2021年9月11日土曜日

9月11日 丸川他『タバコ産業の政治経済学』を読んで

 丸川知雄・李海訓・徐一睿・河野正『タバコ産業の政治経済学

       世界的展開と中国の現状昭和堂、2021

 を読んで 渡辺幸男

目次

序章 シガレットの世紀

第Ⅰ部 タバコ産業の世界的潮流

第1章         タバコの生産プロセス

第2章         タバコ産業の現代史 −BATが世界に与えた影響

第3章         タバコ課税の世界的潮流と中国の税制改革

第4章         タバコと健康の政治

第Ⅱ部 現代中国のシガレット産業と葉タバコ農業

第5章         計画経済体制下のたばこ産業

第6章         シガレット産業の成長と「計画」の難航

第7章         2000年代以降のシガレット産業の再編と競争

第8章         葉タバコ産地の変遷

第9章         救貧作物としての葉タバコ −雲南省を中心に

第10章      葉タバコ農業の大規模化

 

*サブタイトルと目次を見れば明らかなように、本書は、紙巻きタバコ、シガレットを中心とした、タバコ産業のグローバルな歴史的概観と、中国でのタバコ産業の戦後の展開についての議論の2つを中心テーマとした著作である。グローバルなタバコ産業史の概観ののち、現代中国においての葉タバコ農業を含めたタバコ産業全体の展開がまず述べられ、その上で、周辺農村地域での貧困問題解決の重要な手段としてのタバコ産業の展開が、具体的な現地調査を踏まえて紹介され、議論されている。

 すなわち、世界のタバコ産業史を前提に、農産物としてのタバコ栽培からシガレットとしてのタバコ販売の専売制のあり方とそこでのタバコ加工製造子会社間の競争に至るまでの、トータルな中国タバコ産業論を展開することを意図した著作ともいえる。私が久しぶりに巡り会えた、実態調査を踏まえた産業論の著作と言える。

(なお、本書の存在を、本書の著者の一人である丸川知雄氏の近著、『現代中国経済 新版』(有斐閣、2021年)の参考文献で知り、購入した。『現代中国経済』についても、何か書きたかったのだが、最近の私の状況では、どこから噛み付いて良いのか、うまく手を出すことができず、その後に購入し読んだ本書をとりあえず、自分なりにコメントを書く対象の著作として選んだ。最近も、毎月何冊もネット購入し、乱読している。が、自分の蓄積から、自分風にコメントを書くことができる分野の著作というより、コメントできる分野そのものが、縮小してきていることを痛感している。ブログに書いてきた勝手な感想文も、私なりに過去の蓄積を取り崩しながら書いてきたのだと、近頃は感じる次第である)

 

*中国でのタバコ産業それ自体の展開、タバコ栽培から加工そして販売に至るタバコ産業全体の変遷の紹介がされると同時に、そこでのタバコ栽培農家、地方政府と加工工場、そして中国でのタバコ専売制のあり方等が、具体的に歴史的展開を含め紹介され、日本の専売公社によるタバコ専売制とは、全く異なる中国のたばこ専売制のあり方が示されている。そして、その下での各省に立地するタバコ子会社間の競争の独自なあり方と、それが持つ意味が紹介されている。

 

*私自身が本書の中で最も興味を持ったのは、中国でのタバコ専売制の実態である。

日本のたばこの専売公社は、日本全体市場を占有し、かつ葉タバコの栽培についての農家に対する徹底したタバコ葉一枚に至るまでの管理監督から、自らによるタバコ葉の加工、シガレットを中心としたタバコの自社工場での生産、そして自社ブランドでのタバコの小売店への供給、そして小売店群の管理まで行う、タバコ栽培と小売以外を直接自社内に取り込み、栽培と小売も統一的に管理する単一主体である。当然のことながら、日本国内のタバコ市場には、企業間競争はなかった。まさに単一の公社による専売、市場独占そのものであった。

しかし、中国での専売は、当然のことながら国家としての中央政府による専売ではあるが、その具体的なあり方は、大きく異なっていた。1つは栽培農家に対する管理の甘さともいうべきものが本書で再三指摘されている。地方政府にとっての税収増が絡み、闇葉タバコ栽培が頻発したことがそれである。

しかし、最も私が興味をそそられたのは、各地方政府の管轄地域に設置された、タバコ製造と販売の子会社群という存在である。すべてのタバコの生産工場等は、中国煙草総公司の下にある、という点では日本専売公社と変わりはない。しかし、中国の場合、国内の各地方に置かれているのは、総公司が直接管理する工場ではなく、総公司がそれぞれの地方に設置した法人格のある子会社である。それらが直接、さらにはさらなる子会社と通して間接に所有している形で、工場が存立している。かつそれらの子会社がそれぞれシガレットの自社ブランドを保有し、自社ブランドのタバコを生産し販売し、あるいは他の子会社からの受託生産をしている。総公司ではなく、総公司の下にある子会社群が、中国タバコ市場での生産販売での意思決定主体なのである。

これに、子会社が立地する地域の地方政府が、地方政府にとっての税収との関連で絡み、各子会社の収益が、それぞれの地方政府にとっては極めて重要な意味を持っていたとのことである。すなわち、ブランド戦略を立て、市場を確保し、利潤を上げる主体は、煙草総公司ではなく、その傘下にある各地方にある地方政府と利害の絡む子会社あるいは孫会社なのである。まさに、専売でありながら、子会社・孫会社間の競争、タバコ市場での企業間競争が存在し、その成果が子会社の業績のみではなく地方政府の税収に反映してくるという仕組みが存在していた(本書、162163ページ)。

ここから見えてくることは、日本同様に中国でも国家独占というべき専売制度が存在していたとしても、日本と異なり、中国では、企業間競争がシガレット販売市場で存在していたということになる。私はかつて現役教員であった時代、中国語の原書講読を、中国出身の若手教員、確か本書の著者の一人でもある徐一睿さんだったと思うが、彼とともに担当した際に、中国のタバコ産業関連の中国語論文を読んだような記憶がある。その際に感じた違和感の第一は、専売制下のタバコ市場でありながら、地域間競争があるというような指摘に遭遇したことである。同じ会社の中で「企業間」競争があるような奇妙な感覚を覚えた。しかし、本書を読み、中国のたばこ専売制度のあり方を知り、その違和感も解消した。

ここから言えることは、国家専売制度下にあれば、当該国内でのその財についての市場競争は全く存在し得ない、というような先験的な理解は、各国の経済状況について、具体的に見ていく際、すなわち現状分析をする際には不適切である、ということであろう。専売制度のもとにあるということでは、同じ状況にあると言える各国経済間でも、その専売制の制度的内容によっては、広い意味での企業間競争とも言える状況が生み出されうるというのが、中国の事例が示唆していることであろう。

ましてや、専売制度といった国有企業1社独占下での国有企業ではなく、国有企業一般についてであれば、その企業が置かれた環境は、その企業が置かれた国民経済の状況や、国民経済内でのそれぞれの産業の環境により、大きく異なる可能性がある。このことは、「国有企業だから・・・」といった先験的な認識に基づき、各国経済でのその存在の大きさを単に数的に比較し、各国経済の差異を云々するような議論が、ほぼ無意味であるということを、示唆している。

中国で現地調査を10数年行ってきて最も感じていたことは、制度的環境が異なると、例えば私の研究対象である製造業「中小企業」であっても、その行動様式が大きく異なるということであった。制度的環境次第で同じ形式の経済主体でもその行動様式は大きく異なることもあることを、今回もこの中国タバコ産業での専売制のあり方の紹介を通して、確認した次第である。

 

*最終章の第10章では、河南省で筆者らが訪問調査を行った、大規模化したタバコ栽培合作社や家庭農場の例が紹介されている。それと同時に、雲南省では、個別農家ごとに細分化されたタバコ農家の事例も紹介している。大規模化した事例が、必ずしもたばこ栽培としての規模の経済性、あるいは規模の拡大による機械化の実現とその優位性を体現しているものではないことも、事例を通して指摘している。河南省では、農村在留人口の高齢化、個別農家ごとの労働力数の減少への対応という側面が強く、より生産性の高いたばこ農業ということはできず、雲南省の個別農家中心の経営に対し、将来的により積極的な経営展望を持つものとは言えないとしている。

ただ、本書での議論はここまでで、本書は締め括られ、たばこ農業の中国での全体的な展望は、よく見えてこないまま、本書の叙述は終わっている。

 

2000年から始めた私の中国での現地調査の当初、中国では、当時の日本とは異なり、まだ、多くの男性が、常習的に喫煙をしていた。喫煙習慣の全くなかった私にとって、中国では喫煙者と同席する機会が多くあり、かつ調査の主任として、相手側からタバコを勧められることもかなりあった。が、それを常に断らざるを得ず、中国調査での、最大の問題点となった。ただ、その中国でも、近年は、喫煙者の数が大きく減少したようである。その意味で、中国といえども、タバコ産業は、そのための葉タバコ栽培を含め、将来展望のない縮小産業といえよう。

 そのタバコ産業向けの葉タバコ栽培が、中国の農村山間部での貧困撲滅の有効な手段になっていた実態が、本書では終わりの章で紹介されている。衰退が見通されるタバコ産業分野の原材料の生産を担う形で、貧困地帯が解消されてきている。このことが、葉タバコ需要の減退により、葉タバコ栽培の衰退、葉タバコの価格暴落を生じせしめ、貧困地帯の再形成へと繋がらないためには、葉タバコ栽培に替わる、山間地でも競争力のある栽培が可能な農産物の開発、さらにはその加工拠点の開発が不可欠といえよう。しかし、本書の叙述は、そこへとは進んでいない。2021年にまとめられた著作としては、残念に思える点でもある。

 

*本書の結論は、なんであろうか。終章なり、結論と称した章は、本書には存在しない。上述のように、最後の2章、第9章と第10章で述べられているのは、葉タバコ栽培の貧困対策としての有効性と、大規模化栽培の存在の確認とその経済的有効性についての疑問の呈示があるのみである。それが、結論的部分なのであろうか。

本書の議論からすれば、地域経済対策や貧困対策として、衰退産業としてのシガレット産業への依存が持つ問題性の確認と、その問題の解決に向けての展望の検討こそが、結論部分として必要であったのではないか。

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