現代日本の地域産業政策をどう議論するべきか
その枠組みと政策的含意
はじめに
本稿を書きたくなった理由は、中小企業研究奨励賞審査のための専門委員会で、経済部門に応募した地域産業政策を議論した著作を読む機会を持ったことにある。私自身は、産業「政策」自体を議論することよりも、産業政策を考える前提となる中小企業を中心とした産業の再生産の実態、その論理を解明することに主たる関心を持ってきた。そのために産業論的視点からの実態調査研究に専ら従事してきた。その理由は、何よりも、それぞれの地域経済や地域産業が持つ独自の再生産の論理を実態的に把握しなければ、産業政策、特に特定の国民経済や地域に対する産業政策を議論しても意味がないと考えてきたことによる。
すなわち、産業政策について、どのような経済環境・産業環境でも、例えば、市場経済で所得水準が同じ程度という共通性があれば、各地域経済共通の政策対応が存在しうるという、それぞれの地域産業経済それ自体の実態を踏まえないでも議論可能な産業政策が存在するとは、私自身は全く考えていない。この点は、新興産業化国経済での「中所得国の罠」についての議論を検討し、考えたときにも、主張してきたことである。確かに「中所得国の罠」を免れるためには「イノベーションが必要」だと言ったことは、抽象的な論理として言うことができるであろう。しかし、当該経済では、誰が、そのような形でのイノベーションを担う可能性があり、そのどこに政策的介入が有効な場があるかは、そこからは全く理解できないし、議論できない。そのような具体的な政策的展開を可能とする実態的分析がないまま、お題目として「イノベーションの必要性」を唱えても、画餅に過ぎない。
今回の読む機会を持った著作の中には、私のこのような理解と異なり、日本の経済・産業が置かれた環境の独自性や、日本国内の各地域の置かれた産業・経済環境の差異を議論することなく、産業政策を議論することが可能と考える議論がいくつか存在していた。日本国内における多様な多数の地域での産業政策それ自体を各地域の産業実態から切り離して比較検討することで、産業政策論が展開可能であるという考えられる方法に基づいていると、私に理解される著作群であった。
すなわち、今回読むことになった著作の中には、現代日本の中小企業の置かれた経済的・産業的環境そして地域的環境を議論しないまま、あるいは現代日本国内、そしてその各地域に新規立地する可能性を持つ製造業関連事業所とは、どのような性格の事業所かについてという、基本的な点の検討がなく、それゆえ、その点についての著者の認識を示さないまま地域産業政策的な議論を展開しているものがいくつか見られた。そのため、改めて現代日本の中小企業を中心とした製造業事業所の新規立地の可能性を前提に産業政策を考えるには、どのようなことを考慮に入れることが、(地域)産業論的に必要かを議論したくなった。
1、 中小企業と地域産業振興政策との基本的な関係
地域産業振興政策にとって、中小企業が極めて重要な意味を持つ、これは現代日本の地域産業を考えれば、極めて妥当な見解と言えるかもしれない。巨大企業に見られるような大量に不熟練労働力や半熟練労働力を雇用するタイプの工場の立地は、現代の日本国内ではほとんど考えられない。単に新規立地が考えられないだけでなく、既存の巨大工場の維持継続もほとんど不可能であろう。実際、東北地方や山陰地方等のかつて国内で不熟練労働力が豊富であった地域に進出した量産型電気機械の組立大規模工場は、ほぼ例外なく海外移転するか閉鎖され、その姿を消している。例外的に残存しているのが、半熟練労働力を大量に雇用してきた乗用車産業の大規模工場であるが、これもEV化等を通して急速に変化していくことが見通されている。すでにドイツ系乗用車メーカーではドイツ国内工場の人員削減が、労使間の大きな問題となっているようである(1)。
とするならば、地域にとって、中小企業が、どのような論理で日本国内のそれぞれの地域に立地展開をするのか、立地を維持するのか、あるいは大規模工場の場合は、どのような質の工場であれば日本国内の当該地域への立地も考えられるのかが、次の問題となる。そのために考えるべきは、まずは、中小企業一般の存立状況について、日本国内という限定を超え、きちんと理解することであり、また、日本国内立地可能な大規模工場の性格の確認であろう。
2 中小企業の立地論理
中小企業も民営企業である。民営企業は、通常、市場競争に曝される。その中で生きていくこと、活きていくことが求められる。自らが生き、活きる市場を見つけること、その市場で競争上優位に立てる何かを持ち、さらに中身を変えようとも、そのようなことを持ち続けること、これが最も有効な生きる方法であろう。高度成長期の経済における中小企業と大きく異なり、現代日本の中小企業は、他の元気の良い企業に追随するだけのような経営姿勢では、自らの拡大どころが維持再生産さえおぼつかなくなる可能性が高い。
自らの優位を確保するために必要なことは、新たな市場の発見、あるいは市場の創造もあれば、自らの経営資源での差別化実現でもあろう。
地域経済を支えるのは、「企業」であり、その企業が活力ある層として当該地域で再生産され、当該地域の経済の再生産さらには拡大再生産は支えられる。
中小企業であれば、大企業とは異なり、相対的に「小規模」な市場での優位性で、十分存立可能となる。この場合の市場の「小規模」さとは、市場の絶対的大きさの場合もあれば、差別化された「亜市場」の大きさの場合もある。市場を「亜市場」として創造し、あるいは切り取り再編成し、その市場での優位性を確保する。(中小)企業にとっては、そんな市場への供給を念頭に置いて立地する場として、地域経済が存在しうる。そのような場としての地域経済が存在して、中小企業は当該地域での再生産を目指すし、再生産が可能となる。拡大再生産や企業分裂も含めて。
このような中小企業層再生産の場としての地域経済にとって、その場の提供のために重要なかつ基本的な要素がいくつか存在する。すなわち、物流・情報流・人流といった企業の産業活動のための基本的なインフラの整備は、当然不可欠である。製造業企業を念頭に置けば、その生産された財の流通手段の存在は不可欠であり、市場開拓と生産のための関連情報のやりとり可能性を与えるインフラも不可欠である。また、必要な人材交流を地域外からも含め実現できる可能性が高いことも必要なインフラであろう。
その上で、当該企業が目指す市場のために特定化したインフラの存在も必要となる。関連産業の随時利用可能性を与える特定の集積企業群の存在や関連研究機関の必要に応じた利用可能性の存在といったことも、より具体的には存立条件となる。もちろん、基本的なインフラの状況により、集積の経済性が求める地理的範囲は大きく変わってくるであろう。
少なくとも、中小企業の企業活動に必要な主要な機能が地域に存在すること、これが産業に依存する地域経済の存立のまずは必要条件であると言える。そのためには、まず何よりも、当該企業が必要とする共通基盤としての基本的なインフラが必要である。その上で、当該企業(群あるいは層)の存立にとって独自な、多様な広がりを持つ集積の経済性を含む当該地域への立地の優位性の存在、それが享受可能な地理的広がり内に当該地域経済が存在することが必要とされる。
ある興味深い新たな展望を地域に与えるような(いくつかの)中小企業の形成、新規立地であろうと既存企業の経営内容の変化の結果であろうと、そのような企業の形成が何故可能となったのか、上記のような基本的な要素と当該企業(群ないし層)固有の要素とその展開論理を、個別企業の事例を通して追求する、さらには追究する。これが実態調査に基づく地域産業論の出発点であろう。
成功事例を紹介すること、経営学の事例としてではなく、地域経済論のための事例としてであれば、そのことは、個別企業としての成功要因を見るだけではなく、当該企業の立地を踏まえ、そこの立地から見た個別経営を成功に導いた関連要素を、上記のような産業論の基本的な理解を踏まえ、分析していく、ということが次に行われるべきことといえよう。これが、地域産業論研究での「何故」の第2段の方向性と言える。その際、注意すべき点は、行政地域の範囲に縛られるというような地域理解は論外・問題外として、当該企業(群ないし層)にとって有用な特定の経営資源や多機能的な集積の経済性それぞれでの地理的広がりを柔軟に把握することが重要である。既存の産業集積論での議論の地域・地理的範囲、私のかつての議論であれば、東京城南地域といった産業集積範囲を固定的に、経営資源の存在と多機能全体について設定理解するのではなく、より柔軟に地理的広がりをそれぞれの資源や機能に応じて把握するということである。
3 日本国内に立地することの意味
日本国内のどこかに立地すること、これが特定の機能を、日本以外の他地域立地企業にとっては利用不可能である一方で、日本国内立地企業にとってのみ利用可能とする、といったことも、経営資源や集積の経済性の機能によっては考えられる。例えば、1990年代の東北地域、私の調査対象企業が存立していたのは岩手県であったが、当時、それらの機械工業加工サービス受注生産型中小企業の受注可能地域範囲は、関東から東北一円であった。市場の広がりとの関係という意味では、中部地域から東北地域までの広い範囲のどこでも立地的に有効である状況にあり、岩手県に立地する意味はほとんどなかった。同時に工学系の大卒人材確保という意味では、工学部がある岩手大学出身の地元就業志向の新卒者の地元とは岩手県内であり、岩手大学卒の工学系の人材確保において、立地優位を岩手立地の中小企業は得ていた。大企業の分工場が海外立地へと転換し、海外へと移転していた時期でもあり、関東以北を市場圏とする岩手立地の中小機械加工サービス受注生産型企業にとって、岩手立地は、市場を確保している中小企業にとっての一番の難題、人材確保という経営資源上の難題を克服するために、優位な立地であった。もちろん、より広域的な形ではあるが、東北地域への関連産業中小企業、発注先中小企業群の存在・立地も不可欠な要素ではあったが。
岩手県立地のこれらの機械工業関連中小企業にとって、物流インフラとしての高速道路と宅配便の発達、それが物流的に関東以北を主要市場とすることを可能とし、当時で言えば、ファックスを中心とした情報流の発展が情報流的に立地の地理的制約を大幅に緩和していた。その上で、人材確保という特定の経営資源確保の意味で、関東諸県に比して岩手県立地は優位であった。このように見ることができる。その結果、1990年代、岩手県に進出した大手機械工業の分工場の多くが海外に再転出していく中で、岩手県立地の中小企業の中には、市場範囲を広域化しつつ、岩手立地の優位性を確保し、岩手県内で拡大再生産を実現している中小企業が存在し得たのである。
広域的な取引関係が可能な中で、そして多様な地理的広がりを持つ経営資源や集積の経済性の機能群の中から、特定の資源や機能についての優位性を活かすために、その中の特定地域に立地する。これが現代の個別企業から見た特定地域に立地する意味であろう。特定の地域、それが市域であろうと県域であろうと、一定の地理的広がりがある行政単位が、自らの存在する行政域に企業立地を促すということは、このようなその地域あるいはその地域を含むより広域的な地域の持つ特性を、企業に認知させ、あるいはそれを活用させ、立地展開を促すことを意味しよう。
当然のことながら、市域や県域それ自体は特定の経営資源や集積の経済性の機能についての地理的広がりの範囲ではないし、それを包摂するものとも限らない。現代の経営資源や産業集積的諸機能のそれぞれの資源や機能の地理的範囲は非常に広域的なものから、かつての産業集積と類似の範囲まで多様に存在する。しかし、その地理的範囲は、多くの場合、大きく、特定の地方自治体の行政範囲に包摂されるものではない。このことを認識し、産業の集積の多様な機能と関連を考えながら、特定の自治体の産業政策は企業立地を誘導すべく努力する必要がある。このような集積機能の多様な地理的広がりを無視して、かつて産業集積地域と呼ばれた、都市型産業集積、企業城下町型産業集積、産地型産業集積等の地理的広がりを前提に、産業施策を考えることは、極めて的外れなものとなる。
現代日本での産業集積の存在形態を前提に、改めてそれぞれの自治体が行政地域と産業との関わりを考え、産業企業の立地を誘導することが不可欠といえよう。かつて、豊富な未活用な不熟練労働力が存在し、それが物流と情報流を中心としたインフラ整備の結果、大都市工業地帯立地の企業の地方分工場として活用可能となったように、それぞれの時代的状況に応じ、それぞれの地域が自らの地域内の資源の優位性を念頭に、その活用が可能な産業機能を探り、その結果を生かして立地誘導する、あるいは起業誘導する、これが現代日本での地域産業施策といえよう。その際、常に念頭におくべきは、選択しようとする産業のグローバルな競争状況である。その中で、念頭に置いている産業の一部の機能を担う企業が、当該地域内に立地することで、どのような存立可能性を持ちうるか、これが大きな問題となる。この展望がないところ、あるいはそのような意味での議論がない形での企業立地政策は無意味であろう。
4 物流・情報流インフラ整備による、機能的地理的分業の広範化
クアルコムは米国で半導体を開発し、それを台湾系のTSMCが台湾そして中国でも世界中から最新鋭の半導体製造装置を調達して半導体として量産し、それを世界中の電子機器メーカーないしはEMSに販売する。機能的地理的分業の極端な例ないしは代表的な事例で言えば、このように表現できよう。クアルコムの大規模な開発拠点(工場と言えるかどうかは別として)はそれ自体の立地論理で米国内に立地し、TSMCの半導体組立拠点は半導体組立生産自体の立地論理で台湾中心に、そして中国内の特定の地域に立地する。それを使用する鴻海精密工業のようなEMSは、米国の大規模拠点で開発されたアップルのスマートフォンの組立を自身の立地論理で選んだ最適立地としての中国内の特定地域の巨大工場で行う。それぞれは、それぞれの立地論理で開発拠点や生産拠点を選択し、多くの場合、相互に近接立地する必要性を持っていない。すなわち産業集積を形成する必要がないのである。この事例は、機能的なグローバル規模の地理的社会的分業の事例である。
半導体を生産する際の企画設計と組立、また電子機器を生産する際の企画設計と組立が、それぞれの機能が全く異なる立地論理と技術的論理ゆえに、米国と台湾・中国とに離れ、米系企業と台湾系企業とによって大規模拠点として担われている。技術体系の方向が異なること、立地に必要な人材の層が大きく異なること、さらにインフラとしての情報流と物流が整備されていること、これらが、このような状況を生み出していると言える。地理的な集積の経済性よりも、個別の企業の担う機能の立地の論理、ここの立地経済性の追求が、圧倒的に重要な意味を持つがゆえに、このような状況になっている。と同時に、それを可能としているのは、インフラの高度化ということになる。
以上のような現代の立地状況を前提に、改めて集積の経済性の多様な内容とそれぞれの内容の持つ地理的広がりの範囲を検討することが、現代における新たな産業集積の形成可能性を検討する上には、不可欠となる。特に、相対的かつ総体的に高賃金な日本を含めた先進工業国地域における新たな産業集積の形成の可能性を考える際には、この視点は最重要となる。
私の懐かしいネーミングで言えば、日本国内立地の工業企業工場、特に中小企業工場のその全体の「オータナイゼーション・大田区化」ということになろう。安価な豊富な労働力を動員できる立地地域と棲み分ける必要性、棲み分ける独自の立地要因の形成こそが不可欠ということになる。それのみならず、東アジア各地域や北米の先進工業地域との地域間競合にも耐え得るだけの、地域産業集積を維持することも不可欠となる。
かつて日本国内製造業の「産業空洞化」という議論が跋扈したことがある。しかし、現代の日本国内の日系企業製造業拠点は、東アジアの中で、資本財の生産では圧倒的な国際競争力を実現している。先の例で言えば、アップルのスマートフォンの企画・開発はアメリカで行われ、その生産は台湾のEMS企業である鴻海によって中国の巨大工場で行われ、また組み付けられる主要量産部品のいくつかは韓国・台湾の事業所によって企画・生産されているが、それらの工場の設備機械の多くの部分は、日本を含めた日欧米の資本財メーカーの日欧米立地の事業所で企画・開発・生産されたものである。ものづくりが「空洞化」する、すなわち存在しなくなるという意味での「空洞化」は、少なくともここでは全く存在していない。地理的分業の広域化が進展し、その過程で、日本国内の工業企業の事業所立地の質が一層特定化しているのである。
注
(1)例えば、2020年1月14日付けのFTの記事、 ‘German shift to electric autos puts jobs at risk’ (同紙、3ページ)では、今後10年で、最悪、40万人の職の喪失が、同国の自動車産業のEVへのシフトによって生じると、ドイツ政府公認の報告書で言われていると、報じている。これはドイツの労働者の1%にも当たる数字で、EVの最重要部品である電池をアジアに依存する可能性が高いことが、この最悪の状況をもたらしうるとしている。
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