中山淳史「デジタル・カンブリア紀」
Deep Insight、日本経済新聞2018年2月28日朝刊、p.6 を読んで
渡辺幸男
*上記記事で、私が関心をもった内容
この記事は、アマゾン・ドット・コムによって始められた、画像認識技術を使ったレジ無しの食品スーパーの話から入っている。さらに中国での新興企業が、同様な試みを目指し、アリババ等が出資していることを紹介している。
その上で、「日本の戦略はどうあるべきか」と問う。その際、雑草の強さは、多種多様な種を多数空気中に撒くことで、環境変化に対応しうることにあると述べる。その上で、日本の製造業には「タネが多数ある」とし、「米中のいない土俵はいくつも転がっており、そこに目を付ければ沃野が生まれる可能性はある」とする。そして、日本の技術のいくつかを紹介し、「米中がかなわない土俵を創り出すこと」が必要と締めくくっている。
多くの点で、中山氏の認識を理解できるし、賛成であるが、この最後の点については、疑問を感じた。技術が多様に存在することと、それが適地を見つけて花開くこと、この間には、極めて大きな飛躍が必要であるが、それには触れられていない。
*私から見れば、日本、ないしは日系製造業企業の問題はここから始まるのである。確かに、日本国内には、雑草の種はたくさん多様にある。これには、私も同意見である。問題は、この種を利用しようとする多様な多数の起業家・企業家が少ないことではないか。多様な多数の新しい市場を探し、そこで試行錯誤をしながらトライする多様な多数の人々こそ、日本の経済にとっては必要であるが、これが大いに不足している。技術はあるが・・・、ということになる。
*また、この記事で、米国のアマゾンという既存巨大企業化したIT企業に注目し、中国でもアリババ等の巨大企業とそれの支援を受けたベンチャーに注目している。しかし、米国の特徴は、そのような巨大化した企業の行動だけに特徴があるのではなく、そのような行動を巨大化した企業が取りながら、コダックやゼロックスに見られるように、時代の変化を担えない企業となるものも多いことである。それにもかかわらず、新たな担い手が多数生まれ、そこから次の巨大企業が形成されることにこそ、米国産業の依然としてのフロントランナー維持の特徴がある。中国はある意味ではまだ若い経済だが、同時に新たな市場を開拓する無数と言って良い企業が、自らの技術の有無にかかわらず簇生し、自らが開拓しようとする市場向けの技術を探し、開発している。このような無数の企業の新たな形成、それらの新市場の多様な模索こそが、米中の現在の姿を可能にしている。
中山氏も述べられているように、日本に存在する大小の製造業企業の中の数多くの企業が、可能性を秘めた独自技術を開発し、保有している。問題は、それが多様な多数の具体的な新市場開拓に結びつくかである。中山氏のたとえで言えば、飛散した多様な多数の種子が、いかに適地を、適切な市場を見つけるか、あるいは開拓するかである。この点で期待されるのが、種子の運び屋としての日系諸企業であり、日系起業家である。しかし、日本の多くの製造業企業の姿勢、あるいは起業家の多様かつ多数性について、私自身はかなり懐疑的である。
素晴らしい独自技術を開発している企業は、大小さまざまな企業の形で、日本国内には多数存在している。私も、聴き取り調査を通して、少なからず見てきた。同時に私が見てきたこのような企業の多くは、良い技術を持っていることで、他の企業から引き合いがあり、積極的に市場を開拓しなくとも、十分な市場を確保できていた。すくなくとも私が聴き取り調査をしていた2000年代までは。そのため、まずは積極的な市場開拓を行う必要に迫られなかった。ゆえに、市場開拓努力をしてこなかったし、その術を知らない企業も多い。さらに市場開拓を行なってきた企業もないわけではないが、市場開拓を行なっていた企業も、多くは既存企業相手への売り込みや既存海外市場等への参入であり、あるいは海外での同種市場の新規形成を踏まえた日本市場の開拓であり、小規模といえども本格的な新市場の発見そして開拓の経験がある企業は極めて限定的である。
中山氏の記事の最後の話は、「アマゾンは・・・倉庫の完全自動化を目指している。・・・最も難航しているのが倉庫で商品をつかむロボット技術である」とし、「日本にはその技術がある」と述べ、「似た状況はまだたくさんありそうだ。・・・日本に求められるのは・・・賢く生き抜く弱者の戦略であろう」と結ばれている。何故、日系企業はアマゾンに「つかむロボット技術」を売り込まないのであろうか。これが、そもそもの疑問である。アマゾンが探しに来るまで待っているということなのであろうか。これでは、幅広く新市場という適地を求める、「賢く生き抜く弱者の戦略」を採用しているとは言えないであろう。いい技術のタネは、必要な市場で使用され、本格的に芽吹くのである。芽吹く場を模索する姿勢をいかに日系企業に持たせるか、あるいは日系企業のいいものを引き出す主体と日系企業が組むか、これこそ最重要なのであろう。しかし、この記事では、そこまで踏み込んでいない。