坂田正三『ベトナムの「専業村」−経済発展と農村工業化のダイナミズム−』
(研究双書No.628、アジア経済研究所、2017年) を読んで
産業発展研究の視点からのコメントないし感想、そしてそこからの想像
渡辺 幸男
本書の構成
序章 専業村とは何か
第1章 統計データに見るベトナム農村の労働力と家内労働の実態
第2章 鉄鋼専業村の発展 –ドイモイと農村工業化−
第3章 鉄鋼専業村の労働者たち
第4章 螺鈿細工村の「伝統」の変化
第5章 木工専業村における技術移転
第6章 誰が家内工業で働いているのか? −専業村近隣農村の労働市場−
終章 「工業化・近代化」のなかの専業村
あとがき
参考文献
1 本書の内容
本書はベトナムの専業村での工業発展の存在の確認とともにそのあり方を明らかにし、またそこで働く人々の属性等を明確にすることを、幾つかの専業村での実態調査を通して目指している、興味深い調査研究書である。貿易統計等の数字のみでベトナム等の産業状況を語ることができるとするかのような議論とは異なった、産業発展の具体的な姿に迫ろうとする著作である。
本書で具体的に調査対象となったのは、鉄製品の建設資材を生産する村、螺鈿細工の村、木製家具生産の村といった、ベトナム北部の村々の産業集積である。これらの村の家内工業的な企業群へのアンケートと聞き取りを通して、それらの企業群の具体的な存立実態の解明を目指している。統計による把握に偏って、実際に生じていることをあまり見ないような産業研究が多い中、本書の研究姿勢は、高く評価される。
調査対象の「専業村」に存在する在来工業から発展した産業集積は、基本的に小規模な家内工業が多く、大きくても中小企業止まりの経営から成り立つ産業集積である。技術的にも、最新の工業技術に基づくものではなく、伝統的な技術の上に一定の発展を実現して、それなりに高度化を遂げている産業集積でもある。その際、注目されているのは、鉄製品では「中国から電炉を購入」(同書、p.52)していることであり、木工家具生産ではNC彫刻機の採用である。同時に、調査対象の村で見られた「NC彫刻機は、すべて中国から輸入されたもの」とも指摘し、「中国人技術者が機械の使い方を指導」(同書、p.119)しているとも述べている。
何れにしても、伝統産業に基づく産業集積、しかも小規模な家内工業が多い産業集積でも、競争を通して販路の新規開拓や技術の積極的向上がありうるのであり、伝統の技法と分業に拘泥しているわけではないことを、専業村の実態調査研究を通して明らかにしている。すなわち、競争の中で、新市場を開拓し、技術的高度化を実現することができる産業集積であること、発展展望をそれなりに持ちうる産業集積であることを、集積の実態調査を通して、明確にしている。ベトナム政府が主導し、提唱している「近代工業」の導入とは異なる経路での在来工業の近代工業化が存在することを、実際に現場に入ることで明らかにした著作といえる。
以上のような意味で、本書は、私にとってベトナムの工業化の具体的な姿を知る上で、大変勉強になった著作である。
2 より突っ込んだ議論が欲しかった点の1
「専業村」企業の高度化と中国の関係とその意味
ただ、ここで私が紹介し議論したい点は、筆者の坂田氏自身による注目点である上記の他にも存在した。それらは、具体的な事例の叙述の中では、その存在が明確に言われているのであるが、評価の際には、積極的に主張されていない点である。そのような点の1つとして私が注目したのは、中国企業の存在とその意味についてである。専業村の中で近代的な技術・機械が導入されている例として、先に紹介した鉄製品での電炉と木工家具でのNC彫刻機が紹介されているが、いずれも中国製のそれであることが、それぞれの章で言及されている。しかも、これら機械の導入に際しては、中国人技術者が現地に指導に来たこと、また、専業村にとっての鉄製品の新製品の生産開始には専業村の人間が中国の工場に出向いて学んだこと(同書、p.56)を述べている。
このような産業機械の導入、普及は、まさに私が中国の温州の産業発展の中で見てきた中国の中小産業機械メーカーのあり方を、ユーザーの方から見たものということができる。
特に問題とすべきは、坂田氏が、これらの専業村には計画経済期のベトナム国有企業からの中古機械や技術者が入ってきているとしながら、実際に競争の中で技術や製品面での高度化が始まると、ベトナムの設備機械の導入やベトナム人技術者の指導ではなく、中国製の設備機械導入や中国人の技術者の指導、そして中国工場への訪問が、中心的トピックスとなっていることである。
私が見てきた中国の中小産業機械メーカーのあり方は、最先端の産業機械を作ることではなく、中国のユーザーにとって必要な水準に産業機械の性能や機能を簡便化し使い勝手をよくするという開発をし、また機械に不慣れな手工業的な生産をしてきたユーザーにとって機械を使用することが可能にするように、据付けから試運転、そして機械操作の指導を行い、機械を一応使いこなせるようにするサービスを常に提供していることであった。また、問題が起これば、すぐに担当者を派遣し対応するということを、小規模な産業機械メーカーでも中国国内の遠隔地のユーザー向けに行っていた(渡辺幸男(2016年)を参照)。
これと同様なことが、中国企業そして中国人技術者によって、ベトナムの鉄製品の専業村や木製家具の専業村の家内工業を中心とした企業群の高度化の際に行われていた、ということが本書では指摘されていると言える。しかし、坂田氏の議論は具体的な事実の存在の指摘に止まっており、そのこと自体を積極的に、何故ベトナム企業ではなくて中国企業なのかを含め、内実的に追究することはしていない。残念としか言いようがない。
私の勝手な想像では、ベトナムの国有産業機械メーカーは、中国の国有大企業と同様に、基本的に小規模ユーザーのニーズに応える能力、あるいは努力に欠けており、そもそも中国の中小産業機械メーカーのような行動はとれないという事である。同時に、ベトナムでは、中国のように地元のニーズに対応した中小の産業機械メーカーの新生がないという事を意味していると言えそうである。
特定の専業村の数百単位のユーザーに限定されない、多数の潜在的ユーザーが一斉に形成されたからこそ、中国では、そのような新興小企業向けにその企業群に適した産業機械を開発し、さらにはそれをユーザーフレンドリィな形で提供するということが生じた。また、中国内には、そのようなニーズに対応しようとする技術者としての能力を保有する起業家が多数存在していた。既存企業が埋めることができない市場が一挙に形成され、その担い手となりうる起業家層が存在していたのが中国の改革開放後である。そのような中国の起業家そしてその結果として形成された中国中小産業機械メーカーの存在が、ベトナムの専業村の高度化を可能にした。このように見ることができるのではないか。これが、私が坂田著を読んで、膨らませた想像である。
残念ながら、坂田著を読む限りでは私の想像の妥当性を示すものは存在しない。ただ、想像の存在可能性を否定できないだけである。
3 より突っ込んだ議論が欲しかった点の2
「専業村」企業と市場開拓での主導性
また、これら専業村の製品の市場についても、坂田氏があまり注目していない論点が存在する。鉄製品では、明らかにベトナム国内建設用の、安価な資材の供給が中心である。その意味で、ベトナム国内の既存の近代工業大企業が充足しない鉄製品についての安価品の拡大する市場を開拓した結果、専業村が拡大していると見ることができる。その村が、中国で発展した安価な建設資材用の電炉等を活用し、一層高度化し、ベトナム国内の新形成市場を充足している、と見ることができそうである。
他方で、木工家具等については、地元ドンキの商人の中国向け輸出とともに、重要な販売・輸出の担い手としての中国商人による当地での買い付けに言及されている。このように、螺鈿細工とともに、国内市場に限定されない市場を開拓しているようである。その開拓過程が、ベトナム商人による中国市場等の開拓なのか、あるいは国境貿易での中国商人によって始められたものなのか、さらには現在の主導権がどちらにあるのか、また、具体的にどのような形でベトナム商人と中国商人の取引が行われ競争が存在しているのか。残念ながら、これらの点についてのより突っ込んだ検討はない。
中国の温州モデルと言われるような郷鎮企業による産業集積の形成は、地元の商人層が、中国全域、さらには諸外国へと進出し、温州に市場情報をもたらし、産業集積それ自体の自立的な市場開拓と産業としての高度化を実現するに至っている。地元商人に主導された市場開拓の場合と、海外商人主導の市場との繋がり形成では、その後の展開で大きな差異をもたらす可能性が大きい。(日本の海外市場向けの産地の多くは、海外からのバイヤー依存であったが故に、産地のメーカーが海外市場の情報を迅速に入手することが困難であり、海外市場の変化に積極的に対応することが難しかった。日本の多くの産地では、産地問屋が存在し、海外需要の窓口となり、生産者を組織していた。しかし、海外市場での流通それ自体は、海外バイヤーに依存する形態が多かった。それゆえ、国内生産者やその組織者が、直接輸出先市場の状況を把握し、それに基づき行動することは容易ではなかった。)
4 チャウケーの鉄製品専業村は「温州モデル」か
また、本書では、チャウケーの鉄製品の産業集積を、民間金融に依存し市場メカニズムに従った発展ということで中国の「「温州モデル」に近い発展を遂げてきた」(同書、p.58)としている。確かに蘇南モデルや珠江モデルと比べれば、温州モデルに近いとは言える。しかし、私から見るならば、温州に存在していたのは、単に民間主導の企業と金融のみではなく、市場開拓と生産体系の両面で自立的な発展、それを支える新興企業群、地元出身の商人群とともに、地場の産業機械メーカー群の存在という構図である。それらが柔軟な生産体制を構築することを可能とし、中国国内に生じた新たなニーズを開拓しそれに対応することを可能とし、外資や国有企業が参入できない巨大な市場を発見し開拓することにつながったと言える。さらには、温州商人自身が、日本の産地問屋と異なり、海外での販売ネットワークを構築していた。それと対比した時、チャウケーに存在する専業村の産業集積は、機能的に極めて限定的であるように、私には思えるが、この点でも「温州モデル」に近いと主張するより突っ込んだ根拠に基づいた議論はない。
確かに、チャウケーの鉄製品も、ベトナムに生じた建設需要の底辺部分を充足するという市場を発見し、開拓し、自らの成長につなげてきたと言える。その意味では中国の民間新興企業の発展の姿と重なるものがある。しかし、同時に、その技術的高度化を可能にしている存在は、自地域内というどころか自国内のものでもない、中国の機械と技術者に依存している。ここからは私の想像だが、チャウケーが必要とする高度化のための機械は、中国でも先端的な技術を体現しようとしている機械メーカーの製品ではなく、温州の新興中小産業機械メーカーが生産するような、近代技術を初めて導入する小規模企業にとってフレンドリィな簡便化開発された機械ではないかと考えられる。だからこそ、ベトナムの手工業的に生産を開始した専業村の小企業も、より近代工業的な設備機械に基づく技術を導入することができたのであろう。他方で、ベトナムの国有企業を基とする先進工業国の設備機械へのキャッチアップのみを念頭に置いているような設備機械メーカーでは充足できない需要であったと考えられる。
温州モデルを、単に主導する企業が民営企業であり、民間金融に依存して発展したとだけ把握すれば、ベトナムの専業村の発展もそれに近いものと言える。しかしながら、以上のような意味で、温州での産業発展の論理をより突っ込んで把握するとき、ベトナムの専業村での産業発展が温州モデルと類似のものということは、産業発展研究の視点から見れば、難しいと、私は考える。
5 終わりに
以上見てきたように、本書での「専業村」の調査研究は、専業村それ自体の存在状況とそこで働く人々の状況については、多くの有意義な情報を提供している、興味深い研究であると言える。その上で、産業発展研究として私が知りたい論点、技術高度化と中国中小産業機械メーカーとの関連や、販売市場と専業村との関わり方については、必ずしも十分な議論がなされていない。産業発展研究を主題とする私にとっては、ぜひ、上記で指摘し、私の想像を勝手に述べた部分について、著者坂田氏の実態調査に基づいた見解をお聞きしたいところである。
付論 産業発展研究の視点から見た、「専業村」を考える際の枠組み
「専業村」は産業として、どのような枠組みの中で存在しているのか
枠組みとしてみるべき論点
専業村が対応する市場とその市場の置かれた環境
専業村企業にとっての競争状況 専業村内競争、他地域企業との競争
専業村企業にとっての経営資源の賦存状況、調達可能性と経路
専業村内製造企業群の市場との関わりの中での位置
誰が市場情報を把握しているか
誰が製造内容を企画し、決定しているか
誰が流通を担っているか
専業村内の製造企業は、何を巡って競争しているか
市場開拓能力、企画開発力、生産能力、資材調達能力等々
専業村内製造企業の位置についての図解に必要な要素
対象市場 市場情報 製品企画 生産 部材の調達 機械等の導入
参考文献
坂田正三(2017年)『ベトナムの「専業村」
経済発展と農村工業化のダイナミズム』アジア経済研究所研究双書No.628
渡辺幸男(2011年)『現代日本の産業集積研究
実態調査研究と論理的含意』慶應義塾大学出版会
渡辺幸男(2016年)『現代中国産業発展の研究
製造業実態調査から得た発展論理』慶應義塾大学出版会
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