、その状況を生で見ることも研究者に許されることが多い。しかし、解体し衰退しつつある経済活動を、現場にまで行って調査研究することは、多くの場合、当事者と政策担当者の拒絶反応にあい、大変難しいことは理解している。しかし、今のウクライナやロシアの経済を考え、今後の経済状況を展望する上には、一次産品を中心とした経済活動のみではなく、工業生産活動の実態、その問題点を解明することが不可欠と思われるのだが。
ここまで書いてから、この文章をブログにアップすることを考え始め、ブログの最初に、松里氏の著作の目次を書き始めた。そこで改めて、本書の第1章の1が、「非工業化」というタイトルであることを見出し、何故、上述のような理解に至ったのか、自らの思考への疑問を感じた。そのため、改めて当該部分を読み直すことにした。自らが「非工業化」という言葉を使って批判しながら、それに応える可能性のあるタイトルの節が、第1章の出だしに存在していることに、改めて気がついたのである。
松里氏によれば、1990年代初めのソ連解体により、旧ソ連国、特にロシアやウクライナの旧ソ連時代の工業地帯の「非工業化」が進展した、ということである。しかし、その理由は具体的に触れられず、たとえば、2017年のウクライナのクラマトルスク重機械工場での見学時の話として、アゾフ海での風力発電にドイツ系の企業が投資しているが、ポーランドに風力発電機を作らせ、アゾフ海に近接するウクライナのクラマトルスク重機械工場には、「技術を要さず付加価値の低いものを作らせ」ている、とし、当該工場の「技術者にとっては屈辱的な分業」と述べ、工場の敷地の中央に、風力発電機がどんと置いてあるが、それは技術者たちが「「私たちは簡単に作れる」ということをドイツ人に示威」(p.29・30)するためのものだと紹介している。
しかし、議論はそこで終わり、何故、設置場所近くで「作れる」工場があるのに、ドイツの投資家が、わざわざポーランドで作らせているのかの理由の分析どころか指摘さえ全くない。松里氏には当然なことなのかもしれないが。
旧ソ連の重工業企業の後身工場にとってものを作れることと、その工場が国際市場向けに経済的に競争力ある水準で作れることとは、全く別のことであるはずだが、両者が依然としてウクライナの国有企業の流れを汲む企業の工場担当者に混同されていることを、この紹介は如実に示している。このような意識こそ、その工場の国際競争力に関する大きな問題につながるはずなのだが、そのような指摘は全くないまま、話はそこで終わっている。それゆえ、なぜ、このような市場競争についての観念のないであろうこの企業が、2017年まで生き残れているのか、この点についての議論どころか指摘ももちろん全くない。
旧ソ連の重化学工業、いや製造業全体は、閉ざされた市場条件、旧ソ連経済圏内だけで通用する経済的競争力、生産できれば需要はついてくる状況での競争力しか持っていなかった。本格的な国際競争力とは無関係に、物的な生産能力それ自体だけで、製造業企業が再生産可能であり、仕事は回ってくる、といった発想である。その端的な表現として、2017年段階でも、ウクライナのクラマトルスク重機械工場の技術者の上記の発言を見ることができよう。このような企業が依然として存立していることこそ、市場経済化したウクライナ重工業の最大の問題性であり、中国の市場経済化のもとで簇生した民間工業企業と大きく異なる点である。
私が見てきた、中国計画経済下で自転車市場を寡占的に支配していた国有企業の1つである天津の飛鴿自行車の2000年代における姿を、まさに思いだすものである。ただし、中国自転車産業では、天津の国有企業である飛鴿は1990年代半ばに急激に衰退したが、そこからの技術者等を利用した新興私営企業が簇生、発展し、世界市場を寡占支配する中国自転車産業企業を生み出してはいるのであるが。
旧ソ連工業の「非工業化」という認識は、松里氏と私の間に共有されているが、その寄ってきたる所以の理解については、かなり異なっているのではないかとも想像される。しかし、残念ながら、松里氏のこの文献には、ロシアやウクライナの旧ソ連圏で「非工業化」をもたらしている理由、そして同じ計画経済下にあったにもかかわらず、中国については改革開放後「非工業化」せず、中国が西側諸国による経済制裁下でのロシアへの工業製品の重要な供給源となっていること、これを理解するための手がかりとしての指摘さえ一つとしてないと言える。
物を作れるということと、市場経済下で売れる物を作れるということは、根本的に異なることなのである。本書で紹介されている風力発電機だけではなく。ここにこそ、旧ソ連特にロシアやウクライナでの「非工業化」の根源があると、私は考える。もし、この点を象徴的に表現するために、クラマトルスク重機械工場が作った風力発電機に言及したのであれば、松里氏への私の誤解であると言えるが。いずれにしても、何故売れないのか、についての指摘がないので、このようなことをしつこく述べた次第である。
松里氏が繰り返しウクライナに実際に入り、聞き取り調査を行い、それを紹介してくださっていることは、大変貴重なことと言える。それだからこそ、そこから、旧ソ連のウクライナ国有大企業のスタッフの意識が具体的に見え、国際競争力を意識しないかのような姿も見えてきた。また、彼らのものづくりに対する認識、これを感じることができたのであるから、貴重な報告だと言える。同時に、これらの紹介は、私の旧ソ連工業の「非工業化」議論について、改めて裏付けを行ったとも言える。ソ連解体が生じ、西側の市場と一体化してから30年近くが経過した2017年でも、国有企業の技術者の感覚は、大きく変化しておらず、「作れる」ことと「売れる物を作れる」こととの混同が依然として存在しているようである。同時に、中国の飛鴿のような国有企業と異なり、ウクライナの国有企業は巨大企業として存立維持することが依然として可能であった、という事実も確認された。これらのことの持つ旧ソ連工業の問題性は大きなものであるといえる。
中国の国有企業のうち、国家によって市場独占を保証されず市場経済にさらされている部分は、大きく国有企業自体が換骨奪胎し本格的な営利企業へと転換するか、企業自体は崩壊し民営企業への人材移転が生じ、産業分野としては競争的な企業分野へと大きく転換した。しかし、旧ソ連では、それが生じずに消滅した部分と、転換しないにもかかわらず何らかの理由で生かされてきたクラマトルスク重機械工場のような企業とに分かれ、自国系企業による工業部門の国際競争力形成は、生じにくかった、ということを示唆していると言えよう。これこそ「非工業化」である。それでは、なぜ、そのような状況は生じたのであろうか。多くが撤退し、生き残っている企業も工業企業としての国際競争力を入手することなく、生き残れている、という状況は。これについての示唆は、本書には全くない。
第1章の1での「非工業化」とは、状況について事例を通しての紹介であり、その事例そのものは大変示唆的だが、それ以上の議論はない。残念である。
それゆえ、目次をこのブログに書く前に述べてきた議論について、改めて第1章の1「非工業」の節を読み直しても、読み直す以前に書いた文章を変更する必要性を感じなかった。
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