2023年9月26日火曜日

9月26日 私の読書世界と勝手な読書感想文

私の読書世界と勝手な読書(内藤著『トルコ』)感想文

渡辺幸男

最近読んだ本10

新聞の新刊紹介や広告で知り、読んだ新刊書

尾上哲治著『大量絶滅はなぜ起こるのか 生命を脅かす地球の異変

講談社ブルーバックス、20239

山田康弘著『足利将軍たちの戦国乱世 応仁の乱後、七代の奮闘

中公新書、20238

浜忠雄著『ハイチ革命の世界史  奴隷たちがきりひらいた近代

岩波新書、20238

丸山浩明著『アマゾン五〇〇年  植民と開発をめぐる相剋

岩波新書、20238

内藤正典著『トルコ  建国一〇〇年の自画像』   岩波新書、20238

 

シリーズで読んでいる本

『生態人類学は挑む』(京都大学学術出版会)シリーズ、

全16冊刊行予定(15冊刊行済み、かつ入手済み、うち14冊読了)

現在、Sessionシリーズ(編著)予定6冊中、全冊刊行済み

   Monographシリーズ(単著)予定10冊中、9冊刊行済み

同シリーズ

Session 4、伊谷樹一編『つくる・つかう』

京都大学学術出版会、2023年4月

Session 6、伊藤詩子編『たえる・きざす』

京都大学学術出版会、202212

 

読んだ本から知り、関心を持って読んだ近年刊行の著作

布留川正博著『奴隷船の世界史』         岩波新書、20198

 

伊谷樹一・荒木美奈子・黒崎龍悟編『地域水力を考える

  日本とアフリカの農村から』昭和堂、20213

柳澤雅之・阿部健一編著『No Life, No Forest

  熱帯林「価値問題」を暮らしから問う』京都大学学術出版会、20213

 

読んだ本から知り、今読んでいる興味深い著作

風間計博著『強制移住と怒りの民族誌

  バナバ人の歴史記憶・政治闘争・エスニシティ』明石書店、20221

 

面白そうな本を新刊案内等で見つけ、また面白かった本の参考文献で最近刊行の興味深い本を見つけ、ネットで注文し、乱読する。すなわち、研究のためではなく、テーマを決めず「読み漁る」、これが今の私の「雨読部分」の日常である。

現役の研究者をやっていた時には、このように著作を好き勝手に選び、自由に読むことは、研究者として自粛せざるを得なかった。自分が興味深いと思った著作には、のめり込むのが、私の読書であり、思考の中心が自ら選んだ研究テーマと大きく離れてしまうことが怖かった。それゆえの禁欲である。1970年代から2013年の定年退職まで、そして最後の単著を刊行した2016年まで、ほぼこの禁欲を「守った」と思う。

しかし、2016年に自身のこれまでの研究者としての研究課題について、まとめが残されていた中国産業について、私なりの研究成果をまとめ、4冊目の単著を出版できた。それから、研究者としての呪縛が解け、自身が関心を持ついくつかの研究分野の最近の成果の解説書、さらにはかなりの専門書、私の読めるタイプのものであるが、それを最も得意な言語である日本語で自由に読みたくなった。特に、日本人による諸分野の研究も、20世紀末から21世紀にかけ、多くの分野で新たな展開を遂げている。

私の専門分野(中小企業、産業論研究あるいは近代産業経済史研究)以外について、ほぼ1960年代で読書が止まっていた私にとっては、21世紀になって発表された研究成果は、新たな認識を可能とする、興味深い研究成果に満ち溢れた世界であった。その結果が、上記のような乱読となった。毎年、新書を始め、専門書も含め数十冊を乱読する。そんな生活を始めた。

そして、感想文を書きたくなった本(書けると思った本でもある)について、勝手な感想を書く。これが私の「晴耕雨読」の日常の一面である。一番最近の読書感想文を以下に掲載する。

 

 

最新の感想文

内藤正典『トルコ 建国100年の自画像』(岩波新書、20238月)

を読んで 渡辺幸男

 

目次

はじめに

第1章      トルコの地域的多様性  沿岸と内陸

第2章      1990年代  不安の時代

第3章      エルドアン政権への道  障壁と功績

第4章      EU加盟交渉の困難な道のり

第5章      世俗主義をめぐる闘い  軍部と司法の最後の抵抗

第6章      エルドアン政権、権力機構の確立

      権力の集中はなぜ起きたか

第7章      揺らぎなき「不可分の一体性」と民族問題

            クルド問題の原点と和解プロセスの破綻

第8章      直面する課題  いかにして難題を乗り切るか

終章  建国100年の大統領

あとがき

関連年表

 

 本書は、エルドアン大統領が率いるトルコ共和国の今を念頭に、オスマントルコ帝国の崩壊そしてアタチュルクによるトルコ建設以来のトルコの政治的な歴史的経過を、改めて議論したものである。ここでの視座は、アタチュルク革命その後の支配的政治勢力がトルコにもたらした枠組みを前提に、その視点から議論するのではなく、その枠組みを前提にしながらも、エルドアン大統領が新たに何をもたらしたか、政治的、社会的な内容を確認し、それを積極的に肯定する姿勢で議論することにある。

 エルドアン以前の世俗主義の政権、それを支えた軍等の勢力の姿勢、そして「西欧世界のフィルター」を通してではなく、エルドアン治下のトルコそれ自体の内的展開を見るものと強調している。そして、その歴史的展開を見る場は、基本的に政治的あるいは社会的トルコである。それ自体としては、大変興味深い観察と分析が行われている。私にとっても、学ぶところが多くあった。

しかし、私がそれと同時に期待していた、それらと組み合わせた経済的なトルコの位置や展開の分析や紹介は、ほぼ完全に無視されている。トルコ経済が、現在の世界経済の中で、どのように機能し、再生産し、発展しているか、その展望は、どのようなものとして見ることができるか、といった側面の議論は全9章中の第7章までほぼゼロである。エルドアン治下で経済の充実、開発が進んだという指摘だけはあるが。その内実の紹介、経済論理的解明、ないしは分析は、さらに、それに基づく産業発展、対外経済関係の展開内容、経済発展でのエルドアン政権の政策の妥当性ないしは問題性といった点についての紹介も、それまでの章には全くない。

それゆえ、本書を読み始め、大変興味深く思って読み進んだのであるが、途中から、エルドアン大統領が、何故多くの人々の支持を取り付け続けられるのか、経済的裏付けがないことで、隔靴掻痒の思いに囚われ始めた。そのこともあり、本書の参考文献を通して、その点の補足をと思い、参考文献欄を探したが、目次にも示したように、残念ながら本書にはそのような欄はなかった。また、まだ目を通していないが、経済と関連する部分としては、終章の前の第8章「直面する課題」の②に「激しいインフレと市民の防衛策」というのがある。14ページほどの節である。ここを読めば、今のトルコが抱える経済的課題が見え、経済の状況が見通せるのであろうか。(以上、第7章まで読んでの感想である)

 

第8章の「課題②」で、「激しいインフレと市民の防衛策」という形で、経済問題の象徴ともいうべき、トルコの激しいインフレ状況と、それに対するエルドアン政権のあり方を紹介している。ヨーロッパの諸政権やトルコ中央銀行総裁の見解に反対し、激しいインフレ状況に対し、エルドアン政権は利上げでの対応をせず、かえって利下げした理由を述べ、トルコ庶民の状況を踏まえたエルドアン政権の姿勢を肯定的に紹介している。ここでは、インフレそのものが何故生じ、インフレがトルコ経済の状況にどのような影響を与えているのかの分析どころか、紹介もない。ただ、エルドアン政権の対応の内容とその理由が紹介されているのみである。

通貨の価値が下がること、それにより輸入品価格が高騰することが悪循環であることは、認めているが、トルコ政府は、それをもっぱら利上げで対応するのではなく、「外国からの不動産投資やインバウンドの観光のような直接的な外貨収入で補おうとする」(p.223)と締めくくっている。それでトルコ経済のバランスが取れ、成長路線を維持しているかどうかのまともな紹介や分析はない。あるのは「外貨が不足すると、国民の保有する金や外国からの旅行者による現金収入をあてにしている」(p.225)とも述べている。「近場のリゾートとしてトルコの地位は高まった」とのことである。

この本では、トルコの激しいインフレについて、政府がその抑制に対しては無策であるが、それをある意味前提として、多様なその場しのぎ的な対応策を経済的弱者に対し数多く行い、積極的な経済拡大を維持し、社会不安の表面化を抑えている、ということであろう。対外バランスを外国人観光客の拡大等でそれなりに維持し、為替レートの低下とインフレそれ自体への積極的な抑制は行わない、という理解であるらしい。外国人の観光の拡大、特にロシアや中東の人々の観光地としての意味の欧州諸国に対する増大、これらが、当面対外バランスを維持することを可能としている、と著者は述べているようである。

なりよりも、インフレが少々進行しても、貧民が飢えず、経済基盤がより強固になれば、いずれ落ち着くところに落ち着くという理解のようである。エルドアン政権も著者も。

 

今ひとつ、著者の本来の記述で、私が理解できないのは、トルコの大多数の人々はイスラム教徒であるということであるが、軍人や既存政党の多くが、世俗主義であり、イスラム法に従うことなく、アタチュルクが進めたトルコの世俗主義に従って行動してきている。これをどう見るのか、エルドアンの支持層は、同じイスラム教徒でも、相対的に中下層の人々であり、素直にイスラム政党を支持するということであろうか。それに対して、エリートはイスラム教徒であると言っても、行動のあり方が大きく異なるということなのであろうか。それが、そのような関係が、安定的に再生産され維持されてきたのはなぜであろうか。階級的格差が大きく、それがある意味安定的に再生産されている、ということなのであろうか。この点も今ひとつわからない。

そうであれば、トルコにおけるイスラム教徒内の階層性と、その階層性ゆえに、世俗主義賛成派とそうでない層とが形成再生産されていた、その再生産の論理を提示する必要があろう。しかし、それについての示唆も、本書から私は読み取れなかった。

 

いずれにしたも、通常のトルコ経済論を中心とした、私がこれまで眼にしてきた議論とは、かなり異なる議論であり、その視座は興味深いものであり、学ぶところも多かった。それゆえにこそ、その視座に基づき、トルコ経済の再生産分析と、それとそこでの中下層トルコ人の状況との存在状況との関連について、是非、著者の見解とその根拠を聞きたい所である。

 

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