2019年7月23日火曜日

7月23日 園田・蕭編『チャイナ・リスクといかに向きあうか』を読んで

園田茂人・蕭新煌編『チャイナ・リスクといかに向きあうか
−日韓台の企業の挑戦』東京大学出版会、2016
 を読んで考えたこと  渡辺幸男

 本書の存在を、川上桃子・松本はる香編『中台関係のダイナミズムと台湾 馬英九政権期の展開』((アジア経済研究所)研究双書 6392019年)を読むことで知った。産業発展それ自体が主たる部分である、近年の私の関心事から少し外れるところにあるテーマであるが、中国市場を、近接3カ国・地域の企業が、どのように評価し市場開拓に挑んでいるかに興味を持ち、読書の幅を広げ、読んで見た。その結果、チャイナ・リスクをどう把握すべきなのか、改めて私なりに考えて見る機会を得た。いつもと同様であるが、本書を読んでみて私自身が感じたことを、私の土俵に引きつけて考えてみたのが、以下の内容である。

本書の内容
目次
はじめに 中国の台頭をめぐる挑戦と応戦
  −企業のチャイナ・リスク認識という課題設定
第Ⅰ部 台湾
第1章     中国における「台商」  −その政治的リスク下の生存戦略
第2章     政治ゲームとしてのビジネス −台湾企業の政治的役割をめぐって
第Ⅱ部 韓国
第3章     韓国の大企業はなぜ中国投資に積極的なのか
    −政治的リスクと経済的機会の狭間で
第4章     韓国中小企業の中国適応戦略
第Ⅲ部 日本
第5章     日本企業のチャイナ・リスク認識に見る三〇年
第6章     反日デモはチャイナ・リスク認識に影響を与えたか
        −二一世紀以降のビジネスリスクと駐在員の役割変化
第7章     「関係」のポリティクスとリスク管理
    −中国における日韓台企業の比較
おわりに 日韓台企業にとってのチャイナ・リスク
 −その比較から得られる知見

はじめに
 本書の特徴は、日韓台それぞれの企業の中国進出とそこでのリスクについて、進出各企業の認識を中心に、日韓台それぞれの研究者がインタビュー調査を行い、それに基づき議論を展開していることである。その際のチャイナ・リスクとは、広義の政治的リスクであり、中国市場の持つ市場それ自身の独自性から生まれるであろうリスクではない。その上で、3カ国で、それぞれの出自国と中国との政治的な関係が異なることから生まれる政治的リスクを描いている。それ自体は興味深いものである。これまで、このような視点で中国の産業発展を見てこなかった私にとっては、なるほどと思う論点がいくつも存在した。

1、台湾企業の例
例えば、台湾企業の中国進出と、地方政府の裁量権の大きさゆえの、対応の難しさについての議論も、大変興味深かった。中国では、法律が存在し中央集権的な国家であると言われながら、いろいろなレベルの地方政府がそれぞれ勝手に法律を解釈をしたり、あるいは勝手な解釈が可能な法制度であることを利用して、法律を恣意的に運用し、それぞれのレベルの地方政府あるいはその役人個人の利益を、台湾企業との関係の中で追求している姿が描かれている。台湾企業側から見た時のその実態が、極めて赤裸々に描かれている。
 ただ、このような地方政府の行動それ自体は、台湾系企業そして外資系企業に対してのみ取られる行動ではない。私が中国の中小企業を中心に聞き取り調査を行ってきて感じたことは、地元民営企業に対しての対応でも各段階の地方政府の裁量権が極めて大きいということであった。いわば、「構造改革経済特区」が、中国の地方政府ごと、それも各レベルの地方政府ごとに、自由に設定可能な状況とも見ることができる。そこでは、当然自国系企業といえども、その対象となり、外資系であるから特別に「恣意的」に扱われるわけではない。地方政府とその役人にとって役にたつかどうか、どう役にたつかどうかで、対応や適用が決まることになる。
 すなわち、中国各地に進出した台湾系企業は、進出先の地方政府にとって、さらにはそこの役人にとって、独自な政策解釈で地域への利益や個人にとっての利益を還元させやすい存在と見なされたのであろう。だからこそ、台湾系企業は建前としての法治国家に進出しながら、地方政府とその役人の裁量権の大きさに悩まされ続けていると言える。

2、韓国中小企業の話
 また、韓国の中小企業、特に製造業系の中小企業の場合、現地市場をも対象としうるサムスンや現代自動車等、韓国系大企業と異なり、その圧倒的部分は、あくまでも中国でかつて豊富であった低賃金労働力を求めての進出であったことが、明確に示されている。それが21世紀になり、賃金高騰や単純な低賃金労働力のみを求める加工輸出型外資系企業の受入れについて、中国側政府の姿勢の変化が顕著に生じた。その結果の韓国中小企業側の「愚痴」が、中国進出韓国中小企業のインタビューから浮かび上がってきている。これ自体も、さもありなん、と思える事項である。
韓国の巨大企業は後段で見るように、本書の出版以降の変化として、現地中国系企業に追い上げられ、従来の現地市場での優位を維持できなくなっているが、韓国製造業中小企業の多くについては、それ以前に、本書での調査以前に、中国進出の意味をほぼ喪失している、ということが伝わってくるインタビュー結果であった。
ただ、同じ章の最後の方では、異なる事例も紹介されている。すなわち、韓国中小企業の中には、中国進出の主たる理由であった低賃金労働量の利用から、中国国内市場の開拓を目指す方向へと転進した企業も存在することが、示唆されている。が、残念ながら、中小企業をもっぱら扱っている章でありながら、使用している資料は中小企業に限定されていない。サムスンの中国西部進出の事例も紹介されているように、巨大企業も含む韓国企業一般についての大韓貿易振興公社(KOTRA)が作成した内部資料のようである。第4章のタイトルは「韓国中小企業の中国適応戦略」でもあるにも関わらず、何の断りもなく、韓国の企業全般の資料が使われている。しかも、結論部分ではなぜか「韓国の中小企業」となっている。さらに、その議論は転進のタイプ分けに終わり、その差異が生じたことについての分析はない。
 産業論の視点から見ると、どんなタイプの中小企業が、何故、中国国内市場開拓へと転進できたのか具体的な分析が欲しいところである。
 このような状況を、日系中小・中堅企業の場合と比較しながら眺めると、かつてアパレル等の日系の製造業中小・中堅企業が、韓国や台湾そして中国へと進出し、いくつかの例外企業を残し、撤退した状況が、韓国の2000年代に再現しているようにも見えてくる。ただ、日系中小・中堅企業の中には、その変化の中で中国等の生産体制を自立的に変化させ、その後ASEAN進出のための母工場化を遂げた例も、近年紹介されている(1)。本書では、このような前向きな可能性への示唆については、巨大企業の事例以外あまり存在しない。しかし、新たな可能性は少数派から生まれるのであり、韓国中小企業にとってのチャイナ・リスクを問題とするのであれば、その点を確認し、分析を加えてもらいたかった。

3、本書での日系企業にとってのチャイナ・リスク
 そこで描かれていることは、日本の現場労働者のあり方、歴史的に形成されてきた工場労働者のあり方等と、日系企業が進出先である中国で直面した労働慣行との、極めて大きなギャップである。これが第5章の20世紀におけるチャイナ・リスクとされている。これは、特定の進出先の国名がつくようなリスクなのであろうか。まさに歴史的環境の異なる地域への進出の際に遭遇する経営課題一般であり、「チャイナ・リスク」と特別視すべき「リスク」ではないであろう。どこに進出することになろうとも、海外進出の際に、常に意識しなければならない経営課題の中国版というしかない「リスク」である。
 海外進出し、出自国と同様な経営が可能だと思うのは、これこそ幻想である。その意味で、ここで議論されている「チャイナ・リスク」は、リスクであるとしても、「チャイナ・リスク」ではなく、海外進出一般の「リスク」の中国版ということになろう。ただし、本書は、海外進出「リスク」の中国版についての紹介は行なっているが、それへの対応、すなわちそれぞれの出自国なりの「リスク」中国版の解消の道については、事実上、現地の状況に適合するといったことのみ、日韓台いずれの場合も議論しているに過ぎない。すなわち、状況の紹介を主としている著作である。

4、外資系企業の中国進出リスク、チャイナ・リスクの中核は何であるのか
私の視点から見たとき、この本の中で最も興味深かったのは、韓国大企業の中国進出での成功を紹介している章であった。サムスンや現代自動車が、中国市場進出で「大成功」をしている姿、2017年のTHAADミサイルが在韓米軍に配備される以前の状況が描かれている。しかし、このTHAADミサイルの在韓米軍による配備の後の中国政府の韓国企業に対する態度の変化、そしてその後のサムスンのスマホや現代自動車の乗用車での中国内市場シェアの激減、これらのことは、当然視野に入っていない著作である。
 興味深いのは、執筆の時期的な制約ゆえに中韓の紛争が、政治的リスクとして視野に入っていないこと自体ではなく、それを契機にしているが、日中紛争の後の日系乗用車メーカーの製品等とは異なり、1・2年後に旧来の状況に復帰していないことである。すなわち、これらの韓国メーカーの製品の中国市場での存在は、かつての日系企業の携帯電話のように、中国市場での存在感を激減させ続けているということが持つ意味である。
 韓国系企業のこれらの製品は、1990年代韓国企業が中国市場に進出した当時、中国系企業の製品より完成度や機能水準が高く、同時に日米欧の製品に比べ価格が低く、お得感があったことが、後発で進出しながら中国市場で大きなシェアを獲得できた理由としてあげられている。他方で、最近の新聞等では、サムスンのスマホや現代自動車の乗用車の中国市場でのシェアが急減している理由を、韓国系企業の製品より安価な中国系企業の製品内容面での追い上げの中で、韓国系企業の製品は中国系企業の製品に対し差別化できなくなり、価格的には不利となったためであるとしている。すなわち、かつての優位性が変化したことが、THAADミサイル事件からそれなりの時間が経過してもシェアを回復できないという分析が報道されている(2)
 携帯電話そしてスマートフォンの中国市場での各国企業の動向は、激動している。かつてノキアと日系企業が支配的であった市場は、アップルとサムスンそして中国系企業にいれかわり、しかも中国系企業そのものも、かつての国有企業系中心から、華為、小米、OPPOVIVOといった新興メーカーに取って代わられている。そのような過程の中で、かつてのノキアのようにサムスンは巨大中国市場で一時的な覇者となったのち、一挙にその中国市場でのシェアを減らした。このように見ることができよう。ここにきてアップルも中国市場でのシェアを急減させているが、2919年第一四半期のシェアは7%で、サムスンの1%(3)とは大きく異なっている。かつての中国スマホ市場の覇者、サムスンは、世界最大規模市場である中国市場では見る影もない状況にある。
 このように見てくると、本書では、チャイナ・リスクをもっぱら広義の政治的な側面について見ているが、その視点が妥当かどうかが問われることになる。中国での市場競争のあり方それ自体が、各個別企業にとっては、大きなリスクになる可能性を、上記の歴史的事実は示している。巨大な魅力的な市場としての中国市場は、同時に、極めて変化が激しく、寡占的企業による安定的支配が困難な市場であるとも言える。巨大で成長を続けている新興の市場だけに、市場での需要内容の変化は激しく、また、参入が極めて容易かつ活発な市場であるがゆえ、かつベンチャーキャピタル等の発展で、小米に見られるように新興企業が急速に発展する余地が大きな市場ゆえに、一時的に覇者となった巨大企業が、安定的に市場支配を維持することが、極めて難しい市場でもある。
 この点は、外資系企業に限定される話ではない。私が実際に見てきた中国自転車産業では、改革開放後の1990年代に一時的に中国市場での覇者となった天津の垂直統合巨大国有企業であった飛鴿自行車が、市場の変化に全く対応できず、拡大する中国市場の中で、顕著な衰退を経験している。計画経済期から改革開放初期に、世界最大の中国自転車市場を寡占的に支配していた国有巨大企業3社、飛鴿自行車、そして上海の永久自行車や鳳凰自行車は、それぞれの展開は異なっていたが、いずれも、例外なく、寡占的市場支配を喪失している。それに取って代わったのは、改革開放初期に中国進出していた、今や世界最大手の自転車メーカーである台湾のジャイアント(巨大機械工業)や、日本の最大手メーカーであるブリヂストン自転車ではなく、改革開放期に新たに生まれた天津の富士逹自行車等の中国系新興企業群である。
 このように見てくると、外資系巨大企業にとっての本当のチャイナ・リスクとは、本書が中心的検討課題としている政治的リスク関連ではなく、中国国内市場での競争で安定的に覇者の地位を確保し、寡占的市場支配を維持することの困難性にあるのではないか、とも言える。改めて日系巨大企業が中国市場に進出し、当該市場で一時的にでも寡占的な地位を占め、その後その地位を喪失した市場を見てみると、いくつもの量産型の家電製品分野等が出てくる。薄型テレビを含めたテレビ、携帯電話等がそれである。ただ、日系巨大企業も近年のサムスンと同様に、一時の覇権は多くの場合長続きせず、量産型家電製品等の中国市場での存在としては、見る影もない状況である。他方で、ジューキの縫製機械に代表されるような産業機械分野では、依然として中国市場の覇者として存在している日系大企業も多く見られる。
 政治リスクが外資系企業の栄枯盛衰に決定的であったとすれば、このような状況は存在し得なかったであろう。政治的リスクは存在し、それを克服することは、個別外資系企業にとっては重要な経営上の課題であることは確かである。しかし、そのことは、政治的リスクを克服したからといって、中国市場での主要企業としての存在を保証されることを意味しているのではない。そうではなく、そのことを克服した上で、変化が激しく成長著しい巨大市場としての中国市場で経営戦略的に生き延び、成長する努力をし、それに成功することこそが、自らの存立を中国市場で維持拡大することにつながるのである。
外資系企業にとって最大のチャイナ・リスクは、激しい市場の変化そのものであろう。その中で寡占的大企業として生き抜いていくことにより、最大のチャイナ・リスクを克服したことになろう。その最も成功した事例は、乗用車市場でのVWなのかもしれない。

5、中国経済についての本書の見方
本書の著者は、「中国は・・・国家主導型資本主義とでもいえる特徴を見せるようになっている」が、「中国の党=国家体制が市場経済への管理・監督をやめ、市場を自律的に作動させようとしたことは一度もない」(本書、238ページ)(傍点、引用者)とする。「現在の中国に資本主義の「精神」が横溢しており、もはや共産主義国家ではないといった議論もなされているが、これは明らかに幻想である」(本書、238ページ)とも述べている。私の中国理解と完全に異なる。
外資系企業が地方政府にコネを持つことは、市場競争に参加する条件であり、市場競争を排除することにはならない。中国の市場は巨大であり、多様な段階の地方政府が、多様な存立形態の企業を支援しながら、自らの地域等への利益をもたらそうとしている。地方政府との繋がり等が主要な市場への参加条件の1つとならない市場経済社会とは大きく異なるが、同時に、企業間の激しい市場競争に溢れた社会が、中国経済である。その市場での競争そのものについては、中国共産党は否定していない。中国共産党の政治体制としての覇権を堅持しているが、そのことが市場での競争の「自律性」の消滅とならないのが、中国経済であると、私は考える。
だからこそ、最大のチャイナ・リスクは、巨大な成長する競争的中国市場の激しい変化である、というのが、私の理解なのだが。
繰り返しになるが、本書で再三取り上げられている地方政府官僚等とのコネは、あるいは「関係(关系guanxi)」は、市場支配を可能にするための条件ではなく、成長する競争的中国市場への参加条件である。結果、激しい多様な競争、その結果の優勝劣敗の頻発状況が生じているのが中国である。中央政府から市場独占を認められた一部の巨大国有企業を除けば、多様な存立形態の企業群が、すなわち、多様なレベルの国有企業群や、活発に創業している民営企業群を含め、激しく競争する市場経済を構成している。だからこそ、外資系企業のみならず中国系民営企業そして中国中央政府・地方政府国有企業も含めて、市場の論理の結果としての栄枯盛衰を繰り返している。
結果として、改革開放初期に世界最大の自転車市場で寡占的市場支配を実現した巨大国有企業の没落が生じ、携帯電話やスマートフォンでの外資系や国有大企業の衰退と新興中国系企業の台頭が生じているのである。本格的な市場経済の下で、激しい競争が「自律性」を持って展開されていると捉えなければ、現在の中国系企業に担われた中国産業の発展は理解不能であろう。
中国経済のダイナミックな、計画されざる経済・産業発展を、著者らはどのように説明するのであろうか。これが、本書への最大の疑問である。

(1) 例えば、丹下英明「海外に展開する日系繊維企業の現状と課題−日系縫製業者による国内外での事業展開を中心に−」(中小企業季報』2019 No.120194)で紹介されている事例は、中国に進出し、さらにASEANにも進出した繊維関連企業の場合、国内に生産基盤を残すとともに、中国の工場をASEAN進出のための母工場化している事例が、いくつか紹介されている。
(2) 例えば、広岡延隆「中国自動車市場から忘れられつつある韓国勢」日経ビジネス電子版、201948日がある。
(3) 香港の調査会社カウンターポイント・テクノロジー・マーケット・リサーチ523日、2019年第1四半期(13月)「中国スマホ市場でiPhone販売が失速、20191Qは前年比48%減」 https://www.bcnretail.com

2019721日閲覧)

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