2017年8月30日水曜日

8月30日 小論 資本主義下での技術発展把握

渋井康弘「技術の概念」(『名城論叢』173号、20173月)を読んで、
資本主義下での技術発展について考えた

はじめに
 渋井康弘氏から、上記の論考の抜き刷りを8月初めに送っていただいた。渋井氏の技術の概念を中心とした丁寧な議論を、久しぶりに集中して読んだ。その後、渋井氏と同氏の論考をめぐってのやり取りをメールで行い、824日には慶應義塾大学三田キャンパスのファカルティクラブで偶然出会い、昼食を共にしながら、この論考をめぐって直接議論することができた。渋井氏の論考とこれらの双方向でのやり取りを念頭に置きながら、以下で、資本主義下での技術の発展(渋井氏の言う技術進歩)について、どのように把握すべきであるのかについて、私なりに考えたことをまとめてみた。

1、      渋井氏の議論
 渋井氏の議論の中心は、「「人間の諸活動への自然法則の意識的適用」(広義の技術)であるが、それは自然法則を客観的に認識して適用する狭義の技術と、自然法則を主観的に認識して適用する技能とによって、構成されている」・・・」(渋井康弘、201779ページ)ということにある。それに加え、資本主義の下での技術進歩は、資本主義であるがゆえに、そして軍事技術がらみの進歩になりやすいがゆえに、歪んだ道を辿りがちである、という主張が、もう1つの中心点であると理解した。
 すなわち、技術進歩という道筋が存在し、それが資本主義的に歪められるとしても、歪められながらも「進歩」の道を辿る、という理解と考えた。
 また、渋井氏は、上記論文をめぐる私とのメールでのやり取りの中で、以下のようにも述べている。
(2)技術の多様性と発展の方向性
 多様とは言っても、資本主義社会において市場の条件・環境によって技術はどのようにでもなるというわけではなく、生産力を発展させていくという営みの中で、ある程度の共通する大きな方向性はあるだろう。例えば、ひとたび客観化された技術が、またそのまま以前の主観的な技能に戻るというようなことは、基本的にあり得ない(技術進歩によってさらに高度な技能が必要になるとか、市場の条件に対応して以前の技能を利用し続けるところが残るということは、もちろんありますが)。」(2017817日付の渋井氏からのメールの抜粋)としている。
 この中で私が注目するのは、特に「ある程度の共通する大きな方向性はある」ということと、「例えば、ひとたび客観化された技術が、またそのまま以前の主観的な技能に戻るというようなことは、基本的にあり得ない」ということである。
 
2、私の見解:資本主義下での技術の進歩(発展)をどう把握すべきか
 資本主義での技術の発展は、直接的には企業ないし企業家によって担われる。その企業(家)の技術の選択を規定するのは市場での競争のあり方とその市場の置かれた環境である。現代において、先進工業の多くはグローバル市場で競争している。それゆえ、先進工業の担い手としての企業群は、同じグローバル市場で競争し、その市場の環境を多くの部分で共有している存在である。その意味で、技術の発展は同一市場での競争の強制により、結果的に1つの方向を歩むことになる。この限りでは、私も渋井氏の理解を批判するものではない。
 しかしながら、他方で、国民経済レベルで見て、市場的に大規模であり、かつ一定の自立性が存在すれば、その国民経済独自の市場競争のあり方と市場環境が生まれ、独自な技術発展の可能性を高める。19世紀末から20世紀にかけて西欧と北米とで、まさにこのような相互に自立的な資本主義下での独自な国民経済環境の中での産業発展そして技術発展が生じ、結果として異質な技術発展が、資本主義としての世界の中に共存した。すなわち、互換性部品を使用した量産機械の生産が、軍機のごく一部で試みられるに止まった西欧と、軍機のみならず民需の量産機械をも含め本格的に機械工業全般に普及した北米との技術発展の異質性の共存である(橋本毅彦、2013)。西欧と北米の異質性の共存は、第一次大戦後における交流、そして第2次世界大戦終了後の北米資本の西欧への直接投資を通して、大きく変化し、米欧経済一体としての産業発展と技術発展が展開するようになった。このように見ることができよう。西欧の先進工業の技術発展が「正」なら、北米のそれは「反」、そして第2次大戦後の米欧の一体的技術発展は「合」といえよう。
 そのような意味で北米に続いて自立的な産業発展そして技術発展を実現したのは、第2次世界大戦後の日本経済といえよう。多くの技術を米欧から導入しながら、ほぼ自国系企業だけでの国内完結型生産体制の形成のもとで、大規模な自国市場を主として対象にする機械工業体系が構築され、米欧の先進資本主義国と対抗できる機械工業での競争力を実現した。その中味は、製品技術的な技術発展というよりも、先進工業国の既存の製品市場を前提とした上で、生産過程での品質の作り込みといった表現に示されるような、生産技術的に独自性が極めて高い技術発展を実現した。このような技術発展を背景に、1980年代以降、米欧への量産機械の本格的輸出そしてその拡大と大きな市場シェアの獲得が生じ、その上で直接投資が生じた。米国発の標準化された量産機械生産体系を踏まえるものでありながら、生産技術面で米国での量産機械生産とは大きく異なる生産体系を構築した。
 機械工業を中心に見る限り、このように把握することが可能ではないかと考えている。
 すなわち、現代の工業の生産力発展を担う広義の機械工業の発展を見る限り、技術の進歩(発展)方向は自立的な国民経済を中心に、多元的でありうる。資本主義として歪められながらも、進歩の道は常にほぼ一本道、というわけではない。2000年代に入っての中国主導の低価格品でのグローバル市場の形成も、このような脈絡で考えることで、初めて理解できよう。
 中国国内で、これまでの資本主義生産体系では対応できないごく低価格な製品を受容する巨大な市場が一挙に形成された。この新たな市場向けに中国系新興企業が、既存技術をベースとしながらも、独自な低価格技術の開発を行った。これは、中岡哲郎氏が後発工業国での技術開発の可能性に注目し、それを通して主張された「簡易化開発」(中岡哲郎、1993)であり、中国での工業発展を観察して得た後発国の技術開発について丸川知雄氏のいうところの「キャッチダウン」(丸川知雄、2013)、私のいうところの「簡便化開発」(渡辺幸男、2016)でもある。中岡氏の場合の事例では、「簡易化開発」による市場形成は開発が進展した当該国民経済内にとどまる水準であったが、中国を中心として行われた「キャッチダウン」ないしは「簡便化開発」の場合は、より広範な本格的開発が行われたことで、これまでグローバル市場に組み込まれなかった発展途上国の需要をグローバル市場に組み込むことに成功したと言える。
 これは、中国の「簡便化開発」は単に低価格品の生産システムを開発したにとどまらず、低価格品の中でも多様なニーズが存在する巨大な中国市場向けに開発されたがゆえに、低価格品ながらそれぞれのニーズに低価格品なりに柔軟に対応する生産システムの構築に成功した。結果、低価格品であることを前提とした発展途上国の多様なニーズに対しても柔軟に対応可能となり、グローバル低価格品市場を新規形成、創造することに成功したと言える(1)。これまでの工業化国が形成した工業製品のグローバル市場に対し、それらについて、より低価格な部分を新たに創造したのが、中国での産業発展の下での技術の発展である。これは、西欧、北米、日本そしてアジアNIEsと続いた工業化の中では生じなかった技術発展(進歩)と言える。
 それゆえ、中国での2000年代の産業発展は、先進工業国の既存技術を前提として出発しながら、その一部に独自な技術発展(進歩)内容・方向性を包摂するものであると言える。もちろん、2010年代になってドローンに見られるように、先進工業の先端技術部分についてのグローバル市場形成につながるような製品技術開発も生じており、先に指摘した低価格品の市場の創造に止まらない技術の発展がある。これはそれまでの北米や日本での発展において、一方での独自な内容の技術発展とともに、グローバルな市場での先進部分での技術発展が生じたことと同様である。

3、まとめ
 このように見てくるならば、資本主義下での技術進歩ないしは技術発展は、先進工業の担い手となってきた国民経済、そしてそれらが形成するグローバル市場を前提としてみるならば、確かに資本主義的に歪められながらも、積み重ね的に発展する、とみることができる。まさに共通の市場の中での競争ゆえに、次世代の支配的な技術は1つの方向で積み重ね的に発展することになる。
 しかしながら、資本主義における技術の進歩ないしは発展は、これに限られるのではない。この点こそ、私が主張したいことであり、渋井氏の理解と異なる点である。すなわち、現代でも中国経済がそうであったように、自国系資本が中心であるような独自巨大市場を形成すれば、そこで独自な技術発展の可能性が生じ、従来の積み重ね型の技術発展とは異なる方向での技術の発展展開が生じる可能性がある。異質な方向での技術発展であり、それがグローバル市場に組み込まれることで、積み重ね型の技術発展とは異なる技術の展開が、グローバルな範囲においても生じる可能性が存在する。
 このようにみることができよう。まずもって技術発展を積み重ね型の発展として把握することからは、資本主義経済の中で生じてきた技術発展の方向の多元的可能性を把握し、それを意味付けることはできない。

(1) 中国の産業発展が主導する低価格品市場のグローバル化の一端を示すものとして、小川さやか氏の著作(小川さやか、2016)でのアフリカ小商人の姿が参考となる。

参考文献
小川さやか、2016『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』
光文社新書
渋井康弘、2017「技術の概念」『名城論叢』173
中岡哲郎、1993「発展途上国機械工業の技術形成」(竹内敬温・高橋秀行
 ・中岡哲郎編『新技術の導入――近代機械工業の発展――』同文舘 )
橋本毅彦、2013『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』
講談社学術文庫
丸川知雄、2013『現代中国経済』有斐閣
渡辺幸男、2016『現代中国産業発展の研究 
製造業実態調査から得た発展論理』慶應義塾大学出版会


2017年8月29日火曜日

8月29日 庭の芙蓉の1日

今年も庭の芙蓉が賑やかに咲きました。
写真は数本の芙蓉の木がまとまっているものですが、
毎年、刈り込みをしているにもかかわらず、
年々巨大化しています。

初夏までに芙蓉の木の先に池の鯉が見えたのですが、
今は、完全に池が隠れ、この方向からは鯉を見ることをできません。

別の角度から見た芙蓉です。
こちらからも池を隠しています。

午後3時過ぎの芙蓉、少し花びらがつぼみ、色が濃くなります。
風情が変わり、異なる表情を見ることができます。

午後5時前の芙蓉です。

午後5時半ごろの芙蓉、ほとんど閉じています。


今年は、鯉が産卵し、稚魚が孵りました。
20匹余が、育っています。
もう少し大きくなったら、紹介したいと思っています。


2017年8月4日金曜日

8月4日 鴻海についての日経記事を読んで

呉詠航、伊原健作、多部田俊輔、兼松雄一郎「鴻海、米で巨額投資の賭け
  TV生産、シャープと連携 アップル依存度下げ」
           (日本経済新聞、201783日、p.11)を読んで
渡辺幸男
 上記の日経の記事は、EMSである鴻海精密工業の米国での工場建設についての記事であり、EMSについて考察を深めたい私にとって大変興味深いものである。その第一は、「会社資料などからの推計」と注記されているが、下に転載した2つの図である。本文に照らしてみれば、鴻海は、アップル社から2000年にiMacという完成品を受託生産するようになってから、アップル社への依存度を高め、2012年には60%近くになっている。同時にそれ以降は、iPhoneの生産急増、すなわち鴻海のアップル社からの受託生産の急増にもかかわらず、アップル社への依存度は50%強で推移し、依存度は高まっていない。鴻海のEMSとしての急成長は、記事本文で見る限り、2016年度に四半世紀ぶりに減収となり、そこで止まったようである。逆に言えば、鴻海の売り上げは2015年度までは増大していたが、その過程で、アップル依存度は50%強から高まることはなく、アップル社以外からの受託生産の伸びも同様に高かったことになる。
 さらに注目すべきことは、2015年度までは成長しているにもかかわらず、中国からの輸出は、絶対額で減少している下段の図である。このことは、アップル社が「インドで現地生産を進めるスマートフォン「iPhone SE」の組み立て先に選んだのは台湾の電子機器受託製造会社、緯創資通(ウィストロン)の工場」であり、「鴻海もアップルのライバルであるOppoや華為技術など中国勢との付き合いを深めている」ということ、すなわち、中国国内の販売で、アップルのiPhoneを上回る販売台数を実現している上位企業とも鴻海は取引があり、その結果として中国国内の販売を増加させていることの反映が、中国からの輸出の微減につながっているように見えることである(1)
 711日にこのブログで紹介した Financial Timesの記事でも、鴻海はインドで小米等の中国メーカーからの受託生産をおこなっていると紹介されている。ここから見えてくることは、鴻海にとってスマホ生産の受託先としてのアップル社は、重要なお得意先ではあることは確かであるが、他の競合メーカーからも幅広く生産を受託し、企業成長を実現してきたということである。
 サムスンと世界市場では1・2を争うアップル社の主要生産受託企業であり、その受託生産を主として中国でおこなっている鴻海は、同時にスマホの急成長企業からも生産受託するEMSであり、特定企業に依存する企業ではない、ということをこのことは示している。

       
     
           出所:日本経済新聞、201783


 このように見てくると、下段の図の見出し「鴻海の中国からの輸出は伸び悩んでいる」という見出しは、妥当なものなのかどうか、疑問が生じる。15年から16年にかけての減少はアップル社絡みと想像することも可能であるが、12年から15年まで輸出が横ばいなのは、「輸出が伸び悩んでいる」というよりも、中国国内販売がアップル以外からの受託生産により増えていることで、鴻海が企業成長を遂げていたことを示すものといえそうである。それゆえ図からの示唆は、中国での生産は増えたが、中国での国内販売も増えたので、輸出は横ばい、ということであろう。
 なお、この記事自体の中心は、中国からの輸出というよりも、買収したシャープの技術を生かし、液晶パネルやテレビ等の米国での自社製品、それも部品だけではなく完成品用の工場の建設も計画しているということである。EMSとして完成品受託生産で急成長し、世界的な巨大企業となった鴻海が、受託生産から自社ブランド製品の生産へと乗り出す、という話である。
 かつてパソコンで台湾のエイサーが受託生産企業から出発し、自社製品を開発生産販売するメーカーとなった道を、鴻海も歩もうとしているのであろう。ファブレスメーカーの受け皿としての受託生産専門企業から、完成品メーカーとなることが、共存可能なのであろうか。確かに自転車産業では、台湾の巨大機械工業、ジャイアントは、受託生産で成長を本格化し、その後も自社ブランドメーカーとして大きく成長しながら、受託生産も行なっていた。最終市場で直接競合する企業からの受託をジャイアントが共存できたのは、委託側の企業、その多くは米国企業であるが、それらの企業にとっては受託生産企業として選択肢が、ほとんど台湾企業しかなく、かつ主要市場をある程度棲み分けることで、共存可能になったことにあったようである(渡辺・周・駒形編著(2009)を参照)。鴻海についても、シャープのブランドと製品開発力を活かし、完成品メーカーとして、どのような展開を示すか、注目すべき点であろう。
 ただ、鴻海の場合、受託生産の現在の中心であるスマホでのメーカー化ではなく、テレビへの進出ということであるので、ジャイアントのような問題は生じないと言えるかもしれない。しかしながら、耐久消費財の完成品メーカーになるということは、新たに必要なのは製品技術だけではなく、マーケティング能力や販売網構築も不可欠である。企業買収を通して内部化することを含め、このような能力を鴻海がいかに構築するか、これから注目したい点である。

補足:以上が、この記事を通して、私が感じたことであるが、内容とは別に、この記事の中で、言葉遣いとして気になった点が2箇所ほどあった。それについて最後に言及しておきたい。
 1つは、「鴻海の狙いは米国で薄型テレビを一貫生産する体制を築くことだ。水平分業から垂直統合にモデルチェンジする戦略の一環となる」という表現である。ここで「垂直統合」化というのは、社会的分業概念から見て、妥当なことと思われるが、その前の「水平分業」とは何を言っているのであろうか。「垂直統合」の対概念は「垂直(社会的)分業」である。ある財の生産において川上工程と川下工程が別々の企業によって担われているのが後者である。それに対して、川上と川下を同一企業内に取り込んでいる状況が「垂直統合」である。
 他方で「水平(社会的)分業」とは、完成品間や部品間で異なる企業が生産をしていることを指している。それゆえ「水平分業」の対概念は、同じレベルの完成品あるいは部品について複数以上の種類の財を同一企業内で生産する「多角化」である。鴻海の今回の変化は、このような多角化では全くない。EMSとして受託生産だけに特化していた企業が、液晶パネルからテレビまで、自社製品として開発生産し販売するようになることを「水平分業から垂直統合にモデルチェンジ」というのは、意味不明の表現といえよう。
 今1つは「アップルも受託先を鴻海以外にも広げ始めた」という表現である。これは経済学的な概念の使い回し以前に、日本語の問題である。アップルの受託先はどこなのであろうか。鴻海の受託先はアップルであるが、アップルは受託生産をしておらず生産を委託しているだけであるから、「アップル」の「受託先」は存在しない。これは日本語として「アップルも委託先を鴻海以外にも広げ始めた」というのが正しいといえよう。
 内容的に興味深く、かつ私にとっては手に入れ難い貴重な情報を提供している記事だけに、この2つの不適切な表現は極めて残念であった。

(1)  20178月4日付日本経済新聞(p.11)の記事、中村裕「アップル、中国5位に後退」でのIDC調べの結果によれば、2017年第2四半期の中国市場でのスマホの出荷台数上位5社のうち、ファーウェイ(21.0)を筆頭に4位の小米(12.7%)までが中国系の地元企業であり、アップル社は7.1%のシェアで第5位になったということである。

参考文献
呉詠航、伊原健作、多部田俊輔、兼松雄一郎「鴻海、米で巨額投資の賭け
   TV生産、シャープと連携 アップル依存度下げ」
                  日本経済新聞、201783日、p.11
渡辺幸男・周立群・駒形哲哉編著、2009『東アジア自転車産業論

       日中台における産業発展と分業の再編』慶應義塾大学出版会