恒大集団の‘取り付け騒ぎ’ を聞いて
渡辺幸男
中国での不動産開発を中心とした急成長巨大企業である恒大集団の債務不履行の可能性と‘取り付け騒ぎ’を聞いて、1990年代初頭のバブル崩壊、そして半ばの住専破綻を契機とした日本の戦後成長の行き詰まりそして金融破綻、いわゆるバブル崩壊とその後の現在に続く日本経済の停滞の継続を思い出した。1991年のバブル崩壊・土地価格暴落の結果として生じた1990年代半ばの金融危機の発生は、住宅金融をめぐる住宅専門金融機関、住専の破綻を契機としていた。
不動産価格の下落、不動産投資が主力の金融機関である住宅金融機関の破綻、それらが、そこに融資をしていた都銀等へと波及し、多くの銀行が経営困難に陥り、倒産が生じた。金融が一気に縮小し、経済全体の縮小へと波及した。これが、90年代後半まで続き、金融状況はその後落ち着きを取り戻した。しかし、日本経済の成長は低成長というかほぼ停滞のまま、90年代初頭から見れば、現状まで、30年間継続していることになる。
中国恒大集団の債務不履行騒ぎに、中国経済の高度成長の終わりの始まりを見るべきか。すなわち、2020年代中国経済に、1990年代半ばの日本の住専破綻に端を発した、北海道拓殖銀行の倒産をはじめとする金融破綻への道、そして経済成長の停滞の四半世紀へと日本経済が辿った道の可能性を見るべきか。これを見ているのが9月24日付のFTでのJ. Tett氏の議論と言えよう。私にとって、興味深いFTの論説員の議論である。
金融破綻の可能性、それが持つ、その後の重苦しい経済停滞長期化の可能性、それを考えるのには、金融破綻だけが日本経済の90年代以降の停滞を規定していたのか、この点を考える必要がある。中国の恒大集団の債務不履行騒ぎは、まさに不動産投資の過熱がはじけたバブル崩壊の本格的開始を合図するものであろう。日本の住専の破綻が示したように。この点は、私にも確かなように見える。
ただし、日本経済の場合の90年代は、バブル崩壊と共に大きな経済構造変化が生じていた。日本経済の成長、高度成長から安定成長へと続いた成長を主導してきた主要製造業のうち、量産型の耐久消費財を中心にした機械類の生産が、まずは日欧米の三極生産体制にシフトし、そのうちの日本の生産体系が基本的に国内完結型の生産体制から東アジア大の生産体制へと本格的に移行する過程であった。同時に、その過程は、韓国・台湾企業の追い上げにより、量産機械の生産での日系企業の全般的な優位性の喪失過程でもあった。
日本国内で設計開発のみならず部材の加工から完成品の生産まですべて行う生産体制が、戦後高度成長過程を主導した日本の製造業の特徴であった。国内生産の日系企業が量産耐久消費財としての機械で国際競争力を獲得し、かつ、国内完結型生産体制化がかつてない水準で実現したのが、1980年代初頭までの日本経済であった。他方で1980年代には、日本、欧州、北米の3大消費地にその生産拠点を展開する生産体系に移行した。そのうちの日本国内の生産体系を構成していた部分から、繊維製品の生産工程、そして量産型機械の完成品組立と部品組立の工程が、日本国内の生産拠点から韓国台湾そして中国へと展開し、国内工場はそれらの母工場化した一部の工場を残し、乗用車産業以外はほぼ量産工場を東アジアのうちの国外に持つという、東アジアを範囲とした生産体系からなるという意味で海外生産化した。これにより3極生産体制化のもとでもかなり維持されていた国内完結型体制の終焉が生じた。これが90年代に生じた日本経済の大きな構造変化であった。
乗用車は例外的に完成車と主要部品の国内生産を維持していたが、その乗用車生産も1990年前後の一千万台規模の国内生産をピークに、波打ちながらも漸減している。国内市場向け国内生産をほぼ維持し、一定部分の輸出向け生産をも維持しているが、90年代以降、生産拡大への展望は消えている。ちなみに日本自動車工業会の資料によれば、2019年の乗用車の国内生産台数は軽自動車を含め830万台余(自動車工業会「表1 四輪車生産台数」より、同所URL,2021年9月28日閲覧)である。
もちろん、他方で、乗用車生産が国内生産水準をある程度維持していること、量産機械の企画開発が国内に残り、量産工場もいくつかは日本国内に残っており、耐久消費財としての電子・電気製品の日系企業の国際競争力は、大きく減退しているが、産業機械等の資本財生産は多くの分野で優位性を維持し、グローバルな需要に依然として国内生産で応えている。これらの部門では内部には栄枯盛衰があるが、全体としてはかなり拡大していること等で、対外貿易収支の赤字化は回避され、かつ海外進出企業の収益増から等で、国際収支バランスは依然として黒字基調であり続けた。その限りで、日系企業のグローバル市場での相対的後退にもかかわらず、日本製造業の東アジア化は、日系企業群に発展可能性を与えたが、同時に、日本経済の低成長化さらには停滞化をもたらした。その下での国民経済単位での、ある意味での安定をもたらした。国内経済としての成長率でみると、量的には明らかに停滞基調であったが、製造業を中心とした国内経済活動の内容は大きく変化し、ICT化等の高度化が進展し、インターネットや携帯電話そしてスマートフォンの普及に見られるように、国内の消費者の生活も大きく変化した。日本の国内経済のこの30年間は、すなわち量的に停滞したが、激しい構造変化を被りながらも縮小することなく、質的に高度化が進展したと言える。少なくとも経済の縮小・衰退の30年間ではなかった。
それゆえ、日本経済の30年間にわたる停滞が生じた点の中核は、金融機関の機能不全ではなく、国内完結型の産業構造が東アジア大の地域間分業へとシフトし、日系企業の得意分野で日系企業以外の東アジア系企業の台頭が見られたことにある。金融機関の機能不全は短期的には大きな影響を与えたが、30年間にわたる日本国内経済の量的停滞要因ではない。
この30年間で、我々日本国内の消費者が主として使用する家電製品の圧倒的部分が、部品から完成品までの国内生産の製品から、完成品組立だけではなく、量産部品も含めた、海外、主として東アジア生産体制へと移行し、さらには生産者が日系企業かどうかに関わりない形態へと、移行したのである。大量生産の衣料品は、ほぼすべて海外生産製品であるし、テレビ、テレビの液晶表示装置、スマートフォン、エアコン、そして最先端の半導体等々、多くの量産耐久消費財とその主要部品も海外生産化している。この変化が、この30年間に生じた。また、海外生産化した量産機械等に変わる、国内経済の順調な拡大を可能とする担い手、巨大な拡大を持続する国内立地の新産業部門あるいは新産業部門群等は形成されなかった。結果、経済の質的高度化は進展したが、経済規模の拡大は鈍く、ほぼ停滞を続けた。
このように見てくるならば、今の中国の中長期的展望を考える際に重要なのは、今から生じてくるであろう不動産バブルの大崩壊、その不動産バブルの大きさは80年代末に日本どころではないことが、具体的な数字で、9月27日付の日経の1面の記事、「中国、不動産バブル懸念、かつての日本超す」(日本経済新聞、9月27日、第12版)に示されているが、その大きさ自体ではないと言えそうである。なお、現状では、中国政府は、不動産価格高騰に関しての政府批判拡大を踏まえ、価格のこれ以上の高騰を抑制しつつ、他方で、国有の金融機関、中央政府と地方政府の国有銀行や国有投資会社を動員して、不動産バブル崩壊の全面化に対する抑制努力を展開している。まさにその象徴が、日経の記事 (1) で報じられた、地方政府所有国有企業による恒大集団が保有する地方銀行の株式の買収であろう。まずは、本格的なバブル崩壊とならないよう、国有企業を動員しての政策的対応が全面化し始めている、と言える。
今の中国経済は、そして中国政府は、政策的に、一方で住宅を中心とした不動産価格の高騰を抑制する一方で、その影響として不動産バブルの崩壊を防ぐ、その正念場に至っていると見ることができる。これらの政策が有効に機能して、不動産相場が安定化するとともに、不動産バブルを崩壊させることなく萎ませることが、中国政府の狙いであろう。しかし、バブルはバブルである。多様な、かつ多数の国有企業という他の資本主義諸国の多くが手にしていない巨大な介入手段があるとしても、市場経済、資本主義経済でのバブルの本格化を、軟着陸させることは容易なことではない。まずは無理であろう。不動産価格の今後の急騰を期待できないことは、政策的に中央政府から示されている。急騰を前提に投資を行ってきた不動産民間企業の資金繰りを、たとえ国有企業を総動員したとしても、不動産価格の急落につながらないように、そして金融不安を生じさせないように救済することは、可能だとは、私には思えない。
日本株式会社と呼ばれ経済介入が大好きな日本政府でも、90年代の日本経済の不動産価格の急落に端を発した金融危機の本格化を阻止できなかったことが、今回の中国政府の介入の有効性の限界を示唆するものと言えよう。中央政府は、不動産価格のこれ以上の高騰を避けることを、主要な政策的目標としているのであるから、不動産価格の再高騰はあり得ず、それがなければ、不動産価格高騰を前提として投資行動をしていた不動産関連企業の資金繰りの行き詰まりは、恒大集団に限られたものではない。これからも次から次へと現れる可能性が大であることが、既に示唆されている。その結果は、バブル崩壊が不可避ということである。これが最も可能性の高いシナリオであろう。
このバブル崩壊を転機に、中国経済の成長を主導した諸産業、これらに、どのような変化が生じるか、あるいは変化が生じないで、再度従来通りの成長過程を辿れるか、あるいは、新たに巨大な成長部門が、内外の需要に対応して中国国内に形成されるかどうか、ということになろう。
2010年代の中国経済の発展は、世界の量産機械、特に耐久消費財としての諸機械の最終生産の拠点としての発展と、10数億人の急成長する巨大国内市場、典型的には世界最大の乗用車生産と市場すなわち国内消費水準、それに巨大な住宅建設投資に表現されているが、今回は、このうちの住宅建設投資の担い手である恒大集団の破綻(いまのところ多分と言うべきだが)となった。その中身は日本の場合と異なり土地売買すなわち土地の投機的売買ではなく、住宅建設としての資本財の投資である。その意味で、不動産投資のバブル崩壊は、単純な住宅価格の下落による金融機関への大打撃だけではなく、住宅建設投資用の巨大な鉄鋼やセメントといった資材需要への波及も存在している。それらの建設資材の生産への影響も巨大であると考えられる。
中国国内経済の発展持続可能性は、それらの住宅関連部門を含めた中国国内産業諸部門の国内での発展が維持されるかどうかに関わるといえよう。日本の国内市場も、欧州各国や東アジアの新興工業国に比べれば、市場として十分大きく、乗用車等の生産での規模の経済性実現について、当時としては十分な大きさを持ち、国内需要依存でまずは高度成長を維持したが、80年代には海外市場の開拓が、その主要な経済成長の要因となっていた。
それに対し、中国経済は、現時点でも国内市場の開拓余地が巨大に存在し、国内市場の拡大が成長の一方の柱であることを失っていない。さらに、国際的な生産体系の中での中国の生産拠点としての存在意義も大きく失われてはいない。例えば、鴻海精密工業のようなEMSの主力工場の急激な中国外への転出は見られていない。90年代の日本では、国内の東北地方等の周辺地域へと進出していた日系企業の量産分工場群が、一斉に海外特に東アジア地域へと転出したのである。主力量産基地としての日本国内地方工場の存在意義は、衣服等の軽工業製品のみだけではなく量産機械製品でも、日系企業にとってもほぼ完全に失われた。ほぼ全ての量産製品の生産が90年代を通して海外化し、乗用車以外は東アジア化したと言える。
以上のように日本のバブル崩壊後の停滞を理解すれば、1990年代の日本国内で生じたような、経済発展のあり方を大きく変え、設備投資を海外化させ、国内設備投資の大幅減退をもたらすような、大きな構造変化が中国経済に生じるとは考えにくい。もしこのような大きな変化が生じなければ、中国経済は、今回の不動産バブルの後の不動産不況を核とした一時的不況は、不況としては極めて深刻なものだとしても、その後に長期にわたる経済停滞に陥ることはないであろう。
日本の1990年代以降の経験から言えることは、不動産バブルの崩壊といった景気循環的な事象と、中長期にわたる経済動向、経済停滞の長期化といった事象とは、その要因が異なることを認識し、分けて考える必要があると言うことである。そこからの結論は、中国の中長期の経済展望は、90年代に日本経済が陥った停滞状況とは、大きく異なる、ということであろう。
ただ、近年の中国経済の発展論理とそれをもたらしている経済構造の分析を追究していない身としては、推論の積み重ねに過ぎない議論だとしても、これ以上の議論は不可能である。現状分析に従事している中国経済研究者の分析の成果を待つだけである。ただ、この後何が生じるか、中国経済の再度の発展がどのような形で生じるのかを見ていくことは、日本のバブル崩壊後の30年にわたる停滞を、研究者として経験してきた身としては、大変興味深いところである。
参考記事
Gillian Tett, ‘Look to Japan for lessons on Evergrande’
Financial Times, 24 September 2021, Asia, p.17
川手伊織「中国、不動産バブル懸念 かつての日本超す」
日本経済新聞、2021年9月27日、12版、1面
注
(1) 土井倫之・木原雄士「中国恒大、地銀株を売却 1700億円、資金繰り確保急務」日本経済新聞、2001年9月30日、12版、17面