2015年12月30日水曜日

12月30日 シンピジウムと本格的な霜が降りた後の我が家のエントランス

今冬最初に咲いたシンピジウム2本のうちの1本です。

二宮の我が家にも本格的な霜が降りました。
エントランスの花を、昨春の種がこぼれて芽生えた、
マラコイデス、ネメシア、ノースポール中心に切り替えました。

軒下のサルビアも、まだ元気に花を咲かせています。

2015年12月27日日曜日

12月28日 雪の少ない年末の八ケ岳

家族でスキーに車山高原に行きました。
そこから見た八ケ岳です。
雪が少ない冬ですが、八ケ岳は白く輝いていました。



車山高原スキー場には、
人工雪がゲレンデの一部にあり、いくつかのコースだけが滑れるだけでした。
手前の車山高原のペンション街には、雪が全く積もっていません。

28日の夜明けの車山山頂、
冴え冴えとした月が輝く夜明けでしたが、
車山の山頂にも雪はありません。



2015年12月10日木曜日

12月10日 まだ本格的な霜が降りず、サルビアが生き残っています。

霜が降りるのが遅れており、
サルビアが露地でまだ咲いています。

軒下に集めてありますが、本格的な霜がふれば、
あっという間に霜げるのですが。

まだ門の前も飾っています。
後何日もつでしょうか。

2015年12月6日日曜日

12月6日 我が家の花の冬支度が完了しました

漸く、冬支度が完了しました。
軒先にビニールのカーテンをつるすという原始的なものです。

かなり込み合っていますが、
多分冬を越せるのではないかと思っています。

1階のテラスのガラス戸も11月30日に閉め切りました。
こちらも満杯の状態です。

シンピジウムは、
つぼみのついたものをテラスに入れました。

メダカの水槽の上には金蓮花を沢山かけました。 

2015年11月28日土曜日

11月28日 番外編、早朝の散歩で見た富士と丹沢

早朝の散歩で見た、夜明けの富士山
二宮から見た富士山は真っ白になりました


ほぼ満月の月が富士山の真上に輝いてました


二宮を流れる葛川沿いの銀杏が色づきました
奥には丹沢山が見えています
夜明けが遅くなり、6時前に家を出ても、
真っ白なすてきな富士山を見ることができました

2015年11月21日土曜日

11月21日 久し振りの青空、ハゼがより色づき、稚鯉も元気です


久し振りの青空を背景にしたハゼ、
完全な紅葉には、今一息ですが


池の鯉、稚鯉も親鯉も
木漏れ日の深みに集まっています


2015年11月16日月曜日

2015年10月31日土曜日

10月30日 爛漫のホトトギス

ホトトギスが本格的に咲いています。





サルビア、ゼラニウム、金蓮花も、
ホトトギスとともに、我が家の門を彩っています。

2015年10月24日土曜日

10月24日 昨年春に孵した稚鯉が、20匹弱生き残りました


昨年春の同じ時期に孵った稚鯉ですが、今年の夏に池に戻しました。
1年半がたち、かなり育ち方に差が出ています。

親鯉と比較すれば、
きわめて小さいことには変わりませんが。

水が循環している、池の深みに集まっています。
運の良さと強い生命力によって、生き残った20匹弱です。
選別以前の緋鯉の稚鯉たち、たくましさだけは・・・。

2015年10月22日木曜日

10月 新刊予告です。来年4月を目指し、慶應義塾大学出版会から単著を出版することになりました。

 来年4月をめどに、これまでの私の中国産業研究をまとめた単著を、慶應義塾大学出版会から出版することになりました。
 タイトルと章建ては以下のようなものです。副題は多少変わるかもしれませんが、メインタイトルと章建ては、ほぼ確定しています。浙江省温州市と自転車産業での調査研究を軸に、この15年間に書いてきたものを中心にまとめました。中国の産業発展をどう考えるべきか、本格的なレビューがないまま、私の見解を勝手に示した著作です。最近の中国産業発展についての議論を見ていて、私も参加したくなり、本にすることにしました。


タイトル
中国産業発展の研究――製造業実態調査による試論(仮題)


目次
はじめに
序章 中国産業発展研究での方法と課題

〈第1部 温州製造業から見た中国の産業発展〉
第1章 紹興・温州製造業の実態調査での衝撃
第2章 2000年代初頭の温州調査で見えたこと
第3章 温州の産業機械中小企業からの示唆
第4章 温州産業発展をどう見るべきか
補章の1 日本の温州産業研究レビュー

〈第2部 自転車産業から見た中国の産業発展〉
第5章 自転車完成車メーカーの存立状況からの示唆
第6章 自転車部品産業での高度な社会的分業
第7章 自動車のEV化と中小企業                日中のLEV産業の形成過程の差異
第8章 中国自転車産業・LEV産業の展開
     と垂直分裂化の論理

〈第3部 その他の中国産業発展事例〉
第9章 多様な主体の参入とその可能性             2002年の湽博市調査から
10章 華南のステンレス製食器産地からの示唆
補章の2 「激しい競争にいかに対応するか」(2012年度中国経営管理学会招聘報告)についての分析と評論

〈第4部 本格工業化としての中国の産業発展〉
11章 産業論の論理的枠組みと中国産業発展・発展研究
    産業論研究の方法に関する覚書
12章 まとめ                        中国そして日本の産業発展から何が見えたか 

あとがき
主要参考文献

10月22日 ホトトギスが咲き始めました

ホトトギスが本格的に咲き始めました。


秋の陽に輝いています。

2015年10月15日木曜日

10月15日 久し振りに池の鯉を写しました

秋になり、池の周りを刈込み、
鯉がよく見えるようになりました。


黄金系


春より、さらに大きくなっています。


錦鯉より、緋鯉というべきでしょう

2015年9月23日水曜日

9月23日 秋分の日 金木犀が咲きはじめました

お彼岸にあわせて、金木犀が香り始めました。
長男が誕生した年には、9月20日に本格的に香っていましたが、
今年は少し遅れました。
平年より早い気がしますが。


芙蓉も賑やかに咲き続けています
 

2015年9月12日土曜日

9月12日 2度咲きの芙蓉

8月に咲いていた芙蓉が、また咲き始めました
つぼみがまだ多数ついているので、これからも楽しみです

2015年8月28日金曜日

8月28日 秋海棠が咲き始めました

庭のいろいろなところに種が散って、
勝手にはえた秋海棠が、
いろんなところで咲き始めました


本格的な秋の花の開始というところでしょうか


2015年8月26日水曜日

2015年8月5日水曜日

8月5日 我が家のブラウンリリーと野牡丹

勝手にはえたブラウンリリーが綺麗に咲いています

      ブラウンリリーのブラウンは外側に薄い茶色の筋に由来するそうです。
正面から見ると、白い百合としか見えません。
種が勝手に散り、翌年、いくつかはえて増え続けています。

7月28日 我が家の野牡丹も咲き続けています

2015年7月19日日曜日

7月19日 梅雨明け、サルスベリの白い花と満開のサンパラソル


梅雨明けともに、我が家のサルスベリの白い花が咲き始めました


          サンパラソルは、ますます賑やかに咲いています

2015年7月2日木曜日

7月2日 雨上がりのサルビアと、グラジオラス

7月1日 雨が降る前にプランタで咲いたグラジオラスを玄関に飾りました
例年になく巨大な花が咲きました


7月2日 雨上がりのサルビアが冴えています


研究ノート  中国産業発展研究試論1  加藤弘之「曖昧な制度」を巡る加藤弘之・中兼和津次論争*をどう見るべきか


研究ノート
 中国産業発展研究試論1
 加藤弘之「曖昧な制度」を巡る
  加藤弘之・中兼和津次論争をどう見るべきか
渡辺幸男
* 加藤弘之『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』(NTT出版、2013年)(以下、著書)を巡る、中兼和津次「「曖昧な制度」とは何か-加藤弘之『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』を読んで-」(『中国経済研究11巻1号』)と、加藤弘之「中兼和津次氏の「曖昧な制度」批判に答える」(『中国経済研究11巻2号』)(以下、リプライ)の議論をさしている。

目次
0 はじめに

1 加藤弘之氏のいう「曖昧な制度」とは何か

2 中兼和津次氏の書評論文「「曖昧な制度」とは何か」での議論

3 両者の論争をどう考え、位置づけるべきか

3の補論 渡邉真理子氏による正統派経済学からのアプローチ

4 中国の経済発展の独自性としての既存の3つの見解

5 筆者が考慮すべきと考える中国経済発展要因としての中国産業の特徴
1) 中国企業が直面した市場の特徴
2) 市場・生産体系がおかれた外的環境の変化
3) 激しい参入と競争の主体側条件
4) 結果としての競争の状況

6 中国経済・産業発展の独自性と対比しうる日本の経済・産業発展の独自性

7 日中で大きく異なる独自な産業体系の形成をもたらした環境の違いは何か

8 まとめにかえて 日中の産業発展から見えてきたこと

0, はじめに
 筆者は、日本の中小企業、特に工業部門中小企業からみた、日本の産業発展の実態調査研究を積み重ねてきた研究者である。この様な蓄積を前提に、縁あって、2000年から中国産業発展に関する現地調査を始め、中国の産業発展をどのように把握すべきか考察してきた。このような視点から中国産業発展について考察してきたものにとって、近年出版された加藤弘之著『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』をめぐって展開された中兼和津次氏と加藤弘之氏の論争は、大変興味深いものであった。
 そこでは、中国の独自な経済発展、特にその中でも独自な産業発展を、どのような論理的枠組みで把握したら良いのか、と言う問題意識に基づき議論が展開されたと、筆者は認識した。同時に、両氏の議論は、後ほど述べるように、必ずしも中国産業発展それ自体を把握するための論理的枠組みそれ自体の展開をめぐるものではないと感じられた。中国産業発展を把握するための論理的枠組みからみた時、両氏の論争をどのように位置づけることができるかを、まずは検討する。その上で、両氏の議論を踏まえた時、中国産業発展研究のために必要な論理的枠組みとはどのようなものであるべきか、筆者の見解を提示する。
 その際、筆者が注目している論点は、まずは何よりも曖昧な制度だけで独自性を説明可能か、ということである。加藤氏のいう「曖昧な制度」が説明しようとしていることは、豊富な多様な参入主体の形成であり、多様な多数の起業家・企業家を支援するしくみとみられる。まず問題と思われるのは、中国の産業発展の独自性を考察する時、参入主体の側の論理のみで十分なのか、ということである。主体の側だけではなく、市場のあり方と市場の置かれた環境を検討の枠組みに入れるべきではないかという疑問である。さらに、参入する主体についても、「曖昧な制度」は曖昧なのか、と言う疑問がある。「曖昧な制度」は、既存の理論の枠組みからはみ出ているだけで、論理的に説明可能な存在ではないのか、また、そうであれば、その論理はどのようなものであろうか、と言う論点である。このような論点が存在することを念頭に、以下、加藤氏と中兼氏の論争を出発点に、中国の産業発展を、どのように考えるべきなのかについて、筆者なりの検討を加えていきたい。

1, 加藤氏のいう「曖昧な制度」とは何か 
   加藤弘之氏の著作が何を議論しているか、筆者なりの要約
 加藤弘之氏の著作の第1章では、「躍進する中国をどう捉えるか」というタイトルのもとで、4つの特徴を指摘されている。1つは、「ルールなき(ルールが曖昧な)環境の下での異なる経済主体の間で激烈な競争」である。2番目は、「国有経済のウエイトが高い混合体制」であり、しかも「1つの市場に国有企業と民営企業とが並存」し、さらには「1企業の中に国有と民営の要素が融合」という特徴があるとしている。さらに、その「国有企業は・・・国有資産の増大を最終目的とする経済実体」と指摘する。第3に、「独自の中央-地方関係の下で、地方政府間で疑似的な市場競争に似た成長競争」が存在し、「経済成長に成功したものが昇進できるという仕組み」であるとする。4つ目に、「官僚・党支配層がある種の利益集団を形成」し、「組織の利益追求」と指摘される(加藤弘之2013、pp.13・14)。
 そして、「「曖昧な制度」が中国型資本主義を特徴づける4つの特徴の背後にあり、それらを統合し、有効に機能させる触媒のような役割を果たしている」(同、p.15)と位置づけている。主体の形成とそのあり方をめぐって、「曖昧な制度」の意味付けが行われている。
 その上で、第2章では、「「曖昧な制度」の特徴」が「箇条書き」的に示される。
第1は、「組織の「曖昧さ」」であり、「国有企業であっても民営企業のように商業利益を追求」していることと指摘される。第2には、「責任の「曖昧さ」」であり、「実施主体と責任との関係がはなはだ曖昧」と述べられる。3つめは、「ルールの「曖昧さ」」であり、4番目に「目標モデルの「曖昧さ」」(同、pp.42・43)が指摘される。その上で、これらを、「制度化の遅れがもたらす「曖昧さ」」であり、「中国独自の制度的特徴としての「曖昧さ」」(同、p.44)としている。
 第3章では「歴史の中の「曖昧な制度」」が取り上げられ、歴史的に存在した「「曖昧な」官民関係が今日まで引き継がれている」(同、p.69)と指摘される。その上で、「「中国的なるもの」の本質が「曖昧な制度」にあると主張したい」(同、p.76)とされる。中でも「包」に注目し、「「包」の倫理規律は、不確実性の高い経済環境において、経済成長を促進する役割を果たした」(同、p.79)と指摘する。
 第4章から第6章の3つの章では、現代の「曖昧な制度」が、「国家と民営が並存する「曖昧な制度」」、「競争する地方政府と官僚」、「利益集団化する官僚・党支配層」という3つの側面から議論される。
 そこでは、「国有と民営とが並存する「曖昧な制度」の下で、国有企業はむしろ民営企業の行動原理に近い」(同、p.111)と述べられ、「中央-地方関係における独特の構造」(同、p.145)が存在することが指摘され、「国家を構成する各組織は、上からの指令を下に伝える伝導管のような役割を果たす一方で、(条件が許せば)上級政府の指示から独立して、単独あるいは周辺組織と一緒になって自己の利益を追求している」(同、p.173)ことが述べられる。
 締めくくりの章である第8章「中国モデルと「曖昧な制度」」では、このように現代の中国は、「国有経済が大きなウエイトを占めていても激しい競争が存在すること、政府があたかも企業のように行動していること、腐敗の中で高度成長が進んだことなど、中国経済には経済学の教科書的理解を超えた実態(下線は引用者)がある」としている。その上で、「本書は、これらの個別の特徴を組み合わせ、それを整合的なシステムに結びつけている要素(下線は引用者)として、「曖昧な制度」に注目した」(同、p.218)と述べている。
 このような著者の主張から見えてくることは、「曖昧な制度」とは、「経済学の教科書的理解を超えた実態」のもととなっているものであると同時に、「整合的にシステム」として結びつける要素として機能しているということのようである。すなわち、「曖昧な制度」を理解し、それの機能を把握すれば、整合的なシステムとして理解可能なのが、中国の経済システムでもあるということでもある。中国経済とその発展は、既存の経済学的理論を基準としてみると曖昧で、理解困難であるが、同時に、中国経済としての独自な論理を内包した制度である「曖昧な制度」を通して「整合的」な「システム」として理解可能な経済であり経済発展でもあると述べているとみることができる。
 しかしながら、加藤弘之著『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』のなかでは、具体的な形で「曖昧な制度」により結びつけられた「整合的なシステム」それ自体については、突っ込んだ検討は加えられていない。これまで紹介したように、「曖昧な制度」の諸側面や諸特徴が指摘されるのみである。その上で、それらを「曖昧な制度」が結びつけているとするのである。この「曖昧な制度」そして「曖昧」さとは何かを巡り、中兼和津次氏により批判的検討が行われた。以下では、中兼氏が何を問題としたのか、その点に焦点を絞り、氏の書評論文を紹介したい。

2, 中兼和津次氏の書評論文「「曖昧な制度」とは何か」での議論
 同書評論文では、まずは「その台頭と長期に渡る成長のメカニズムを冷静に、論理的に説明することが中国研究者に求められている」とし、「現代中国には定説や通念では説明できない、あるいは説明しにくいいくつかの「パズル」やパラドックス(逆説)がある」(同、p.47)と指摘する。そして「経済発展の歴史は近代化の歴史であり、市場化と制度化は相伴って進んできたのではない」とし、中国の経済発展は「従来の近代化論や「正統派経済学(あるいは政治学)」では説明できない現象だからである」とする。
 その上で、「伝統とか文化に発展の基本的要因を求めるにはどうしても躊躇せざるを得ない。それは「最後の拠り所」ではなかろうか」と述べ、「他にもっと積極的な社会科学的説明はないだろうか?」(同、p.48)と、独自な発展展開の要因について、当該社会の独自な伝統に回帰しない、社会科学的な説明の必要性を強調される。しかしながら、書評論文の多くは、中国の経済発展の社会科学的な説明に向けての努力それ自体ではなく、「「曖昧な制度」に焦点を当てて著者の議論を整理し、その意味と含意を評者なりに捉え直し、その制度と成長との関係を中心に著者の発想やそこに潜んでいる問題点について考えてみる」(同、p.49)という形で、加藤弘之氏のいう「曖昧な制度」とはどのようなものか、その「曖昧」さの内容の検討へと議論の中心を移している。

3, 両者の論争をどう考え、位置づけるべきか
 両者の間の論争から見えてくる、まず必要なことは、加藤弘之氏の言うところの「曖昧な制度」に結びつけられる「整合的なシステム」それ自体について具体的に解明することであり、そして中兼和津次氏が言うところの「積極的な社会科学的説明」を具体的に展開することではないかということである。しかしながら、両氏の議論を通しては、既存の理論からみた中国の制度の曖昧さを、どのようなものであるか位置づけてが両氏の論争の中心となっており、中国経済のダイナミズムそれ自体は説明されない。
 両氏がそれぞれなりに認識されているように、中国の経済発展の論理は、既存の理論とは大きくズレていることを認識することは重要である。既存の理論を当て嵌め、それだけで中国の経済発展を説明することは不可能であり、かつ意味が無いといえる。この限りでは、両氏の論争は、共通の認識の上に立っており、この点では、筆者も同じ立場にあるということができる。しかし、その上で、両氏とも言及されている、「整合的システム」としての具体的かつ論理的な理解、「社会科学的な説明」への努力を具体的に行うことが重要であるといえる。その点について、残念ながら、加藤氏の著作は考慮すべき論点を「曖昧な」諸制度の紹介として提示しているのみで、その「曖昧な」諸制度が、中国経済を「整合的なシステム」として機能させ、中国経済で激しい競争やそれ故の急速な独自な形態での経済発展の実現を可能にした内容、整合的システムの内容を提示するには至っていない。

 結果として、加藤氏が言う中国型資本主義の第1の特徴である「さまざまなレベルで自由資本主義を上回るような激しい市場競争が存在すること」、「ルールなき(ルールが曖昧な)環境の下で、異なる経済主体のあいだで激烈な競争が展開されていること」(著書、p.13)が、何故形成され、その中で触媒としての「曖昧な制度」がどのように位置づけられるかについては、中国型資本主義の特徴とその形成に関連して問題提起をしていながら、事実上検討していない。あるいは、改めての検討の必要性を感じていないように思われる。なおリプライでは、「垂直分裂に代表される中国独自の産業組織がいかに形成されたかを論じる時、制度の歴史的な連続性という視点は一定の有効性を持つ」(リプライ、p.83)とも述べている。

 中兼氏の批判、そして加藤氏による反論では、あくまでも「曖昧な制度」とはどのようなものをさすかについての議論に終始していると見ることができよう。それゆえ、加藤氏の議論にとって残されている最大の課題である「曖昧な制度」を含めた要因や「触媒」が、どのようにして、何故中国型資本主義の特徴をもたらしたか、という点についての検討はなされていない。
 以下では、加藤弘之、中兼和津次両氏が中国資本主義の特徴として共有し、筆者も同様に考え、丸川知雄氏も繰り返し強調されている垂直分裂的社会的分業下で激しい競争が、何故生じるのか、この点に焦点を定め、「曖昧な制度」が意味するものは具体的にはどのようなものかと、「曖昧な制度」を含め、どのように激しい競争の形成を説明するべきなのかについて、筆者の視角から議論する。特に激しい競争を参入する企業主体の側のみにより説明することは不充分であり、激しい競争が行われる市場とその置かれた環境についても考慮しなければならないというのが、筆者が強調したいことでもある。

 筆者から見た、両者の議論の位置と筆者の位置
 何のための研究か、中国型資本主義について、両者の議論が追究するものは、「開発経済学の事例としての中国研究」に対する「中国経済地域の発展研究」となるであろう。しかし、筆者の追究視点は異なる。筆者の視点は、中国経済発展の論理の追究を通し、そこから先進経済化への転化の論理構築への含意を得ることである。筆者の浅い勉学で見ると、開発経済学は、いくつかの関連要素について数量化された水準を達成することで、本格的工業化が進展し、先進経済化が可能となると見ているように感じられる。
 しかしそうなのであろうか。本格的工業化が進行するには、飛躍が必要であり、そのためにそれぞれの経済なりの独自な跳躍板を見つけ出すことが必要なのではないか。要素の集合の蓄積の一定水準達成の先に先進工業が見えてくるのではなく、それぞれの独自な飛躍の結果、いくつかの経済は、日本経済のように先進工業化するのではないか。そのいわばそれぞれにとっての跳躍板を、それぞれの先進工業化事例を通して、発見し、先進工業化を目指す新興国経済にとってのそれぞれにとって、それぞれの跳躍板とはどのようなものでありうるのかを追究する。このような発想が必要ではないかと考えている。その中で、主体の供給側と主体が活動する市場のあり方の双方が重要だと考えている。

3の補論 渡邉真理子氏による正統派経済学からのアプローチ
 このような筆者の視角に対して、正統派経済学の流れの中にある枠組みから、垂直的社会的分業の下での激しい競争を説明しようとする試みが、渡邉真理子氏によってなされた。垂直的社会的分業(垂直分裂)が、何故中国産業で一般化しているかについては、渡邉真理子氏は「「旺盛な参入と低い価格」をめぐる分析枠組み」(渡邉真理子編著『中国の産業はどのように発展してきたか』(勁草書房、2013年)の第1章)で説明を試みている。そこでは、旺盛な参入と垂直分裂の広範化を、基本的に取引コストの議論等を利用する形で、ミクロの経営戦略論の既存の議論の枠組みから検討し説明することが試みられている。
 そこでは、「分散的な市場、参入企業の多さという多くの産業にわたる観察が指摘してきた事実がなぜ起きているのか」と問い、「それを可能にした要因は、参入費用の低さ、固定費の低さであると類推できる。そして、この低い参入費用を実現しているのは、垂直分裂を志向する企業の戦略ではないか」とする。この「垂直分裂現象の背後にある固定費を回避しようという志向は、旺盛な参入と同時に低い価格をもたらしている、と主張できる」とする。
 さらには、「固定費を回避しようとする戦略を多くの企業が持つことで、その需要にこたえようとそれを実現するようなしくみが提供されるようになっている」とし、それが「プラットフォーム」であるとのべている。「結果としてより多くの企業が容易にひとつの市場に参入することができるようになった」と結論づけている(以上の「」内は、上記編著の40ページからの引用である)さらに、それを「「疑似完全競争的」な市場の特徴」(同書、41ページ)ともよんでいる。
 筆者はこのような分析姿勢に関して、根本的な疑問を持っている。すなわち、先進工業国に見られるような、歴史的に寡占的市場構造が形成され、その中での経営的選択の1つとして垂直分裂等を位置づけ、その寡占的市場経済での議論から生まれた理論的枠組みで、中国の現象を説明することは、根本的に無理があると思っている。ましてや、最終的な特徴付けが、「擬似完全競争的」な市場というのでは、そもそも寡占的企業間の競争を巡る議論である垂直統合化を巡る議論を検討する必要などはなかったといえる。
 問われるべきは、現代工業であるにもかかわらず、なぜ、中国では寡占的市場支配が形成されないのか、さらにそれが1990年代に留まらず、2000年代にも継続されたと見られるのは何故かであり、これこそが重要な論点であろう。
 中国の現象は、中国のおかれた状況、極めて独自な状況を前提として、初めて説明可能になると、筆者は考える。だからこそ、他の先進工業国では、特定の少数の産業でしか見られない垂直的社会的分業の深化が、先進工業国では全く見られないような産業を含め、広範な産業で観察可能となったのである。これが、筆者が10年余にわたり、中国現地の中小企業を中心に聴取り調査をおこなった結果として認識した、極めて重要な点である。渡邉真理子氏の議論は、先進工業国を観察対象とし、そこから生まれた理論のみで説明をしようと試みたものと理解される。そのことのもつ限界を露呈するものともいえよう。独自な市場環境を加味し、その上で、ミクロの企業行動等についての既存の先進工業の実態をもとにした理論的成果も生かし、中国独自の現象を説明する論理的枠組みを構築する。このような発想が必要であろう。

4, 中国の経済発展の独自性としての既存の3つの見解
 中国の経済発展の担い手の中核をなすものは何か、これを問う視点から、中国経済発展の独自性を見る見方は、以下のような3つのタイプにわけることができるのではないかと、筆者は考えている。
① 外資の委託加工投資を中心に中国の経済発展を考える考え方
 そこでの必要要素は、インフラの整備と、豊富な低賃金労働力の柔軟な供給ということになる。その工業化の特徴は、容易な地理的移動可能性であり、自生的なイノベーションとは無縁な状況にあるといえる。
② 国有企業(寡占的大企業として)主導の発展と考える考え方
 これは、国家資本主義ということの含意であるといえよう。筆者の想像かもしれないが、計画経済下での工業発展と共通するような、市場支配を保証された国有大企業主導の工業化、経済発展ということを意味していると思われる。そこからは自立的ないしは自生的成長の論理を、筆者は想像あるいは理解できない。工業化は可能であっても、市場経済下では生き残れないと思われる。ロシア工業がそうであるように。
③ (民営企業主導・競争的な国有企業も含めた)激しい競争が中核の経済発展と考える考え方
 垂直分裂を特徴とする分業下で、多数の多様な主体による参入による競争が激しく行われている。これが中国の経済発展を主導しているとする考え方である。加藤弘之・中兼和津次両氏さらに渡邉真理子氏、そして筆者も発展の主導内容として、③に注目していると見ることができる。この点で4者には差異が無いと認識し、以下の議論を展開する。

③をもたらした要因
 あえて、それを加藤・中兼両氏がこれらの論考で議論しているとすれば、加藤氏の場合は、中国の制度の特徴、曖昧さであり、「曖昧な制度」により結びつけられている「整合的なシステム」といえよう。また、中兼氏の場合は、正統派経済学の概念からはみ出る制度的な特徴であり、「従来の近代化論や「正統派経済学(あるいは政治学)(中兼、p.48)」では説明できない現象」であるが、「積極的な社会科学的説明」が可能とも考えられるものとも考えられているようである。他方で中兼氏は「確かに中国の制度の曖昧さ、言い換えれば緩みを「結果的に」うまく利用することによって凄まじい競争が出現し、それが中国の高成長を生み出した最大の要因ともいえる」(中兼、p.58)ともいっている。
 このようにみてくるならば、加藤・中兼両氏とも、論理的に説明できないという意味で「曖昧」さを議論しているというよりも、中国独自の制度として、既存の経済学の理論では把握不可能な状況を、「曖昧」と表現しているとみることができる。それにもかかわらず、中国に独自な制度に関して、「整合的なシステム」の提示や「社会科学的な説明」それ自体の内容を、論理的に提示するより、「曖昧な制度」として表現されている。何故、「曖昧」と表現する必要があるのであろうか。独自な整合的システムとして社会科学的に説明するのではなく、すなわち社会科学的概念を使用して、論理的に中国の独自な制度を説明することなく、「曖昧な制度」と称するのであろうか。またその曖昧さはどこにあるのか、その概念的位置づけを問題にするのであろうか。

 中国の急速な経済発展・産業発展をもたらした整合的システムを考える際に、加藤弘之氏は「曖昧な制度」でシステムを考える際に必要な総体を取り上げているのであろうか。それとも、ある側面のみを取り上げているのであろうか。この点で、氏の著作で現代の「曖昧な制度」として言及されている4章から7章の叙述がきわめて象徴的である。そこでは、競争する主体の側の諸側面が取り上げられている。激しい競争の担い手が、単に民営企業に限らない主体によって担われている中国経済の特徴、しかもそれらがいずれも競争をより激しくする方向で、主体としてかかわっているということが示されている。しかも、中国経済において独自な主体として考えるべき対象については、ほぼ網羅しているとも言える。
 他方で、中国の急速な経済発展・産業発展をもたらした整合的システムを考える際に同時に必要とされるであろう、激しい競争をする主体が競争する場としての市場のあり方、そしてその独自性等については、ほとんど取り上げていないということができる。その意味で「曖昧な制度」を曖昧なままに留め、整合的なシステムとして論理的に説明していないだけではなく、中国の急速かつ独自な経済発展・産業発展を説明する論理的枠組みに関する問題提起としても、一面的なものであるといわざるを得ない。

 激しい競争は、参入主体の形成可能性の大きさだけで生じるのではない。参入できる場としての市場の存在と、その市場のおかれた環境により、参入が実際にどの程度生じるか、その結果どの程度競争が激しくなるかが規定される。加藤弘之氏の議論は、参入する主体の多様性と多さに関する制度的な独自性を強調されるものであり、その内容については、参入主体の形成に関する制度的環境という側面としてみれば、筆者も大いに共感するものである。しかしながら、参入を志向する主体が参入を実現する市場の存在についての議論、またその市場で幅広い主体が参入可能となる市場環境についての議論は、制度との関連でほとんど言及されていない。加藤弘之氏がいう「曖昧な制度」が激しい競争をもたらす媒介であるとしても、その実現する場が存在しないならば、あるいはその場が限定的であるならば、さらには参入障壁が高い場のみであるならば、中国で生じている参入の活発さに基づく激しい競争は生じないであろう。

 このようにみてくるならば、中国での激しい競争の存在を議論するには、参入する主体の状況とともに、市場の側の状況の特徴を見る必要がある。その際重要なのが、中国が巨大な人口をもとにした巨大な国内市場、潜在的な部分を含め巨大な国内市場を保有する経済であること、さらには、70年代まで計画経済を中心にした経済であり、寡占的市場支配力を持つ巨大「資本」が存在していなかったこと、この2点が決定的に重要な意味を持つ。巨大国内市場の最大部分の低価格品の亜市場に対して外資は参入しえなかった。また、国有大企業は市場対応能力が無いという意味で市場経済化の下では市場支配力を持てなかった。この意味で、巨大市場に対して市場支配力を持つ巨大企業が存在しなかったのが、市場化された中国経済であった。
 さらに市場のおかれた環境としては、1980年代以降のグローバル市場の状況、フラグメンテーションの議論に代表されるように、産業内での広域的分業が形成可能になった環境下での経済発展であることに示される、時代的な独自性が重要である。これらの市場の側と、さらに市場のおかれた環境の条件を無視しては、中国市場での激しい競争の存在を説明することはできない。それゆえ、以下では、筆者の考える中国市場の特徴と中国企業が置かれた環境の特徴について、要約的に提示する。
 

5, 筆者が考慮すべきと考える中国経済発展要因としての中国産業の特徴
 中国企業にとっての内外環境の特徴は以下のように整理されるであろう
1) 中国企業が直面した市場の特徴
 中国の企業群にとって直面する市場に関して、まず何よりも重要な事実は、中国国内において、潜在的に巨大な多層性を持つ市場が、改革開放後に一挙に形成されたことであろう。その潜在的に巨大な市場の特徴は、新規に直接投資を行った外資系企業や国有大企業に代表される既存巨大企業によって支配されていない、あるいは、すぐには支配することができない部分を多く含む潜在的に巨大な市場であることである。このような市場が一挙に形成されたということが、中国の市場の第1の特徴である。その上で、潜在的に巨大な多層的な市場は、改革開放後の急激なインフラ整備と市場経済化で、一体化した広域的かつ低価格品指向がきわめて強い顕在化した巨大な市場となった。
 しかも、一体化されつつあった巨大市場の流通網についても、新規に一挙に形成された。計画経済を引継いだ中国の市場では、既存の流通を支配する資本が存在せず、流通資本による支配を前提として工業化を目指す必要がなかった。計画経済下で流通を担ってきたものは、基本的に物流という意味での流通の担い手であり、市場の変化に柔軟に対応する、あるいは市場を支配するような流通資本ではなかった。この点は、多くの発展途上国と異なる点であろう。流通を支配する既存資本のくびきを、どのように克服するかが、多くの新興工業化国の新興産業資本の課題である。中国の場合は、計画経済期を間に挟むことで、既存の流通を支配する資本が、事実上存在しなかった。流通の担い手の資本を構築することと、産業資本として新たに展開することが、同時並行的に行われたのが、中国の改革開放後の市場の大きな特徴である。
 さらに、中国の新興産業資本企業が直面する市場の特徴として注目すべき点は、国内市場が潜在的に巨大な市場であり、既存流通資本に支配されていない市場であっただけではなく、国外に、本格的に、先進工業化国市場以外の市場が総量としては巨大な規模で顕在化した時期に、その形成を実現したということである。中国国内の中下層の巨大な市場の延長線上ともいうべき海外市場が、並行的に形成された。北米、欧州、日本とアジアNIESと言った先進工業化経済以外の市場が、初めて国際的に顕在化した時期に、中国企業の本格的形成が生じたのである。先進工業国の諸企業が対応困難な市場が、中国企業の前に、内外で巨大に顕在化した時期に、中国企業は本格形成された。
 これらの市場の状況に、中国企業は直面した。このような状況が結果として何を意味するかは、主体側の企業のあり方や競争のあり方により大きく規定されるが、同時に、企業が競争する場としての市場の存在とその状況そのものも、極めて産業発展のあり方、さらには産業発展そのもの実現にも大きな影響を与えるといえる。独自な市場、大陸大の市場、当初は潜在的であったが、そのような市場に直面した企業として、改革開放後の中国企業の置かれた状況を把握すべきである。

2) 市場・生産体系がおかれた外的環境の変化
 改革開放以降の中国の産業発展を考えるうえで、市場・産業体系のおかれた外的な環境も極めて重要な点である。その1つが、同一製品の生産をめぐる産業内での広域的地域間分業が可能になった点である。情報・物流インフラの高度化が進展し、いわゆるフラグメンテーションが可能となった状況下で、中国の産業発展が生じたということである。このことは、1つの製品の生産をめぐる地理的分業において、部分的工程の立地自由度が、極めて高くなったことを意味する。最終製品の組立の立地が、部材の生産立地と地理的に大きく離れることが可能となったばかりではなく、部分的工程が、その他の工程、最終製品の組立工程を含むその他の工程と、地理的に大きく離れることが可能となる状況が生じたのである。
 このような状況は、外資が一部工程を発展途上国の労賃の安いインフラの整備された地域に立地させることを可能とする。同時に、中国企業が、自国内で生産できない部材の調達を海外に依存しても、そのこと自体が市場での競争上の大きな不利とならない状況が生じたことも意味する。消費地近接立地、原材料生産地域近接立地、関連産業集積近接立地といった形で存在していた立地上の制約が大きく緩和し、極端にいえば、個別工程自身の立地の論理のみで、部分工程の立地を決めることができると言った内容の自由度が顕著に高まったといえる。
 また、中国外向けの輸出生産のための外資の直接投資による進出が顕著に進行した中国では、国内市場の上位部分を外資が市場として確保することが生じている。同時に、外資の進出により、国内企業が中小企業を含め外資のもつ技術を直接手に入れる機会も豊富に形成された。高度成長期の日本で見られたような海外技術導入をめぐる国内特定企業層の独占と言う状況は、中国の場合生じていない。

3)激しい参入と競争の主体側条件
 多数かつ多様な新規企業の形成と残存が生じ、その結果としての激しい競争が常態化しているのが、現在の中国の巨大国有企業が独占的な支配を法的に許容されていない市場での状況である。市場が巨大であるがゆえに、鉄鋼業のような、通常多くの先進工業国では数社の巨大企業による寡占的市場支配が形成されているような産業でも、参入が多発し、大企業によるものであるが、競争的市場が形成されている。
 以上の激しい競争状況を支えているのが、多様な多数の企業の活発な参入である。この参入が活発な背景には、経営要素資源の豊富な供給がある。
 人材面でいえば、極めて多数の近代工業人材の蓄積があることと、そのような人材が流動化していることが、まずは指摘されうる。計画経済期に育成された、最先端ではないが、近代工業の訓練を受けた技術者や技能者が豊富に存在している。しかも、これらの人々の多くが、国有企業の縮小や解体で流動化し、市場を見つけた企業家が、近代工業の人材を安価に確保を可能にしている。筆者が調査する機会を得た温州の機械工業中小企業の多くは、このような形で、それぞれ必要な水準の人材を確保していた。
 また、起業・企業家の豊富な供給も現在の中国の大きな特徴である。沿岸部の諸地域、特に浙江省で温州市を中心に、極めて多くの創業が生じている。これらの多くは、少額の資金をもとにした民営企業としての参入であるが、他方で、地方政府の出資や支援を享受しての創業も、数多く形成されている。地方政府国有企業を含む多様な起業主体が存在し、それらから極めて多数の多様な起業や創業が行われているのが、現代の中国の特徴である。

 技術 近代工業に必要な要素としての技術については、中央政府出資の国有企業のみならず、地方国有企業や民営企業も、一定の蓄積を行った後には、海外技術の導入等についてもかなり容易に実現できる状況にあるのが、現代の中国の状況である。同時に、起業当初の蓄積が浅い民営企業や地方国有企業が手に入れることのできた近代工業技術が、国有企業の縮小や解体を通して存在したことも、きわめて重要である。人材のみならず、産業機械に体化された技術等も国有企業からの機械流出等により、相対的に安価に容易に獲得することができた。近代工業での創業を多くの民営企業にとって可能にした条件として、これは重要な意味を持っている。
 精度は多少落ちても相対的に安価に産業機械を容易に手に入れることができることは、中国の巨大な市場のうちの低価格を必要条件とするような市場を開拓する際には、決定的な意味を持つことになる。先進工業国の産業機械は、先進工業国の現代的水準に対応したものとして開発されているが故に、中国市場の低価格製品市場向けには過剰品質の産業機械となることが多い。市場の水準に対応した水準の産業機械を供給することのできる基盤としての、中国国有企業から流出した産業機械や、それを利用して開発された中国市場向けの産業機械は、それに対して、市場に適合し、過剰品質を除去した機械として、その分低価格で供給されることになる。これが中国民営企業や地方国有企業にとって、中国市場の低価格を必要とする市場における外資系企業との競争での決定的な優位性をもたらすことになる。
 先進工業国企業は、自社のブランド維持の点からも、安易に安価だが精度の低い機械を導入することはできない。現地生産で現地市場、この場合は中国市場に供給する場合だが、この場合全面的な現地産業機械採用は困難であり、現地の安価な市場の水準に適合した機械を利用する現地企業を有利にする。これは現地にそれなりに近代工業向けの産業機械工業が形成されていたことが重要なのである。輸入産業機械に依存しているような場合、市場がいくら低価格製品を求めていても、それに対応するのには、大きな限界が存在する。中国で丸川知雄氏の言う「キャッチダウン」**や簡易化開発が生じ得るのも、産業機械メーカーが多数存在しているからであるといえる。

 資金 改革開放初期の状況下では、きわめて少額の資金による参入が可能であった。市場を発見することが何よりも重要であり、発見した市場にいち早く供給すれば、きわめて少額な資金をもとにした小規模生産能力の構築によるものでも、成長する市場に参入し、拡大再生産を実現することが可能であった。これは、多くの低価格品市場が潜在的な市場としてのみ存在し、未開拓状態であり、それを顕在化することこそが重要であり、相対的に安価な生産方法を採用すれば、その中で規模の経済性を追求する必要性は、当初はきわめて低かったからである。
 同時に一定の規模の経済性を必要とするような産業分野で、かつ新規に形成され、民営企業等が主役になったような産業分野では、国有商業銀行に代表されるような正規金融は、当初はほとんど資金供給としての役割を果たしていなかったのが、中国の状況であった。その中で一定額の資金の集中に有効であったのが、非正規金融としての民間金融と地方政府による資金供給であったといえる。前者の非正規の民間金融としては、温州等の地域で広く見られており、日本でいう無尽といったものにあたる「会」と言ったような共同的資金融通が存在している。また、地方政府も、財政上の幅広い裁量権の存在を活かし、独自の資金調達プラットフォームの構築等を通して、地方国有企業や民間企業に幅広く出資し、地元産業の振興を目指した。その結果、非正規民間金融と並び、正規金融が従事しようとしなかった、多様な産業資本からの資金需要に応える存在となった。それに対し、正規金融は産業への資金供給母体としては、一面的・限定的であり、国有商業銀行の融資等は、インフラ投資や国有大企業への資金供給が中心であった。
 正規金融が、経済の最も発展的な部分、民営企業を中心とした産業からの資金需要に、ほとんど応えることができなかったのが、中国の産業発展の特徴である。同時に、それにも関わらず、中国の産業は、必要な資金を、相対的に高金利ではあったが、多様な資金調達ルートを通して確保してきたといえる。同時に新市場開拓が中心であったがゆえに、激しい参入が生じても、高金利に対応できるだけの収益を実現することが可能になったといえそうである。

4) 結果としての競争の状況
 市場環境等の結果として、独自の社会的分業構造下での激しい競争が生じている。
中国の社会的分業構造の特徴は、垂直的社会的分業構造(丸川知雄氏の言う「垂直分裂」)の浸透ということにつきるであろう。国有大企業が独占的支配を許容されている部門をのぞくと、多くの部門で、垂直的社会的分業が浸透している。先進工業国で垂直的統合が進展し、企業内分業となっているような産業部門でも、例えば自動二輪車のような産業分野でも、日本の自転車産業にも見られるような、各部品ごとの自立した専門企業の存在と、組立メーカーとしての完成車メーカーの存在が、一般的である。
 このような状況が一般化したのは、中国の産業発展がおかれた環境が決定的に重要であったと考えられる。改革開放後、市場経済化が進展する過程が、先にも述べたように、中国の顕在化しつつあった巨大な市場の圧倒的部分は、新たに進出した外資が、それらが持つ既存の技術を使用して確保できるような質の市場ではなかった。他方、もともと存在していた国有大企業は、垂直統合型を徹底的に追求した企業群であった。このような国有大企業は、市場経済化の下で生じた市場環境の変化(あるいは市場への対応そのもの)についていくことができなかった。結果、法的独占を認められることがなく競争にさらされた国有大企業の多くは、事実上解体され、市場支配力を持つ大企業としての再生産が不可能な状況に陥った。
 そこから生じたことは、新たに形成されつつある巨大な市場の適切な供給者不在という空白であった。市場を見つけ出しさえすれば、市場進出に必要な技術や人材あるいは素材といった経営資源は、先進工業の水準とは異なる水準にあるとしても、極めて豊富に存在し、かつそれが流動化し、市場に存在していた。しかも、新規参入する企業は、当初は、できる限り小規模な資金調達での参入を必要とするようなタイプの企業が圧倒的であった。民営企業や郷鎮企業、さらには地方国有企業でも、資金的制約が存在し、一挙に巨大な垂直的統合化された生産体系を自ら構築するために必要な豊富な資金を持っているような存在ではなかった。
 垂直的に統合した巨大企業の市場支配が存在せず、市場が多様に多数形成され、多くの参入者が存在し、経営資源の面からは市場で多くを調達できる時、現代の技術体系の下で何が生じるかを示したのが、中国の垂直的社会的分業の一般化、垂直分裂状況である。
 フラグメンテーションの議論でも明らかなのように、現代の技術体系その自体は、部分化することが可能であり、熟練技能者が最初から最後まで一人で担当する必要があるようなものではない。しかし、他方で、歴史的経過から、特定企業が市場支配を実現し、それを強化するために川上、あるいは川下に向け垂直的統合を開始しそれが実現してしまうと、新規企業が部分的生産能力のみで参入することは、大きな技術変化でも生じない限り、極めて困難になる。これが寡占的市場支配の1つの結果であるともいえる。その寡占的市場支配のたがが外れ、しかも巨大な市場が一挙に形成され、他方で技術等が流動化するという、極めて例外的な状況が生まれたからこそ、現代技術の持っている一面が、全面的に表面化することができた。これが中国での垂直的社会的分業の一般化の理由といえる。
 この垂直的社会的分業の一般化が、その後さらに一層新規企業の参入を容易にし、独自な産業体系を形成することをもたらした。例えば、深圳の携帯電話産業の展開、筆者自身は自分で調査していないが、丸川知雄氏や丁可氏の調査報告***からは、まさにそれが示されている。台湾のICメーカーであるメディアテック(MTK)が携帯電話のベースバンドICを提供すれば、後は、それをめぐり一挙に多様な多数の社会的分業のネットワークが形成され、世界最大の携帯電話産地が形成された。外資の多国籍巨大企業が全体をコントロールするわけでもなく、国内の例えばレノボのような既存巨大企業が主導するのでもなく、参入と社会的分業で、巨大な生産体系が、現代の先端産業で生じる。しかも、技術変化が生じスマホが主流になった中でも、選手交代をともないながら、再度多数による社会的分業が深化した生産体系が構築されている。すなわち、 中国経済では、その独自な市場形成時の環境ゆえに、垂直的社会的分業が一般的になった。その結果、より一層、参入が容易になり、促進され、垂直的社会的分業が一層深化しているとみることができる。
 以上を要約すれば、中国の独自の垂直的社会的分業の広範化の下での激しい競争は、既存の支配的企業(特に垂直的統合企業)の不存在の下で、巨大な市場が一挙に形成され、その市場への一斉の参入が、多数の多様な起業家・企業家により、技術の外部依存に基づき実現したがゆえに生じたと見ることができよう。さらに、このように形成された独自の社会的分業構造故に、より一層参入が容易となり、その後も参入が繰返され、市場の巨大さと相俟って、激しい競争が多くの分野で維持されている、と見ることができよう。市場環境が可能性を与え、起業・企業主体がそれを現実化したといえるのである。

 なお、加藤氏の著作で指摘されている曖昧な制度のいくつかは、いずれも、加藤氏が中国経済の特徴として第一に強調されている「異なる経済主体の間で激烈な競争」(加藤弘之2013、p.13)、すなわち激しい競争をもたらす要因として位置づけ、経済学的理解の枠組みに組込むことが可能であろう。
 「国有経済のウエイトが高い混合体制」については、中国の場合、法的独占を保証された中央国有企業のいくつかを除けば、圧倒的大多数の国有経済は、地方国有企業からなっている。これらの地方国有企業は、市場経済下でのアクターであり、競争の主体の1つである。地方国有企業は、資金調達面等では、一般の民営企業に対し、一定の優位性を保持しているが、市場の競争では、中国の場合、民営企業と基本的に同じ次元で競争する主体である。しかも、地方国有企業その自体が同じ市場に数多く存在し、それぞれが関連する地方政府間の競争を反映し、相互に激しい競争をしている。
 また、地方政府は、たんに地方国有企業を通して競争するだけではなく、優良事業環境を提供する等を通して、民営企業等を含めた企業を地元に誘致し起業を促進することで、激しく競争している。加藤氏のいう「独自の中央-地方関係の下で、地方政府間で疑似的な市場競争に似た成長競争」は、このようなものとして市場での激しい競争に反映しているといえる。さらに、「官僚・党支配層がある種の利益集団を形成」「組織の利益追求」と言う加藤氏のいう「曖昧な制度」も、中央と地方とのそれぞれのレベルで収益確保をねらい、企業の利益追求を促進するということにつながるといえよう。ただし、これが法的独占を特定企業に付与するという形で存在すれば、競争を促進するどころか、競争阻害要因そのものとなる。中央国有企業の一部はまさにこのような環境にあるといえるが、圧倒的な多数を占めるそれ以外の企業の場合は、競争的な市場で個別企業としての利益を追求すると言うことにつながり、競争を激化させる方向で作用していると見ることができよう。
 故に、 その多くは企業間競争促進要因として位置づけることのできる、中国経済の制度的環境である。決して曖昧な制度なのではなく、具体的な制度であると同時に、その多くは市場競争に対してそれを促進する方向のものと論理的に位置づけることのできる制度的環境を構成するものなのである。

*本節の主張の筆者なりの聴取り調査による裏づけとしては、以下の拙稿を参照していただきたい。
<温州の産業発展を中心としたものとして> 「中国浙江省温州市産業発展試論 -温州市工業・企業発展の仮説的フレームワークの提示とその若干の検討-」(『三田学会雑誌』945巻3号,2001年10月)、「中国民営中小企業の自立的発展が意味するもの ―浙江省温州市機械金属関連企業を例に―」(『素形材』43巻7号,2002年7月)、「中国浙江省温州市産業発展試論 その2-温州市産業機械メーカーの形成と発展-」(『三田学会雑誌』95巻3号,2002年10月)、「温州の産業発展試論-自立・国内完結型・国内市場向け産業発展、その意味と展望-」(『三田学会雑誌』96巻4号,2004年1月)。「中国中小企業の発展と課題 温州市企業を例に、その発展形態と日本企業への含意」「中国中小企業発展政策への提言~現地調査をふまえて~」(日本貿易振興機構海外調査部編『3E研究院事業総括報告書「中国中小企業発展政策研究」』(同所,2004年2月)のIII-3とVI)。
 なお、これらの研究ノート等の素材となった、温州市を中心とした中国沿岸部の工業中小企業に対する聴取り調査についてのインタビューノートは、日本貿易振興機構(ジェトロ)海外調査部編『3E研究院事業報告書(別冊)「中国中小企業発展政策研究」-企業訪問インタビューノート-』(同所、2004年2月)として公刊されている。<その他の地域の産業発展について> 「華南のステンレス製食器産地からの示唆 ―華南調査ノート―」(丸川知雄編『中国の産業集積の探求』 (現代中国研究拠点,研究シリーズ4号,東京大学社会科学研究所 2009年3月)の第5章) 、「自転車産業・電動自転車産業の発展・新生から見た中国産業発展の可能性(1) ―完成車メーカーの存立状況が示唆するもの―」(『三田学会雑誌』103巻1号,2010年4月)、「自転車産業・電動自転車産業の発展・新生から見た中国産業発展の可能性(2) ―自転車部品産業での高度な社会的分業」(『三田学会雑誌』103巻2号,2010年7月)。
 また、筆者が10年余にわたって現地調査を通してみてきた中国の産業発展を念頭に、筆者の方法的視点から、産業発展をどのような論理的枠組みによって検討すべきかについての覚書として、拙稿「産業論の論理的枠組みと中国の産業発展・発展研究-産業論研究の方法に関する覚書-」(渡辺幸男・植田浩史・駒形哲哉編著『中国産業論の機能法的展開』(同友館、2014年)の第13章として所収)を執筆した。本稿での筆者の中国産業発展についての理解は、それを踏まえ、ある部分を要約し、またより具体化して展開したものでもある。より詳しくは、上記の覚書を参考にしていただきたい。

**丸川知雄『現代中国経済』(有斐閣,2013年)の第5章を参照。

***丸川知雄『チャイニーズ・ドリーム -大衆資本主義が世界を変える』(筑摩書房、2013年)の第2章や、丁可・潘九堂「「山寨」携帯電話:プラットフォームと中小企業発展のダイナミズム」(渡邉真理子編著『中国の産業はどのように発展してきたか』(勁草書房、2013年)の第4章)を参照。

6 中国経済・産業発展の独自性と対比しうる日本の経済・産業発展の独自性
 日本の戦後高度成長過程を通して形成された独自な生産体系として、トヨタ生産方式や下請系列取引関係を指摘することができる。これらが何故形成されたのか、それらは日本経済の発展の結果どうなったのか、と言ったことが1970年代から1990年代にかけての、日本の製造業の先進工業化の過程で研究課題となった。筆者も、後者の下請系列取引関係を研究対象とし、この取引関係とは、どのような関係であり、日本で何故形成されたのかについての論争に、実態調査研究を踏まえて参加した。
 そこでの筆者の結論は、日本企業のおかれた独自の市場・競争環境が、トヨタ生産方式を作り上げ、下請系列取引関係を形成させた、というものであった。トヨタ生産方式は、それ自体と同様なものをコピーすることは、他国の巨大企業にはできなかったが、低価格でかつ安定した品質の実現を競争をめぐる1つの基準とし、それを前提に対抗する方法を発明することを、他国巨大企業に課した。
 日本の機械工業の発注側大企業は下請系列取引関係を通して、中小企業への投資を節約しながら優良中小企業を囲い込み、発注側大企業は中核的部分のみに注力し、周辺的な技術発展を下請系列企業に任せることができた。しかもその中小企業を囲い込むことで、自らとグループとしての競争力の源泉としえた。他方で、系列中小企業として発注側大企業に選抜された下請中小企業にとって、特定大企業に従属することが、市場の確保とより高度な技術の確保のために、自らの発展にとって有効な手段と認識されていた。戦後高度成長過程という特定の環境下で、双方の利害が一致したが故に、所有によらない支配が可能になった。特に、高度成長期には、受注側の下請中小企業にとって、中小企業間の競争優位に必要とされる最新の加工技術が、発注側大企業経由によってのみ手に入れることが可能であった。これが、優良中小企業が、資本支配を受けていないのにあえて大企業に従属した理由であった。
このような環境が存在しなければ、下請系列取引関係は形成されなかったといえる。同時に、これが、下請系列取引関係が、日本の機械工業で何故これほどまでの広範に形成されたのか、と言う点での筆者の説明であった。
 当然のことながら、日本の下請系列取引関係は、日本独自とほぼいえる受発注取引関係であるが、日本の下請取引関係に戦前から存在したものではなく、戦後の高度成長過程で、受発注双方の側の利害が一致したから形成されたものである。経済的利害の関係で充分説明できる関係である。中村精氏が主張されたように日本の「タテ社会」の伝統故に存在した、といえるようなものではない
 中国経済も、日本経済同様、極めて独自な市場環境下で、本格的な産業発展を通しての経済発展を実現している。同じ東アジアで工業発展を軸にした先進経済化を実現した日本、韓国、台湾、そして実現しつつある中国、これらの諸国のおかれた市場環境は、それぞれ大きく異なっている。それぞれの独自な市場環境に則して、自国系工業企業の発展を実現し、国民経済の発展を実現したのが、これらの諸国経済である。同時に、独自な市場環境をそれぞれなりに異なった形で活用できたから、先進工業化を実現したし、実現しつつあるといえる。

*中村精『中小企業と大企業:日本の産業発展と準垂直的統合』(東洋経済新報社、1983年)で展開された議論である。この点、詳しくは、拙著『日本機械工業の社会的分業構造 階層構造・産業集積からの下請制把握』(有斐閣,1997年)を参照。

7 日中で大きく異なる独自な産業体系の形成をもたらした環境の違いは何か
 中国産業での垂直的社会的分業(垂直分裂)の深化と日本産業での下請系列取引関係の形成と言う、結果的には非常に異なる先進工業化への道が、どのような独自性の違いにより生じたといえるのであろうか。中国での垂直的社会的分業の深化をもたらした市場環境と、日本での下請系列取引関係の形成をもたらした市場環境とについて、それらの間の共通性と異質性を見てみると、興味深いことが分かる。
 両者の市場環境の共通性は、国内の大規模市場を前提に、外資系企業が存在しない、あるいは参入できない市場での国内企業間の激しい競争が存在した、あるいは存在しているということであろう。この点で、同じ東アジアの先進工業化国であっても韓国や台湾と、日本と中国は大きく異なることになる。韓国や台湾の企業は、グローバルな市場を前提に、そこで自国系企業が一定の存立基盤を構築することに成功したことで、先進工業化の緒をつかんでいる。
 このような日中の共通性は、日中それぞれが、当初よりグローバル市場での競争に巻き込まれた韓国や台湾の企業と異なり、それぞれの国民経済としての独自な産業発展を実現したことにつながる。しかし、結果としての独自な発展の内容は、日中で大きく異なることになった。それが日本ではトヨタ生産方式や下請系列取引関係の広範化へとつながり、中国では垂直的社会的分業の下での激しい競争につながった。国内市場を対象に自国系企業が中心となり発展した結果が、現代工業において、ある意味両極ともいえるそれぞれ独自な取引形態を生み出した。
 この日中両者に異質な結果をもたらしたものは、市場の置かれた環境が大きく異なったことによる、と言うのが筆者の見解である。いずれの独自性も、それぞれの市場環境により形成されたが、両者の市場環境に大きく異なる点があり、垂直的社会的分業のあり方が、中国では垂直分裂の広範化となり、日本では準垂直統合的取引関係の広範化へと分かれたいえる。
 それぞれが独自な取引関係を形成したのは、それぞれの国内企業が、外資等の影響を一定程度遮断し、広大な国内市場の独自な環境下で、それぞれとして独自な激しい競争を繰り広げたことにある。その上で、国内企業の中での国内既存寡占的大企業の競争力ないしは適応力の違いが一方で存在し、他方で、中小企業を中心とした諸企業にとって競争上必要な技術、この場合の必要な技術は、市場のあり方で最新の技術である場合も、最新でなくとも充分意味のある技術である場合もありうるが、必要な技術あるいは必要な最新技術へのアクセスの限定性の差異が存在した。必要な技術そして最新技術の全ての企業層にとっての利用可能性の存在と既存大企業の不存在という中国の環境が、中央政府により実質的に独占が許容されている国有巨大企業分野以外のほぼ全ての分野での新興企業の活発な参入となり、結果として垂直的社会的分業(垂直分裂)の広範化が生じた。他方で、日本の場合は、強力な寡占的支配を実現している大企業群が存在しているもとで、中小企業の競争優位を形成するために不可欠な最新技術について、ほぼ大企業経由でのみ導入可能性が存在したことで、準垂直統合型社会的分業が結果として形成された。
 いずれの垂直的分業のあり方も、巨大企業による垂直的企業内分業(垂直統合)の産業形態ではないということで、米国のあり方と大きく異なっている。日中ともに、取引費用と機会主義的行動の回避のために、寡占的大企業が垂直的統合を選択する必要がないということでは、共通する。
 いいかえれば、中国の企業間取引環境では、供給側の状況は似たような輸入技術を使用する非常に競争的な企業との取引ということになる。他方で、需要側の状況としては、急速に変化する市場環境のもとで、 関連部門を内部化するリスクがきわめて大きい状況にある。大差ない部材が競争的に供給されているがゆえに、売り手独占による機会主義的行動を懸念することなく、その時々の必要に応じて、必要な財を購入することができるし、その方が内部化し陳腐化する可能性というリスクを回避することができる。
 それゆえ、中国でも、環境が変われば、異なる環境の産業が形成されれば、当然ながら、垂直統合型の企業や産業が発生しうる。垂直分裂的分業は、あくまでも、市場を含めた環境の結果であり、「包」ゆえではないと、筆者は考える。下請系列取引関係の形成が日本の伝統であるとされる「タテ社会」ゆえでないのと同様に、経済学的な説明が可能なのである。
 日中いずれの独自な取引形態、産業組織形態についても、経済学としての産業論の論理で充分説明可能であり、伝統的社会の制度に擬されることはあっても、その制度故に生じたものとして説明する必要性はほとんど存在しない。そのような産業発展の集合体としての、国民経済発展、中国型、日本型資本主義の発展が、何故、近代を超えて歴史的に継承されてきた「制度」から説明しなければならないのであろうか。筆者にはその必要はないと考えられる。
 日中の産業発展は、韓国・台湾での産業発展ときわめて異質だが、日中、韓台共に、それぞれの産業発展の論理を、産業論の論理でまずは説明すべきであり、それで説明できない部分が見えてきた時に、歴史的「制度」に戻ることも必要と考えるべきであろう。
 筆者は、日本そして中国の産業発展を見てきて、「正統派経済学」の枠組みで理解できない現象であっても、より広い経済学の理解に基づく産業論の枠組みによれば充分理解可能な現象であることを実感してきた。また、その実感を日本の下請系列取引関係の形成について、筆者なりに論理的に示してきた。いまだ、下請系列取引関係の形成を説明するために、中村精氏のように日本古来の「タテ社会」の伝統に戻る必要を感じたことはない。
 なお、中兼和津次氏のいう「伝統とか文化に発展の基本的要因を求めるにはどうしても躊躇せざるを得ない。それは「最後の拠り所」ではなかろうか」「他にもっと積極的な社会科学的説明はないだろうか?」(中兼、p.48)への回答については、中兼和津次氏自身は、書評論文のなかで示そうとしていない。まさに筆者が本研究ノートで示そうとしたものは、「他にもっと積極的な社会科学的説明」が存在しうると考えられそうであるということでもある。

8 まとめにかえて 日中の産業発展から見えてきたこと
 本格的工業化が進展する経済は、英国から始まり、西欧諸国や北米諸国、中央や東アジア諸国へと広がったが、世界全体から見れば、これまで少数派に留まっている。その工業化は何故生じ、先進工業化国へと発展しえたのか、筆者は直接、このような課題を研究してきたわけではない。そのため、筆者がいえることは、日本の工業化と中国の工業化を通してみた時、工業化を進展させる要因として、何が重要であったかと、ということであり、それを通しての先進経済化への路への可能性の提示、ないしは先進経済化への道の限定性・狭さの提示のみである。
 両国の工業化を見る限り、産業発展の形態は大きく異なっているように見える。日本の工業化の大きな特徴は、主導産業となった機械工業での準垂直的統合である下請系列取引関係の広範化と寡占グループ間の激しい競争を軸とした産業発展である。それに対して,中国の産業発展の形態は、垂直的社会的分業(垂直分裂)のもとでの新規創業企業を中心とした激しい企業間競争を軸とした産業発展である。
 それぞれでのそれぞれなりの激しい競争と産業発展をもたらしたのものは、主体としての企業の大量形成や、それぞれの歴史的産物としての豊富で安価な経営資源の賦存であるとともに、それらの主体が直面する独自市場の存在、相互に競争を行い生き抜いていくことを求められる自国系企業中心の市場の存在にあるということができよう。この面では日中ともに共通しているといえる。だからこそ、自国系企業中心に大量の新規創業が生じ、それらが新規に形成された市場を開拓していけたといえる。
 他方で直面する自国系企業中心の市場のおかれたその他の環境は、日中で大きく異なっている。日本では既存の寡占的大企業が存在し、かつ国内市場を自国系資本間だけの競争、即ちほとんど外資が参入しない中での競争という市場環境下での競争であり、かつその市場規模は国民経済として近代工業の規模の経済性を充分発揮できる規模という環境のもとでの、寡占大企業間での激しい競争を一方の軸とした競争に基づく発展であった。
 それに対して、中国では、既存大企業であった国有企業は、市場経済化の下で経営の不存在ゆえに、変化に対応できず、寡占的大企業として再生産することができなかった。同時に、外資系企業が多数進出しており、それとの競争ないしは棲分けの中でのみ、自国系企業は発展可能となった。同時に、国内既存企業の支配のない中で、外資系企業が対応できない低価格品中心の亜市場が、多様に一挙に多数形成された。既存企業が存在しない、ないしは進出できない巨大な亜市場が多様に形成され、それを大量の多様な新規創業企業が既存技術を利用しながら開拓していった。この面での市場環境の差異が、中国では、垂直的社会的分業(垂直分裂)化での激しい競争をもたらし、急激な産業発展を引き起こした。
 それゆえ、結果的に産業発展は、大きく異なった産業形態でもって実現されている。しかも、日中ともに、同じ東アジアの工業化国である韓国や台湾のいずれとも大きく異なる産業形態を通して先進工業化の路を歩んだし、歩みつつある。自国市場を中心に発展可能であった日中と、当初よりグローバル市場での何らかの優位を実現することを通して工業化の担い手を形成しえた韓台との大きな差異が存在する。
 そこから見えてくることは、いくつかの必要条件での共通性は確認できるが、本格的工業化へと導く特定の産業形態は存在はこれらの事例からは確認できないということであろう。しかも、それぞれの国民経済が置かれた環境、特に市場環境が大きく異なることで、それに適合した産業形態を、それぞれなりに実現できたことが、本格的工業化を実現できたことにつながったともいえそうである。
 それぞれの国民経済とそれを主導する企業群がおかれた市場環境が、その産業発展形態を大きく規定する。たとえ、経営資源的について充分な供給を確保をしても、それを活かせるか、またどのように活かすかは、市場環境に大きく規定される。これが筆者が日中の産業発展を見て感じ取った最も重要な点である。