2021年9月30日木曜日

9月30日 小論 恒大集団の‘取り付け騒ぎ’ を聞いて

          恒大集団の‘取り付け騒ぎ’ を聞いて    

渡辺幸男   

 

 中国での不動産開発を中心とした急成長巨大企業である恒大集団の債務不履行の可能性と‘取り付け騒ぎ’を聞いて、1990年代初頭のバブル崩壊、そして半ばの住専破綻を契機とした日本の戦後成長の行き詰まりそして金融破綻、いわゆるバブル崩壊とその後の現在に続く日本経済の停滞の継続を思い出した。1991年のバブル崩壊・土地価格暴落の結果として生じた1990年代半ばの金融危機の発生は、住宅金融をめぐる住宅専門金融機関、住専の破綻を契機としていた。

 不動産価格の下落、不動産投資が主力の金融機関である住宅金融機関の破綻、それらが、そこに融資をしていた都銀等へと波及し、多くの銀行が経営困難に陥り、倒産が生じた。金融が一気に縮小し、経済全体の縮小へと波及した。これが、90年代後半まで続き、金融状況はその後落ち着きを取り戻した。しかし、日本経済の成長は低成長というかほぼ停滞のまま、90年代初頭から見れば、現状まで、30年間継続していることになる。

 

中国恒大集団の債務不履行騒ぎに、中国経済の高度成長の終わりの始まりを見るべきか。すなわち、2020年代中国経済に、1990年代半ばの日本の住専破綻に端を発した、北海道拓殖銀行の倒産をはじめとする金融破綻への道、そして経済成長の停滞の四半世紀へと日本経済が辿った道の可能性を見るべきか。これを見ているのが924日付のFTでのJ. Tett氏の議論と言えよう。私にとって、興味深いFTの論説員の議論である。

 

金融破綻の可能性、それが持つ、その後の重苦しい経済停滞長期化の可能性、それを考えるのには、金融破綻だけが日本経済の90年代以降の停滞を規定していたのか、この点を考える必要がある。中国の恒大集団の債務不履行騒ぎは、まさに不動産投資の過熱がはじけたバブル崩壊の本格的開始を合図するものであろう。日本の住専の破綻が示したように。この点は、私にも確かなように見える。

ただし、日本経済の場合の90年代は、バブル崩壊と共に大きな経済構造変化が生じていた。日本経済の成長、高度成長から安定成長へと続いた成長を主導してきた主要製造業のうち、量産型の耐久消費財を中心にした機械類の生産が、まずは日欧米の三極生産体制にシフトし、そのうちの日本の生産体系が基本的に国内完結型の生産体制から東アジア大の生産体制へと本格的に移行する過程であった。同時に、その過程は、韓国・台湾企業の追い上げにより、量産機械の生産での日系企業の全般的な優位性の喪失過程でもあった。

日本国内で設計開発のみならず部材の加工から完成品の生産まですべて行う生産体制が、戦後高度成長過程を主導した日本の製造業の特徴であった。国内生産の日系企業が量産耐久消費財としての機械で国際競争力を獲得し、かつ、国内完結型生産体制化がかつてない水準で実現したのが、1980年代初頭までの日本経済であった。他方で1980年代には、日本、欧州、北米の3大消費地にその生産拠点を展開する生産体系に移行した。そのうちの日本国内の生産体系を構成していた部分から、繊維製品の生産工程、そして量産型機械の完成品組立と部品組立の工程が、日本国内の生産拠点から韓国台湾そして中国へと展開し、国内工場はそれらの母工場化した一部の工場を残し、乗用車産業以外はほぼ量産工場を東アジアのうちの国外に持つという、東アジアを範囲とした生産体系からなるという意味で海外生産化した。これにより3極生産体制化のもとでもかなり維持されていた国内完結型体制の終焉が生じた。これが90年代に生じた日本経済の大きな構造変化であった。

乗用車は例外的に完成車と主要部品の国内生産を維持していたが、その乗用車生産も1990年前後の一千万台規模の国内生産をピークに、波打ちながらも漸減している。国内市場向け国内生産をほぼ維持し、一定部分の輸出向け生産をも維持しているが、90年代以降、生産拡大への展望は消えている。ちなみに日本自動車工業会の資料によれば、2019年の乗用車の国内生産台数は軽自動車を含め830万台余(自動車工業会「表1 四輪車生産台数」より、同所URL,2021928日閲覧)である。

もちろん、他方で、乗用車生産が国内生産水準をある程度維持していること、量産機械の企画開発が国内に残り、量産工場もいくつかは日本国内に残っており、耐久消費財としての電子・電気製品の日系企業の国際競争力は、大きく減退しているが、産業機械等の資本財生産は多くの分野で優位性を維持し、グローバルな需要に依然として国内生産で応えている。これらの部門では内部には栄枯盛衰があるが、全体としてはかなり拡大していること等で、対外貿易収支の赤字化は回避され、かつ海外進出企業の収益増から等で、国際収支バランスは依然として黒字基調であり続けた。その限りで、日系企業のグローバル市場での相対的後退にもかかわらず、日本製造業の東アジア化は、日系企業群に発展可能性を与えたが、同時に、日本経済の低成長化さらには停滞化をもたらした。その下での国民経済単位での、ある意味での安定をもたらした。国内経済としての成長率でみると、量的には明らかに停滞基調であったが、製造業を中心とした国内経済活動の内容は大きく変化し、ICT化等の高度化が進展し、インターネットや携帯電話そしてスマートフォンの普及に見られるように、国内の消費者の生活も大きく変化した。日本の国内経済のこの30年間は、すなわち量的に停滞したが、激しい構造変化を被りながらも縮小することなく、質的に高度化が進展したと言える。少なくとも経済の縮小・衰退の30年間ではなかった。

それゆえ、日本経済の30年間にわたる停滞が生じた点の中核は、金融機関の機能不全ではなく、国内完結型の産業構造が東アジア大の地域間分業へとシフトし、日系企業の得意分野で日系企業以外の東アジア系企業の台頭が見られたことにある。金融機関の機能不全は短期的には大きな影響を与えたが、30年間にわたる日本国内経済の量的停滞要因ではない。

この30年間で、我々日本国内の消費者が主として使用する家電製品の圧倒的部分が、部品から完成品までの国内生産の製品から、完成品組立だけではなく、量産部品も含めた、海外、主として東アジア生産体制へと移行し、さらには生産者が日系企業かどうかに関わりない形態へと、移行したのである。大量生産の衣料品は、ほぼすべて海外生産製品であるし、テレビ、テレビの液晶表示装置、スマートフォン、エアコン、そして最先端の半導体等々、多くの量産耐久消費財とその主要部品も海外生産化している。この変化が、この30年間に生じた。また、海外生産化した量産機械等に変わる、国内経済の順調な拡大を可能とする担い手、巨大な拡大を持続する国内立地の新産業部門あるいは新産業部門群等は形成されなかった。結果、経済の質的高度化は進展したが、経済規模の拡大は鈍く、ほぼ停滞を続けた。

 

 このように見てくるならば、今の中国の中長期的展望を考える際に重要なのは、今から生じてくるであろう不動産バブルの大崩壊、その不動産バブルの大きさは80年代末に日本どころではないことが、具体的な数字で、927日付の日経の1面の記事、「中国、不動産バブル懸念、かつての日本超す」(日本経済新聞、927日、第12版)に示されているが、その大きさ自体ではないと言えそうである。なお、現状では、中国政府は、不動産価格高騰に関しての政府批判拡大を踏まえ、価格のこれ以上の高騰を抑制しつつ、他方で、国有の金融機関、中央政府と地方政府の国有銀行や国有投資会社を動員して、不動産バブル崩壊の全面化に対する抑制努力を展開している。まさにその象徴が、日経の記事 (1) で報じられた、地方政府所有国有企業による恒大集団が保有する地方銀行の株式の買収であろう。まずは、本格的なバブル崩壊とならないよう、国有企業を動員しての政策的対応が全面化し始めている、と言える。

今の中国経済は、そして中国政府は、政策的に、一方で住宅を中心とした不動産価格の高騰を抑制する一方で、その影響として不動産バブルの崩壊を防ぐ、その正念場に至っていると見ることができる。これらの政策が有効に機能して、不動産相場が安定化するとともに、不動産バブルを崩壊させることなく萎ませることが、中国政府の狙いであろう。しかし、バブルはバブルである。多様な、かつ多数の国有企業という他の資本主義諸国の多くが手にしていない巨大な介入手段があるとしても、市場経済、資本主義経済でのバブルの本格化を、軟着陸させることは容易なことではない。まずは無理であろう。不動産価格の今後の急騰を期待できないことは、政策的に中央政府から示されている。急騰を前提に投資を行ってきた不動産民間企業の資金繰りを、たとえ国有企業を総動員したとしても、不動産価格の急落につながらないように、そして金融不安を生じさせないように救済することは、可能だとは、私には思えない。

日本株式会社と呼ばれ経済介入が大好きな日本政府でも、90年代の日本経済の不動産価格の急落に端を発した金融危機の本格化を阻止できなかったことが、今回の中国政府の介入の有効性の限界を示唆するものと言えよう。中央政府は、不動産価格のこれ以上の高騰を避けることを、主要な政策的目標としているのであるから、不動産価格の再高騰はあり得ず、それがなければ、不動産価格高騰を前提として投資行動をしていた不動産関連企業の資金繰りの行き詰まりは、恒大集団に限られたものではない。これからも次から次へと現れる可能性が大であることが、既に示唆されている。その結果は、バブル崩壊が不可避ということである。これが最も可能性の高いシナリオであろう。

このバブル崩壊を転機に、中国経済の成長を主導した諸産業、これらに、どのような変化が生じるか、あるいは変化が生じないで、再度従来通りの成長過程を辿れるか、あるいは、新たに巨大な成長部門が、内外の需要に対応して中国国内に形成されるかどうか、ということになろう。

 2010年代の中国経済の発展は、世界の量産機械、特に耐久消費財としての諸機械の最終生産の拠点としての発展と、10数億人の急成長する巨大国内市場、典型的には世界最大の乗用車生産と市場すなわち国内消費水準、それに巨大な住宅建設投資に表現されているが、今回は、このうちの住宅建設投資の担い手である恒大集団の破綻(いまのところ多分と言うべきだが)となった。その中身は日本の場合と異なり土地売買すなわち土地の投機的売買ではなく、住宅建設としての資本財の投資である。その意味で、不動産投資のバブル崩壊は、単純な住宅価格の下落による金融機関への大打撃だけではなく、住宅建設投資用の巨大な鉄鋼やセメントといった資材需要への波及も存在している。それらの建設資材の生産への影響も巨大であると考えられる。

中国国内経済の発展持続可能性は、それらの住宅関連部門を含めた中国国内産業諸部門の国内での発展が維持されるかどうかに関わるといえよう。日本の国内市場も、欧州各国や東アジアの新興工業国に比べれば、市場として十分大きく、乗用車等の生産での規模の経済性実現について、当時としては十分な大きさを持ち、国内需要依存でまずは高度成長を維持したが、80年代には海外市場の開拓が、その主要な経済成長の要因となっていた。

 それに対し、中国経済は、現時点でも国内市場の開拓余地が巨大に存在し、国内市場の拡大が成長の一方の柱であることを失っていない。さらに、国際的な生産体系の中での中国の生産拠点としての存在意義も大きく失われてはいない。例えば、鴻海精密工業のようなEMSの主力工場の急激な中国外への転出は見られていない。90年代の日本では、国内の東北地方等の周辺地域へと進出していた日系企業の量産分工場群が、一斉に海外特に東アジア地域へと転出したのである。主力量産基地としての日本国内地方工場の存在意義は、衣服等の軽工業製品のみだけではなく量産機械製品でも、日系企業にとってもほぼ完全に失われた。ほぼ全ての量産製品の生産が90年代を通して海外化し、乗用車以外は東アジア化したと言える。

 以上のように日本のバブル崩壊後の停滞を理解すれば、1990年代の日本国内で生じたような、経済発展のあり方を大きく変え、設備投資を海外化させ、国内設備投資の大幅減退をもたらすような、大きな構造変化が中国経済に生じるとは考えにくい。もしこのような大きな変化が生じなければ、中国経済は、今回の不動産バブルの後の不動産不況を核とした一時的不況は、不況としては極めて深刻なものだとしても、その後に長期にわたる経済停滞に陥ることはないであろう。

 

 日本の1990年代以降の経験から言えることは、不動産バブルの崩壊といった景気循環的な事象と、中長期にわたる経済動向、経済停滞の長期化といった事象とは、その要因が異なることを認識し、分けて考える必要があると言うことである。そこからの結論は、中国の中長期の経済展望は、90年代に日本経済が陥った停滞状況とは、大きく異なる、ということであろう。

 

ただ、近年の中国経済の発展論理とそれをもたらしている経済構造の分析を追究していない身としては、推論の積み重ねに過ぎない議論だとしても、これ以上の議論は不可能である。現状分析に従事している中国経済研究者の分析の成果を待つだけである。ただ、この後何が生じるか、中国経済の再度の発展がどのような形で生じるのかを見ていくことは、日本のバブル崩壊後の30年にわたる停滞を、研究者として経験してきた身としては、大変興味深いところである。

 

参考記事

Gillian Tett, Look to Japan for lessons on Evergrande

Financial Times, 24 September 2021, Asia, p.17

川手伊織「中国、不動産バブル懸念 かつての日本超す」

日本経済新聞、2021927日、12版、1面

(1)  土井倫之・木原雄士「中国恒大、地銀株を売却 1700億円、資金繰り確保急務」日本経済新聞、2001930日、12版、17

 

2021年9月18日土曜日

9月18日 丸川他著『タバコ産業の政治経済』の2 丸川知雄さんとのやりとり

 丸川・李・徐・河野共著『タバコ産業の政治経済』への感想文

ブログアップ後の丸川知雄さんとのやりとり

渡辺幸男

 

はじめに

  以下は、911日付の丸川他著についての感想文をブログに掲載する際に、同内容を丸川さんと徐さんに送付し、丸川さんからいただいた返信メールと、その後の丸川さんと私とのやりとりを、丸川さんの許可を得て、ほぼそのまま掲載したものです。

 このやり取りを通して、丸川他著についての私の読み込みの足りなさを指摘していただき、改めて丸川他著の当該部分に目を通し、私の理解の足りなさを痛感し、その上で、同書から得られた私なりの感想を再確認した形になっています。

 このブログでのこれまでの掲載文でも触れていますが、丸川さんとは、1999年から始まった、日中合同調査研究チームである3E研究院の中の、中国中小企業発展政策研究チームの日本側メンバーとして、5年間にわたり中国の中小企業現地調査を共にした仲でした。3E研究院の2000年初春に開催された中国北京清華大学での研究会で、当時アジア経済研究所におられ、中国産業企業の現地調査を活発に行われていた丸川さんに、北京市近郊の浙江村と呼ばれた市場とその周辺に立地する町工場を、研究会の合間をぬって案内していただきました。

特に飛び込みで訪問した従業者3名の刺繍工場の印象が強烈でした。その工場は、年代物の中国産の刺繍機にフローピーディクの情報を読み込むNC機をつけた、ワンポイント刺繍用の、いちおうNC刺繍機と言えるものを2台ほど置いた工場でした。その自動機械に、経営者の妻と山東省出身の10代の女工さんとが、糸切れ対応人員として1台ごとに張り付き、動かしていました。これを見せていただき、中国産業の底辺の状況、自前でNC化することが可能だが、先端の機械としてではなく、中古機械を生かしそれなりに自動化し、安い労働力でその機械の欠点を補うという姿、これをみたのが、その後、10数年にわたり中国現地調査にのめり込む、そもそものきっかけでした。

 私は、2011年をもって、中国現地調査を終了し、中国産業発展について現場で追いかけるのをやめましたが、東大社研教授になられた丸川さんは、当然のことながら、現役の研究者で、中国での調査も継続されています。丸川さんの調査のあり方やそれのまとめ方を、調査にご一緒させてもらうことでそれなりに理解しているつもりの私にとって、今回の中国タバコ産業の調査研究は、大変興味深く、そこでの成果から多くを学びました。その際の文献の読み方の浅さを、今回のやりとりで指摘いただき、さらに理解を深めることができたと感じています。

 

1、2021915日付け 丸川さんからのメール

渡辺先生:

書評をいただき、誠にありがとうございました。

精読していただき、感激しております。

やや複雑な経緯でタバコ産業を研究することになりましたが、中国のタバコについて事前の予想より情報が多かったですし、ずいぶん親切な中国の先生たちに恵まれて、楽しく研究しました。

私にとっては、何よりも中国の農業についてずいぶん学びました。それは、一緒に調査に行った張馨元、李海訓の両名からの教えも大きいのですが。

 

最後の方のご指摘についてですが、タバコは長期的には衰退するのは確実ですが、短期的には最も安定しています。第10章でコンビニになぞらえておりますが、煙草公司の指示通りに草を抜いたり、農薬を散布したりしていけば、確実に収入になるという感じがしました。調査で訪れた河南省の黄土台地の上とか、四川省の山の中とか、なかなか葉タバコ以外に有力な作物はなさそうに思いました。

雲南省はコーヒーや茶や漢方薬材など特産品は多いのですが、特産品の需要は波があり、かつ名産地になれる場所は限られています。中国の内陸でワイン用ブドウに活路を見出そうとしている地域は多いのですが、中国の人たちが高価なワインを鯨飲するようにならない限り、なかなか将来性はないのではないかと思いました。というのも、中国産のいいワインと言われて飲むと確かにボルドーとかに比肩できるのですが、お値段がボルドーの何倍もして、これよりは1000円のボルドーを買うだろうなと思ってしまいます。特産品はどれも需要量が少ないので、個性的な作物を選ばないとならないのだと思います。

『現代中国経済・新版』とも合わせ、お読みいただき、誠にありがとうございました。

丸川知雄

 

2、2021916日付け 丸川さんへのメール

丸川知雄様

 勝手な報告へのお返事、ありがとうございます。たばこ栽培の中国周辺地域での栽培の意味、興味深く拝見しました。たばこ以外に安定した農作物が、現在のたばこ栽培地域にないとすると、やはり、中長期的には厳しい状況へと回帰してしまうのではないかと思う次第です。

 また、「煙草公司の指示通りの」栽培、という場合の「煙草公司」とは、各地域に設置された子会社ないし孫会社と理解すれば良いのでしょうか。それぞれの地域の子会社が地域利害をも加味し、地元農家を指導する。そんな姿なのでしょうか。中国全体を見渡し、多様な視点から見た最適な地域を探して栽培を指導するというより、省単位の利害を共にする子会社等が、地域利害を踏まえて指導する。地域間競争がそのような指導でも生まれている、ということでしょうか。

 いずれにしても、地方単位の主体による市場競争(新古典派的な市場競争ではないが、市場のダイナミズムを生み出すような競争)が、単一国有巨大企業傘下でも生じうるのが、巨大な市場の存在する中国、この点は、中国のタバコ専売制度を通して、再確認した、最大の点だと、今も感じています。ありがとうございます。

渡辺幸男

 

3、2021917日付け 丸川さんからのメール

渡辺先生

「煙草公司の指示通りに」というときの煙草公司とは何か、という点に関してですが、お手元に本があれば187ページの図8-2をご覧ください。

このうち、左から3本目のラインが中煙工業で、その下にかつては100社以上あり、今は27社に絞られてきたシガレットメーカーがあります。

さらに左から4本目のラインがあり、そこには省ー市ー県と連なっております。これが私の言う「煙草公司」です。

こちらは何をするところかといいますと、葉タバコ栽培の指導と買い付けおよび販売、そしてシガレットの販売です。

つまり、シガレット製造の系列と、葉タバコ農業・シガレット流通の系列とを分けたところに、中国のタバコ産業の独特なところがあり、そこはシガレット製造と販売が一本化され、葉タバコ農業に対しても買い手独占となっている日本の専売制・JTと大きく違うところです。

二つの系列は、地域ごとにブロックとして固まっているわけではなく、独立しています。例えば雲南省では製造メーカーとして紅塔と紅雲紅河という2大メーカーがあり、もう一つの系列は地域ごとに例えば石林煙草局がありますが、二つの系列はそれぞれ独立の企業として自由に契約を結んでおり、後者が紅塔や紅雲紅河を葉タバコ供給を優先したり、シガレットの販売において紅塔などを優先するということは今はなくなったようです。(かつてはありました)

産地の煙草局とシガレットメーカーは長期的な契約を結ぶことが多く、上海や広東など沿海部の有力メーカーも雲南省などの産地の煙草局と長期契約を結んで安定した供給を受けています。

葉タバコ栽培は、メーカー側の利害とは独立しており、国全体の計画に基づいて、各地域に作付面積や生産量が割り当てられて、煙草局の管理のもとで行われております。新たな葉タバコ産地が勝手に参入して競争が激しくなることは原理的になく、指示されたとおりにまじめに作業すれば、収穫期には必ず予定した通りの収入になる、という感じです。天候不順によって不作になっても保険があったと思います。

丸川

 

4、2021917日付け 丸川さんへのメール

丸川知雄様

 ご指摘、ありがとうございます。改めて、該当箇所を読み、私が思い込みをし、読み飛ばしをし、誤解していたことがわかりました。

 競争的な関係について、たばこ栽培と製造が別系統で、それぞれの子会社が、経営判断を一定程度できる「企業」、しかもそれなりに「自立した企業群」であり、葉タバコ調達でも立地地域を超えて栽培・販売系と製造系それぞれの販売・調達競争があり、また同時に製造子会社間にも販売競争が葉タバコ栽培産地を越えてあることが、理解できました。

 思っていた、あるいは思い込んでいた以上に、葉たばこ産地ごとの競争という形を越えた競争が多面的であることがわかりました。ありがとうございます。

 中国の葉タバコ専売制度とは、市場競争のプレイヤーそのものが特定化され、栽培総量が中央で決定されている、ということに尽きるようにも感じました。また、それらの特定化されたプレイヤーは多数存在し、相互に競争的であり、かつ川上と川下の取引関係も子会社たる各プレイヤーの裁量の範囲内であり、極めて競争的であると、改めて感じた次第です。巨大市場を前提に、生産の大枠だけ決め、後は多数ある各子会社の裁量に任せる、子会社たるプレイヤーにとって参入退出についての自由はないが、その他は極めて競争的な市場ということを、改めて痛感した次第です。

 参入退出のみが規制されている巨大市場での多数企業の競争、これをどのような競争的市場と評価すべきなのでしょうか。少なくとも独占的市場というべきではなく、競争的市場といえることだけは確かに思えますが。資本主義のダイナミズムをもたらす市場「競争」とはどのような「競争」か、新古典派の言う「市場競争」ではないことだけは確かだとは思うのですが。いずれにしても、制度の中身と運用内容をきちんと具体的にみないで、「専売」だ「国有」だということで、競争や企業行動のあり方を先験的に決めつけることだけは避けるべきだと、改めて感じた次第です。

 長文のご指摘、本当にありがとうございます。

渡辺幸男

2021年9月11日土曜日

9月11日 丸川他『タバコ産業の政治経済学』を読んで

 丸川知雄・李海訓・徐一睿・河野正『タバコ産業の政治経済学

       世界的展開と中国の現状昭和堂、2021

 を読んで 渡辺幸男

目次

序章 シガレットの世紀

第Ⅰ部 タバコ産業の世界的潮流

第1章         タバコの生産プロセス

第2章         タバコ産業の現代史 −BATが世界に与えた影響

第3章         タバコ課税の世界的潮流と中国の税制改革

第4章         タバコと健康の政治

第Ⅱ部 現代中国のシガレット産業と葉タバコ農業

第5章         計画経済体制下のたばこ産業

第6章         シガレット産業の成長と「計画」の難航

第7章         2000年代以降のシガレット産業の再編と競争

第8章         葉タバコ産地の変遷

第9章         救貧作物としての葉タバコ −雲南省を中心に

第10章      葉タバコ農業の大規模化

 

*サブタイトルと目次を見れば明らかなように、本書は、紙巻きタバコ、シガレットを中心とした、タバコ産業のグローバルな歴史的概観と、中国でのタバコ産業の戦後の展開についての議論の2つを中心テーマとした著作である。グローバルなタバコ産業史の概観ののち、現代中国においての葉タバコ農業を含めたタバコ産業全体の展開がまず述べられ、その上で、周辺農村地域での貧困問題解決の重要な手段としてのタバコ産業の展開が、具体的な現地調査を踏まえて紹介され、議論されている。

 すなわち、世界のタバコ産業史を前提に、農産物としてのタバコ栽培からシガレットとしてのタバコ販売の専売制のあり方とそこでのタバコ加工製造子会社間の競争に至るまでの、トータルな中国タバコ産業論を展開することを意図した著作ともいえる。私が久しぶりに巡り会えた、実態調査を踏まえた産業論の著作と言える。

(なお、本書の存在を、本書の著者の一人である丸川知雄氏の近著、『現代中国経済 新版』(有斐閣、2021年)の参考文献で知り、購入した。『現代中国経済』についても、何か書きたかったのだが、最近の私の状況では、どこから噛み付いて良いのか、うまく手を出すことができず、その後に購入し読んだ本書をとりあえず、自分なりにコメントを書く対象の著作として選んだ。最近も、毎月何冊もネット購入し、乱読している。が、自分の蓄積から、自分風にコメントを書くことができる分野の著作というより、コメントできる分野そのものが、縮小してきていることを痛感している。ブログに書いてきた勝手な感想文も、私なりに過去の蓄積を取り崩しながら書いてきたのだと、近頃は感じる次第である)

 

*中国でのタバコ産業それ自体の展開、タバコ栽培から加工そして販売に至るタバコ産業全体の変遷の紹介がされると同時に、そこでのタバコ栽培農家、地方政府と加工工場、そして中国でのタバコ専売制のあり方等が、具体的に歴史的展開を含め紹介され、日本の専売公社によるタバコ専売制とは、全く異なる中国のたばこ専売制のあり方が示されている。そして、その下での各省に立地するタバコ子会社間の競争の独自なあり方と、それが持つ意味が紹介されている。

 

*私自身が本書の中で最も興味を持ったのは、中国でのタバコ専売制の実態である。

日本のたばこの専売公社は、日本全体市場を占有し、かつ葉タバコの栽培についての農家に対する徹底したタバコ葉一枚に至るまでの管理監督から、自らによるタバコ葉の加工、シガレットを中心としたタバコの自社工場での生産、そして自社ブランドでのタバコの小売店への供給、そして小売店群の管理まで行う、タバコ栽培と小売以外を直接自社内に取り込み、栽培と小売も統一的に管理する単一主体である。当然のことながら、日本国内のタバコ市場には、企業間競争はなかった。まさに単一の公社による専売、市場独占そのものであった。

しかし、中国での専売は、当然のことながら国家としての中央政府による専売ではあるが、その具体的なあり方は、大きく異なっていた。1つは栽培農家に対する管理の甘さともいうべきものが本書で再三指摘されている。地方政府にとっての税収増が絡み、闇葉タバコ栽培が頻発したことがそれである。

しかし、最も私が興味をそそられたのは、各地方政府の管轄地域に設置された、タバコ製造と販売の子会社群という存在である。すべてのタバコの生産工場等は、中国煙草総公司の下にある、という点では日本専売公社と変わりはない。しかし、中国の場合、国内の各地方に置かれているのは、総公司が直接管理する工場ではなく、総公司がそれぞれの地方に設置した法人格のある子会社である。それらが直接、さらにはさらなる子会社と通して間接に所有している形で、工場が存立している。かつそれらの子会社がそれぞれシガレットの自社ブランドを保有し、自社ブランドのタバコを生産し販売し、あるいは他の子会社からの受託生産をしている。総公司ではなく、総公司の下にある子会社群が、中国タバコ市場での生産販売での意思決定主体なのである。

これに、子会社が立地する地域の地方政府が、地方政府にとっての税収との関連で絡み、各子会社の収益が、それぞれの地方政府にとっては極めて重要な意味を持っていたとのことである。すなわち、ブランド戦略を立て、市場を確保し、利潤を上げる主体は、煙草総公司ではなく、その傘下にある各地方にある地方政府と利害の絡む子会社あるいは孫会社なのである。まさに、専売でありながら、子会社・孫会社間の競争、タバコ市場での企業間競争が存在し、その成果が子会社の業績のみではなく地方政府の税収に反映してくるという仕組みが存在していた(本書、162163ページ)。

ここから見えてくることは、日本同様に中国でも国家独占というべき専売制度が存在していたとしても、日本と異なり、中国では、企業間競争がシガレット販売市場で存在していたということになる。私はかつて現役教員であった時代、中国語の原書講読を、中国出身の若手教員、確か本書の著者の一人でもある徐一睿さんだったと思うが、彼とともに担当した際に、中国のタバコ産業関連の中国語論文を読んだような記憶がある。その際に感じた違和感の第一は、専売制下のタバコ市場でありながら、地域間競争があるというような指摘に遭遇したことである。同じ会社の中で「企業間」競争があるような奇妙な感覚を覚えた。しかし、本書を読み、中国のたばこ専売制度のあり方を知り、その違和感も解消した。

ここから言えることは、国家専売制度下にあれば、当該国内でのその財についての市場競争は全く存在し得ない、というような先験的な理解は、各国の経済状況について、具体的に見ていく際、すなわち現状分析をする際には不適切である、ということであろう。専売制度のもとにあるということでは、同じ状況にあると言える各国経済間でも、その専売制の制度的内容によっては、広い意味での企業間競争とも言える状況が生み出されうるというのが、中国の事例が示唆していることであろう。

ましてや、専売制度といった国有企業1社独占下での国有企業ではなく、国有企業一般についてであれば、その企業が置かれた環境は、その企業が置かれた国民経済の状況や、国民経済内でのそれぞれの産業の環境により、大きく異なる可能性がある。このことは、「国有企業だから・・・」といった先験的な認識に基づき、各国経済でのその存在の大きさを単に数的に比較し、各国経済の差異を云々するような議論が、ほぼ無意味であるということを、示唆している。

中国で現地調査を10数年行ってきて最も感じていたことは、制度的環境が異なると、例えば私の研究対象である製造業「中小企業」であっても、その行動様式が大きく異なるということであった。制度的環境次第で同じ形式の経済主体でもその行動様式は大きく異なることもあることを、今回もこの中国タバコ産業での専売制のあり方の紹介を通して、確認した次第である。

 

*最終章の第10章では、河南省で筆者らが訪問調査を行った、大規模化したタバコ栽培合作社や家庭農場の例が紹介されている。それと同時に、雲南省では、個別農家ごとに細分化されたタバコ農家の事例も紹介している。大規模化した事例が、必ずしもたばこ栽培としての規模の経済性、あるいは規模の拡大による機械化の実現とその優位性を体現しているものではないことも、事例を通して指摘している。河南省では、農村在留人口の高齢化、個別農家ごとの労働力数の減少への対応という側面が強く、より生産性の高いたばこ農業ということはできず、雲南省の個別農家中心の経営に対し、将来的により積極的な経営展望を持つものとは言えないとしている。

ただ、本書での議論はここまでで、本書は締め括られ、たばこ農業の中国での全体的な展望は、よく見えてこないまま、本書の叙述は終わっている。

 

2000年から始めた私の中国での現地調査の当初、中国では、当時の日本とは異なり、まだ、多くの男性が、常習的に喫煙をしていた。喫煙習慣の全くなかった私にとって、中国では喫煙者と同席する機会が多くあり、かつ調査の主任として、相手側からタバコを勧められることもかなりあった。が、それを常に断らざるを得ず、中国調査での、最大の問題点となった。ただ、その中国でも、近年は、喫煙者の数が大きく減少したようである。その意味で、中国といえども、タバコ産業は、そのための葉タバコ栽培を含め、将来展望のない縮小産業といえよう。

 そのタバコ産業向けの葉タバコ栽培が、中国の農村山間部での貧困撲滅の有効な手段になっていた実態が、本書では終わりの章で紹介されている。衰退が見通されるタバコ産業分野の原材料の生産を担う形で、貧困地帯が解消されてきている。このことが、葉タバコ需要の減退により、葉タバコ栽培の衰退、葉タバコの価格暴落を生じせしめ、貧困地帯の再形成へと繋がらないためには、葉タバコ栽培に替わる、山間地でも競争力のある栽培が可能な農産物の開発、さらにはその加工拠点の開発が不可欠といえよう。しかし、本書の叙述は、そこへとは進んでいない。2021年にまとめられた著作としては、残念に思える点でもある。

 

*本書の結論は、なんであろうか。終章なり、結論と称した章は、本書には存在しない。上述のように、最後の2章、第9章と第10章で述べられているのは、葉タバコ栽培の貧困対策としての有効性と、大規模化栽培の存在の確認とその経済的有効性についての疑問の呈示があるのみである。それが、結論的部分なのであろうか。

本書の議論からすれば、地域経済対策や貧困対策として、衰退産業としてのシガレット産業への依存が持つ問題性の確認と、その問題の解決に向けての展望の検討こそが、結論部分として必要であったのではないか。