2018年7月29日日曜日

7月29日 覚書集 現代資本主義における産業発展研究の諸論点

 ここ数年、ブログに書いてきた小論を、整理して見たくなりました。以下が、それを「覚書 現代資本主義における産業発展研究の諸論点」としてまとめたものです。ここには、「はじめに」、「目次」と「おわりに」のみを文書として掲載し、本文は、URLとしてアップしました。アップした先のアドレスは「おわりに」の後に一覧として付記しました。全文のものと、各章節ごとのものとがあります。関心のある部分について、一部でもご覧いただけたらと思います。さらに、コメント等を寄せていただけたら、これに越したことはないと思います。
 なお、ブログに書いた時の気分で、自分についての表現が「私」であったり「筆者」であったりしています。その他、1つの著作と見ると奇妙なものもあり、これまで、論文をまとめて、出版社から著作として出す時、いかに私が編集者の手を煩わせていたかを、痛感しました。ここでは、編集者として表現を統一する等の努力を全くしていませんので、ご了承ください。


覚書 現代資本主義における産業発展研究の諸論点
渡辺幸男

はじめに
 本覚書は、私がここ数年書きため、ブログに掲載した覚書のうちから、「現代資本主義における産業発展研究の諸論点」に関わるものと考えたものを抜き出し、多少の修正を加えてまとめたものである。
 ブログに掲載した年次順とは関係なく、視点ごとに整理して章構成を行なった。私が近年関心を持ってきたテーマは、現代の産業発展・工業発展と工業企業の発展をどのように考えるべきか、特にグローバル化が進展していると言われる中で、後発工業化国での工業発展を、どのように把握したらよいか、ということである。自らは全く実態調査研究を行わなくなった中で、他の方々の書かれた調査研究や新聞記事等を叩き台に、自らの意見をまとめたものである。
 これまで中小企業を中心に産業・工業の展開を追いかけ、その展開の論理を日本と中国の現状を中心に解明しようとしてきた。しかし、そのような自らの実態調査研究を、相対化し、全体としての工業発展の中に位置付けたくなり、既存の研究を少しはフォローしてみた。そこから、いくつかの既存の工業発展の理論に対し、かなりの違和感を感じた。それらのことを含め、感じたことを、自らのかつての経験と対比しながら、ある意味、素直に勝手な意見として述べたのが、以下の覚書である。なお、各節ごとに書いたものであり、その都度ブログに掲載したものがほとんどである。そのため、内容的に重複するところや自分自身の表現にもばらつきがあるが、改めて整理をするのがきついので、ほぼそのままの形でまとめた。
 この覚書の基本的主張は、国民経済単位で工業の発展を考えることは、現代においては、グローバル化が進展した現代経済においては、極めて限定的な少数の国民経済についてのみ可能である、ということである。工業化についての既存の議論は、「雁行形態論」に始まり、「ルイスの転換点」、そして「中所得国の罠」といった概念を念頭において展開されている。しかし、これらの概念は、いずれも国民経済単位の産業発展、工業化、工業企業発展を念頭においていることは明確である。それが妥当かどうか、現代の国民経済の多くに妥当かどうか、これが私にとっては、極めて疑問に思えてきたのである。
 確かに、中国経済の工業化については、中国国民経済単位の議論が可能であると思われる。私自身、そのようなことを前提に議論をしてきた。しかし、ブラジルのエンブラエル社のリージョナルジェット機メーカーとしてのフロントランナー化の事実に遭遇した時、これをブラジル経済の国民経済としての先進工業化の一表現として位置付けることはできなかった。しかし、エンブラエル社が三菱航空機等の先を越し、リージョナルジェットと言う先端工業分野で、カナダのボンバルディア社とともにフロントランナーになっていると言うことは確かである。これが可能なのが現代工業である。そのような工業現象をどのように位置づけるかは、既存の国民経済単位の工業化論では不可能であると考えた。
 いまひとつは、本格的な工業発展、先進工業化への中核的課題であるイノベーション、これがどのような状況で社会的現象として生じるのか、この点についての理解の、既存のいくつかの議論と私とのズレである。私にとっては、イノベーションの簇生は、市場環境と企業家・起業主体の存在を中心に、その可能性が議論可能となるものと認識される。国民経済として必要だから、特定の政策を通して簇生可能というものではない。しかし、私が見たいくつかの研究書の中には、中所得国の罠を脱するにはイノベーションが必要であり、そのための経済政策を先行事例から学ぶことで、イノベーションが実現可能であると考えていると理解されるものがあった。当該経済の発展のあり方、中所得国に達した過程のあり方を抜きに、労働力不足と所得水準を前提に経済政策を通してイノベーションの簇生が可能であるかのような認識であった。私には理解不能な発想であり、改めて、どのような市場環境下で、誰によってイノベーションが生み出されるのか、この点を考え直すことが不可欠と感じた次第である。
 さらに、グローバル化が進展している中で、米国と中国の国民経済市場は、依然として自立的国民経済として把握可能な側面を保有している数少ない国民経済である。ただし、その性格はかなり異なり、新たな産業展開にとっての意味も異なる。この点も想像的に展開、検討した。

覚書の内容
序章 現代資本主義における工業生産グローバル化とその意味           
  − 工業企業・産業の発展の国民経済枠からの把握を超えて 
第1章 方法的論点
第1節 事例を通しての渡辺幸男の実態調査研究の方法            
第2節 後発工業化国での産業発展に関する方法をめぐって 1        
第3節 後発工業化国での産業発展に関する方法をめぐって 2        
第2章 グローバル市場時代における後発工業化国製造業・企業の発展をどう見るべきか
第3章 グローバル生産体制とファブレス企業
第1節 岸本千佳司『台湾半導体企業の競争戦略 戦略の進化と能力構築』    
               日本評論社、2017年  を読んで
 第2節 Financial Times記事*でのインドスマホ市場の動向紹介と、        
      その動向が持つグローバルな社会的分業への示唆
第4章 ファブレス化の論理
第1節 ファブレスと受託生産企業への分化の論理 
—ニットメーカーの受託生産企業化を通して—
第2節 ファブレス化の進展する半導体産業の社会的分業の理解                
第5章 もう1つのグローバル市場とグローバル生産
第1節 もう1つのグローバル市場の事例                  
第2節 もう1つのグローバル生産体制の事例                
第6章 後発工業化国の工業企業の先進化への道
第1節 後発工業化国の工業企業のフロントランナー化と「中所得国の罠」      
第2節 日本での産業発展とルイスの転換点                 
第3節 後発工業化地域対し日本での分工場立地が示唆するもの               
                — 2000年代前半の東北地域機械工業調査の含意 —
第7章 現代の巨大国民市場の意味
第1節 乗用車のAI化・EV化と乗用車産業変化の方向性                     
第2節 中国の巨大市場が意味するもの                                      
  日経:中山淳史「中国からやってくる「規格」」
FTB. BlandChina face scan start-ups capture a lead’を読んで
  補節 日経:中村裕「中国CATL 首位疾走」を読んで            

おわりに
 本稿は、ここ3年ほどの間に書き、ブログに掲載した私のノートを多少整理し、並べてみることで、私が何を言いたかったのか自ら確かめるためにまとめた覚書集である。
 改めて整理してみると、基本的に言いたかったことは、産業発展は、市場のあり方と企業の競争状況によって、決まると私は考えているということ、このことに尽きていると再確認された。議論の素材は、いくつかの著作と日経・FT・朝日といった新聞の記事である。それらは、自ら取り上げたかったものであり、勝手に私の視点から紹介し、コメントしながらも、専ら自らの主張を述べている。
 覚書集で結果的に述べていることを、もう少し詳しく述べれば、現代の産業発展でのグローバル化、市場としてサプライシステムとしての双方のグローバル化を前提に見ていく必要があること。これが第一であろう。そのことは、一方で、自ら立地する国民経済内の産業基盤を使用しなくとも、個別企業として先端工業企業化しうるということを意味する。
また、他方で、国民経済全体として先進工業化を実現するには、従来の発想では不可能である、ということも意味する。同時に、現代でも先進工業での規模の経済性を実現でき、かつ競争的な市場を提供可能な国民経済市場が少数だが存在する、ということも言いたかったことの1つである。すなわち、米国と並んで中国がその現代では例外的なそのような規模の国民経済市場であること、しかも米国以上に競争的であること、これらのことも主張したかったことである。
 逆に言えば、日系企業等にとっては、今後の先進工業としての位置を維持するためには、米国市場と並んで中国市場の動向を注視し、それを踏まえて自らの戦略を立てることが不可欠だということも、言いたかったことになる。ましてや後進工業化国の企業にとっては、グローバル市場での競争力を持つためには、少なくとも中国とか米国とかの市場で、一定の競争力を持たなければ、グローバル企業としての展望も開けないことを意味している。
 ただし、グローバル市場には、米欧先進工業国が築いてきたグローバル市場とともに、2000年代になり中国企業が開拓した、もう1つのグローバル市場も存在する。そこでは、市場競争の中心が、まずは低価格であることにあり、その上で、各カスタマのニーズにどのように対応するか、このような市場の中には、20世紀までは欧州の古着によってしか充足されていなかったアフリカの衣料市場のような市場も含まれる。また、この市場への供給者としては、タイの先進工業国外資系企業主導の工業化と言ったようなものとは異なる、中国系企業主導のベトナムでの農村部小零細工業企業といったものも組み込まれている。
 このような発想で、現代の産業発展を考える私にとっては、産業政策論レベルのみで有効な政策と言いうるといった発想は、評価しようがない。また、国民経済の枠組みを前提に考える、雁行形態論のような産業発展の可能性も理解の外である。さらに、後発工業化国共通に中所得国の罠があるとか、労働力不足はルイスの転換点として共通の課題となるだけではなく、各国共通の状況として理解され、共通の対応が政策的に可能である、といったことは、理論先行の見解であり、産業発展の論理を理解しない見解ということになる。
 いわば、国民経済幻想、マクロ経済幻想、経済政策万能幻想という3つの幻想の虜になっている研究者の方々がおられるように思われる。国民経済は、産業・工業発展単位・場としては、現代では、グロバール経済の中で、特異な場合のみ存立可能な存在である。当然のことながら、マクロ経済の数字は現象の結果を表現するもので、そこに至る経過や今後の展開可能な内容の論理を示すものではない。言い方を変えれば、必要条件を示していたとしても十分条件とはほぼ関係ない数字である。しかし、マクロの数字で見る限り、どのような経過をたどった経済も同じ状況にあるように見てしまう議論が、世の中には存在していることを知った。マクロ経済幻想たる所以である。さらに、経済政策は喉の乾いた馬を、川辺に導くことで水を飲ますことはできても、喉の乾いていない馬に水を飲ますことはできない。政策が施行される場である当該経済の具体的な状況を無視して、マクロの数字にもっぱら依存するだけを前提に経済政策として評価し、そこから得られるベストな政策など存在しない。
 いずれも幻想であると言えるが、その幻想たる理由は様々である。ただ、その背景は共通である。既存の先進工業化国民経済から抽出されたある種の理論の当て嵌めから考え始めていることにある。
 あるいは、誘致工場ないしはFDIは、誘致工場・FDIであるがゆえに環境が変われば転出する存在であり、誘致した地域の工業発展にはなんら意味を持つものを残さないといった議論も、マクロ経済幻想の裏返しとしてであるが、これまた抽象的な論理から導かれた蓋然性の議論に過ぎないと言える。私が見てきた東北の誘致工場のその後から見えてきたのは、そのようなタイプの工場でも工場の性格次第で、環境変化への各工場の対応が蓋然性の高い方向とは異なる可能性が存在するということであり、少数であるが地域の工業発展をその後も担う可能性を持つ誘致工場も存在した、ということである。既存の議論からの推論のみの当て嵌めの怖さを、ここでも実感した。
当該企業、当該地域経済が置かれた市場環境と競争環境を具体的に検討しそれを踏まえることを通してのみ、当該企業にとって、当該地域経済にとって有効な方向性が示唆され、そこから有効性を持ちうる可能性を持つ政策が導かれると言いたい。
 以上のようなことが、ここ数年考えてきたことである、ということを、この覚書集をまとめることで再度確認できた。


覚書のアドレス




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2018年7月23日月曜日

7月23日 猛暑の中のエントラスの花々

紫紺野牡丹が本格的に咲いています。
朝の花々は、水やりが効き、
暑さに負けず、元気に咲いています。

野牡丹の葉も、朝は勢いがよく、
緑と紫紺のコントラストが鮮やかです。

四季咲きのクチナシの花も、咲き続けています。
こちらも、陽が照りつけると、
葉が勢いをなくしますが、
朝のクチナシの葉は元気です。

サンパラソルの花も次々と咲いています。
ただ、2日目になると陽の強さに色褪せ、
咲き始めの鮮やかさが減ってしまいます。

猛暑の中、エントランスの鉢植えを元気に維持するには、
朝夕の水やりだけでは足りず、
激しい日差しの中、
葉が萎れかかった鉢に水をやり、なんとか、もたしています。
雨が欲しいです。

2018年7月16日月曜日

7月16日 我が家の夏の木々の花

エントランスでサンパラソルが、盛りを迎えています。
次々と花をつけ、
紅色が葉の緑と素晴らしいコントラストです。

紫紺野牡丹も本格的に咲き始めました。
一日花ですが、次から次へと咲き、
エントランスの左右で、
サンパラソルの紅色と競い合う紫紺色です。

庭では、白のサルスベリが、咲き始めています。
早い花房の枝と、これからのものとがあり、
長くじっくり楽しめそうです。
昨年よりさらに大きくなっています。

池の端の芙蓉も花をつけ始めました。
今年も、これから賑やかになりそうです。

いずれの木も、水さえ切らさなければ、
猛暑にも負けず、
賑やかに咲き誇ります。
鉢植えの植木への毎日の水やり、心がけます。

2018年7月15日日曜日

7月15日 小論 事例調査研究の方法について

7月8日東部部会に出席して感じたこと
        事例調査研究の方法について

はじめに
 7月8日の日本中小企業学会東部部会に出席し、6件の報告を聞いた。全ての報告に対し、相変わらず質問をしたが、いかんせん、質疑の時間が短く、十分に議論ができなかった。全ての報告が事例調査研究という形態をとっていたが、事例調査研究報告として、十分な内容を持っているといえるものかについて、特に疑問を感じた。その疑問をまさに代弁してくれたのが、東京経済大学准教授、山本聡会員の若手研究者の報告へのコメントであった。
 山本氏のコメントは、具体的な事例調査のそれ自体の方法への疑問、研究報告としてのレビューのあり方への疑問、主要参考文献の研究書としての適切さについての疑問、そこから導かれた結論の意義についての疑問、という形で、報告全体に疑問を呈していた。この山本氏のコメントに触発され、自分自身の事例調査研究を振り返り、改めて私にとっての事例調査研究のあるべき姿を考えて見たくなった。
 まずは、山本聡氏がコメントの対象とした報告を巡って、自分なりに論点を整理したのち、山本氏とメールで多少のやりとりを行なった。その結果、特定の報告に対するコメントとして山本氏のコメントを受け止めるのではなく、中小企業研究における事例調査研究のあり方一般の問題として議論する必要があろうと思うようになった。以下は、東部部会での報告と山本氏のコメントに触発され、改めて中小企業研究としての事例調査研究の方法と意義を、私自身の経験を中心に、私なりに検討したものである。

1)  事例調査と事例調査「研究」
多くの事例調査が、多様な機関や組織そして個別の研究者によって、多数行われている。また、その成果、調査結果の報告も数多く存在している。それ自体は事例調査報告であり、事例調査「研究」とイコールのものではない。この点をまずは確認する必要がある。それぞれの事例調査は、それがきちんと聞き取り内容を整理した調査結果であれば、少なくとも資料としては役に立つものとなる。また調査報告として報告書が刊行される場合が多く、それ自体は資料として保存され、研究のための材料となりうるものとなるであろう。しかし、それらは「研究」ではなく、あくまでも事例を整理し紹介した資料というべきものである。
私も、20歳代の終わり頃から十年ほど、数多くの調査に参加し、調査報告を毎年年度末を中心に、原稿用紙にして数百枚から千枚単位で書いていた時代があった。機械振興協会経済研究所や当時の中小企業振興事業団といった組織の調査プロジェクトに参加する形でのものが多かった。ここで書いた報告書の一部は、私にとっては大変勉強にはなったが、これ自体は事例調査「研究」ではなく、あくまでも事例聞き取り調査に関する調査報告であった。とりあえず、調査したことから言えることを、既存の議論の有無等とは関係はなく、まとめとして書いた記憶がある。事例調査をしてわかったことを、新たな発見かどうかには関係なく、単に並べたものと言える。いわば事例紹介とそのまとめともいうべきものである。しかし、これ自体は、資料として意味のある事例調査報告であっても、事例調査「研究」ではない。

2)  事例調査研究の目的
 単なる「事例紹介とそのまとめ」にとどまらない事例調査「研究」とは、どのような内容を持つことが不可欠であろうか。この点を考える上で、まず何よりも重要な点は、事例調査を通して、新たな「発見」を行うということである。なんらかの「発見」がなければ、事例調査をどれだけ積み重ねようと、個別事例紹介集にとどまることになる。新たな事象の発見を行い、それを論理的に説明すること、これが事例調査研究の研究としての意義となろう。事例調査は多少の数を重ねても、それ自体で蓋然性の程度を示すものとなりにくい。研究としては、あくまでも新たに発見した事象について定性的な内容を明らかにするものであると言える。
 それでは、研究につながる事象の「発見」とは、どのようなものを含むであろうか。発見には、いろいろな内容の発見が含まれると考える
 まずは、これまでの理論や議論では対象となっていなかった事象で、既存の理論や議論で説明可能な事象の発見がある。これを通して、既存の理論や議論の適用範囲がより広がることになる。
また、事例調査を通しての「発見」には、これまでの理論や議論で説明可能な事象の範囲の確認・確定と言った内容が存在する。理論の適用範囲の限定性を示すということである。同時にそのことは、その範囲内であれば、適用可能であるということを示すことでもある。
 さらには、これまでの理論や議論で分析されていない、説明されていないタイプの事象、そして、これまでの理論や議論で説明できない事象の発見という、本来的な「発見」も、まさに発見である。

3)  事例調査研究の方法
 「発見」したと考えた事象の独自性に関わる先行の研究、理論や議論のレビューが、次の段階で必要となる。自分が発見したと思った独自な事象も、すでに既存の理論や議論が包摂する内容である場合が多数存在する。自らの研究フィールドとする分野の理論や議論では、これまで論理的に説明されてこなかった新たな事象と言えたとしても、他の分野の理論や議論では、すでにその説明の論理が存在するような場合も数多くある。発見したことの内容を、どのような視点から説明することができるか、多様なアプローチの存在を前提にレビューすることが必要であろう。
 私が1970年代後半から東京の機械工業零細企業の存立基盤を検討していた際にも、既存の中小企業研究では、地域的な視点を持ったものとしては、東京の零細企業についてはほとんど本格的な事例調査研究は存在しなかった。しかし、板倉勝高・井出策夫・竹内淳彦の3氏のような経済地理研究者からのアプローチがすでに存在し、「底辺産業論」として京浜地域の機械工業零細企業を位置付け、その意味を説明する議論が展開されていた(例えば、3氏による共著の1つ『大都市零細工業の構造 地域的産業集団の理論』新評論、1973年)。私も、それらの議論から多くを学ばせてもらった上で、さらにそれらを通しても理解できなかった点に何故の問いを重ね、京浜地域の機械工業零細企業の再生産の論理を自らのものとして発見していった。経済地理学からのアプローチでは、多様な機械工業企業が活用する共用的基盤としてある地理的範囲に零細企業層が存在すること、それが底辺産業と名付けられるものとしては議論されていた。ただ、そこではそのような零細企業が、より具体的にどのような仕事内容を受注し、そして何故層として再生産可能なのか、企業間関係を通しての零細企業層再生産の経済的な論理の追究が弱かった。私自身が改めて発見し論理化したのは、存在それ自体の発見と論理化ではなく、その層としての再生産の論理ということができる。

4)  発見した独自事象の論理的説明
 これまでの理論の対象外であったり議論されてこなかった事象を発見したとしても、その事象の報告だけでは、研究報告ではなく、やはり事例紹介ということができよう。ただし、極めて興味深い事例を発見し紹介しているということにはなるが。あるいは課題提起の研究報告とはなるかもしれないが。
発見した事象について、それは何故存在するのか、経済論理的にあるいは社会科学的に説明することが、次に求められる。1つは、既存の理論や議論との関係を示すことが求められる。特に、これまで対象となって来なかった事象についてであれば、その理由を含め、既存のどのような理論や議論で、どのように説明されるか、改めて確認を行うことが求められよう。
新たに発見した既存の理論や議論で説明不能な事象を、経済現象として問題とするのであれば、経済現象を説明する基本的な論理にまで戻り、改めて説明論理を再構築することになる。どこまで戻って論理を再構築するか、その事象の独自性の程度によるということになろう。経済現象であり、私の研究対象である産業の発展の論理の枠内であれば、当該産業企業群が直面する市場の状況と競争の状況、それに制度的環境といったものにまで戻れば、多くの新たな事象の論理の解明の緒を把握することが可能となろう。
私がかつて研究対象としていた東京の機械工業零細企業の存立基盤についても、量産型工場が域外へと転出していく中で、一品生産型の産業機械や試作開発関係の工場部門が京浜地域で残存拡大し、それらからの需要を対象に、「仲間取引」等を活用することで、零細企業層が層として再生産していたことを明らかにした。それが確認できたとして、日本経済政策学会で報告した(「大都市金属加工零細経営の存立基盤  −東京の城東・城南地域の場合 −」 日本経済政策学会第37回大会, 19805月、(要旨日本経済政策学会年報XXIX 『経済政策の国際協調と日本経済』勁草書房、19815月所収)。なお、日本中小企業学会が創設されたのは1980年、第1回全国大会が開催されたのは1981年であり、それまでの中小企業研究の発表の場は、日本経済政策学会が1つの中心であった。
また、三田学会雑誌に査読対象論文として投稿し、受理され掲載された。拙稿「大都市における機械工業零細経営の機能と存立基盤」『三田学会雑誌』(722号、19794月)がそれである。最初に三田学会雑誌に査読論文として掲載された「零細規模経営増加についての分析」『三田学会雑誌』(6710, 197410月)が、当時の零細企業増加現象について、瀧澤菊太郎氏と清成忠男氏との論争について、統計的事実を確認すれば、両者の議論とも不適切という、いわば両者の議論がともに妥当しないことを発見したと称するにすぎない論文であった。しかし、72巻2号に掲載された論文は、急増する東京の機械工業零細企業の存立基盤を、従来の議論では説明困難なものを、経済の基本的状況にまで戻って明らかにしたものと、今でも私なりには評価している。その意味で、日本の機械工業の発展研究の中で、どこまで意味のある発見かどうかは別として、既存の理論や議論では説明できない事象を発見し、その事象の論理を、私なりに解明したものと、自ら評価している。

5)  可能であれば、その事象の蓋然性の程度の評価
 自ら発見した事象を論理的に説明した上で求められることは、その事象の蓋然性の程度を評価することであろう。私自身が最も苦手とするところでもある。大都市の機械工業零細企業の独自な存立形態の蓋然性を、既存統計を通して評価することは極めてむずかしい。
ただ幸運なことに、私がこの問題に取り組んでいた時期に、当時の我々の調査研究グループのリーダーであった佐藤芳雄慶應義塾大学教授(当時、故人)が、墨田区が主体的に実施した区役所職員を動員しての区内製造業事業所3000件規模の全数調査で回答率95%という驚異的水準を実現した調査、23区自治体が初めて本格的に行ったと思われる全数アンケート調査のための委員会の長を務められた。そのおかげで全数アンケート調査の個票を閲覧し分析する機会に恵まれた。それを通して、既存統計では全く窺い知れない、機械工業零細企業の存立実態、個別零細企業にとっての多様な製品分野の取引先や再外注先の存在を、墨田区という範囲内であるが、量的に確認できた。これにより、大都市の機械工業零細企業の存立をめぐる私に理解の量的妥当性もある程度確認できた。その成果が、拙稿「墨田区金属プレス加工零細経営の分析()   −統計分析−」(『三田学会雑誌』726号、197912)である。

まとめ
 以上、私が事例調査「研究」をどのようなものと考え、実際に自身として何をやってきたか、初期の「研究」成果と自負するものを紹介しながら、まとめてみた。ここで何より言いたかったことは、事例調査「研究」の意味は、既存の理論や議論の不足する部分、妥当範囲や説明不能な事象と言ったものの発見を行い、それを少なくとも定性的に解明し、その事象を説明する論理を示すことにある。事例調査研究という研究手法は、量的な意味での評価には役に立ちにくい研究方法だが、新たなことの発見には最も適切な手法であると考えられる。

 逆に言えば、繰り返しにもなるが、既存の理論や議論で説明可能な、すでにそれらの理論や議論の対象とされている事象・事例を調査し、それを新たな事例として紹介するだけの報告は研究ではない、ということである。これらは、その水準を別とすれば、私が30歳前後に毎年原稿用紙数百枚以上書いていた、下請中小企業についての事例調査報告書と同様のものということになる。